ベルリンの総統官邸で開かれた夜会パーテイは、豪勢なものだった。

 総統官邸は、もともとビスマルク時代の重厚なれん造りの建物だ。吹き抜けの天井には巨大なシャンデリアが下がり、その下に、派手な姿の男女がいた。とりわけ女性はあでやかなドレス姿で、しかもそれが党関係の閣僚の妻や娘だというので、春日と市村は仰天したものだ。

「そんなわけがないだろう」

 というのが、春日の正直な感想だった。

「どう見たってミルクホールの女給たちや、あいまい宿やどの女たちが混じっている。化粧が濃すぎるぞ」

「そんなこと、どうでもいいじゃないですか。せいぜい、うまいものを食って英気を養おうじゃないですか」

 市村一飛曹は、すっかり兵隊の位も忘れタメグチになっていた。もともとパイロットや潜水艦乗りは、上官と部下が気さくに口をきく機会が多かったのだが、ドイツに来てからの生活が階級を忘れさせるのだった。

 今、ふたりは、階段の下の柱の陰からパーティを見ていた。

 市村一飛曹は、カクテルパンチの三角のグラスを節くれだった指でちょいとつまんでいる。一方の春日大尉は、日本酒のグラスを手にしていた。

(ゆきとどいた話じゃないか、日本酒まで用意してあるとは)

 と春日はしきりにドイツ軍の肌理きめの細かいもてなしに感心したものだ。

 階段の踊り場には楽団がいて、ドイツの学生歌を演奏していた。歌っているのは陸軍士官学校の生徒たちだ。

 そのうちには、春日が聞いたことのあるものもあった。

「こいつは、アルト・ハイデルベルヒだ」

「なんですか、それは」

「それはな──」

 春日は浅草のオペレッタで見たことがあった。ハイデルベルヒ大学に留学中の皇太子と、酒場の娘ケティとの小さな恋を描いた音楽劇だ。国王の死とともに皇太子は即位のため、この学園の町を去る──。メランコリックな悲恋話は日本で大いに受けたものだ。

 作はドイツ人のライアー・マイスターだが、曲は、実はアメリカの音楽家ジグムンド・ロンバーグである。

 ロンバーグはのちに『インディアン・ラブ・コール』『恋する時を過ぎても』『ラバー・カムバック・トゥー・ミー』などで、一世をふうする。音楽劇からミュージカルへの橋渡しとなった音楽家だ。

 その甘いノスタルジックな曲が、今、ホールに流れている。

 春日が酒のせいもあってうっとりしていると、ふいに音楽がやみ、トランペットのファンファーレが鳴り渡った。

 踊り場の指揮者の前に黒いスーツを着た宣伝相のヨゼフ・ゲッベルスが立って両手を挙げていた。ゲッベルスは目がぎょろりとして、耳は大きい。あごとがっていて、まるで邪教の司祭のようでもある。ただし、その笑みは打って変わって、人をきつけるものだった。

 彼は静まれといっているのだ。

 そのわきに立っている、眼鏡めがねくちひげのでっぷりした男は大島大使だった。

 人々のけんそうが、あっという間に静まった。

「紳士淑女のみなさん、素晴らしい報告があります」

 ゲッベルスはたっぷりと気をもたせるように間を取りながら、口を切った。

「ここにおられる日本帝国の大島浩大使より、みなさんにお教えいただこう。さあ、大使」

 大島浩は先任の松岡ようすけのあとを追ってドイツ駐在の大使となった。松岡は三国同盟推進派の最右翼だったが、大島はその修正のため送り込まれたともいえる。

 大島は一歩前に出てせきばらいをひとつ。それから荒っぽいドイツ語で、ぶっきらぼうにいってのけた。

「親愛なる友邦ドイツ第三帝国のみなさん、わが日本帝国は、この度ハワイオアフ島を占領いたしました」

 どっと人々がざわめいた。おお、と歓声をあげるものもいた。

「真珠湾には、連合艦隊司令部が進出しました。アメリカとの戦いは新たな展開を迎えることになりました」

 拍手が沸き起こった。

「われわれはまだまだ、戦いつづけることになるでしょう。ドイツもまた英国との戦いに勝利を得ることを切望いたします」

 拍手はどっと感嘆の叫びに打ち消された。

 大島は右手を挙げて、派手にハイル・ヒトラーをやり、ふたたび歓声の中、壇から降りた。人々がどっと群がって武勇伝を聞こうとした。

 そのとき、ゲッベルスがふたたび壇上に立った。

「そして──」

 といって、春日と市村を見た。

「ご紹介しよう。ここにおられる若きふたりの日本人は、ともにワシントンを攻撃したパイロットだ。わがドイツはこくひん扱いで、お招きした。春日大尉に市村一飛曹。勇敢な若者たちに称賛の拍手をお願いしたい」

 春日と市村は、息が止まりそうになって顔を見合わせた。体がこわばるようになった。彼らも、初めて聞いた知らせだ。真珠湾が落ちた。帝国海軍の夢が達成されたのだ。

 その上、なんとゲッベルスに手を引かれて壇上に立たされるとは!

 大島大使も並んで立った。

 春日と市村はたどたどしいドイツ語で、お招きいただいてありがとう、と頭をぺこぺこ下げるだけだった。

 すかさず、カメラのフラッシュやマグネシウムが次々とかれ、ふたりの目がくらんだ──。



「おい、本当か」

 春日が市村の顔を見た。市村も目を丸くして見返した。

「ええ。確かにハワイを占領した、と」

「す、すごいじゃないか。しかし大使、いったいどうやって……日本陸海軍はどうやって、ハワイを攻略できたのでしょう」

 春日は意気込んで、大島大使に説明を求めた。

「やはり、日本海軍は大変なものだな。とりわけ山本五十六長官の作戦が卓越していたのだろう」

 と大島大使はいった。

「まず、六航戦は、サンフランシスコを攻撃すると見せかけて、ロスアンゼルスを爆撃したのだ。サンフランシスコの近くの海にバブル艦隊をばらまいて、敵艦隊を港から大きく引き離し、そのすきを突いたのだ。だが、ロス攻撃を終えた六航戦に敵は追いついてきた。さあ、敵は逃げたというので、ハワイはなけなしの海軍を迎撃のために送り出す。そのハワイ艦隊に、タラワにいた南雲機動部隊が襲いかかったのだが、ここまでがすでに計略だったのだ。その隙に井上成美中将の第七航空戦隊が輸送船を率いてオアフ島に上陸作戦を敢行。見事、落としたのだ。いやあ、本当に素晴らしい。まあ、そういうことだ」

 大島大使はそういって、春日と市村の肩に手を回した。

 ゲッベルスが大島大使の肩を抱いて、ふたたび聴衆の前に立った。

「日本がアメリカに勝利を収めた。わがドイツにとってこれ以上の喜びはありません。東方の友人として、ドイツと日本は末永く結ばれることでしょう。日独軍事同盟が結ばれる日は近いのです。現在、わが外相のリッベントロップは日本に滞在して、軍事同盟の詳細を詰めようとしています。成立したあかつきには、アジアは日本が、欧州はドイツが支配することになります。なんですと? 世界の大国アメリカはどうするのだ、という質問ですな? さよう、アメリカはミズーリ川を境として、東側をドイツ、西側を日本が分割支配することになるでしょう」

 またも、おおっと群衆がどよめいた。

「まもなく戦争は終わります。英国は降伏し、アメリカは内側から壊れるでしょう。そして世界の分割がはじまります。この地球にはドイツと日本以外はなくなるのです。その日までもうすぐです。思えば第一次世界大戦を裏切り者によって敗北して以来、ドイツを今日の栄光の高みに引き上げたのはだれでしょう」

 人々が「アドルフ・ヒトラー」と叫んだ。

「聞こえません、誰ですって」

 ゲッベルスはあくまでもわざとらしい。

「さよう、アドルフ・ヒトラー総統その人であります。ここで総統をたたえようではありませんか」

 ハイル・ヒトラーの声が一斉にあがった。人々は右手を高く挙げ、総統に忠誠を尽くしてみせたのだ。

「こいつは、大変なことになったな」

 と春日が小声で市村にいった。

「どうしてですか」

「俺たちはやはりていのいい人質だよ。今頃、日本ではドイツ大使が日独同盟の締結を迫っている」

「結べばよいではありませんか」

「馬鹿か、お前は」

「……どうして」

 と市村一飛曹は口を突き出して、不満そうに春日を見やった。

「そんなことをしたら、アメリカとの講和がになってしまう。天皇陛下は、あくまでもアメリカとは良好な未来を築きたいのだ。ゲッベルスはああいっているが、ドイツは戦いを止めることはできないさめのような存在だ。アメリカの骨を最後までしゃぶり尽くすつもりで向かっていくだろう。そうなったら、アメリカも黙っていられない。必ず、再び立ち上がって反撃をかけてくるだろう。アメリカはとんでもない大国なのだ。そうなったら立ち向かうものは必ず負ける。それは日本にしても変わらない。だから日本は講和を急いでいるのだ。そのためには日独同盟は百害あって一利もない」

「しかし──」

「しかしもくそもない。同盟は結んではならないのだ」

「すると、自分たちは……」

「当分、帰れないだろうな。今川義元の人質になった徳川竹千代のつもりでいようじゃないか。のんびり過ごさせてもらおう」



 その頃、霞が関の総理官邸をドイツ本国からの大物特使が訪問していた──。

 ドイツ外相リッベントロップである。

 そもそもナチ自体ががん細胞のように増殖した組織なので、ナチスの要人は下からのし上がったものが多い。前大戦の空の英雄として国民にカリスマ的人気のあったヘルマン・ゲーリングをのぞけば、いずれもそういう人物ばかりだった。

 ヒトラーにしてからが成り上がりの『オーストリア出身の伍長殿』で、ずいぶんのちのちまで陰口をたたかれたものだった。

 ところで──。

 外相のヨアヒム・フォン・リッベントロップの実家は、第一次大戦以後ワインの商いをしていた。ナチがこうりゆうするに従って家業が華やかになったのは、いつの時代も同じことである。

 しかしライバルのゲーリングにいわせれば、リッベントロップは、いつまでたっても、一介の酒屋のセールスマンにすぎないのだった。

 リッベントロップは、しかし、さすが英国とフランスに留学しただけあって、物腰の柔らかい男だった。一メートル九十センチという長身で、彫りの深いアルカイックな顔立ちをしている。フォンの敬称でわかるように、生まれながらの貴族である。実際は心がやわでおくびようなのだが、にゆうさでそれを隠しているのだった。

 だが、その優柔不断さをヒトラーは存外に愛していた。

 われわれの学校や社会でも、頭の働きのよい者よりも、おバカの方が好かれることが多い。友達としてバカをしでかす者の方が、安心していられるからだ。優越感にひたらせてくれるといってもいいかもしれない。

「すでにわが海軍は、氷山空母『オーディン』を始めとして六隻の空母を持つ米国遠征艦隊をそろえました。あとは日本艦隊の米国西海岸攻略を待つだけです。この上は、いったい何をためらっておいでか。日独軍事同盟を締結して、断固、新秩序のためまいしんするしかないと存じます」

 熱弁するリッベントロップ外相の後ろに駐日大使オットーが額の汗をハンカチでぬぐいながら従っている。

「いかがですか、日取りを決めて同盟締結を発表しては。そうすれば、アメリカは折れてくるかもしれません」

「そう簡単にはいきませんよ」

 と総理大臣のこのふみ麿まろがいった。彼はりゆうちようなドイツ語を話す。

「わが国にはわが国の戦争方針があります。ドイツとは立場が違う。早い話が、貴国はアメリカをつぶすまで戦いをやめないとおっしゃる。しかし、わが国は実をいえば戦いなど止めたいのです。ですから、いつ何時でも講和の機会を手さぐりしているのです。日独が軍事同盟を結ぶということになれば、これはアメリカとの講和の余地はなくなります。われわれは終わりのない戦いに飲み込まれてしまうのです。それはできることではありません。貴国は欧州において好きな道を歩むがよろしい。その支援はやぶさかではありません。だが、日本は太平洋を挟んで波風が起こるのを望んではおりません」

「まことに残念ですな。すでに大島大使は帰国の途についておられます。大使はあらためて新情報をお持ちするでしょう」

「ところで、ベルリンにお連れいただいたふたりのパイロットは元気ですか」

「もちろんです。先日は総統官邸でパーティを開きました。おふたりは楽しんだことと存じます」

「早急にお返しいただきたいのですがな。彼らは貴重な戦闘員です。戦場で働いてもらわねばなりません」

 とない光政海相がいった。

「もちろん、機会があればお返ししますとも。しかし、せっかく彼らはベルリンにおるのです。たとえば同盟締結といった節目に合わせて、大いに盛り上げるのがよろしいのではないかと──」

「もちろん、それなりの儀式は必要でしょう。ですから、われわれもそれなりの準備をさせていただきました」

 米内はいった。

「といわれますと──」

 とリッベントロップはきき返した。

 そのとき──。

 隣室のドアが開いて、小柄な坊主頭の男が入ってきた。

 真っ白な二種軍装だ。

「これは、山本長官」

 リッベントロップが息を飲んだ。

 連合艦隊司令長官山本五十六大将である。南の戦線で陣頭指揮をってきた山本の顔は日焼けしていた。まるで仕事をしている農夫のようだ。

「これは──」

 リッベントロップはあらためて、山本に右手をさしのべた。

 さすがにハイル・ヒトラーが出ることはなかった。

「ベルリンには、山本くんに行ってもらうことにした」

 と米内はいった。

「しかし──」

 とリッベントロップは思わず息を飲んだ。

「連合艦隊の最高指揮官が戦線を留守にされては、困るのではありませんか」

「ご心配なく。わが海軍は指揮官の人材に事欠きません」

 と米内が笑っていった。

「わが国は、軍事同盟には反対です。国民の同意を得ることも難しい」

 と山本がリッベントロップにいった。

「とはいえ、貴国はなにかれとなくわが国の支援をしてくださっている。とりわけフォークランド諸島沖とニューヨーク沖で、わが潜水艦を支援いただいたご厚意を忘れることはできません」

 と山本は礼をいった。それから付け加えた。

「ここはひとつ、軍の指揮官であるわたしが貴国を表敬訪問するのが、礼儀というものでありましょう。その折に、お世話をかけているわが海軍パイロット二名を連れ帰ることにいたしましょう」

「山本提督がですか」

 とリッベントロップは不意を突かれた表情をした。

「それは願ってもないことです。しかし、同盟を最初から拒否されては──」

「その件につきましては、わたしが総統またはしかるべきお方にお話しするようにいたす所存です。外相閣下に恥をかかせるようなことはいたしますまい」

「わかりました」

 とリッベントロップはうなずいた。

「で、いつわが国にはおいでいただけますか」

「ご了解いただければ、来月早々にも出発いたしましょう」

 山本はそういって、同意を求めるように米内を見た。

 米内は近衛と顔を見合わせた。必ずしも山本の申し出に同意してはいない様子がのぞけた。

 それでも「結構でしょう」と近衛総理はうなずいて、口髭をしごいた。


 ただちに、山本は渡欧の準備に入った。留守中の連合艦隊の司令長官代理には、南遣艦隊の小沢治三郎中将が任命された。

 参謀長の宇垣まとめ少将を司令長官にという意見もあったが、宇垣は拒否した。彼は山本に同行してドイツに行くことを願い出たのだった。

 山本の使節団は西回りで、ドイツに向かうことになった。連合艦隊の制海権も制空権もインド洋までおよんでいたからである。

 かくて、一九四三年十月一日──。山本たちの乗った零式輸送機(ダグラスDC3のライセンス生産型)は、横須賀の海軍飛行場を離陸した。



「山本はどこまで行ったであろう」

 天皇は、御文庫のガラス窓から、きゆうじようの庭園を見ながら近衛にいった。

 山本が横須賀をってから、すでに二日が経過していた。

 その間に、日本は真珠湾に機動部隊の本拠を移し、米国本土西海岸を、俄然うかがう陣容を整えていた。

 オアフ島の山奥にひそんでいたゲリラも掃討されつつあった。

 帝国海軍は、トラック環礁、ガダルカナル、そして真珠湾と三点の要衝を抑えて、太平洋を支配しつつあったのである。

「山本の乗った飛行機は、二日前にシンガポールを出ております。今頃はインド洋かと。マダガスカルの沖合で、伊号潜水艦に移乗することになります」

「大変な旅だな。山本は、行かせるべきではなかったのではないかな」

 天皇はいつになく、暗い口調でいった。

「今の海軍は、山本をなにより必要としているのだ。そんなときに手を抜くとは」

「手を抜くなどとおっしゃってはなりません」

 と近衛は笑顔で天皇をいさめた。

「現在、連合艦隊司令長官代理は小沢治三郎中将が拝命しております。機動部隊の指揮官は、南雲の他に井上成美、大西滝治郎、山口もん、三川軍一、原忠一と、そうそうたる顔ぶれが育っております。いずれも航空艦隊には見識・実力ともに備わった人材です。何の心配もございません」

「それはそうなのだが、武将のかなめには人望があり、しかもツキのある仰ぎ見るような逸材が必要だ。山本はそれを備えていた」

「おそれながら、武将の要は陛下ご自身にあらせられます」

 と近衛は一歩、迫った。

ばんせいいつけいの陛下こそが、軍はおろか国民こぞって仰ぎたてまつるお方です。陛下がおいでになる限り、なんら曇る部分はわが国には存在しないのです」

「余は象徴のようなものだ。明日を目指して戦うのは、国民なのだよ」

「象徴という言葉の原義は、印鑑の『印影』のことをいいます。陛下は印影などではありません。立派に血の通った人間であらせられる。国民の先頭に立ってわれわれをご指導いただけるのが、しんみんとしてもなによりの励みなのです」

「近衛、おまえは口がうまいな」

 と天皇はぶっきらぼうにいって近衛を見た。眼鏡のレンズがきらりと光った。

 天皇を怒らせたのかとさすがの近衛もひやりとしたが、ついで天皇の唇から白い歯が覗いた。

「お前には負けるよ。確かに弱音を漏らした余が悪かった」

 と天皇はいった。

「一番苦慮しておるのは山本なのだ。彼は命をしてこの使命に乗り出した。彼には感謝しなければなるまい」

「その通りでございます。陛下の平和を愛する心にかかわらず、アメリカ大統領はいまだに、講和に応じようとはしません。おまけにドイツは前にも増して軍事同盟の締結をわが国に迫っております。この非常時にあたって、山本は単身ドイツに渡り、計画を実行しようとしているのです」

「うまくいくと思うか」

「さて」

 と近衛は床に目を落とした。

「ドイツは海軍を大増強し、アメリカを攻撃すると意気込んでおります。しかし、内実は火の車のはずです。ドイツ国内にはヒトラーを除けという勢力が確実に育っております。もはやドイツ国民も戦争は求めていないはずなのです。ソ連戦線に兵力を張りつけたままでは、アメリカに振り向ける戦力はありません。ドイツは絵に描いたもちを見せびらかして、軍事同盟をわが国に迫っておるのです。軍事同盟はやっかいなものをわが国にもたらすことでしょう。そうなれば、米大統領は今にも増した戦争の理由付けを手にすることになります。実をいうと山本は、ドイツのヒトラー反対派に接近しようとしています。ヒトラーが除かれたあとは、ドイツは急速に講和に向かうことでしょう。山本はそれを期待しているのです」

「ドイツのクーデターに加担しようというのか。山本も途方もないことを考えるものだ」

 天皇は思わずうなった。

「しかも危険きわまる。もし敵が山本の意図に気づいたら、命はないだろう」

「山本は、必ずやりげます」

「そう願っておるよ」

 天皇は宮城の庭から空に舞い上がったながに目をやった──。



 ニューメキシコ州の州都アルバカーキの北百五十キロにロス・アラモスがある。

 アメリカ大陸の背骨でもあるロッキー山脈の真ん中で、周囲五十キロを砂漠で囲まれ、その外側は岩山の連なりだった。

 砂漠の中央にやぐらが建てられ、そのてっぺんに黒々としたタンクのようなものが設置されていた。周囲に低層ながらコンクリートのビルや木造の小屋があった。電柱が並んで電線が張り巡らされている。トラックや乗用車、荷車のようなものまで置かれている。

 ただし、人影はない。

 そこから三キロほど離れて、装甲車や乗用車の群れが陣を敷いていた。

 望遠レンズを備えたムービーカメラを屋根の上に乗せたワゴン車が並び、カメラマンたちが操作していた。

 周囲の車の中では多くの人々が小手をかざしていた。いずれもはんそで姿で黒のサングラスをかけている。

 車両の前には堤が築かれ、ネットが張られていた。

 軍人たちが双眼鏡を手に、櫓の方角を望んでいた。

 テーブルの上には計器類がたくさん置かれている。無線電話、ガイガーカウンター、録音器。辺りではパラボラアンテナや風力計などが回転していた。

 秒読みの声が流れてくる。

 いきなり──。

 櫓の辺りでカッと白熱が起こり、爆風が噴き寄せてきた。

 すさまじい熱風だった。ワゴン車の上のカメラが吹き飛び、車もひっくり返った。人々が投げ出される。

 陣地は砂嵐に巻き込まれた。

 やがて風が静まり、その中から隊長らしき男が立ち上がった。

「成功だ、うまくいったぞ」

 隊長は顔を砂だらけにして拳を振り上げた。

 風が今度は逆に吹き出した。爆心に激しい勢いで吸い込まれていく。

 砂漠の中にむくむくときのこぐもが盛り上がっていた。

 どっと砂が吸い込まれ中空に舞い上がった。

 原子爆弾第一号成功の瞬間だった。


「おーおー、最高だ」

 ルーズベルト大統領は車椅子のひじ掛けを握りしめて、興奮をあらわにした。まるで足の不自由さを忘れたように、今にも立ち上がって踊りだしそうだった。

「なあ、コーディ」

 大統領は国務長官コーデル・ハルに、ご機嫌で声をかけた。

「こうなっては、講和条件を考えるなど弱者のすることだ。われわれには原子爆弾がある」

「とはいっても実用化までは時間がかかります」

 ハルは渋い顔をした。

「それに、いったいどうやって、日本本土まで原子爆弾を運ぶというのです。ここは日本の休戦条件を飲んで、体力温存を図るべきだと思うのですが」

「馬鹿をいっちゃいかん」

 と大統領の機嫌のよさはまだ変わらない。

「なにも日本でなくてもいいじゃないか」

「といわれると」

「ハワイだよ、オアフ島だ。B29に搭載して飛ばせばノンストップでも侵攻可能だ」

「しかし、そんなことをしたら──ホノルルの町は」

 ハル国務長官は青ざめた。

「ホノルル市長は日本軍に町を明け渡したのだ。そのくらいの代償はやむを得まい」

 大統領のシルエットが壁に映じた。まるで悪魔か魔法使いのようだと、ハルは思った。

 オアフ島に原子爆弾を!

 狂気だ──と、ハルは胃のが冷たくなった。

 大統領は狂っている。