ドン! と天井から大きな音がした。

 慌てて、ディアヴロはレムを抱きかかえるようにして、身をかわす。

 れきと一緒に、黒色の巨体が落ちてきた。

 くろの頭。

 胴体はゴリラのようだ。

 絶叫する。

「ディーアアアーヴゥゥゥーロォォォォォォー!!

「モディナラームッ!!

 クルムが推測していたとおりか。相手の声からは、知性よりも狂気を感じた。

 自分が明日には消滅すると知りながら、配下の魔族や魔獣たちを吸収し、こんな偽の魔王城に姿を変えた。

「ギィヒャーハーッ!!

「《乱心》か」

 ディアヴロはじようを構える。

 しかし、状況はかんばしくなかった。

領域改変弾カスタマイズボム》の改変効果は、予想どおりではあるが、ここまで届いていない。

 モディナラームは大量の魔力を収集したことで、全力に近かった。まともに接近戦をやると、かすっただけでも危険だ。

 そのうえ、レムを守りながら戦うことになる……

 ──勝てるのか?

 いや、勝つしかない!

 ここで倒さなければ、この偽魔王城は止められないのだから!

 ディアヴロはHP生命力MP精神力もポーションで回復してある。それでも、消耗のあまり眠気を感じていた。

「レムよ、自分は役立たず、などと言うまいな?」

「それは……」

「心しておけ──実力も才能も自信もないヤツが、努力から逃げるな。死ぬまでいてこその無能なのだから!」

 彼女がぜんとなる。

 そして、微笑み、うなずいた。

「……はい。もともと、わたしは諦めが悪い性格です」

「よし、俺の後ろから離れるなよ?」

「……ディアヴロ、確証はないのですが、試したいことがあります。《エリクサー》を持ってきていますか?」

「無論あるが、どうした?」

 ディアヴロは《エリクサー》を取り出す。

 神の秘薬と呼ばれていた。ひんの重傷すら一瞬にして治癒し、MP精神力すら完全回復させ、あらゆる状態異常バツドステータスを正常化する。

 レムが重傷を負っているようには見えなかった。

 彼女は敵を指差す。

「……モディナラームに使ってください」

「なんだと!?

「ギョ!?

 頭が目を丸くした。ガクガク、と身体を震わせる。

 レムが説明する。

「……モディナラームが中に入ってきて、わたしの記憶をのぞいたとき……わたしのほうも、あちらの記憶がかいえた気がします。そのなかに《エリクサー》を怖がる記憶があったのです」

「《エリクサー》を怖がるだと? どういう理由でだ!?


「……《乱心》は状態異常バツドステータスですから、《エリクサー》によって消去されるのです」


「なん、だと!?

 モディナラームに、そんな弱点があったとは!

 MMORPGクロスレヴェリでは無数のプレイヤーがモディナラームと戦った。

 しかし、ゲームでさえ超希少な《エリクサー》を魔王に使った物好きはいなかったらしい。

 少なくとも、攻略サイトには、そんな情報はなかった。

 ディアヴロは左手に《エリクサー》を持ち、じわじわと敵との距離を詰める。

「フッ……面白い。試してみようではないか!」

 しかし、結果を見るまでもない。

 モディナラームが後ずさる。

 恐れているのは明白だ。

 ドーム状の部屋の出口を背にして、頭のゴリラが動物園の動物みたいにギャアギャアと騒ぎ立てた。

 ディアヴロは言う。

「隙など見せぬ。慈悲など掛けぬ。この場で、確実に、仕留める!」

「ウッ……ウッ……ウッ……」

「モディナラームよ、消えるがいい!」

「ギョエッ、ギョエッ、ギョエッ!」

 ガシャン! と機械的な音が、ドーム状の空間に響いた。

 山羊頭の額に、記号らしきものが刻まれる。

「何だ!?

 嫌な予感しかしなかった。

 レムが思案顔で言う。

「神代言語の数字……たしか、九、八、七……」

 刻まれた記号が、だんだんと変化していった。それは、数字であり、ほぼ一秒ごとに減っていく。

 どう考えてもカウントダウンだ。

「貴様!」

 山羊頭の口元が、いやらしく両端でがる。

「ナ、ナ、なんじ、共に滅ぶ、べし……ギャハッ! ギャハハハハハハハハハッ!!


「ああ、悪いが……そのパターンは知っている」


 ディアヴロは右手でレムを抱き寄せた。

「ひゃっ!?

 モディナラームの額の数字が、さらに変化する。

 その身体から、せんこうが放たれた。



 城塞都市ファルトラの西門前──

 シェラが矢を放つ。

「てやあっ!」

 黒蛇に直撃した。

 ボムッ! と音をたてて、黒蛇が消し飛んだ。

「うむうむ、やるではないか、シェラよ!」

 クルムが満足げにうなずいた。

 この戦いの前に、シェラの弓はクルムによって更なる強化を施されている。衣服やブーツまでも。

 今や〝魔王装備一式〟と言えるほどだった。

 おかげで、シェラとクルムのいる場所は持ちこたえている。

 一方──

 魔導機マギマテイツクメイドのロゼは、単身で何匹もの黒蛇を撃破していた。

 しかし、もともと不足気味だった魔力が、とうとう底を突きかけている。

「マスターに任されたお役目……この身が砕けようとも!」

 逆に、倒しても倒しても倒しても、黒蛇の数は増えていく一方だ。城が近付くほど、攻勢の苛烈さは増していた。

 ガルフォードの剣や、ラムニテスの魔銃マギガンも、戦果を上げている。

 しかし、他の者たちの場所は、決壊寸前だった。

 兵士たちが黒蛇にまれる。冒険者たちが押し潰される。無数の悲鳴があがった。

 魔術師たちに囲まれたセレスティーヌが、声をあげる。

「がんばってください! もうすぐ! きっと、ディアヴロさんが、あの城を止めてくれますから!」

 気休め──そう思われていた言葉が、まさか実現するとは!

 頭から血を流しつつ、エデルガルトが城をにらむ。

「あ……光?」

 爆発がこぼれた。

 内部から、せんこうあふしてくる。黒蛇の発生源となっている窓という窓から、炎が噴き出した。

 やがて城全体が赤黒い爆炎にまれる。

 人々はぼうぜんと、地上に現れた巨大な火球を眺めた。

 シェラが悲鳴のような声をあげる。

「ディアヴロ!? ねえ、ディアヴロは!? レムは、どこ!?

 その問いに答えられる者はいなかった。

 黒蛇まで延焼し、次々と巨大な焼死体を大地へと横たえる。ジュウジュウ、バチバチと音をたて、灰になる。

 そのあと、光の粒子になって天へと昇っていった。

 炎が小さくなる。

 クルムが城のあった場所を指で差した。

「見よ!」



 爆心地の底に、上半身だけになったモディナラームが横たわっている。

 下半身は消滅していた。

 残った部分も崩れはじめて、すべて消え去るのも時間の問題だろう。

「………………」

 少し離れた場所に、球体があった。

 黒色の玉だ。

 しゅる、と球体を形作っていた布がマントへと変化する。

「ぷはっ!」

 息を吐いたのは、レムだった。

 同じように息苦しい思いをしていたが、ディアヴロは魔王らしさを維持するため、我慢した。

「ふぅぅぅー……」

「……無事ですか、ディアヴロ?」

「レムこそ、どうなのだ?」

「……ん」

 笑みを浮かべた。

 地面に横たわっているモディナラームが、ガチガチと歯を鳴らす。

「ナゼ!? ナゼ? ナ……ゼ?」

 ディアヴロはマントをつまんだ。

「《くらいとばり》という。効果は数秒間のだ。ありとあらゆる攻撃から使用者を守る」

 MMORPGクロスレヴェリでは『効果の対象はパーティーメンバー全員』だったが、使った感じだと、三人が限界に思えた。

 レムが感心する。

「……そんなマントがあるなんて……とてつもなく希少な品なのでしょうね」

「いいや、《くらいとばり》はSR級なのでな。探せば見つかるのではないか?」

 効果は強いが、性能は控えめだった。

 といっても、二~五秒と短く不安定だから有用な状況は限られる。

 魔王のような桁違いに強い相手と戦うときにだけ、ディアヴロは装備しておくのだった。

 ──MMORPGクロスレヴェリでは、三分に一回の頻度で使えたが、この異世界ではどうなのだろうか?

 ディアヴロは、倒れているモディナラームの傍らに立つ。

《エリクサー》を手にした。

 もう抗う力は残っていないようだが……

「また、レムの中に入られては面倒なのでな。消えるがいい」

「マテ……回復スル、が……ヨイのか?」

「ハッタリが下手だな、モディナラームよ。そういう言葉は、自爆する前に言うのだな」

 ディアヴロは管の中身をぶちまける。

 まるで、氷の像に、熱湯をかけたかのようだった。

「アッ! アッ! アッ! キエル! キエル! アッ……ギャアアアアアアッ!!

 濁った悲鳴が荒野に響く。


 大魔王モディナラームが消滅した。


 ディアヴロは何もなくなったくぼみに、ぽんと空になったポーション管を放る。

 焼けた土に刺さった。

 墓標の代わりにもならないが……

 振り向くと、レムと目が合う。

 彼女は左手の薬指をなでていた。銀色の飾り気のない指輪がまっている。

「……あの、ディアヴロ……これは本当に、もらってもいいのですか?」

「う、うむ」

 改めて問われると、恥ずかしかった。

「……言葉にしてほしいのですが」

 難しいことを簡単に言う。

 うごご。

「あー、うー」

 ディアヴロは近づき、レムの肩に手を置いた。

「つ、つまり……だな……」

「……はい」

 背の小さな彼女が、あごを上げたまま、くっと目を閉じる。

 ふるふる、とひようみみが震えていた。

 ──え? え?

 思わず硬直してしまう。

 なんだ、この状況!? 俺は、どうしたら!?

 そのとき、街のほうから、シェラの声が聞こえてきた。

「ディアヴロ~!! レム~!!

 名を呼ばれて、そちらに視線を送る。

 声をあげたシェラだけでなく、クルムやロゼや他の者たちも、駆けてくるのが見えた。

 レムが応える。

「シェラー!! クルムー!!

 ディアヴロは腕組みし、おうようにうなずく。

 ──ああ、やっと終わったな。


 レムが笑みを浮かべ、尻尾を振った。

「ディアヴロ!」

「む?」

「……わたし、諦めが悪いですから! 覚悟してください!」