①
歓声が津波のように押し寄せた。
鈴蘭、リュータともオブジェから転がり出たタイミングは同時。地を蹴ったタイミングも同時。得物を振りかざす速度も全くの同時。
「チェックメイトォおおおおおおッ!!」
とチェスを知らない鈴蘭が叫び。
「王手飛車取りだァああああああッ!!」
と将棋を知らないリュータが叫ぶ。
互いに腕を交差させ、互いの銃口が互いの眉間を捕らえていた。いかに訓練を積み、実戦慣れしたリュータでさえかわせる距離ではなく、またいかに防御力の高い衣装を纏った鈴蘭であろうと、その場所は素肌を晒している。
決着のとき。
地を震わせ続けた歓声が、夢幻のように沈黙する。聞こえるのはどちらの銃声か。それによって倒れ伏すのは、どちらか。
束の間の睨み合い。
今や言葉など必要ない。
互いににやけ顔を見せた
瞬間、それを合図にそれぞれの引き金を引き
絞る──
!!
がちっ。
「「「「……」」」」
「……あ、あれ? ジャム? ジャムった!?」
がちゃがちゃとM16のレバーをいじる鈴蘭。同じようにデザートイーグルをいじりながらリュータが言う。
「バァカ、お前のは弾切れだ! くそっ、冗談じゃねえ! こんなときに作動不良起こすかよ……!?」
がちゃがちゃ。
「なに紅豚みたいなこと言ってるの!? 私の方が引き金引くの早かったし!!」
がちゃがちゃ。
「ふざけんなてめえ、最期に何か言いてえことでもあるかと思って俺がちょこっと待ってやってたんじゃねえか!! つーかクレブタってなんだ!?」
「うわあダサいショボい今どき世界の宮崎アニメ知らないなんて信じらんないこのダンジョンオタクそんなだからモテないんだぞっ!!」
「うるせえこっちだってお前みてえな貧相なバディした女にモテようなんざ端っから思っちゃいねえ覆面どもから総スカン喰らったくせによく言うぜっ!! いま思い出したが金返せ!!」
「え~? なんのこと? 知らな~い」
がちゃがちゃがちゃがちゃ……。
ぱぱんっ
!!
言い争いに夢中になりながら互いの銃を操作するうち、双方の銃口はあらぬ方向へ暴発した。
「「直った!!」」
かちん☆
「「「「……」」」」
今度こそ、双方弾切れの音だった。
司会のレナが、不服そうな観衆らの顔色を窺いつつ、拍子抜けしたような鈴蘭とリュータの元へそそくさと駆け寄った。マイクを口元に。
《え~……と。どうしましょうか……?》
ぱちくりしながら、レナがマイクを二人の方へ。
「あ~、そうだな……」
リュータがスタジアムに漂う白けた空気を気にかけつつ。
「ま、まあこういう場合は、ほら。あれだろ。開始当初のルールに則って、弾薬補給して仕切り直しってのが……」
嫌な空気は直らない。あそこまで盛り上げられてのこの仕打ちに、観客の不満は爆発寸前である。しかし、そこはさすが聖魔王。
「殴り合いッ!! それはもうハリウッドのアクション映画みたいに!!」
有無を言わせぬ鈴蘭の気勢、またその有史以来最もわかりやすい決着方法の提案に、再びの歓声がスタジアムへと帰ってくる。
「い、いや、おい、待てよリリー! だから俺は女を殴るような趣味は……!」
「聖魔王キィーック!!」
どげしっ
!!
「げふっ!?」
リュータはその場に突っ伏した。
「どうだ! 対みーこさん用ジャンピングローリングソバットに改良を重ねた聖魔王キックの味は!?」
「ふっ……ふざけんな!? ジャンピングもローリングもしてねえただのケンカキックじゃねえかっ!?」
「余計な動作を省いて出足を早くしたのが持ち味だ♪」
「じゃなくてだ! てめえいきなり卑怯」
がごすっ
!!
と。起き上がろうとしたリュータの横っ面を真上から踏み付けた鈴蘭。眉をハの字に、ニヤニヤニタニタ笑いながら、ぎゅうぅ、とそれを踏みにじる。
「んでぇ~? なんだっけ、リュータくぅん? 誰がツルペタで洗濯板で前と後ろの区別もつかないってぇ?」
「ちょ……! 誰もそこまでは言ってねぇ……!」
げしっ! げしっ!
「あれぇ~? おかしいなぁ? 確かにいつかどこかで聞いた記憶があるんだけどなぁ?」
聞いたことは事実なのだが、それが五年以上前のとある山中でのこととまでは頭に血が上っていて思い至らない鈴蘭。
「胸で女性を差別する悪魔の申し子に鉄槌を!!」
「え、冤罪だ! 冤罪だー!」
叫ぶリュータだが、観客席からは聖魔王を讃える女たちの黄色い歓声が飛び交い、心当たりのある男どもは聖魔王の逆鱗に触れし者の末路に肩身を狭く青ざめた顔を俯かせ、かくして王の暴挙に異を唱え、哀れな生け贄を救おうという声ついぞ聞かれず。
「ね、リュータ! 謝るのも勇気のうちだよ! そしてちっぽけな過去の諍いを忘れよう! ちっぽけなお金のことも忘れちゃおう! そして私たちはもう一度手を取り合って、輝かしい未来へと向かって行くんだ!」
げしっ! げしっ! げしっ!
「ふざけんなてめえ馬鹿いい笑顔して何本気で蹴り込んでやがる!? んなちっぽけな悪口もちっぽけな金も忘れられねえとはほんとちっぽけな聖魔王だな!?」
「……」
鈴蘭の足が止まる。リュータは口の端に流れる流血を拭うことも忘れ、ひた叫んでいた。
「聖魔王ってのは、そうじゃねえだろう!? お前はもっと寛大な心の持ち主だったはずじゃねえか! 決勝トーナメント開幕のときのお前の演説に、俺たちは心底痺れたんだぜ! この世の全部の種族を集めて、諍いなくまとめ上げてしまおうなんて普通は思えることじゃねえ! いや、思うどころかそれを本気でやってしまおうってんだからよ、お前はほんとに大した奴だと思ったんだぜ!? なあみんな!?」
おお、そうだ、その通りだ、と観衆は少なくない賛同の声を送る。
「卑怯な真似はやめろー!!」
「正々堂々と戦う強い姿が見たいんだ!!」
ひたむきな口々の言葉に背を押され、リュータは眼差しを強くする。
「……わかったかよ。お前は今、魔殺商会会長のリリーじゃねえ……聖魔王、名護屋河鈴蘭のはずだ! ここにいる全員が、そう思ってお前のことを応援してるんだぜ!? お前って奴は、そんなみんなの期待を裏切るってのか!? 悪の組織なんかにいたせいで、そんな大切なことすらどうでもよくなったってのか!? 勝てりゃあなんでもいいなんてのは、ちっぽけなザコのやることだぜ……違うか、聖魔王鈴蘭! 名護屋河鈴蘭よぉッ──!!」
リュータの血を吐くような渾身の叫びに、誰も彼もが温かな拍手を送……。
「聖魔王クラ~ッシュ」
「ぎゃ」
鈴蘭の自由落下させたアサルトライフルの台尻が、リュータの顔面を直撃した。
「上等だリュータ・サリンジャー。胸だけじゃなくこの私の存在自体、生まれてきた意味そのものがちっぽけだとまで言うわけだ。ケンカ売ってるって考えていいんだよね?」
「いや……そういう意味じゃなくてだな」
「それに私、別にスポーツの祭典を開いたつもりはないからね。ルールよく読んだ? 『勝負方法問わず』。卑怯なコトしちゃダメだなんて、私一言も言ってないし。それに聖魔王も一人の人間だから。聖魔王である以前に悪の組織の総帥だから」
「そっちが先なのかよっ!?」
そのままぺったんぺったん、杵で餅をつくように。実際には、ガゴスガゴスとM16を打ち付ける。
「で、誰の胸がちっぽけだって? 早く謝っちゃった方が楽になれるよ? まあ私は謝らないでもらえた方が長く楽しめるからいいけどね♪」
ガゴスガゴスゲシガゴス
!!
「ちょっと待てっ! 待っ……!」
鈴蘭は倒れたリュータをガンガン打ち付け、また蹴り込んでいく。
ここだけの話。
聖魔王が見せたそんな悪鬼羅刹のような様は、身に覚えのあるレナも軽く引き、そしてまた自省を促すほどの勢いだった。
②
観客という観客が聖魔王の暴虐に怖れ戦き……要するにドン引きする一方で、片隅に用意されたテーブルでは、みーことエルシアが二人の様子を眺めながら、それぞれに緑茶と紅茶をたしなんでいた。
「……」
エルシアが、それとなく自身の胸元を見下ろしていた。
「……」
それからふと、みーこの方を見やる。
「何じゃ、お嬢?」
「……そういうのがいいのかしらね」
「ああ。なるほどの。まあお嬢はまだ若いからの。気にすることはないよ」
みーこは笑い、のほほんと茶菓子の煎餅を食む。
「別に気にはしていないわよ」
エルシアはクッキーを一口。
「ただ、食べた分だけ大きくなるようなものなのかしら、と思って」
パキン、と煎餅を嚙み砕くみーこ。
「お嬢も育ち盛りだからの。たくさん食べればよいよ」
「あら。あなたほど大口ではないもの」
まったく同じタイミングでそれぞれのお茶を一口。そして深々と一息。
もし、魔人に連なる者が半径十メートル以内にいたならば。半径十キロ以上先に脱兎の如く逃げ出すだろう、そういう雰囲気。
「前々から思っておったが、お嬢は遠慮というものを知らぬのう。そんなだからいつまで経ってもお嬢なのだよ」
「奇遇ね。私はあなたの上から見ているような物言いが気に入らなかったわ。トシを取るってそういうことなのかしらね」
そしてまた、それぞれのお茶を一口。
器を置くと同時に、みーこは百匹のノヅチを地中より呼び覚まし、エルシアは魔導書をテーブルに置いたまま手の平かざし光線で薙ぎ払う。
ノヅチの出現によりスタジアムの三分の一が損壊し、エルシアの魔法によってもう三分の一が吹き飛んだ。
《ちょっと!? 何!? 何ですか!? 一体何が!? 逃げて! 皆さん逃げてぇえええええええええええっ!!》
司会の女が喚いているが、二人にはどうでもいいこと。取っ組み合いのケンカの足元で蟻が右往左往していても、気にする者などいないように……観客席から逃げまどう誰彼にとって、二人はそういう存在であった。
「それだけ生きておっても、尻を叩いてやらねばわからぬようだの。小娘が」
「お母様の配下であったあなたが? 老体風情が、冗談でしょう」
魔力を手の平から奔流させるエルシア。ほぼ同時、瀟洒なハンマーをその光線に打ち付けるように振り下ろし、消失させるみーこ。双方の攻撃はしかし奇妙な共鳴を呼び起こし、勢いよくぶつかった水が四方八方へ飛び散るように、さらなる破壊を周囲へと呼び起こし……。
◆
たっぷりと暴れた一時間後。
「……飽きたわね」
ぽつり、唐突にエルシアが言った。
今またハンマーを振り上げようとしていたみーこは、その姿勢のままぱちくり。嘆息さながら手を下ろし、杖にもたれるように地に突いた。
「……ほんっとにぬしはやんごとなきお嬢だの。ここまでやったものを」
センタービルが無傷であるのが不思議なほどの、灰燼の荒野である。
「が……わしもそろそろ腹が減ったところだよ」
「洋食なら付き合うけど」
「構わぬよ。箸くらい言えば出るであろう?」
気が付いたらそこに現れて、いつの間にか消えてなくなる竜巻のように。人々にとっては、そういう天災のようなもの。
瓦礫の山の一角から、ごそ、と抜け出したのは霧島レナ。
《え……え~……。あ、あ~。テステス。こほん。マイクとスピーカーが奇跡的に無事なようですが……生きてる人、いますか……?》
辛うじて逃げ延びた観客が半分。逃げ遅れ、伸びた観客が半分。マイクとスピーカー同様、奇跡的に死傷者もなし。それというのも結局はエルシアができる範囲で加減し、魔力の反射を計算したり、みーこがノヅチを壁代わりに現し、魔法や衝撃波の余波をカバーしたりした結果なのだが……それに気付く者なし。
「はいっ! 生きてるっ! 聖魔王強いっ!!」
両拳を突き上げ、瓦礫を押し退け立ち上がった鈴蘭。
「勝ち誇るのはまだ早いぜ、俺だって……!」
同じく瓦礫を撥ね除けたリュータが見たものは……がちゃり。鈴蘭が隠し持っていたサイドアーム、ベレッタの銃口だった。
「お、おい………」
鈴蘭は、にへら。
「霧島君? ルール変更は受理されてないよね? 勝負はショック弾頭の撃ち合いでのみ決着」
《はい……その通りです。リュータ・サリンジャーは殴り合い勝負を認めませんでしたから》
「ってことで。グッバイ♪」
「マジかあああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
そんな絶叫を他所に。ショック弾頭がリュータの眉間に炸裂した。
《勝負あり!! 勝者、聖魔王鈴蘭様とみーこ様ペア……なんですけど》
レナの語尾が寂しく窄んでいく。
当然、聞いている者などいるはずもなく。夕暮れを前に一陣の風だけが荒野に吹き抜けた。マイクを下ろしたレナが髪を搔く。
「……鈴蘭様ぁ。どうするんですか、これ……せっかくの決勝戦が、これは一日二日じゃ直せませんよ」
「でも一週間かそこらでできたスタジアムでしょ? エリーゼちゃんのとこに頼めば、またそれくらいで直してくれるってば。大丈夫大丈夫!」
③
そんなこんなで要請を受け、その日のうちに魔殺商会を訪れたエリーゼ社長。話し合いの席に着くなりこう切り出した。
「バーカ!! バーカ!! バーカッ!! 自分とこの不始末ウチに持ってくんなカスっ!! 死ネっ!!」
負傷者数と被害状況を知り、改めてことの重大さを理解した鈴蘭会長平謝り。
「いや、そこを何とか。曲げてお願いしたいわけで」
「曲がるも直角も知るかボケっ!! わたしだって一歩間違えりゃ消し飛ぶところだったわよッ!! まずその謝罪と賠償金が先でしょうがッ!!」
ガンガンテーブルを蹴り上げながら恫喝を繰り返すエリーゼ社長。コメツキバッタもかくやの勢いで頭を下げる鈴蘭会長。
「はい、はい、おっしゃるとおりでございます。それでその、何とか一週間……」
「はあ!? ウチの社員の半分も病院送りにしといてなに寝言吹いてんのこの兎さんは!? 人手足りるわけないでしょーが一週間で直るかっ!! とりあえず全員ノシ付けて返セ」
「いや、だけどそれはほら、うちのみーこさんもさることながらうちと関係のないエルシアさんも、その、あれなわけで……」
「つーかそもそもあんな歩く核爆弾ども表に野放しにしてんじゃないわよっ!! 首に縄付けて地中投棄しとけ廃棄核燃料みたいに!! そのためだったらいくらでも穴ぁ掘ってあげるわよ、ああっ!?」
ううむ、と唸る鈴蘭。
「……あの二人が聞いてたらただじゃ済まないんだから」
「そう? 呼びたきゃ呼んでくれば? そっくりそのまま同じセリフ吐いてあげるけど、この屋敷が消し飛んだところでウチは絶対直してやんないわよ? そういう意味ではただじゃ済まないでしょうね?」
鈴蘭としても、それは困るわけで。
エリーゼの背後に控えている翔希を、ちらと見やる。
「う~……長谷部先輩からも、なんとか言ってあげてください」
「そうだな。エリーゼ、もうそのくら」
「バイトが社長に意見すんナ。すっ込んでろカス。とにかく死ネ。丁度いいから魔殺商会にあげるわこのバカ」
「いや……あの、そういうの、間に合ってますから」
鈴蘭は押し売りを断るように手を左右。
「もらってくれたらスタジアム直してあげるわヨ」
「うちにも人事権というか、選ぶ権利みたいなものが」
「本当にヒドイ会社だわ、ねえ翔希。あんたとあんなに仲良しごっこだったのに、いらないんですって。人の本性なんてそんなものよ」
「俺……もう帰っていいか。実家に」
そっぽを向いて体育座りを始めた翔希の背中へ、鈴蘭は声をかけた。
「翔香さんに毎日ニート呼ばわりされるのが嫌で家を出たんじゃ?」
「毎日ビールと競馬新聞買いに行かされる自宅警備員の方が、よっぽどマシな気がしてきた」
鈴蘭の後ろにいたクラリカが、護衛の役も忘れてふわわとあくびする。
「翔希さんも大変っすねぇ。ま、働くだけが人生じゃないっすよ。しあわせあれ」
「くっ……」
歯嚙みしいじける翔希を横目に、エリーゼが真面目な顔で手を打った。
「わかったわ。そのメイドと翔希を交換しましょうよ。それでつまらないことは忘れて、スタジアムの修繕を請け負ってあげる」
「あたしは翔希さんみたくお安くないっすよ~。月々三十万円もらってるっすからね」
したり顔で笑うクラリカ。なお俯く翔希。
「……俺の倍かよ」
「安っ。じゃあウチは月々百万出してもいいわよ」
ふら~、とエリーゼの方へ吸い寄せられていくクラリカの腕を、鈴蘭はがっしと摑まえた。
「汝お金につられることなかれ」
「鈴蘭さん。働くだけが人生じゃないっすけど、世の中はお金っす」
同調し、エリーゼは小悪魔じみた八重歯を覗かせる。
「そうよ、結局あんたんとこはいくら出すかって話でしょうが。誠意を見せろって言ってんのよ、誠意を。おわかり?」
ケタケタ笑うエリーゼに、返す刃を持たない鈴蘭。そんなオトナの話し合いが始まろうとしたときだった。
「にゃ~……ラトゼリカ来てない~?」
ぽそぽそ頭を搔きながらドアを開けたヴィゼータが、室内を見渡す。
「あれ? カッコ。ラトゼリカさんは……確か今日はセンターの受付じゃなかった?」
「そうなんだけどね? 昼番だからもう帰って来てるはずはず~。番組行く前にリップルラップルと一緒にご飯食べる約束だったのに、ケータイ電話にも出ない出ない」
がっくり、ダメダメと首を振る。そうしてドア口を塞ぐヴィゼータを押し退けるようにして、今度は貴瀬が駆け込んできた。
「少し話があるのだが……」
ソファにかけたまま、ガン、とテーブルに足を載せたエリーゼ。
「丁度よかったわ伊織貴瀬。ここの会長アホみたいだから、あんたを呼ぼうと思ってたところよ」
「ふん、当たり前だエリーゼ・ミスリライト。会長なんて役職は大概お飾りと相場が決まっている。そんなことより……」
「ひどい! ご主人様、社長のくせになんて暴言を! しかもそんなことって!」
貴瀬は摑みかかるような鈴蘭の顔面を、鬱陶しそうに手で押し退け。
「いいから聞けこのクソ馬鹿ぺったんこ」
「あーっ!? 思い出したーっ!! なんかリュータと違うと思ってたけど思い出した!! ご主人様が全ての元凶だったんだ!! 聞いて、エリーゼ! 今みたいな暴言がなければ私は勘違いすることもなかったし、みんなから卑怯者呼ばわりされることもなかったし、結果としてサクッと勝負も片付いてみーこさんとエルシアさんがケンカする事態にはならなかっ」
ぽか、すか……ぽかんっ
!!
「痛ったたたたた……! 何するんですかご主」
「俺が聞けと言ったら黙って聞けばいいのだこの成人しても前か後ろかわからん立体二次元が!! 大陸間弾道聖魔王鈴蘭ミサイルにして、飛・ば・す・ぞっ!!」
拭い去ることのできぬ過去と真の罵倒というものを思い出し、大人しくソファにかけ直す聖魔王猊下。
「二次元て……二次元はいくらなんでもあんまりだ……ペタンコだとしてもペラペラではない……」
しくしくしく。
イライラしたようなエリーゼの顔付きは変わらない。
「……なに。話は終わった? わたし、帰っていいわけ?」
「いや、待て。ある意味貴様も信用できるだろう」
神妙な貴瀬の声に眉根を寄せ、小首を傾げるエリーゼ。貴瀬がノートPCをテーブルに開く。ヴィゼータ、クラリカ、翔希も寄ってきて、目を醒ますように気を取り直した鈴蘭が言った。
「それ、ウィル子ちゃんのパソコンじゃ?」
「ククッ……そうだ。準決勝の最中、姿を消したウィル子が残した文書データだ。面白いぞ。読んでみろ」
ニタニタ笑う貴瀬を除き、面々は人垣を作ってモニターを覗き込む。それらの面持ちが真剣なものへと変わるまでには、そう長い時間はかからなかった。
「……ご主人様」
危機感を含む声で、真っ先に顔を上げたのは鈴蘭だった。
「これ……、事実なんでしょうか?」
「笑い飛ばすに相応しいような突拍子もない情報だが……あのウィル子が引っ張ってきたものだ。そしてついさっき、エンジェルセイバーから裏を取ることができた」
感嘆混じりに鈴蘭が言う。
「エンジェルセイバーが……? よく喋りましたね」
「別に口を割らせたわけではないのでな。こういう情報が流出しているぞ、とおもむろに教えてやったら、向こうが勝手にビビったのだ。それが何よりの証拠だろう」
絶対に表に漏れることのない、また漏れてはならない、故に鉄壁であるはずのセキュリティを破られたのだ。

鈴蘭は首肯。
「で、ウィル子ちゃんは」
「帰っていない」
今度は全員が、はたと顔を上げた。
「俺にその内容を読んでおけと言い残し、そのまま画面の中に消えてしまった。だから逆に聞きたいのだが……夕方以降、ウィル子の姿を見た者はいないか?」
銀縁眼鏡を押し上げた貴瀬が見回すが、名乗り出る者はない。
「……ふん、となれば簡単だ。何かに気付き、一人で首を突っ込んだ。そしてドジを踏んだ」
現役の頃と何ら変わらぬ目付きをした翔希が、呟くような低い声で言う。
「ミイラ取りがミイラになった……ってことか? この何人かの行方不明者を捜して」
クラリカが首肯。
「そう考えるのが妥当っすよ、翔希さん。ウィル子さんはヒデオさんのことを、必死になって捜してたっすからねぇ」
「でもちょっと待って」
鈴蘭が悩み半分の面持ち。
「まさかあのアーチェスさんが? 本当に?」
「以前にうちに警告が来たのを忘れたか、鈴蘭」
貴瀬が言う。
「この文書にも記録されている。アルハザンが何かを企てている、という警告だ」
「だからそれにはちゃんと注意を払ってて、でもこの前の会食のときに和解して、みーこさんもそれを認めて……」
「君は下手にそうして会っているから、そんな印象を抱かされているのではないか?」
鈴蘭がぎょっとしたように目を丸めるが、貴瀬は否定。
「ああ、まあそれが悪いとは言わん。そうして誰とでも馴れ合えてしまえるのが君の良いところだ。聖魔王と慕われるのも、悪の組織の総帥として部下たちが慕うのも、そんな明け透けなところが美点だからだろう。ただ……」
念を押すように、貴瀬は一旦言葉を途切れさせる。
「俺は話でしか聞いていないのでな。そこまで心を許せるような相手には思えんのだ」
「でも、だったらご主人様だって一度会ってみれば……」
「悪いがいま言っているのはそういう問題ではない。俺のようなスレた視点の持ち主から見れば、アーチェスと失踪事件とは結びつけない方がおかしい気がする、という話だ。エリーゼはどうなのだ。クロスフラッグスのときに会っているだろう」
彼女は、非常に冷めた顔付きをしていた。
「あいつが何かやらかしている、って証拠ならないわよ。だったら見た目云々の話をしたって無駄でしょうが? 伊織貴瀬」
「そうだな。それも一理あるが、証拠がないからこそとりあえず誰に当たりを付けるかという話だ」
「そうね。だったら……一言で言えば気に入らないわね」
と、一度は甘言を弄されたエリーゼが言う。
「なるほど。珍しく意見が合ったな」
「あんたらの次くらいに気に入らないだけだけどー」
「その会社のバイトはどうだ」
クソガキとすら呼ばれず空気のような扱いを受けたことに、口を尖らせる翔希。
「……まあいいけどさ。そうだな。俺の視点で言えば……」
虚空を見上げ、それを思い起こすような仕草。言葉はすぐに見つかった。
「鈴蘭と同じ印象だ。気の良さそうな人にしか見えなかったな。魔族なんて言うから、もっと凄みのあるものかと思っていたけど……会ってみて、拍子抜けしたくらいだ」
「あんた、その後は何も思わなかった?」
不意のエリーゼの問いかけに、翔希が目を瞬かせた。
「なんだよ、その後って」
「あっそ。ま、あんたは良い子ちゃんだから別にいいけど」
言い置き、エリーゼが声を鋭くした。
「気に入らないのよ。あれだけ人の好さそうな顔して、愛想よく振る舞って、それなのにやたらペテンが回るのよ。ほんとのペテン師みたいにね」
「そんなに言うなら、とりあえずさらって締め上げてみればいいんじゃないっすか~?」
ウキウキとモーゼルを眺めるクラリカの言葉に、貴瀬がやれやれと頭を搔く。
「ま、結局はそれが一番早いわけだが……」
「にゃ~ん。で~んわ~……おっとぉ、ラトゼリカぁ!」
場の雰囲気など微塵も気にせず、ヴィゼータは部屋の隅っこに移動。その明るく吞気な会話に、一時の緊張も解れようというもの。
「え~。なになに、残業~? ごはん~。うんうん。あ、なるほどね~。みんなと一緒に? ……カレシじゃないよね? 殺すよ?」
はた、と驚いたようなのは鈴蘭。
「うん、おっけーおっけー。はいは~い、じゃ、まったね~」
「……え? なに、カッコ。ラトゼリカさんに向かってそんな。ケンカでもした?」
ぽそぽそと髪を搔くヴィゼータ。
「ううん、犯人から。ラトゼリカ、捕まってるって」
「「「……」」」
たっぷり一秒ほど後。
「いつ!?」
「どこで!?」
「犯人は!?」
「要求は!?」
「……あのね? ワタシも聖徳太子じゃないからね? 場所とかそんなの言わなかったけど、とりあえず大人しくしてろって。なんか変な声してたから、変声機?」
言いながら、既に戦闘用の黒衣装に変身を終えていたヴィゼータ。
「というわけで、ちょっくらサイコロステーキ作りに行ってきます」
「ちょ、カッコってば」
慌ててそのマントの端を摑まえる鈴蘭。
「そんな、場所もわからないのに」
「にゃ~……だよね~。やっぱり待ってたほうがお得お得?」
「え? お得って?」
「あとでまた連絡するって」
④
「通ジタ……ノダロウカ?」
《にはは、まあ大丈夫なのですよ~。ヴィゼータさんはあれが仕様なので》
ウム……、と一息。段ボール箱の中のスモークはラトゼリカの携帯電話を畳み、懐へしまった。もう片手の携帯ゲーム機の液晶画面には、ポリゴンですらない完全な二次元ではあるが、ウィル子が映っている。
「信ジラレン……君ハ本当ニ、コノ中デ生キテイルノカ?」
《だからそう言っているのですよー》
「ウム……」
《ですがスモークのおかげで助かりました。ウィル子も自分のことはあまりよくわかっていないのですが、あれはやばかったと思います》
センタービルというシステム全体の、物理的なシャットダウン。電話線も電線も通れない。電波源すらない。自宅に使っているPCとの完全な隔離は初めての経験だったが、さすがに危険なものらしい。
クロスフラッグスのときはレールキャノンを撃てるほどのエネルギーをかき集められたが、その隔離によって、増幅回路の最初のダイオードが欠けたとでも言うべきか。突然足元を失い真っ暗な宇宙に放り出され、全ての平衡感覚を失ったようなものだ。エネルギーを生み出すどころか、依るべき五感がまずあやふやになってしまった。
手で触れたはずの受付のモニターには入れず……その時、消え失せる視界の中に見つけたのが、ゲーム好きのラティがカウンターの下に隠していた暇潰し用の携帯ゲーム機。片やダブルスクリーンLiteのタッチペン付き、片やプレステポータブル8GBメモリー付き。
溺れかけた漆黒の夜の海の中、足の爪先に岩礁の先端を見つけたような奇跡だった。
8GBメモリー即ゲッツ。なんか割とヤバげなデータもあった気がするが、気にせず食い尽くして住空間確保。あとはのほほんとこの二次元の手狭な空間で残ったデータの欠片をかじりつつ、ノイズ混じりの影だけ浮かべてアーチェス相手にや~ら~れ~た~の小芝居一つ。
そうしてじっと身を潜めた結果、ラティはすぐにどこかへ連れて行かれたが……ロビーが無人となった瞬間に、ウィル子入りのそれを手に取ったのがこのスモークだった。
《スモークこそ、とっくに火星へ帰ったものかと思っていましたが》
「ウム……。ソノハズダッタガ、都市ヲ脱シヨウトシタ俺ノ元ニ届イタノハ、アノぐれいノ未帰還報告ダッタ……」
彼らは地球に対して不干渉の協約を結んでいた。しかし遠い大銀河からのグレイが行方不明となった今、彼に対し何らかの危害があったとなれば再び銀河間問題が再燃する。グレイを救出し、それを未然に防ぐため、火星軍特殊部隊、フェックスハウンドに再び任務が下されたのである!
行け、ガス・スモーク! 君が宇宙の平和を取り
戻すのだ……
!!
『……それはまあ、煙は気体ですが……』
「ウム……マア、ソレハコッチノ話ダ……」
《それで、今まで一人で調査を?》
「ソウダ。ダガ俺ハぐれいノ奴トハ違イ、ふぇっくすはうんどノ一員トシテノすにーきんぐみっしょんダ……」
基本、公に姿をさらせない身。グレイが帰らないまま、しかし不干渉のはずの地球に火星軍がうろちょろしていたとなれば、それだけであらぬ疑いがかかるのは必至。
《うは……それはなかなか難しい状況ですね……》
「ソレニ、誰ガ味方カモワカランヨウナコノ状況下デハ、誰ニ協力ヲ得ラレルカモワカラン」
それもある。これだけ巧妙に事を進め、内外に人員をばらまいているアルハザンだ。用心に越したことはないが……この場合はすでに顔見知りのウィル子。あのヒデオのパートナーであり、明らかに対立していた事実が、スモークに再びの接触を決意させた。
決意というか、情報がないかと回収してみたゲーム機になぜかウィル子が入っていたのだが、スモークにとっての初めての協力者であることに違いはない。
《それでマスターは?》
「ウム……連レテ行カレルトコロヲ、俺は確カニ目撃シタ。一カ八カ、超指向性すぴーかーデ〝キヲツケロ〟ト注意モ促シタノダガ……ドウモ、心ココニアラズトイッタヨウスデナ」
《そのまま連れて行かれてしまったと?》
「ソウダ。アノ猫娘ト一緒ニ、えれべーたーデ上ニ向カッタマデハ確認シタガ……びる自体ノ広サモアッテ、ソコカラノ足取リガ摑メン」
《動体センサーや生命探知機みたいなものは、持っていないのですか?》
「アル。ソシテ人質ノ閉ジコメラレテイルふろあモ、先日ツイニ発見シタ」
《!!》
喜色を浮かべるウィル子だが、スモークは苦悩するような声だった。
「ガ……ソコニハ、ひでおモ、肝心ノぐれいノ姿モナカッタノダ……」
《え……!? ちょ、ちょっと待つのですよー! それは一体、どういう……!》
そのとき、ドアの開く音がした。
「……」
《……》
スピーカー音量が大きすぎたか。
システムは既に復旧しているらしい。室内の明かりを灯すスイッチの音。段ボール箱の中なので、外の様子まではわからないが声が聞こえた。
「猫の耳はいいのですニャ……」
用心深く低く抑えた声。間違いようもない。
(あの愛想のいい大家さんが……まさか、敵だったとは)
あの急場ではあったが、ガーベスらと共に襲いかかってきたとき。ウィル子は騙されるということを、心底味わった気分だった。それに加えての次の声。
「ボクの耳には何も聞こえなかったけど……ミッシェル、ネズミと間違えたんじゃない?」
(霧島さん……!?)
半信半疑でしかなかったウィル子は絶句した。
じゃあ、本当にそうなのか?
「ネズミの気配じゃなくて、ちゃんとした声が聞こえましたのニャ。携帯電話から漏れる、女の子の声みたいでしたのニャ」
確かに小型スピーカーから発したものだが、段ボールの覆い、しかも室外からそれを聞き分けたというなら呆れるほどの聴覚だ。頭の上の三角の耳、本当の意味で飾りではないらしい。
そうして二人分の足音。探し回るように、気紛れな方向を向く気配。
「ザジから聞いたけどさ、そんなことがあったから神経過敏になってるんじゃないの?」
「そですかニャ? でもこっちも危うく死にかけましたニャ。あんな攻撃は反則ですのニャ」
「ふぅん……でも死んじゃったんだね、ウィル子ちゃん。川村ヒデオなんかとペアになったせいで……ところで、あいつは? もう死んだの?」
(ッ……!!)
決まりだ。
霧島レナは黒。
ウィル子の内面に、憤りと、一方でヒデオに対する不安と。
「それがまだまだしぶとく生き残ってますのニャ。たぶん、他の奴らが庇ってますのニャ。本人が死にたがってるんだから、さっさと死なせてやればいいのにニャ。余計なお世話ですのニャ」
「ふぅん。そ。ま、いいけど」
室内のぐるりを歩き回ったような後、二人は立ち止まった。
「何なら今度、一緒にイジメに行きますかニャ?」
「ん……。いいよ、もう。パパにも怒られちゃったし。痛めつけて気が済んだせいかもしれないけど、やりすぎたなって……」
「そですかニャ」
「あんなのに本気になったってさ。それは段ボールハウスに石投げたりする連中と一緒なわけじゃない。確かに恥ずかしいなって……反省してる」
あは、あはは。
まともに動けるなら、この場にヒデオがいて万全の状態なら、ウィル子は今すぐ槍でも剣でも光線でもありったけをぶち込んでやりたい気分だった。せめて何か一言、言い返してやりたい。
でも、今はダメだった。どうやらヒデオは、いつ死んでもおかしくない状況下に監禁されている。なら、こんなことで自分がキレてどうする。ヒデオの受けた苦痛、屈辱はこんなものではないはずだ。それでもなお、彼は生きているというのだ。
ならば今は耐えるとき。
アルハザンの核心にいる間抜け二人が、堂々と情報をだだ漏らしにしているのではないか。だったらこちらこそ笑ってやれ。そしてよくできた貞淑なスパイウェアのようにただそこにあり、何の気配もなく、情報を掠め取れ。それが今の自分にできる全てだ。
「心の病はムズカシイですニャ。ところで……」
ところで、何だ……とさらに耳を澄ませた矢先。
「……なんで女子更衣室に温州みかんの箱がありますのニャ?」
「!」
スモークが明らかにぎくりとした。
(ド……ドウイウコトダ……! 段ぼーる箱ハ、ヤハリ魔法ノ箱デハナイノカ……!?)
(品名が空気読まなすぎなのですよ~っ……!!)
カツコツ、近付いてくるレナの足音。
「……ふぅん。しかも今日捕まったラティさんのロッカーの前にあるわけだ。女の子の声って言ってたし、ただのヘンタイさんじゃなさそうである意味安心したけど」
画面の中のウィル子は、ガクガク、ブルブル。だが、そこはスモーク。異星間隠密任務を単独遂行するほどの腕利きエージェントは、動揺を表に出さず……いや、そうした戦士の性として、危機的状況下へ追い込まれるほど冷静になっていく。
そして油断なく爪を構えたミッシェルが、勢いよく足を振り上げ……。
「さっさと姿を現しますのニャ!!」
段ボール箱を蹴り飛ばした。
『……ッ』
液晶の中でぎゅっと目を瞑ったままのウィル子。
だが。
「……」
「……」
「はぁ……なんか、バカみたい。いない相手に向かって喋ってたなんて……」
ぐったりしたようなレナの声。すぐに踵を返す音がした。
「やっぱりさ、ミッシェルは神経張り詰めすぎなんだってば。大体、段ボール箱で潜入するなんて現実的に有り得ないでしょ。不可視結界とかならまだしも」
「ニャ……やっぱり、そですかニャ……? ちょっと自信なくしましたのニャ」
と耳をピコピコ。
「さ、早く戻ってパパとこれからのこと検討しなくちゃ。みーこ様とエルシア様のせいでもう大変だよ……」
「そでしたニャ。ほんと魔殺商会が関わると、ろくなことになりませんのニャ……結局、地下の連中の作業も遅らせますかニャ?」
地下……
!?
「うん、そうみたい。ついでに伝えてきてくれる?」
「それが今日は、おかげで人手が足りませんのニャ。霧島さんにちょっと手伝って欲しいのですけどニャ……」
電灯の明かりが消え、足音も遠ざかっていく。
暗がりに光の剝がれるような電光が生じ、スモークの姿が現れたのは直後のことだった。二人が退出するのが一秒でも遅れていたら、見咎められていたことだろう。
《助かったようですが……スモーク、今のは一体……》
「フフフ……。コレコソガ、地球上ニ生息スル、たこノ擬態ニひんとヲ得テ開発サレタ能動的迷彩……ソノ名モ、おくとぱしー・ゔぃじょんダ!」
《なるほど》
「……」
《……》
「……火星ノ最先端技術ダゾ、うぃる子」
ちょっとした驚きや、羨望を期待されているらしい。
《え~、しかし地球にも光学迷彩とかステルス迷彩とかそれこそつい最近オクトパスな迷彩とか、まぁ色々ありますので……全て実用化されていませんが》
インパクトとしては、ちょっと薄かった。見る側ではなく隠れる側だったし。
「……ウム」
ちょっぴり寂しそうな声を残し、スモークが起き上がる。
「ダガ、ヤハリ試作品カ……コノ大キサデハ、一分カソコラノ使用ガ限度ノヨウダナ」
作動の名残か、スモークのベルトに括り付けられた四角い箱が、あたかもショートしたように小さな火花を散らしていた。
《ですが、おかげで大きなヒントを得られたのですよ~!》
「アア。コノびるニイナイ者タチノ行方……今ヨウヤク、ソノ謎ガ解ケタヨウダ……!」
⑤
地上七十八階。
それが彼らの閉じこめられ……そして今また、ラティの放り込まれたフロアであった。
「どうにかして甲士郎の奴にこっちの無事を伝えたかったのだが、スーツの修理を四六時中見張られてな……」
唸ったのは喫茶店のマスターでも似合いそうな壮年だった。ジャバンのパートナーで、みんなからはおやっさんと呼ばれているらしい。
「ハニ悪さんはやっぱ、男の中の男だからよぉ……俺たちのこと、心配しちまって自由に動けねえんだと思うんだ……。あの人の手にかかりゃあんな連中、屁でもねえハズなんだ。俺のせいで……くそ、情けねえ……」
こちらはハニ悪のパートナー、ジョニー。金髪リーゼントの青年だが、いまいち決まらぬ垂れ下がった髪型が、そんな彼の心象を表しているようだった。
「若がこのような老骨を案じてくださろうとは身に余る光栄……。しかしながら、あのような低俗な奴らめに虐げられていると考えると、おちおち寝てもいられませんわい……」
目のぎょろっとした鉤鼻の老執事、サンゼルマンが、ただでさえ曲がった背中をさらに丸めて気落ちしていた。
「私も、嫁入り前の若い身空であるお嬢様が心配でなりません。若さ故に、一緒に捕まっているだろう他の皆様に、ご迷惑をおかけしていなければよろしいのですが……」
これは一時期爆弾魔と怖れられたアカネのパートナー、アッシュ・ブランケン。無骨な甲冑を纏ってはいるが、その兜の下の表情は、やはり心労に疲れた様子だった。
「大手を振って事務所に帰れると思ったんですがねぇ。これだから野蛮な連中は嫌なんですよ。レミーナの歌声が失われるということが、世界的な損失であることを考慮していないんですからね。ええ」
いかにも業界人、今どき「ザギンでシースー」等言っても違和感のなさげな風体の田岡が、くいくいと色眼鏡を押し上げる。
そこに、一人の男が颯爽と立ち上がった。
「つまりこれは全て、息子の住人の陰謀だったんだよッ!!」
「なっ、なんですってぇーっ!?」
喫驚するラティ。
「ばうっ」
これは大佐の愛犬、ロッキー。
そして静寂。
「へ……へへっ……。スゲエや姉さんは……。コバヤシさんの話が理解できるなんて……」
「いやはや、私めのようなトシになりますとお若い方の話はどうも……」
ジョニーがゴクリと息を吞み、サンゼルマンが温かい目で見守っていた。
「あ、いえ……とりあえず、状況は大体わかりました」
咳払い一つ。
信頼する者同士が参加するのがこの大会。そんなペアのそれぞれを分けて人質にしたのでは、どちらも相方が心配で、身動きなど取れるはずがない。そして彼らの話では、ペアの主戦力、とでも言うべき方は、何らかの目的のため、こことは正反対の地下深くに閉じこめられているという。
言い換えればここにいるのは、放置してもさほど害はないと判断された者たち。
だからフロア一つを自由に移動できるし、寝泊まりの個室も用意されていて、こうして談話するためのスペースまである。問題は、エレベーターと非常階段の入り口には二十四時間態勢で二人一組の見張りが立っていること。非定期的にガーベスのような幹部が見廻りに来ること。
(でも……そうね?)
自分たちはウィークポイントではある。
だが、それ故に警備は甘い。地下の状況はわからないが、脱出すると決めた場合には……警備のウィークポイントもまた、こちら側ではないのだろうか。
無論、あのアーチェスか、ザジか、ガーベスか……ああした幹部クラスが一人でも出てくれば、それだけで全員が致命的状況になることに違いはない。人間たちにとって、戦闘技能に特化した魔人とはそういうものだ。
だが、それら全てが出払ったタイミングさえ摑めたなら……これだけの人数がいるのだ。
ラティはまず、そんなところから意見を聞いてみた。すると当面のリーダーであるらしいおやっさんが、力強く頷く。
「うむ。ここまで頭数が揃った以上は、そう考えるのが妥当だろう。それにどうこう言ったところで、わしらが甲士郎たちの足を引っ張っている事実に変わりはない」
言い換えれば。
「万一俺らがしくったってよ……ま、それはそれでハニ悪さんたちにとっての足枷がなくなる、ってこった。そうだろ、おやっさん」
ジョニーの言葉に、おやっさんは生真面目な顔で頷いた。
つまり。自分たちが死んだら死んだで、下にいる者たちが気兼ねなく動けるようになる。ジョニーが述べたのは、そういう悲壮な決意の言葉。そして、ラティにとって驚くべきは……それに異を唱える者が誰一人、いないということだった。
ペアと言っても所詮、血の繫がりもない赤の他人。自分の命は自分の命。そう考える者が、この中には一人としていなかったのだ。
命懸けではないとルールに定まったからこそ、これまで見えることのなかった結び付きの強さが、そこにはあった。だが、故に互いが裏切ることはないとアルハザンに見初められた彼ら。皮肉と嘆くよりは、その狡猾さを憎むべきか。
「ひっひ……若にばかり、ご苦労をおかけできませんのでな。そもそも私めは皆様と違い、老い先も長くありませんゆえ」
そう言わずに、とサンゼルマンの肩へ手をやるアッシュ。苦笑がてら、しかしその瞳には静かな炎が垣間見られた。
「本来であれば、この私もお嬢様の身辺をお守りする身。それがいいようにお嬢様を連れ去られ、自分だけが無傷で帰ったとあっては末代までの恥。私にしてみればこれは、万死をもってでも償うべき事態なのです」
「僕も同感ですね。業界にとってのタレントというものは、命より大事な金蔓です。それに救出できれば、デビュー時の話題性も充分です」
飾らぬ言葉で、しかし業界人としての矜恃を見せる田岡。
「ああ。MMMRはいつだって戦ってきた。たとえそれがどんなに恐ろしい予言、陰謀、古代文明、天体現象だろうともな……!」
「ばうっ!」
最後の一人と一匹についてはさすがのラティも意を汲み取りにくかったが、ともあれ気概は充分。いや、今はまだ充分すぎる。
「落ち着いて、落ち着いてください皆さん。気持ちはわかりましたけど、ただ死ぬわけにはいきません。こちらの勝利は、全てのペアが無事に脱出することができて、初めて本物のはずです」
話の流れから仕方なかったが、今しも飛び出さんばかりに血気に逸る彼らへ、ラティはそれをよく言い聞かせる。アルハザンはただでさえ知能的なプレーを得意とする。対するこちらがただのやけっぱちでは、足をすくわれるのは目に見えている。
難しそうな顔で、おやっさんは眉間の皺を深くした。
「だが……それでは一体どうする。今のわしらにあるものと言えば、身、一つだけだ」
「そこ、なんですよね……」
ラティは思考を巡らせる。
「そう……そこが最大の問題なんですけど。最低限、何とかして地下に監禁されている人たちとの連携が取れなければ」
「だが無線機なんてものはここにはないぞ。いや、多少の電子機器が揃えばわしが作らんでもないが……」
ジャバンスーツを開発したおやっさんの頼もしい文言に、はたとポケットを探るラティだったが……喜色はすぐに落胆へと変わった。今日は受付のシフト。携帯電話は更衣室のロッカーに置きっぱなしだった。まあ、持ってたところで取り上げられたか。
おやっさんがかぶりを振る。
「……いや、やはり難しいか。このフロアがすでに地上三百メートル近い。甲士郎たちがいるのは、そこからさらに地中深くだ。電波はとても届かんだろう」
「そうですね……」
窓からは、星の瞬くような夜景が見える。しかし外からこのフロアの様子は窺うことはできない。強化ガラスには、ミラーコートが施されているためだ。だから投光器のようなもので信号を送るのもアウトだろう。いや、仮にできたとして、伝わる範囲が広すぎる。アルハザンに属する誰かに見咎められる可能性は高い。頑張って窓を割れたとしても、この断崖のような外壁を気付かれずに降りるというのは現実的な考えではない。
彼らが調べた結果、このフロアには監視カメラや盗聴器の類がないらしいが、そういうことなのだろう。パートナーを人質とした抑止力で充分であるし、いざ脱出を企てたところで見張りがいる。数十階を駆け下りる間には幹部が現れる。結局のところ肉眼によるそれこそが、原始的だがもっとも有効な監視手段。あるいは、そうした機器によるシステムを構築すれば、ハッキングを受け陰謀が明るみに出る可能性があるとも踏んだのだろう。
今あるもの、自分たちにできる打開策は、やはり見当たらない。まずはどうにかして、ここ以外の外部との連絡。
《にほほ……。にはほほほほほ……》
どこからともなく、愉快げな笑い声が聞こえてきた。きょろきょろと辺りを見回し、どうやら天井近くから聞こえていることに気付く。そうして全員が注視した方向……空調ダクトの格子の隙間から、にゅうむ、とピンク色の携帯ゲーム機が現れた。
「あ! 私のプレステポケット!?」
《ではなく。ラティさん、まずはどっこい生きてた平面ウイルスのウィル子に驚いてください。あと、ポケットではなくポータブルです》
液晶画面の中のウィル子に、冷静に指摘された。
「あ、ごめんなさい。いつもポケステと間違ってしまって……でもよかった、無事だったんですね……!?」
しかし、その端っこにくっついているというか、持っているというか、とりあえず触手のようなものは何なのだろう?
「!? スモーク! 君はまさか、スモークなのか……!?」
「……」
コバヤシが立ち上がり、また意味の汲みづらい発言をするが返事はない。コバヤシ一人なら面が割れているのでともかく、不特定多数が集っているこの状況では任務の性質上、姿を現すことができないのだ。

《あ~、まあとにかく。話は聞かせてもらいました。ウィル子はこれから魔殺商会へ戻り、どうすれば地下のマスターたちと連絡が取れるかを相談しようと思います》
「!……わかりました。鈴蘭様やヴィゼータも、私が戻らないことに不審を抱いていると思います。けど、みんな無茶な人たちばかりだから、人質がいることをくれぐれも……」
《もちろんなのですよー。何か進展があったら、このPSの無線LANを通してウィル子が連絡します》
既に復旧しているセンタービルの回線からウィル子が移動。触手のようなものが投げ落としたゲーム機は、そのままラティがキャッチ。思いがけぬ支援に際し、捕まっていた一同はにわかに活気づいた。
ある一人を除いて。
(……。)
試しに電源を入れたラティだったが、もうOSすら起動することはなかった。