ホテル『ポロネーズ』は、その名前のわりに、ロマンチシズムのかけらも感じられない殺風景な三階建ての建物だった。

 バルコニーには、枯れた鉢植えが何個か置かれていたが、よく見ると、造花だった。ナチに占領されてから手入れはあきらめてしまったのだろうか。

 カーテンのすきから通りを見ると、何人かのゲシュタポがたむろしているのが見えた。時折こちらを見上げている。

 だが、さすがに廊下までは見張りはついていない。春日と市村は、廊下を非常口に向かった。そこに見張りはいなかった。

「こっちから行こう。森伝いだ」

 春日が市村にいった。ふたりは非常階段を降りて植え込みに紛れ、背後の森に入り込んだ。

「あったぞ」

 森を抜けると、すぐに線路に出た。

 線路は月光に照らされ、冷たい光沢を放っていた。それが延々と伸び、カーブしてやまかげに消えている。

 線路の脇の木立の中をふたりは進みはじめた。

 ふたりは夜目に目立たないよう、飛行服の上から外務省のいんたちの黒いコートを着ていた。

 木立が線路に覆いかぶさるようになったり小川を渡ったりすると、ふたりは線路に出て歩くようになった。さほどの距離ではなかったが、なにせ土地勘はゼロなのだ。

 それでも線路の両側に森影が延びているのは幸いだった。

「まるで目隠しのようだな」

 と春日がいった。

「収容所に向かう列車なのですからね。それは人目につきたくはないでしょう」

 と市村がいった。

「しかし、見せしめということはあるぞ」

「それはまあ」

 近くに農家がしばしばあったが、いずれも森で視界をさえぎられた感じになっていた。

 月はどんどん傾いていく。春日が夜光の海軍用腕時計を見ると、午前一時。すでに一時間歩いたことになるのだった。

 線路は左手にカーブをはじめた。堤のように両側の地面がり出している。

「列車が来ます」

 と市村が押し殺した声でいった。

 春日は、はっと振り返った。何も見えない。

 市村が両手を突いて、線路に片耳をつけた。

「間違いありません」

 それを追うように、遠くにピーッと汽笛らしきものが聞こえた。

「まずいな」

 春日たちはあわてて、隠れる場所を求めた。

 右手の松の土手に飛び込つき、駆け上がった。

 直後──。

 今度は前方からぐんの足音がして、自動小銃を手にしたヘルメット姿の兵士たちが、ザックザックと駆けてきた。

「見つかったのでしょうか」

「まさか」

 と春日は市村の恐れを打ち消した。

 兵士たちが、ふたりの前で止まった。

(本当に見つかったのでは)

 と春日は思った。もし見つかったらどうするのか。春日は決めていなかった。山本たちとの関連は絶たねばならないのだ。忍者のように顔をいでも身は隠せない。思い切って出て行くか。散歩に出て道に迷ったというか。SSは春日たちを殺すかもしれない。あるいは上に報告するか。いずれにしろ、これで山本の使命は失敗することになるだろう。

 だが幸いなことに、兵士たちはふたりに気づいたわけではなかった。

 どうやら列車を迎えに出た収容所の警備兵らしい、と気づいた。

 ピーッ。

 汽笛が聞こえてきた。



 しばらくして煙の臭いとともに蒸気が流れ、後方のカーブから列車があらわれた。

 ヘッドライトがこうこうたる明かりを辺りに放つ。

 松の木陰にいた春日たちも目を覆うほどまぶしいものだった。

 機関車の蒸気が両側の土手を包み、夜気に流れた。

 煙突が一本だけの、古ぼけたかつちゆうに似たごつごつと厳めしい形のわりには小柄な機関車だった。第一次大戦の頃からの年代物であろう。それが必死で、貨車をけんいんしているのだった。恐らくワルシャワあたりからではなくドイツから走ってきたのではないかと、春日には思えた。

 機関車は速度を落とし、ゆっくりと走りつづける──。

 貨車の搬入口には板片がぶっ違いに打ちつけられている。

 貨車の屋根近くには空気取りの小窓が無数に開いていて、かすかだが明かりのようなものが漏れているのがわかった。

 迎えの兵士たちが車両の両側を取り巻き、列車に従って早足でもどりはじめた。

 貨車は延々とつづくかと見えた。

 全部で四十両はあったろうか。やがて最後尾に、もう一両機関車があらわれた。つまり二両の機関車で四十両の貨車を運んできたものらしい。

 列車は夜気に蒸気をまき散らしながら、さらにカーブを回っていった。

 カーブの向こうで、いきなり明かりが灯った。車のエンジン音や人声、足音などが聞こえてきた。カーブの向こうに何かあるのだ。

「どうします」

 市村が春日の顔を見た。

「登ってみよう」

 ふたりは松林を登りはじめた。

 ほどなく頂上に出た。

 星空が一面に凍りついている。

 眼下に広がった光景にふたりは息を飲んだ。

 そこは盆地のようになっている。平屋の建物が何棟も建っていた。

 春日たちに面した側だけでも三十棟はあるだろうか。それが何列も視界一杯につづき、全体では三百棟はあるのではと思われた。建物同士の間隔はほとんどなく、わずかに中央に比較的広い通りがあるのが見てとれた。

 周囲には鉄条網が二重に張られ、ところどころに見張りの塔があり、機関銃に手をかけた人影があった。

 右手の隅にれん造りの建物が十棟ほど見られる。夜なので距離はよくわからない。ここはまぎれもない収容所だが、その煉瓦造りの建物は際立っていた。それ自体、他から目を避けるように周囲に板塀を巡らしたくぼのようなところに設けられたものであった。

 鉄条網の一角が大きく両側に開かれ、線路が入り込んでいた。入口の辺りが、てんてつまで備えた操車場になっているのだった。

 そこに列車がうねるように止まり、そこから人々が降ろされていた。自動小銃を手にした兵士たちがそれを見張っている。

 貨車から降ろされた人々は、いくつものかたまりにされてうごめいていた。

 彼ら彼女らの吐く息が、サーチライトで照らされた空間に白く煙のように流れている。その切なさと悲しみ、そして恐怖が春日のところまで伝わってくるようだ。

 ふいに、その中の数人が駆け出した。鉄条網の切れたところに向かって必死で走る。

 ピーピーッと笛が聞こえ、「止まれ」と声がかかった。

 人々は前のめりになり、両手を前に伸ばして駆けている。

 自動小銃がバリバリッと音を立て、人々は弾かれたように倒れた。

 倒れた者たちは動かない。一瞬にしてこの世から消えた。

 しま模様の服に、布を頭に巻いた人々が、倒れた人々の足を引きずって片付けていく。

「なんということだ」

 春日がうめいた。

「これは……ひどい」

 市村も首を左右に振った。

「あれはみんなユダヤ人なのですか」

「そうだろうな。みな、粗末な服を着ているじゃないか。軍人らしい姿は見当たらないから、捕虜でないことは確かだ」

 集められた人々は男女の別に分けられていた。

 子供連れの女もいたし、老人もいた。

 それらがてきいくつかの建物に割り振られ、連行されていく。

 よく見ると、壮健な男女は独立したグループになっている。

「もっと様子を見ておこう」

 と春日がいった。

「これで十分ではありませんか」

「おい、市村」

 と春日は市村一飛曹を見つめた。

「満州のユダヤ人のうわさでは、絶滅収容所は何箇所もあるという。やはり、ここはそのひとつではないかと思えるのだ。山本長官もそれを気にしておられたのだ」

 ふたりは松林を下り、鉄条網に沿ってうように進みはじめた。

 見張り塔のサーチライトが鉄条網をときおりいでゆく。

「危険ですよ、もどりましょう」

 市村がいった。

「もう少しだ」

 ほどなく、木造の建物の間から煉瓦造りの建物が見えた。煙突が何本か出ている。

 ちょっと見には、銭湯の煙突だった。

「あれだ」

 と春日がいった。

「収容所にはガス室があるという。ガス室に送り込んで多量に殺害しているらしい」

「そんなことが本当にあり得るのでしょうか」

「あの煙突がなによりの証拠だ」

 ふたりが松林に入ってもどろうとしたとき、いきなり犬のえ声がした。

「見つかりました」

 市村がおびえた声を出す。

「いわんこっちゃないでしょう」

 鉄条網の前を二匹のシェパードが駆けてくる。あとから来るのは警備兵がふたりだ。

「しょうがねえだろう」

 春日と市村は必死で松林の中を逃げはじめた。

 サイレンが鳴り渡り、見張り塔のサーチライトが追い迫ってくる。

 ふたりは松林を這い登った。

 犬が追ってくるのが見えた。

 銃声がして、犬の悲鳴が聞こえた。さらに一発。悲鳴がつづき、静かになった。

 そのとき──。

「こっちだ」

 と声。

「参謀長」

 黒装束の宇垣が、先に立って走り出していた。



「なにも見つかるまで近づくことはなかったんだ。危ないことをしおって」

 と宇垣がいった。といって、あまり怒っている声ではない。

 三人は、松林を縫って逃げた。

 追手の笛の音が聞こえてくるが、まだ距離はある。

 松林を抜けると、そこは夜の街道だった。

 周囲の畑がまるで黒い海のようだ。その海の中に街道が延びているのだった。

 三人は街道を村に向かって早足で歩きだした。

 しかし、いずれこのままでは追いつかれてしまうだろう。

「追手が来たらどうしますか」

 春日が宇垣にきいた。

「お前がきくことはないだろうが」

 と宇垣がいった。

「まさか、撃ち合うわけにもいくまい。両手を上げて、散歩だと申し開くよりしょうがない」

「しかし──」

 山本にかける迷惑は限りないことになる。

 そのとき、いきなり市村がシッと口に指を当てた。

「車が来ます」

「追手かな」

「たぶん」

 三人は、松林の中に飛び込んだ。

 ヘッドライトが背後から迫ってくる。

 そのとき、市村が「しまった」と声を上げた。

 道の真ん中に双眼鏡を落としてしまったのだ。

 市村は取りにもどろうとしたが、もはやヘッドライトはこちらを照らすまでに迫っていた。

 宇垣が市村のえりくびをつかんで、茂みに引きもどした。

 ヘッドライトは、どうやらトラックらしい。

 三人は息をひそめた。

 トラックは双眼鏡をまたいで、通り過ぎた。

 気づかれなかったのか。

 トラックが止まった。

 バックしてくる。

 見つかったのか。

 トラックが停止して排気が夜気に流れた。運転席から降り立ったのはナチスの将校だった。双眼鏡を拾って、見た。

 双眼鏡は日本光学の八倍のもので、日本から持参したものだった。

 将校は辺りを見回した。

 こちらに向かって近づいてきた。

「出てこい」

 と押し殺した声でいった。

「日本の使節の方々だな。害は加えない」



 春日はどうするといったふうに宇垣を見た。

「俺が撃たれたら、おまえたちは松林の中を逃げろ」

 宇垣は立ち上がった。

「参謀長」

 と春日が止めようとしたが遅かった。

「しょうがないだろうが」

 と宇垣がいった。

 宇垣は道に出ていった。

「わたしは、タイガー軍団指揮官アルト・クルーガー大佐だ。宿までお送りしよう」

 とクルーガー大佐は宇垣にいった。

 宇垣はためらっている。

「おおかた、強制収容所をのぞいたのでしょう。追手が来る。さあ、早くトラックに乗られるがよい」

「どうして、助けてくださるのだ」

 と宇垣がきいた。

「まあ、いいではないか。ナチも一枚岩ではないということさ」

 宇垣が呼びかけたので、春日と市村も出ていった。

「乗れ」

 とクルーガー大佐がふたりにいった。

「司令官がどうしてトラックにひとりで乗っているのです」

「わたしの車は、港でパルチザンに爆破されてしまった。運転兵も死んだ。緊急赴任なので自分でトラックを運転してきたのだ。さあ」

 春日と市村、そして宇垣が荷台に乗ると、トラックはただちに発進した。

 がたがたと田舎いなかあぜみちを行くようだ。

 ふいに、前方に明かりが見えた。

 脇から市村が覗くと、道の左右にサイドカーが止まり、通行車両をチェックしている。

「検問です」

 と市村が緊張を隠せない声でいった。

「荷物の間に隠れるんだ。あとは運にまかせよう」

 宇垣がいった。

 トラックはがたがたと、検問に近づいていった。

 警備兵がカンテラを振り、もうひとりが銃を手に見張っている。

 トラックは彼らの前に止まった。

 サイドカーに乗っていたらしい警備兵が、トラックの助手席を覗き込んだ。

 将校が身分証明書らしきものを差し出した。

 警備兵はそれを受け取ると、確認して返した。

 それから背筋を伸ばし、敬礼した。

「ご苦労さまです」

 と警備兵はいった。

「どうぞ、お通りください」

 トラックは動きだした──。

 カンテラの明かりが背後に遠ざかっていく。

 宇垣たちは、ほっとして荷物の間から這い出した──。



 ホテル『ポロネーズ』の表に黒塗りのリムジンが乗りつけられた。

 降り立ったのはハルダー元帥と黒いコートの男だった。

 フロントでは老人が眠そうな顔をしていた。

 男がカウンターをたたくと、老人は飛び起きた。

「ここを誰か通らなかったか」

「いいえ」

「まあ、無駄なことを聞いてしまったな」

 コートの男は元帥の先に立って、階段を上がった。

 二階の廊下の一室の前に立った。


 山本五十六はノックの音でベッドから起き上がった。ワイシャツにズボン姿で、靴もはいたままだった。山本はけ事が大好きだったが、今夜はそうもしていられなかった。日誌をつけるため自室にもどっていたのだった。

 壁の時計を見ると、午前二時になろうとしていた。

「わたしだ。ハルダーだ」

 山本がサスペンダーを肩にかけながら、ドアを開けると、ハルダー元帥が私服の男を連れて廊下に立っていた。

 ダークスーツにコートを着て、中折れ帽をかぶっている。ハルダーも元帥服をぴしっと決めていた。ブーツはぴかぴかに磨かれている。

「どうなさったのです、こんな夜更けに」

 山本がきいた。

「申し訳ありません」

 とハルダーはいったが、目は山本の背後の室内をあさっていた。

「いささか事件が起こりましてな」

「どうぞ、お入りください」

 山本が体を引くと、私服の男も入ってきた。

「おでかけなのですか」

 ハルダーは、山本がワイシャツにズボン姿なのに気づいてきいた。

「まさか。今まで日誌をつけていたのですよ」

 山本はサイドテーブルの上の語学本を指差した。

「ついでにドイツ語の勉強です。日誌の一部をドイツ語で書いてみています。なかなか、ちゃんと話せるようにはなりませんが」

「それはご熱心なことだ」

 といったハルダーの目が光った。

「他の方々はどうなさっているのです」

「宇垣くん」

 と山本が呼んだ。

 なにやら浴室で、声がした。

 ドアが開いて、湯気とともに宇垣が顔を出した。裸で髪の毛は濡れている。もともと宇垣は『黄金仮面』と陰口を叩かれるほど無表情だった。それがぬっと突き出された。腰にタオルを巻いている。

「お呼びですか」

 と宇垣はいってからハルダーたちに気づいた。

「これは──」

「いや、失礼」

 とハルダーはいった。

「何かあったのですか」

 と宇垣がタオルで体をきながらきいた。

「ここから二キロほどのところに収容所があります。そこにパルチザンらしき者たちが侵入を図り、警備犬を二匹射殺しました」

「パルチザンですか」

「たぶん」

「まだわかりません」

 と私服の男がいい直した。

「この方は」

 と宇垣がきいた。

「ご紹介しよう。ゲシュタポのハンス・ジンメル中尉だ」

「山本閣下に宇垣閣下ですな、よろしく」

 とジンメル中尉は右手を差し出し、山本の手を取った。

「それでわたしたちが……疑われたのですか」

 と山本。

「冗談ではありませんよ」

 と宇垣が憤然とした。

「どうしてわたしたちが収容所に潜入するのです。何のために」

「まあ、潜入とは申しません。ただ興味をもって、いんに乗じて行ったのではないかと……。正直におっしゃってください」

 ジンメルの目は宇垣の表情を読もうとしている。

「わたしたちにはこの地に土地勘がありません」

 と山本がいった。

「それがどうして、そんな遠くまで行けるのです」

「表にはまったく出なかったのですか」

 とハルダーがきいた。

「まったく」

 と宇垣がいった。

「ずっと部屋の中にいましたよ。廊下にルームサービスの食べ残しが出ていたでしょう。スコッチを閣下からいただいたので、ちょっと酔っていますがね。いや、結構な酒でした」

 と宇垣がいった。

「わかりました。表にはていやからが潜んでいるかもしれません、どうか外出なさらないようお勧めします」

「パルチザンと間違えて射殺ということもあり得ますから」

「よくわかりました。お役目ご苦労さまです」

 と山本はいんぎんいがぐりあたまを下げた──。

 ふたりが去ったあと、山本と宇垣は顔を見合わせた。

「危ないところでしたな」

「しかし、きみのおかげではっきりしたよ。ナチは絶滅収容所を持っている。こんな国と軍事同盟などとんでもない話だ」

「まったく、ひどいことです」

「民族同士の生存競争とはそれほどすごいものなのか」

「われわれ日本人にはわかりませんね」

「どうかな。たとえば中国・台湾・朝鮮。これらの人々にわれわれ日本人は優しいかどうか。心の中に差別がないかどうか。タイやビルマ・フィリピンでも同じことだ。大東亜共栄圏の国々とはもっとうまくやっていかねばならないだろうな。それより、われわれに危険を知らせ、助けの手まで差し伸べてくれた将校クルーガー大佐に害はおよぶことはないだろうな」

「われわれは見つかりませんでしたから、大丈夫でしょう」

「どうして助けてくれたのか」

「反ヒトラーの勢力は結構広がっているのではありませんか。彼らにとって山本閣下は大切な方なのです。もし日独同盟が締結できれば、ヒトラーの地位はばんじやくです」

「うむ」

 山本は考える表情になった。



 部屋の中からにぎやかな声が聞こえてくる。

 ハルダーとジンメルは顔を見合わせた。

 ジンメルがドアをノックした。

 笑い声が静まった。

「はい」

 と中から声がして、ドアが開いた。

 開けたのは外務省の飯島だった。

「これはハルダー閣下」

「楽しんでいただいているかな」

 室内では渡辺参謀と春日大尉、市村一飛曹たちがポーカーの最中だった。

 春日と市村の前にはチップが山積みになっている。

 ジンメルがそれをちらっと見た。

「この中で、表へ出たものはいるか」

 ジンメルはおうへいにきいた。

「お前は誰だ」

 と渡辺がきいた。

「村の治安をつかさどるものだ」

 とジンメルはいった。あきらかにゲシュタポだった。

「われわれは日本から来た。あんたがたにとっては客ではないのか。それをその容疑者のようなきき方はなんなのだ」

「これは失礼」

 とハルダーがいった。

「近くでパルチザンが行動を起こしたという情報が入りました。もしあなたがたが表に出られたなら、誰か怪しい者を見かけなかったか知りたかったのです」

「失礼ですが、ここは田舎です。出ても遊ぶところはありませんよ」

「それもそうですな。いや失礼。ところでゲームはどなたが勝っておいでなのですか」

「春日と市村ですよ。ふたりともドイツ仕込みでしょうかな、強い、強い」

 渡辺がいった。

 春日と市村は、チップの山の前で、グラスのスコッチをぐいと飲んだ。

「失礼いたしました」

 とハルダーがいった。ジンメルはじろりと辺りを見回した。

 ふたりの男は出ていった。

 渡辺はほっとした表情になって、春日と市村の足元を見た。

 ふたりは、まだ軍靴をはいたままだった──。



 タイガー軍団指揮官アルト・クルーガー大佐は、軍服の胸をはだけたままベッドに倒れ込み、煙草たばこに火をけた。

 これでよかったのだと思う。

 クルーガー大佐がこの村に赴任したのは、ソ連再攻撃における軍団の指揮をるためだった。ワルシャワ到着の飛行機が遅れ、村に向かって車で出発したときにはすでに夜になっていた。

 村には今、日本からの客山本五十六提督が滞在していることは、クルーガーも知っていた。彼らの警護もまたクルーガーの使命のうちに入るのだった。

 村が近づいたとき、彼は三人に出会った。付近の松林から出てきたところに出くわしたのだ。

 彼らが日本人であることはすぐにわかった。

 しかも、彼らが何をしようとしていたか、クルーガーはとっさに読み取ったのだった。収容所を見に行った。それ以外に何があるというのだ。

 とっさに、クルーガー大佐は彼らを荷台に乗せ、荷物の間に隠れているよういった。

 三人の男たちは、半信半疑ながら従うより他になかった。

 検問はクルーガー大佐と知って、簡単に通過を許した。

 村に入ると、三人の男を降ろした。

「クルーガー大佐。もう一度うかがいます。どうしてわれわれを助けてくださったのですか」

 と宇垣がきいた。

「ゲシュタポに捕まりたかったのか。銃殺ですめばいいほうだ。ガス室に送り込まれるぞ」

 クルーガーはそういって彼らを残し、発進したのだった。

 クルーガーは着任の挨拶を司令部で終え、宿舎の部屋に入ったのだった。

 彼は日本の使節団がゲシュタポに捕まるところを逃がした。

 ゲシュタポは反逆者には敏感に反応する。

 ゲシュタポの追及はクルーガー大佐まで延びるだろうか。

 クルーガーはプロイセンの貴族の出だった。父親は第一次大戦の陸軍師団長だった。クルーガーにとって、誇り高きドイツ陸軍がナチの暴虐に振り回されるのは我慢がならなかった。たとえ勝利が続こうと、他の民族をおとしめたドイツの発展にくみすることはできない。

 いつしか彼の心は、反ヒトラーの同志を求めるようになっていたのだ。

 ベッドサイドの電話が鳴った。

 フロントからだった。

「わかった、すぐ降りていく」

 クルーガーはいって、ベッドから起き上がった。シャツのボタンを止めた。拳銃のホルスターを着けようとして、テーブルに戻した。

 二階のロビーからせん階段が見下ろせた。

 階段を降りたところにふたりの私服の男が立っていた。

 ゲシュタポであることがすぐにわかる。

 深呼吸をひとつして、クルーガー大佐は階段を降りていった──。