では、もう一つのドラマトルギー/ドラマツルギーについてはどうだろうか。一般的な使い方では、この二つの言葉は同じ「劇作法」などの意味で使われることが多い。富野がどのような意味合いで「ドラマトルギー」と「ドラマツルギー」を言い換えたかはわからない。しかし、長浜がラッシュフィルム(未編集の状態のフィルム)に合わせて自ら演技して台詞をチェックしていたことなどから考えるに、「大きな筋立て」を優先するのではなく、「キャラクターの感情を第一に考え、そこから普遍的な主題へと自然に繫がるような演出」を大事にしていたのではないかと考えられる。
『巨人の星』を例にとると、アニメ『巨人の星』は原作と比べて、登場人物の葛藤を物語の原動力としてストーリーを進めていることがわかる。思い通りにならない状況とそこから生まれる葛藤。そして各話のラストでこの葛藤が昇華される。このような展開の要所をはずさず、きっちりと盛り上げることを長浜は求めたのではないか。TVアニメ黎明期のSFアクションやギャグものとは違った、より複雑化したドラマの演出に触れたことも、富野には大きな刺激になったはずだ。
『巨人の星』に代表されるいくつかの作品を経た後、富野は『海のトリトン』の監督を手掛ける。『海のトリトン』は実質的な初監督作といえる。そして一九七二年以降の五年間で富野は、演出家としての挑戦を重ねつつ、徐々に自己の世界を確立していくことになる。
方向性のコントロール
富野が演出の原則として重要視しているのは「フレームの中のオブジェクトがどちらへ動くか」という左右のベクトルの使い方である。富野は、こうした左右のベクトルを使った演出方法について、自ら著したアニメ演出家のための技術書である『映像の原則 改訂二版(4)』の中でいくつか触れている。
ここで注意しておきたいのは、映像作品の中で左右のベクトルを意識するというのは決して富野だけの専売特許ではないということだ。「安易にイマジナリーラインを越えない」という原則を守っていれば、ひとくぎりのシーンの中では基本的に各キャラクターの左右のベクトルは守られる。富野演出のポイントは、この原則に従うだけでなく、ベクトルの方向を全編にわたってコントロールすることで映像のフォルムを形作る、というレベルで徹底している点だ。
そして、このベクトルのコントロールは、作画のよしあしに左右されることの少ない要素だからこそ、たとえ作画の出来が悪かったとしても、確実に演出的な狙いを伝えることに向いている。
富野は『映像の原則』でこのベクトルのあり方について以下のように語っている。
同書はまず
図 右(画面左)を向く人物
図 左(画面右)を向く人物
図 ハテナマークが描かれた図
の三コマを並べる。