第二のスタート──長浜忠夫との出会い
富野は『アトム』の終了後、虫プロを辞めて、フリーランスとなる。そこから一九七七年に『無敵超人ザンボット3』を監督するまでおよそ一〇年間ある。この一〇年は大きく一九六七年に虫プロダクションを辞めてから一九七二年に『海のトリトン』を監督するまでの五年間、そして『トリトン』から一九七七年に『無敵超人ザンボット3』を監督するまでの五年間に分けられる。
この前半、一九六七年から一九七二年にかけては、序盤はCMプロダクションのシノプロの仕事を中心にしようとするもうまくいかず、最終的にアニメ業界に戻り、フリーランスの絵コンテマン・演出としてさまざまな作品に関わっていくことになる。この時期は、プロフェッショナルの演出家として基本を再確認しつつ、「幅」を手に入れていった期間といえる。また一九六八年四月からは、富野家の本家がある東京都江東区大島で暮らし始める。その後、結婚して一九七一年に埼玉県新座市へと引っ越すことになるが、一九六七年からの五年間の半分以上は、この江東区大島で過ごしたことになる。富野家のルーツである江東区大島は、富野にとって再出発の土地でもあったのだ。
『だから僕は… ガンダムへの道』には一九六八年から一九七四年までの仕事を箇条書きで回想するくだりがあるが、そのまとめとして次のように記している。
ともかく、ディレクターや制作デスクのスタッフから、ヤツは便利につかえる、仕事をさばいてくれる捌き屋だといわれるのが第一。そのうえで、スケジュール内でなにを創れるのかを問われるのが現場であるから、僕は食ってゆくために便利屋に徹し、徹しながらも多くのクリエーターたちと出会った。
〝富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる〟
なかば非難と冗談をまじえてこういわれたのも、作品をえらばず仕事をしたからである。(略)
それによって、僕が得たものは大きかったと信じている(1)。
その中でも、富野のキャリアに影響が大きかったものを挙げるなら、一九六八年から放送の始まった『巨人の星』である。監督はその後も、『勇者ライディーン』などで接点がある長浜忠夫だ。
長浜忠夫監督との出会いは鮮烈だった。作品が放映される前に出会い、初期の七、八本のコンテを切らせてもらったので、あの劇画タッチというべきものが生み出される前だったのだが、人形劇をやっていらっしゃったと聞いた。ダイナミックに動き回り、アフレコ前のラッシュに、声をだして科白をあてて台本をチェックする監督は、長浜監督をしてはじめて知った。
コンテの直しの注文もよくいえばこまかくて、ドラマトルギー(ドラマツルギーとはちがう)的手直しと、イマジナリィ・ラインを口にされて、演出手法の根本的セオリーを指摘してきた。僕は学生時代にイマジナリィ・ラインの概念を承知していたが、虫プロ時代に一語も聞かされなかった単語で、これを野球のダイヤモンド上にいかに設定して画面を創るかを追求された方なのだ。これが氏の演出のダイナミズムを生む原動力で、このことについてはずさんな演出なれしていた僕に良い刺激になった。
逆説的にいえば、感性の発露というのは二次的な方であった(2)。
と記している。
『巨人の星』は資料が残っておらず、前半で富野が担当した話数は不明である。参加が確定しているのは第90話「ロボット対人形」だけだが、『富野由悠季全仕事』における調査に際して富野は、一クール目の終わりごろ(第10話前後)から、第三クール目の終わりごろ(第40話前後)まで、一カ月に一本のペースで参加したと語っている。
長浜の絵コンテのチェックは、かなり厳しかったようで、アニメーター・監督の安彦良和は『超電磁ロボ コン・バトラーV』などで一緒に仕事をしたときのことを振り返って、次のように回想している。
とにかく要求の多い人でね。『コン・バトラーV』では結構絵コンテを切っていて、それがすごく大変だった。(略)
そうやって描いた絵コンテを持って作画打ち合わせに間に合わせようとスタジオに行くんだけど、そこにまだ長浜さんという人は注文を付けるんですよ。「もうちょっと盛り上げようよ」って。冗談じゃないよと。もう尺が何分も超えているんですよ、と。そういう悪夢のようなことがよくあったんですよね。
すごく熱い人で。とにかく受けたいと思っているから、こっちにしてみると、付き合うのはしんどい(3)。
そもそも長浜は、劇団民藝などの劇団を経て、一九五六年から人形劇のひとみ座に加わり演出を担当していた。ひとみ座で同期だった藤岡豊が、アニメ制作会社・東京ムービーを起こしたことに合わせ、アニメの演出を手掛けるようになった。ひとみ座時代にはNHKの『ひょっこりひょうたん島』、TBSで放送された忍者もの『伊賀の影丸』(原作:横山光輝)を演出している。
『ひょっこりひょうたん島』は、生放送のため、人形たちの演技を止めずカメラをスイッチングするという舞台中継のような方法で放送されていた。これに対し『伊賀の影丸』はフィルム撮影。映画のようにカットごとにアングルを決めて撮影したものを編集して番組としている。編集という工程がある以上、カットが繫がって見えるかどうかは重要なポイントとなる。一方で人形劇のステージは決して自由度が高いわけではないから、どうしてもステージの上手・下手をいかに使って見せていくか、ということが重要になってくる。こうした経験があったからこそ、長浜はアニメの演出においてもイマジナリーラインを強く意識したのではないだろうか。実際『巨人の星』を見ると、確かにイマジナリーラインへの意識は明確だ。
イマジナリーラインとドラマトゥルギー
イマジナリーラインとは、向かい合ったキャラクターの間に生まれる架空の〝線〟のこと。会話する二人を撮影するときは、この線をまたがず、片側からだけ撮影するのが原則といわれている。イマジナリーラインをまたがずに撮影をすれば、話者Aは画面右向き、話者Bは画面左向きに固定されるため、それぞれをアップで撮って編集しても、誰が誰と話しているかがわからなくなることはない。これがイマジナリーラインをまたぐと、反対側から撮影することになり、顔の向きが逆向きになるため、誰と誰が視線を交わして会話をしているかが不明瞭となり、観客は混乱することになる。このため、一つのシーンの中ではよほど意味がない限り、イマジナリーラインをまたがないのが原則となっている。