コーヒー店のレジに立つさかいふゆは、コーヒー豆を袋に入れて、お客様に手渡した。

「お待たせしました。いつもありがとうございます」

 コーヒー豆をカバンにしまったお客様が、店を出て行こうとしてドアを開けると、ガチャガチャンッとドアベルが鳴る。少し前から、ドアベルの音がヘンになっている。店長に言って、直してもらわなければ。

 そして、出て行ったお客様と入れ違いで入ってきた人物を見て、「いらっしゃいませ」と言う前に、深冬は「あら」と声をこぼした。

れんなべくん、いらっしゃい」

 やってきたのは、大学の友人であるなみ花蓮と田辺しょうだった。このコーヒーショップは深冬たちが通う大学から近いので、こうしてしばしば、コーヒー好きの友人たちが顔を出してくれる。友人たちが利用するのは、いつも店奥のカフェスペースだ。きたてのコーヒーを飲みながら、休講になってしまった空き時間を音楽や読書でつぶしたり、試験前には勉強したりと、落ち着いた店内は使い勝手がいい。

「俺は、いつものをお願い」

「キリマンジャロね。花蓮は?」

「んーと……今日は、カフェモカにしよっかな」

「オッケー。すぐに持ってくから、適当な席にどうぞ」

 二人が奥のカフェスペースに向かうのを見送って、深冬は店長に注文を伝えた。深冬はアルバイトなので、コーヒー豆の量り売りや、カフェスペースでの接客が主な仕事だ。コーヒーミルやサイフォンを使ってコーヒーをれられるようになれたら格好いいだろうなぁと、店長のテキパキした手さばきを見て、いつも思う。

「はーい、お待たせー」

 深冬がコーヒーを持っていくと、話をしていた花蓮と省吾が、同時に顔を向けた。

 今日の花蓮は、長い髪を編みこみ、リボンの形のバレッタでとめている。オシャレな花蓮は、いつも違う髪型にして、違うヘアアクセサリーを使う。ショートヘアの深冬にはできないことだ。洋服も、甘すぎない程度に女の子らしい服装が多く、パンツスタイルの多い深冬とは、やはりタイプが違う。ただ、サバサバした性格で、その点で深冬とウマが合う。

 一方の省吾は、ボクトツな人間だ。大人数で行動するより、こうして少人数か、一人で行動することのほうが多い。オシャレには興味がないようで、いつも似たような服装をしている。絵に描いたような中肉中背で、女子にモテる容姿をしているわけではないが、かといってブサイクなわけでもない。ごくごく「ふつう」の大学生である。髪型にも無頓着らしく、「早く乾くから」という理由で短くしているそうだ。

「田辺くんも、もうちょっと身ぎれいにすれば、少しはモテるんじゃない?」

「べつに、モテたいなんて思ってないし、好きでもない女子から好かれても面倒なだけだろ」

「じゃあ、好きな子からモテるのは、いいんでしょ? そもそも田辺くん、好きな子いるの?」

 花蓮が尋ねたタイミングで、省吾がコーヒーカップを口に運ぶ。質問に答えるつもりはないらしい。タイプの違う三人が、こうして時間を共有できるのは、コーヒー好きという共通項があるからだろうと深冬は思っている。

「まぁ、関係ないけどね」

 カフェモカのカップを、両手で包みこむように持ち上げた花蓮が、小さな声でつぶやく。

「関係ないって、何が?」

 省吾が反応する。

「見た目」

 省吾に対する花蓮の答えは、短く、明解だった。

「好きになったり、結婚したりするのに、見た目は関係ないよ。もっと大事なものがあるからね。少なくとも、あたしはそう思う」

「前にも言ってたな、そんなこと」

「あたしは、男の人には、性格とか、器の大きさとか、そういう中身のほうを求めたいの。束縛する男とか、陰で悪口を言う男とか、器の小さい男は、絶対にダメ。長く付き合うなら、外見よりも中身だなー」

 省吾は花蓮の正面で、複雑な表情を浮かべている。その表情の理由が、口の中に残っているキリマンジャロの酸味のせいではないことは明白だ。

 二人の会話を聞きながら深冬がそんなことを思ったとき、ヴー、ヴーという、虫の羽音のような音が聞こえてきた。どうやら、花蓮のカバンの中でスマホが鳴っているらしい。

 カバンから取り出したスマホの画面を見るなり、花蓮の顔がぱっと明るくなった。「ちょっとごめんね」と省吾に断ってから、花蓮が電話に出る。

「もしもし? 今? 大学の近くのコーヒーショップだけど……えっ、そうなの? うん、わかった、ちょっと待ってて。すぐ行くから」

 短い会話を終えて電話を切った花蓮が、もう一度、省吾に「ごめんね」と手を合わせた。

「ちょっと、先に出るね。忘れ物を届けにきてくれたみたいで、近くにいるっていうから」

「だれ? 親?」

 省吾としては、何気ない質問だったのだろう。一方の花蓮は、「あー……」と言葉を探すような表情になった。

 やがて、探しものが見つかったように、花蓮は省吾に視線を定めて、こう言った。

「じつは、あたし、付き合ってる人がいるの。付き合い始めたのは、二週間前だけど。田辺くんにも、そのうち紹介するね」

「え……」

 省吾の表情がわかりやすく固まったが、残りのカフェモカを飲み干すためにカップを大きくかたむけた花蓮は、たぶん、気づいていない。空になったカップをテーブルに戻した直後に、花蓮が立ち上がる。

「それじゃあ、また。深冬も、またね」

「あ、うん」

 花蓮はあわただしく会計をして、店を出ていった。女の子らしい線の細いシルエットが軽やかに駆けてゆく。それをガラス窓のむこうに見ながら、深冬は、席にひとり残された省吾の様子を、ちらりとうかがった。省吾は、コーヒーカップを凝視し、彫像のように固まっている。

 その表情の理由が、キリマンジャロの苦味のせいではないことも、明白だ。

 そのまま放っておくべきかとも思ったが、さすがに気の毒になって、深冬は省吾のテーブルに近づいた。

「あの……田辺くん?」

「彼氏って、誰?」

 省吾の声は、抑揚を失っていた。やっぱり、本人の口から聞かされる前に教えてあげておくべきだったのだろうかと、深冬のなかで申し訳ない気持ちが少しだけ大きくなる。

「堺は、そのこと知ってたの?」

「うん……。でも、そういうのって、私がほかの人に言って回るのって、どうなんだろうって思っちゃって……。だけど、先に教えておいたほうがよかった……かな?」

 ごめん……と、自分に非はないだろうなと思いながら、深冬は小さな声で省吾に謝っていた。省吾のあまりの落胆ぶりに、思わず謝ってしまったというのが、本当のところである。

 省吾は、花蓮に恋をしていた。「男は外見じゃなくて中身」という花蓮の恋愛観を知っていたから、その人柄にひかれたのだろうし、自分にも可能性があると信じていたのだろう。

 内面や振る舞いなら、努力で変えることもできる。花蓮に好かれる男に、自分はなれると、省吾は思っていたのかもしれない。

 そんな省吾の恋心に、花蓮の親友である深冬は、ほどなく気づいた。最近の省吾の「外見への無頓着ぶり」も、むしろ、花蓮への必死のアピールであるようにさえ、深冬には見えた。

 花蓮本人に対しては、あくまで淡々とした態度をとり続けた省吾だったが、花蓮のことを見つめ続けるまなざしは本気だった。花蓮は深冬にとって親友だが、省吾だって大切な友人である。応援したいと思った気持ちに偽りはない。省吾は少し不器用だが、ボクトツで謙虚な好青年である。花蓮とうまくいってほしいとも思っていた。

 しかし、深冬も恋のキューピッド役に慣れているわけではなく、うまいアシストを思いつくより先に、花蓮に彼氏ができてしまったのだ。

「江南の彼氏って、どんなヤツ? 堺は知ってるの?」

「あぁ……。うん、まぁ……」

 深冬は小さくうなずいた。

 実際、花蓮は彼氏を、親友である深冬に真っ先に紹介してくれた。

「ここに、二人でコーヒーを飲みにきてくれたの」

「だから、どんなヤツ? 簡潔に教えて」

 そう言われても、深冬も花蓮の彼氏とは一度会っただけなので、詳しく知っているわけではない。深冬が「簡潔に」言えることは限られている。

「金髪で青い目の、イギリス人……だった」

「イギリス人!?

 目をむいた省吾が、ガンッと机にひざをぶつける。テーブルの上のコーヒーが、省吾の動揺を映すかのように、カップの中で波紋を広げた。

 痛みにうめき声をこぼしながらひざを押さえ、それでも省吾はふたたび深冬に目を向ける。珍しく、感情がたかぶっているのがわかった。

「江南の彼氏、外国人なの?」

「イギリス人だから、外国人だよ。花蓮が通ってる英会話教室の先生だって」

 なんだよそれ……と、省吾が小さな声でつぶやく。ひどい裏切りにあったかのような、絶望にも近い表情だ。

「『男は、顔じゃなくて中身だ』って言っておいて、自分が選んだのは外国人かよ。しかも、金髪に青い目なんて、おもいっきり外見重視じゃん! 英会話の先生ってことは、年上? 背が高くて、服も髪もオシャレで、目鼻立ちがクッキリしてて、スーツが似合う英国紳士とか? なんだよ、それ……。結局、江南も見た目を重視してるじゃん。もしかして、『男は中身』なんて言ってたのも、『見た目で選んだんでしょ』って言われないようにするためか!?

「ちょ……田辺くん、私、そんなこと言ってないでしょ?」

「なんだよ、それ!」

 深冬の言葉にかぶせるように、省吾は、吐き捨てた。カップの横に置かれた拳は、先ほどからずっと小刻みに震えている。

「カッコつけたこと言ってるけど、結局、江南は、顔や見た目で判断してるってことだろ。偉そうに、『器の大きさ』とか言うなよ!」

「悪かったわね、偉そうで」

 突然降ってきた声に、ビクッと省吾が全身を震わせる。げきこうしていても、その声だけは彼の耳に届いたのだろう。深冬から見れば、なんとも皮肉なことだ。

「江南……」

 鋭く細めた目で省吾を見つめる花蓮が、そこに立っていた。

 ──あぁ、なんていうタイミング……。

 ひやひやしながら、深冬は口もとを押さえた。

 しばらく前からヘンな音になっていたドアベルを、さっき、店長が「修理しておくよ」と言って外してしまっていた。そのせいで、ドアが開いて人が入ってきたことに、深冬も省吾も気づかなかった。

 そして、入ってきた花蓮は、唇をわなわなと震わせながら省吾を見下ろしている。

「今なら、田辺くんにも彼を紹介できるって思って連れてきたのに、そんな必要なさそうね」

 ふんっと顔をそらす花蓮のうしろには、ひとりの外国人男性が立っていた。

「深冬さん、こんにちは」

「あ……どうも、こんにちは……」

 りゅうちょうな日本語で深冬に挨拶したのは、金髪に青い瞳の外国人であった。深冬が会うのは二回目の、花蓮の彼氏だ。

 その彼氏を、省吾はイスに座ったまま、ぽかんと見つめた。その人物があまりにも、省吾が想像した「外国人の彼氏」像から、かけ離れていたせいだ。

 たしかに、まぶしいほどの金髪に、空を閉じこめたような色の瞳をしている。ただ、身長は隣にいる深冬と同じくらい、だとすれば、中肉中背の省吾のほうが十センチは高いに違いない。しかも、体型はひかえめに言って「ぽっちゃり体型」──ストレートに言えば、「肥満体型」だ。さほど身長が高くないこともあり、ころころとした、ぬいぐるみのような印象である。

 ぶ厚いレンズのメガネをかけ、ついでに服装はジーンズにパーカー。「英国紳士」という言葉の対極にあるような格好は、部屋着にさえ見える。先ほど花蓮は「忘れものを届けにきてくれた」と言っていたから、本当に部屋着のまま、あわてて家を出てきたのかもしれない。

「金髪に青い目」と聞いた省吾は、てっきり、すらっと背が高く目鼻立ちもクッキリしたイケメン外国人を想像していた。スタイルもセンスもモデルのような外国人だからこそ、花蓮は好きになったのだろうと。「中身より外見」を選んだのだろうと。

「恋人だけじゃなく、友だちも、大切なのは、中身ね」

 冷たい目で省吾を見下ろし、花蓮が突き放すように言う。

「本人がいないところで陰口を言う人なんて、器が小さいに決まってるもの」

 その一言に、省吾が頰を殴られたような顔になった。省吾のショックも、花蓮の怒りも、深冬には手に取るようにわかる。

「カレン、ケンカはよくないよ……」

 うしろでオロオロしている彼氏の人のよさが、その一言からうかがえた。だからこそ、花蓮が彼を選んだことを、深冬は知っている。

「ごめんね、深冬。今日は、もう行くね」

「あ、うん……。じゃあまた明日、大学で」

 そう言って、花蓮は深冬にだけ手を振り、外国人の彼と店を出ていってしまった。省吾の存在は、最初からないものと思っているようだった。外国人の彼氏が、深冬と、そして省吾に向かって、ぺこりと、とってつけたような会釈をする。

 二人を見送ったあと、深冬はちらりと省吾の様子を盗み見た。

 花蓮からキツイ評価をもらってしまった省吾は、イスに座ったままうなだれ、立てないでいる。その手もとで、すっきりとした味わいのキリマンジャロは、すでに冷めていることだろう。

 コーヒーカップの隣に、はぁ……という深いため息が、省吾の口から落ちた。

「人のことを先入観で判断したり、あんなこと言っちゃったり、俺、カッコ悪いな。モテないわけだよ」

 自虐的な言葉に対して、深冬は何も答えなかった。ただ、省吾が反省していることはわかる。

「田辺くん、もう一杯、飲んでいく? よかったら、ごちそうするから」

 かすかに揺れた省吾が、うなずいたのか、震えただけなのか、どちらなのかはわからなかったが、今度は、店長に頼んで砂糖が多めのカフェオレを作ってあげようと、深冬は思った。


(作 橘つばさ・桃戸ハル)