その日は皆、微び妙みようによそよそしい。

 坂さか井い悠ゆう二じも池いけ速はや人とも、佐藤啓けい作さくに田中栄えい太た、緒方真ま竹たけ、シャナでさえ、一人の少女に対し、不ふ可か視しの薄うす壁かべを隔へだてるような態度で接している。それはひんやりとした疎そ外がいではなく、むしろ逆の、うずうずするような弾はずみの蓄ちく積せきと隠いん蔽ぺいだった。

 少女・吉田一かず美みの誕生パーティーは、いよいよ今夜である。

「じゃ、私たち、先に帰るからねー!」

 手荷物を提さげた緒方が言って、友達の手を空あいた方の手で取った。

 その友達・シャナは戸惑いと驚きを表して、しかし逆らわずに連れん行こうされてゆく。

「ひ、引っ張らなくても──」

「勢い勢い! さ、早く!」

ドタバタと教室から出てゆく二人を見送って、佐藤がクックッと笑った。

「オガちゃん、またやけに熱入ってんな」

 少女二人が、吉よし田だへのプレゼントとして、誕生パーティーに出すケーキを作ることは、すでに参加者一いち同どうへと伝わっている。それはある意味、今日一番の見み物ものと言えた。

「こういう賑にぎやかなの、好きだからな」

 田た中なかは言ってから、うーむ、と唸うなる。

「シャナちゃんと組んで、か。どんな代しろ物ものができんだろな……こういうの、アレだ、なんて言ったっけ、えーと、ヘビがどうとか」

「鬼おにが出るか蛇じやが出るか?」

 即そく答とうした池いけに向き直り、指を差した。

「そうそう、それだ」

 鞄かばんを取った悠ゆう二じが、苦く笑しようして言う。

「ひどいなあ。せっかく吉田さんに喜んでもらおう、って張り切ってるのに」

「そりゃー、そうだけど、なあ?」

「炭の塊かたまりを食べて喜べるかは微び妙みようだろ」

「んー、料理は愛情って言うけど……あれは、ね」

 佐さ藤とう、田中、池が、各おの々おの好き勝手なことを言った。

 緒お方がたはともかく、シャナの作る料理(と名乗る黒くろ焦こげのなにか)の実態は、彼ら親しい仲間内ではすでに周しゆう知ちの事実である。本人が満足げに悠二へと差し出し、食べさせる光景も──その後に彼が見せる『耐える男』の形ぎよう相そうも──もはや一度二度で済まない回数、見ている。不安にならない方がおかしかった。

 それでも、その主な被害者たる少年・悠二は精せい一いつ杯ぱいの弁べん護ごを試みる。

「緒方さんも一緒だし、母かあさんもフォローするって言ってたから、なんとか、なるんじゃ、ないかな、うん」

 その二人による昨晩の予よ行こう演習が『坂さか井い家に立ち込める刺し激げき臭しゆう』という結果に終わっていることは、あえて言わない。

「ま、なるようになるか……とりあえず、俺たちも一いつ旦たん帰ろうぜ」

 弁護が効いたのか、あるいは諦あきらめるしかないと観かん念ねんしたのか、田中も鞄を手に立った。

「こっちはこっちで打ち合わせもあるしな」

 佐藤も頷うなずいて続く。

「吉田さん、お先に」

 池が、窓まど際ぎわでコンコンと咳せき込みながら黒こく板ばん消けしを叩たたいている吉田に、ひとまずの別れを告げた。今日一日、なんとなく距離を取っていた少女も、微笑ほほえんで返す。

 最後に悠二が、軽く手を振った。

「今晩、またね」

 途と端たん、

「はい!」

 微笑が花の咲くように明るくなる。

 本人に自覚はないらしいが、男四人はその喜びの姿に、目を釘くぎ付づけにされた。

 皆して思わず赤せき面めんすること一秒の後、

「ぁ痛っ!」

 悠ゆう二じは佐さ藤とうに肩を、

「痛っ、な、なんだよ!?」

 田た中なかに背中を小こ突づかれていた。

「別に、憎にくたらしいだけだ」

「そうだな、うん、憎いぞ」

 そして、その傍かたわら、

「……」

 人知れず、小さな溜ため息いきを吐く少年が一人。



 四人は別れ際、大通りに面した正門で、改めて最後の打ち合わせを行う。

「ふうん。幸い、全員プレゼントは被かぶらなかったわけだ」

 皆から大まかな品目(いちおう、お互い詳しよう細さいは隠かくす)を聞いた池いけが、安あん堵どの声を漏らした。

「昨日、相談とかしてなかったからな。結けつ構こう心配だったんだ」

 田中が、周しゆう到とうすぎる『メガネマン』の杞き憂ゆうを笑い飛ばす。

「貰もらう方がそこまで気にするか? もし被っても、両方ともプレゼントなら嬉うれしいだろ」

「あー、でも」

 と佐藤が人差し指を立てる。

「同じものプレゼントして、なんか見み劣おとりとかしたら、確かに嫌だなー」

 悠二は笑って、池に向き直る。

「結局はバラけたみたいだし、いいじゃないか。で、なにか他に決めることは?」

「いや。僕からは、その確かく認にん以外は特に。こういうことは佐藤の方が詳しいだろ。用意するようなものとかあるか?」

 頼られた佐藤は、腕を組んで考える。

「そーだな……盛り上げるためのパーティーグッズくらいは揃そろえとこう。吉よし田だちゃんがそういうの、買ってるとは思えんし」

「そりゃそーだ。駅前辺あたりに寄ってみるか」

 田中が言って、

「細かい品目はいいだろ。各人、テキトーに行きがけにでも探すように」

 池いけがまとめ、

「分かった。集合、遅れないようにな」

 悠ゆう二じが答えて、パーティーに招待された男四人は、再びの集合に備えるため、解散した。



 一方、同じくパーティーに招待された女二人、シャナと緒お方がたは、自宅には戻らず、坂さか井い家に直行していた。

「ごめんくださーい!」

 呼よび鈴りんを押すと同時に声をかけると程ほどなく、

「はーい」

 トタトタと廊下をやってくる音と気配がして、すぐ扉が開いた。

「いらっしゃい。待ってたわよ、二人とも」

 柔らかな声とともに、和やかな笑顔の女性が顔を出す。悠二の母・千ち草ぐさである。

「用意はしてあるから、さっそく取り掛かりましょうか」

「ん」

 半年からこの家に出入りするシャナは軽く、

「お邪じや魔まします」

 慣れていない緒方は畏かしこまって答え、玄げん関かんに靴を揃そろえる。

 ちなみに、緒方が提さげている荷物は、パーティーのための着替えで、ケーキ作りの材料ではない。その手の準備は前日に万ばん端たん整えている(足りなくなったもの、足りなくなりそうなものは、千草が今け朝さの内にこっそりと買い増しに出ていた)。

 時間ギリギリまでケーキを作り、着替え等の支し度たくも坂井家で行う、というのが二人の計画だった。もちろん、提案したのは千草である。

「じゃ、昨日決めた通りに分ぶん担たんしましょうね」

 その千草が言って、二人をそれぞれの戦場へと案内する。

 緒方は台所、シャナは食卓のある、続きの居間である。

 昨日、とある用事から、やや遅れて坂井家にやってきた緒方と、張り切って千草と準備し待ち構えていたシャナは、予行演習という名の惨さん劇げき、食材に対する最大限の侮ぶ辱じよく、二つの試し練れんを経て、一つの方針を定めていた。

 即すなわち、

 ケーキのスポンジ部分は緒方が、

 飾り付け部分はシャナが担当する、

 というものである。

 シャナは火を使わせるといかなる品目も十じゆつ中ちゆう八はち九きゆう十じゆう、『黒くろ焦こげのなにか』に変えてしまうのだから、この担たん当とう区分は至し極ごく妥当な配置と言えた。緒お方がたは特とく段だん、料理の腕うで前まえに長たけているわけではない……どころかケーキ作り自体、実は初めての経験だった。が、それでもシャナよりは任せられる、と千ち草ぐさは判断したのである。

 シャナは自分より遥かにその道を極めている女性の判断を(渋しぶ々しぶと)支持した。今はただ、自分に振り分けられた作業、飾り付けの方に全力を傾けい注ちゆうするつもりである。それでも、

「まずは、生クリーム作りからね」

 そう言って、エプロンとボウルを渡す千草に、

「分かってる。昨日何なん度どもやった」

 答えつつ、僅わずか口を尖とがらせてしまう。

 もちろん千草は、そんな態度を取る少女を可愛かわいらしく思う。

 と、二人の傍かたわらで、昨日買ったばかりのエプロンを身に付けた緒方が、

「よーし、私も……お願いします!」

 まるで部活のように、大きく鋭く叫んだ。

 千草は変わらず笑って、ポンと肩を叩たたく。

「緒方さん、そう力りきまないで。お菓か子し作づくりは気軽に楽しく、ね?」

「はいっ! ……あ」

「ふふ、それじゃあ、まずは昨日の復習からね。スポンジケーキ作りで注意することは、覚えてる?」

「はいっ、生き地じを型に入れるとき、真ん中に集まらないように──」

「千草、変な色になった」

「……シャナちゃん、なに混ぜたの?」

 偉い大だいなる主婦による督とく励れいの元、少女二人の奮ふん闘とうが始まった。



 ところでもう一人、商店街にある喫茶店の片かた隅すみで、

「……」

「どう? できるでしょ?」

 吉よし田だ一かず美みの誕生パーティーに向けた準備に余よ念ねんのない少年がいた。

「……」

「ふむ。なんとか、なるでありましょう」

 吉田の弟・健けんである。

「……ホント、ですか? 俺──僕の考えてたのは、もっと簡単な……」

「ま、たしかに信じられないでしょうけど、このオネーサン、そういうことは名人級なのよ。私を紹介したマタケに恥はじかかすような真ま似ねはしないから、安心なさい」

「吉よし田だ一かず美み嬢じようには、いつぞや迷めい惑わくをおかけした借りが、あるのであります。お返しという意味で、今回の件における協力は、むしろ望むところであります」

 彼は、彼個人の準備とともに、一つの計画を、とある女性らと密ひそかに進めていた。

「はあ……よろしく、お願いします」

「はーいはい。んで、私はどーやって参加すればいいのかしら」

「貴女あなたはごく普通に、正面から入場すればよろしいのであります」

 姉の誕生パーティーにおける、一つの計画を。

「それじゃ僕、家で待ってます。え、と……」

「いーわよ、払っとくから」

「でも」

「どうぞ、ご遠えん慮りよなきよう。これも、お返しの一いつ環かんであります」

 とある、二人の女性らとともに。



 夕飯時というにはやや遅い、午後八時前。

 街灯が明るさを主張し始めた御み崎さき市し商店街には、客よりも家いえ路じを急ぐ会社員の姿が目立つようになっている。

 軒のきを連ねる店々は、御崎市東側の繁はん華か街がいなどとは違って、個人商店が主であるため、午後八時を店仕じ舞まいの刻こく限げんとする所も多い。

 この、人通りも疎まばらとなった通りの西口(学校の塀へい沿いに出る東口と反対側)に、ラフな私服姿すがたの少年四人が、最後に合流する少女二人を待っていた。言うまでもない、

「こーいうイベントってのはさ、バラバラに訪ねたりしたら微び妙みようにシラけんだよ。全員で一気に賑にぎやかに押しかけようぜ」

 佐さ藤とう、確信を持っての提案を受けた、悠ゆう二じらパーティーに参加する男性陣じんである。

 この待ち合わせの提案者である佐藤が、襟えりの中に首を竦すくめて言う。

「坂さか井い、ケーキ、どれくらいできてたんだ?」

 まだまだ残ざん暑しよの残る季節ではあったが、夕暮れも過ぎた後に吹き行く風が、彼らになんとはなしの寒々しさを演じさせていた。

 悠二は頭を掻かいて返す。

「出るときは、今にも完成するようなこと言ってたんだけどなあ。すぐ追いかけるから、って緒お方がたさんも言ってたし……」

「もう吉田さん家ちに行く時間になるぞ」

 池いけが携帯の時計を見て言った。

 田た中なかも顎あごに手を当てて唸うなる。

「うーむ、なんとも捻ひねりのない話だ」

 結果としては、この場の誰もが予想していた通りの展開となった。

 ケーキ作りに勤いそしんでいるシャナと緒お方がたが、集合に遅れていたのである。そのための時間を余よ計けいに取っての、やや遅めに集合というスケジュールだった(招待側の吉よし田だに料理を作る余よ裕ゆうを持たせるためでもあった)のだが……やはり二人は悪あく戦せん苦く闘とうしているらしい。

「集合に手て間ま取どって吉田さんを待たせたんじゃ本ほん末まつ転てん倒とうなんだけどな。坂さか井いの家に電話して、まだダメなら、僕らだけで先に行──」

「ごめーん! お待たせ!!」

 池いけの勇み足を、間かん一いつ髪ぱつで緒お方がたの声が遮さえぎった。

 見れば、商店街の疎まばらな人ひと影かげの間を、少女二人が歩いてくる。

「おーいおい、遅いぞ、二人とも……」

 佐さ藤とうが口を尖とがらせた。尖らせて、そのまま口くち笛ぶえを吹ふいた。

 二人は、大おお袈げ裟さ過ぎないほどに、しかし疲れて帰路に着く雑ざつ踏とうの中で輝くほどに薄く化粧を施ほどこし、また着き飾かざっていたのである。

 緒方は淡い緑を基調にしたパンツルック、シャナは逆にモノトーン風ふうな柄がらのブラウスとプリーツスカートで、背の高低とも相あい俟まった、見事な好こう対照を成していた。それぞれが持つ、ケーキらしい綺き麗れいな包ほう装そう紙しに包んだ箱が、道行く目的を明確に示している。

 もっとも、男どもの感性は、それらを表現するには、あまりに無ぶ粋すいである。

「また今日は気合入ってんな」

 という田た中なかの言葉に、緒方はプーッと頬ほおを膨ふくらませた。

「まず『綺麗だな』でしょ?」

 遅れて、池が苦く笑しようとともにフォローする。

「うん、よく似に合あってると思うよ。それはもちろん思うけどさ。今、先に行くかどうか、考えてたとこなんだ。間に合ってよかったよ」

「走ったら振動でケーキが崩れるし、千ち草ぐさも『汗ばんでお化粧が台だい無なしなる』って言った」

 シャナが実直かつ明快に回答した。

 そうして、悠ゆう二じをじっと見る。

「あ、シャナも、綺麗だね、うん」

 悠二は期待に背中を一ひと突つきされるように、頷うなずいていた。

 その、いかにも適当な反応に、シャナも頬を膨らませる。

 そして、

「話すんなら、歩きながらにしよう。もう時間がないからさ」

「よっしゃ、行くか。俺、吉田ちゃん家ち、初めてなんだよな」

 池と佐藤が、

「シャナ、ケーキの箱、持とうか?」

「いい。自分で持ちたい」

 悠ゆう二じとシャナが、

「で、オガちゃん、結局どうだったんだよ」

「ま、着いてからのお楽しみってとこね」

 田た中なかと緒お方がたが、

 ようやくメイン会場へと足を向ける。



 ピンポーン、

 と芸のない呼よび鈴りんが鳴って、

「っ!」

 リビングで待ち侘わびていた吉よし田だが、跳ねるように立ち上がった。自分の格かつ好こう、飾り気のない上じよう品ひんなワンピースという姿を、柱にかけた小さな鏡かがみで確認して、少し髪かみ飾かざりを直す。

「……よしっ」

 小さく頷うなずいて、短い廊下へと出た。

「はーい!」

 大きくない声をかける間に着く玄げん関かんは、やけに静かである。

(誰か、一人で来たのかな?)

 家が近い池いけ君かな、などと思いつつ、ドアを開けたそこには、

「おっ、やっぱめかし込んでるじゃん?」

「……健けん」

 毎日家いえで見ている顔があった。ガックリと肩を落とす。

 そんな姉の様よう子すに、密ひそかに、しかしかなりムッと来た健は、からかいながら中に入る。

「そんな顔してたら、そこにいる坂さか井い悠二に嫌われるぞ」

「えっ」

 顔を上げた先には、暗い夜の玄関のみ。

「姉ねえちゃん、引っかかりすぎー」

「もう、健!」

 さすがに吉田は怒って、ドアをやや乱暴に閉めた。逃げる弟を追って振り向く、その背中に、

 ピンポーン、

 と再びの呼び鈴が。

「あっ!」

 さっきのドアを閉めた音や自分の怒ど鳴なり声(客きやつ観かん的にはさほど大きくも無い声である)が  聞こえていなかったか心配する。

(落ち着いて、落ち着いて……)

 今度こそ、と胸に手を当てて深呼吸し、

「今開けまーす!」

 と、ややわざとらしくその場で声を上げてから、ドアを開ける。

「こーんばんは、カズミ」

「マージョリーさん!?」

 思いもかけない美び麗れいの女じよ傑けつが、なんということもなく玄げん関かん先に立っていた。

「来てくださったんですか」

「まー、気が向いちゃったのよね、なんか」

「いよーう、嬢じようちゃん。ハッピーバースデー、ヒャッヒャ」

 彼女の右脇わきにある〝グリモア〟から、周囲に気を配ってか、やや小声のマルコシアスが挨あい拶さつした。

「はい、どうも、ご丁てい寧ねいに……、あ、どうぞお入りください」

 戸と惑まどいがちに、しかしよく恋愛についての相談を緒お方がたとともに持ちかけている女性を、内に招く。来客用のスリッパを出した、その前、ドアの閉まる音と重ねるように、

「はい、プレゼントのシャンパン。ノンアルコールだけど」

 ドン、と大きな瓶びんの束たばが置かれる。

「あ、ありがとうございます」

 驚く彼女を他よ所そに、マージョリーは周りを見る。家そのものではなく、来訪者の有う無むを気配に確かめて、鼻をフンと鳴らした。

「連れん中ちゆう、まだ来てないのね」

 少女が待っていた、そのことを、それだけで、それゆえに、憤いきどおる。待たせた仲間たち、特に一人の少年の仕打ちに、呆あきれの溜ため息いきを吐いた。

「ったく、しようのない」

 吉よし田だも察し、慌あわてて手を振る。

「いえ、約束の時間は──」

 ちらり、と靴くつ箱ばこ上の置時計を見て、

「──今、ちょうど、過ぎましたけど……」

 少しだけがっかりした。

 瞬間、

 ピンポーン、

 と三み度たびの呼よび鈴りんが。

「あっ」

 思わずマージョリーを見て、そこから一いつ転てんした笑顔を受け取る。本当に今度こそ、とドキドキしながら玄げん関かんのドアに手をかけた。

 と、その髪かみ飾かざりの位置を、マージョリーがひょいと直した。

 吉よし田だは気付き、

「どうも、ありが──」

「いーから」

 言う途と中ちゆうで促うながされて、微笑ほほえみ返すだけに止める。マージョリーの、笑顔に手に言葉に勇気を貰もらったような強い気持ちで、ドアを開けた。

 途と端たん、

 パパパパパパーン!!

 と連続したクラッカーの破は裂れつ音おんが鳴って、

「─ふわぁっ!?」

 貰った勇気も瞬しゆん時じに消し飛んだ少女は、一ひとたまりもなく後ろに倒れた。

「おっ誕生日おめでとー!」「おめでとさん!!」「おめでとー!」「おめでとう!」「おめでとう、吉田さん!」「おめでと」

 佐さ藤とうの音おん頭どに重ねて続けて、田た中なかと緒お方がたと池いけと悠ゆう二じとシャナが口々に言い、そして倒れかけた吉田と彼女を支えるマージョリー、二人を見て驚いた。

「マージョリーさん!?」「姐あねさん、なんで?」「一かず美み!」「吉よし田ださん、大丈夫!?」「わっ、ご、ごめん吉田さん!」「あっ」

 騒がしい来訪者たちに転ばされて、

「──」

 しかし吉田はクスクスと笑っていた。

「──、ふふ、あはは」

「大丈夫……みたい、ね」

 抱きとめていたマージョリーも、表情に安あん堵どと等とう分ぶんに笑みを混ぜ、やがて全員にその表情は伝わっていった。

 そうして、招待主ぬしたる少女は──ようやくの、心からの笑顔で、客人たちを迎えた。

「ようこそ。いらっしゃい」



(よし、行くぞ)

 作さく戦せん開始である。

「あ、今からなんだ?」

 さりげなく、廊下の奥から出て行く。

 さりげなく、さりげなく、軽く請うけ負おう風ふうに。

「姉ねえちゃん。俺がスリッパ出すよ」

「そう? じゃ、お願い──あ、弟の健けんです。こっちですから!」

 はじめまして、と挨あい拶さつする間に、姉ちゃんはマージョリーさんからプレゼントされたシャンパンを抱えて、リビングに入ってゆく。これで大丈夫。

 マージョリーさんが、ドキリとするような目め配くばせをして、声をかけてきた。

「あがらせてもらうわよー」

「はい。どうぞ」

 その足元に、スリッパを置く。

 次に、あの『シャナ』が靴を脱いだ。

「ええ、と──オジャマシマス」

 なんだか言い慣れない平へい坦たんなアクセントで言う、その足元に同じく、

「……どうぞ」

 スリッパを出す。と、目の端はしで、坂さか井い悠ゆう二じが靴を脱いでいる。

 今だ。来客用スリッパの箱の中、別に分けておいた特製品を、何食わぬ顔で。

「どうぞ」

「ありがとう」

 履はいて踏み出した瞬間、坂さか井い悠ゆう二じは、すっ転んで頭を打った。

 まずは一つ。



 吉よし田だの父母から、『ゆっくりしていってください』、『みんな楽しんでちょうだいね』、という穏おだやかな挨あい拶さつを受けてすぐ、一同は吉田家のリビングにあるテーブルを囲んで立った。

 上かみ座ざに招待者兼けん主役の吉田。

 右側に、悠二、シャナ、池いけ。

 左側に、緒お方がた、田た中なか、佐さ藤とう。

 対する下しも座ざに、マージョリー(彼女は吉田の父母から、まるで保護者代だい行こうのように扱われ、「これじゃ飲もうにも飲めない」と愚ぐ痴ちを零こぼしていた)という席取りである。

 健けんはごく普通に家で過ごすように、リビングと続きの台所から、その様よう子すを眺ながめている。

「それにしても……」

 緒方が、コンプレックスもありありという風ふうに、口を開いた。

「ケーキは私たちが作る、ってこと、前もって言っといて良かったわ」

「ま、この腕うで前まえと競わされちゃあな」

 田中の率そつ直ちよくな感想にも、反発の声を出せないほどの、それは豪ごう勢せいな眺めだった。

 テーブルの上には、吉田の作った様々な料理が所ところ狭せましと並べられていたのである。

 一口で摘つまめそうなクラッカー類、食べ応えのありそうな惣そう菜ざい、透すき通ったスープに切り分けられた果くだ物もの類……高級感と贅ぜい沢たくさではなく、手て間ま暇ひまと心尽づくしからなる品目が揃そろっている。漂う匂においが、空くう腹ふく感かんを助長させていた。

 吉田は少し照れて言う。

「ちょっと、張り切りすぎたみたいで……」

「ちょっと、ね。はは」

 さすがのメガネマンが、感かん嘆たんに僅わずか呆あきれさえ混ぜて笑った。

 悠二もただただ圧倒されるばかりである。

「でも、これはこれで、吉田さんの誕生日らしいかも」

 さっき廊下で打った頭を押さえつつ、一番労ろう力りよくを使っただろう招待者に笑いかけた。

「そ、そうですか?」

 それを受けて、輝くような笑顔になる少女、

(なに平然と『シャナ』を隣となりに立たせてんだよ)

 逆に、不ふ機き嫌げん極まりない顰しかめっ面つらになる少年、

 双そう方ほうをチラリと見やったマージョリーが、誰とはなしに声をかける。

「論ろん評ぴようは、実際に食べてからにした方が盛り上がんじゃないの?」

 それはそうだ、と立ちっ放しだった一同が椅い子すを引きかけたとき、

「待った待った!」

 こういうイベントだと必ず進行役になる佐さ藤とうが、声を張り上げた。

「せっかくマージョリーさんがシャンパン持ってきてくれたんだ、座る前に、一つ乾かん杯ぱいといこうぜ!」

「お、いいな」

「さんせー!」

 田た中なかと緒お方がたが即そく座ざに賛同して、悠ゆう二じと池いけとシャナが、裁さい可かを求むべく吉よし田だを見た。

 もちろん、拒否の来ようはずもない。

「はい、じゃあグラスを──」

「姉ねえちゃん。俺が出すよ」

 台所にいた健けんが言って、戸と棚だなを開けた。

 吉田は、妙みように甲か斐い甲が斐いしい弟の様よう子すに首を傾かしげる。

「今日はずいぶん親切なのね?」

「そんなことないって」

 首を振って言う健に、マージョリーが意い地じ悪わるく笑いかける。

「実はお姉ちゃんのパーティーに混ぜて欲しいんじゃないの?」

「えっ?」

 吉田は少し意い外がいだった。

 弟が、こういう姉の関係する話や催しに立ち入ってきたことは、今までになかった。好き嫌いよりも、少年としての照れ臭さやバツの悪さが先立つのだろう、と思っていた。

 しかし、さっきからスリッパやグラスを出したり、台所に用もなく座っていたりと、妙な態度を取っているのも確かである。

「そうなの、健?」

 訊きいてみると、さらに意外なことに、

「いいかな?」

 と遠えん慮りよ気味な態度での、許可さえ求めてきた。

 友人たちが白けないだろうか、と一同を振り返るが、もちろんそんなことを言い立てる者はいない。池が皆を代表するかのように、

「いいんじゃない?」

 と軽く言った。周りも頷うなずいて返す。

「じゃあ!」

 健も、わざとらしいほど朗ほがらかに笑って、まるで仲間入りの儀ぎ式しきのように、皆にグラスを配ってゆく。

 その中、悠ゆう二じもグラスを受け取った。デジャヴを覚えるシチュエーションに、ほんの僅わずか緊きん張ちようする。玄げん関かんでの悪あく夢むが、痛みとして脳のう裏りに蘇よみがえる。

(このスリッパ……なんだかやけに、底がツルツルしてるような……まさか、ね)

 そのまさか──健けんの手による『底に蝋ろうを摺すり込む』などという古こ風ふうな悪戯いたずら──を、可能性としては捉とらえても、実際にそんなことあるわけがない、と楽らつ観かんする、お人ひと好よしな彼である。

(……)

 グラスになにか塗られていないか、ふと確認して自己嫌けん悪おを覚える。

(……はは、馬鹿みたい)

 会ったこともない吉よし田ださんの弟に悪戯なんかされるわけがない、スリッパのことも思い過ごしだろう、と彼は常識から結論付けた。

 健はその間、

「この私が、ノンアルコールで乾かん杯ぱいする羽は目めになるとはねー」

 とぼやくマージョリーに、最後のグラスを差し出している。

「どうぞ」

 言った刹せつ那な、その瞳ひとみが、確認を求め窺うかがうような色、稚ち気きを帯びた弾はずむような気配を、僅かに過ぎらせた。もちろん、特とく定てい個人にとっての危険なそれらは、他の誰にも見えない。

 そしてマージョリーは、

「あんがと」

 と一言だけを返した。

 やがて、新たに健も加えた全員のグラスにシャンパンが満たされたのを見た佐さ藤とうが言う。

「よーし、それじゃ、まずは吉田さん」

「はい?」

「誕生パーティー開会の宣言から、どーぞ!」

「え、ええっ!?」

 全く予測だにしていなかったことを求められた吉田は、危うくグラスの中身を零こぼしかけるほどに動どう揺ようした。

「いよっ、待ってました!」

「頑がん張ばってー!」

 田た中なかと緒お方がたが囃はやし立てる。悠二は暢のん気きに笑い、池いけなどは拍手までした。

「え、え、でも……」

 口ごもって、その場でオドオドして立ち尽くす。少人数の仲間内とはいえ、他者から注目されることを苦にが手てとする彼女にとって、これは十分な難なん業ぎようなのだった。こうして慌あわてていることへの済まなさまで加わり、混乱に拍はく車しやがかかる。

 なかなか言い出せない彼女に、悠二が傍かたわらから一言だけ、助け舟を出した。

「今日はありがとう、でいいと思うよ」

 吉よし田だは、少年の声に弾はずみと笑顔を貰もらって、

「は、はい」

 それでも少し詰まりながら、

「今日は、どうも、ありが、とう……ございます」

 ようやく言い切って一ひと息いき吐いた。

 応えて佐さ藤とうが、正せい反対の大声で叫ぶ。

「っしゃ、それじゃ、吉田一かず美みさん十六歳さいの誕生日を祝して……カンパーイ!」

 皆が一いつ斉せいに、少し遅れてシャナも、声を合わせて唱しよう和わした。

「かんぱーい!!」



(まだ、半はん信しん半はん疑ぎって感じだな)

 他が一気に飲み干ほす中、坂さか井い悠ゆう二じだけが味を確かめるように、警けい戒かいしながらシャンパンを飲んでいる。もちろん、仕掛けなどしていない。

 グラスには。

 そうして安心させ、皆と予想通りの席に着いた瞬間、

 ブー、

 と、座ざ布ぶ団とんの下から音が出た。

「えっ!?」

「おい」「悠二、下げ品ひん」「ちょっ、ヤダ、坂井君」「坂井……」「おまえなー」「クックッ……」

 大おお柄がらな人、『シャナ』、緒お方がたさん、メガネの人、賑にぎやかな人のジトッとした目め線せんに、マージョリーさんの忍しのび笑いがオマケについた。

 坂井悠二は、慌あわてて立ち上がる。

「い、いや! 違うよ、してないって!?」

 姉ねえちゃんは、なにが起こったのか分からずキョトンと見上げて、

「あ……」

 すぐ、顔を真っ赤にして俯うつむく。

「だから違うってば! ここに座ったら……あっ!」

 坂井悠二が、ようやく座ざ布ぶ団とんの下から、ブーブークッションを引き出した。

 犯人への追及が始まる、その機き先せんを制して、さっさと認める。

「うっかり置き忘れてました。すいません」

「えっ……そ、そう」

 坂井悠二始め、一同は気き勢せいを削そがれる。

「健けん!」

 姉ねえちゃんだけが怒った。これも予想通り。

「い、いいよ吉よし田ださん。別に」

 そう言うだろう。言った以上、話は流れる。

「ま、これもイベントに付き物の、笑えるアクシデントってやつだ。場も解ほぐれたところで、楽しく飯食おうぜ!」

 賑にぎやかな人が、笑って仕切りなおした。

 上う手まい言い訳だ、見習おう。



「そ、それじゃ、どうぞ食べてください」

 気を取り直した吉田が言って、パーティーは一見、和やかに始まったが、各々の心しん境きようは複雑である。

「いっただきまーす。お、これ美う味まそう!」

「アスパラのベーコン巻きか。なんか別の野菜も挟んであるな」

 田た中なかと佐さ藤とうは実のところ、健が悠ゆう二じにした悪戯いたずらを、偶然ではない、と当たり前に認にん識しきしていた。さっき転んだ経けい緯いを目の前で見ていた、というだけでなく、少年の開き直った白しら々じらしさ、明るさに透すけて見えるわざとらしさは、彼らのよく知る感覚だったからである。

 とはいえ、なにを積極的にするでもない。

(あー、やっぱ昨日、佐藤の家まで相談に来たのって、そういうことだったのか)

(こりゃ、止めても無む駄だなんだろーな)

 所しよ詮せんこのことには部外者、諦あきらめと好こう奇きの視線でもって成り行きを見守るのみだった。

 一方、

「このサーモン、いい香りがするね」

 緒お方がたは、そう手放しに構えてもいられない。健に悩みを持ちかけられ、マージョリーに紹介したという責任もある。

(マージョリーさん、けしかけるようなこと言ったんじゃ……?)

 姉を思いやる彼が悠二を警けい戒かいするだろうことは分かっていたが、誕生パーティーにかこつけて、嫌がらせ紛まがいの行為……ではなく、嫌がらせそのものを行うとは、正直、予想外だった。自身の知る限り、陰いん湿しつとは程ほど遠とおい性格の子だったし、マージョリーがその手のことを黙もく認にんするとも思っていなかったのである。

(せっかく一かず美みが、なんの遠えん慮りよもなしに坂さか井い君と楽しく過ごせるイベントだってのに……)

 まさか弟である健が、その邪じや魔まをするとは思いもしなかった。今の立場にある自分が、どうすれば丸く収められるのか、見当も付かない。

(……でも、もう目の前ではやらないよね)

 あえて希望的観かん測そくにすがってみる。スリッパも仮に悪戯いたずらの一いつ環かんだとして、もう吉よし田だには目もく撃げきされてしまった。さすがにこれ以上は、姉のためにも下へ手たな真ま似ねはしないだろう。

(そうよね、考えすぎよ、ね……はは)

 逃とう避ひのように、そう思う。

 そう思えない者も、いた。

「ふうん、このニンジンの炒いため物、すごく甘いな。レストランの付けあわせみたいだ」

 池いけの睨にらんだところ、吉田の弟は、まだなにかしでかしそうな雰ふん囲い気きである。

(理由は……考えるまでもないか)

 それにしても、嫌がらせをして溜りゆう飲いんを下げるには、いかにも場ば違ちがいの観かんがあった。姉が最も楽しみたい場面で、姉の好きな人を酷ひどい目に遭あわせるのは、徒いたずらに姉を悲しませてしまうだけなのではないか。

(お茶ちや目め、って言うには、どうにもやり口がシビアなんだよな……弟とは仲がいい、って吉田さんも言ってたし、玄げん関かん口ぐちで少し話した限りは、その通りに見えたけど)

 なんにせよ、そのせいで吉田の誕生日が台だい無なしになってしまうというのはいただけない。軽い警けい戒かいくらいはしておくべきだろう、と思う。

(もっとも、主しゆ導どう権けんは健けん君にあるから、どこまで意味があるかは分からないけど)

 いつしか癖くせになっている、密ひそかな溜ため息いきを一つ吐いて、

(ホント、なんでこう、変な苦労ばかり、勝手に背負い込んでんだろ)

 メガネマンは非常の事態へと備える。

 全てを感じていながら、大おお筋すじの意図を掴つかんでなお、なにもする気のない少女がいる。

「あむ、んむ……このピラフ、バターの香りがして、すごく美お味いしい」

 シャナは、悠ゆう二じを巡って対立するライバルである吉田を、認めつつも距離を取っている。

 個人の性質として彼女を好いているし、仲良くすることにも抵抗はないが、だからといって自分から近付くこともない。今起きていることについての事情を詮せん索さくする気も、弟そのものへの興味も特にない。

(まあ、大した害もないみたいだし)

 それに、と思う。

(舞い上がってる悠二も、少しくらい痛い目を見た方がいい)

 でも、とも思う。

(吉田一かず美みが嫌な気分にならなきゃいいけど)

 自分と対するときには恐ろしく強くて頑がん固こだが、それ以外の心身への衝しよう撃げきにはてんで弱い少女を、よく知っているからこそ、心配する。せっかく皆で集まって楽しんでいるのである。嫌な事件がないに越したことはなかった。

 心配して、それでも自分から動く気はない。

(この程度なら、放っておけばいい)

 攻撃自じ体たいはどうせ、悠ゆう二じに行くのである。

 その悠二はといえば、

「あっ、これ、前にお弁当に入れてくれてた奴やつだね。ええ、と……なんだっけ? 温かいと、また別な味がするな」

 悪戯いたずらをされたことも忘れて……というより、特に深く考えず、暢のん気きにパクパクとご馳ち走そうを頬ほお張ばっていた。

 弟の悪戯を突とつ発ぱつ性のものと思っている吉よし田だは、なにも知らぬまま、

「はい、キッシュです。温かいときはチーズを多めに入れて、ボリュームを増やすんです」

 言って、笑って、今という至し福ふくの時を過ごす。

 それを下しも座ざから、

(さて、どうなることやら)

 マージョリーが眺ながめるでもなく眺めていた。

 吉田が彼女のために改めて用意した肴さかな──軽く湯ゆ掻がいて醤しよう油ゆと摺すりゴマをかけたほうれん草──を、一人つまむ。元々おしゃべりに来たわけではなく、見届けに来たのである。そのときを待って、酒しゆ精せいのないシャンパンの甘さに閉口しながら、少年少女の会話を聞き流す。

 その端はしに、健けんは座っていた。

 微び妙みように混じらず騒がず、ただ黙って。

 姉の楽しげな様よう子すを、密ひそかに覗のぞいて。

 様々な思おも惑わくを内に秘め、楽しい誕生パーティーは続く。



 皆が料理をそれぞれ賞しよう味みした頃ころ合あいを見計らって、緒お方がたがシャナに目め配くばせした。

「一かず美み、それじゃあ、そろそろ誕生日恒こう例れいの行事に入りたいんだけどー?」

「え? うん」

 吉田は察して、テーブルの中央を見る。

 皆も同じく、一部に不安混じりの視線を、料理に取り囲まれた二つの箱へと注そそいだ。

 シャナと緒方謹きん製せい、吉田へのプレゼントたるケーキである。

「やっぱ誕生日には、これがなくちゃねー」

 緒方はうきうきした様子で席を立つ。

「蝋ろう燭そくは?」

「千ち草ぐさが用意してくれてる」

 吉田に答えて、シャナはポケットから綺き麗れいな色合いの、小さな蝋燭を入れたビニール袋を取り出した。この儀ぎ式しきについてのレクチャーは受け、予よ行こう演習もしっかりと済ませてある。

「蝋ろう燭そくをフー、って奴やつか。高校生にもなってやることか?」

 田た中なかが無神経に言って、佐さ藤とうに窘たしなめられる。

「イベントってのは趣しゆ向こうが盛りだくさんであるべきなんだよ」

「そうよ、白しらけること言わないでよねー」

 緒お方がたも尻しり馬うまに乗って糾きゆう弾だんした。

「へーへ、すいませんね。どうせ俺は気が利きませんよ」

 口を尖とがらせる田中を、池いけがなだめる。

「まあまあ、やることには賛成だろ?」

 そこに、悠ゆう二じが尋たずねた。

「ところで、気になってたんだけど……二つあるのはどうして?」

「まあ、その……」

 緒方は照れるように頭を掻かいた。

「一かず美みとか、坂さか井い君のお母かあさんみたいに、大きくって見み栄ばえのいいケーキは、まだできないからさ。小さめのを作ったの」

「みんなで食べるのなら二つにしよう、ってことになった」

 シャナも言って、箱に手をかけた。

 慌あわてて緒方も倣ならい、

「じゃ、開けまーす! いち、にの……さん!」

 二人は同時に、箱の上うわ蓋ぶたを外した。

「おおっ!」

「すげえ!」

「ケーキだ!」

「白いじゃないか痛っ!?」

 佐藤が田中が感かん嘆たんし、池が驚き、悠二がシャナに殴なぐられた。

 箱の中から、男性陣じんの不安を吹き払うような、真っ白い生クリームの塊かたまりにイチゴを円えん環かん状じように載せた、簡かん素そな拵こしらえの物体が二つ、現れていた。

 多少型かた崩くずれしていて、生クリームの表面にも不ぶ器き用ように塗りつけた工こう程ていがありありと窺うかがえるものの、ともかくもケーキという見かけの要件は満たしている。

 立りつ案あん者として誇らしげに胸を張る緒方、

「どう、一美? なかなかのもんでしょ?」

 同じく人に物を贈る誇らしさを抱くシャナ、

「味は私が確認した。甘くて美お味いしい」

 二人に見つめられた吉よし田だの許もとに、今度はその周りにいる友達から、大切な人から、

「よっしゃ、今度は俺らの番だな!」「ちょっ、バカ、一いつ斉せいにって言っただろ!」「こういうのは勢いだよ、勢い!」「おめでとう、吉よし田ださん!」

 雪崩なだれのように物を押し付けられた。

 ケーキと一緒にあげよう、と四人して示し合わせていた、各おの々おののプレゼントだった。

 真っ先に差し出した田た中なかは、リボンをかけたフライパン。制した池いけは要望どおり、箱に入ったシックな色合いのハンカチ。前のめりに捧げる佐さ藤とうは、マーガレットの小さな花束。そして悠ゆう二じは、なんとも工く夫ふうのない、犬のぬいぐるみ。

「田中、誕生日にフライパンはねーだろ」「花束か。そういうプレゼントもあったんだ」「おっ、高そうなハンカチ」「そんなことないって、それより犬の人形って平へい凡ぼんすぎだろ」

 わーわー言い合う少年らを、今度は、

「ちょっと、あんたたち。騒ぐんなら一かず美みにちゃんと渡してからにしなさいよ」「あげる方は逃げないんだから、順番に渡せばいい」

 と少女らが諭さとし、騒ぎに拍はく車しやをかける。

 その中、

「……」

 夢のような自分への全てに、吉田は胸の詰まる思いだった。

「…………」

 詰まったそこを越えて、歓かん喜きと感かん激げきと感謝が、涙となって溢あふれ出す。

「………………あ……、がとぅ……っ」

 止めどなく、震える声と涙が、溢れ出す。

「……あり、がとう……」

「吉田、さん……」

 悠二始め、ぴたりと騒ぐのを止めた皆は、しかし謝まらず、宥なだめもしない。吉田がポロポロと零こぼす滴しずくが、笑顔の涙と分かるからだった。皆してその姿に、嬉しいと思ってもらえた、という実感をもらい、照れ臭さと喜びを半々に、胸を熱くする。

 と、その中、緒お方がたが唐とう突とつに、

「か、一美ったら、大げさなんだから……シャナちゃん、蝋ろう燭そく立てよ」

 もらい泣きしそうな声を明るく励はげまして、中断したイベントを続行させる。

「ん」

 シャナも、頬ほおが熱くなるのを無視し、努めて平静な態度で、緒方に蝋燭を半はん分ぶん渡した。

 ケーキ二つに八本ずつ、蝋燭が立てられてゆく。静まった部屋の中、まるで神しん聖せいな儀ぎ式しきであるかのように、マッチによる火が点ともされてから──緒方が促うながす。

「一美」

「うん」

 その間、皆にクラッカーが配られる。受け取って、隣となりに回して、吉よし田だ以外に行き渡る。マージョリー以外、誰も気にしてはいなかったが、配ったのは健けんである。

 涙を指先で拭ぬぐいつつ吉田は立って、自分の前に置かれた二つのケーキ、その上で不ふ思し議ぎと周りを暗く見せる、十六の小さな灯ともし火びを見つめる。

「……」

 まだ少し涙で滲にじむ、その揺らめきから、一人の少年に目を移した。

 少年は涙の微笑に打たれ陶とう然ぜんと見つめ返し、その隣にある少女は気に食わないながらも『今くらいは』と見て見ぬふりをする。

 そうして吉田は、想いを胸に溜ためるように息を吸い、

「──ふぅっ」

 小さく緩やかな吐と息いきで、灯火を消す。

 一度では足りず、

「ふぅっ」

 涙混じりの照れ笑いを混ぜた二度目で、十六の灯火は全て消えた。



(いよいよ、か……)

 どうやらパーティーの進行役を自じ認にんしているらしい、賑にぎやかな人が、

「誕生日おめでとー!!」

 叫んでクラッカーをパンと鳴らした。

「おめでとう!」

 続いて大おお柄がらな人やメガネの人、緒お方がたさんに『シャナ』、坂さか井い悠ゆう二じが次々と続いて、大きな音と声で姉ねえちゃんを祝福する。その中、マージョリーさんは少しだけ笑って、指先でクラッカーを玩もてあそんでいる。

(よし)

 どことなく、自分に促うながしている、ように思う。

(やるぞ)

 もちろん、勝手な妄もう想そうだ。

「……」

 一秒二秒遅れて、皆が騒音で耳を麻ま痺ひさせた隙すきを突く。手にした自分の得え物もの、火か薬やくだけでなくテープや紙かみ吹雪ふぶきなどの中身までも増量して、容器も一巻き多く固めたという、特製のクラッカーを、坂井悠二に向ける。

「……──」

 その瞬間、『シャナ』がこっちを睨にらんだような気もしたが、構わない。

 邪じや魔まされないままに、グイと紐ひもを引っ張る。

「──っ!!」


 バァン!


 という凄すごい音とテープの束が、

「わあっ!?」

 坂さか井い悠ゆう二じの顔面を直ちよく撃げきして、ひっくり返らせた。

 姉ねえちゃんが叫ぶ。

「坂井君!!」

 やるつもりだった。

 やって、しまった。

 仕掛けたイベントは、あと一つ。



 騒そう音おんに痺しびれた空白の中、一同が、起きた事件を反はん芻すうする。

 今度こそ、間違いなかった。

 幸せ一いつ杯ぱいな雰ふん囲い気きを破壊する所しよ業ぎよう。

 健けんによる、坂井悠二への悪戯いたずら……否、嫌がらせだった。

 佐さ藤とうと田た中なかは改めて健の意図を確認し、緒お方がたは悪い予感が当たったことに絶ぜつ句くする。池いけは結局なにもできなかった自分に憤ふん慨がいした。シャナは無害とたかを括くくって動かなかったことを悔くやみ、マージョリーは、ただ知らん顔。

 悠二は倒れたまま、呆ぼう然ぜんとしている。体に怪け我がらしい怪我はなかったが、受けたショックで僅わずかに放心していた。

 そして、

「……」

 吉よし田だは、

「……」

 涙を流して、

「……健!!」

 怒っていた。

 さっきとは違う涙を流して、肩を震わせて、心の底から、怒っていた。

「!」

 驚いて目を見張る健に、ゆっくりと歩み寄る。涙を流しながら、怒りの表情もそのままに。弁べん解かいしようと思った緒お方がた、宥なだめようとした池いけ、二人に身動きを取らせないほどに、吉よし田だ一かず美みは怒りで一いつ杯ぱいになっていた。

 覚かく悟ごして待つ健けんの前に、立つ。

(ふう、ん……『健の馬鹿!』って泣き喚わめいて逃げなかったな)

 健は気弱な姉が、これまで見せた怒りの姿を一つずつ、脳のう裏りに巡らせてゆく。

(じゃあ……『どうして、こんな酷ひどいことするの!』かな)

 逃げたり、泣いたり、平ひら手て打うちしたりの、感情を爆発させた姉の姿を。

(それとも……『健なんか嫌い!』かな)

 巡らせて、その中から来るだろう、自分への断だん罪ざいを待つ。

「健」

「……」

 涙を流す姉を、弟は見上げる。

「直して」

「……えっ?」

 見上げた先で待っていた静かさ、意味不ふ明めいな言葉、これまでにない態度、全てに面めん食くらう弟へと、姉は示す。

 指で、テーブルの真ん中を。

 テーブルの真ん中にある、ケーキを。

「直して」

「あ……」

 テーブルの真ん中で、特製クラッカーが吐き出した紙テープと紙かみ吹雪ふぶきに塗まみれた、シャナと緒お方がたからのプレゼントであるケーキを。

 泣きながら、しかし強く、吉田は言う。

「お願いだから、直して」

「……」

 ようやく正気に戻り、身を起こした悠ゆう二じが、

「つ、つ……、ぁ──!?」

 全く今さら、深しん刻こくな事態のあることを知る。

 姉弟は、余よ人じんの入り難い対たい峙じの中にあった。

 他の面々が、長すぎるほどに長く感じた、しかし実際には僅わずか十秒ほどのそれは、

「……」

「……分かったよ」

 健の一言で、ようやく解けた。

 怒り、震える姉の横を通って、緒方の傍かたわらから、テーブルに手を伸ばす。

「ごめんなさい、緒お方がたさん、シャナ……さん」

「う、うん」

「……」

 戸と惑まどう緒方、黙っているシャナ、二人を見るでもなく、健けんは自分の仕し出でかした惨さん事じの後あと始し末まつを行う。

 生クリームの上にへばりついた紙テープを、イチゴに降りかかった紙かみ吹雪ふぶきを、一つずつ、型崩れしないように取り除いてゆく。

 その作業が終わる寸すん前ぜん、今まで傍ぼう観かんしていたマージョリーが、不意に口を開いた。

「で、どうなの?」

 答えて健が、

「はい」

 と一言だけ。

 気まずく張り詰めた空気の中で交わされた会話、その意味を、誰も理解できなかった。二人の仲ちゆう介かいをした緒方、その様よう子すを見ていた佐さ藤とうと田た中なからも、『やっぱり二人には、なにか示し合わせるところがあったのか』と改めて確認しただけである。

 やがて、始末を終えた健は、手に取った紙テープと紙吹雪を台所のゴミ箱へと捨て、シンクで手を洗う。

「泣いたり怒ったり、ただキレるだけだろ、って舐なめてたんですけど……なんか、妙みように打たれ強くなった感じです。誰のせい……いや、おかげ、なのかな」

 弟たる少年は、結局まだ謝っていない人間をチラリと見て、リビングの出口に向かう。

「……健?」

「姉ねえちゃん」

 怪け訝げんな面おも持もちになる姉に、背中越ごしの一言。

「これで、最後だから」

「っ!?」

 彼の手が、出口脇わきの壁に添えられている。

 その下にあるのが、台所とリビングの照明スイッチだと皆が気付いた瞬間、

 視し界かいが暗あん転てんした。



「健君、やめなさい!」

 緒方は健を制止しようと、寸すん前ぜんまで彼の見えた方向に走った。

「危ないって!」

 田中は緒方の飛び出す気配を感じて、その肩を掴つかもうとした。

「マージョリーさん!」

 佐さ藤とうは訳わけ知しりらしいマージョリーの方へと、声を張り上げた。

「坂さか井い!」

 池いけは、今度こそはと悠ゆう二じにもう一度伏ふせるよう手を伸ばした。

 シャナは、

(むっ!)

 リビングへと躍おどり込んでくる何者かの存在を察さつ知ちし、その進路を遮さえぎろうとした。遮ろうとして、クルリと闇やみの中で視し界かいが回転、放り出されていた。驚きよう愕がくに目を見開く。

「──なっ!?」

 悠二は、

(いけないっ!?)

 自分が近くにいると、また何か酷ひどいことが起きてしまうのでは、と咄とつ嗟さに考え、慌あわてて飛びのこうとして──全身をなにか、紐ひものようなものでぐるぐる巻きに拘こう束そくされた。

「ぐうっ!?」

 一方、闇の中、周りのドタバタした気配に立ちすくんだ吉よし田だは、

(え、えっ?)

 その肩と腰を、誰かの手で柔らかく捕とらえられた。固まる間に自分の体が浮き上がり、服を紐ひも解とくように脱がされる、代わりになにか別のものを纏まとわされる、不ふ可か思し議ぎな感かん触しよくが数秒の内に通り過ぎてゆく。

「な、な──」

「お静かに」

 闇の中から突然、平へい坦たんな女性の声で囁ささやかれて、

「!?」

 吉田は凍りついた。

 その声を聞きつけたシャナが、驚き叫ぶ。

「ヴィルヘルミナ!?」

 パチン、

 と突然、電灯が点ついた。

 いつの間にか、緒お方がたも佐藤も田た中なかも池もシャナも……健けんまでもが、同じ向きで並ばされていた。一列になった彼らの後ろには、部屋の端はしに付けられたテーブルがある。

 そして前には、

 輝くような、純白のドレス姿へと様さま変がわりした吉田一かず美みが、立っていた。

 それは、ただのドレスではない。柔らかな花のように広がる裾すそ、頭に載せた薄いベール、肘ひじまでの締まった手袋、そして、手に取ったブーケ──全てが純白の、


 ウェディングドレスだった。


 その清せい楚そな佇たたずまいに、並んだ一同は揃そろって言葉を失い、ただ見み惚とれる。

「……あっ?」

 自分の姿に驚いた吉よし田だは、慌あわてて周りを見回して、すぐ隣となりに、自分の夢たる姿を見つけた。

「あ、れ?」

 同じく自分の格かつ好こうに驚く坂さか井い悠ゆう二じ。彼も、純白のタキシードに身を包んでいた。

 唖あ然ぜんと、その『二人』を見ていたシャナが、

「っ!」

 唐とう突とつに我に返って、自分の傍かたわらに何気なく立っている女性を睨にらみつける。

「ヴィルヘルミナ! どういうこと!?」

 マージョリー以外の皆がぎょっとして、ようやくその女性の存在に気付いた。

 丈たけ長ながのワンピースに白いヘッドドレスとエプロン、律りち儀ぎに吉田家の来客用スリッパを履はいた、情感に乏しい容よう貌ぼうの女性である。

 やはり情感に乏しい声で、シャナの養よう育いく係にしてリボンを縦じゆう横おうに繰くるフレイムヘイズ『万ばん条じようの仕し手て』たる女性は言う。

「吉よし田だ健けん氏の要よう請せいであります」

「健の……?」

 吉田が、皆の並ぶ端はしで、プイとそっぽを向いている弟を見る。

 弟たる少年は、逸そらした先から、明らかに照れ隠かくしという、そっけない口く調ちようで言う。

「ま、ここまで豪ごう勢せいなの着せてくれるとは、思ってなかったけどさ」

 適当に着き飾かざらせて『写真の兄にいちゃん』とのツーショットを撮り、それをプレゼントにしてやろう、と当初計画していた少年は、それまではせいぜい悪戯いたずら、嫌がらせをしてやろうと計画していた少年は、マージョリーの紹介で助力してくれた女性の、あまりに見事な手て際ぎわ(フレイムヘイズとしての力を使ったのだから当然ではあったが)に驚きよう嘆たんし、同時に感謝していた。

「まあ……あれくらいやらなきゃ、これと釣つり合わないだろ?」

 吉田は思わず、

「健──!」

 意い地じ悪わるな弟に、抱きついていた。

「わっ!? あ、相手が違うだろ!!」

 真っ赤になって抗こう議ぎする健に、しかし吉田は頬ほおを寄せて頷うなずく。

「うん……でも、でも、ありがとう……」

「……ん。誕生日おめでとう、姉ねえちゃん」

 今度は、その目に涙はない。

 溢あふれているのは、ただ喜びだけだった。

 部屋の隅すみで壁にもたれ、一部始し終じゆうを見物していたマージョリーが、悠ゆう二じに向かってニヤリと笑いかける。

「ま、今日くらいはいーんじゃない?」

「はあ……」

 頼りなく返す悠二、

「と、いうことであります」

「もう──!」

 状況から怒るに怒れないシャナ、

 二人を、姉弟を囲んで、皆が笑う。

 その中で、吉田は心から、ここにいる皆に、ここにある全てに、言った。

「ありがとう」



 吉田一かず美みの机の上に、写真立てがもう一つ、増えた。

 新しい写真の中に在るのは、皆。

 片されたリビングで、結婚式の一いち場面のように集つどう、皆。

 ぷーと頬ほおを膨ふくらまして横を向くシャナ、苦く笑しようしてそれを宥なだめる池いけ、前に座って皆のプレゼントを掲げる佐さ藤とうと田た中なかと緒お方がた、照れ臭そうに鼻を掻かく健けん、後ろで無表情に立つヴィルヘルミナ、並んで呵か呵か大たい笑しようしているマージョリー。

 そして中央、二人して盛せい装そうし、真っ赤な顔で腕を組む、吉よし田だ一かず美みと坂さか井い悠ゆう二じ。

 弟に貰もらった、皆と撮った、大切な人との、写真だった。




 少女の日々は、想いを乗せて巡り行く。

 喜びと優しさと、温かさに包まれて。

 苦しみも悲しみも超えて、ずっと。