プロローグ


 ぐらり、と足下が傾いだ。

《転移》の輝きが周囲から消えていった。

 一瞬、平衡感覚がおかしくなり、倒れこみそうになる。

 腹に力を入れ、どうにか踏ん張った。

 ディアヴロは魔王だ。そういう演技ロールプレイをしている。

 どんな状況であろうとも、無様に床にいつくばるなど、許されなかった。

「フンッ……」

 余裕ぶって鼻で笑い、周囲を見回す。

 動物の内臓を連想させる不気味な壁に囲まれた場所だった。立派な玉座が存在を主張している。

 ずっと右腕にしがみついていた黒髪のひようじんぞく──レム・ガレウが、口元を押さえた。

「うぷっ! や、やっぱり、転移は……苦手です」

 彼女は自分の足を使わない移動に弱くて、乗り物酔いしやすいらしい。ほとんど揺れないほど巨大な船や、ゆっくり動く馬車なら大丈夫なのだが。

 ディアヴロの左腕には、エルフの少女──シェラ・L・グリーンウッドが抱きついていた。

「わー、なんか、懐かしいね」

《魔王の迷宮》

 MMORPGクロスレヴェリでディアヴロが作成したダンジョンだ。ここで無数の挑戦者たちを迎え撃ってきた。

 ゲーム内の話だ。

 そのはずが、不思議なことに──ディアヴロだけでなく迷宮までもが、この異世界に存在しているのだった。

 いつか、理由がわかるときが来るのだろうか?

 この自作ダンジョンに、シェラたちが前に来たのは、七月の中頃だったか。もう半年近く経っていた。

(この異世界が十二ヵ月で一年とは限らないが、暦の話をするとき、ディアヴロの感覚に合うように数字まで翻訳されているようだ。距離や重量の単位も同じように、異世界の人々はリフェリア王国の単位を使うが、ディアヴロにはメートルやグラムに翻訳されて聞こえる。翻訳の理屈は不明なままだった)

 ──言葉はわかるが、文字は読めない。中途半端なせいで、人為的なものを感じてしまうんだよなぁ。

 なんにしても、ディアヴロにとって自作のダンジョンは、我が家のようなものだ。帰ってきたような気分になるのだった。

 三人目の少女が、キョロキョロと周りを見渡し、感嘆の声をもらす。

「はわわぁ……すっごい場所ですね……」

 とがった犬耳と、ふっさふさの尻尾がある剣聖グラハム・ササラだった。彼女はドワーフで、種族的な特徴として背が低くて胸が大きい。

 腰に太刀を提げていた。それだけでなく他にも、剣ややりを背負っている。

 シェラが胸を張った。

「すごいでしょー。ここディアヴロが作ったんだよ」

「ええっ!?

 きようがくの眼差しを向けられ、内心では照れつつ、ディアヴロは当然という顔をしていた。

「この程度のもの……我は魔王なのだから、造作もないことだ」

 実際には、ゲームのエディット画面でポチポチ操作して作っただけなので、この異世界では迷宮どころか穴蔵すら作り方がわからないのだが。

 ササラが問うてくる。

「あの、いかにも危険そうな場所ですが……何のために造ったんでしょうか?」

「ここは、我の拠点だ」

「拠点って……家ですか?」

「うむ」

「こんなに不気味なのに……?」

 ──うっ!? カッコイイと思うんだが……

 シェラが笑う。

「不気味だよねー。あたしは、もう慣れちゃったけど」

 まだ口元を押さえつつ、レムがうなずいた。

「……悪趣味ですね」

 ううぅ……!? とディアヴロは内心でひるんだ。素で話していたなら、ショックのあまりヒキコモリになったかもしれない。

 しかし、この迷宮は魔王ロールプレイの結果で、恐ろしげな意匠になっている。問題ない。

 ──何を言われても、本当の俺じゃないから、大丈夫だ!

 ディアヴロはニヤリと唇の端をゆがめた。

「フッ……我は魔王だからな! 死の象徴、破壊の権化、崩壊の化身──生ある者が嫌悪を抱くのは、当然だ!」

「ひっ!?

 ササラがおびえたような顔をする。可愛い反応だった。

 レムとシェラは、すっかり慣れてしまっている。

 もう勝手に奥へと進んでいた。

「急ご! みんなが待ってるよー?」

「……急ぎましょう、ディアヴロ」

「う、む」

 ちょっとだけ複雑な心境だったが……

 ──まぁ、こんだけ長く一緒にいるのに、いつまでも怯えられてるよりはマシかな。

 急いでいるのも事実だ。

 大魔王モディナラームがファルトラ市へ向かっているという報せは受けていた。

 今は一刻を争う。

 しかし、充分な準備もなしに駆けつけて勝てるような相手ではなかった。負ければ全てを失う。

 ここ《魔王の迷宮》には、ディアヴロがゲームで集めた数多くの装備や道具が保管されているのだった。

 それと、目的はもうひとつ──

 シェラが奥にある宝物庫の扉を開く。

 彼女の鼻先で、刃が振られた。

 のんな笑顔が凍りつく。

「びやあ!?

 扉の奥から、メイド姿の少女が現れた。

 手には双頭剣を持っている。


「マイ・マスターの宝物庫を漁ろうなどというていの輩には、むごたらしい死を与えて差し上げましょう」


 エメラルド色のそうぼうを妖しく輝かせ、彼女は双頭剣を振りかぶる。

「わあああ、待って待って、ロゼさん! あたしだよ、シェラだよ!?

「それが、なにか?」

「仲間でしょ!?

「このロゼには、仲間などおりません」

 断言した。

 レムが肩をすくめる。

「……ディアヴロは違うのですか?」

「無礼な。マスターは崇拝の対象であり、守護すべき存在です」

「だ、そうです。何か言ってやってください、この面倒くさいメイドに」

 水を向けられて、ディアヴロはおうようにうなずいた。

「待たせたな、ロゼよ。まずは、剣を収めよ」

「ッ!」

 シェラたちに放っていた殺気が一瞬で消え去り、手にしていた双頭剣もどこかへ仕舞われた。

 ロゼが深々と完璧なお辞儀をする。

「お帰りなさいませ、マスター。今日までの侵入者はゼロでした。今、三人おりますが」

 シェラとレムが嫌そうな表情を浮かべた。

 三人目? とササラが自分を指差す。

「私、侵入者ではありませんよ?」

 レムが説明する。

「……ロゼは、ときどき……いえ、高確率で話が通じないのです。ただし、ディアヴロの命令には絶対服従ですから、気をつけていれば無害かと」

「え? 気をつけていないと無害じゃないんですか……恐いんですけど……」

 じっ、とロゼが、ビクビクしているササラをにらむ。

 そういえば、初対面だったか。

 ディアヴロは少女の背を押して、前に出した。

「こいつは、剣聖だ。名をササラという。なんと、レベル200の戦士だ」

「レベル200!? そう、ですか……」

 ロゼは魔導機マギマテイツクゆえか、メイドという役割のせいか、あまり表情を表に出さない。

 それでも、しゅん、と落ちこんだのがわかった。

「どうしたのだ、ロゼよ?」

「……このロゼは……先の戦いで、魔族なぞに不覚を取りました」

「ああ、あれは強かったからな」

 大魔王に魔力を与えられたせいか、雑魚だと思ったら、意外と苦戦してしまった。

 ディアヴロが戦士系のレベルを伸ばす必要がある──と判断した理由だ。

 相手の攻撃を見切ることができなければ、どれほど強大な魔術が使えようと、勝てない。

 その戦いで、ロゼは右腕を破損し、ここで修理を受けていたのだった。

「もう腕の調子はいいのか?」

「マスターの魔力により、完璧に修復されました」

「うむ」

「ですが、もう……ロゼは必要とされていないのですね」

「なに?」

「レベル200の戦士がいるなら……このロゼは、役立たず。お役御免。粗大ゴミは第三金曜日です」

「いやいやいや……オホン! 何を言っている? 我は魔王だ。数多あまたの配下を引き連れてこその魔王であろうが!?

「で、では……まだ、このロゼをおそばに置いていただけるのですか……?」

「当然だ! そうでなければ、ここまで呼びにくるものか」

はいを宣告しに来られたのかと……」

 ──そんな酷いことしないよ!?

 しかし、優しい言葉をかけるのは、魔王らしくない。

 ディアヴロは言い放つ。

「何があろうと、貴様は永遠に我の所有物だ。勝手に廃棄だの、不要だの、許さんぞ」

 ロゼが魔導機マギマテイツクメイドらしく完全な無表情に戻った。

「失礼いたしました、マスター。その御言葉をはつせい記憶メモリーに刻み、毎朝毎晩繰り返し再生いたします」

 重い。

 とはいえ、機嫌が直ったらしい。

「ロゼよ、ここへ来た目的は、お前と合流することだ。それと、もうひとつある」

「なんなりと、お申しつけください、マスター」

「我とたいせしは大魔王モディナラームだ。対魔王戦用の装備を使う」

「かしこまりました」

 魔導機マギマテイツクメイドに案内され、宝物庫の中を進む。

 ここには、ディアヴロがMMORPGクロスレヴェリで集め、強化した装備が、全て安置されていた。

 地下にもかかわらず、果てが見えないほどの無限とも思える空間に、無数の台座が並んでおり、どんな下らないアイテムも大切に保管されている。

 もしも、自分で探すなら、目的の装備を見つけるのは、何日も先のことになるだろう。

 ロゼは全てを把握していた。

 求める場所へと案内してくれる。

 MMORPGクロスレヴェリにおいて、ディアヴロが魔王などのレイドボスと戦うときに使う装備だった。

 ちなみに、Raidとは急襲や奇襲を意味する単語で、ゲームでは複数のグループが手を組んでの大部隊を指す。