3 いたずら
その日は皆、微妙によそよそしい。
坂井悠二も池速人も、佐藤啓作に田中栄太、緒方真竹、シャナでさえ、一人の少女に対し、不可視の薄壁を隔てるような態度で接している。それはひんやりとした疎外ではなく、むしろ逆の、うずうずするような弾みの蓄積と隠蔽だった。
少女・吉田一美の誕生パーティーは、いよいよ今夜である。
「じゃ、私たち、先に帰るからねー!」
手荷物を提げた緒方が言って、友達の手を空いた方の手で取った。
その友達・シャナは戸惑いと驚きを表して、しかし逆らわずに連行されてゆく。
「ひ、引っ張らなくても──」
「勢い勢い! さ、早く!」
ドタバタと教室から出てゆく二人を見送って、佐藤がクックッと笑った。
「オガちゃん、またやけに熱入ってんな」
少女二人が、吉田へのプレゼントとして、誕生パーティーに出すケーキを作ることは、すでに参加者一同へと伝わっている。それはある意味、今日一番の見物と言えた。
「こういう賑やかなの、好きだからな」
田中は言ってから、うーむ、と唸る。
「シャナちゃんと組んで、か。どんな代物ができんだろな……こういうの、アレだ、なんて言ったっけ、えーと、ヘビがどうとか」
「鬼が出るか蛇が出るか?」
即答した池に向き直り、指を差した。
「そうそう、それだ」
鞄を取った悠二が、苦笑して言う。
「ひどいなあ。せっかく吉田さんに喜んでもらおう、って張り切ってるのに」
「そりゃー、そうだけど、なあ?」
「炭の塊を食べて喜べるかは微妙だろ」
「んー、料理は愛情って言うけど……あれは、ね」
佐藤、田中、池が、各々好き勝手なことを言った。
緒方はともかく、シャナの作る料理(と名乗る黒焦げのなにか)の実態は、彼ら親しい仲間内ではすでに周知の事実である。本人が満足げに悠二へと差し出し、食べさせる光景も──その後に彼が見せる『耐える男』の形相も──もはや一度二度で済まない回数、見ている。不安にならない方がおかしかった。
それでも、その主な被害者たる少年・悠二は精一杯の弁護を試みる。
「緒方さんも一緒だし、母さんもフォローするって言ってたから、なんとか、なるんじゃ、ないかな、うん」
その二人による昨晩の予行演習が『坂井家に立ち込める刺激臭』という結果に終わっていることは、あえて言わない。
「ま、なるようになるか……とりあえず、俺たちも一旦帰ろうぜ」
弁護が効いたのか、あるいは諦めるしかないと観念したのか、田中も鞄を手に立った。
「こっちはこっちで打ち合わせもあるしな」
佐藤も頷いて続く。
「吉田さん、お先に」
池が、窓際でコンコンと咳き込みながら黒板消しを叩いている吉田に、ひとまずの別れを告げた。今日一日、なんとなく距離を取っていた少女も、微笑んで返す。
最後に悠二が、軽く手を振った。
「今晩、またね」
途端、
「はい!」
微笑が花の咲くように明るくなる。
本人に自覚はないらしいが、男四人はその喜びの姿に、目を釘付けにされた。
皆して思わず赤面すること一秒の後、
「ぁ痛っ!」
悠二は佐藤に肩を、
「痛っ、な、なんだよ!?」
田中に背中を小突かれていた。
「別に、憎たらしいだけだ」
「そうだな、うん、憎いぞ」
そして、その傍ら、
「……」
人知れず、小さな溜息を吐く少年が一人。
四人は別れ際、大通りに面した正門で、改めて最後の打ち合わせを行う。
「ふうん。幸い、全員プレゼントは被らなかったわけだ」
皆から大まかな品目(いちおう、お互い詳細は隠す)を聞いた池が、安堵の声を漏らした。
「昨日、相談とかしてなかったからな。結構心配だったんだ」
田中が、周到すぎる『メガネマン』の杞憂を笑い飛ばす。
「貰う方がそこまで気にするか? もし被っても、両方ともプレゼントなら嬉しいだろ」
「あー、でも」
と佐藤が人差し指を立てる。
「同じものプレゼントして、なんか見劣りとかしたら、確かに嫌だなー」
悠二は笑って、池に向き直る。
「結局はバラけたみたいだし、いいじゃないか。で、なにか他に決めることは?」
「いや。僕からは、その確認以外は特に。こういうことは佐藤の方が詳しいだろ。用意するようなものとかあるか?」
頼られた佐藤は、腕を組んで考える。
「そーだな……盛り上げるためのパーティーグッズくらいは揃えとこう。吉田ちゃんがそういうの、買ってるとは思えんし」
「そりゃそーだ。駅前辺りに寄ってみるか」
田中が言って、
「細かい品目はいいだろ。各人、テキトーに行きがけにでも探すように」
池がまとめ、
「分かった。集合、遅れないようにな」
悠二が答えて、パーティーに招待された男四人は、再びの集合に備えるため、解散した。
一方、同じくパーティーに招待された女二人、シャナと緒方は、自宅には戻らず、坂井家に直行していた。
「ごめんくださーい!」
呼び鈴を押すと同時に声をかけると程なく、
「はーい」
トタトタと廊下をやってくる音と気配がして、すぐ扉が開いた。
「いらっしゃい。待ってたわよ、二人とも」
柔らかな声とともに、和やかな笑顔の女性が顔を出す。悠二の母・千草である。
「用意はしてあるから、さっそく取り掛かりましょうか」
「ん」
半年からこの家に出入りするシャナは軽く、
「お邪魔します」
慣れていない緒方は畏まって答え、玄関に靴を揃える。
ちなみに、緒方が提げている荷物は、パーティーのための着替えで、ケーキ作りの材料ではない。その手の準備は前日に万端整えている(足りなくなったもの、足りなくなりそうなものは、千草が今朝の内にこっそりと買い増しに出ていた)。
時間ギリギリまでケーキを作り、着替え等の支度も坂井家で行う、というのが二人の計画だった。もちろん、提案したのは千草である。
「じゃ、昨日決めた通りに分担しましょうね」
その千草が言って、二人をそれぞれの戦場へと案内する。
緒方は台所、シャナは食卓のある、続きの居間である。
昨日、とある用事から、やや遅れて坂井家にやってきた緒方と、張り切って千草と準備し待ち構えていたシャナは、予行演習という名の惨劇、食材に対する最大限の侮辱、二つの試練を経て、一つの方針を定めていた。
即ち、
ケーキのスポンジ部分は緒方が、
飾り付け部分はシャナが担当する、
というものである。
シャナは火を使わせるといかなる品目も十中八九十、『黒焦げのなにか』に変えてしまうのだから、この担当区分は至極妥当な配置と言えた。緒方は特段、料理の腕前に長けているわけではない……どころかケーキ作り自体、実は初めての経験だった。が、それでもシャナよりは任せられる、と千草は判断したのである。
シャナは自分より遥かにその道を極めている女性の判断を(渋々と)支持した。今はただ、自分に振り分けられた作業、飾り付けの方に全力を傾注するつもりである。それでも、
「まずは、生クリーム作りからね」
そう言って、エプロンとボウルを渡す千草に、
「分かってる。昨日何度もやった」
答えつつ、僅か口を尖らせてしまう。
もちろん千草は、そんな態度を取る少女を可愛らしく思う。
と、二人の傍らで、昨日買ったばかりのエプロンを身に付けた緒方が、
「よーし、私も……お願いします!」
まるで部活のように、大きく鋭く叫んだ。
千草は変わらず笑って、ポンと肩を叩く。
「緒方さん、そう力まないで。お菓子作りは気軽に楽しく、ね?」
「はいっ! ……あ」
「ふふ、それじゃあ、まずは昨日の復習からね。スポンジケーキ作りで注意することは、覚えてる?」
「はいっ、生地を型に入れるとき、真ん中に集まらないように──」
「千草、変な色になった」
「……シャナちゃん、なに混ぜたの?」
偉大なる主婦による督励の元、少女二人の奮闘が始まった。
ところでもう一人、商店街にある喫茶店の片隅で、
「……」
「どう? できるでしょ?」
吉田一美の誕生パーティーに向けた準備に余念のない少年がいた。
「……」
「ふむ。なんとか、なるでありましょう」
吉田の弟・健である。
「……ホント、ですか? 俺──僕の考えてたのは、もっと簡単な……」
「ま、たしかに信じられないでしょうけど、このオネーサン、そういうことは名人級なのよ。私を紹介したマタケに恥かかすような真似はしないから、安心なさい」
「吉田一美嬢には、いつぞや迷惑をおかけした借りが、あるのであります。お返しという意味で、今回の件における協力は、むしろ望むところであります」
彼は、彼個人の準備とともに、一つの計画を、とある女性らと密かに進めていた。
「はあ……よろしく、お願いします」
「はーいはい。んで、私はどーやって参加すればいいのかしら」
「貴女はごく普通に、正面から入場すればよろしいのであります」
姉の誕生パーティーにおける、一つの計画を。
「それじゃ僕、家で待ってます。え、と……」
「いーわよ、払っとくから」
「でも」
「どうぞ、ご遠慮なきよう。これも、お返しの一環であります」
とある、二人の女性らとともに。
夕飯時というにはやや遅い、午後八時前。
街灯が明るさを主張し始めた御崎市商店街には、客よりも家路を急ぐ会社員の姿が目立つようになっている。
軒を連ねる店々は、御崎市東側の繁華街などとは違って、個人商店が主であるため、午後八時を店仕舞いの刻限とする所も多い。
この、人通りも疎らとなった通りの西口(学校の塀沿いに出る東口と反対側)に、ラフな私服姿の少年四人が、最後に合流する少女二人を待っていた。言うまでもない、
「こーいうイベントってのはさ、バラバラに訪ねたりしたら微妙にシラけんだよ。全員で一気に賑やかに押しかけようぜ」
佐藤、確信を持っての提案を受けた、悠二らパーティーに参加する男性陣である。
この待ち合わせの提案者である佐藤が、襟の中に首を竦めて言う。
「坂井、ケーキ、どれくらいできてたんだ?」
まだまだ残暑の残る季節ではあったが、夕暮れも過ぎた後に吹き行く風が、彼らになんとはなしの寒々しさを演じさせていた。
悠二は頭を掻いて返す。
「出るときは、今にも完成するようなこと言ってたんだけどなあ。すぐ追いかけるから、って緒方さんも言ってたし……」
「もう吉田さん家に行く時間になるぞ」
池が携帯の時計を見て言った。
田中も顎に手を当てて唸る。
「うーむ、なんとも捻りのない話だ」
結果としては、この場の誰もが予想していた通りの展開となった。
ケーキ作りに勤しんでいるシャナと緒方が、集合に遅れていたのである。そのための時間を余計に取っての、やや遅めに集合というスケジュールだった(招待側の吉田に料理を作る余裕を持たせるためでもあった)のだが……やはり二人は悪戦苦闘しているらしい。
「集合に手間取って吉田さんを待たせたんじゃ本末転倒なんだけどな。坂井の家に電話して、まだダメなら、僕らだけで先に行──」
「ごめーん! お待たせ!!」
池の勇み足を、間一髪で緒方の声が遮った。
見れば、商店街の疎らな人影の間を、少女二人が歩いてくる。
「おーいおい、遅いぞ、二人とも……」
佐藤が口を尖らせた。尖らせて、そのまま口笛を吹いた。
二人は、大袈裟過ぎないほどに、しかし疲れて帰路に着く雑踏の中で輝くほどに薄く化粧を施し、また着飾っていたのである。
緒方は淡い緑を基調にしたパンツルック、シャナは逆にモノトーン風な柄のブラウスとプリーツスカートで、背の高低とも相俟った、見事な好対照を成していた。それぞれが持つ、ケーキらしい綺麗な包装紙に包んだ箱が、道行く目的を明確に示している。
もっとも、男どもの感性は、それらを表現するには、あまりに無粋である。
「また今日は気合入ってんな」
という田中の言葉に、緒方はプーッと頬を膨らませた。
「まず『綺麗だな』でしょ?」
遅れて、池が苦笑とともにフォローする。
「うん、よく似合ってると思うよ。それはもちろん思うけどさ。今、先に行くかどうか、考えてたとこなんだ。間に合ってよかったよ」
「走ったら振動でケーキが崩れるし、千草も『汗ばんでお化粧が台無しなる』って言った」
シャナが実直かつ明快に回答した。
そうして、悠二をじっと見る。
「あ、シャナも、綺麗だね、うん」
悠二は期待に背中を一突きされるように、頷いていた。
その、いかにも適当な反応に、シャナも頬を膨らませる。
そして、
「話すんなら、歩きながらにしよう。もう時間がないからさ」
「よっしゃ、行くか。俺、吉田ちゃん家、初めてなんだよな」
池と佐藤が、
「シャナ、ケーキの箱、持とうか?」
「いい。自分で持ちたい」
悠二とシャナが、
「で、オガちゃん、結局どうだったんだよ」
「ま、着いてからのお楽しみってとこね」
田中と緒方が、
ようやくメイン会場へと足を向ける。
ピンポーン、
と芸のない呼び鈴が鳴って、
「っ!」
リビングで待ち侘びていた吉田が、跳ねるように立ち上がった。自分の格好、飾り気のない上品なワンピースという姿を、柱にかけた小さな鏡で確認して、少し髪飾りを直す。
「……よしっ」
小さく頷いて、短い廊下へと出た。
「はーい!」
大きくない声をかける間に着く玄関は、やけに静かである。
(誰か、一人で来たのかな?)
家が近い池君かな、などと思いつつ、ドアを開けたそこには、
「おっ、やっぱめかし込んでるじゃん?」
「……健」
毎日家で見ている顔があった。ガックリと肩を落とす。
そんな姉の様子に、密かに、しかしかなりムッと来た健は、からかいながら中に入る。
「そんな顔してたら、そこにいる坂井悠二に嫌われるぞ」
「えっ」
顔を上げた先には、暗い夜の玄関のみ。
「姉ちゃん、引っかかりすぎー」
「もう、健!」
さすがに吉田は怒って、ドアをやや乱暴に閉めた。逃げる弟を追って振り向く、その背中に、
ピンポーン、
と再びの呼び鈴が。
「あっ!」
さっきのドアを閉めた音や自分の怒鳴り声(客観的にはさほど大きくも無い声である)が 聞こえていなかったか心配する。
(落ち着いて、落ち着いて……)
今度こそ、と胸に手を当てて深呼吸し、
「今開けまーす!」
と、ややわざとらしくその場で声を上げてから、ドアを開ける。
「こーんばんは、カズミ」
「マージョリーさん!?」
思いもかけない美麗の女傑が、なんということもなく玄関先に立っていた。
「来てくださったんですか」
「まー、気が向いちゃったのよね、なんか」
「いよーう、嬢ちゃん。ハッピーバースデー、ヒャッヒャ」
彼女の右脇にある〝グリモア〟から、周囲に気を配ってか、やや小声のマルコシアスが挨拶した。
「はい、どうも、ご丁寧に……、あ、どうぞお入りください」
戸惑いがちに、しかしよく恋愛についての相談を緒方とともに持ちかけている女性を、内に招く。来客用のスリッパを出した、その前、ドアの閉まる音と重ねるように、
「はい、プレゼントのシャンパン。ノンアルコールだけど」
ドン、と大きな瓶の束が置かれる。
「あ、ありがとうございます」
驚く彼女を他所に、マージョリーは周りを見る。家そのものではなく、来訪者の有無を気配に確かめて、鼻をフンと鳴らした。
「連中、まだ来てないのね」
少女が待っていた、そのことを、それだけで、それゆえに、憤る。待たせた仲間たち、特に一人の少年の仕打ちに、呆れの溜息を吐いた。
「ったく、しようのない」
吉田も察し、慌てて手を振る。
「いえ、約束の時間は──」
ちらり、と靴箱上の置時計を見て、
「──今、ちょうど、過ぎましたけど……」
少しだけがっかりした。
瞬間、
ピンポーン、
と三度の呼び鈴が。
「あっ」
思わずマージョリーを見て、そこから一転した笑顔を受け取る。本当に今度こそ、とドキドキしながら玄関のドアに手をかけた。
と、その髪飾りの位置を、マージョリーがひょいと直した。
吉田は気付き、
「どうも、ありが──」
「いーから」
言う途中で促されて、微笑み返すだけに止める。マージョリーの、笑顔に手に言葉に勇気を貰ったような強い気持ちで、ドアを開けた。
途端、
パパパパパパーン!!
と連続したクラッカーの破裂音が鳴って、
「─ふわぁっ!?」

貰った勇気も瞬時に消し飛んだ少女は、一たまりもなく後ろに倒れた。
「おっ誕生日おめでとー!」「おめでとさん!!」「おめでとー!」「おめでとう!」「おめでとう、吉田さん!」「おめでと」
佐藤の音頭に重ねて続けて、田中と緒方と池と悠二とシャナが口々に言い、そして倒れかけた吉田と彼女を支えるマージョリー、二人を見て驚いた。
「マージョリーさん!?」「姐さん、なんで?」「一美!」「吉田さん、大丈夫!?」「わっ、ご、ごめん吉田さん!」「あっ」
騒がしい来訪者たちに転ばされて、
「──」
しかし吉田はクスクスと笑っていた。
「──、ふふ、あはは」
「大丈夫……みたい、ね」
抱きとめていたマージョリーも、表情に安堵と等分に笑みを混ぜ、やがて全員にその表情は伝わっていった。
そうして、招待主たる少女は──ようやくの、心からの笑顔で、客人たちを迎えた。
「ようこそ。いらっしゃい」
(よし、行くぞ)
作戦開始である。
「あ、今からなんだ?」
さりげなく、廊下の奥から出て行く。
さりげなく、さりげなく、軽く請け負う風に。
「姉ちゃん。俺がスリッパ出すよ」
「そう? じゃ、お願い──あ、弟の健です。こっちですから!」
はじめまして、と挨拶する間に、姉ちゃんはマージョリーさんからプレゼントされたシャンパンを抱えて、リビングに入ってゆく。これで大丈夫。
マージョリーさんが、ドキリとするような目配せをして、声をかけてきた。
「あがらせてもらうわよー」
「はい。どうぞ」
その足元に、スリッパを置く。
次に、あの『シャナ』が靴を脱いだ。
「ええ、と──オジャマシマス」
なんだか言い慣れない平坦なアクセントで言う、その足元に同じく、
「……どうぞ」
スリッパを出す。と、目の端で、坂井悠二が靴を脱いでいる。
今だ。来客用スリッパの箱の中、別に分けておいた特製品を、何食わぬ顔で。
「どうぞ」
「ありがとう」
履いて踏み出した瞬間、坂井悠二は、すっ転んで頭を打った。
まずは一つ。
吉田の父母から、『ゆっくりしていってください』、『みんな楽しんでちょうだいね』、という穏やかな挨拶を受けてすぐ、一同は吉田家のリビングにあるテーブルを囲んで立った。
上座に招待者兼主役の吉田。
右側に、悠二、シャナ、池。
左側に、緒方、田中、佐藤。
対する下座に、マージョリー(彼女は吉田の父母から、まるで保護者代行のように扱われ、「これじゃ飲もうにも飲めない」と愚痴を零していた)という席取りである。
健はごく普通に家で過ごすように、リビングと続きの台所から、その様子を眺めている。
「それにしても……」
緒方が、コンプレックスもありありという風に、口を開いた。
「ケーキは私たちが作る、ってこと、前もって言っといて良かったわ」
「ま、この腕前と競わされちゃあな」
田中の率直な感想にも、反発の声を出せないほどの、それは豪勢な眺めだった。
テーブルの上には、吉田の作った様々な料理が所狭しと並べられていたのである。
一口で摘めそうなクラッカー類、食べ応えのありそうな惣菜、透き通ったスープに切り分けられた果物類……高級感と贅沢さではなく、手間暇と心尽くしからなる品目が揃っている。漂う匂いが、空腹感を助長させていた。
吉田は少し照れて言う。
「ちょっと、張り切りすぎたみたいで……」
「ちょっと、ね。はは」
さすがのメガネマンが、感嘆に僅か呆れさえ混ぜて笑った。
悠二もただただ圧倒されるばかりである。
「でも、これはこれで、吉田さんの誕生日らしいかも」
さっき廊下で打った頭を押さえつつ、一番労力を使っただろう招待者に笑いかけた。
「そ、そうですか?」
それを受けて、輝くような笑顔になる少女、
(なに平然と『シャナ』を隣に立たせてんだよ)
逆に、不機嫌極まりない顰めっ面になる少年、
双方をチラリと見やったマージョリーが、誰とはなしに声をかける。
「論評は、実際に食べてからにした方が盛り上がんじゃないの?」
それはそうだ、と立ちっ放しだった一同が椅子を引きかけたとき、
「待った待った!」
こういうイベントだと必ず進行役になる佐藤が、声を張り上げた。
「せっかくマージョリーさんがシャンパン持ってきてくれたんだ、座る前に、一つ乾杯といこうぜ!」
「お、いいな」
「さんせー!」
田中と緒方が即座に賛同して、悠二と池とシャナが、裁可を求むべく吉田を見た。
もちろん、拒否の来ようはずもない。
「はい、じゃあグラスを──」
「姉ちゃん。俺が出すよ」
台所にいた健が言って、戸棚を開けた。
吉田は、妙に甲斐甲斐しい弟の様子に首を傾げる。
「今日はずいぶん親切なのね?」
「そんなことないって」
首を振って言う健に、マージョリーが意地悪く笑いかける。
「実はお姉ちゃんのパーティーに混ぜて欲しいんじゃないの?」
「えっ?」
吉田は少し意外だった。
弟が、こういう姉の関係する話や催しに立ち入ってきたことは、今までになかった。好き嫌いよりも、少年としての照れ臭さやバツの悪さが先立つのだろう、と思っていた。
しかし、さっきからスリッパやグラスを出したり、台所に用もなく座っていたりと、妙な態度を取っているのも確かである。
「そうなの、健?」
訊いてみると、さらに意外なことに、
「いいかな?」
と遠慮気味な態度での、許可さえ求めてきた。
友人たちが白けないだろうか、と一同を振り返るが、もちろんそんなことを言い立てる者はいない。池が皆を代表するかのように、
「いいんじゃない?」
と軽く言った。周りも頷いて返す。
「じゃあ!」
健も、わざとらしいほど朗らかに笑って、まるで仲間入りの儀式のように、皆にグラスを配ってゆく。
その中、悠二もグラスを受け取った。デジャヴを覚えるシチュエーションに、ほんの僅か緊張する。玄関での悪夢が、痛みとして脳裏に蘇る。
(このスリッパ……なんだかやけに、底がツルツルしてるような……まさか、ね)
そのまさか──健の手による『底に蝋を摺り込む』などという古風な悪戯──を、可能性としては捉えても、実際にそんなことあるわけがない、と楽観する、お人好しな彼である。
(……)
グラスになにか塗られていないか、ふと確認して自己嫌悪を覚える。
(……はは、馬鹿みたい)
会ったこともない吉田さんの弟に悪戯なんかされるわけがない、スリッパのことも思い過ごしだろう、と彼は常識から結論付けた。
健はその間、
「この私が、ノンアルコールで乾杯する羽目になるとはねー」
とぼやくマージョリーに、最後のグラスを差し出している。
「どうぞ」
言った刹那、その瞳が、確認を求め窺うような色、稚気を帯びた弾むような気配を、僅かに過ぎらせた。もちろん、特定個人にとっての危険なそれらは、他の誰にも見えない。
そしてマージョリーは、
「あんがと」
と一言だけを返した。
やがて、新たに健も加えた全員のグラスにシャンパンが満たされたのを見た佐藤が言う。
「よーし、それじゃ、まずは吉田さん」
「はい?」
「誕生パーティー開会の宣言から、どーぞ!」
「え、ええっ!?」
全く予測だにしていなかったことを求められた吉田は、危うくグラスの中身を零しかけるほどに動揺した。
「いよっ、待ってました!」
「頑張ってー!」
田中と緒方が囃し立てる。悠二は暢気に笑い、池などは拍手までした。
「え、え、でも……」
口ごもって、その場でオドオドして立ち尽くす。少人数の仲間内とはいえ、他者から注目されることを苦手とする彼女にとって、これは十分な難業なのだった。こうして慌てていることへの済まなさまで加わり、混乱に拍車がかかる。
なかなか言い出せない彼女に、悠二が傍らから一言だけ、助け舟を出した。
「今日はありがとう、でいいと思うよ」
吉田は、少年の声に弾みと笑顔を貰って、
「は、はい」
それでも少し詰まりながら、
「今日は、どうも、ありが、とう……ございます」
ようやく言い切って一息吐いた。
応えて佐藤が、正反対の大声で叫ぶ。
「っしゃ、それじゃ、吉田一美さん十六歳の誕生日を祝して……カンパーイ!」
皆が一斉に、少し遅れてシャナも、声を合わせて唱和した。
「かんぱーい!!」
(まだ、半信半疑って感じだな)
他が一気に飲み干す中、坂井悠二だけが味を確かめるように、警戒しながらシャンパンを飲んでいる。もちろん、仕掛けなどしていない。
グラスには。
そうして安心させ、皆と予想通りの席に着いた瞬間、
ブー、
と、座布団の下から音が出た。
「えっ!?」
「おい」「悠二、下品」「ちょっ、ヤダ、坂井君」「坂井……」「おまえなー」「クックッ……」
大柄な人、『シャナ』、緒方さん、メガネの人、賑やかな人のジトッとした目線に、マージョリーさんの忍び笑いがオマケについた。
坂井悠二は、慌てて立ち上がる。
「い、いや! 違うよ、してないって!?」
姉ちゃんは、なにが起こったのか分からずキョトンと見上げて、
「あ……」
すぐ、顔を真っ赤にして俯く。
「だから違うってば! ここに座ったら……あっ!」
坂井悠二が、ようやく座布団の下から、ブーブークッションを引き出した。
犯人への追及が始まる、その機先を制して、さっさと認める。
「うっかり置き忘れてました。すいません」
「えっ……そ、そう」
坂井悠二始め、一同は気勢を削がれる。
「健!」
姉ちゃんだけが怒った。これも予想通り。
「い、いいよ吉田さん。別に」
そう言うだろう。言った以上、話は流れる。
「ま、これもイベントに付き物の、笑えるアクシデントってやつだ。場も解れたところで、楽しく飯食おうぜ!」
賑やかな人が、笑って仕切りなおした。
上手い言い訳だ、見習おう。
「そ、それじゃ、どうぞ食べてください」
気を取り直した吉田が言って、パーティーは一見、和やかに始まったが、各々の心境は複雑である。
「いっただきまーす。お、これ美味そう!」
「アスパラのベーコン巻きか。なんか別の野菜も挟んであるな」
田中と佐藤は実のところ、健が悠二にした悪戯を、偶然ではない、と当たり前に認識していた。さっき転んだ経緯を目の前で見ていた、というだけでなく、少年の開き直った白々しさ、明るさに透けて見えるわざとらしさは、彼らのよく知る感覚だったからである。
とはいえ、なにを積極的にするでもない。
(あー、やっぱ昨日、佐藤の家まで相談に来たのって、そういうことだったのか)
(こりゃ、止めても無駄なんだろーな)
所詮このことには部外者、諦めと好奇の視線でもって成り行きを見守るのみだった。
一方、
「このサーモン、いい香りがするね」
緒方は、そう手放しに構えてもいられない。健に悩みを持ちかけられ、マージョリーに紹介したという責任もある。
(マージョリーさん、けしかけるようなこと言ったんじゃ……?)
姉を思いやる彼が悠二を警戒するだろうことは分かっていたが、誕生パーティーにかこつけて、嫌がらせ紛いの行為……ではなく、嫌がらせそのものを行うとは、正直、予想外だった。自身の知る限り、陰湿とは程遠い性格の子だったし、マージョリーがその手のことを黙認するとも思っていなかったのである。
(せっかく一美が、なんの遠慮もなしに坂井君と楽しく過ごせるイベントだってのに……)
まさか弟である健が、その邪魔をするとは思いもしなかった。今の立場にある自分が、どうすれば丸く収められるのか、見当も付かない。
(……でも、もう目の前ではやらないよね)
あえて希望的観測にすがってみる。スリッパも仮に悪戯の一環だとして、もう吉田には目撃されてしまった。さすがにこれ以上は、姉のためにも下手な真似はしないだろう。
(そうよね、考えすぎよ、ね……はは)
逃避のように、そう思う。
そう思えない者も、いた。
「ふうん、このニンジンの炒め物、すごく甘いな。レストランの付けあわせみたいだ」
池の睨んだところ、吉田の弟は、まだなにかしでかしそうな雰囲気である。
(理由は……考えるまでもないか)
それにしても、嫌がらせをして溜飲を下げるには、いかにも場違いの観があった。姉が最も楽しみたい場面で、姉の好きな人を酷い目に遭わせるのは、徒に姉を悲しませてしまうだけなのではないか。
(お茶目、って言うには、どうにもやり口がシビアなんだよな……弟とは仲がいい、って吉田さんも言ってたし、玄関口で少し話した限りは、その通りに見えたけど)
なんにせよ、そのせいで吉田の誕生日が台無しになってしまうというのはいただけない。軽い警戒くらいはしておくべきだろう、と思う。
(もっとも、主導権は健君にあるから、どこまで意味があるかは分からないけど)
いつしか癖になっている、密かな溜息を一つ吐いて、
(ホント、なんでこう、変な苦労ばかり、勝手に背負い込んでんだろ)
メガネマンは非常の事態へと備える。
全てを感じていながら、大筋の意図を掴んでなお、なにもする気のない少女がいる。
「あむ、んむ……このピラフ、バターの香りがして、すごく美味しい」
シャナは、悠二を巡って対立するライバルである吉田を、認めつつも距離を取っている。
個人の性質として彼女を好いているし、仲良くすることにも抵抗はないが、だからといって自分から近付くこともない。今起きていることについての事情を詮索する気も、弟そのものへの興味も特にない。
(まあ、大した害もないみたいだし)
それに、と思う。
(舞い上がってる悠二も、少しくらい痛い目を見た方がいい)
でも、とも思う。
(吉田一美が嫌な気分にならなきゃいいけど)
自分と対するときには恐ろしく強くて頑固だが、それ以外の心身への衝撃にはてんで弱い少女を、よく知っているからこそ、心配する。せっかく皆で集まって楽しんでいるのである。嫌な事件がないに越したことはなかった。
心配して、それでも自分から動く気はない。
(この程度なら、放っておけばいい)
攻撃自体はどうせ、悠二に行くのである。
その悠二はといえば、
「あっ、これ、前にお弁当に入れてくれてた奴だね。ええ、と……なんだっけ? 温かいと、また別な味がするな」
悪戯をされたことも忘れて……というより、特に深く考えず、暢気にパクパクとご馳走を頬張っていた。
弟の悪戯を突発性のものと思っている吉田は、なにも知らぬまま、
「はい、キッシュです。温かいときはチーズを多めに入れて、ボリュームを増やすんです」
言って、笑って、今という至福の時を過ごす。
それを下座から、
(さて、どうなることやら)
マージョリーが眺めるでもなく眺めていた。
吉田が彼女のために改めて用意した肴──軽く湯掻いて醤油と摺りゴマをかけたほうれん草──を、一人つまむ。元々おしゃべりに来たわけではなく、見届けに来たのである。そのときを待って、酒精のないシャンパンの甘さに閉口しながら、少年少女の会話を聞き流す。
その端に、健は座っていた。
微妙に混じらず騒がず、ただ黙って。
姉の楽しげな様子を、密かに覗いて。
様々な思惑を内に秘め、楽しい誕生パーティーは続く。
皆が料理をそれぞれ賞味した頃合を見計らって、緒方がシャナに目配せした。
「一美、それじゃあ、そろそろ誕生日恒例の行事に入りたいんだけどー?」
「え? うん」
吉田は察して、テーブルの中央を見る。
皆も同じく、一部に不安混じりの視線を、料理に取り囲まれた二つの箱へと注いだ。
シャナと緒方謹製、吉田へのプレゼントたるケーキである。
「やっぱ誕生日には、これがなくちゃねー」
緒方はうきうきした様子で席を立つ。
「蝋燭は?」
「千草が用意してくれてる」
吉田に答えて、シャナはポケットから綺麗な色合いの、小さな蝋燭を入れたビニール袋を取り出した。この儀式についてのレクチャーは受け、予行演習もしっかりと済ませてある。
「蝋燭をフー、って奴か。高校生にもなってやることか?」
田中が無神経に言って、佐藤に窘められる。
「イベントってのは趣向が盛りだくさんであるべきなんだよ」
「そうよ、白けること言わないでよねー」
緒方も尻馬に乗って糾弾した。
「へーへ、すいませんね。どうせ俺は気が利きませんよ」
口を尖らせる田中を、池がなだめる。
「まあまあ、やることには賛成だろ?」
そこに、悠二が尋ねた。
「ところで、気になってたんだけど……二つあるのはどうして?」
「まあ、その……」
緒方は照れるように頭を掻いた。
「一美とか、坂井君のお母さんみたいに、大きくって見栄えのいいケーキは、まだできないからさ。小さめのを作ったの」
「みんなで食べるのなら二つにしよう、ってことになった」
シャナも言って、箱に手をかけた。
慌てて緒方も倣い、
「じゃ、開けまーす! いち、にの……さん!」
二人は同時に、箱の上蓋を外した。
「おおっ!」
「すげえ!」
「ケーキだ!」
「白いじゃないか痛っ!?」
佐藤が田中が感嘆し、池が驚き、悠二がシャナに殴られた。
箱の中から、男性陣の不安を吹き払うような、真っ白い生クリームの塊にイチゴを円環状に載せた、簡素な拵えの物体が二つ、現れていた。
多少型崩れしていて、生クリームの表面にも不器用に塗りつけた工程がありありと窺えるものの、ともかくもケーキという見かけの要件は満たしている。
立案者として誇らしげに胸を張る緒方、
「どう、一美? なかなかのもんでしょ?」
同じく人に物を贈る誇らしさを抱くシャナ、
「味は私が確認した。甘くて美味しい」
二人に見つめられた吉田の許に、今度はその周りにいる友達から、大切な人から、
「よっしゃ、今度は俺らの番だな!」「ちょっ、バカ、一斉にって言っただろ!」「こういうのは勢いだよ、勢い!」「おめでとう、吉田さん!」
雪崩のように物を押し付けられた。
ケーキと一緒にあげよう、と四人して示し合わせていた、各々のプレゼントだった。
真っ先に差し出した田中は、リボンをかけたフライパン。制した池は要望どおり、箱に入ったシックな色合いのハンカチ。前のめりに捧げる佐藤は、マーガレットの小さな花束。そして悠二は、なんとも工夫のない、犬のぬいぐるみ。
「田中、誕生日にフライパンはねーだろ」「花束か。そういうプレゼントもあったんだ」「おっ、高そうなハンカチ」「そんなことないって、それより犬の人形って平凡すぎだろ」
わーわー言い合う少年らを、今度は、
「ちょっと、あんたたち。騒ぐんなら一美にちゃんと渡してからにしなさいよ」「あげる方は逃げないんだから、順番に渡せばいい」
と少女らが諭し、騒ぎに拍車をかける。
その中、
「……」
夢のような自分への全てに、吉田は胸の詰まる思いだった。
「…………」
詰まったそこを越えて、歓喜と感激と感謝が、涙となって溢れ出す。
「………………あ……、がとぅ……っ」
止めどなく、震える声と涙が、溢れ出す。
「……あり、がとう……」
「吉田、さん……」
悠二始め、ぴたりと騒ぐのを止めた皆は、しかし謝まらず、宥めもしない。吉田がポロポロと零す滴が、笑顔の涙と分かるからだった。皆してその姿に、嬉しいと思ってもらえた、という実感をもらい、照れ臭さと喜びを半々に、胸を熱くする。
と、その中、緒方が唐突に、
「か、一美ったら、大げさなんだから……シャナちゃん、蝋燭立てよ」
もらい泣きしそうな声を明るく励まして、中断したイベントを続行させる。
「ん」
シャナも、頬が熱くなるのを無視し、努めて平静な態度で、緒方に蝋燭を半分渡した。
ケーキ二つに八本ずつ、蝋燭が立てられてゆく。静まった部屋の中、まるで神聖な儀式であるかのように、マッチによる火が点されてから──緒方が促す。
「一美」
「うん」
その間、皆にクラッカーが配られる。受け取って、隣に回して、吉田以外に行き渡る。マージョリー以外、誰も気にしてはいなかったが、配ったのは健である。
涙を指先で拭いつつ吉田は立って、自分の前に置かれた二つのケーキ、その上で不思議と周りを暗く見せる、十六の小さな灯火を見つめる。
「……」
まだ少し涙で滲む、その揺らめきから、一人の少年に目を移した。
少年は涙の微笑に打たれ陶然と見つめ返し、その隣にある少女は気に食わないながらも『今くらいは』と見て見ぬふりをする。
そうして吉田は、想いを胸に溜めるように息を吸い、
「──ふぅっ」
小さく緩やかな吐息で、灯火を消す。
一度では足りず、
「ふぅっ」
涙混じりの照れ笑いを混ぜた二度目で、十六の灯火は全て消えた。
(いよいよ、か……)
どうやらパーティーの進行役を自認しているらしい、賑やかな人が、
「誕生日おめでとー!!」
叫んでクラッカーをパンと鳴らした。
「おめでとう!」
続いて大柄な人やメガネの人、緒方さんに『シャナ』、坂井悠二が次々と続いて、大きな音と声で姉ちゃんを祝福する。その中、マージョリーさんは少しだけ笑って、指先でクラッカーを玩んでいる。
(よし)
どことなく、自分に促している、ように思う。
(やるぞ)
もちろん、勝手な妄想だ。
「……」
一秒二秒遅れて、皆が騒音で耳を麻痺させた隙を突く。手にした自分の得物、火薬だけでなくテープや紙吹雪などの中身までも増量して、容器も一巻き多く固めたという、特製のクラッカーを、坂井悠二に向ける。
「……──」
その瞬間、『シャナ』がこっちを睨んだような気もしたが、構わない。
邪魔されないままに、グイと紐を引っ張る。
「──っ!!」
バァン!
という凄い音とテープの束が、
「わあっ!?」
坂井悠二の顔面を直撃して、ひっくり返らせた。
姉ちゃんが叫ぶ。
「坂井君!!」
やるつもりだった。
やって、しまった。
仕掛けたイベントは、あと一つ。
騒音に痺れた空白の中、一同が、起きた事件を反芻する。
今度こそ、間違いなかった。
幸せ一杯な雰囲気を破壊する所業。
健による、坂井悠二への悪戯……否、嫌がらせだった。
佐藤と田中は改めて健の意図を確認し、緒方は悪い予感が当たったことに絶句する。池は結局なにもできなかった自分に憤慨した。シャナは無害とたかを括って動かなかったことを悔やみ、マージョリーは、ただ知らん顔。
悠二は倒れたまま、呆然としている。体に怪我らしい怪我はなかったが、受けたショックで僅かに放心していた。
そして、
「……」
吉田は、
「……」
涙を流して、
「……健!!」
怒っていた。
さっきとは違う涙を流して、肩を震わせて、心の底から、怒っていた。
「!」
驚いて目を見張る健に、ゆっくりと歩み寄る。涙を流しながら、怒りの表情もそのままに。弁解しようと思った緒方、宥めようとした池、二人に身動きを取らせないほどに、吉田一美は怒りで一杯になっていた。
覚悟して待つ健の前に、立つ。
(ふう、ん……『健の馬鹿!』って泣き喚いて逃げなかったな)
健は気弱な姉が、これまで見せた怒りの姿を一つずつ、脳裏に巡らせてゆく。
(じゃあ……『どうして、こんな酷いことするの!』かな)
逃げたり、泣いたり、平手打ちしたりの、感情を爆発させた姉の姿を。
(それとも……『健なんか嫌い!』かな)
巡らせて、その中から来るだろう、自分への断罪を待つ。
「健」
「……」
涙を流す姉を、弟は見上げる。
「直して」
「……えっ?」
見上げた先で待っていた静かさ、意味不明な言葉、これまでにない態度、全てに面食らう弟へと、姉は示す。
指で、テーブルの真ん中を。
テーブルの真ん中にある、ケーキを。
「直して」
「あ……」
テーブルの真ん中で、特製クラッカーが吐き出した紙テープと紙吹雪に塗れた、シャナと緒方からのプレゼントであるケーキを。
泣きながら、しかし強く、吉田は言う。
「お願いだから、直して」
「……」
ようやく正気に戻り、身を起こした悠二が、
「つ、つ……、ぁ──!?」
全く今さら、深刻な事態のあることを知る。
姉弟は、余人の入り難い対峙の中にあった。
他の面々が、長すぎるほどに長く感じた、しかし実際には僅か十秒ほどのそれは、
「……」
「……分かったよ」
健の一言で、ようやく解けた。
怒り、震える姉の横を通って、緒方の傍らから、テーブルに手を伸ばす。
「ごめんなさい、緒方さん、シャナ……さん」
「う、うん」
「……」
戸惑う緒方、黙っているシャナ、二人を見るでもなく、健は自分の仕出かした惨事の後始末を行う。
生クリームの上にへばりついた紙テープを、イチゴに降りかかった紙吹雪を、一つずつ、型崩れしないように取り除いてゆく。
その作業が終わる寸前、今まで傍観していたマージョリーが、不意に口を開いた。
「で、どうなの?」
答えて健が、
「はい」
と一言だけ。
気まずく張り詰めた空気の中で交わされた会話、その意味を、誰も理解できなかった。二人の仲介をした緒方、その様子を見ていた佐藤と田中らも、『やっぱり二人には、なにか示し合わせるところがあったのか』と改めて確認しただけである。
やがて、始末を終えた健は、手に取った紙テープと紙吹雪を台所のゴミ箱へと捨て、シンクで手を洗う。
「泣いたり怒ったり、ただキレるだけだろ、って舐めてたんですけど……なんか、妙に打たれ強くなった感じです。誰のせい……いや、おかげ、なのかな」
弟たる少年は、結局まだ謝っていない人間をチラリと見て、リビングの出口に向かう。
「……健?」
「姉ちゃん」
怪訝な面持ちになる姉に、背中越しの一言。
「これで、最後だから」
「っ!?」
彼の手が、出口脇の壁に添えられている。
その下にあるのが、台所とリビングの照明スイッチだと皆が気付いた瞬間、
視界が暗転した。
「健君、やめなさい!」
緒方は健を制止しようと、寸前まで彼の見えた方向に走った。
「危ないって!」
田中は緒方の飛び出す気配を感じて、その肩を掴もうとした。
「マージョリーさん!」
佐藤は訳知りらしいマージョリーの方へと、声を張り上げた。
「坂井!」
池は、今度こそはと悠二にもう一度伏せるよう手を伸ばした。
シャナは、
(むっ!)
リビングへと躍り込んでくる何者かの存在を察知し、その進路を遮ろうとした。遮ろうとして、クルリと闇の中で視界が回転、放り出されていた。驚愕に目を見開く。
「──なっ!?」
悠二は、
(いけないっ!?)
自分が近くにいると、また何か酷いことが起きてしまうのでは、と咄嗟に考え、慌てて飛びのこうとして──全身をなにか、紐のようなものでぐるぐる巻きに拘束された。
「ぐうっ!?」
一方、闇の中、周りのドタバタした気配に立ちすくんだ吉田は、
(え、えっ?)
その肩と腰を、誰かの手で柔らかく捕らえられた。固まる間に自分の体が浮き上がり、服を紐解くように脱がされる、代わりになにか別のものを纏わされる、不可思議な感触が数秒の内に通り過ぎてゆく。
「な、な──」
「お静かに」
闇の中から突然、平坦な女性の声で囁かれて、
「!?」
吉田は凍りついた。
その声を聞きつけたシャナが、驚き叫ぶ。
「ヴィルヘルミナ!?」
パチン、
と突然、電灯が点いた。
いつの間にか、緒方も佐藤も田中も池もシャナも……健までもが、同じ向きで並ばされていた。一列になった彼らの後ろには、部屋の端に付けられたテーブルがある。
そして前には、
輝くような、純白のドレス姿へと様変わりした吉田一美が、立っていた。
それは、ただのドレスではない。柔らかな花のように広がる裾、頭に載せた薄いベール、肘までの締まった手袋、そして、手に取ったブーケ──全てが純白の、
ウェディングドレスだった。

その清楚な佇まいに、並んだ一同は揃って言葉を失い、ただ見惚れる。
「……あっ?」
自分の姿に驚いた吉田は、慌てて周りを見回して、すぐ隣に、自分の夢たる姿を見つけた。
「あ、れ?」
同じく自分の格好に驚く坂井悠二。彼も、純白のタキシードに身を包んでいた。
唖然と、その『二人』を見ていたシャナが、
「っ!」
唐突に我に返って、自分の傍らに何気なく立っている女性を睨みつける。
「ヴィルヘルミナ! どういうこと!?」
マージョリー以外の皆がぎょっとして、ようやくその女性の存在に気付いた。
丈長のワンピースに白いヘッドドレスとエプロン、律儀に吉田家の来客用スリッパを履いた、情感に乏しい容貌の女性である。
やはり情感に乏しい声で、シャナの養育係にしてリボンを縦横に繰るフレイムヘイズ『万条の仕手』たる女性は言う。
「吉田健氏の要請であります」
「健の……?」
吉田が、皆の並ぶ端で、プイとそっぽを向いている弟を見る。
弟たる少年は、逸らした先から、明らかに照れ隠しという、そっけない口調で言う。
「ま、ここまで豪勢なの着せてくれるとは、思ってなかったけどさ」
適当に着飾らせて『写真の兄ちゃん』とのツーショットを撮り、それをプレゼントにしてやろう、と当初計画していた少年は、それまではせいぜい悪戯、嫌がらせをしてやろうと計画していた少年は、マージョリーの紹介で助力してくれた女性の、あまりに見事な手際(フレイムヘイズとしての力を使ったのだから当然ではあったが)に驚嘆し、同時に感謝していた。
「まあ……あれくらいやらなきゃ、これと釣り合わないだろ?」
吉田は思わず、
「健──!」
意地悪な弟に、抱きついていた。
「わっ!? あ、相手が違うだろ!!」
真っ赤になって抗議する健に、しかし吉田は頬を寄せて頷く。
「うん……でも、でも、ありがとう……」
「……ん。誕生日おめでとう、姉ちゃん」
今度は、その目に涙はない。
溢れているのは、ただ喜びだけだった。
部屋の隅で壁にもたれ、一部始終を見物していたマージョリーが、悠二に向かってニヤリと笑いかける。
「ま、今日くらいはいーんじゃない?」
「はあ……」
頼りなく返す悠二、
「と、いうことであります」
「もう──!」
状況から怒るに怒れないシャナ、
二人を、姉弟を囲んで、皆が笑う。
その中で、吉田は心から、ここにいる皆に、ここにある全てに、言った。
「ありがとう」
吉田一美の机の上に、写真立てがもう一つ、増えた。
新しい写真の中に在るのは、皆。
片されたリビングで、結婚式の一場面のように集う、皆。
ぷーと頬を膨らまして横を向くシャナ、苦笑してそれを宥める池、前に座って皆のプレゼントを掲げる佐藤と田中と緒方、照れ臭そうに鼻を掻く健、後ろで無表情に立つヴィルヘルミナ、並んで呵呵大笑しているマージョリー。
そして中央、二人して盛装し、真っ赤な顔で腕を組む、吉田一美と坂井悠二。
弟に貰った、皆と撮った、大切な人との、写真だった。
少女の日々は、想いを乗せて巡り行く。
喜びと優しさと、温かさに包まれて。
苦しみも悲しみも超えて、ずっと。