しかも、不思議なことに回避できない。
「遅いわッ!」
クルムが叫び、蹴りを放った。
脚を前へ伸ばしただけの雑な攻撃だったが、エミールには目で追うのも難しい。まるで彼女以外の時間が止まったかのような速さだった。
ギャウッ!?
クルムが鼻を鳴らす。
「ふんっ……魔王の何倍もの強さという
グルルルルル……
モディナラームが歯を見せて、うなった。
クルムが息を吐く。
「ハッ! どうせ、全力を出せぬのだろう? 大きすぎる力を持て余し、振り回されるなど、情けないかぎりなのだ」
再び接近した。
今度のモディナラームは、大振りな攻撃ではなく、先ほどよりも鋭い突きを繰り出してくる。
それでも、威力は想像を絶するのだろう。
クルムは攻撃を防ぐが、反撃ができなくなった。
エミールはうめく。
「ううぅ……マズイぞ。速さはクルムちゃんのほうが上だが、モディナラームのほうが腕が長い。リーチの差で押されている」
「驚い、た……
「当然だ。俺だって戦士だからな」
「そ……ホント、驚いた──ぜんぜん~、間違ってる」
「なに!?」
「魔王様は~、魔王様! 押されてなんか、いない」
誇らしげな表情だった。
次々と繰り出される攻撃を、クルムは一撃も受けることなく、弾いている。不敵な笑みを浮かべていた。
「なんじゃ……たくさんの魔王と合体したというから、さぞ面白いことをするかと思ったら、芸は殴るだけか? もう飽きたのだ」
彼女が突き出した脚が、またもモディナラームの顔面を捉える。
ビキッ! と首のあたりから
クルムが右手を握りしめた。
拳に光が宿る。
「マオーは、
「ガ……グガ……」
「
──そんな理由で? とエミールは思った。
次の瞬間、クルムが右拳を突き出す。
「《インフィニティ・デトネーション》ッ!!」
「ガッ……グガガ……ッ!?」
クルムが牙を見せて、笑う。
「クックックッ! ダメージ無効で身を守っているようだが、無駄なのだ! マオーの攻撃は、あらゆる防御を無視するからな!」
あまりに超越的すぎて、エミールには理屈がわからない。
モディナラームが《鉄壁》と呼ばれるダメージ無効の武技を使っていたのは、なんとなく理解できた。
ガルフォードの斬撃も、クルムの蹴りも、効果がなかったように見えたからだ。
しかし、クルムの放った攻撃は、さらに反則のようなもので──なんと《鉄壁》を貫通するという。
激しい爆発音が連続して、やがて何かが割れるような音がした。
モディナラームが絶叫する。
「グガァアアアアアッ!!」
本当に《鉄壁》を貫通したのか!
強烈な一撃により、モディナラームの左半身が大きく削れた。左腕の肩どころか、胸までえぐれる。
ゴボッ、と黒い血を吐いた。
「グッ……ぐぐぐ……
クルムが目を細める。
「ほう? 言葉を使うくらいはできたのだな。獣に堕ちたのかと思ったぞ」
「
「ビスケットがおいしいのだ!」
「……ビス……?」
「次はキサマが答えよ。なぜ、
「愚問。魔王は
「ハンッ! いくつもの魔王が寄り集まっても、まったくの考えなしか! ならば、意味もわからず戦う
再びクルムの右拳に輝きが宿る。
山羊頭のモディナラームが、小さく息を吐いた。
「《魂の魔王クレブスクルム》……最強と
†
モディナラームの身体が変化した。
ずどん! と手足が太くなる。欠損していた左半身が、あっさりと復元された。
太くなった手足に合わせ、胴体も巨大化する。
頭一つぶん身長が高くなったが、なにより筋肉の塊のような力強そうな肉体に変身した。
黒山羊の頭だけは変化がないままだ。
「グッ、クッ……解くことになろうとは、予想外。
「やれやれなのだ。ちょっと大きくなったくらいで、このマオーには…………うッ!?」
慌ててクルムが飛び
彼女の表情からは、今までの余裕の笑みが消えている。
エミールには敵の変化がわからなかった。身体が大きくなったのは間違いないが、それだけではないのか?
よろり、とエデルガルトが後ずさる。
「ううぅ……そんな……!?」
「どうしたんだ?」
「……ま、魔王様……が~、いっぱい……いる? いる!」
エミールの問いに、彼女が震える声で答えた。
「大魔王だから、なのか!?」
「き、けん……」
エデルガルトは
「絶望の味は
「くっ……それが、キサマの……全力、というわけか」
「クレブスクルム……
モディナラームが手を広げた。その指先が、ゆっくりと砂に変わっていく。
やがて時間が経てば崩れ落ちるということか。
クルムが身構える。
右手の拳は光が宿ったままだった。
「ふ、ふん……ペラペラと舌が回るようになったのも、魔王の力を発揮したからか? おしゃべりの魔王など、マオーは知らぬがな」
「肯定。
「その話し方……まるで《
「欠片は、
「くだらぬのだ。その完全無欠とやらになっても、意味もなく、ただ
「否。意味は明確」
「ほー?」
「力を行使することそのものにある、無限の価値が」
「わけがわからないのだ。暴れたいから暴れる、と言っているに等しいではないか。獣も同然なのだ」
「結果……この世界が存続」
「世界が在ろうとも、ビスケットがなくなったら意味がないのだ!」
「我と合一すればできる、完全なる理解を」
モディナラームが両手を上げる。
クルムは、べーと舌を出した。
「おことわりなのだ! キサマと一つになったら、マオーがマオーでなくなってしまうではないか」
「不完全な個体に価値など、無い!」
「マオーは、これで完全で完璧で完成なのだ!」
「クレブスクルム……覚醒すらしていない汝は、
モディナラームの魔術が発動する。天に掲げた手の先で、輝く球体が生まれた。それが、みるみるうちに大きくなっていく。
周囲が明るく照らされた。
まるで太陽だ。
モディナラームが掲げた手を振り下ろす。
かつて《心臓の魔王カルディーア》が使った元素魔術《オチルソラ》だった。
空から、まるで太陽が降ってくるかのように。
ギッ、とクルムは奥歯を
「消えるがよいのだ!」
クルムは拳を突き出した。
向かってくる光球に対して、二発目の《インフィニティ・デトネーション》を放つ。
強大な魔術がぶつかり合った。大気を焼き、地面を沸騰させる。
モディナラームが
「貧弱なるや、クレブスクルム」
「な、にッ!?」
「我が魔術の偉大なるを、知れ!」
「ッ!?」
魔王にとって、魔力とは内側から
ただし、一度にどれだけ
桁違いだ。
モディナラームが瞬間的に使える魔術は、クレブスクルムの数倍は大きかった。
あっさりと押し負ける。
クルムは敵の魔術の光に
「あぐあぁぁぁあぁあぁぁぁッ!!」
四肢をもがれるような痛みに、絶叫をあげる。
爆発が起きた。
エミールたちは寸前で
煙が風に流される。
焼けた地面に、クルムは倒れていた。
「あ……ぐ……ううぅ……」
表皮がひび割れている。本来は、やわらかくて弾力のある
モディナラームが傍らに立つ。
「最強と
「マオー……は命令された……託された、のだ」
「……?」
「負けるわけには、いかぬ!」
地面を殴って跳ね起き、地面すれすれの蹴りを放った。
敵の足を狙う。
命中したが、固い。
モディナラームが姿勢を崩すことさえなかった。
「魔術で敵わぬと理解せしめ、格闘なるや? ならば、《手の魔王ハットジャブール》が力、知れ」
《手の魔王》の力と言いながら、蹴りが出る。
低い姿勢を取っていたクルムは、脇腹に強烈な攻撃をくらった。
「ぎゃうっ!?」
蹴りの速さからすると、派手に吹っ飛ぶかと思われたのに、クルムは不思議とその場に留まっていた。まるで地面に縫いつけられたかのようだ。
もう一発、今度こそ手だった。
真っ直ぐに伸ばした指が、クルムの腹を突いてくる。
「あがぁぁあぁッ!?」
「
「が……う……ううぅ……」
クルムは両手で、モディナラームの腕を
「覚醒せしクレブスクルムは、光翼の
「う、ぐ……たわけが……マオーは、屈さぬ!」
「
突き入れた指先から、モディナラームが魔術を放った。
ぼん! と音があがって、クルムの背から臓物が飛び出す。
「ぎゃ……ッ」
力なく、クルムが地面に倒れた。
地面が真っ赤になる。
腹に拳大の穴が開いていた。
†
「魔王様ーッ!!」
魔族リョカを
「ほう」
モディナラームがその眼前に迫った
エデルガルトは全力で引いたり押したりするが、びくともしなかった。
「うっ、動かな~……い!?」
「魔族が大魔王である
「エデルガルトは~、忠誠を? 忠誠した! クレブスクルム様に!」
「ならば──」
モディナラームが槍をつまんでいないほうの手を振り上げる。
その手に、真っ黒な剣が現れた。
先程、ガルフォードが使った《光の剣》に似ているが、黒色なだけでなく大きさも違う。
エデルガルトが見上げて、唇をわななかせる。
「神殺しの……《ゴッドブレイカー》ッ!?」
「
彼女へと大剣を振り下ろす。
その直前──モディナラームの脇腹へ、剣を
「全ての女性は! 俺が、守る!」
エミールだ。
手にしているのは、ガルフォードから借り受けた《光の剣》だった。
さらに、斬る。
通用するとは思えないが、それでも黙って見ていられなかった。せめて、逃げるだけの時間を稼ぐ。
ラムニテスの援護射撃もあった。
「《ライトニングショットマグナム》ッ!!」
すべて命中する。
しかし、モディナラームには、そよ風が吹いている程度のものだった。
手にした漆黒の大剣を──
真横に払う。
「死を、
大剣《ゴッドブレイカー》が何発もの弾丸へと変化した。飛んでいく一発一発が、高威力かつ必中だ。
エミールは右肩に受けた。金色の
「ぐはぁ……ッ!?」
膝をつく。
鎧の
右腕の感覚がない。
繫がっているのかすら、わからなかった。
エミールは右手から滑り落ちた剣を、左手で
「まだまだ!」
立ち上がろうと踏ん張ったとき、右脚が千切れた。膝から下が、なくなっている。
「がっ!?」
地面に
闘志で痛みを
寒い。
体温が急激に低下していることに気付いた。
出血が多すぎる。
「ぐぐっ……治癒を……チュロン!」
エミールは左腕で身体を起こし、背後へと叫ぶ。
振り返ると──そこには、大魔王の弾丸を腹に受け、
ガルフォードやラムニテスや、他の地方騎士たちも負傷している。
──エデルガルトは!?
彼女は両手を広げて立っていた。
ばら
その身体に、何発もの攻撃を受けながら、まだ立っている。さすがは上位の魔族だった。
「はぁー……はぁー……」
しかし、もう戦う力は残っていない。
庇われたクルムは、消滅こそしていないが、意識があるのかどうかもわからない状態だった。
魔王が倒されたときは、魔族のように光の粒子になって消えるのか? それとも、
エミールには、その知識はない。
もうクルムが死んでいる可能性もあった。
──全滅。
じわ、と心が
何度も打ち砕かれ、そのたびに奮い立たせてきた闘志が、
エミールの身体が震えた。
「……俺は……また……守れないのか?」
このまま、地面に倒れ伏して……
──そんなことは! 断じて! 俺が俺を許さないッ!!
「うおおおおおおおおおお!」
左手に
傷口から、血が噴き出した。
しかし、もう痛みはない。
視界すら
「大魔王ぉぉぉぉッ!!」
目の前に、何者かが立った。
エミールは叫ぶ。
「俺は! ぜっっったいに! 倒れないッ!!」
左手の剣を地面から引き抜く。倒れながらも、敵に一撃を!
しかし、突き出した剣の勢いは、あまりに弱々しく……
相手に届くこともなかった。
何者かの手が、エミールへと伸びてくる。
──どうして! 俺は、弱いんだ!!
ごつい手に、肩を抱き留められた。大きくて力強くて、それでいて堂々としている。
味方!?
しかも、この気配をエミールは知っていた。
そいつが、戦場に不釣り合いなほど落ち着いた口調で問うてくる。
「あの
その声を聞いたとき、真っ白になっていた視界に、相手の姿が浮かび上がった。
エミールはかすれた声で言う。
「待っていたぞ、