1 ファッショ
テレビをザッピングしている。昼から始まった大佐らしき人物のけたたましい演説が、夜になった今もまだ続いている。
二度の世界大戦で勝利したにもかかわらず、この国にもたらされたのは爆発的な数の移民の流入と、国土の三割がスラム化した現実だけだった。アジア諸国が加盟していた汎亜細亜広域連合の分裂は既に致命的な所まで来ていたし、大陸各地で起き続ける内紛はここ本土にも経済的打撃を与えていた。
この部屋の窓から見える高層ビル群のすぐ傍らにも、数多くの闇市やスラムがひしめいている。
うるさいテレビを消して、パソコンを開く。
ネットの掲示板は北方から侵攻してきたという『敵』の話題でもちきりだった。北海道では外出禁止令が出されたとか戒厳令が敷かれているだとか、まことしやかなレスが賑わう。
苛立たしげに何度か舌を鳴らした後、俺はキーボードに向かって小説を書き続ける。
あんたも流暢な描写表現や、奇想天外なプロットに頭を捻ってるクチかい?
でも少なくとも俺に言えるのは、作家なんてやるもんじゃないってことくらいだろう。積っていくのは卑屈さばかりで、自尊心などとっくの前からキーボードの奥に入り込んで埃まみれになっている。
ポケットからしわくちゃになった煙草を取り出して、火をつける。
あんた、ヌードライターって知ってるか? ライターにヌード絵が描いてあるしょうもないオモチャだ。俺がこんなオモチャで煙草に火をつけてる間も、世界はチクタクと進み続けてる。
そう、今日と同じ世界が明日も続いているなんて方が、実は奇跡ってわけさ。
紫煙にかすむ窓の外に、極彩色をしたネオンが瞬く。
俺は煙草を咥えたままクローゼットを開け、ロングコートを羽織る。
キーケース、財布、携帯電話、ハンカチ、煙草、ライター、携帯灰皿、目薬――。俺はいつもこんな類いのモノでズボンとコートのポケットを膨らませてるのさ。
朝起きて、でかい毒虫に変身してたのは確かグレゴール・ザムザだったっけ? そんなノイローゼみたいな事象が起こるのは茶色く変色した文庫本の中くらいだ。
世界はとっくにサイバーパンクに追いついちまってるのに、俺は相変わらずポケットに押し込んだ荷物の多さにうんざりしてるのさ。
2 シリアルキラーのニュースの隣でヌードグラビアが踊る世界
排水溝からわき上がる蒸気。
闇市に燻る麻薬の煙。
移民達の訛り言葉。
奇形ののら犬。
この極東の地で俺がやってきたことの中で、人に言えることといえば、乾いた口づけを誰かと交わしたことぐらいだろう。そう、ファックな世界の片隅に漂いながら。
ヘッドライトに照らされたガードレールの白い流線を目で追いながら、一九五七年式ナッシュ・メトロポリタンのアクセルを踏み込んだ。回転計の針が左右に振れると同時に、座席が振動する。
古びたカーステレオのスイッチを弄ってみたが、流れてくる懐メロの歌謡曲に顔をしかめて俺は電源を落とした。
路面に軋むタイヤの音を聞きながらハンドルを切り、喧騒に満ちた闇市の片隅に車を停める。
「あんたの小説、また発禁になったって?」
街角に立つ娼婦の一人が、メトロポリタンのボンネットに座って話しかけてくる。俺は運転席に座ったまま、不貞腐れたように煙草に火をつける。
「公安の検閲から、尻尾巻いて逃げてきたんでしょ?」
上目遣いに顔を覗き込んできた女は、真っ赤な口紅で笑う。
「放っとけ」
舌打ちする俺を見て、周りの娼婦や踊り子達が賑やかに話しかけてくる。派手な格好をした女達の品のない誘い文句に愛想を返した後、俺は再び車のエンジンをかける。
「遊んでかないの? 慰めてあげるわよ」
「俺はノベル・ノワールと遊ぶさ」
ダッシュボードから一冊のヨレた本を掴み、金髪の巻き毛を指で弄っていた女の方に放り投げる。訝しげに眉をひそめ、女は本を捲る。
「何これ?」
「E・J・ツェマリングの絶筆小説」
「誰それ? 知らなァい」
毛皮にタイトなミニスカートを身に付けたその女は、華奢な手には似つかわしくない、ごついジッポに火をつけて本の表紙を照らす。
「一九六〇年代の作家だ。自分のケツに胡瓜つっこんで悶死した」
「何それェ、ウケる! たかが胡瓜くらいで?」
大きめのつけ睫毛をパチパチさせながら、女はきゃっきゃっと足をばたつかせ笑った。
「小説なんて、カタルシスばかりで廻るもんじゃないのさ」
俺はメトロポリタンのアクセルを何度か空ぶかしした後、再び車を通りに戻す。
バックミラー越しに、笑い続ける女たちの姿が見える。
きっと小説は解体されていく。シナリオと文学に。どっちにしても、俺の思念は分岐を張ったプラチナブルーの海に溺れる寸前だ。
治安維持警察の機動車両が、サイレンを鳴らしながら傍らを通り過ぎていく。
そう、俺がスピンドル・シェイプの車のハンドルを握っている今だって、シリアルキラーのニュースの隣でヌードグラビアが踊る世界は、廻り続けている。
3 ラブドール
俺は何の変哲もない作家だった。
突然俺のメトロポリタンの前に飛び出てきた、黒塗りの車に道を塞がれるまでは。
後はよくある作り話と同じさ。
車から降りてきた強面の奴にぶん殴られて頭が朦朧としてる間に、俺は奴の車の後部座席に押し込まれる。うな垂れた俺の両手に手錠が掛けられ、黒塗りの高級車はタイヤを鳴らして急発進する。
その瞬間、俺は「何の変哲も無い作家」から、「拉致された何の変哲も無い作家」へと変わったんだ。街を徘徊するか弱い小説家を拉致するのには、三十秒も掛からないって訳さ。
車には俺を殴りつけた男の他に、女が二人乗っていた。
ハンドルを握る男の隣には、ゴシックアンドロリータの衣装を身に纏った少女が、後部座席の俺の隣には、タイトな黒いドレスを身に付けた女が座っていた。夜だというのに色の濃いサングラスを掛けたドレスの女は、艶やかな長い黒髪をけだるそうに掻き上げる。
ズキズキと痛む後頭部を擦りながら振り返ると、夜のハイウェイには、俺のメトロポリタンがヘッドライトを灯したまま寂しげに残されていた。
「キーも付けっ放しだ。あのままじゃ俺の愛車が盗まれちまう」
舌を鳴らしながら、手首に嵌められた手錠をがちゃがちゃと鳴らしてみる。だが車内に響く無機質な金属音に、誰も何の反応も示さない。
ハイウェイを走り出した車を、対向車のヘッドライトが琥珀色に照らす。運転席の強面の男とバックミラー越しに目が合うが、男は冷ややかな表情を浮かべたまま、白いセンターラインの映るフロントガラスに再び視線を戻した。
「車よりも、自分の心配したらぁ?」
ゴスロリの格好をした少女が、助手席のヘッドレストを抱えて俺の方を振り返る。舌足らずな話し方と、けばけばしい真っ赤な口紅がどこか癪に障る。
「仮装パーティにしては、随分と乱暴なお誘いだな」
「仮装パーティ?」
サングラスを掛けたままオウム返しに問いかける隣の女に、俺は口の端を上げて答える。
「そっちの男はフランケンシュタイン、あんたは低級娼婦、そしてそこの小娘はフランス人形のラブドールの変装してるんだろ?」
「ら、ら、らぶどーる!?」
助手席に座る少女は素っ頓狂な声を上げると、突然ダッシュボードから小型拳銃を取り出す。
「あんた自分の立場が分かってないんじゃないのォ! 生意気言うと撃っちゃうぞ」
鉄鋼色をした銃口が、俺に向けられる。
「まだ、だめよ」
タイトなスカートの裾から覗くガーターベルトの留め具を直した女が、少女を嗜める。少女は赤いチークを塗った頬を大袈裟に膨らませ、「ちぇっ、ちぇっ」と何度も舌打ちする。
女は平然と、長い黒髪を掻きあげる。その度に漂う香水が、鼻をつく。
黒塗りの車はスピードを上げてハイウェイを飛ばす。
4 レトロモダンとゲンロン弾圧
あんたも爪の血色を毎日気にしたり、出がけに曇り色の空を見上げて傘を持っていくか悩む性質かい?
そんな問いかけができるほど、俺自身の今の状況に余裕が無いのも分かっていた。ハイウェイを行き交う車のテイルランプが流線を描く中、黒塗りの車は俺の思念など関係なく走り続けていく。
「ちぇっ、いまどき小説家なんて古臭いのにぃ」
フリルの付いたリボンを左右に揺らし、少女は銃で俺の眉間をコツコツと小突く。
「ゴスロリこそ、もう流行ってないだろ」
硬質な銃口を見つめたまま、俺は吐き捨てる。
「レトロモダンだよォ。レトロロマぁン」
舌足らずな口調でそう言うと、少女はピアスのついた赤い舌を出してニイっと笑う。
その時、黒髪の女がさも面倒くさそうに携帯電話を手にする。さっきからひっきりなしにかかってくる電話にも、女は所在なく相槌をうつだけだった。
携帯電話を座席の上に投げ捨てて欠伸をする女に、訊いてみる。
「最近の治安維持警察は、コスプレして一般人を拉致するのか?」
「……どうしてそう思うの?」
「こんな特殊装甲の車に乗ってるのは、特命の治維警か移民マフィアの幹部くらいだ」
「だとしたら?」
「窓を開けて、ゲンロンダンアツー! とでも叫んでやるさ」
俺の冗談に女はサングラスの奥で薄く笑い、細身の煙草に火をつける。
この連中が俺を狙って拉致したのは明らかだった。
だが理由が分からない。
性懲りも無く検閲に引っかかる小説ばかりを書いているのだから、公安に目を付けられているのは分かっていた。だが治安維持警察の防諜組織に引っ張られるほど、俺は大それたことを仕出かしている訳じゃない。
唇に塗ったグロスが煙草のフィルターに付くのを気にしながら、女はゆっくりと煙草を吐き出す。時折反射するヘッドライトの光が仄暗い車内を照らす中、濃厚な香水の匂いに混じった紫煙がうっすらと車内に漂う。
女は窓を開けた。車内に舞い込んだ風が長い髪を揺らし、煙が瞬間的に窓の外に吸いだされていく。俺は横目でそんな様子を見て、口を開く。
「どっちにしろ、俺にとって良い話にはならないんだろ?」
「……」
女は何も答えず、少しだけ吸った煙草を指で弾いて外に捨てる。残り火が赤い弧を描いて、窓の隅に消えていった。
助手席のシートを倒したゴスロリが、背もたせに寄りかかって俺の方に向き直る。そして手にした鉛色の銃に似つかわしくない、あどけない笑みを浮かべて言う。
「あんた、お喋りなのねェ。物書きのクセに」
「小説家は話好きなもんだ。昔からそうだ」
「ふうん。あと、私はこう見えても十八歳なの。小娘じゃないのよォ」
俺に銃を突きつけたまま、ゴスロリは舞妓はんのぽっくりみたいな底の厚いブーツをバタバタと脱ぎ捨てる。
「なんてえ格好だ」
俺は両手を手錠で繋がれたまま、コートのポケットから馴染みの銘柄の煙草を取り出して咥える。
「あーこいつぅ。何しれェっと煙草吸おうとしてんの」
「知るか」
ゴスロリが銃口で眉間をさらに小突くが、俺は構わずヌードライターで火をつけた。
5 ヘブンズドア
車はハイウェイを逸れると、ひと気の無い道に入っていく。
車内に立ち込める紫煙。運転席の男はヘッドライトに導かれるようにハンドルを切り続ける。人相の悪いこの男とバックミラー越しに目が合うことは、もう無いのだろう。
煙草の煙を吐き出しながら、俺はゆっくりと口を開く。
「俺がもし小説の主人公だったら、その作者は相当ファックオフな奴ってことだ」
「……そうね。きっと、そう!」
薄暗い車内に、ゴスロリの笑い声だけが響く。
「――『あの人が私を愛してから、自分が自分にとってどれほど価値のあるものになったことだろう』」
ゴスロリはドイツ文学の台詞を引用すると、どこか芝居じみた仕草で両手を大きく広げる。緋色のカラーコンタクトに、道路灯の灯りが反射する。
身を乗り出したゴスロリが、銃身で一度俺の首筋を撫でた後、再び眉間に銃口を押しあててくる。
「撃っちゃってもいい?」
銀色のピアスをした長い舌を出して、ゴスロリは無邪気に微笑みかけてくる。
引き金にかけられた指の根本には、薔薇のついた指輪が黒く光る。
無機質な螺旋状の発射口。黒褐色のエジェクションポートから漂う、薬莢の匂い。
「裏切りが無い世界の方が、今やファンタジーなのさ」
俺がそう言うと、さも可笑しそうにゴスロリは目を細めて笑う。吐き出した紫煙だけが、俺を嘲笑うようにゆらゆらと車内に漂う。
黒髪の女はゴスロリを一瞥しただけで、もう何も言わなかった。長い髪をかき上げる仕草は、きっと癖なのだろう。その度に強い香水の匂いをまき散らすのも。
そう。
世界なんてスイッチを切るように唐突に終わるんだろう。
そして誰もそれに気付きやしない。段取りよく一から十まで決まっている世界なんて方が、よほど気味の悪い現実だとは思わないか?
いつしか降り出した雨が、フロントガラスを濡らす。
乾いた淀みに漂う世界。
生々しい香水の匂い。
眉間に感じる金属質の冷たい塊。
今でも俺は降りしきる冷たい雨の中で、思念という残像の狭間を彷徨い続けている。
そうさ。
こいつらが俺に猿ぐつわをしなかったのも、後ろ手に手錠を掛けなかったのも、自由に煙草を吸わせたのも、小説的に言えば伏線だ。
俺が生き延びる、ってな。
けれど非現実な世界は、キーボードの上だけで充分だったってことだろ?
「俺は小説の話をしてたんだ」
揺らぐ煙の中、口をつぐむ。
それ以上、話をしたくなかった。
嫌な予感がした。
「ヘブンズドア、ノックしてらっしゃい」
緋色の目を見開いたゴスロリに、もう笑顔は無かった。
最後に聞こえてきたのは、ゴスロリの細い指にぎりぎりと絞り込まれる引き金の音。
俺は何の変哲もない作家だな。