あとがき


 世の中には『間違っているけれど、事情があって正しいとされていること』というのが思ったよりもたくさんあって、そしてそれは確かに、今更間違っていると言われても困るようなことばっかりだったりします。たとえば電子がマイナスからプラスに流れる以上、電流もマイナスからプラスに流れると見るべきなのに、最初にプラスからマイナスに流れると定義してしまったために、今でも同じように教え続けられているとか。『ハイエナのような』という比喩があるけれど、ハイエナは割と狩りをするとか。科学全盛の世の中において、占いやらはもうほとんどただの当てずっぽうであることは証明されているのに、それでも朝のテレビ番組では『今日の運勢』を流し続けるとか。主義とか主張とかそういうことではなく、あるいは『正しい』とさえされていなく、『間違ってはいるんだけれど、そんなに不都合も不満もないし、なんとなくそのままになっていること』があふれ、ありふれているように思えます。小説とかの物語なら、そういう世界が、そこまで言わなくとも世界観が、いっきに引っ繰り返るような『真実』の登場はなるほどエキサイティングで、ある種の面白味になるんでしょうけれど、現実問題、『ごめん、今更だけどあれは全部勘違いで、こっちが本当』なんて言われても、人は困るだけなのでしょう。本当に今更だよ、って。第一印象というか、最初に『それが正しい』と認識したことを放棄するのは、大人子供にかかわらず、相当に勇気がいることで、勇気とかそういう問題でなく、とても『しんどい』、面倒臭いことなんじゃないかと。まあだらだら言ってきましたけれど、結局世の中って、『そういうことにしておこう』みたいなことばっかりで、『そうである』ことなんてひとつもないんじゃないかと思います。いつか誰かが現れて、『きみが信じていたことは全部間違っていました。本当はこれこれです』と教えてくれる日が来るかもしれませんけれど、そのとき悲鳴をあげずに済むのかどうかって感じですか。

 本書はとある少年の冒険譚であり、また彼が彼なりの正義を全うする英雄譚です。空々空という十三歳の少年が悪と戦う物語。とりあえず『正しい』とされていることに殉じて、とりあえず『悪』とされているものと戦う、そしてとりあえず『守るべき人類』を守ろうとする彼の、始まりと終わりのお話です。今まで書いた小説の中で最長の一冊となりましたが、もっと書いていたかったというのが偽らざる本音でした。書いていたいというより、空々くんの頑張りをもっと見ていたいと思ったのです。僕も作者としてこれまでたくさんの主人公を書いてきましたが、空々くんはまったく新しいタイプの主人公でした。そんなわけで『西尾維新史上、最長巨編』、というコピーはもう必要なく、空っぽの少年、空々空の物語、『悲鳴伝』でした。

 原稿用紙千枚もの小説を書くのは一人の力では不可能であり、この小説がこうして世に出るのも、周囲の厚い&熱いサポートあってのことです。というわけで講談社文芸図書第三出版部に感謝します。この長大な物語を読み終えてくれたあなたにも、最大級の感謝を。

西尾維新