吉田健は、軽い口く調ちようを装って、姉に訊きく。

「その、『写真の兄ちゃん』と一緒にいた子、姉ちゃんは知ってるのか?」

 半なかば以上の確信を持って、それでも吉田一かず美みは問い返す。

「坂さか井い君と、一緒に……どんな子、だったの?」

 声の上うわ擦ずる理由が、単なる弟へのばつの悪さなのか、自分の知らない坂井悠ゆう二じともう一人の少女の行動を知ったことへの動どう揺ようなのか、自分でも分からない。

 健はテーブルにもたれて(まだ腰掛けられるほど背は高くない)、思い出す風に手を顎あごに当てる。どこか芝しば居いがかっていて、わざとらしかった。

「えっと、ちっちゃくて、髪の長い……まあ、可愛かわいい子だった、かな」

(やっぱり)

 吉田は、心に重しのかかるような事実を、なんとか受け止める。

 その子の名はシャナ。

 坂さか井い悠ゆう二じを巡り、自分と張り合っている、異い能のうの討うち手・フレイムヘイズたる少女。

「『写真の兄にいちゃん』──サカイっての? 彼女付きだったんだ」

 まったく、健けんの口ぶりには遠えん慮りよというものがない。

 その一方的な決め付けに、吉よし田だは頬ほおを僅わずかに膨ふくらませて抗こう議ぎする。

「か、彼女なんかじゃ、ないよ……シャナちゃんは」

「そうは言うけどさ」

 姉の、僅か、というだけの抗議の姿に、なぜか健は苛いら立だちのようなものを覚えた。自分でも気付かぬ間に、姉を挑ちよう発はつするような、あてつけがましい口く調ちようになる。

「写真の兄ちゃん、その『シャナちゃん』と楽しそうに話してたぞ。買ったケーキを分けるとか分けないとか」

 実のところ、そのシャナと悠二の会話というのは──

「いくら物もの欲ほしそうに見ても、分けたげないわよ」

「べ、別にそんなこと、思ってないよ」

「嘘うそ。悠二はモンブランが大好きだって千ち草ぐさが言ってた」

「それを知ってて、僕の前で五つも六つも買うか?」

「欲しくなったから買っただけ。でも絶対分けたげない」

「あのなー」

 ──などという、非常にさもしい会話だったのだが、距離を開けて見聞きしていた健にはそこまでの詳しよう細さいは分からない。ただ、二人の近しい雰ふん囲い気きを感じ取っただけ、その印いん象しようをまま、姉に伝えただけだった。

「彼女でもなけりゃ、そんな話しないんじゃないの?」

「そ、それは……」

 吉田は言い澱よどむ。弟が口にしたのは、単なる印象だった。理り屈くつで否定するのは難しく、その持ち合わせもない。自分の覚えている感情が、ただの反発にしか過ぎないものであることも分かっている。が、それでも言葉は湧わき上がった。胸の奥から、熱く激しく。

「とにかく違うの!」

「っ!?」

 健は目を丸くして、キョトンとなる。

 普段は穏おだやかな姉による、この強気の反はん撃げきは、弟を相当に驚かせたようだった。

 抑えきれなかった気持ちを話相手にぶつける、そんな自分の行動に、今度は言った吉田自身が驚いた。慌あわてて謝る。

「あ、ご、ごめん……怒ど鳴なったりして」

 ところが、怒鳴りつけられた(というほどの迫力はなかったが、吉田自身はそう思った)健は突然、ニヤリと笑った。

「ははーあ」

「な、なに?」

 その、意地の悪そうな、人の心を見み透すかしたような弟の笑いに、姉はこれまで一度もやり返せたことが無かった。果たして健けんは今度も、図ず星ぼしを突く。

「さては、そのサカイって奴やつを、シャナちゃんって子と取り合ってるわけだ」

「!!」

 吉よし田だの顔が、驚きの上に羞しゆう恥ちの朱あかを加える。

「よく考えてみりゃ、毎日弁べん当とうまで作ってやってたもんなー。ファンパーにもデート行ってたみたいだし。なるほどなるほど、姉ねえちゃんには珍しい、積極的なアピールってわけだ」

「そ、あ、でも……」

「たしかに、違う女を彼女なんて言ったら『ちがうのお〜!』って叫びたくもなるか」

「うう……」

 しきりに感かん嘆たんするふりをしてからかう健に、吉田は口答えの一つもできない。

 これまでは、『写真の兄にいちゃん』の件でからかわれるのは悪い気分ではない、むしろ照れくさくも嬉うれしいことだった。しかし今は、写真をネタにした軽い会話とはいえ、『坂さか井い悠ゆう二じ』のことを実際に知られた、シャナという少女と張り合っていることを知られた、その上でのからかいである。恥ずかしくてたまらなかった。しばらくはこのネタで弄いじられることを観かん念ねんする。

 と、健けんが続けて、そんな姉の懸け念ねんを先取りするように言う。

「んで、さっそく自分のお誕生会にでも招待して、二人っきりで甘い夜を過ごすつもり、と」

「えっ、あ!」

 吉よし田だは、自分が悩みの内にめくっていた料理のタネ本から、自然と取り分けていた数冊の表紙に『誕生日のお料理特集』、『お誕生日に喜ばれるメニュー』等の文字があることに気が付いた。自分の誕生日は明後日あさつてである。秘めていたはずの想い、隠かくしていたはずの計画を見破るヒントを自分で並べていたことに、思わず頭を抱えたくなる。

「姉ねえちゃんって、ホントなんでも見え透いてるんだよなー」

「べ、別に、二人っきり、ってわけじゃ……みんなと一緒にするんだから」

 弟の痛い指し摘てきにも、小声で弁べん解かいをするのが関せきの山やまという、威い厳げんの欠かけ片らもない姉だった。

「でも、本ほん音ねは二人っきりがいいんだろ?」

「健!」

 吉田の怒る振りは、ケンカを終わらせるいつもの合図である。事情が多少変わっても、この効果は幸い、同じだった。

 慣かん例れい通りに健は笑って逃げる。もちろん捨て台詞ぜりふは忘れない。

「けっこーけっこー、恋せよ乙おと女めってやつ?」

 コップを放り出して、彼はようやく台所から駆け去った。

「もう」

 残された吉田は、珍しくしつこく絡んできた弟への不ふ審しんを一瞬だけ抱き──しかしすぐに忘れて──机の上に積み重なった料理の本を片付け始めた。



 その外、

「……」

 健は廊下に突っ立っていた。その表情は、台所にあったときの生なま意い気きそうな笑顔ではなく、不ふ機き嫌げんに顰しかめられている。

 姉から離れた途と端たん、滲にじんでくる気持ちがあった。

(……なんか、ムカつく)

 姉に対してではない。

(サカイ、か)

 姉の言っていた男に対しての、腹立ちである。

(よりにもよって、姉ちゃんみたいなのを、他の女と天てん秤びんにかけてる、ってか)

 彼自じ身しんにとって、全く意い外がいな気持ちだった。

 今まで、こんな気持ちを『写真の兄にいちゃん』に対して抱いたことはなかった。

 姉に彼かれ氏しがいる、あるいは、そう言ってるだけで憧あこがれているに過ぎない(憧れるほどの美び男なん子しか、とは思っていたが)のだとしても、それはそれで姉の勝かつ手てだと全く無視して、からかいの材料程てい度どにしか思っていなかった。

 ところが今日の夕方、そいつが別の女と親しげに話し、一緒に歩いている光景を見た途と端たん、自分でも意い外がいな……驚くほどの動どう揺ようを感じた。そして今、姉にその真しん偽ぎを問い質ただして、一緒にいた小さな、しかしやけに凄すごみのある可愛かわいい子が、本当に奴を間に挟んだライバルであると確認したことで、動揺は怒りに変わった。

 彼氏だというのなら全然許せた。

 というより、どうでもよかった。

 いくらでも勝手にイチャついていればいい、と思っていた。

 しかし、相手の男が、姉を誰か他の女と比べていたり、そのために姉を辛つらい目に遭あわせているとなれば、話は全く別なのだった。

 感情が怒りに変わった後に、自分がそう思っていたと気付いた。

 とにかく、サカイとやらが気に食わない。

(まさかあいつ、姉ちゃんにいいように尽くさせといて、シャナちゃん、だったか……その子にも同じように……)

 わざと悪い方に考える。

(比べるどころか、二ふた股またかけてるんじゃないだろうな)

 無む根こん拠きよ、完全な邪じや推すいである。

 であると分かっていて、なおも怒りを激しく燃やす。

 敵てき愾がい心しんを、まるで自分から煽あおるように膨ふくらましてゆく。

 理由は分からなかったが、悪いことだとは思わなかった。

 あの姉を、自分が守らなくていったい誰が守るというのか。

 あの姉、あんな姉に対し不ふ誠せい実じつな真ま似ねをしているサカイとかいう奴に、任せられるわけもない。むしろ、そのサカイから、サカイの行ぎよう状じようから、姉を守らねばならない。

 シャナとかいう子と歩いていた、文もん句くを言いつつも楽しそうな、緩んでだらしない顔を思い出して、眉まゆ根ねを寄せる。なんとかしなければ、という衝しよう動どうに駆り立てられる。

(でも、どうしたら……)

 居ても立ってもいられなかったが、具体的になにをするか、ということまでは思いつかない。迂う闊かつに動いて姉を泣かせるような結果に……仲を険けん悪あくにしてしまったりしては、元も子もない。サカイ自体は、全く、完かん璧ぺきに、気に食わない奴やつだというのに。

(姉ねえちゃんを、サカイを……つまり、なんだ……?)

 結局自分がなにをしたいのか分からなくなり、健けんは俄にわかな混乱に陥る。

 と、その中で不意に、

(そうだ!)

 とある少女、よく家に遊びに来る姉の知り合いの顔が、脳のう裏りに浮かんだ。

(あの人に相談してみよう)

 そう心に決めて、健けんは階段を上がっていった。



 シャナは、存在を喰われて死んだ、平ひら井いゆかりという少女の存在に割り込み、己おのれの身分を偽ぎ装そうしている。当座の居きよ宅たくもその自宅たるマンションの一室であり、ともに喰われたらしい家族の消えた後は、一人暮らしとなっていた。

 ここに、彼女の養よう育いく係であったフレイムヘイズ『万ばん条じようの仕し手て』ヴィルヘルミナ・カルメルが訪れ、諸事情から同居するようになって、少し経たつ。

 一人暮らしだった頃は(坂さか井い家に入り浸びたっていたこともあって)必ひつ要よう最小限のものしか備えていなかった殺さつ風ぷう景けいな部屋も、ヴィルヘルミナ来らい訪ほう以降は、普通の家庭ほどに飾り気も生まれている。

 今、かつて『本物の平井ゆかり』のものだったシャナの部屋に、零れい時じを過ぎた夜や半はんにもかかわらず、一人の来客の姿があった。

「粗そ茶ちやですが」

 正座して、紅茶を淹いれたカップとモンブランケーキの皿を載せた盆ぼんを差し出したのは、ヴィルヘルミナ、

「はいっ、すいません!」

 同じく、こちらは座ざ布ぶ団とんの上に正座して、ペコリとお辞じ儀ぎで返したのは、夜中に自転車を飛ばして平井家を訪れた緒お方がた真ま竹たけである。

「はむ、もむ」

 シャナはその傍かたわら、机の前の椅い子すに座って、さっそく自分に出されたモンブランケーキを満面の笑みで頬ほお張ばっている。

 今日買って帰った六つの──帰った直後にヴィルヘルミナと一つずつ、晩ばん御ご飯はん後のデザートにまた一つずつ食べた──残り二つである。悠ゆう二じにはあげなかったが、緒方になら簡単にご馳ち走そうする気になれた。

「それでは、どうぞごゆっくり」

「はい!」

 襖ふすまを閉めてヴィルヘルミナが去ると、緒方は覿てき面めんに体から力を抜き、

「……ふう」

 目の前にある盆を見て、ぽりぽりと困った風ふうに頬を掻かく。

 彼女は人生の師・理想の女性と仰ぐマージョリー・ドーを佐さ藤とう家に訪ねた際、一緒に飲んでいる給仕服ふくの女性と何度か遭そう遇ぐうして顔かお見み知しりとなっていた。ただ、快かい活かつを旨むねとする彼女には、その杓しやく子し定じよう規ぎな佇たたずまいや堅かた苦くるしい雰ふん囲い気きが少々窮きゆう屈くつに感じられるものらしい。

 対して、小さな頃からヴィルヘルミナと暮らしていたシャナは、当然のように自然体である。ようやくくつろいだ風ふうの緒お方がたに軽く言う。

「食べないの? 美お味いしいよ、んむ」

 言って、また頬ほお張ばった。

「あ、うん。もらうね」

 輝くような笑顔を見せるクラスメイトに緒方は答え(彼女は〝紅ぐ世ぜ〟についての事こと柄がらをなにも知らない)、慌あわててケーキの皿を取る。

「でも、いいのかなあ……玄げん関かん先さきで立ち話するだけ、のつもりだったんだけど」

「ヴィルヘルミナは、お客様をお持て成しするのが好きなの」

「ふうん」

 そういえば、と緒方は、ヴィルヘルミナについて『堅苦しい人』という感想を漏らした自分を、マージョリーが笑ったことを思い出す。

(──「そりゃ、観察眼がんが未み熟じゆくなだけ。彼女は私よりよっぽど優しいわよ。単にその優しさが相談役に向いてないってだけのこと」──)

 意味を図りかねながらも、彼女はマージョリーの言うようなヴィルヘルミナをなんとか見出そうと傾けい注ちゆうしていたが、それでもやはり、実際に顔を合わせると緊きん張ちようが先に立ってしまう。やはりそう簡単に、師し匠しようの域いきには届かない。

(優しい、か……そりゃ、悪い人じゃない、ってことくらいは分かるけど)

 つい考え込んでいた緒方に、

「迷めい惑わくだった?」

 人の気分を慮おもんばかることをようやく覚え始めた少女は、感じたことをストレートに尋たずねた。

 意い外がいな問いに緒方は驚き、大きく首を振る。

「えっ? う、ううん! 全然そんなことないよ。ただ、家には、『ちょっとコンビニに行ってくる』って言って出てきたからさ。ほら、あんまり女の子がゆっくりしてっていい時間でもないでしょ?」

 変に饒じよう舌ぜつな答えを受けたシャナは、

(でも──)

 部屋に通されたことで、用件を簡かん便べんに伝える以上の時間を浪ろう費ひしている。

 御み崎さき市における夜間の治ち安あん情勢は、人間の少女が一人で出歩くには、少々危き険けんである。

 虚きよ偽ぎ報告によって外出許きよ可かを得た彼女が、帰宅の遅いことで家族から不ふ審しんを抱かれる。

 等々の事項は、彼女にとって都つ合ごうの悪いことであるはず。

(──それは迷惑ってことじゃないのかな?)

 と対たい人じん関係に疎うとい身で、率そつ直ちよくに遠えん慮りよの修しゆう辞じを検けん証しようする。そうして結局、検証した上で得た矛む盾じゆんに納なつ得とくできないまま、また率直に尋たずねる。

「それで、用件はなに?」

「うん」

 緒お方がたは頷うなずいて、ようやくの本題に入る。

「一かず美みの誕生日のこと。なにか、特別なプレゼントをあげよう、って思いついてさ。で、善は急げ、ってことで真夜中に自転車飛ばしてきたわけ」

「特別?」

 シャナは、悠ゆう二じを巡って戦う強大な敵(と彼女は捉とらえている)たる吉よし田だ一美に対して、悪あく感情は持っていない。どころか、むしろ彼女の素朴で穏おだやかな性質を好いてさえいた。

 そんな彼女の誕生日である。

 緒方が来る直前、坂さか井い家での夜の鍛たん錬れんから帰る道すがら、ヴィルヘルミナに誕生日とはなにか、誕生パーティーでは普通どんな催もよおしをするのか、等を訊きいていた。それは祝うべき行事であること、親しい者はプレゼントを贈ること、等も理解した。

 悠二に関することで譲ゆずる気は全くなかったが、それ以外で彼女を喜ばせるのは、大いに結けつ構こうだと思っている。明日にでも、千ち草ぐさかヴィルヘルミナに、なにを贈れば喜ばれるのかを改めて尋ねようと考えていたところだった。

 その予定を、緒方が繰り上げて持ってきたわけである。

「そう、特別。せっかくだから、ずっと思い出として残るようなのを」

「……どんなこと?」

 ひたすら実質本ほん位いで、思し考こうや観かん念ねんにおいても装そう飾しよくというものに無む縁えんなシャナは、抽ちゆう象しよう的な表現で語られても、いまいちピンと来ない。

 それなりの日月、彼女と付き合ってきた緒方も、言う間に気が付いた。目の前でキョトンとしている、同性から見ても可愛かわいらしく感じる女の子にも分かるよう、提案を具体的に、簡かん潔けつに言い直す。

「ズバリ、料理!」

「?」

 まだ分からないようなので、さらに分かりやすく。

「私たち二人で、一美に美お味いしいものを作ったげるの」

「えっ」

 ようやくの理解に辿たどり着いて、シャナは驚きの声をあげた。

 緒方はその驚く様よう子すに満足しつつ、自分のプランを披ひ露ろうする。

「なにかある度たび、一美にはご馳ち走そうを作ってもらってるでしょ。だから、たまには私たちの方で、美味しい料理を振る舞ってあげようって思ったわけ。どう?」

 ほとんど不ふ審しんのように、シャナは訊きく。

「そんなものでいいの?」

 緒お方がたは少し心しん外がいな風ふうに答えた。

「そんなもの、ってことないでしょ。そりゃ、たしかに一かず美みに比べたら……っていうか、まあ私も、あんまり、そっちは得意じゃ……ないけどさ」

 常の彼女らしくない歯切れの悪さは、提案に説得力を与える料理の腕うで前まえが、いま一つ二つ足りないことを表している。とりあえず、心こころ意い気きだけで抗こう弁べんなどを試みる。

「出来がどうであれ、心を込めた贈り物ってのは嬉うれしいものなの」

「……」

 言われて、シャナは少し前、自分が悠ゆう二じに弁当を作ってあげたときのことを思い出す。

 悠二の母・千ち草ぐさの指導の下、頑がん張ばってフライパンを振るった甲か斐いあって、悠二は大喜びで弁当を食べてくれた(実際の感想が見た目と正反対だったことを彼女は知らない)。あれは個人的にも、火力を抑えることのできた自信作だったが、そんな自分自身の感情以上に、悠二の態度から満足感と誇らしさ、嬉しさを得ることができた。

 たしかに、悪い提案ではないように思える。

「なんとなく、分かる」

 緒方は同意を受けて、得意げに笑った。

「でしょ? 下へ手たに高級なプレゼントあげるよりも、そっちの方が一美も喜んでくれそうな気がするんだ」

 この提案、実は懐ふところ具合がさほど芳かんばしくないという、彼女自じ身しんにとっての裏うら事情もあったのだが、ともあれシャナにとっては望むところである。

「うん」

「よっし! じゃ、明日の放課後に二人で特とつ訓くんして、明後日あさつての誕生パーティーの日に本番、ってことでどう?」

 無む論ろん、これにも異い存ぞんはない。

「分かった」

「決まりね。で、なに作る? やっぱ、オーソドックスにケーキとか──」

「メロンパン」

 シャナは語ご尾びに重ねるように即そく答とうした。

「……」

「……?」

 二人、数秒見み詰つめ合ってから、緒方が訊く。

「……誕生日に?」

「……ケーキでいい」

 渋しぶ々しぶ、シャナは提案を撤てつ回かいした。



 翌日、部活を軽い顔出し程度で切り上げさせてもらった緒お方がたは、大急ぎでシャワーを浴びるや、鳥の飛び立つような早足で学校を出た。

 向かう先は坂さか井い家である。

(よーし! まずは材料の買い出し、と……坂井君ちの近くに、その手のお店はあったかな? それとも商店街に回った方がいいかな?)

 当初、彼女としては邪じや魔ま者ものの入らなさそうな平ひら井い家で、全てに厳げん正せい的確であるように見えるヴィルヘルミナ・カルメルに、ケーキの作り方を聞こう、指導を受けよう、と思っていた(そのお願いも兼ねて、平井家を訪れたのである)。家か政せい婦ふなのだから当然、料理もできると思っていたのである。

 ところが意い外がいなことに、申し出を受けたヴィルヘルミナは、

「少々、難しくありますな」

 とだけ言って、そそくさと逃げるように自分の部屋に引きこもってしまった。

 どうやら、料理だけはからっきしダメであるらしい。普段出す食事もほとんどがレトルト食品、得とく意い料理はサラダと湯ゆ豆どう腐ふ、というあたりから、その腕前は推おして知るべしである。

 この意外な事実を知り、困こうじ果てた緒方に、シャナが、

「じゃあ、千ち草ぐさに教えてもらえばいい」

 と提案し返したのだった。

 言われて気付けば、いつぞや御み崎さき神社に遊びに行った際、あの優しく温おん和わな女性には美お味いしいお弁当をご馳ち走そうになっている。悠ゆう二じに、四し苦く八はつ苦く料理する様さまを見られるかもしれないのが難なん点てんと言えば難点ではあったが、今日は彼も吉よし田だへのプレゼントを買いに出かける、とのことである。特別な問題はなさそうに思えた。

(あっ、そうだ! たしか副ふく道どう脇わきに、新しいスーパーできたんだっけ……そこに寄ってけばいいかな)

 ポケットから、材料をメモした紙片を取り出して確認する。

 今日は誕生パーティーに参加する他の皆、田た中なか栄えい太たや佐さ藤とう啓けい作さく、池いけ速はや人とらも、それぞれ用意するものがあるということで、各人バラバラに帰っている。

 なんだか自分だけ出遅れたような気にさせられていた緒方は、スラリと長い足を小こ気き味み良く振り、乾かす間を惜しんだ髪を残ざん暑しよの風に靡なびかせ、大通りを行く。

 と、そこに、

「あっ! あの──」

 大通り沿い、屋根つきバス停で待っていたらしい人ひと影かげが、声をかけてきた。平均よりも背の高い緒お方がたから見て、かなり小こ柄がらな少年である。

「あれっ……健けん君じゃない?」

 吉よし田だ家に遊びに行くようになってから、何度も一緒にゲームなどをして顔かお見み知しりになっている吉田一かず美みの弟・健だった。

「どしたの、こんなとこで。お姉ねえちゃんなら、今日はもう帰ったと思う、けど?」

 言う間に、気が付いた。

 なんだか今日の彼は、姉をからかって遊ぶ、明るくてはしこい少年、という常の感じではない。その硬い表情の中、重たげに唇くちびるが開く。

「いえ、今日は、姉ちゃんのことじゃ……あ、違わないのか……」

 口の中だけで、モゴモゴと声を転がすように言った。

「?」

 いよいよもって、らしくない。

 緒方は、そんな少年の様よう子すを不ふ審しんに思い、改めて訊きき直す(例え急いでいる時であっても、困っている者を邪じや険けんに扱わないのが、彼女の美点である)。

「なにかあったの?」

「はい、その……」

 促うながされても、健はなかなか言葉を濁にごして答えない。が、やがて躊躇ためらいがちに、おずおずと本題を口にした。

「姉ねえちゃんのカレ……いえ、その……」

 言い辛づらそうに口ごもる様さまを見せて待たせること数秒、ようやく意を決して声を出す。

「サ、サカイって、どんな奴やつなんですか?」

「えっ」

 緒お方がたは、思わず素すっ頓とん狂きような声をあげていた。

 一いつ旦たん口にして楽になったのか、次の質問は素早く、単たん刀とう直ちよく入にゆうに来る。

「そのサカイは、シャナって子と、どういう関係なんですか?」

「え、えー、と……それは……」

 今度は、緒方が返答に困って立ち尽くした。



 弟が友達を問い詰めているのと反対側、学校に近接する商店街に、姉の吉よし田だ一かず美みはいた。

 傍かたわらに在るのは、渦か中ちゆうの元げん凶きよう・坂さか井い悠ゆう二じ──ではない。

「へえ、スーパーよりずっと安いな」

 メガネマンこと池いけ速はや人とである。八や百お屋やの店先に並んだ、普段の登とう下げ校こうではただ通り過ぎるだけの背景に初めて注目した彼は、その安さに驚いていた。

「これも四個でいいんだっけ、吉田さん?」

 明日の誕生パーティーで出す料理の材料を書き記したメモを手に、吉田が頷うなずく。

「うん。重かったら言ってね、池君」

「まだ全ぜん然ぜん大丈夫だよ」

 答えた池は、右手に学校の鞄かばん、左手に店備そなえ付けの買い物籠かごを提さげている。

 吉田と家の近い彼は、プレゼントの一いつ環かん、彼女へのお祝いのオマケとして、明日たくさん出されるだろう料理の材料買かい出だしを申し出ていたのだった。

 悠二に対するよりやや近しい調子で、吉田は何度目かのお礼を言う。

「本当にありがとう」

 その笑顔にも、肩かた肘ひじ張はらない自然さがあった。

 彼女にとって、池は対等に会話できる、唯ゆい一いつの男友達なのだった。

 反対に、池の吉田に対する感情は、実のところかなり複雑なものがある。もっとも、それを表おもてに出すほど、彼は不安定な人間ではない。いつものように接して、いつものように言う。

「いいよ。明日のついでってことで」

「じゃあ、ご馳ち走そうして、お返しするから」

「それは素直に楽しみだな」

 笑って池は、自分が普段寄っているスーパーに比べてかなり安いジャガイモを、買い物籠に放り込んだ。荷物はそれなりに重かったが、ここは男という見み栄えっ張ぱりな生き物として耐える。持ちやすいよう、手の握りを直しつつ尋たずねた。

「この後さ」

 できるだけ、さり気なく。

「駅前のアクセサリーショップに行こうと思ってるんだけど」

「え、池いけ君が? 珍しいね」

 本気で感心する吉よし田だに、池は苦く笑しようを漏らす。

「そうじゃなくて、吉田さんの誕生日プレゼントを買いに行くってこと」

「あっ──」

 吉田は自分の返答の間ま抜ぬけさを恥じ、また思いもしなかった親切に驚く。

「なにか希望はある?」

「私、いいよ、そんなの」

 慌あわてて手を振る彼女だったが、池もさすがにこの頼みだけはきけない。

「いいわけないよ。折せつ角かくの誕生日なんだ、むしろ大いに希望を述べて欲しいな」

「でも……」

「遠えん慮りよはこの際、要らないよ」

「う、ん」

 ようやく吉田は頷うなずく。済まなさそうに。

「僕は意い外がい性よりは確実性で行きたいからね。気に入ってもらえるデザインを選べるかどうかはともかく、ジャンルくらいはご期待に沿いたいわけ」

 言われて彼女は少しだけ考え、やがて遠慮がちに答えた。

「じゃあ……アクセサリーとはちょっと違うけど、ハンカチなんか、あると嬉うれしいかも」

 あまり高いものにならないように、という彼女なりの気き遣づかいを察しつつ、池は軽く頷く。

「りょーかい。こりゃ、意外とセンスの問われるお題だな」

「ありがとう、池君」

「お礼を言うのはまだ早いよ。とりあえず、今持ってるこれを吉田さん家ちに運んでから、聞こうかな」

「うん」

 二人は微笑ほほえみを交わし、歩いてゆく。



 佐さ藤とう啓けい作さくの家は、かつて地主階かい級きゆうであった人々が集しゆう住じゆうする旧きゆう住宅地でも、指ゆび折おりの豪ごう邸ていである。かつて彼はここで、家事をハウスキーパーに任せた独り暮らしをしていた。かつて、というのは、数ヶ月前に居い候そうろうが一人、家に転がり込んだからである。

 その居い候そうろうとは、他でもない『弔ちよう詞しの詠よみ手て』マージョリー・ドー。前まえ裾すそを縛しばったワイシャツに膝ひざまでのスラックスという、いかにもいい加か減げんな即そつ興きようの格かつ好こうをすら、貫かん禄ろくのごり押しで着こなす異い能のうの討うち手は今、

「う〜、ん……」

 メジャーカップを手に、一つの実験を行っていた。夏なつ特有の白けた夕日の差し込む室内は、静せい寂じやくに緊きん迫ぱくを加えた厳おごそかさの中にある。

「……もう、ちょっとなのよね」

 周りに並べられているのは、メモにグラスにバースプーン、果くだ物ものにナイフに搾しぼり器にアイスペール……ここは、広大な佐さ藤とう家の中にある室内バーだった。カウンターとバックバーを備えた本格的な作りで、ごく最近、工事が行われて水みず場ばも付いた。

「……あとは、ライムの量だと思うわけよ」

 伊だ達て眼鏡めがね越しの鋭い視線でカップの傾きを調整し、一いつ滴てき一滴を計りつつ、シェーカーへとライムの搾り汁を注そそいでゆく。

 部屋には他に、ソファ一式とクローゼット数すう揃そろい、大きな姿すがた見み等が置かれている。彼女は、この室内バーを佐藤家における居きよ室しつと勝手に定め、御み崎さき市における活動拠きよ点てんとしていた。

 と、その傍かたわら、バーカウンターの上に置かれた、画が板ばんを纏まとめたような大きさの本が、

「ヒッヒッ、半日かけて、ようやくレシピ一つ完成か。まったくご苦労なこったぜ、我が執しつ拗ようなる鯨げい飲いん者しや、マージョリー・ドー?」

 と耳みみ障ざわりな声で喚わめいた。声の主ぬしは〝蹂じゆう躙りんの爪そう牙が〟マルコシアス。マージョリーと契約し、異い能のうの力を与える〝紅ぐ世ぜの王〟である。

 常の彼女であれば、相あい棒ぼうが意思を表ひよう出しゆつさせる本型の神じん器ぎ〝グリモア〟を乱暴に叩たたくところだが、今は慎しん重ちようにも慎重を重ねる作業の途中である。

「お黙り、バカマルコ」

 と、小さく、ゆっくり、呟つぶやくのみだった。

「黄おう金ごん率りつの探求は、カクテル飲みの醍だい醐ご味みなの、よ……」

 繊せん細さい優ゆう雅がな指先が、精せい密みつ機械のようにメジャーカップを傾け、完成に向かう、最後の一滴を加えようとする。そのとき、

「たーだ今帰りました!」

「ちゃーっス!」

 ドカン、と、

「っ!」

 扉を開けて入ってきた佐藤と田た中なかの大声に押されるようにつんのめったマージョリー、その手元で、ライムの搾り汁が全部、シェーカーの中に注がれた。

「……」

 静止ボタンを押されたように固まる彼女を、

「ヒャーッハハハハハブッ!?」

 大きく笑い飛ばしたマルコシアスが、鞭むちのようにしなる腕に払われて吹っ飛んだ。ドでかい本である〝グリモア〟はそのまま、狙いすましたかのように、

「んごわっ!?」

「どはっ!?」

 現れた二人にぶち当たり、廊下へと諸もろ共ともに転がり去った。

「あー、もー!」

 マージョリーは頭をガシガシと掻かいて、栗くり色いろの髪を掻き混ぜる。

 少しして、放り出された廊下、ドアの端はしからおずおずと、

「あ、あのー」

「姐あね、さん?」

 もう一度二人が覗のぞき込んでみると、マージョリーはカウンターの中で眉まゆ根ねを寄せて、投げやりにシェーカーを振っていた。不ふ機き嫌げんさも露あらわに口を開く。

「別に、怒ってないわよ」

「キィーッヒヒヒ、顔はそう言ってなブッ!?」

 佐さ藤とうが抱えていた〝グリモア〟に、アイスが弾だん丸がんのように打ち込まれた。

「ったく、一言多いのよ」

「また、カクテル作ってたんですか?」

 カウンターの散らかり具合を見た田た中なかは、ようやく自分たちが彼女のお楽しみを邪じや魔ましたらしいことに気付いた。その証しよう拠このように、

「そう、作ってたの」

 と大人おとな気げなく過去形を強調した声が返ってくる。もっとも、不機嫌ではあっても、その言うとおり、怒りの深しん刻こくさはない。二人は胸を撫なで下ろし、ようやく部屋に入った。

 佐藤啓けい作さくと田中栄えい太たは、美び貌ぼう貫かん禄ろく、強さと恐さを併せ持つフレイムヘイズたる彼女に憧あこがれ、その子こ分ぶんを自じ称しようしている。称するだけでなく、色々と自分たちなりの猛もう勉強とトレーニングを行って、子分たるに相応ふさわしい存在になろうとしていた。

 学校から帰っての読書もその一つである。

「田中、あれ、ちゃんと買ったか?」

「ああ」

 内容こそ雑ざつ学がくの方面に偏かたよってはいるものの、彼女と出会ってからの数ヶ月で、それなりの量をこなし、また量に見合った(あまり役には立ちそうもない)知識を蓄えている。

 が、それでも今日、ソファに座った彼らが取り出した本は、マルコシアスを驚かせた。

「よう、ご両人。ノンジャンルっつっても程ほどがあるんじゃねえか?」

 言われて、佐さ藤とうが苦く笑しようする。

「ああ、これか?」

 彼が手にしていたのは女性ファッション雑誌、

「違う違う、今日のは、プレゼントを選ぶための本だよ」

 慌あわてて手を振った田た中なかが持っていたのは、アクセサリーの専門書だった。

「プレゼントォ? こないだマタケにやったばかりだろ。ご両人、意い外がいにもてんだな。それとも、誰かに迫る気かあ?」

 ガタガタと騒がしく身を揺する〝グリモア〟に、佐藤は肩をすくめて見せた。

「残念ながら、そーいうのじゃないんだな」

「明日……マルコシアスも知ってるだろ、吉よし田だちゃんの誕生日でさ」

 田中も言って、本を開く。

「オガちゃんにあげたみたいなアクセサリーにするか、もっと普通っぽい感じの、別のなにかにするか、姐あねさんにも話を訊きこうと思ってさ」

「つーか、女の子へのプレゼントなんて、俺らにはよく分かんねーし……」

 佐藤から、期待の籠こもった視線を向けられたマージョリーは、シェーカーから注そそいだ、ライム入りすぎのカクテルを一いつ気き飲みして、少し考える。

「ヨシダ? ああ、カズミのことね」

 緒お方がたと比べて回数こそ少ないものの、ごくたまに深しん刻こくな顔で相談に訪れる──主に〝紅ぐ世ぜ〟と人間の関わりについての助言を得るため──押しの弱い少女のことを思い出した。

「ふうん、あの子のバースデー・パーティーやるんだ」

「さーぞかし炎えん髪ぱつ灼しやく眼がんの嬢じようちゃんの周りは騒がしくなんだろうなあ、ヒッヒッヒ!」

 なんだか自分たちには見えない所まで見通しているようなマルコシアスに、

「どーだろな」

 と返してから、佐藤は改めて尊そん敬けいする女じよ傑けつに尋たずねる。

「なんなら、マージョリーさんも出席しますか?」

「とりあえず、オガちゃんは誘いに来ると思いますよ」

 田中も続けたが、当の本人はカウンターに肘ひじを着いて鼻で笑う。

「ふん、ジョーダンでしょ。なんで私が、少年少女のホームパーティーなんかに出なきゃなんないのよ」

 やっぱり、と少年二人は肩を落とす。実のところ、緒方にかこつけた自分たちからの誘いだったわけだが、その程度の魂こん胆たんはお見通し、以前にそもそも行く気は全くないようだった。

(ま、ダメ元だったしな)

(そうそう上う手まくは行かねーか)

 と、当面は諦あきらめて思う二人の頭上に、古ふる臭くさい響ひびきの、キンコーン、という音が鳴った。佐藤家の呼よび鈴りんである。

「ん──?」

 佐さ藤とうが本から顔をあげた。

 田た中なかが腰を浮かしかける。

「俺が出ようか」

「いいよ。プレゼント選んでてくれ」

 言って、家や主ぬしたる少年は廊下に出てゆく。

 家の仕事を受け持つハウスキーパーの老ろう婆ばたちは、彼らの帰き宅たく前後に昼ちゆう謹きんを終えて帰ってしまうので、夜の来客への応おう対たいは、必然的に彼がやることとなっている。

 旧きゆう住宅地には、土地柄がらとしてセールスマンなどはやって来ない。恐らく郵便物でも届いたのだろう、と田中は思い、言われた通り、アクセサリーの本をめくる。

「オガちゃんのときも、全然分かんなかったんだよなあ」

「ヒーッヒッヒッ、マタケ嬢じようちゃんは、おめえから貰もらったもんなら生ゴミだって祭さい壇だんに飾るだろうさブッ!?」

「乙おと女めの気持ちを生ゴミに例えたりするんじゃないわよ、バカマルコ」

 再びアイスを鋭く投げつけられて、〝グリモア〟は黙った。

 そうして、マージョリーはレシピのメモに英語の走り書きを記し、田中はアクセサリーの本に目を落とすという、不意な静せい寂じやくが室内バーに訪れる。

 ややの間を置いて、佐藤の帰ってくる足音が廊下から響ひびくと、

(ん? ……妙みようね)

 マージョリーは不ふ審しんげな顔を上げた。

 足音が、彼一人だけのものではない。もう二組、来客用スリッパの音がパタパタと鳴っているのを、フレイムヘイズの鋭い聴覚が捉えていた。

 キイ、と扉が開いて、戸と惑まどいを顔に表した佐藤が入ってくる。

「あのー」

「誰?」

 すでに彼だけでないことは分かっているので、マージョリーは残る二人が誰なのか、というところから質問を始めた。

 答える前に、見慣れた顔が戸口から顔を出す。

「こんにちは、マージョリーさん」

「なんだ、マタケじゃない」

 マージョリーは拍子抜ぬけした。

 現れたのは、僅わずかに緊きん張ちようした様よう子すの緒お方がただった。

(ん?)

 しかし、それならそれでおかしい。この二人という組み合わせなら、からかい合い笑い合って廊下をやってくるはずだった。つまり、佐さ藤とうに戸と惑まどわせ、緒お方がたを緊きん張ちようさせているのは、残るもう一人の来客である。

 緒方が廊下の方を見て、

「さ、大丈夫……相談に乗ってくれる、いい人だから」

 と促うながす。

 相あい棒ぼうが〝グリモア〟を僅わずかに揺すり、笑いをこらえている気配を不ふ愉ゆ快かいに思いつつ、その来客の入ってくるのを待つ。

 ようやく、パタリ、とスリッパを鳴らして小こ柄がらな影が、戸口に現れた。

「……?」

 田た中なかも、初めて見る顔に怪け訝げんな面おも持もちとなる。

 気の強そうな容よう貌ぼうに、僅かな怯ひるみの色を浮かべた、彼らより幾いくつか幼い少年だった。

 マージョリーは、最も基本的な質問を、この来訪者に投げかける。

「あんた誰?」

 少年は背せ筋すじを伸ばし、大きな声で答えた。

「はじめまして! 吉よし田だ健けんっていいます!」