①
スタジアム再建にかかった期間は、約二週間。じっと息を潜め、牙を研ぐような二週間だった。
明日、スタジアムの再度のこけら落としを兼ねて、聖魔杯の決勝戦が行われる。この都市にいるほとんどの者たちは、スタジアムに集うだろう。否。聖魔王、名護屋河鈴蘭が役員を含めた全ての者を集めるという。
センタービルは、アルハザンの秘匿する最低限の見張りを残して空になる。
「……」
物語中ではまま見るが。これが作戦決行前夜かと、寝付けぬヒデオは、ひとり食堂で薄いコーヒーをすすっていた。
地下からの脱出ルートは、二つ検討された。まずはウィル子が支配したエレベーターを使い、直接センタービル内に出るというものだ。
しかしこの案は破棄された。
理由は大きく二つ。
一つはそれが非常用として設計されたエレベーターであり、ヴェロッキアが霧に姿を変えたところで、全員が一度に乗れるほどの広さも、耐荷重能力もないということ。アルハザンがこまめに配給を行っていたのも、見廻りの意味もあるがそのためでもあったらしい。
もう一つは、そうして往復する間に向こうに気付かれれば、エレベーターを停止させられてしまう危険性があるということ。制御系はウィル子が秘密裏に掌握しているが、物理的にシャフトや滑車、ワイヤーを破断させられたのではどうしようもない。万一それが乗っている最中、しかもすでに高所であったなら最悪だ。狭いエレベーターの中はあまりに無防備で、あとは落下に任せるしかない。
故に徒歩での脱出と決まった。
リュータと翔希が行ったという観測の結果、どうも当初の推測とはいささか構造が違っていたらしい。特に青空の見えるという三十階層付近から、十階層一まとめという構図が崩れる。各階がもっと複雑に絡み合っていることが判明した。
重要なのは、リュータと大佐の地図の間にあった、地下五十六階から地下六十一階の鍾乳洞まで続く、辿り着けない空白……これがひとまとめだということだ。そして鍾乳洞はセンタービルの直下に位置し、地下六十二階への階段を下りると蜂の巣構造の別の部屋へ転送される。
つまり地下六十一階が事実上の最深部。その辿り着けない場所の中に、自分たちのこのフロアがあり、さらに下へ掘り続けていたということになる。以前にそこへ近付こうとしたリュータと鈴蘭が、アーチェスたちと遭遇したという事実から見ても確定的だった。
それより早くに探索を進めていた大佐は、彼らと遭遇することはなかったが、やはり何か人の気配を感じて葉巻で目印を残したという。まだ作業が始まる前の、下準備を進めるアルハザン一派の気配だったに違いない。
となれば……ヒデオはマグカップを手にしたまま天井を見上げる。
このフロアの上にも空白部分があるということになる。が、外からではこの場所と同じで調査不可能だったらしい。アルハザンのアジトでもあるのではないか、と以前会食した際の話から、鈴蘭は言っているそうだが。
さて問題は、徒歩でどう脱出するか。
もはやここも、何処とも知れぬ地底ではなくなった。たった数メートルを隔てた向こうは、ララミー鍾乳洞であることが判明しているのだ。明朝、決勝戦開始までの間にもっとも薄いと思われる壁をアカネの爆弾で発破する。
発破という派手な手段を用いるのは、陽動のためだ。見張りが出払った瞬間を見計らい、上の人質たちも脱出にかかる。もちろんこちらも、アルハザンの注意を引きつけるために全力で逃走する。そして地下六十一階の階段を一つ下る。ワープする先、地下六十二階からは自然区、しかもエリーゼ興業の第四鉱区。本来であれば山一つ掘り下げることは不可能であったが、あの巨大なクレーターが幸いした。ボウル型の焼結合金も既に砕けている。採鉱作業を装ったエリーゼ興業により、すでにダンジョン直前まで岩盤は抜かれている。
(……)
そして一ヶ月続いた、この地下暮らしともおさらばだ。
何も問題はない。何も……。
「……ヒデオさん?」
美奈子だった。
「まだ起きてたんですか」
「……明日の、計画を。整理しておこうかと」
計画は完璧だ。だが何らかのアクシデントが起きた際、まず真っ先に足手まといとなるのは自分だろう。いわんや、自分の失敗や何かでトチったとなれば目も当てられない。
「そうですか、やっぱりさすがですね……本官、緊張してなかなか寝付けなくって」
「……ええ。まあ、それも」
珍しく、岡丸が一緒ではなかった。
ヒデオは気付き、一声。
「何か。飲みますか。お湯は、沸いています」
「いえ、お構いなく……本官、自分で」
戸棚からティーカップ一つ、ティーバッグ一つ。
「あの……お邪魔じゃなかったら、一緒にいいですか……?」
「それは。別に」
さて、どこまで考えたんだったか……。
「ヒデオさん」
「……何か」
「前も、聞いたような気がしたんですけど……大会が終わったら……というか、皆で無事に脱出して、全部終わったら……ヒデオさんの家に、遊びに行ってもいいですか?」
(……)
あれ。
家?
東京のアパート。先月分と今月分の家賃……。
「あ、いえ、ご迷惑なら別に……!」
「いえ。そういう、ことではなく」
でも。
いいのかも知れない。引きこもっていたアパートとはさよならだ。新しいアパートを借りて、一からの再出発をするのだ。今度、表に出られたら……そんな新しい自分になれる気がするのだ。
「じゃあ、本官……私、今度、ご飯を作りに行ってもいいですか?」
「……それは。もちろん、喜んで」
しかし無一文だ。日本銀行券は一枚もない。まずはアパートを借りるのに、どこからお金を調達するべきか……ときに上の都市って、大会が終わっても住んでていいのだろうか。
考えながら、マグカップを傾けた矢先。
「じゃっ、じゃあ、うちのお父さんに紹介してもいいですかっ!?」
「……。」
さすがに噴いた。むせた。
よく見れば、美奈子は耳まで顔真っ赤。
「あ、だ、大丈夫ですか!?」
「……いえ。あの。つまり……、なぜ」
「つっ、つまり……、そのっ、うちのお父さん警察の少し偉い人で、そのせいかちょっと頭が硬くって、だ、だから私に、警官なんて危ない仕事を辞めて、はっ、早く結婚しろってうるさくってですね……!」
わかる。
美奈子がテンパっているのは、よくわかる。
「つまりその……か、カタチだけでもいいので、ヒデオさんみたいな素敵な人がいるって紹介しておけば、私も仕事を続けられるというかなんというか!!」
「……」
「ヒデオさん、恋人とか……?」
「……。いえ」
「い、許嫁とか……」
「……。いえ」
「ひ、ひょっとして実はもう妻帯者だとか……!」
まあ、嫁なら二次元に何人か。
いやいやいやそういう話ではなくだ。
頭の硬い、警察のちょっと偉い人って。
最悪なのでは。
(……そう)
お嬢さんとお付き合うわ何をするやめぼかどかぐしゃぽて貴様誰の許可を得て我が家の敷居を跨いだ住居不法侵入で今すぐしょっ引いてやるこんちくしょうワシの可愛い娘は誰にもやらんぞゲシゲシゲシ……以下無限ループ。
正直、連ドラとか昼メロとか好きではない。
大体が娘からして、会うなり人殺しだの麻薬常習者だの。その彼女が頭が硬いというほどの頑固一徹となれば、今度はそんな個人的指名手配ではなく地球原理主義組織・The Mother Earthの一員辺りとして公安マーク……。
(……)
「ヒデオさん? 顔が真っ青ですけど……」
指摘され、脂汗を拭い去る。
「……ご挨拶は。また、後日ということで」
「そ、そうですよね! い、いきなり唐突すぎますよね……! ははは……」
正直、付き合うとか、恋人だとか。興味はあるがガラでない。今までよく考えもしなかったことを、行き当たりで答えてしまうのもよくない気がする。だから気持ちだけでも、嬉しく、有り難く受け取っておく。
「……元気になって、本当によかったです」
唐突に美奈子が言った。
「ヒデオさんて、あんまり表情に出しませんけど……ここへ来たばかりの頃。いま思えば、やっぱりひどい顔をしていたから……」
聖魔グランプリの時もだが、彼女には、そんなひどいところばかり見られている気がする。それも、何かの縁なのだろうか。
「……ええ。もう、大丈夫です」
「はい。いよいよ、明日ですからね。頑張りましょう!」
互いに、力強く頷き合う。
ヒデオはそれで充分だった。
(……)
部屋に戻ったヒデオは、ウィル子が作り出したというノートPCの蓋を開ける。しばらく待つ。
何もなく、寝ようかと思ったところでウィル子が顔を覗かせた。
《……まだ起きていたのですか、ますたー》
「少し。君に、話しておきたいことがある」
《?》
今まで。今の今まで、この地下で見聞きしたこと全てを推考したときに……一つだけ、気になる。さらに論考を重ねると納得のいかないことがあった。
一方で、魔人による国だと言う。一方で、魔族の復権だと聞く。そのために、邪神を軍事力として用いるという。彼らの武装。ミッシェルとザジ。あのアラーム……。
《あの、ますたー……そんなに断片的では、ウィル子の論理飛躍にも限界が》
まあ、それはそうか。自分でも、結局それらが何に結びつくのか理解し切れていないのだ。ただ……本当に、記録にも残っていない、どれだけの力があるかもわからない、どう戦っていいかもわからないような邪神が現れたら。
「……そのときは。僕を、食べろ」
《……。あんぱんまんですか》
「……」
確かにか弱い力かも知れないが。もっとも豊富に知識を持っているのはこのウィル子。いや、蓄えられたそれを引き出せると言うべきか。そして唯一それらを統合できる。ありったけの知識を統合し、戦う手段を導き出せる。
「そういう、意味で。そんなときは。僕の。魂やら、寿命やら。気にする必要は、ない」
《……でも。そんなことにならないように、明日は脱出するのですよね?》
「それは、もちろん」
一も二もなく頷くヒデオ。
《にはは。それを聞いて安心しました。ではウィル子も約束します。万が一そういうときは、遠慮無くマスターのエネルギーをいただいてしまいます》
「それで、いい」
それでこそ、パートナーだ。
なんだか安心した。
《ではお休みなさい、マスター。また明日》
「ああ。また、明日」
何気ない当たり前の挨拶。そんなことさえ、有り難い。
電源は勝手に落ちる。
そしてヒデオも、ベッドに潜った。
ここへ送られてから、長いようで短いような一ヶ月だった。
だがここまで真剣に思い悩んだ時間はなかった。皮肉なことに、アルハザンという彼らにここまで追い詰められなければ、自分は答えを見つけられなかったのだ。だから、決して無駄な時間ではなかったはずだ。
明日見上げる空は、生涯でもっとも綺麗な青空だろう。そして生涯忘れ得ぬ夕焼けを見よう。
ああ、それがいい。ただ、それだけだ。
②
日が南天を過ぎる。
午後一時。
席という席は、朝早くのうちから試合開始を待ち切れぬ大勢の観客たちにより、すでに埋め尽くされていた。
この都市にいる者にとっては、すっかり見慣れたいつもの正装。いつもの所作。スタジアムの中央にまで進み出たタキシード姿の霧島レナは、恭しく一礼。いつもより、わずかに深く、ほんの少し長い一礼。
緩やかに面を上げる。
切り出しは、静かな声だった。
《総参加者数、三〇二四名。全一五一二組のペアにより、実に二ヶ月もの長きに亘り、幾多の勝負が繰り広げられてきました》
ぐるりと見回す。
《何のために?》
そして一息。人差し指を一本。
《理由はただ一つ! 今日のこの日を迎え、その頂点を決するため!!》
静寂に反動するかのように、わっと歓声が沸き起こる。
《開幕のあの日、この地に集った多くの参加者が抱いた優勝という名の大望、現実に手にするのはどちらのペアか!?》
傍らに据えられた台座のビロードを、一息に剝ぎ取る。アクリルケースの中には、クリスタル調の杯が一つ。
それにまた観衆がざわめく。
《大会名の由来ともなったこの神器〝聖魔杯〟に勝利の美酒を注ぎ、世界を律する次代聖魔王の栄冠を勝ち取るのはどちらのペアか!?》
大仰に腕を東へ差し向ける。
《決して挫けず諦めぬ勇気を持ち、故に当代最強の誉れをほしいままにした元勇者と、それに加護を与えし聖銀の精霊か!? 長谷部翔希、エリーゼ・ミスリライトペアっ……!!》
蒼の上下、要所にプロテクター調の鎧を身に纏った彼と、格式を感じさせる瀟洒なドレスに身を包んだ彼女とが現れる。今日のこの日まで見せることのなかった勇者と精霊の姿に、観衆のボルテージは一気に高まった。
振りかざした手の平、そのまま西に。
《迎え撃つは現聖魔王と円卓筆頭! 果たしてその座を堅持し続けることはできるのか!? 名護屋河鈴蘭、みーこペアっ……!!》
清楚な白い衣装でアクセントのように黒いガントレットを右手にした鈴蘭と、眩いばかりの金糸銀糸を縫い込んだ着物姿で現れるみーこ。
進み出た両者、レナと聖魔杯を中央にする形で対峙する。
先に言ったのは翔希だった。
「……綺麗な杯だな。これが聖魔杯か」
鈴蘭が肯く。
「無尽の力を湛えるそうです。円卓のみんなと、天界のみんなと、まだ堕ちていない神様たちと……みんながみんな、協力して作ってくれた器です。平和の象徴です」
「なんだか、儚げに見えるな」
「いいえ、実際儚いですよ。無尽の力を秘めてはいても、床に落としただけで割れてしまうくらい」
「なんだって……? そんなものが、神器なのか」
「だから平和の象徴なんです」
鈴蘭は言う。
「その中にいればすぐに忘れてしまいますけど、楽しいことや幸せなことって……ほんのちょっとの悲しいことで、消えてなくなってしまうじゃないですか。そのことを忘れないように。そして次の聖魔王に、次の次の聖魔王に、忘れて欲しくないから。何か大きな争いが起きて、この聖魔杯を奪い合うようなことになったとき……そのチカラのせいで悲しいことが起きる前に、割れてしまうように。そうして、いつまでも平和で楽しい世界が続きますように、って」
穏やかな鈴蘭の笑み。翔希は苦笑。
「楽しいなんて言葉が出てくる辺りが、名護屋河らしいな」
「ええ。楽しいこと、大好きです」
それから聖魔王は一息。
「……思えば、長谷部先輩との直接対決ってこれが初めてなんですね」
「ああ、だから楽しみにしてきたさ。仮にも魔王の称号を持った相手と戦えるんだ。現役時代に果たせなかった、唯一の心残りだ」
昔と変わらぬやんちゃな笑顔に、苦笑する鈴蘭。翔希はそんな視線を、そのままみーこに。
「手加減無用だ」
「〝黒の剣〟を使うか?」
「ああ。使う」
「……そっちの若いカミも良いのだな?」
穏やかに微笑むみーこへ、エリーゼは挑戦的な笑みで首肯する。
「ありがとう、姫。あなたにそんなふうに呼んでもらえて光栄だわ。そしてわたしは、それを望む勇者に盾と剣を授ける者。全てを切り裂き、防ぎきる」
転瞬、食欲魔人は凄まじい笑みを浮かべた。
「……よかろう。その言葉、努々忘れるでないぞ」
会話は、レナの差し出すマイクによって会場中に伝えられていた。観衆はすでに応援など忘れ、開始前からの両者のただならぬ気迫に、固唾を吞むばかり。
最後の最後、この試合だけは今まで行われてきたいかなる勝負とも質が違うのだと。本気で殺し合い、なお両者生き残るほどの苛烈を極めると。
《それでは……、確認させていただきます。勝負方法は、基本ルールでよろしいですね?》
固唾を吞むようなレナの問いかけに対し、鈴蘭、翔希、共に首肯。
《わかりました》
役員が聖魔杯の台座を引き下げる。レナも対峙する両者から数歩距離を置き、高々と手を上げる。
これで最後だ。
《聖魔杯、決勝戦!! 翔希・エリーゼペア! VS! 鈴蘭・みーこペア! ……勝負開始っ!!》
③
《決勝戦、開始されました!》
「発破ぁっ!!」
ウィル子の声に合わせて、アカネが魔導力点火。振動以上に、爆風による風圧が景色を歪める。
「……やったか!?」
「まかせてよ! 私の爆弾はいつだって完璧なんだから!」
手応えを得たアカネの言葉通り、岩盤は細かく爆薬を詰めた十数ヶ所の穴に沿って、アーチ状に綺麗に崩れ落ちていた。現役時代、爆破工作にも通じていたという大佐の、的確なセットもあったればこそだ。
彼が問う。
「鉱区の方はどうだ!?」
《第四鉱区、いま地下六十二階へ貫通です! 問題なし!》
「エレベーターの様子は!?」
振り返りながらの大佐の声に、開け放したシャフト内のジャバンが上方をスキャンしながら答える。
「まだ気付かれて……いや、いま電源が入った! 来るぞ!」
「よし、オールグリーンだ! GO、GO、GO!!」
大佐が大きく腕を回し、一同は順々に穴をくぐり抜けていく。
《それではマスター、一旦お別れです! また地上で会いましょう! お気を付けて!》
「ああ。君も、気を付けて」
《はい!!》
ザックに背負ったパソコンから、ウィル子の声が消える。最後にヒデオ、ジャバンと鍾乳洞へ出て、しんがりに大佐が続く。
「連中の目を引き付けることも目的だ! いざとなれば派手に戦いながら後退するぞ! 気を抜くな!」
ダンジョンを突き進む。先陣を切るヴェロッキアとハニ悪が、今さら現れた魔物をブルドーザーのように蹴散らしながら階段へと突き進む。到着したエレベーターから、アルハザンの喧噪が聞こえたのは、丁度ヒデオがその階段へと足をかけたときだった。
大佐が怒号する。
「まだ振り返るな! 足を休めるんじゃない! 銃声が聞こえたところで、動いている限りはそうそう当たらん! ライリー隊との合流ポイントまで突っ走れ!!」
この別人のようなはしゃぎっぷりはどうだ。いつもあれほど泰然と、歳相応に物事を達観していた大佐が見違えるように生き生きと駆けていた。
「……楽しい、ですか」
走りながらヒデオは言う。
「君は楽しくないのかね? ヒデオ君」
自らを流血地帯と呼んだ、あの夜のような笑み。ヒデオは一言。
「まさか」
「そうだろう?」
鼻髭を持ち上げるように歯を見せる。誰も彼も眼差しは真剣、しかして口元には微笑。勝負すること。勝ちに行くこと。勝つために走る、ただそれだけで、こんなにも楽しいのだ。
◆
最初は様子見の小競り合い程度。
そんなステージ裏。一度舞台袖に下がったレナの元へ、携帯電話片手に血相を変えたライネーズが駆けてくる。
「ガーベス様から……!」
ただならぬ様子にレナは聞くより早く、その電話を奪うように手に取った。
「もしもし? 何かあったの?」
《レナか!? 奴ら、このところ妙に大人しくしてると思ったが、ついに始めたぞ! 脱走だ!》
すぅっ、と怒りに静まりかえっていくようなレナの表情に、ライネーズが半歩後退る。
「どっちが?」
《下の者たちだ! いま、俺も向かっているところだが……!》
「エレベーターは無事?」
《何の心配してる!? これからそれで……》
「無事だったら陽動だよ」
はっ、と気付くような気配が電話越しに伝わってくる。
《……なんだと?》
「つられてノコノコ降りていった隙に、エレベーターを使用不能にする。戻れなくなったところで、今度は上の奴らが脱走する」
《だが、どうやってだ? 上の方にわずかに振動が伝わってきただけだ……それだけで下の者たちが脱走したなどと、気付くとは思えん》
そうさせないために、それぞれの人質にそれぞれの場所を隠し、連絡も一切取らせなかったのだ。
「理由なんて何でもいいから、最悪を考えて。それでもとにかく上だけ抑えておけば、下は動けなくなる。元々そのための人質なんだから、順番を間違えないで」
《……わかった。だが下の者たちをこのまま野放しにするわけにもいかん。さすがに地下階の構造までは気付いてはいないと思うが……》
レナは瞳を鋭くし、一度親指の爪を嚙んだ。
「……どうかな。自然区の採掘場付近。あんなところまではどうなってるか、気に留めてなかった」
《エリーゼ興業!? まさか、第四鉱区のクレーターを利用したか……!?》
「地下へ行くよりそっちに回って。他のエリアにそんな気配はなかったから、それ以外はいちいちダンジョンを登ってくるしかない。空振りだったらビルの中で待ち受ければいいだけの話だよ」
《わかった、追って連絡する……!》
駆け出す音を最後に、通話は切れた。レナは一息もなく、静かな瞳でライネーズに携帯電話を返す。コツ、コツ、コツ。またあの時のように爪先を鳴らし始める。
「あの……レナ様……」
「ん? なに、ライネーズ。早くパパに連絡して。ボクたちにもできることがないかって。ボクも今それを考えているから」
試合の流れを見詰めたまま、深く深く思索に沈んでいるように見えて、しかし返答する声にラグはなく、声色も平常。指示は的確。ある種、アーチェス以上の凄みにライネーズはすくみ上がった。
「は、はい! 只今すぐ……!」
◆
アーチェスは、スタジアムの目立たぬ席で吞気にポップコーンなど食べていた。
携帯電話の呼び出しにザジが応える。
「はいよ。オレだ……ん? へえ……そうかい。ああ、わかった」
表情を変えずに、そのままアーチェスへとリレー。代わりにポップコーンを引き受ける。
「はいもしもし、アーチェスです。お電話代わりましたよ……」
さすがに、すぐさま翳りが差した。俯き、眼鏡の橋を押さえる。本気で思考するときのクセのようなものだった。
「……それは困りましたねぇ。……ええ。……ええ。いえ、それは彼女の判断が正しいでしょう。十中八九、そうだと私も思います。人手はガーベス君の方に回してあげてください。あのブラッドフィールド大佐が、勝算もなしに動くとは思えません。それとミッシェルさんに……」
世間話をするような気楽さで、しかし細かな指示を続けていく。ほんの二、三手進んだだけの盤面から相手の指し筋を読み、それに合わせた対処を述べている。
通話を終えて、またポップコーンと携帯電話の持ち主が入れ替わる。
「……君はほんとに表情を変えませんね、ザジ君」
「それでもまだポップコーン食おうってあんたほど、肝は太くないよ。オレはどうすんだい、オヤジ」
「ガーベス君だけではきついでしょう。君も行ってあげてください。今は私の周りにもこれだけの人数がいますし、心配はいりませんよ」
そう言って示した周囲、観客を装った十数人。参加者であり敗退者であるが、全ては戦闘能力に秀でたアルハザンの人員だった。彼ら、彼女らは魔人であり、しかし人間もおり、またミッシェルのような異種族もいる。魔人組織と言われてはいるが、彼が拾った子供達はそれに限らない。
「……わかったよ。んじゃ、ちょっと行ってくる」
「気を付けてください。皆さん、強いですよ」
「知ってるよ。あんな馬鹿みたいなところでヒキコモリ庇いながらだってのに、誰一人やられてないんだ。オレも呆れたさ」
「……ザジ君」
「なんだい」
アーチェスは寂しげに笑う。
「本当に、いいんですか。君にだけは、全て話してありますが……」
「いいさ。あんたは正しいよ。オレみたいなのも、アネゴみたいなのもさ。やっぱ、生まれてくるべきじゃないんだって」
背中越しにヒラと手を振り、ザジがその場を後にする。
④
《マスターたちは、すでに出口に向かって行きましたけど……!》
PSポータブルからのウィル子の声に、視線を移すラトゼリカ。
「どうですか……!?」
「……だめだ。奴ら動かんぞ」
階段の方を覗き見ながら首を振るおやっさん。だが、それから少しして。
「むっ……? やったぞ、狙い通りだ! 奴らどこかへ行きおった!」
そ、と一度手の平で制し、まずは一人魔人であるラトゼリカが自然な様子で廊下に出る。
戦闘技能はないが、強いて挙げるなら魔人な分、他のみんなよりはダメージに打たれ強いので。そうして右、左。階段にも、エレベーター前にも人影はない。隠れているような気配もない。
すぐさま部屋の中へ向けて手招き。
「今です、エレベーターまで走って!」
一斉に走り出す。辿り着き、勢いのまま、ゲンコツで叩くようにエレベーターの呼び出しボタンを押す。
こちらが徒歩ではなく、エレベーターを使うと決めた理由は二つ。一つはここが地上七十八階、階段ではあまりに時間がかかりすぎること。万一向こうの戦闘員と鉢合わせた際、能力に乏しいこちらは抗するのが難しい。もう一つは、下の人質が先に自由になっているというアドバンテージ。最悪捕まりはしても、人質本来の利用価値のため、殺害にまで至る可能性は少ないだろうということだ。
エントランスホールの監視カメラをハッキングしたウィル子が言う。
《ちょっと待ってください! ロビーでミッシェルたちが待ち構えているようです……!》
「えっ……!?」
歯嚙みするラトゼリカ。
となると陽動にかかったのではない。恐らく既に見破っていて、だからこそ、そのフリをして待ち伏せするつもりか。
今いるようなこうした通路。隘路であれば、向こうに数がいても各個撃破する目はあるが、ホールという開けた場所に陣取られたのでは圧倒的に不利。そのまま降りていけば、みんなまとめてホールドアップ。エレベーターを出る間もなく、文字通りのIターンだ。
ウィル子がいなければ袋のネズミになるところだったが、しかしこのまま立ち止まるわけにもいかない。いま自分たちが自由を得られなければ、せっかく脱出できた下の者たちの足枷となってしまう。
そうこうする間に、空のエレベーターが到着。ラトゼリカは覚悟を決めた表情で、一度みんなを振り返った。
「皆さん、運動神経に自信はありますか?」
◆
吹き抜けのホール、その一階と二階のエレベーター前に扇状に人員を配置。ドアパネル上面、ぬけぬけと降りてくる階数表示を見ながら、ミッシェルはニャアと笑った。
「まったく便利なものを発明してくれたニャ。ドアが開いた瞬間、ありったけのショック弾頭を撃ち込んでやるニャ」
ロビー中央、そのどちらも見える位置に立ったミッシェルの声で、黒服の全員が装塡レバーを引く。
地上十階を通過。十数丁のサイレンサー付きサブマシンガンが狙い定める。
五階を示すランプが点灯。
止まったのは……。
「二階、一斉射ニャ!」
消音器付き独特の丸い発砲音が合唱し、それ以上にショック弾頭の弾ける爆音がホール全体に響き渡る。青白い爆炎が薄暗がりのホールを浮かび上がらせる。外の連中はみんなスタジアムの中、決勝戦に夢中のはず。ちょっとくらい暴れたってバレはしない。
そうして二階通路の者たちが、ワンマガジンを撃ち尽くすのはあっという間。
「!? い、いません! 中は空です!」
「ニャンっ!?」
ショックBB弾であればそうでもなかったのだろうが、一斉射によるショック弾頭の爆炎が強すぎて見えなかったのだ。
「メンテナンスハッチが開いている!? あそこから……」
「今っ!!」
ラトゼリカの号令、非常階段出口を蹴破り、真っ先に躍り出たのはジョニーとロッキー。
「なにっ!?」
エレベーターがどこかの階に止まった気配はないのに、しかしフェイクではなく彼らは降りてきていたのだ。側面を衝かれ、しかもたったいま全弾撃ち尽くしたばかりの黒服たちは充分に狼狽えた。
それがラトゼリカの策。
エレベーターが下りていく最中に、全員でメンテナンスハッチから上に出る。そして地上が近付いたところで、ウィル子に強制的にドアを開けさせた途中の階へ順次飛び移り、全速力で階段を駆け下りてきたのである。
「グルルアァッ!!」
「ひぇ!?」
虎のように獰猛な軍用犬、ロッキーに食い付かれ、一人がパニックを起こした。そこへジョニーが勢いのままジャンプキック一発。
「へっ、ステゴロ勝負なら負けやしねえっ!!」
言葉通りにケンカ慣れした軽い身のこなしで、マガジンチェンジに手間取る二、三人を瞬く間に殴り倒す。
「調子に乗るなっ!」
マシンガンを投げ捨てた一人が刀剣を抜く。
「危ないっ!」
追い付いた後続、鎧に身を包んだアッシュが、身を挺してジョニーの背後を庇った。鈍色の鋼板は、刃を易々弾き返し。
「そりゃあ!!」
おやっさんが非常階段で拾った消火器を噴射し、目眩まし。
「ひぇひぇひぇ、私めも参りますぞ……!」
そこへ今度はサンゼルマンが、妖怪じみた速度、跳躍力で飛び込んだ。ステッキの先で、視界を失った彼らの急所を電光石火の滅多突きに打ち倒していく。だがその頃には、下の階からも追っ手が迫ってくる。
その階段の前に敢然と立ちはだかった、コバヤシ一人。おもむろに足元にあった段ボール箱を持ち上げる。
「「「!?」」」
中から現れた何か得体の知れない生命体に、追っ手の足が止まった。
「シマッタ! トイウカこばやし、ナゼ俺ノかもふらーじゅヲ……!」
ふっ、と小さく不敵な笑みを浮かべたコバヤシ。直後。
「つまりこのビルには、すでに火星人が潜入していたんだよッ──!!」
「「「なっ、なんだって─────!?」」」
「アイ@キャンフライ田岡Pアタァック!!」
田岡が予想外に華麗な動きで、手すりの上からダイビングを敢行。スモークの姿とコバヤシの無闇な迫力に気圧された階段上の黒服たちを、将棋倒しの一網打尽。
「グッジョブだ、田岡さん! まるでスカイフィッシュの生まれ変わりのような飛びっぷりじゃないかっ……!!」
「いえいえ。アイドルを育てる手前、この程度のステップ&ジャンプは当然のことでして。言葉だけで相手を怯ませてしまうあなたにはとても敵いませんとも。コバヤシさん」
二人でくいっと眼鏡を持ち上げ、ガッ! と固い握手を交わす。
最後に、一人の頭を消火器で殴り飛ばしたおやっさんが一息。
「うむ、事前の打ち合わせもなかったわりには見事な連携だったな」
「ひっひ。こう見えて私めも、若い頃はフェンシングで多少は名が知られておりましたゆえ……もっとも若がおられたら、年寄りの冷や水と言われましょうがな」
謙遜するサンゼルマンへ、アッシュがかぶりを振った。
「とんでもない、見事な腕前でした。私など、これがお館様が作られた鎧だったからです。並の鎧だったらと思うと、ぞっとします」
そこへジョニーが言う。
「けどこんな重てえもの着てるってのに、あの身のこなしはさすが護衛さんだぜ……ありがとうよ、アッシュさん。俺もちっとばかしボクシングやってたからって、調子に乗りすぎたよ」
(つ……強い………)
アルハザン側もそうだが、実は手を出す暇もなかったラトゼリカが一番驚いていた。振り上げたモップの下ろしどころがないほどに。
ウィル子がこそこそと聞いてくる。
《……ラティさん、実は何かの達人とかいう裏設定は》
「ありませんよ……私はか弱いオペレーターキャラで通してるんですから。なんのためのモップだと思ってるんですか」
そしていよいよ一階まで辿り着く。
象徴するように開放的な最後のドア、センタービル出入り口の前には、たかが数人ばかり。長き鬱屈から解放された一同の勢いに気圧されていた。その先頭に立つミッシェルへ、ラトゼリカは言った。
「さあ、そこを通してもらいます!」
ニャア。
「やっぱりアーチェス様はすごいニャ。結局かかりましたのニャ」
「かかった……?」
疑問するラトゼリカへの返答は、ミッシェルのぽんぽんと手を打つ音。受付の控え室から。先ほど自分たちが通り過ぎたばかりの非常階段から。ダンジョンの出入り口から。
ラトゼリカたちがエレベーター前で倒した数の、何倍もの数がラトゼリカたちを取り囲む。吹き抜けの上、二階への階段に、数十人が鈴なりに銃を構える。
「あ……、陽動が、失敗した……!?」
「残念ながら違うニャ。地下の連中が逃げた鉱山の方には、ちゃんと、これよりもっと大勢の部隊が向かってるニャ?」
「っ……!!」
誤算だった。
唯一こちらの計り損ねた情報。アルハザンの構成員は、こちらが想定していたより
遥かに多数……
!?
「言っとくけどこいつらの持ってる銃はみんな実弾ニャ。当たれば死ぬニャ?」
「くっ……!?」
つまり、さっきわざと倒させたのが向こうの陽動。調子に乗って安心して下りてきたところを、こうして本隊が取り囲んだ。
「へっ、ここまで来たら構いやしねえ! 突っ込もうぜ姐さん!」
「うむ、一か八かだが出口はすぐそこだ……!」
ジョニー、おやっさんとも気勢をあげるが……。
「別にいいですニャ?」
意外にも、ミッシェルはにこにこと肯定的に頷いた。
「死にたい奴は生かしておかないニャ。どうしてもと言うならみ~んな殺して、地下の連中にはお前らみんな捕まえたって言えばいいニャ。どうせそんなの確認する方法はないニャ」
「ひどい……!」
ぎろ、とミッシェルの目が、獲物を狙うような容赦ないそれに変わる。
「何がひどいニャ、さっさと戻れというだけの話ニャ! それとも死ぬかニャ!? 誰かの死体からもいだ腕一本でも見せてやれば、奴らだってよっぽどビビって言うこと聞くようになるニャ……こっちとしてはその方が有り難いかもニャアフゥ!!」
その声も、目も、本気。ワーキャットの、こと猫としての凶暴性、残虐性が目覚めたかのような鬼気に、今度はこちらが気圧される番だった。
(ここまで、来て……!)
いっそ出口なんて見えない方が良かった。気が緩んでしまった。ああ、なんて間抜け。
油断に臍を噬む思いするラトゼリカ。
だが。
《……来ます!》
「……!?」
《いちにのさんで、身を伏せてください……!》
仲間たちにだけ辛うじて聞き取れる、囁くようなウィル子の声。
「何こそこそやってるニャ。三秒以内に回れ右しないと……」
《いち、にの……さん!》
全員で、わけもわからずその場に飛び込むように床上へ身を投げる。
ぐわっしゃあん
!!
銃架装備のピックアップトラック数台、横一列にエントランスホールへ突っ込んできた。
「ニャっ……なんニャア~~~~っ!?」
荷台、降りかかるガラス片を払い除けた貴瀬、犬歯を見せる凶悪な笑顔でピストルを抜き放った。
「悪の組織だッ──!!」
⑤
貴瀬と同時、クラリカもまた、飛びっきりのイカレた笑顔でMG42を振り回す。
「悪い悪ぅ~い魔人のみなさぁ~ん! お待ちかね、魔人狩りのお時間っすよ~~っ!!」
「わ、うわあ、シスター・クラリカだ!」
「異端審問会二部だぁっ!!」
その姿、声だけですくみ上がったアルハザンへ向け、全てのトラックの銃架からはショックグレネードガンの乱射が始まる。直撃しようがしまいが関係ない。半径十メートルの範囲に収まれば吹っ飛ぶ擲弾、視界に映る全てに向かってばら撒きまくる。
さらに後から、金属バットを剣の如くかざして駆け込んできた少女一人。
「わたしのミズノは、実はいつでも血を欲しているの。さあ、地獄の釜が開くときは今なの」
リップルラップルを先頭に、わーっ、となだれ込んでくる魔殺商会社員たち。覆面もメイドも歩兵部隊として押して押して押しまくり、ホールを制圧し始める。
「そんニャ!? まさか、魔殺商会にバレて……!」
猫のしなやかさ、忍者のような身のこなしで吹き抜けの上階へ跳躍したミッシェル。
「にゃ~ん。その通り~ぃ」
「!?」
振り返るとそこに黒ずくめ、羽根付き帽子の少女が一人。
「ニャ、お前は魔人ヴィゼータ!? 猫でもないのにニャーンとは生意気ニャ!」
「そういう問題?」
とぼけるヴィゼータ。ミッシェルは試験管ブラシのようにしっぽを膨らまし、右手、五爪一閃。並の鉄板なら易々切り裂くようなそれを、しかしヴィゼータはあんなに細い長剣の一本でカチンと受け止める。
「にゃ……!?」
「だめだめだね。だめだめ。甘い甘い。こうやってね?……一本がぁ!」
振りかぶる。
「にゃ……!?」
「六十四本くらいでいいや!」
「にゃにゃにゃにゃあにゃあ!?」
間髪で飛び退くミッシェル。冷や汗たらたら振り返ると、これだけのビルを支える支柱の一つが、ズタボロに切り裂かれ、崩れ落ちていた。その頃には、ラトゼリカたちを取り巻いていた誰彼もすっかりやられ、徒歩の覆面たちが奥まった箇所に逃げ込んだ人員を追い詰めているところだ。

音もなく、ヴィゼータの持つ切っ先が首筋に添えられる。
「……死ぬよ?」
「そ、それはいやニャ……降参するにゃあ……」
耳もしっぽもすっかりしおれたので、手首を返したヴィゼータは剣の柄でこめかみ一発。ミッシェルを昏倒させた。そしてマントをはためかせ、ふわりとロビーに着地する。
「ヴィゼータっ!」
「にゃ~。ラトゼリカ~」
親友同士、お互いを抱き締め合って無事を確認する二人。
「会いたかった~。今夜は放さない~」
「誤解されるからやめてね、ヴィゼータ」
抱擁終了。
「こっちはこれで全員っすか? みんな無事っすか~?」
ぴくっ、と動いた黒服の頭にがんがんショック弾頭を撃ち込みながら、クラリカが歩いてくる。ラトゼリカは埃を払うようなみんなを見回し。
「ロッキーに、おやっさん、ジョニーさん、アッシュさん、サンゼルマンさん、コバヤシさん田岡さん、有田みかんの段ボール箱……と」
指折り数えて、七人プラス一箱。そして自分。
「全員無事ですね」
「なんすか? 段ボール箱って」
それはさておき。
魔殺商会社員が、気絶した黒服たちに縄を打ち、どんどん運び出していく。行き着く先は、どこの病院か。
「あとは……ヒデオさんたちが、無事に地上まで辿り着いてくれればいいんですけど」
ラトゼリカは祈るような気持ちで、胸元に拳を握るのだが。
「クックック、なかなか楽しめたな!」
トラックの荷台の上で、貴瀬が拳銃を振り回しながら元気に笑っていた。
「よぉし、このままの勢いでハシゴだ! エリーゼ興業の第四鉱区に殴り込……げふん! もとい、地下から脱出してくる連中を助けに行くぞ!」
リップルラップルが、こくこくと。
「派手なドンパチのどさくさで、鉱山の一つや二つが壊滅するのはよくあることなの。さあ、宴はまだまだ始まったばかりなの」
「「「おーっ!!」」」
(……。)
ラトゼリカは胸元に手をやったまま嘆息。祈るは祈るでも、別なことを祈りたくなってきた。
⑥
ダンジョンを駆け抜ける。
「こっちだ、急げっ!!」
見えた。
通路の行き止まり、暗がりのダンジョンに差し込む、一条の陽光の下、ベレー帽姿のエリーゼ興業私兵隊長、ライリーが大きく手を回している。土囊を積み上げた簡易バリケードを飛び越える。
「カムダニアとは立場が逆になったな、レッドフィールド大佐」
土囊裏へ飛び込んだ大佐へ、ライリーがアサルトライフルを放る。受け取り、大佐は慣れた手付きで初弾を装塡。
「ではこれで貸し借り無しだ!」
グレイ、アカネ、レミーナと、身の軽い者たちから縄梯子を上がっていく。不安定な縄梯子は、何人も一遍に上ろうとすれば不規則に揺れ、慣れない者には却って足が遅くなる。一人ずつしか上がれないのがもどかしい。
私兵の一人がミスリル製の防盾を構えて脱出する者たちへの銃撃を弾き、一人は土囊の上に載せた軽機関銃からショック弾頭をばら撒き応戦する。殺傷能力であれば実弾だが、ストッピングパワーの点においては小爆発を起こすそれに敵う弾種はない。
「次の人、どうぞっ!!」
上がり終えた美奈子が叫ぶ。
「よし、次っ!!」
ライリーの声に、土囊から射撃しながら大佐が言う。
「行きたまえ、ヒデオくん!」
「はいっ……」
ヒデオは迷わず、それに手をかける。
生きて、帰る。
決めたことが実現する。
明るい出口へ、自分を象徴するように這い上がる。焦らず、急いで。
帰れるなんて思わなかった。
いや、最初は帰ろうなんて思わなかった。
そもそも生きることさえ放棄したはずだった。
でも、こうして辿り着けた。
嬉しい。
忘れない。
目標へ向かい、そして辿り着くということ。
二度と忘れるものか、この気持ちを。
「ヒデオさんっ……!」
最後は美奈子や、私兵たちに引っ張り上げられるように地面に転がった。ようやく、走り詰めから解放されて深々と吐息を吐く。
(っ……)
暖かかった。
冷たい岩盤ではない。
日光をたっぷりと吸った暖かな地面だった。きな臭い粉塵の混じらない、森の息吹の香る澄み切った空気だった。見上げ、雲間から差す日差しの眩しさに、涙がにじむ。
帰ってきたのだ。
(否……)
皆で帰ってこそ、勝利ではないか。
ヒデオはすぐに立ち上がり、振り返った。大佐が上がってくる。ジャバンが上がってくる。そして勝利は目前だった。
◆
「やれやれ、数は少ないがこの状況は厄介だな……クロスフラッグスと同じだ」
ライリーが呟く。攻守のバランス。地上へクリアするほどに、攻撃する手も、防ぎ手も減っていく。
「先に……上がりな……」
言ったのはハニ悪だった。
「だが……」
「どうせオイラぁ、この図体……なのさ。それに……」
ハニ悪は自らがその巨体をして、防盾の代わりに銃弾を弾く。彼ならば最後の最後となっても、敵の攻撃を気にせず上がっていくことができる。ドラマや映画ではない。プロはただ状況だけを判断し、指示を下す。
「よし、ジョーイ、アーノルド、行け!」
援護に付いていた部下の二人が、手際よく瞬く間に上がっていく。ライリーは残るヴェロッキアへ振り返る。
「あんたはどうする?」
「ああ、我はよい。ヴァンパイアなのでな」
「ヴァ………まあ、そう言うならそうなんだろうが。銀の銃弾でもなければ平気と言うことか?」
何を自明なと、ヴェロッキアが失笑した。
「そんな軟弱な銃弾であれば、なおさらハニ悪の鎧は貫けまい」
「そういう、ことさ……」
「わかった、ではお言葉に甘えさせてもらうとしよう」
牽制射を続けるライリーも、まるで駆け上がるような速度で縄梯子を上がっていった直後。
「……ありゃあ……なんだ……?」
ハニ悪が疑問する。向こうに加わった新たな増援の一人が、銃も持たずに真正面に立ったのだ。弾幕が切れた隙に何やら呟き始め、かざした両手の平に光を湛える。ぶわっ、と竜巻のような空気、魔力の流れが渦巻き始める。
「いかんっ……!」
何かの気配を感じ取ったヴェロッキアが、初めてハニ悪の前方へ飛び出した。相手の撃ち出した光弾が、マントを翻したヴェロッキアを直撃し、爆散する。
◆
ライリーは下からの爆風に押し出されるように吹き飛ばされた。私兵隊が彼に駆け寄る一方で、ヒデオたちはその穴に駆け集まる。
「ヴェロッキア!! ハニ悪っ!!」
大佐が叫ぶが、返事はない。
覗き込んだ穴の底に、二人の姿が見えない。突貫の作業が祟ったのか、爆発が強すぎたのか、縦穴が崩落し、塞がってしまっていた。
「返事をしろ!! 聞こえるか!?」
絶望的な考えが脳裏をよぎり、ヒデオは強くかぶりを振った。
そんなはずはない。届かないだけだ。こちらの声も、向こうの声も届いていないだけだ。聞こえていて返事ができないわけがない。
「そんなっ……ここまで来て……!」
美奈子の悲鳴じみた声につられ、アカネが涙ぐむ。
「ハニ悪さん……ヴェロッキアさん……」
「泣いては、いけない」
ヒデオは強い声で言った。
「でも……!」
「すぐに、会える。この地上で、会える。だから、泣く理由なんてない。死んだなんて、勝手に信じては……いけない」
ヒデオは、自分へ言い聞かせるための言葉をそのまま吐露する。腹立たしかった。地上へ出た途端に、一瞬でも安堵した自分に腹が立った。
「……ヒデオの言うとおりだ」
甲士郎が言った。ヘルメットの下の表情は窺い知れないが、同じように、抑えがたい怒りと悲しみをない交ぜにしたような声だった。
「俺たちの中でも、最強だった二人だ。こんなつまらないことで死ぬような奴らじゃあない……!」
ヒデオと甲士郎、二人の言葉に全員で強く頷……。
「勝手に殺すな、馬鹿ども」
「「「!?」」」
突如のヴェロッキアの声に振り返る。マントを日よけにするように頭にかぶり、下半身は未だ霧のまま。塞がった岩の隙間から滲み出していた。
「不死という言葉を知っているか? 我もハニ悪もあの程度でくたばるタマではない」
が、白磁のようだった貴公子の肌は、今ではまるで土気色。その瞳にも、いつもの傲岸なまでの色がなかった。平気を装ってはいるが……。
「それより、ここまで日差しが強いと少し億劫だ。下からの追っ手は我とハニ悪で防いでやる。気兼ねなく先に行け」
痛めたらしい肩を押さえ、ライリーが言った。
「車は用意しておいた。行くぞ。ぐずぐずしてここに敵が押し寄せてきたのでは、袋のネズミだ」
「……ふん、そこの人間の方がよほどわきまえている。いいな、振り返るなよ」
「わかった、頼んだぞ!」
大佐が首肯。
「よし、みんな乗り込め!」
露天掘りは今ではすっかり様相が変わり、重機が上り下りするための道を付けられていた。ライリーの部下がすでにエンジンをかけていた幌付きトラックに、私兵隊と分乗。露天掘りを螺旋に周りながら駆け上がっていく。
が、その縁までスロープを上りきったところで銃声。ドライバーが急旋回をかける。
「くそっ、待ち伏せだ!」
足を止める急停止より判断は正しかった。だが、側面を見せてしまったことで運悪くタイヤを撃ち抜かれてしまう。
「固まるな! 散開しろ!」
一斉に車両から飛び降りたところで、声がかかる。
「無駄な抵抗はよせ。諦めて投降してもらおう」
右側には重機が並び、左側には事務所や飯場のプレハブが並ぶ。その中央、森へ抜ける道を塞ぐように、ガーベスを筆頭としたアルハザンの面々は銃、剣、魔法を構え、陣取っていた。気取られぬよう動いていたため、エリーゼ興業の私兵隊はわずか十人ばかりに過ぎない。向こうはざっと五十人はいるか。
「それとも……脱出に失敗した貴様らの仲間を、見せしめに殺さねばわからんか?」
「そんなっ……!?」
仲間たちに動揺が走る。
ただ一人、寡黙を通すヒデオを除いて。
ここならば、飯場、事務所、どこからでも電波は届いているはずだ。
「……ウィル子。聞こえるか」
背負ったザックのノートPCに問いかける。
《はい、マスター。もちろんダウトです。皆さんのパートナーは無事脱出しました……現在、魔殺商会の部隊がこちらに向かっています!》
今はまだ、誰一人として喜びはしない。
ただその事実を強大な後ろ盾に、戦うための決意に変える。
「……もう、遠慮はいらんというわけだ」
大佐はトラックに積んであった軽機関銃を持ち出し、弾帯を装塡する。甲士郎は右手にソード、左手にブラスターを抜き放った。
「ヴェロッキアとハニ悪が出て来たとき、俺たちがやられてたんじゃあ……格好が付かないからな」
「ソノトウリデス。でぃふぇんすハ イツモノヨウニ オ任セクダサイ」
端末にシールドモードを入力するグレイに、アカネとレミーナが頷いた。
「そうそう、どうせいつものことだよねっ……!」
「ええ。今日まで毎日毎日、やってきたことの繰り返しです。それが……」
今日はたまたま、魔物ほどの
手応えもない相手……
!!
「きっ……貴様ら……!」
交渉の口もなく即時徹底抗戦の構え、揺るぎない眼光を表す面々にガーベスが歯嚙みする。
「ならばやむを得まい……従う意志がなければ皆殺しにしても構わんとのご命令だ!! かかれぇっ!!」
号令に、鉛弾と魔法の入り交じった混成弾雨は降り注ぐ。グレイのシールド、重機や資材に隠れての応戦、銃撃戦が始まった。
⑦
決勝戦。
両者の戦いが、小競り合いから熱を帯びるに従って。
沸き上がるはずのスタジアムは、むしろ静まり返っていった。
鈴蘭が愛銃、M16を撃ち尽くした頃からだ。
「はあっ!!」
漆黒の長剣、翔希の大上段からの打ち込み。
「っ!!」
逃げず、鈴蘭がガントレットに受け止め、はね除ける。勇者に、みーこが横様から瀟洒なハンマー、神器〝崩壊の鐘を打ち鳴らすもの〟を叩き付ける。
「遅いっ!!」
エリーゼが手を振り下ろした先に、大盾一つ。跡形もなく粉微塵に打ち砕かれるが、護るべき勇者に傷一つなし。鈴蘭がガントレットから伸ばした短剣、鎧の隙間を縫って殴るような出足の速さで翔希の肉を裂く。致命傷をかわしざま、懐に入られた翔希はより重い一撃で鈴蘭を蹴り返し、吹っ飛ばす。
間髪置かぬ追撃。
「ライトニング・アロー!!」
勢いのまま鈴蘭は後方一回転、純白の光線に背を浅く焼き切られながら、起き上がりざまに再び翔希の刃を受け止める。
「ファイアーボルトォっ!!」
「!?」
鈴蘭が手の平から放った紅蓮の火球が、鉄球のような勢いで翔希に打ち付けられる。熱と衝撃に、今度は彼が吹き飛ぶ番。そして彼女が追撃する番。駆け出し、一振り、ガントレットから壮麗な刃を伸ばし、打ち下ろす。だが翔希は踏みとどまり、剣でそれを受け止める。
「どうです、長谷部先輩。とっておき。覚えたんですよ、魔法」
嘲るような鈴蘭に対し、愚直なまでに真っ直ぐな翔希の声。
「そのとっておきで仕損じたのはなぜだかわかるか? 名護屋河」
「へえ……元勇者が、どんなご高説を聞かせてくれるんですか?」
鍔迫り合いを解き、二合、三合。
「お遊びだって言ったんだ、お前のは。所詮奇襲にしか使えない形だけの魔法、受け売りの業。魔殺商会やアウターや、そんな中にいたんじゃ……無理もないだろうけどな」
「そうです。私の、最高の仲間たち! 強い組織を作るために、強い強い仲間たちのために、私も強くなった!!」
ニィ、と笑う。
バックステップと同時、鈴蘭が叫ぶ。
「炎獄、疾れぇえええええっ──!!」
天から地へと両手を振り下ろし、その延長線上、今度は青い爆炎を地に這わす。
「なにっ!?」
翔希は驚きに目を見張りながら、避ける暇はないと反射的に判断し、魔導障壁を展開。エリーゼも咄嗟に盾を現す。
だが鈴蘭のそれはただの魔法ではない。神殺しと呼ばれる家に伝えられし業。そうした瞬時に展開できる程度の簡易障壁、ミスリル銀すらも容易く侵食する。威力は幾らか相殺した。だがその余波だけで、翔希の纏う装備、シールドのために差し向けた腕の先から、上半身の半分までをも焼き尽くす。
「翔希っ!?」
「っ……平気だ、エリーゼ。問題ない」
「問題ないって、あんた……それ……」
常人であればショック死してもおかしくないような大火傷だ。所々は炭化すらしているのに。
「長谷部先輩。これでもまだお遊びですか? 違うでしょ? これ以上続けるなら、本当にお遊びじゃなくなりますよ……!」
両者、すでに息は上がっていた。
だが挑む勇者の眼差しに廃れる色はなく。
聖魔王の鬼気とした笑みに、翳る色もなし。
「のぼせ上がるなよ名護屋河。俺もエリーゼも、まだ降参はしていないぞ」
焼け焦げた手指を開閉し、まだ柄を握れることを確認し、何事もなかったかのようにそれを構え直す。
「何でも自分の思い通りになると思うなよ。聖魔王だからってな。円卓がいるからって調子に乗るな。お前は今、名護屋河鈴蘭という一人の人間としてこの場に立っているはずだ」
言われ、鈴蘭は一変した。
不気味なほどの無表情で、懐からベレッタを抜き放った。
真っ直ぐに、狙い、定め。
「……気に入りませんでしたよ」
乾いた銃声。
翔希の頰に切り傷。髪を散らし、耳を裂く。
それを見守る全員が息を吞んだ。ショック弾頭ではない。実弾なのだ。
それを知って引き金を引いた鈴蘭。そうと知って尚、微動だにしない翔希。
「……魔殺商会のみんなも、アウターも、天界も! みんなみんな私を聖魔王と認めるのに、あなただけがいつまでも長谷部先輩のままだった! いつもいつもそうやって先輩風を吹かせて!! 正義ぶって!! 否定して!! 邪魔をする!!」
拳銃を連発する。
幾つかはプロテクターに弾かれる。だが幾つかは末端の肉に食い込む。
「この場に集った誰彼に、私が聖魔王であることを知らしめるためでした。私より相応しいものがいるなら、その者にこの座を譲るためでした。ありとあらゆる種族が集い、認めざるを得ないこの場所で……」
マガジンをその場に落とし、また新しく叩き込む。
「……でもここまで来たならそんなことは関係ない! もう、私とあなたしかいないんだから! こうやって戦ってみて、初めてわかった気がする! あなたに認めさせて! あなたを従わせて! 私は初めて本当の聖魔王になるんだって!! 世界中の、どんな種族の、誰彼よりも……私は、あなたを跪かせる!!」
「やってみろ。お前は仲間たちのために強くなった。聖魔王一派という組織を強くした。ならそれでいいじゃないか」
そのとき、翔希が初めて嗤った。そんな鈴蘭の嘲弄すら喰う笑みで。鉢金の影の下、勇者らしからぬ邪悪なまでに目を見開いて。
手をかざす。
「ファイアーボルト」
「っ!!」
鈴蘭ほどの気負いもない。手をかざす延長線上のような気楽さで、しかし鈴蘭が放ったより数倍も巨大な火球を、より高速度に射出する。
「シールドっ……!!」
鈴蘭が魔導障壁を展開するが、火球は接触と同時に爆発。同じ魔法でも、桁が違っていた。風圧に、木の葉の舞うように鈴蘭の身体が吹き飛ばされる。
「あ、う……くっ……!?」
「お前の強さは、組織だ。そして円卓だ。その中心に座るお前の求心力こそが、聖魔王の所以となる最大の力だ。けどな、だからお前の負けだ。俺たちとの一対一の状況を作ってしまった時点で、お前の負けだ! みんなを強くまとめることをどれだけ本気で考えても、そんな大層な連中に囲まれてたんじゃ、自分が強くなろうだなんて本気で思っちゃいなかっただろう!?」
漆黒の刃を振り仰ぎ、構える。
「俺は、ただ俺自身のために強くあろうとしたぞ──!!」
目を白黒させ、起き上がるのが精一杯の鈴蘭へ駆け、一刀。
「なればその仲間たちの力で勝とう」
みーこが現れ、漆黒の刃を槌の柄に受け止める。
「少し見ぬ間に変わったのう、翔希や。鈴蘭は頑張っておったよ。だのにぬしの好きな努力という戯れ言、敵を相手には認めぬか。正義という名の我が儘に憑かれ、力に溺れたか」
鍔迫り合いを、アウターは純然たる力の差で押し戻す。押し退けた翔希の足元がばくりと開く。彼を吞み込もうとノヅチが地中より飛びかかる。剣を振り抜くが、その質量、勢い、留めるには至らない……!
「我が儘はどっちよ」
寸前、聖銀の槍が虚空より降り注ぐ。あたかも虫ピンで押さえ付けられたかのように、ノヅチがのたうつ。
「力ある者が、弱い人々を助けたいと思うことは我が儘? そのために力を追い求めることは悪? 私はそうは思わない。少なくとも、楽しいって名目で好き勝手やってるだけのあんたらには言わせたくないわ」
エリーゼは宙に浮かぶまま睥睨し、肩に掛かった髪を払う。
「所詮あんたら寄ってたからなきゃ何にもできない、ただの仲良しごっこじゃないの」
「っ……炎獄っ!」
琴線に触れたように目を剝いた鈴蘭が、立ち上がりざまに叫ぶ。炎の壁が垂直に立ち上がり。
「焼き尽くせぇえええええええええええええええっ!!」
津波のように押し寄せ、吞み込まんと雪崩れ落ちてくる。それを薙ぎ払うように、翔希が唱える。
「ライトニング・フレアぁっ!!」
その眼前にて白き爆炎、青き猛火を迎え撃つ。種は違う。しかし同型同士の魔法の競り合い、征するものはなく、互いの形は相乗し、爆散。結果、勇者は防ぎきる。
「そん……な……!」
信じられないように、鈴蘭が息を吞んだ。それが隙。エリーゼの放ったニードルが、鈴蘭の聖衣を縫って鈴蘭の四肢を貫く。
「くっ……!?」
白い衣に、朱が浮かび出す。聖魔王が、いよいよその膝を折る。
「こいつがよく言う、〝諦めない〟ってどういう意味かわかる? 自分一人が強ければいいって本当の意味、わかる? 世の中の悪事全部、自分一人で片付けようって考えてんのよ。馬鹿でしょ? 大馬鹿だわ。世界中で一秒間に何件の犯罪が起きているか知らないのよ。でもね、諦めないのよ! 大馬鹿だから! 強くなれば何とかなるって本気で信じて! だから諦めないのよ!! 諦めないってそういうことよ!!」
エリーゼが両手を広げる。空中には、美しく輝くミスリルの剣。剣。剣。百の剣。翼を広げるように剣を広げ。
「調べさせたら不採用なんて噓っぱちだったわ。内定してたの自分で蹴って、周りから後ろ指さされるの承知で就職浪人なんかに身をやつして、暇さえあれば稽古して、わたしがあげるその日暮らしの給料だけで満足してるのよ」
指先を向ける。無数の切っ先が、一斉に聖魔王とその側近を狙い澄ます。
「素敵でしょ? 自分が正義と思えるものに、そこまで身を投げ打てる者があなたの配下にいるかしら、名護屋河鈴蘭? 跪かせる? 無理だわ。それができるくらいなら、翔希はとっくに自分一人でこの世の悪を一掃している」
「……くだらぬ。好き勝手して満足しているだけであろうが。わしらも同じだよ。どうせわしらには善も悪もない。どうでもよいか……気に入らぬか。それだけじゃ」
瞳が細まる。ノヅチが現れた。十や二十では利かぬ数が一斉に躍りかかる。その端から切り裂かれ、消し飛んでいく。
「おおおおおおおおおっ!!」
勇者が叫ぶ。全身全霊を受けた黒の剣、切っ先は持ち手の強き意志に従い、鋭利なラインを描き、延長線上に躍るノヅチを切り刻む。一太刀が巨大な二匹、三匹の顎を落とす。牙に打たれ、傷付けられ、肉をそぎ取られても、十現れれば十を斬り裂き、二十が来れば二十を薙ぎ、百現れれば、それを守護する精霊が百の盾と刃を手繰り、それらを防ぎまた射貫く。砂塵のように崩れゆく黒き巨軀の間隙を縫い。
「そんなだから堕ちるのよ、古き神」
狙い澄ました一本が、本体たるみーこの胸を貫き通す。
「そのザマぁ見てみなさい。アウターなんて気取ったところで、ただのカッコツケ。悪いことがカッコイイと思ってるガキと一緒よ」
魔人が揺れた。その身が揺れ、いつも、いつの日も泰然と揺るがぬ億千万の眷属が双眸に、鈍く冷たい炎が揺れた。怒りに、美しい濡れ羽色の髪が躍った。
「……もうよい。遊びは終わりじゃ。死して償え」
「みーこさんっ、だめっ……!?」
蒼白の鈴蘭が叫ぶ。
彼女が手にした鉄槌に、凄まじい力が収斂されていく。
「全て失せよッ──!!」
一閃。
すっ、と。音もない斬撃。書の達人が真一文字を引くような壮麗さで、翔希が黒の剣を振り抜いた。何の派手さもない。音という余分なエネルギーすら発しない。全てが斬撃に収斂された、選ばれし者の一閃。
それこそが神器、黒の剣の真価。
槌は断たれ、もう一閃。それを振り下ろさんとしたみーこの腕も、頭の上から滑り落ちるように地に転がる。美しい、着物の袖と共に。
無敵を誇った億千万の眷属が。
何をされたのかと、一つ瞬きする合間に。
さらに刃が降る。稲妻のような速度で五本、六本、七本。串刺しにし、地中深くまで突き刺さる。
「……痛いでしょ、古き神。堕ちた分際が偉そうに騙る時代はもう終わりよ」
「こ……の……」
それでも死なない。死ぬはずがない。
怨嗟をし。
「小娘があああああああああああああああああああああああああっ!!」
「あんたが神と呼んだ精霊でしょうがあっ!!」
みーこと同時、エリーゼもブチ切れた。
地より数千のノヅチ。天より数万の管虫のみならず、獣の形、人の形、食欲魔人が喰らい続け、未だ消化しきれぬ真黒き影の姿、この世のものならぬ異形という異形が臓腑の繊毛が如く場を埋め尽くす。しかし聖銀の精霊は現れた端から天空からの刃で撃ち抜いていく。切り裂いていく。打ち砕いていく。浄化していく。それでも億千万の眷属は収まらない。断たれた両腕を振り乱し、その断面からすらおぞましい幾百億の真黒き口を伸ばし、喰い付き喰らい尽くそうとする。

「堕ちよ!! 堕ちよ!! 堕ちよ小娘!! 貴様も堕ちて闇をすすれ小娘が!! 我が腹に喰らわれ永劫に飼い殺……!!」
「吠えるな下衆があっ!!」
光のような速度で刃が貫く。古きカミの猛き喉笛を切り砕く。
「っ……がっ……あ!!」
「善はあるッ!! 悪もあるッ!! お前たちがそれを投げ出しただけよ!! 諦めた程度がッ!! 分際がッ!! 風情がッ!! クズがッ!! 吹くな!! 吠えるな!! 騙るな外道があッ!!」
幾筋も幾筋も幾筋も、降り止まぬ流星雨のように刃を降らせ、煌めき降らせ。
「人間が信仰を捨てたんじゃないわ!! お前たちが投げ出したから人は信じられなくなったのよ!! お前たちが諦めたから!! だからわたしたちは信じてもらえなくなったのよ!! そうでしょ!! 答えなさい!! 答えろ古き神!! 導くべき者たちから目を逸らした哀れな神!! 堕ちた神よ、答えろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ──!!」
悲鳴のように泣き叫ぶ、若き精霊の声。地より湧く無尽の黒を、天空より飛来する無数の銀が圧倒し始める。
そしていつしか……混沌とした黒い異形は、跡形もなくなっていた。
後に残ったのは、まるで白銀の絨毯。一面に突き刺さった、数百万条ものミスリルの刃。
「何が……何が神よっ……そんなものが神なら……、わたしは……たった一人の勇者に加護を与えるだけの、精霊でいいっ……!」
「……もういいエリーゼ。もう、充分だ」
全力を果たし、息せき切り、地に伏せようとするエリーゼへと、肩を貸す翔希。見渡す限りの刃も、やがて霧散し始める。
着物だけがボロボロの、断たれたはずの両腕すら元のようにあるみーこがいた。ただその表情はあまりに儚く、寂しげで。
「………わしの負けだよ…………悪かった……許して、おく……れ……」
呟き、ゆっくり、ふわりと地に伏せる。
「みーこさん……!」
傷をおして鈴蘭が駆け寄り、抱き起こし……。
「……ふふ。怒られたよ、鈴蘭……。ひどく怒られたよ……本当に、久しぶりに……。すまぬが、わしでは……あれには敵わぬ……勝てる力も……、言い返す言葉も、もはやない……」
微笑するみーこに、しかし安堵の表情を浮かべる鈴蘭。ゆっくりとかぶりを振った。
「……いえ。いいんです」
そして聖魔王は、何か吹っ切れたような表情で振り返る。
「私の最大のチカラ……私の信じる仲間が、こう言いました……。私たちの負け、です」
そして何の屈託もない、満面の笑みで一言。
「長谷部先輩。エリーゼちゃん。優勝、おめでとう」
魔王と勇者。カミと神。それらが繰り広げたあまりの光景に、皆が皆、息をするのも忘れていた。看過ならざる重大事を抱えたレナでさえ、司会の役も忘れ呆然と立ち尽くしていた。
やがて拍手が聞こえてくる。
最初にそれを鳴らしたのは、アーチェスだった。その数が広がり、大歓声が渦を巻くまでは、あっという間であった。
《し……勝者……! 今大会における優勝者は、長谷部翔希、エリーゼ・ミスリライトペアっ──!!》
我に返ったレナの声に遅れ、祝福の声が方々で弾け飛ぶ。華々しい紙吹雪とリボンが舞い踊る。
心根を挫くこと。
認めさせること。
王は認められなければ王たり得ない。
故に死は勝利たり得ず、生かしたままに勝ち続け、相手にそうと認めさせ続け。その果てにある頂点へ立つことだけが、聖魔王の座を手にするための、唯一無二の条件であった。
二ヶ月間にも及んだ聖魔杯が、今新たな聖魔王を選び出す。長き戦いに、今ようやく終止符が打たれたのだ。
──そして、その華やかな表舞台のあずかり知らぬ場所で……今なお、命懸けの戦いを繰り広げる者たちがいた。