COLUMN 富野監督作品全解説3 1991~2022
始まるはずだった新たなサーガ
『機動戦士ガンダムF91』
一九九一年三月一六日公開
『機動戦士ガンダムF91』は物語の舞台を宇宙世紀〇一二三年に設定した。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の三〇年後に設定することでそれまでのジオン公国にまつわる物語とは一線を画した新たなストーリーを展開するためである。「新たなガンダムの原点」ということを念頭に置き、改めてキャラクターデザインに安彦良和、メカニカルデザインに大河原邦男が参加している。なお脚本はベテランの伊東恒久と富野が連名で担当している。
『F91』の企画スタートは一九八九年。ガンプラ・ブームが一九八〇年代半ばに沈静化して以降、『Zガンダム』が放送された一九八五年は若干持ち直したが、TVアニメが放送されない一九八七年には過去最低レベルの売上となってしまう。
このようにプラモデルを売るには新作ガンダムが必要という状況が明確になるのが『逆襲のシャア』から『F91』にかけての時期であった。一方で『逆襲のシャア』の時期には人気が出始めたばかりだった「SDガンダム」はさらに人気を伸ばし、一九八九年にはいわゆる〝リアルタイプ〟のガンダムのプラモデル・玩具よりも、大幅に上回る売上を上げるようになっていた(1)。
また映像作品としては、一九八三年に始まったOVA(オリジナルビデオアニメ)が映画・TVに続く第三の映像チャネルとして定着し、一〇代半ば以上のハイターゲットに対してさまざまな作品が送り出されるようになっていた。ガンダム・シリーズでも一九八九年からスピンオフ作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(監督:
山文彦)を送り出している。
そうした状況を踏まえてサンライズは、この時期に二つのガンダム作品を企画する。その一つがハイターゲット向けでかつガンダム・ファンをメインターゲットにしたOVA『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』(監督:加瀬充子、今西隆志)。これは『ガンダム』と『Zガンダム』の間の時期を描く内容だ。そしてもう一つが、新規のファンに向けた新たなガンダムとしての『F91』である。また当時の小学生をフォローするため短編『武者・騎士・コマンド SDガンダム緊急出撃』(監督:神田武幸)を『F91』の同時上映作として制作した。このように『F91』は「ガンダム」の世界をどう展開すべきかの模索期に制作された作品だった。
映画は、スペースコロニー・フロンティアⅣに謎の軍隊クロスボーン・バンガードが攻撃を仕掛けるところから始まる。クロスボーン・バンガードの目的は、コスモ貴族主義を掲げる国家コスモ・バビロニア帝国の建国。フロンティアⅣの高校生、シーブック・アノーはこの戦乱に巻き込まれ、仲間たちと避難する過程でモビルスーツ・F91のパイロットとなる。一方、シーブックと同じ学校に通うセシリーは、自分がクロスボーン・バンガードの指導者マイッツァー・ロナの孫、司令官である鉄仮面カロッゾ・ロナの娘であることを知り、クロスボーン・バンガードに〝姫〟として迎えられることになる。
富野が本作の準備を始めたのは一九八八年末から。当初のメモを見るとその段階から「家族」をテーマにしていたことがわかる。
「家族論でなければ、伝わる話ができない。スクラップの中の抜粋が、自分にそう思わせた。『閃光のハサウェイ』までで、すでに、概論というか、外の関係をやりすぎだと思う。だから、父がいて母がいる都合の家族から、発生する問題と、理想と現実の関係を見つめる物語にする。(八八年一二月一七日(2))」
なお『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』は、一九八九年から発表された小説で『逆襲のシャア』のその後を描いた物語である(3)。
当初は「零式(フォーミュラー・ゼロ)」というタイトルで始まった企画は、一年間のTVシリーズを念頭に置いて準備が進められていた。しかしこれが一九八九年一〇月に劇場作品へと変更される。この前後で『F91』というタイトルとなり、映画版の企画書には「作品のテーマとポイント」として次のように明確に「家族」をめぐる物語であると書かれている。
「宇宙時代の青春群像~未来の宇宙戦争を背景に描く〝家族愛〟そして〝人間愛〟。
本作品では、未来の宇宙戦争を背景に、主観客層である少年少女たちにとって最も身近で素朴な存在である〝家族〟にその起点をおいて物語を展開させていきます。
ある日突然、巻き起こる戦争。家族を守り、生き延びるために戦いに身を投じる主人公が、戦火の中で遭遇する様々な〝出会いと別れ〟そして〝愛(4)〟」
この構想に従い、シーブックとセシリーそれぞれの家族にドラマが用意されている。
シーブックは、父レズリー、母モニカ、妹リィズの四人家族。モニカもレズリーもともに研究者であったが、リィズが乳離れしたころからモニカは「ヒステリー気味」(作中のレズリーの表現)になり、「モニカを愛してはいたが彼女の仕事も愛していた」と語るレズリーは、彼女を研究職へと再び送り出す。その結果、モニカは長らく別居状態となっている。一方レズリーは、合金の研究が軍に利用されるのを嫌ったこともあり、研究者としてのキャリアを捨て、溶接工となってシーブックとリィズを育てることを選ぶ。戦いの中、シーブックはF91のパイロットとなるが、それは皮肉にもモニカが開発したバイオ・コンピューターを搭載した機体だった。
そして避難民となったシーブックとリィズは、母モニカと再会することになる。兄妹が、子供から見ると自分たちより仕事を選んだ(ように見える)母とどのように関係を結び直すかが、作品の一つのポイントとなっている。
一方、セシリーの家族環境は非常に複雑だ。セシリーの母ナディア・ロナは、クロスボーン・バンガードの指導者マイッツァーの娘として生まれた。研究者だったカロッゾはナディアと結婚し入り婿となってロナの姓を名乗るようになる。そしてマイッツァーの思想実現のため働くようになる。
ナディアはそんな家族に背を向け、娘のベラ・ロナを連れて出奔、シオ・フェアチャイルドと暮らし、ベラ・ロナはロナ家に見つからぬよう、セシリー・フェアチャイルドを名乗り、シオの営むパン屋の娘として暮らすことになる。その後、ナディアはシオのもとからも離れ、セシリーはシオのもとで成長する。しかしシオは最終的に、セシリーをロナ家に売り、フロンティアⅣ侵攻に際して、セシリーをクロスボーン・バンガードに引き渡すよう段取りを組んでいた。
マイッツァーの唱えるコスモ貴族主義とは一種のエリート主義だ。ノブレス・オブリージュを引き受けることができるだけの高貴な精神と高い能力を持ったものが、「貴族」として社会を導くのだ、という姿勢である。これは宇宙移民のことを考えようとしない怠惰な地球連邦へのカウンターから生まれた思想でもある。映画後半で明らかになるように、このエリート主義は「非エリートを減らすことで世界を救済する」という形で発露し、ナディアの出奔はこの、包摂を否定し、善悪で裁断する父性原理的なマイッツァーの思想への反発でもあった。
鉄仮面カロッゾは、総司令たるために「エゴを強化した」(作中の台詞)と語っており、一種のマシーンとしてこの思想の実現に注力する。ただ鉄仮面が、その思想を背景に、仮面までつけて父権主義的に振る舞うことが、弱さの裏返しであることを指摘するのもナディアであった。こうした家族の状況の中で、セシリーは父のシオにも、母のナディアにも反発を感じており、それは一旦、クロスボーン・バンガードに身を寄せることにも繫がるのだった。その彼女を引き留めるのが、シーブックの役回りとなる。
富野は本作のこうした作劇を踏まえつつ、次のような反省を述べている。それは鉄仮面とセシリーの描き方についてだ。
「富野 (略)たとえばセシリーが
お父さん、あなたはなんて酷い男だったんだ。情けないんだ!
なんていうことを言うとか、そういうところまで踏み込まなければいけないキャラクターだったのに……それを忘れていたんです。
──なぜだったのでしょうか。
富野 自分が親になっていたからです。子供から非難されることから逃げたんです。そういう劇は作りたくなかった。お父さんの存在を認めてほしいという心理があったことを、今思い出しました。(略)セシリーとカロッゾの間に、鉄仮面になる前にどんなことがあったのか、そこを劇として組んでいなかった。だからラストのバトルが曖昧になってしまっている。(略)
──当時のお嬢さんたちとの関係が影響してしまったわけですね。
富野 『逆襲のシャア』のインタビューで、地球連邦軍がスポンサーと重なって見えるという話があったでしょう。それと同じことです。アニメと言っても、こういうレベルで作劇をしようと考えていった時には、絶対にリアリズムが入り込んでくるんです。だから自分のことは隠せないんです。その時のその人の人生観や人生論、悔しさみたいなものがものすごく出てしまいます(5)。」
富野はもう一つ本作で反省をしている。それは本作が、プランニングの時に用意した構図そのままで、膨らみを欠いているという点だ。『F91』がファンに愛されているポイントとして、シーブックとセシリーが、クセのすくない真っ直ぐなキャラクターであることについてこう語っている。
「富野 理念的なキャラクターだから、かえってそういう理屈は分かります。理屈は分かるけれど、そこには肉感がないので僕は認めるわけにはいかないんです。〝劇〟で一番重要なのは、みんなが魅力的だと思えるようなキャラクターにしなくてはいけないことなんです。それをやりきれていない。そういう意味で『F91』はかなりロジカルに作りすぎてしまっています。そこに中途半端に自分のリアルな生活感も重ね合ってしまったために、ああいう形になってしまったのかなと、すごく反省しています(6)。」
この「理念」と「肉感」の関連については、『F91』のラストシーンと『機動戦士ZガンダムⅢ A New Translation─星の鼓動は愛─』のラストシーンを比べるとよくわかる。どちらも主人公とヒロインが宇宙服で抱き合って、生きていることを喜び合うという内容は一緒だ。
『F91』のシーブックとセシリーは、寄り添うようにして互いを抱きしめ合っているポーズ。静かで上品な雰囲気だ。これに対し『星の鼓動は愛』は、ファがカミーユに脚を大きく広げてしがみつくポーズになっており、ほかからどう見えるかも気にしないで、体全体で喜びを表現している。この違いが『F91』での反省の実践となっている。
『F91』はそうして抱き合うセシリーとシーブック、そしてF91の映像に「THIS IS ONLY THE BEGINNING.」とテロップが重ねられる。しかし興行的に期待されていた数字に届かず、この後のストーリーがアニメ化されることはなかった。
人のぬくもりと非情な現実の共存
『機動戦士Vガンダム』
一九九三年四月二日より放送 全五一話
『Vガンダム』は、『F91』の不振を踏まえて改めて仕切り直しのうえ、企画された作品だ。当時は『F91』の続きが展開されると思っていた人は多く、メカニカルデザインの石垣純哉も、オーディションを受けた主人公ウッソ・エヴィン役の阪口大助も、説明を受けるまでは『F91』の続編かそれに類する作品だろうと思っていたという。
『Vガンダム』は『F91』より三〇年後の宇宙世紀〇一五三年が舞台。スペースコロニー・サイド2を拠点にザンスカール帝国が勃興し、地球侵攻を開始する。これに対し地球では、弱腰な地球連邦政府にかわり、民間抵抗組織リガ・ミリティアが抵抗運動を行っていた。
ウッソは、東欧にあるカサレリアで暮らす不法難民の少年。リガ・ミリティアに関わる両親は、ウッソを残して行方不明。シャクティ・カリンは、ウッソの近所に暮らす不法難民の子供だが、実はザンスカール帝国の女王マリア・ピァ・アーモニアの実の娘であった。
ザンスカール帝国の軍隊ベスパの攻撃があり、ウッソとシャクティ、それにウッソが憧れる年上のカテジナ・ルースなどは、リガ・ミリティアと行動をともにするようになる。その中でウッソは、ビクトリーガンダムを扱うパイロットとして働くようになる。
一方、カテジナはやがてウッソたちから離れ、ザンスカール帝国に身を投じる。そしてベスパの兵士となりウッソの前に強敵として立ちふさがることになる。
一九九二年四月三〇日にまとめられた企画書の物語テーマには以下のようにある。なおこの時点ではタイトル候補として『機動戦士メガ・ガンダム』(コード名はメガンダム)、『モビルスーツ・ガルバ・ガンダム』(コード名はダブルG)が挙げられている。
「我々大人が忘れてきたものは何か、われわれ大人たちの犯したまちがいは何か?
それを、環境破壊によって閉塞状態にある地球とスペース・コロニー間の覇権争いを背景にして語りながら、その状況のなかで、いかに明るい展望ある未来を建設するのか?
そのためには、自分たちは何をしなければならないかを、少年と少女の物語に託して伝える作品としたいのです。
重要なことは、地球をここまでの状態にしてしまった我々大人世代から、次の世代に謝罪しながらも、このような生き方や考え方もあるのではないかという理解を次世代に求める物語にしたいということです(7)。」
後に『ガンダム Gのレコンギスタ』にも見られる、現代の世界に起きている問題をエンターテインメントを通じて次の世代に伝えたい、というコンセプトは本作の時点ですでに示されている。
このような前向きな内容の企画書が書かれる一方で、企画書に先立って一九九一年一二月一三日に書かれたストーリー試案ではもっとシビアなラストが模索されている。物語の最後でウッソは「人の存在がすでに善ではないと洞察して、人の抹殺は肯定せざるを得ない」と考えるようになり、「(引用者注:人類を)全体主義的に統合するのではなく、存在そのものを無にする、という方法を発見する(8)」となっている。この「統合ではなく存在を無にする」は、本編に登場する最終兵器エンジェル・ハイロゥの「人を眠らせ、幼児化させる」という機能に繫がる要素が感じられる。
そしてこのように洞察したウッソをキッシャ(本編におけるシャクティ)が殺す──ストーリー試案では「ウッソの身体を宇宙に解放してあげる」と表現──という展開が書かれている。重要なのはこのような悲劇的な内容をイメージしつつも「としながらも、ニヒリズムを提供しない方法はないものか?」というメモが添えられているところである。
このように『Vガンダム』はアイデアの段階から相反するものをその中に抱え込んでいて、それが作品にも反映している。それが端的に表れているのは、キャラクターデザインだ。
キャラクターデザイナーの逢坂浩司に求められたものはシンプルなデザイン。そのためシリアスなロボットアニメとしては頭身が低めの、ぬくもりを感じさせるキャラクターが出来上がった。本編でも、ウッソやその周囲の子供たちを中心に、自然でやわらかなムードで描かれ、演出されている部分は多い。
しかしその一方で、彼らが置かれているのは戦場という特殊な空間である。パイロットたちはあっさりと、次々と死んでいく。ウッソの母ミューラ・ミゲルの死も、衝撃的な表現がされていた。さらに敵となったカテジナは終盤にかけて、どんどんエキセントリックな表情を見せるようになる。
本作は番組開始時は「明朗な作品」という触れ込みでアニメ雑誌などに紹介されていた。しかし実際には、ナチュラルなキャラクター表現をベースとしつつも、いわくいい難い雰囲気を帯びた作品として完成した。そこに本作の唯一無二の個性があるといってもいい。
本作制作にあたり富野はスタッフに、「三コマ打ち」「影なし」という原則を守るように命じた。「三コマ打ち」は、一秒あたり八枚の絵で動きを作るということ。日本のアニメでは、要所要所でコマ打ちを変えてメリハリをつけることも多く、デラックスに見せたいところ、緻密に見せたいところでは二コマ打ち(一秒一二枚)、一コマ打ち(一秒二四枚)を使うこともある。それを禁じたのである。「影なし」は、キャラクターやメカに影を入れないということだ。
この二つは第一に制作上の手間とコストを減らして仕上会社(セル画に色を塗る会社)などの負担を減らすという実務的な意図があったと推測される。その根底には当時が、アニメの表現の描き込みや動きの密度が上がり始めていた時期だったということがある。例えば直前に制作されていた『機動戦士ガンダム0083』はその筆頭ともいえる作品だった。そういった「手間のかかった映像」に対し、「そんなことをしなくてもおもしろい作品はできる」というカウンターの姿勢があったと思われる。
この「あえて凝ったことをしない」という原則はスタッフに戸惑いを与えたし、制作が進むにつれて次第に融通無碍になってしまうが、この「無駄に大変なことをしなくてもおもしろいものはできる」という精神は『ガンダム Gのレコンギスタ』のオープニングがあえて本編カットを中心に使って構成されていたり、エンディングで止め絵をスライドだけで動かして見せたりといったところにも見ることができる。
また、本作を象徴する存在として挙げなくてはならないのがバイク戦艦である。これはザンスカール帝国が行う地球浄化作戦の主力となる艦船で、アドラステアとリシテアの二タイプが登場する。どちらもブリッジを持つ軍艦らしい形状の船体に、バイクのように巨大な車輪が二つついた形をしている。
富野は制作初期にスポンサーであるバンダイに呼ばれ役員から「戦艦を出せ」と命じられた。富野はこの役員と以下のような会話を交わしたと回想している。
「
本当に戦艦を地上でも浮かせて飛ばすというのなら、バイクだって空飛んでいいんでしょう?
と言ったら、
飛ばしてよ
と言われ、
本当ですね
という話になりました。(略)
それをやってくれなければ、あんたには降りてもらう
と言われました。本当にバイク戦艦でいいのかと言ったら、
かっこいいじゃないですか
という返事でした。(略)
もし本当に監督として、原作者として力があったら、その人物程度でも企画書見た時に
あ、これは入れられないな
と思わせられるはずなんです。そういう力を持てなかったというのは、しょせんこちらも愚民の一員でしかなかったということであって、
バカ同士なら、そりゃ札束持った奴の方が強いよね
ということでしかありません。
だから、そういう中で作られている作品というものを、一生懸命見たりするのはやめた方がいいのです。それは作品として考える必要なんか全くないんだから、見る必要なんかはありません。『Vガンダム』に関しては、大人の汚濁に満ちた結果の作品なんです(9)。」
とはいえ富野は、この押し付けられた課題を作品として消化するため、物語序盤から巨大戦闘バイクを登場させたり、モビルスーツにタイヤ状のサポートマシンを使わせるなど、周到な段取りを組んでバイク戦艦を登場させている。先述の「いわくいい難い雰囲気」はこうした番組の裏側が、リアリズムとして作品に反映した結果とも考えられる。
このほか『Vガンダム』と結びついて触れなくてはいけないのは、本作終了後にサンライズは、バンダイグループの中の一社となったということだ。これもまた富野にとってはショッキングな出来事だった。
「そもそも、
またガンダムをやってくれ。そうでなくちゃ困るんだ
と僕が言われて、企画が始まった時には、すでにそのこと(引用者注:傘下に入ること)が前提としてあったようでした。『Vガンダム』のオンエアの一年くらい前のことのようですが、(略)経営者たちは、会社の経営を譲渡するためバンダイとの下話を始めており、その交渉の条件を満たしていく中で、サンライズは『ガンダム』を作るしかなかった、ということだったのです(10)。」
しかし富野にはそのことは知らされていなかった。
「
やっぱり富ちゃんにやってもらわないと困る
という経営者たちの言葉をあてにしながら製作を進めていったわけです。(略)翳りのきた年齢の仕事ではあるんだけれども、なんとかがんばろうと思って、それこそ一生懸命
理
を働かせたわけです。(略)
分裂症にかかるわけにはいかないと感じながら、まがりなりにも最後まで作りおおせてみた時に、経営者たちから初めて、実はサンライズを売却し、自分たちは会社を去るという話を聞かされました(11)。」
ここでいう分裂症とはそのとおりの病気ではなく、心が病んだという意味であろう。ここから数年、富野は心身ともに不調の時期に入ることになる。
このように『Vガンダム』は、富野にさまざまな方向からのスティグマを負わせることになった。そのため長らく、否定的な評価を語っていた。しかし近年は、バイク戦艦の存在も含め認めるように発言が変化している。
本作に絵コンテ・演出で参加した山本裕介は『Vガンダム』を振り返ってこう語っている。山本は、駆け出しの演出から見ると、富野はそういった背後の状況は見せず、すごく楽しそうだった、と語った後、第41話「父のつくった戦場」で、山本が途中まで描いた絵コンテの続きを、富野が残り三日で仕上げたというエピソードを紹介する。
「納期まで三日しかない状況でやってみせる。それができるのは、コンテを描くときに常に余裕があって
よし、あれもやって、これもやろう
と楽しんでいるからだと思うんです。演出家のはしくれとして言わせてもらえば、コンテからにじみ出る
楽しんでいる気分
というものに噓はつけないはずなんです。第41話のような豊かなコンテは、作品やキャラクターを好きじゃなければとても描けないと思います。でも、富野監督はそんな風には言わないんですよ。表面上は
別になんの思い入れもないから」
見なくていい
みたいにうそぶいている。近くで仕事をしていた僕たちからすると、絶対にそうは思えませんでした。第50話のキャラクターたちが次々と死んでいく場面だって
監督はこんなにも彼らのことが好きだったんだ!
と、僕は感じました。それは『Vガンダム』をご覧になった皆さんにも、しっかり伝わっているんじゃないでしょうか?(12)」
異色の時代劇短編
『闇夜の時代劇/正体を見る』
一九九五年五月放送 全一話
まだセル画をフィルムで撮影するアナログ制作が中心だった一九九五年に、コンピューターの活用を試す実験作として制作された。編集などにコンピューターが活用されているという。同じコンセプトで『闇夜の時代劇』の冠の下、ほかに『老ノ坂』『幕末洛中瓦版』(ともに脚本・演出:今西隆志)、『甚助の耳』(脚本・演出:高橋良輔)が制作されている。いずれも日本テレビの深夜番組「ネオ・ハイパー・キッズ」内で放映された。
信長が本能寺で死んだ直後、徳川家康は伊賀のある大きな屋敷に立ち寄る。そこに一人の伊賀忍者の下忍が潜入する。家康を討って上忍になろうというのだ。しかし下忍が暗殺をしかけるたび、家康の側にいる客人が常にそれとなく妨害するのだった。露天風呂に入る家康を狙う下人の前に立ちはだかる客人。その正体とは……。
下忍が必死に仕掛けようとすればするほど、逆にピンチになるというユーモアの感覚が特徴的。またカリスマと遭遇することで、下忍の価値観が急転換する様を描く内容は富野らしい作劇といえる。
バイストン・ウェルへの再挑戦
『バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼』
一九九六年九月二一日よりリリース 全三巻
一九九五年から「ログアウト冒険文庫」で刊行された自作の同名小説を原作に制作されたOVA。『無敵超人ザンボット3』以降、サンライズをホームに監督を続けてきた富野だが、本作は制作サンクチュアリ、制作協力J.C.STAFF、協力アートランド(13)という珍しい座組で制作されている。原作が完結前のアニメ化だったので、原作のラストまで描かれていない。
『聖戦士ダンバイン』、小説『ファウ・ファウ物語』、小説『リーンの翼』、小説『オーラバトラー戦記』に続いての、バイストン・ウェルものである。現代の日本からバイストン・ウェルに召喚されたのは浪人生の千秋クリストファ。そこではメトメウス族が、強大なアシガバ族の奴隷として虐げられていた。クリストファは、かかとから翼の生えた聖戦士〝ガーゼィの翼〟としてメトメウス族に迎えられ、アシガバ族との戦いに巻き込まれていく。
本作のポイントは、クリス本人がそのままバイストン・ウェルに招かれるのではなく、地上界のクリスとバイストン・ウェルのクリスとに分裂して存在しているという設定だ。そのため地上界のクリスが調べた知識を、バイストン・ウェルのクリスが活用する、といったシーンもある。これは『ダンバイン』の序盤がバイストン・ウェルだけで進行して、かえってその世界設定のインパクトがわかりにくかったことを受けて、地上とバイストン・ウェルを適宜対比させることでビジュアルが単調にならないようにする工夫であろう。
またクリスがオーラロードを通るきっかけがヤマトタケル伝説であったり、神社からもらった鈴のネックレスが二人のクリスを繫ぐ小道具になったりと、ミックスルーツであるクリスに、土着の要素を組み合わせるアイデアが盛り込まれている。またクリスがバイストン・ウェルに招かれすぐに戦闘に巻き込まれる展開は、『ダンバイン』第1話の失敗を踏まえたものになっている。
メトメウス族は世界樹を目指し旅を続けており、アシガバ族は世界樹を目的にメトメウス族を追撃する、という構図で物語は展開するが、世界樹の到達までは描かれず、クリスが聖戦士として一つ成長したところで締めくくられている。
脱ガンダムを目標に
『ブレンパワード』
一九九八年四月放送 全二六話
本作の企画は一九九六年ごろから富野と永野護の間で、長編映画として準備が進められていた。同年一一月には映画バージョンの脚本として「ブレンパワード 絢爛たるオーフェン」がまとめられている。またこの表紙には「テレビ・バージョンの一クールの骨格」とも書かれている。しかし、サンライズ側で映画制作の体制が組めず、一旦は休止状態になるものの、改めてTV企画として動かす方向で再始動することになる。
この前後で一九九九年の「ガンダム二〇周年」をどうするんだ、という話も持ち上がっていた。富野は一九九六年よりも前に相談を受けて「もうガンダムはやらない」と断っていたが、最終的にサンライズの統一見解として、やはり富野に監督を依頼したいという方針が決まる。そのため『ブレンパワード』は、次の「ガンダム」もにらんで、富野がスムーズに「ガンダム」に取り組めるよう、その前哨戦として制作していくことが決まった。
当時サンライズのプロデューサーだった植田益朗は次のように回想している。
「次はガンダムをやると決めてましたから、その前に富野さんの状態をできるだけベストなものに近づけるためにも、とりあえずは『ブレンパワード』をやってみてもらおうと。変な言い方をすると〝プレガンダム〟みたいな部分もありましたが(略)いきなり次のガンダムに入っていくよりは、スタッフワークの面でもメリットが大きかったといえますね(14)。」
放送は民間衛星放送局WOWOWに決まった。サンライズは一九九五年頃からWOWOWに何度か企画提案をしており、一九九七年に植田からプレゼンを受けたWOWOWの海部正樹プロデューサー(当時)は「サンライズ作品でオリジナルロボットもの、それに富野監督とメインスタッフのいのまたさん、永野さん、その上でのWOWOWの初アニメという構図、それがバシッとハマったんです(15)」と語っている。WOWOWは加入契約促進ポスターに「普通のテレビじゃ、ここまでやれない」というコピーをのせ、一九九八年四月の加入者は『ブレンパワード』目的の人を中心に、前年の一・三倍ほどだったという。
番組のキャッチコピーは富野による「頼まれなくたって生きてやる」。これは一九九七年に公開された二つの映画のキャッチコピーに対するアンサーにも見えるところがポイントだ。その映画とは、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを、君に』(庵野秀明総監督)と『もののけ姫』(宮﨑駿監督)で、それぞれキャッチコピーは「だから みんな、死んでしまえばいいのに…」と「生きろ。」である。
「『エヴァンゲリオン』と『もののけ姫』が、九七年に発表されて、日本のアニメのいい区切りになったと思えたんです。その翌年に一度、作品を形にしておかないと『エヴァ』と『もののけ』がずっと続くんじゃないのか、それはさせたくはない、というのがありました。ですから『ブレン』はその二つに対しての回答とかなんとかではなく、現象を受けて僕が急いで作ったものなんだということに関しては、いわれてもしょうがないですね。(略)企画の骨格とかストーリーの半分ぐらいは、あの二作品を観る前に創っておいて良かったと思っています。全部創るのを二作品を観てからやっていたのでは、もっとひどいものになっていたでしょうね。影響されすぎて(16)。」
地震や津波で荒廃した近未来の地球。深海で謎の巨大遺跡オルファンが発見される。またそれと前後して世界各地でプレートが発見された。プレートから出現する(リバイバルと呼ばれる)のは人型の存在アンチボディ。アンチボディはグランチャーとブレンパワードの二タイプが存在した。
オルファンに集まった人々はリクレイマーと呼ばれた。リクレイマーの指導者・伊佐未夫妻の息子、勇はプレートの回収中、ブレンパワードがリバイバルする様子を目撃する。そこに居合わせた孤児の少女、宇都宮比瑪は、生まれたばかりのブレンパワードと自然に心を通わせていた。
一年後、勇は廃棄されていたブレンパワードとともにオルファンを脱する。そして一年前にリバイバルしたブレンパワードを操る比瑪と再会する。勇は、比瑪とともにオルファンの浮上を阻止しようとする国連の実験艦ノヴィス・ノアに合流することになる。
『ブレンパワード』の制作においてキーワードといえるのは「ガンダム離れ」だ。
脚本家として第1話「深海を発して」や第26話「飛翔」など七本を担当した面出明美は脚本作業について次のように語っている。
「当初から、ロボットものではないものを目指すということでした。でも、最初の企画書のままでは今までの作品と変わらないから、企画書のことは忘れるように、とも言われました。家族、特に母親と子供が軸になっていることもあって、富野監督のほうから女性ライターを起用したいとの意向があったようです。(略)
脚本全体の話をしますと、半年のシリーズなのに、脚本だけで一年ぐらいかかっています。特に、前半の試行錯誤の時期は、最初の打ち合わせや第一稿を前にした打ち合わせで、一話につきそれぞれ三時間ぐらいかかっていました。(略)
打ち合わせでは、富野監督のアイデアを、
それだとガンダムになります
とかいってみんなで止めたことも。最終的にあきらめられたのか、ライターにお任せが増えました(17)。」
脚本作業と並行する形で富野は、一九九七年六月から一九九八年三月にかけて、複数回にわたってストーリーメモを書いている。映画版の脚本がキャラクターがどんどん死んでいくハードな内容だったのに対し、ストーリーメモの段階では要素は同じでも雰囲気が大きく変わってくる。それは上記のような実際の脚本作業のフィードバックがあったからだろう。
第4話「故郷の炎」や第26話「飛翔」など八本に絵コンテ・演出で関わった西森章は「気持ちがいいとか、悲しいという気分が表現できるフィルム、映画の原点にもどるような作品が作れないか、という話に
それはやりたいです
(18)」と参加を決めたという。
「映画のフィルムとしてマイルドなユーモアのあるフィルムにするのは、けっこう手間がかかるんです。『ブレン』では一度、作り手のきまじめな部分を流してしまったんで、『∀ガンダム』では上手くできるようになりましたね。そういうアイデアがスタッフから、よく出るようになっていますよ(19)。」
このような『ブレンパワード』での取り組みは、『Vガンダム』で傷を負った演出家・富野由悠季が再生していくための重要なリハビリとなったのだ。
「巡ること」を主題に語られる人の営み
『∀ガンダム』
一九九九年四月九日より放送 全五〇話
『機動戦士ガンダム』の放送二〇周年に合わせた本作の企画が、具体的に動き始めたのは一九九七年四月。吉井孝幸サンライズ社長(当時)は富野に「二〇周年の記念イベント的なものではなく」と、作品性第一での制作を依頼した(20)。
過去の戦乱の時代から長い時が流れた未来。地球では戦乱の記憶は「黒歴史」として忘れ去られていた。そこに突如、月に住む人々ムーンレィスが地球帰還を希望し、宇宙船で降下してきた。ムーンレィスは、はるか昔に宇宙進出した人類の子孫だった。
ムーンレィスの少年ロラン・セアックは、地球降下作戦の先遣隊として地球に潜入。ビシニティの鉱山家ハイム家の運転手として働き、一年間を過ごしていた。月の女王ディアナ・ソレルの軍隊ディアナ・カウンターなどが降りてきたその日、ロランは成人の儀式のためマウンテンサイクルにいた。山の石像の中から現れる、封印されていた黒歴史のモビルスーツ。ロランはホワイトドールと呼ばれるそのモビルスーツに乗ることになってしまう。
一方、女王ディアナと瓜二つの姿をしたハイム家の長女キエルが偶然から入れ替わってしまう。イングレッサの領主の御曹司グエン・サード・ラインフォードが編成した市民軍ミリシャに参加したロランは、キエルとして過ごすディアナと行動をともにして、地球と月の人々が共に平和に暮らせる道を探っていく。
一九九七年六月の時点で「過去のガンダムを肯定しながらも新しいガンダムを登場させられる」「平気でウソをつく人の習性をテーマにする」という方向で企画が練られており、その後、『ブレンパワード』の制作準備の時期を挟んで、一九九八年春に同年秋放送の想定で『環ガンダム(リング・オブ・ガンダム)』として企画書がまとめられる。この「平気でウソをつく人の習性」というアイデアは『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』(M・スコット・ペック、草思社)からインスパイアされたアイデアで、集団においても自己正当化が起こるという同書の指摘をヒントに、人類が過去の戦乱の時代を封印、忘却したという設定が作られた。それが封印された歴史=黒歴史という設定であり、黒歴史の遺物が埋まっている場所がマウンテンサイクルと命名された。現在、黒歴史は「掘り返されたくない過去の思い出」といったニュアンスで広く一般的な言葉として流通している。
同年六月には、当時カプコンに所属していた安田朗(あきまん)がキャラクター原案として参加。安田は一九九六年に富野と知己を得ており、この後も『OVERMANキングゲイナー』、『ガンダム Gのレコンギスタ』に参加している。一九九八年六月に、映画『ブレードランナー』『スタートレック』に参加したビジュアル・フューチャリスト、シド・ミードにガンダムを含めたメカの依頼をすることが決まる。
メインメカであるガンダムのデザインは難航した。「下半身が推進ユニットで、上半身がウエポンコンテナ」という発注を踏まえ、最初に描かれた機体は、想像以上にマッシブなデザインで富野以下、スタッフは困惑することになった。そこで「グラマンではなく零戦をデザインしてほしい」と、第二次世界大戦の戦闘機になぞらえたリテイクを出し、やりとりを重ねて完成したのが現在の∀ガンダムである。最初に描かれたマッシブな機体は、スモーとしてディアナ親衛隊が使うモビルスーツに採用された。
∀ガンダムは、胸部の曲線のラインがそのまま肩パーツのラインに繫がるシンプルな美しさ、肩パーツが跳ね上がって腕を垂直に挙げられるようになる合理的な構造などに、シド・ミードらしさを感じることができる。一方で、口部分にある特徴的な〝ヒゲ〟はファンの間でさまざまな議論を呼んだ。これはガンダムと名のつくほとんどの機体の額に付いているV字アンテナを変奏したもので、チークガード(頰あて)のイメージで描かれたという。
一九九八年八月には文字によるキャラクター設定がまとめられ、一カ月後には一旦ラストまでのストーリーラインも書かれている。これと並行して第1話の脚本作業が進んでいる。第1話の脚本は『機動戦士ガンダム』以来の参加となる星山博之。星山は、新ガンダムの企画が動き始めたとき、富野が最初にコンタクトしたスタッフだった。この星山の第1話のプロットで、ロランがムーンレィスであるということが決まった。それまでは地球出身の予定だったので、この変更はシリーズの方向性が大きく変わり、定まったポイントだったといえる。
放送開始直後の一九九九年五月には、三クール目以降の展開が改めて富野の手で書かれているが、これは本編と大きく異なっている。戦闘色が濃く、メインキャラクターの立ち振る舞いも大きく異なる。全体としてはディアナとロラン、それを陰ながら支援するキエルの妹ソシエのチームが、グエン率いるミリシャ、ディアナ親衛隊隊長ハリーの率いるディアナ・カウンターとそれぞれ戦っていく構図で、キエルはグエンの側にいる役回りとなっている。
ディアナも「月光蝶」という巨大モビルスーツに乗って戦い、ハリーを倒す。「ハリーは、ディアナに殺されるなら本望だと叫んで逝く(21)」。またグエンとの戦いの展開の別案として「ディアナは、この戦いのなかで、グエンに抱きついてでも、ロランに討たせるように働いて、ロランはグエンを討つために、ディアナと共に炎で焼いてしまう。しかし、ディアナにとってそれは安息。グエンにとっては、それは無念地獄。という方法もある(22)」。
富野は「二クール以降に制作した物語には、数人のシナリオ・ライターのアイデアと感性が入っていて、いくつかのエピソードには、ぼくはまったく関与していない(23)」と書いている。『ブレンパワード』で「それをやるとガンダムになります」と止めていたのと同じような脚本チームの働きが、本作にもあり、『ガンダム』ではなく『∀』らしい物語を模索していくことに大きく関与したことがうかがえる。
このように富野は還暦を前にして、若いスタッフの力を得て、新たなフィールドに足を踏み出したのだった。
シリアスからパワフルへの方針転換
『OVERMANキングゲイナー』
二〇〇二年九月九日より放送 全二六話
『キングゲイナー』はもともと短編映画あるいはOVAとして企画が進められていた(24)。この時点では、主人公ゲイナーは富士山の見えるリゾートホテルの下働き。ホテルのオーナー姉妹の一人、アナスタシアがシルエット・エンジン(本作におけるロボットの呼称)に誘拐される。実は、アナスタシアは都市国家ウルグスクの姫で、そこの兵士が彼女を連れ戻しに来たのだった。ゲイナーは国際警察機構の平和維持軍セント・レーガンのシルエットエンジンを奪い、アナスタシア奪還に向かう。
これがTVアニメとして仕切り直しされ『ゲイン・ゲイナー』となる。この段階で主人公はゲイン・ゲイナーという少年で、南のドームポリス(巨大都市国家)〝ウッブス〟を放逐された君主継承者という設定。彼がウルグスクの第二継承権を持つ少女アナ・スターシアを助けて戦うという設定だった(25)。
放送された作品の舞台はシベリア。遠い未来、自然環境回復のため人類は、シベリアなどにドームポリスを建設しそこで暮らすようになっていた。長い時間が経つうち、ドームポリスを脱出して温暖な土地へと「エクソダス」する人々が現れるようになった。シベリアでは、ドームポリスを支える生命線であるシベリア鉄道が警備隊を持ち、エクソダスを厳しく取り締まっていた。ゲームキングのゲイナー・サンガは、エクソダスの疑いでシベリア鉄道警備隊に身柄を拘束されてしまう。そこで出会ったのが、エクソダス請負人のゲイン・ビショウ。ゲイナーはゲインとともに脱走し、エクソダスに参加することになる。
本作のカラーはさまざまなスタッフのアイデアが反映されて出来上がっている。
本作のシリーズ構成は『∀ガンダム』で脚本家デビューした大河内一楼。富野作品でシリーズ構成が立つのは、『重戦機エルガイム』以来のこと。大河内は、富野の用意した世界設定を生かしつつ、あえて富野のプランとはまったく異なるストーリーを提案。さらに、シルエット・エンジンよりも高性能なオーバーマンというメカについても、「オーバースキル」という特殊能力を持つマシンという、富野のプランにないアイデアを盛り込んだ。各話のエピソードは富野からのディレクションを踏まえつつ、脚本陣が工夫を凝らして作り上げていった。
アニメーションディレクターの吉田健一は、企画の初期から参加し、さまざまなイメージボードを描いて作品のプリプロダクションに貢献した。また漫画家の中村嘉宏とカプコン所属のデザイナー、西村キヌとチームを組んでキャラクターデザインを担当した。キャラクターデザインでは、吉田は、二人とキャッチボールをし、それぞれのデザインアイデアを生かしデザインをアニメ用設定に落とし込むところに注力した。
作画監督としては、第1話「ゲインとゲイナー」など五本を担当。そのうちの一本、第14話「変化! ドミネーター」(脚本:浅川美也、絵コンテ:横山彰利・斧谷稔)は、オーバーマン・ドミネーターの変幻自在でパワフルな戦闘シーンが視聴者に強い印象を残した。
ちなみに第1話については作画監督として方向を提示することに加え、演出の笹木信作と話し、富野の絵コンテに描かれた内容を全部表現するという方針で臨んだという(26)。笹木は次のように話している。
「富野監督のコンテは凝ろうと思うと際限なく凝れる内容があるんです。(略)しかし、そういった細かい描写をどこまでやればいいのか、かなり悩んだんですが、結局できることは全部やろうと。吉田くんも自分がやる以上、相当のところまでやりたいという希望がありましたし。ただ、そうしたら現場的には無茶苦茶大変になってしまいました(27)。」
初期から関わったスタッフは、本作をシリアスな物語だと捉えていたようだ。例えば、大河内は、エクソダスを防ぐため、その進路に人間を埋めるという「人間地雷」のアイデアを提案したところ、「そういう悲惨なものはいい」と富野から否定されたという。また吉田は「少し重たい作品」を作っているつもりだったので、テンションの高いオープニング『キングゲイナー・オーバー!』のデモを聞いて困惑したという(28)。ただ二人とも、その後すぐに頭を切り替えている。
具体的には第3話「炸裂!オーバースキル」から、明朗な雰囲気になり「なんでもあり」な雰囲気が色濃くなる。富野は、第6話「セント・レーガンの刺客」の脚本打ち合わせが始まるタイミングで「第5話までのシナリオとか、第1、2話のコンテを忘れてくれ(29)」と脚本チームに話して、作品の方向性がもっと自由でエンターテインメント重視の方向に向かうようにディレクションしている。
『キングゲイナー』で、『ブレンパワード』の段階から始まった、脚本チームのアイデアを取り入れていくことで「脱ガンダム」を果たしていくという流れは一つの完成を見る。
大河内はこう振り返る。
「個人的には、富野監督って上質なコーヒー豆じゃないかと思うんです。通の人はストレートでおいしく飲めるけど、普通の人はミルクや砂糖を入れたほうがおいしく飲める。そういう意味では、自分が砂糖やミルクになれたらいいなと思いました。(略)コーヒーの風味を損なわずに、まろやかにおいしくなっているとよいのですが(30)」
浮かび上がる元特攻兵の人生
『リーンの翼』
二〇〇五年一二月から配信 全六話
『リーンの翼』は二〇〇五年一二月から、アニメ専門配信サービス・バンダイチャンネルで独占配信された。本作の成立の過程は複雑だ。
富野は『ダンバイン』と同時に、エンターテインメント小説誌「野性時代」で小説『リーンの翼』の連載を開始した。オーラバトラーなどが登場する以前の時代を舞台に、アジア・太平洋戦争末期の特攻兵サコミズ・シンジロウ(迫水真次郎)が、バイストン・ウェルで聖戦士として活躍する姿を描く内容で、大人向けのエンターテインメントとして、残酷な描写、エロティックな描写も多い。彼の沓から現れるのが聖戦士の証である〝リーンの翼〟である。
小説のサコミズは、シィの国の復興を目指すアマルガン・ルドルに協力するが、最終的にアマルガンの裏切りにより刺殺される。その瞬間、意識が現代に戻った迫水は、リーンの翼とともに、小倉に落とされるはずだった第三の原爆を防ぎ絶命する。
アニメ『リーンの翼』は同名ではあるが、小説版の一種の続編として制作された。ただ素直に続編と呼ぶには小説と設定的に矛盾するところもあるため、正確にいうと「続編的な立ち位置の新ストーリー」といえる。全話を通じて、脚本は高山治郎と富野、絵コンテは富野が担当している。
アニメ版では、サコミズは第三の原爆を破壊した後、その衝撃で再びバイストン・ウェルへと帰還したという設定になっている。そして今度はシンジロウ・サコミズとして新たにホウジョウの国を建国。年月を重ねても、聖戦士の力なのか、壮年のままの姿を保つサコミズは、次第に暴君となり、オーラマシンを開発して地上界への侵攻を考えるようになった。かつての戦友アマルガン・ルドルはそれを止めるため反乱軍を組織するに至った。サコミズの娘リュクスもまた、サコミズを止めたいと考えている。アニメ版は、このようなバックストーリーを設定したうえで、新たな主人公エイサップ鈴木の視点で物語を始める。アニメのサコミズは、主人公ではなく敵役なのである。
エイサップは、日本人の母と在日米軍の岩国基地司令を父に持つミックスルーツの青年。鬼畜米英の時代に生きたサコミズと対照的に〝現代〟を代表するキャラクターで、サコミズという特異な存在を浮かび上がらせ、その生涯を見届ける役回りを担っている。
サコミズはなぜ地上侵攻を考えているのか。第3話「地上人のオーラ力」で、リュクスは「父は地上界に戻って、戦争に負けた恨みを晴らしたがっています」と語り、それに対しアマルガンは「このヘリコンの地を征服してみても、特攻死できなかった無念を晴らしたいのでしょう」と応えている。その一方で、サコミズは「打倒アメリカ」を口にしつつも、そのほかの言動をみると、決して大日本帝國の勝利や無謬性を信じているわけでもない。地上界の情報も断片的に入手していて、現在の日本が大きく変わっていることも知識としては知っている。
つまりサコミズは、「戦中」からも「戦後」からも切り離された、宙吊りの状態にあるということで、それが彼をバイストン・ウェルで長く生きてしまった一種の〝浦島太郎〟の状態にしている。そしてその〝浦島太郎〟が故郷に帰ったときの衝撃を描くのが、第5話「東京湾」、第6話「桜花嵐」となる。
第5話では、オーラロードを通過するサコミズとエイサップが、東京大空襲、広島への原爆投下、沖縄戦など、アジア・太平洋戦争末期のさまざまな風景を目の当たりにするシーンが描かれる。ロボットアニメという枠組みと、バイストン・ウェルという世界観に、非常に巧みにアジア・太平洋戦争の様子が組み込まれていて印象的なシーンになっている。
3DCGで描かれた富野ガンダム
『Ring of Gundam』
二〇〇九年八月公開
ガンダムシリーズ生誕三〇周年を記念し、サンライズが制作プロダクション・ロボットと制作した短編アニメーション。二〇〇九年八月開催の「GUNDAM BIG EXPO」で初公開された。全編3DCGで制作され、声を担当したキャストに実際に芝居をしてもらい、それを撮影したものを3DCGキャラクターに反映させる手法がとられた(マーカーを使って動きのデータを取り入れるモーションキャプチャーとは異なる手法を使っている)。
富野自身の解説(31)によると、サンライズの若い世代から三〇周年に向けて新たなストーリーを求められ、「実写版」を念頭に置いて『リアルG』という名前でスタートしたのが本作の始まりである。そのため『踊る大捜査線』などで知られる本広克行監督が企画協力として参加。実写劇場用映画を作るつもりでプリプロダクションを行ったのは、短編だからといってイメージの羅列だけではコマーシャル以下のものになってしまうということを避けるためだった。それだけに完成した五分あまりの映像だけでは語りきれないさまざまなバックストーリーが用意されている。
資料(32)を総合すると、本作で描かれているシチュエーションは次のとおりである。
①主人公エイジィは連邦軍・髑髏部隊の一員で、前世紀からの人類の記憶の象徴で、人類救済の鍵となるビューティ・メモリーと、岩山の頂上でコンタクトをする。ビューティ・メモリーはキャラクター化した存在として描かれている。彼女は、自分の中のデータにアクセスするには「アムロの遺産をリングにして……」とヒントを語る。
②起動するガンダム。これはRX‐78をベースに安田朗がデザインし、早野海兵がディテールアップしてモデリングしたもの。かつてアムロが乗った機体がレストアされているという設定だ。エイジィはそれを操縦している。そこに飛び込んできたのは、ユリア。彼女はアムロの遺産の一つであるガンダムを改良・維持してきた組織エクスの一員である。
③エイジィはガンダムを操り、髑髏部隊の髑髏モビルスーツと戦う。実はエイジィはエクスのメンバーで、スパイとして髑髏部隊に潜入していたのである。ハンガーを出た先はリングコロニーの中で、遠景の山は空間を広く見せるための書き割りである。
④エイジィとユリアは、岩に覆われたコクーンの中にいるビューティ・メモリーを目覚めさせるため、ガンダムで接近する。アムロの遺産であるガンダムが岩に触れると岩が剝がれ、コクーンが見える。「でも人はいつかアムロの遺産とリンクして、いつか地球の記憶のすべてを新しい地球に送り届けられます……。絶望しなければね」と語るビューティ・メモリー。リングコロニーは、それ自体が恒星間飛行を行う(つまり新しい地球を目指すことができる)宇宙船だったのだ。
第11章で触れているとおり『∀ガンダム』以降、大地へのこだわりが前面に出る時期の作品だが、本作は外宇宙へ向かう未来が示唆されていることが興味深い。しかし一方でそこに示される人類観・文明観は『∀ガンダム』から『ガンダム Gのレコンギスタ』に通じる線の上にちゃんとのっている。
資料(33)に記載されたビューティ・メモリーの台詞はこう続いている。
「人は、ひとつの太陽が死滅しても、まだ生きられます。なぜなら、宇宙という容量は無限なのですから……無限を目指す……神を目指すのではありません。命の繰り返しというのは、無限大の宇宙と共存するものですから、それに挑戦するということが、命に課せられた技でもあるのです。良きように、と……そうでなければ、自滅するのもまた命なのです……」。
自分を知り、世界を知る旅
『ガンダム Gのレコンギスタ』
二〇一四年一〇月放送 全二六話
富野が『ガンダム Gのレコンギスタ』をどのように構想したかは、著書『アニメを作ることを舐めてはいけない(34)』にまとめられている。
同書によると企画の骨子がかたまったのは二〇一〇年三月ごろ。この時点ではまだ「Gのレコンギスタ」ではなく「Gのレコンキスタ」と表記されている。「レコンキスタ」の用語を避けたのは、歴史上のレコンキスタ(領土回復運動)と直接結びつけられることを避けるためである。この時点で基本的な設定はもう出来上がっている。これを踏まえて雑誌『ガンダムエース』二〇一〇年一二月号に、富野自身の手による小説「はじめたいキャピタルGの物語」が掲載される。これは『Gのレコンギスタ』のプロトタイプといえる内容になっているが、物語の序盤だけで終わっている。
二〇一四年三月二〇日に機動戦士ガンダム生誕三五周年イベント「RISE! 世界は動いている」が開催され、その中で「機動戦士ガンダム三五周年プロジェクト」として『ガンダム Gのレコンギスタ』が発表される。メインスタッフとして、キャラクターデザイン・作画チーフを吉田健一が、メインのG‐セルフのデザインを安田朗が担当しており、『∀ガンダム』『キングゲイナー』から続く布陣で要所が押さえられている。
宇宙移民と宇宙戦争の時代である宇宙世紀が終わって長い時が経った世界。地球にはキャピタル・タワーと呼ばれる宇宙エレベーターが存在し、地球上のエネルギー源フォトン・バッテリーを宇宙から運び込む重要な場所として神聖視されていた。
キャピタル・タワーを守護するキャピタル・ガード候補生のベルリ・ゼナムは、初めての実習の最中、宇宙海賊が操るG‐セルフの襲撃を受ける。G‐セルフに乗っていたのは、アイーダ・レイハントン。彼女に強い印象を受けるベルリ。ベルリとアイーダはこの出会いをきっかけに、自らの過去と未来に向き合うことになる。二人の旅は地球から始まり、月の裏側のスペースコロニー国家トワサンガ、金星方面に存在するフォトン・バッテリーの供給源であるコロニー、ビーナス・グロゥブへと向かっていく。
初期に書かれた企画骨子の「テーマ」のところには「戦争が人類史と信じる大人たちに、考え直せと立ち上がる少年たちの物語(35)」と記されている。この要素は、完成した本編の中では、ベルリたちが北米にある国家アメリアの軍隊に所属するでもなく、宇宙エレベーターを守るキャピタル・アーミーからも距離をとる展開に表れてはいるが、本編からテーマとして強く感じられるわけではない。
むしろ自分の生きている世界──ベルリならキャピタル・タワー、アイーダならアメリア──しか知らなかった少年少女が、旅をすることで自分自身を知り、世界を成り立たせているヘルメス財団の真実を知る、という構造のほうが前面に立って語られ、印象に残る。もちろんヘルメス財団のあるビーナス・グロゥブへの旅を通じて、クンパ・ルシータが地球圏に戦争を起こそうとしていることも知るという展開はある。しかしクンパ自身は最終回「大地に立つ」で、戦闘に巻き込まれ事故のような形で死んでしまい、ベルリたちと正面切って対峙することはない。ラストでベルリが、旅に出ることから考えても、本作のテーマは最終的に「自分を知る/世界を知る」というところに着地したと考えるのが妥当と考えられる。
本作の脚本は富野自身が全話執筆している。当然、絵コンテもこれまでどおり本人が描くか、ほかの演出家が描いた場合でも徹底的に手を入れている。にもかかわらず『ブレンパワード』の初期や『∀ガンダム』のストーリー案にあったような、苛烈な死の描写などはない。もちろん好戦的な──つまり物語の立ち位置としては〝悪役〟に近い役回りを担う──キャラクターは、作中で死亡するが、その描写もあくまでエンターテインメントの範囲に留まっている。
むしろ全編を通じて強く印象に残るのは、〝キャラクターの人間臭さ〟だ。複雑な腹芸を使うキャラクターも存在せず、皆素直に己の感情を露わにする。それが〝悪役〟であっても妙に人間臭い印象で、そこに憎めないおもしろさが生まれている。これはおそらく『ブレンパワード』からの「脱ガンダム」に向けた意識改革が功を奏した結果であろう。富野自身の脚本でそのような作品ができあがるのはある意味驚きでもある。
その一方で、人間味はあったもののメカものフィーリングが弱かった『∀ガンダム』の反省も踏まえてか、モビルスーツはふんだんに登場し、多彩な武器をつかって戦闘を繰り広げる。こちらのあの手この手でロボットバトルをおもしろく見せようとする富野の技は、本作でも健在である。
このような描かれ方をみると、地球の大地を目指す「レコンギスタ」とは、人間味あふれるキャラクターたちが、命をかけた〝お祭り〟であった、と考えることができるだろう。
総集編映画
各作品の解説には含めなかったが、富野は以下の総集編映画を手掛けている。
・『機動戦士ガンダム』(劇場版) 一九八一年三月一四日公開
・『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』 一九八一年七月一一日公開
・『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』 一九八二年三月一三日公開
全四三話のTVシリーズを三部作にまとめなおした劇場版。TVよりアムロがニュータイプに覚醒していく過程が強調されている。『哀・戦士編』のTV版からの大胆な構成変更、『めぐりあい宇宙編』の安彦良和による新規作画の魅力などが印象に残る。安彦はTVシリーズ終盤に病気で現場から離れており、『めぐりあい宇宙編』はそのリターンマッチでもあった。
・『THE IDEON接触篇』 一九八二年七月一〇日公開
・『THE IDEON発動篇』 一九八二年七月一〇日公開
公開日が同じなのは「ダブルリリース」と銘打って『接触篇』『発動篇』を同時上映するという興行形態だったため。『接触篇』はTVシリーズの総集編、『発動篇』は放送打ち切りのため放送できなかったラスト四話分をまとめたものとして構成されている。
・『ザブングルグラフィティ』 一九八三年七月九日公開
TVシリーズの中盤をカットしてコンパクトにテンポよくまとめた総集編。TVシリーズではイノセントの最高指導者アーサー・ランクは死亡しているが、本作ラストでは、それは実は芝居で、本当は生存していたという展開になっている。さらにアーサーが、最後の戦いで失明したヒロイン、エルチ・カーゴの治療を申し出るという台詞もあり、よりハッピーエンドを強調した締めくくりになっている。
・『劇場版∀ガンダムⅠ 地球光』 二〇〇二年二月九日公開
・『劇場版∀ガンダムⅡ 月光蝶』 二〇〇二年二月九日公開
公開日が同日なのは、ひとつの映画館で曜日によって上映作を入れ替えるというサイマル・ロードショーという方法がとられたため。
中盤のエピソードを中心にカットし『Ⅰ地球光』『Ⅱ月光蝶』の二部作にまとめている。
・『機動戦士ZガンダムA New Translation─星を継ぐ者─』 二〇〇五年五月二八日公開
・『機動戦士ZガンダムⅡ A New Translation─恋人たち─』 二〇〇五年一〇月二九日公開
・『機動戦士ZガンダムⅢ A New Translation─星の鼓動は愛─』二〇〇六年三月四日公開
TV放送から二〇年を経て全五〇話のTVシリーズを三部作にまとめなおした。四:三で制作されたTVシリーズをトリミングしてビスタサイズにしている。アナログ制作のTV版とデジタル制作した新作カットをなじませるため、双方の画調を調整する〝エイジング〟という工程が組み込まれている。カミーユが精神的に崩壊するというラストを変更するため細かく台詞などを調整しており、「大きな出来事は変わっていないが、ドラマは変わっている」というバランスで新たな作品を作り上げた。
・『GのレコンギスタⅠ 行け!コア・ファイター』二〇一九年一一月二九日公開
・『GのレコンギスタⅡ ベルリ 撃進』二〇二〇年二月二一日公開
・『GのレコンギスタⅢ 宇宙からの遺産』二〇二一年七月二二日公開
・『GのレコンギスタⅣ 激闘に叫ぶ愛』二〇二二年七月二二日公開
・『GのレコンギスタⅤ 死線を越えて』二〇二二年八月五日公開
全二六話を五部作に再編集。TV版の総尺が五四六分程度に対し、映画は五部作合計四九〇分なので、カットされたエピソードは非常に少ない。短くまとめた総集編というより、新作を加えてエピソードの流れを整え、ベルリやアイーダの心理的な転換点を明確に打ち出したバージョンといえる。TV版のラストシーンのあとにシーンが付け加えられ、大陸の砂漠を進むベルリのところに、ずっと好意を寄せてきたノレドが合流する姿が描かれた。