COLUMN 富野監督作品全解説1 1968~1979


主要作品外から見えるキャリア


 ここでは監督作品『海のトリトン』の前後の時期に注目し、主要なプロフィールからははずれてしまういくつかの作品について触れたい。
 まず富野が初めて監督として仕事をした一九六八年の『夕やけ番長』について。
 同作はかじわらいつしようとしおによる原作のアニメ化で、制作スタジオは東京テレビ動画、放送局は日本テレビ。当時同局は月曜から土曜にかけて、一八時三五分から一〇分の帯枠をアニメにあてており、以前は海外アニメの短編を放送していたが、一九六六年の『とびだせ!バッチリ』(日本放送映画制作)から国産アニメを放送するようになった。これは一九六〇年代を通じTVアニメが、海外(北米)作品から国産へと切り替わっていく大きなトレンドの中で起きた変化でもある。
『とびだせ!バッチリ』の後『冒険少年シャダー』を制作し、日本放送映画は解散。同社出身のにいくらまさ(本名:わたなべきよし)が日本放送映画のスタッフなどと新たに設立した会社が東京テレビ動画である。日本放送映画に引き続き日本テレビとの強いパイプを背景に、一九六八年から一九七一年の解散までアニメを制作している。『夕やけ番長』は、同社の第一作となる。
『夕やけ番長』は当初、一九六七年にスタジオロータスを構えたきのしたれんぞうが監督、キャラクターデザインとして参加、富野は木下から紹介され、その後任という形で監督となった(ただしオープニングクレジットでは演出と表記。富野は自伝の中でチーフ・ディレクターと記している)。『TVアニメ25年史(1)』の作品解説には、演出助手だった富野が木下の降板により監督になったとの記述もある。いずれにせよ本作は、一時的にアニメ業界から距離をとり、CMの仕事をしていた富野が、本格的に業界に復帰するきっかけとなった作品であった。
 しかし本作の制作現場の状況は芳しくなかった。スケジュールの破綻、打ち合わせ不足に起因するリテイクの連続などの問題が多く、富野は社長(新倉であろう)あてに、改善の請願書をつきつけて一人で闘争したと回想している。しかし状況は改善しなかった。最終的に、これではチーフ・ディレクターとして責任が取れないからという理由で、現場には介入せず、全話の絵コンテを担当することに徹した(2)。あとは、出来上がった映像を編集し音響監督に渡す「最低限の取りまとめ(3)」をしたに過ぎないという。以上のような経緯から、富野自身も本作を〝初監督作〟と呼んではいない。
 アニメの監督に求められるのは〝作家性〟よりなにより、現場を回す──成果物のOKとNGを判別し、NGであればスケジュールを考慮に入れつつリテイクを含めた対策を講じる──ことである。しかし富野が改善を求めた『夕やけ番長』の現場は、こうした監督の通常の仕事を行うのが難しいレベルであったのだ。
 なお最初の監督だった木下はTVアニメの黎明期から仕事を始め『ビッグX』『オバケのQ太郎』『鉄腕アトム』に携わってきた人物。その後、さまざまなCMなどを手掛けたほか、一九七二年の自主作品『MADE IN JAPAN』が国際的評価を得たことをきっかけに個人作家としても広く知られるようになった。TVアニメ・シリーズの監督としては本作が唯一の作品だ。木下監督が降りたのも、もしかすると制作体制の悪さがあったのかもしれない。
 ちなみに富野は「NTVサイドのプロデューサーふじけんゆう氏のアドバイスで、とにもかくにも務めあげたのだが(4)」とも回想しているが、藤井は新倉から金銭などの贈与を受けていたという指摘があり、その見返りに東京アニメ動画に仕事が発注されていたのだという(5)
 制作体制に問題があり、さらにテレビ局と制作会社が癒着をしている状況。しかし、生活のために仕事は受けざるをえない。富野は『夕やけ番長』の後番組『男一匹ガキ大将』(一九六九)について「やるのがいやだった東京テレビ動画の仕事」と書きつつも、「現場に参画すると制作体制の不備を背負うことになるので(6)」ということで全話の絵コンテだけは担当している。
 こうした生活のための会社との付き合いの中から、貴重な経験を得られることもある。それが『シートン動物記』(一九七〇)だ。
『シートン動物記』は日本テレビの朝の五分枠(本編は二分)で放送された帯番組で、狭い意味でいうならアニメではない。止め絵の連続で見せる紙芝居形式の番組だった。
 この作品の絵コンテは手間のかかるものだった。それは脚本が「漫画なりの低俗なものになっておらず、真っ当にやることを求めているもの」だったからだ。
「〝シートン〟で語られている時代のアメリカ、その地方によって異なる建物、植物、動物、人物のファッション等々、一匹の野うさぎの話であっても、そのうさぎが住む森が北アメリカの中、南北部等によって木々の形がちがうだろう。雑草の生え方が違うだろう、と考えたのだ(7)。」
 絵コンテは資料を自腹で集めながらの作業となり、それは同時に自分が何を知らないかを知ることでもあった。
「たとえば、読者のなかの何人が、西欧人がベッドで目を覚ましたあと、顔を洗うまでの一般的なプロセス(過程)をご存知か?(略)
 そんなひどくあたりまえのことが分からなくなって、一枚の画にできなくなることがイッパイあったのだ。
 そんな風俗習慣を知らぬことが演出家にとって致命傷であるということを知り、考証がいかに大切で、いかに膨大な時間と金のかかるものかを知ったのである。同時に、絶対考証が不可能であることも知った。
 これは貴重な体験であった(8)。」
 この時の経験は、その後『アルプスの少女ハイジ』(一九七四)に絵コンテで参加したとき、同作の高畑勲監督がどのようなことを求めているかを──概念だけとしても──理解するうえで大きな役割を果たすことになった。
 またこの時期、富野は竜の子プロダクション(タツノコプロ)の仕事も手掛けている。参加作品は『昆虫物語みなしごハッチ』(一九七〇)、『いなかっぺ大将』(一九七〇)、『けろっこデメタン』(一九七三)、『新造人間キャシャーン』(一九七三)。
 タツノコプロは絵コンテと処理演出を分業にせず、一人が担当する仕組みだった。
「絵をフィルムに定着させるのが演出家の仕事である以上、フィルムをカッティング(フィルム編集)できない演出家は未熟であると信じていた。一年以上カッティングをしないのは危険だと考える僕は、自身をコンテマンに徹しきれさせないでいたから、カッティングまでさせてもらえる竜の子プロの仕事は、心からありがたく思ったのだ(9)。」
 東京テレビ動画のような制作体制が弱いところでは矢面に立って消耗しないよう限定的な関わり方を選び、体制がしっかりしているタツノコのような会社であれば、自分の腕を磨き維持できるような関わり方をする。いかにもフリーランスの仕事師らしい仕事ぶりといえる。
 また『海のトリトン』の後の一九七五年に知られざる代表作も手掛けている。教育用映画として制作された『しあわせの王子』である。教育映画とは学校などの教育現場での鑑賞のために制作される映画のこと。本作は教育映画を手掛ける共立映画社が企画し、和光プロ(現・ワコープロ)が実制作を行った一九分の短編である。本作は高い評価を受け、教育映画祭一般教養部門児童劇・動画部門の最優秀作品賞と第一七回厚生省児童福祉文化賞を受賞している。
 本作はタイトルのとおりオスカー・ワイルドの『幸福な王子』のアニメ化だ。街の中心に立つ王子像が、不幸な人を救うため、ツバメの協力を得て、自らを飾る宝石や金箔を分け与えるという自己犠牲の物語である。原作はラストで、すべてを分け与えみすぼらしくなった王子像を心ない人が溶鉱炉で溶かしてしまう展開があるが、本作はそこを省略し、冬になり力尽きたツバメが息絶えると、王子像もひとりでに崩れてしまうという描写になっている。
 本作はその多くがまったく動かない王子像と小さなツバメの掛け合いで構成されている。それだけにカット割りと編集が重要で、説明的でかつ単調にならないように心が配られている。また王子とツバメの自己犠牲の先にある悲劇を煽って盛り上げるのではなく、少し引いた視線で「お話」としてプレゼンテーションしているのも本作の語りのポイントといえる。
 本作は、漫画原作のアニメのようにビジュアルのイメージが先行して存在しているわけではなく、またTVアニメの各エピソードのようにすでにある設定の枠内でエンターテインメントを目指す作品でもない。演出としてゼロから作品世界を構築し、一つのトーンで作品をまとめあげることができた経験は──そしてそれが評価されたということは──富野にとって大きな自信になったはずだ。
 富野は翌一九七六年にも和光プロ制作でグリム童話原作の『紅ばら・白ばら』を手掛けている。

初監督作品で追求したテーマ性
海のトリトン
一九七二年四月一日より放送 全二七話


『海のトリトン』は、一九六九年からサンケイ新聞(現・産経新聞)で連載された、手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後に『海のトリトン』と改題)を原作とするアニメである。だが本作の成立過程は複雑である。
 手塚は一九六八年から一九七三年にかけてを「冬の時代10」と回想している。そのとおり当時は、手塚作品全体の人気が低落しており、さらにアニメ制作の虫プロ、版権管理・出版を行う関連会社虫プロ商事の経営も思わしくなかった。そんな中、一九七一年に『青いトリトン』のパイロットフィルムが制作されたものの、お蔵入りの状態だった。
 その企画を成立させたのが一九七〇年に入社した手塚治虫のマネージャー、西崎義展だった。いうまでもなく西崎はその後プロデューサーとして『宇宙戦艦ヤマト』を大ヒットさせた人物である。最終的に「プロデュース権というか©権を西崎さんが買って、手塚先生から『トリトン』をひっぺがした11」ことにより、制作をアニメーションスタッフルーム(後のスタッフルーム)が引き受けることになった。
 アニメーションスタッフルームは虫プロ出身のすずよしが社長。さらに虫プロの制作部出身で東京ムービーで働いていたくろかわけいろうが制作プロデューサーとして引き抜かれて参加していた。富野は東京ムービー時代にも黒川から仕事を発注されており「気心はよく知っているつもりであったからだろう、僕に白羽の矢をたててくださった12」と語っている。ただ企画の経緯から、虫プロダクションの関係者の参加は難しい状況で、制作協力として加わった朝日プロダクションは東映動画(現・東映アニメーション)関係のスタッフが集まったスタジオだった。キャラクターデザイン・作画監督のゆきよしも東映動画出身で『マジンガーZ』(一九七二)のキャラクターデザインなども手掛けている。
 原作は、少年・矢崎和也が海棲人類トリトン族の赤ん坊トリトンを拾ったところから始まるものの、物語は盛り上がらず、途中で和也を失踪させ、主人公をトリトンに変更して冒険ものの要素を打ち出すという内容だった。富野は原作について「イントロダクション部分を追いかけているだけ」で「完結にいたる気配の見えないものだった13」という印象を持っていた。プロデューサーらも同様の意見で、アニメ化にあたっては独自に物語を構築する必要があると判断が下された。
 こうしてアニメ『海のトリトン』は、人間に育てられたトリトン族の生き残りの少年が、自分の素性を知り、海の平和を求め、両親を含めた一族の仇であるポセイドン族と戦うという、一種の貴種流離譚として制作されることになった。トリトンとともに旅をするのは、母性を感じさせる白いイルカ・ルカーと、コメディリリーフの三匹のイルカ、イル、カル、フィン。そして同じトリトン族の生き残りの人魚・ピピ。このグループは、ある種の疑似家族のような雰囲気を持って描かれている。
 ポセイドン族の幹部が人間と別の生物を組み合わせたデザインの怪人であるなど『仮面ライダー』(一九七一)の大ヒットの影響がある一方14、主人公がナイーブさを感じさせる少年であることでまったく新しいドラマが生まれていた。
 例えば第20話「海グモの牢獄」(脚本:まつおかせい、絵コンテ:斧谷稔)は、ポセイドン族でありながら海の上の世界に憧れ、海グモの牢獄に閉じ込められたゲストヒロイン・ヘプタポーダが登場するエピソードである。彼女は、トリトンを倒せば自分は自由になれると思い、トリトンと戦うことになる。ここではポセイドン族の側にも願いや思いを持った人物がいることが描かれ、その願いがその人物を悲劇へと追い込む様子が描かれている。
 さらに視聴者に強い印象を残したのは最終回である。富野は最終回のアイデアを一クール目の作業が終わる頃に思いついたが、それを話すときっと関係者に否定されるだろうと考え、メインライターであった松岡清治にも明かさず、最終回は自らの脚本・絵コンテで完成させた。
 第27話(最終回)「大西洋陽はまた昇る」の展開はこのようなものだ。
 トリトンたちはついにポセイドン族の本拠へと到着する。トリトンのオリハルコンの短剣の輝きに反応して動き出したポセイドンの神像は、おそろしいことが起きるから短剣を収めろと叫ぶ。トリトンが短剣を収めると、確かに神像は動きを止めた。トリトンは、神像を動かしているのが誰かを知るため、さらに進んでいく。すると神像の足元に空洞が広がっていることがわかる。
 その空洞へと降りていくトリトン。そこには古代遺跡のような海底都市が広がり、大勢の人々が死んでいた。遠くから神像と同じ声が響き「これがトリトン、お前の犯した罪だ」と告げる。その声の源であったがいは、トリトンのオリハルコンに反応して真実を語り始める。
 かつてアトランティス大陸に住んでいたトリトン族は、ポセイドン族を神像の生贄として支配していた。しかし生贄として捧げられながらなんとか生き延びた一部のポセイドン族は、神像のオリハルコンの力をエネルギーとするようになっていた。彼らはそのエネルギーを使ってトリトン族への復讐を実行する。アトランティス大陸を一夜にして沈没させたのだ。一方、トリトン族もポセイドン族に対抗するためマイナスエネルギーのオリハルコンを作っていた。これがトリトンに託されたオリハルコンの短剣だった。
 トリトンが神像を破壊したため、そのエネルギーを太陽として海底都市で生き延びてきた一万人たらずのポセイドン族は全員が死んでしまった。その事実を知ったトリトンは衝撃を受ける。そしてトリトンと再び動き出した神像の最後の戦いがきっかけとなり、海底火山が爆発しすべては失われてしまう。
 子供らしい正義感と、一族の生き残りであることを背負った復讐心の根底にあった「自分は被害者である」という事実がひっくり返されるという非常に苦いラストである。
 このラストについて富野は、毎週トリトンが攻撃されるという展開を踏まえて「それはつまり、トリトンたちはポセイドンに悪だって思われていて、とても怖い存在だっていうことです。そこの部分の話をちゃんとしないと、トリトンが攻撃をかいくぐるという形で描いてきたお話が、ウソになってしまうでしょう」と説明する。
「驚きがなければ、だから、トリトンは毎週毎週、怪獣に襲われていたんだという納得が得られない。それを欠くとマント着た子が海で暮らしてる。人魚のネーチャンも暮らしてる。まんがだからそれでいいよねっていうところで終わってしまう15。」
 こうした「主人公の正義を揺るがす最終回」というアイデアは、『無敵超人ザンボット3』にも受け継がれている。
 一方、『海のトリトン』はファンカルチャーという点でも大きな存在である。放映後も『トリトン』のことを語り続けたいという動きがあり、ファンクラブが結成された極初期の作品となったのだ。放送後しばらく経った後に、ファンの集いも開かれたという。
「オンエア中のリアクションはほとんど皆無でしたが、オンエアが終わって一年半目ぐらいに、ファンの集いが文京公会堂だかでありまして、僕はあの時初めて一〇〇〇人を超えるお客さんというのを、ひとつの場所で見ることが出来ました。(略)作り手は自分の好きなものを勝手に作っていいわけではない。作り手の最低限の想いをきちんと入れておけば、こういう風に人を摑めるんだ。『海のトリトン』で僕自身が極めた演出法は正しかった。読者なり視聴者なりが子供であればあるほど、作り手は自分の全てをさらけ出さなければいけない。(略)その時からもうアニメでもいい。むしろアニメだからこそ、実は一番大事な年代に自分の作品を観るための時間を割いてもらえるんだ16。」
 このエピソードは、東京アニメーションアワードフェスティバル二〇二一で功労者に選ばれた時のスピーチでも披露しており、富野にとって原点のひとつであることがうかがえる。

ロボットアニメ初挑戦。そして降板。
勇者ライディーン
一九七五年四月四日より放送 全五〇話


 経営難に陥った虫プロダクションから独立したスタッフは、東北新社の出資を受け、一九七二年に企画・営業を行う創映社を設立。その下に実制作を行うサンライズスタジオが設けられた。ここで『ハゼドン』(一九七二)、『ゼロテスター』(一九七三)が制作され、続く企画が『勇者ライディーン』だった。
 企画の発端は東北新社のうえむらばんろう社長(当時)の「東映動画ではマジンガーZやって儲かっているから、でかいロボットをつくればいい17」という一言だった。当時は『マジンガーZ』(一九七二)のヒットが口火を切りシリーズ化され、『ゲッターロボ』(一九七四)も人気を集めていた。ロボットアニメに改めて参入するには、それなりの新しい切り口が必要だった。
 そこで導入されたのが当時ブームになっていたオカルト要素と「玩具で再現可能な変形ロボット」という要素だった。ムー帝国を中心とするオカルト要素は、原作者でもある脚本家のすずよしたけが、他のロボットアニメで扱われていない要素ということで選んだもの。玩具については企画段階からキャラクター玩具を得意とするポピーと連携し、玩具デザイナーのむらかみかつによる「鳥の姿になるロボット」というアイデアを取り入れ、これをキャラクターデザインの安彦良和がブラッシュアップする形でデザインが決められた。『マジンガーZ』以降のロボットアニメは、映像のメカが先行し、玩具はそれを「再現」するものだったが、本作により「玩具開発が先行し、それがアニメの中に登場する」という構図が当たり前になっていく。
 この企画で監督に抜擢されたのが富野であった。
「『勇者ライディーン』に課せられた最大の課題は『マジンガーZ』と『ゲッターロボ』を抜くことだった。/その突破口を原作者・鈴木良武氏はムー大陸の歴史から語ることによって見い出した。/それに素体ロボットにフェードインする主人公とゴッドバードに変型するメカニックなアイデア。/この二つでわれわれは、まったく新しいロボット物を作り上げる自信を得た18。」
 フェードインとは、主人公・ひびきあきらがライディーンに乗り込むこと。洸はこの掛け声を叫ぶことで、フェードインを行う。
 しかし思わぬ情勢の変化がある。
「ところが、メカニックと神秘世界の出会いという基本テーマにとって不幸が起こった。時の社会風潮が神秘世界へ挑戦することを拒否したのである19。」
 富野がここで語る「拒否」とは具体的には、テレビ局NET(現在のテレビ朝日)からの修正要求であった。富野の回想20によると、すでに一クール分のストーリーの概略が決まり、四本目の作画に入ろうというタイミングで、ストーリーの変更を求められたのである。この背景には、『週刊朝日』一九七四年五月四日号で、超能力「スプーン曲げ」のトリックを暴き、世間でオカルト批判が高まったことがあるという。『週刊朝日』を出版する朝日新聞社はNETの大株主であった。
「既に第三話までの作画に入り、第一クール(十三話)の物語が固まったころ、後から決まったテレビ局のプロデューサーから指示が出た。
オカルト路線に便乗するのはやめてくれ
 当時は〝超能力者〟ユリ・ゲラーが話題を集めていた時期で、その風潮を批判する声も世間にはあった。スポンサーは出資者でしかない。局には公共に向けて番組を送り出す責任がある
 しかし既に作った話は直せない。富野は第四話から路線転換を図ったが、制作現場、広告代理店、商品開発担当者、局プロデューサーがそれぞれ自分の意見を富野に言う。そんなことできない」局の言いなりになるな」ちゃんと直っていないだろ
ごたごた騒ぎの中で結局、『富野は無能だ』となったんです。第三クールからは別の監督が立った。降板を通告されたときはがくぜんとしましたけれど、これが世の中なんだと了解しました21
 富野の後任は、『巨人の星』などのヒット作を持つ長浜忠夫。富野は一演出として『ライディーン』に関わることになった。
 こうした経緯で第1話はかなりオカルト色が濃く始まるものの、作品は「ロボットバトルのカタルシス」へと集中する方向でまとめられている。特に戦闘シーンでは挿入歌がかかることが多く、ストレートに視聴者の感情を鼓舞する作りになっている。敵である妖魔帝国が戦闘ロボット・化石獣を作り出すシーンはオカルト色が多少残っていたが、監督交代のタイミングで敵キャラクターが一新されたことで、このシーンもなくなった。
 安彦は『ライディーン』に参加したことでそれまで持っていた「手が早いわりに、面倒な絵コンテを描く、軽い人」という印象が変わったと語っている。
「彼は意外と二枚腰三枚腰というか、当時は特に粘り強いところがあったんです。局からクレームがついた時に、もっと視聴者サービスをしなければいけないんだといって、既に出来上がって納品寸前のフィルムに、ラッシュフィルムを探して来て繫いだり、ズタズタにして再編集したり、そういうことを彼は自分でやったんです22。」
 テレビ朝日で路線変更を言い渡されたとき、安彦は「降りようかな」と漏らしたという。
「そうしたら富野さんは、そういうもんじゃないよと言うんですよね。その時の彼の印象は、非常に粘り腰を持った人だなあと思いました。(略)今までの軽い富野というのではなくてね23。」
 富野にとって『ライディーン』は、テレビ局やスポンサーといった〝大人の事情〟の中でものを作るということを実践を通じて学んだ作品だったのだ。

ロボットと現実に接点を作る
無敵超人ザンボット3
一九七七年一〇月八日より放送 全二三話


 一九七七年、創映社サンライズスタジオは、東北新社から独立し、日本サンライズとなった。日本サンライズ初のオリジナル作品として企画されたのが『無敵超人ザンボット3』である24。総監督は富野よしゆき、キャラクターデザインは安彦良和。原作のクレジットは『勇者ライディーン』の鈴木良武と富野の連名だ。この布陣は、路線変更せざるをえなかった『ライディーン』と基本的に同じで、同じ座組で再挑戦という側面も感じられる。
 日本サンライズの企画部長として腕をふるったやまうらえいは富野を改めて総監督に選んだ理由を次のように語っている。
「新会社の最初の作品として、絶対に成功させなければならないという状況の中で、カッコいい言い方をすれば、彼しかいなかったということなのかも知れません。
 監督としては、僕は『ライディーン』の初期をやっていた頃から高く評価していました。(略)彼を降ろしたのは僕ですから。能力を買っていても降ろさざるを得ないというのは一番嫌な事ですね。悔いが残りました。だから『ザンボット3』を任せるときには、なんの悩みもなかったです。『ライディーン』の初期をやった彼なら安心して任せられる、そう思っていました25。」
 富野が原作に加わったことについて鈴木は次のように語っている。
「最初は山浦さんと僕が企画して作っていたのが、やっていく中で彼の力の程がわかっていった結果なわけですよ。絵コンテを描くスピードがあるし、監督としてのある種の決断力もあるんですよね。(略)これはただの監督をやっているよりも、原作者という立場で仕切った方がいいんじゃないかと考えて、富ちゃんの原作にしようという話を山浦さんにしたわけです26。」
 駿河湾の港町に突如、宇宙の破壊者ガイゾックの尖兵〝メカブースト〟が出現する。それがガイゾックの侵略の始まりだった。かみきたへいもんを長老とする〝じんファミリー〟は、宇宙人である先祖が残した三つの宇宙船とそこに搭載されたメカを発掘。主人公・じんかつぺいと、いとこのかみちゆうかみきたけいは三つのメカが合体したザンボット3でガイゾックに立ち向かっていく。しかし地球の人々は、その戦いに巻き込まれて被害が出たことに怒り、「神ファミリーがいるからガイゾックが攻めてきたのではないか」と神ファミリーを排斥する。理解が得られない中で、神勝平たちは孤独な戦いを続けていく。
 独立したばかりの日本サンライズが改めてロボットアニメを選んだのは、弱小の会社で人気漫画のアニメ化権を獲得するほどの実績も資金力もなかったから。そしてキャラクター玩具を強化したい玩具メーカー・クローバーと縁ができて、ロボットアニメの企画が動き出した。広告代理店の東洋エージェンシー(現・創通)がキー局として名古屋テレビを決めて、番組制作が本格的に決まる。日本サンライズは初の自社作品。クローバーもロボットアニメのメインスポンサーは初めてで、東洋エージェンシーも名古屋テレビもアニメの製作に関わるのは初。ここをスタートとして名古屋テレビ・創通とサンライズの関係は長く続くことになる。
 本作は「外宇宙からの侵略者」と宿命を背負った人間(子供)との戦いという、巨大ロボットもののパターンを踏襲し開幕する。しかしその後の展開の中で、その「ロボットアニメ」という〝ジャンルのお約束〟をリアリズムによって相対化する。
 例えば第2話「燃える死神の花」(脚本:あらよしひさ、絵コンテ:斧谷稔)。警察署長は兵左衛門が海底から発掘した宇宙船ビアルI世を前に、これが神ファミリーの持ち物である証拠はあるのかと迫る。署長はその後も、ロボットが道路を歩いたら道路交通法違反になる可能性も口にする。一方、勝平が自分の戦闘機ザンバードで隕石に調査に飛べば、所属不明機扱いされ、所属や飛行プランの有無を無線で問いただされる。それまでのロボットアニメでは特に取り上げられることのなかった〝普通〟の描写に、リアリズムの光を当てることで、新たな切り口を示すことになった。
 そしてリアリズムによって巨大ロボットを相対化するこのアプローチは、巨大ロボットのヒーロー性を相対化する形で、ドラマにも反映されていく。
 第5話「海が怒りに染まる時」(脚本:ふゆのり、絵コンテ:さだみつしん)では、ザンボット3とメカブーストの戦いが周囲の街並みや人々を巻き込んで大惨事となる。それまでヒーローロボットの視線でしか描かれていなかったロボットバトルに、アリ=人間の視点が持ち込まれたのである。このエピソードをきっかけに、神ファミリーに対する反発、排斥は表面化していく。
 またシリーズ中盤以降は、ガイゾックがメカブーストよりも効率のよい攻撃方法として「人間爆弾」を採用。これは人間を捕え爆弾を埋め込んで市中に解き放つという作戦で、恐怖による支配を目的としたまさにテロリズムの実践である。しかも神ファミリーの持っている技術では人間爆弾化された人をもとに戻すことはできないのである。そして第18話「アキと勝平」(脚本:ほしやまひろゆき、絵コンテ:やまざきかず)で、勝平は友達のアキを人間爆弾で失う。この回では、勝平はザンボエース(ザンバードが変形した小型ロボット)でメカブーストこそ倒せたものの、深海へ逃げるガイゾックの要塞バンドックには迫り切ることができず、行き場のない怒りと悲しみが勝平の中に残ることになる。
 こうした巨大ロボットもののヒーロー性を揺るがす展開は、当時の視聴者に大きなインパクトを与えた。そしてその驚きを裏切らない最終回が待っていた。
 戦場を宇宙に移して行われる、ガイゾックの要塞バンドックとの最終決戦。兵左衛門と梅江、父・源五郎、そして従兄姉の宇宙太と恵子という犠牲を払いながらついにガイゾックの本体に迫る勝平。その正体は、コンピュータードール第8号だった。ドール第8号はガイゾック星人が作ったコンピューターで「悪い考えを持った生き物に反応するように作られている」と自ら語った。そして「再び悪い考えに満ちた星」が現れたために目覚めたのだと語る。勝平はそれに反論するがコンピュータードール第8号は「本当に親しい家族や親しい友人を殺してまで、護る必要があったのか? 悪意のある地球の生き物が、お前たちに感謝してくれるのか?」と問い詰める。
 兄たちが犠牲となり、九死に一生を得て地球へと生還した勝平は、朝日の中で静かに目覚めていく。
 アニメ・特撮研究家のかわりゆうすけは、『20年目のザンボット3』の第5章「アニメの覚醒──富野監督語録とオタク元年」で、『ザンボット3』完結直後の一九七八年春に富野と初めて面会し、対話したことを回想として記している。そこで富野は『ザンボット3』で描きたかったことを「乳離れ」と話したという。それを聞いて氷川は、その少し前一九七八年一月の上映会で、『ザンボット3』第1話が上映され、質疑応答で「どうして勝平に大山のぶ代を起用したのか」という問いが出たことを思い出す。その時に富野は「いま見ていただいた感じを出したかったからだ」と説明したという。氷川の中でこの二つが繫がる。
「最初の方に登場する主人公の人物像として、活発で細かいことを気にせず、しかし人情には厚く……ということになると六〇年代に『ハリスの旋風』の国松役で活躍した大山のぶ代を起用、というのは実にわかる気がする。
 クライマックスでの大山の演技は子供から脱皮しようとする勝平の痛みまで表現していて、はまり役であった27。」
 無邪気な子供が「現実」と出会い、「乳離れ」をして生まれ直す。『ザンボット3』で導入されたリアリズムは単に表現の切り口の問題だけではなく、このように作品の主題と深く結びついていたのである。こうした教養小説的作劇は『機動戦士ガンダム』へと受け継がれていく。
 なお『ザンボット3』ではこのほかにも、大河ドラマ的な語り(前回起きた出来事が、次回の出来事や感情表現に影響を与える継続的な描写)や、映像に映っていないところでもガイゾックとの戦いが起きているという世界観の広がりなども、意図的に盛り込まれており、これらも作品の印象を新鮮なものにしていた。

粋でスマートなヒーロー颯爽登場
無敵鋼人ダイターン3
一九七八年六月三日より放送 全四〇話


『無敵鋼人ダイターン3』は当初『ボンバーX』という仮タイトルで企画が進んでいたが、スポンサーを予定していた玩具メーカー・ブルマァクが一九七七年秋に倒産したため、この企画は一旦頓挫してしまう。しかし『ザンボット3』放送終了後、後番組をクローバーから打診されたことで『ボンバーX』の企画が復活し、『ダイターン3』として生まれ変わることになった。
 ダイターン3や主人公のらんばんじようという印象的なネーミングは、富野によるもの。シリアスに傾いた『ザンボット3』から一転、次のシリーズはコメディをやるぞという意識がこの個性的なネーミングに繫がった。玩具的な〝売り〟は企画室の山浦の発案による、三段変形(飛行機・ロボット・戦車)。企画書執筆に参加したメインライターの荒木芳久は、万丈のキャラクターに、自らが小説・映画版ともにファンであった『007』シリーズのジェームズ・ボンドの持つ魅力を反映させた。
 敵として設定されたのは、宇宙開発用サイボーグとして生み出されたメガノイドたち。自らを人類より優秀とみなすメガノイドたちは、ドン・ザウサーとその腹心コロスの命令に基づき作戦を行うが、ドン・ザウサーは言葉を発せず呼吸音のみで、その意志を汲んだコロスが作戦指令を発するという構図が特徴的である。この構図については最終回で、ドン・ザウサーは長らく昏睡状態にあり、コロスにメガノイドの理想が託されていたことが明かされる。
 毎回の敵役として登場するメガノイドは非常に個性的だ。作中ではその理由を「改造によりエゴが強化された」と説明する。実際メガノイドは、自らの欲望や美意識などに忠実に行動するものが多く、これが各エピソードのバラエティを支えていた。
「TVという機能は報道でなければ、芸能です。ですから、ロボット物でも、バラエティショウであるべきではないかというのが持論ですから、その作り方に挑戦したのです。それはスリリングでした。(略)が、バラエティ物はギャグ物と同じだけ難しい。なによりも演出家の瞬発力が要求される高度のものです。それとストーリーだけでなく、各所にアイデアが必要になる28。」
 こうして時にシリアスに、時にパロディ的なギャグに触れながら、多彩なエピソードが制作された。シリーズを支えるうえで富野が重視したのは、ユーモアの表現だった。
「日本の映画人て言うのは、喜劇と言うと、要するに日本的な喜劇……おちゃらけや崩しで、無理に笑いを取るか、さもなければ下ネタに近いようなものばかりで、いわゆるユーモアじゃないほうに行くんですよ。それは僕は、基本的に喜劇とは思えないんですね。やっぱり喜劇の真骨頂といったら、チャップリンのようなね、シリアスにやってるんだけどユーモラスで笑えるものですよ。ユーモアとかギャグは、シリアスがベースにないとできない、絶対に笑えないはずなんです。(略)僕は、日本人なりのユーモアで、その延長にある笑いを表現できる作品づくりをしたくて、そのテストとして『ダイターン3』を作ったんです。そして、シリアスにキャラを立てた上で、ギャグとユーモアが発生する空間、というのが破嵐万丈と仲間たちの関係において意識したものなんです29。」
 このユーモアの感覚は、『ダイターン3』以降のいくつかの作品に垣間見えながらも、あくまでも、登場人物や視聴者が息をつく瞬間を与える〝句読点〟の範囲に留まることが多かった。それが作品全体を支配するトーンとなってくるのは、『ブレンパワード』以降のことである。
 また『ダイターン3』はユーモアを支えるシリアスな設定についても、独特のアプローチだった。破嵐万丈のメガノイドを憎む気持ちは誰よりも強い。それは彼の父、破嵐創造がメガノイドを生み出したからで、作中ではその過程で万丈の兄が死んでいることも明かされている。しかし一方で、この破嵐創造がドン・ザウサーと同一人物なのかどうなのか、さらには万丈自身も改造されたメガノイドなのかどうなのか、このあたりのシリアスな設定は明確に描かれない。含みを持たせたところが、万丈というヒーローに奥行きをつけていた。
 それは第40話(最終回)「万丈、暁に消ゆ」(脚本:荒木芳久、絵コンテ:斧谷稔)も同様だ。戦いには勝利したものの万丈は未だ帰らず、レギュラー・メンバーはそれぞれ万丈邸を去っていく。そして無人のはずの万丈邸の一つの窓に灯りが灯っている。万丈は果たして帰還したのか。それとも朝日がそのように見せただけなのか。そこもまた明確に描かれない。強い印象を残して作品は締めくくられる。富野はこのラストについて、もっと明朗に終わらせるべきだったとも語っている30。だがこの独特の叙情があることで、『ダイターン3』という作品の魅力が一層増したことは間違いない。
 なお本作はアニメの中では『スター・ウォーズ』のインパクトがいち早く反映された作品であったという指摘もある。『スター・ウォーズ』は一九七七年にアメリカで公開され大ヒットするものの、日本公開は一九七八年と一年遅れになったため、事前にさまざまな情報が上陸し、公開前から日本でも『スター・ウォーズ』ブームが起きていたのである。雑誌『Newtype mk.』(一九九七年七月三一日刊)の「SWスター・ウォーズの落とした影」という記事でアニメ・特撮研究家の氷川竜介が、「オープニングで光線剣をいち早く登場させている」ところと「第2話では唸り声だったドン・ザウサーが、途中からダース・ベーダーのような呼吸音に変わった」ところを指摘している。また当時制作現場を訪れた際の回想として、アニメーターのかなよしのりが手掛けた第12話「遥かなる黄金の星」(脚本:星山博之、絵コンテ:貞光紳也)の衛星フォボスでのドッグファイトも、『スター・ウォーズ』を見たインパクトの産物であると記している。

リアリズムと世界観の導入
機動戦士ガンダム
一九七九年四月七日より放送 全四三話


『ザンボット3』『ダイターン3』のヒットを受けて、次回作の企画が始まったのは一九七八年半ば頃。まず企画室の山浦栄二、いいづかまさ、脚本家の星山博之が中心となって『フリーダムファイター』という企画書がまとめられた。これは地球から遠く離れた植民星を舞台に、異星人との戦いを描く内容で、『十五少年漂流記』を下敷きとしていた。
 この時点でロボットは登場していなかったが、これは前二作のヒットを受けて、日本サンライズ側がそれまでよりも〝攻めた〟企画を試みた現れだった。しかしスポンサーのクローバーからは「やはりロボットは出してほしい」とリクエストがあり、企画は更新されてロボットアニメ『ガンボーイ』となった。
 この時点で富野が企画に合流。そこで富野はかなりボリュームのある企画案を提出する。「ガンボーイ企画メモ31」や、それが改訂された「機動戦士ガンダム設定書・原案32」を見ると、一九七八年夏から秋にかけて、『ガンダム』の根本部分が確定していったことがわかる。アニメーションディレクターとして本作への参加が決まっていた安彦良和は提出されたメモ群を見て「あ、すげえ、本気なんだ」と思い、「スタッフとして目一杯がんばろう」「結構面白いものができるかもしれない33」と思ったという。
「ガンボーイ 企画メモ」としてまとめられたメモには、三つのポイントがある。
 第一のポイントはストーリー構成。ストーリー案では、六話分を一つのテーマでまとまったブロックとし、それを七つ積み上げることでシリーズの内容を構成している。六話分ということは、本編尺を合計すると約一二〇分、つまり映画一本分の長さである。『ザンボット3』の時点ですでに大河ドラマ的な連続性のある展開が試みられていたが、『ガンダム』ではそれをもっと徹底していこうと考えていたことがわかる。そしてこの時点では、六話分×七=四二本に加えて、番外編六本、再放送四本で、四クール五二本を構成するというプランが立てられている。
 第二のポイントは作品における時間と空間にまつわる設定である。「企画メモ」には「開戦までの道のり」と題して、西暦二〇四五年からの人類の歩みが記され、いかに「ジオン皇国」(企画メモの表記)との戦争が始まったかが記されている。また概念図として、スペースコロニーがどこに存在し、戦争初期にどこが失われたかなどの図も描かれている。こうした設定があることで、「カメラが映し出しているいま・ここ」は、現実の世界と同じように空間的・時間的な広がりがある世界から「切り取られたもの」として位置づけられることになる。これはリアリティを獲得するうえで非常に重要な要素だった。先行する作品では『宇宙戦艦ヤマト』にそうした要素を見ることはできるが、『ガンダム』はそれと比べても、はるかに徹底した世界の設定が企画メモの段階で用意されていた。
 第三のポイントは一九七八年一〇月一〇日付けのメモ「なぜ、異星人を使わないか」で、敵を異星人にしない理由が明記されている点だ。それまでのSFアニメ・ロボットアニメに登場する敵は異星人・異世界人など人間以外の存在が多かった。人間が敵の場合も、犯罪者集団あるいは世界征服を企む秘密結社などで、その首領は怪しげな顔色・風体で描かれ、主人公たちや視聴者とは異なる存在であることが強調されていた。メモではおそらく『ヤマト』を念頭に置きつつ、まず敵が異星人だと一方的な戦いになってしまい「自由」という主題に迫ることができないと説明。また、人間同士だからこそ共通する問題が存在し、だからこそ「乗り越えるべきもの」が共有でき、そこに至る葛藤がドラマたりえると記している。もともとの『フリーダムファイター』が異星人との戦いを描くものだったところからの大転換を理論武装しているのだ。
 このように『ガンダム』における革新的な要素のいくつかはこの「企画メモ」の段階ですでに準備されていたのである。
「ガンボーイ 企画メモ」から「機動戦士ガンダム設定書・原案」に進む過程で加わっているのがロボットの設定である。『ガンダム』のロボットは、スタジオぬえのSF作家・たかはるかが山浦に勧めた『宇宙の戦士』(ロバート・A・ハインライン)に登場する機動歩兵(パワードスーツ)がヒントとなっている。「機動戦士ガンダム設定書・原案」の段階ですでに、モビルスーツというロボットに代わる〝普通名詞〟も考案されている。
 このようにしてスタートした『ガンダム』は、当時の視聴者に画期的な作品として受け止められた。それは企画段階のコンセプトを土台にして、さまざまなレベルで「リアリティ(もっともらしさ)」を意識した作劇・演出が行われたことにある。
 例えばモビルスーツは、それまでのロボットアニメによくあったように「在野のある博士が独力で作り上げた一点もの」ではなく、「工業製品として製造された兵器」として扱われている。またその運用方法についても、人の形をしていることを生かして、現実の歩兵の延長線上にあるものとして演出されている。量産化された敵ロボットというと、『新造人間キャシャーン』のいわゆる〝爪ロボット〟が先行して存在しているが、爪ロボットはヒーローものの戦闘員に近い扱いとして登場しており、兵器や歩兵といった印象はそこまで強くない。ロボット兵器の〝現実味〟は『ガンダム』のほうが勝っている。
 またキャラクターの描き方も、ぐっとリアリティが増している。それまでのロボットものは、主人公サイドの人間関係は「仲間」として一括りにされていた。これに対し『ガンダム』は主人公サイドの中にある、キャラクター同士の微妙な距離感やすれ違いを丁寧に拾い上げている。モビルスーツのリアリティが「現実味」だとすると、キャラクターのリアリティは「生々しさ」ということができる。これは「青春群像を描く」という企画段階からの狙いであり、また脚本陣や安彦が「新しいことに挑戦できそうだ」と感じたポイントでもあった。
 アムロを演じたふるとおるは、『巨人の星』の主人公、ほし飛雄ひゆうが代表作だったが、
「『ガンダム』では、本当にリアルな芝居を求められた。アムロは根暗でメカ好き。全然ヒーローじゃないんです。だからハロ、今日も元気だねという第一声のセリフを肩の力を抜いてボソボソッとやってみたんです。普段僕がしゃべっているような普通の声で。
 僕は第一声がその役を決めると思っています。この第一声にOKをいただけたとき、ああ、飛雄馬から解放された!と感じることができました34。」
と『ガンダム』のキャラクター描写のリアリティについて語っている。
『ガンダム』は玩具セールスこそ振るわず放送期間短縮となったが、ティーンエイジャーの強い支持を受けて劇場版が制作され大ヒットとなった。その中で富野も〝『ガンダム』の作者〟として世間から広く認知されることになる。これは山浦の考えも反映していた。
「現場の人にもあらかじめ同意してもらっていたことなんですが、富野監督を映像作家として売っていきたかったんです。実写映画も含めて、日本の映画の悪いところは、俳優以外のスタッフが売れるのを嫌う風潮があるんですよ。(略)それではダメだと、僕は『ザンボット3』の頃から言ってました35。」
 山浦は富野に『ガンダム』の小説を書くことも勧めた。最初は早川書房に持ち込み、当時のS‐Fマガジンのいまおかきよし編集長に断られたものの36、最終的に朝日ソノラマから出版されることになった。これが小説家・富野喜幸の出発点となったのである。