階段の途中に座り込み頭上を見上げるが、頂上は全く見えない。

 円柱状の塔の中はトンネルのように真っ暗で、螺旋階段だけが続いていく。


 リュックから取り出した板チョコを小さく割って口に運ぶと、甘い香りが纏わりつくように口の中に広がる。ひと欠片のチョコレートが指の間をすり抜け、足元の階段で一度跳ねた後、闇の中を落ちていった。

 ざらざらとした塔の内壁に寄りかかり、ひび割れた壁に手をあてがうと、ぱらぱらと埃が舞い散る。壁の強度を確かめた後、特殊繊維で出来た帯状のハーネスを体に巻きつける。そして寝ている間に落下しないように、ハーネスの先端の吸盤を壁に貼り付けた。それから充電ヒューズのコードを背中から引き出し、壁に沿って灯る誘導灯のコネクタに繋ぐ。

 塔の階段には手すりもない。半径数百メートルの巨大な煙突のようなものだ。


 ハーネスの吸盤を壁に貼り付けた後、目を閉じて体幹機能をオフにして自動充電を開始する。私がこの巨大な塔を昇り始めてから、既に六四億七八二〇万一五〇六秒が経過していた。

 数万本もの巨大な塔が地表を覆ってから、数千年もの時が流れた。この塔の頂上に何があるのか、私は知らない。私の動力の寿命が尽きるまでにそこに辿り着けるのかすら分からない。足元を照らす僅かな誘導灯に導かれるように、私は階段を一段ずつ上るだけである。


 最後に人間と会ったのは、もう数百年も前のことだ。


   *


 鈍い赤色のランプが、視覚域の片隅で点滅した。

 周囲に生体反応があると、私の体幹機能は自動的に起動するよう設計されている。


 目を開けると、階段の中程に二十センチほどの小さな人型の生物が立っていた。髪の毛はなく、やたらと眼球だけがぎょろりと大きい生き物だった。身体全体が硬質の皮膚のようなもので覆われている。

 人間の過去の文化情報に、『妖精』という想像の産物が存在することは知っていた。だが目の前の生物は、体の大きさこそ妖精サイズではあるものの、羽の生えた妖精のように可愛げがあるとはお世辞にも言えなかった。

 その生物は、さっき私が落としたチョコレートの欠片を大事そうに胸に抱えていた。


 ハーネスのベルトを取り外しながら、私はその生物に話しかけてみる。

「会話、できる?」

 しばらくきょろきょろと辺りを見渡した後、その小人は甲高い声で話し始める。

「言語形態は遺伝子基準から外れていない」

「なら話せるのね。私の生体情報はスキャンできる?」

 口をつぐんで頷く小人は、見た目以上に高度な生命体のようだった。


 真っ黒いビー玉のような瞳で私の顔を覗きこみ、その生物は唇の無い奥まった口を開く。

「そっちこそ何者だ? 人間でもアンドロイドでもないな」

「……合成生物って言えば分かるかしら? クローンとアンドロイドの中間」

「人間のできそこないか」

「そんなところね」

 口の端をかすかに上げ、私は脳幹から引き出した紐状の外部ケーブルをその小人に差し出す。

「あなた、コネクタは持ってる?」

「持ってるはずがない。身体の大きさを考えろ」

 ケーブルを繋げれば会話せずとも情報交換が出来るのだが、どうやらそれは無理のようだ。私はケーブルを元に戻し、耳の裏に内蔵された音声装置を調節する。

「あなたの種族はこの辺りに住んでいるの?」

「……ああ。この塔の内壁の中に住んでいる」

 小人はしばらく躊躇していたが、仕方ないといった様子で話し始める。確かにこの身体の大きさなら塔の内壁に居住地を造ることも可能だろう。

「あなた達は、人間?」

「ああ。多胚交雑が進んで形態はすっかり変化したがな。これでも人型の遺伝子は持っている」

「随分と進化したのね」


   *


 『機構』の協定により、異人種との接触時には最低限の情報交換を行う必要があった。小人から遺伝子情報を聞き出した後、私は荷物の準備を整え立ち上がる。私の脛くらいしかない小人は、誘導灯の照らす私の姿を仰け反るように見上げた。

「もう行くのか?」

「ええ。あなた、ここが塔のどの辺りか知ってる?」

「さあな、俺には分からない。……あんた『機構』の調査員か?」

「そうね。もうずっとこの塔を昇っている」

 リュックから取り出した板チョコの残りを、そっと小人に差し出す。彼にとっては大きなチョコレートを両手で抱え、小人は不思議そうに首を傾げて言った。

「この辺りの集落の話じゃ、とっくに『機構』も旧体系の人間も消滅したって噂だ」


 私は何も言わず、再び階段を昇り始めた。

 カツン、カツンと足音だけが塔の中に響き渡る。


 ふと、頭上を見上げる。

 螺旋階段がうずまきのように、真っ暗な塔の頂上に向かって続いていた。