犯人の正体
「こんな仕事をずっと続けていていいのか……」
大学卒業後、大手証券会社に勤めていたが、やっている仕事は自分に合ったものではなかったからだ。
明らかに自分たちに有利な条件で仕込んだ債券や名前も知らない会社の未公開株を、たいして金融の知識もない一般人に、「いい投資になる」と言って売りつける。
昔から人あたりがよく、誰からも好かれるタイプだった弘樹は、どんな相手でも、信頼を得て、金融商品を売りつける自信があった。だから、社内でも、営業成績はつねに上位にいた。
でもどこかで、他人をだましているのではないか、という罪悪感があった。
何度か上司に相談をしたが、その度に、
「お前が辞めると会社が困る。頼むから、会社のためにもう少し我慢してくれ」
という泣き言を言われ、だらだらと仕事を続けていた。
そんなとき、卒業以来十年ぶりに学生時代の友人、
洋介は、大手IT企業の
「SEはソフトウェアやシステムを設計するけど、それって、職人と同じなんだ。ものづくりなんだよ。自分が作ったものが動いて、お客さんの役に立つ。こんなやりがいのある仕事ができて、俺はラッキーだ」
洋介の顔は輝いていた。
「SEって、仕事がきつそうだけど」
「いや、いまはそんなことない。うちは大手だし、残業も少ないよ」
「そうか……」
弘樹は、洋介のことがうらやましくなった。
洋介は、一年前に年上の女性と結婚もして、まさに順風満帆の人生を歩んでいるように見えた。それに比べ、自分は仕事に不満を抱え、将来を見通せないでいた。これまで多くの女性と付き合ってはきたが、みな、一流企業の肩書にひかれて近づいてくるだけだとわかって、女性への不信感だけが強くなっていた。
ある日、洋介とお酒を飲んでいるとき、弘樹は、自分の考えを口にした。
「俺、会社辞めようと思ってるんだ」
「えっ!? 辞めるの?」
「ああ。実はこれまでも何度か辞めようとしたんだけど、その度に上司に言いくるめられて、辞められなかった。でも、今度は辞める。俺には、夢があるから」
「夢!?」
「会社を作るんだ。金融に特化したIT企業を。金融の業務はこれからますますIT化する。俺は、顧客のニーズをとらえた魅力的なアイデアを持っている!」
「そうなのか……。お前なら、絶対うまくやれそうだな」
洋介は、妙に納得した。
「でも、俺一人じゃダメなんだ。俺たちなら、絶対にうまくいくと思う」
「俺たち?」
「そう。洋介、俺といっしょにやらないか?」
「俺が!?」
「金融系SEは、SEのなかでも一番高いスキルが求められる。大きなチャレンジになるけど、お前のキャリアにとっても絶対に悪くないはずだよ」
思いつきで、そこまでよどみなく話している自分に、弘樹は我ながら少し怖くなった。心のなかで芽生えた、洋介を自分のものにしたいという思いが、彼をつき動かしていた。
「俺の金融分野の人脈と、お前のSEのスキルがあれば、いいビジネスができると思うんだ」
洋介は、あまりにも急な展開に
「よし! やろう!」
洋介は即決した。あまりの洋介の決断の早さに、弘樹のほうが驚いた。
「えっ、マジか……」
「ITベンチャーか。楽しみだな!」
「あっ、ああ。そうだな……」
こうして二人の挑戦ははじまった。
数ヵ月後、それぞれの会社を辞職した二人は、東京に小さなオフィスを構え、金融専門のITベンチャーを興した。
起業から一年がすぎた。会社の業績は順調に伸びており、経営も軌道に乗りはじめていた。
社長で営業の弘樹は、証券会社時代の人脈を生かしてシステム関連の仕事をとってくる。それをSEの洋介が、クライアントの要望を聞きとりながら形にしていく。
しかし、システム設計はさすがに一人ではまわらない。はじめは外注に出していたが、あまり期待した結果が得られなかったので、三人の若手エンジニアを採用し、洋介が教育していくことになった。
その日の夜、弘樹がオフィスを出ようとすると、いつものように洋介だけがパソコンに向かって作業していた。すまないな、と弘樹は思った。しかし、彼ほど頼りになる人間はいない。いまは頑張ってもらうしかない。
「洋介、まだ終わらないのか?」
「これだけは終わらせないと。大事な案件だから」
かなり気が張っているのか、口調は静かだった。洋介の顔色は、いつになく悪く、眼鏡の奥の目はとろんとして、まぶたが重そうだ。
「ところで、三人の新人の様子はどうだ?」
「みんな、センスはある。あの三人が育ってくれれば、俺も楽になるし、もうしばらくの辛抱ってとこだな」
洋介は作業の手をとめず、やや鬱陶しそうに答えた。
「……そうか、あまり無理するなよ」
弘樹はオフィスをあとにした。
翌朝、弘樹はいつものように朝九時に出社した。社員の出社時間は十時だが、朝のうちに会社の雑務をこなすのが、小さな会社の社長の務めでもある。
ロックを解除し、ドアを開ける。小さな玄関があり、オフィスにつづく短い廊下がある。オフィスの照明はついたままだ。洋介が徹夜でもしたのだろうか。しかし、デスクに洋介はいない。そのかわり、誰かが床にうつぶせで倒れていた。洋介だった。
「おい、洋介! 大丈夫か!」
弘樹はあわてて洋介の身体を抱きかかえた。
血の気が引いた真っ白い顔で、眼鏡の向こうの半目からでも、瞳孔が開いているのがわかった。呼吸はない。すでに死んでいることは明らかだった。
「おい……。どうしたんだ」
弘樹は冷静になるように努めたが、手の震えは止まらない。
特別な外傷は見当たらない。服装も昨夜と同じ。白のワイシャツにグレーの上下のスーツだ。
弘樹は洋介の身体をゆっくりと仰向けに寝かせてやると、一度眼鏡をとって、半目を静かに閉じてやった。
それから、オフィスに入って洋介のデスクを確認した。パソコンの電源も入ったままだ。
つまり、昨晩、洋介は、仕事中に突発的な発作に襲われ、そのまま倒れて息を引き取った──。最初、弘樹はそう考えた。
しかし、何か引っかかる。何か違和感を覚える……。
「あっ!……」
洋介の自宅は、オフィスのそばにある。救急や警察に連絡する前に、弘樹は洋介の妻に連絡を入れた。電話をしてから二十分もしないで、妻の
弘樹は彼女の写真を見たことはあったが、それが初対面だった。洋介に、「奥さんに会わせろ」と言ってはいたが、会社を立ち上げてから、ずっと忙しく、その時間もなかったのだ。
「洋介……」
変わり果てた夫の姿を見て、晴美はその場に立ち尽くした。涙もなく、取り乱すこともない。妙に落ち着いている。
すると、人形のようにくるっと弘樹のほうを見て、ぼそっと言った。
「……心臓発作って言いましたよね。人ってこんなに簡単に死んでしまうんですね」
なんだこの女は。弘樹は背筋がぞっとしたが、意を決して口を開いた。
「洋介は、本当に病死なんでしょうか? 私は、違う可能性を考えています」
「違う可能性? どういうことですか?」
「誰かに殺された……つまり、他殺です」
「他殺!? 主人は、誰かに恨まれていたんですか?」
「いえ、洋介は他人に恨まれるような人間ではありません」
「じゃあ、誰が……」
「はっきり言いましょう。奥さん、あなたではないんですか? 洋介を殺したのは!?」
「私!?」
「そう。あなたが殺した」
「何を言ってるの! 証拠はあるの?」
犯人かどうかはともかくとして、晴美は洋介の他殺説をあっさり受け入れている。あまりにも怪しすぎる。
「洋介のパソコンの電源も、オフィスの照明もついていました。服装も昨夜のままです。つまり、洋介は、仕事中にここで倒れた。そう考えられます」
晴美は無言で何も答えない。
「でも、一つだけおかしな点があります」
「おかしな点?」
「眼鏡です」
「……眼鏡!?」
晴美は、洋介の遺体に目を落とした。
「洋介は、いつもパソコンで作業するとき、PC用の眼鏡をかけていました。ブルーライトをカットするための眼鏡です。オフィスにいるときには、絶対にそれをかけていて、帰宅するときに、よく似たデザインの普通の眼鏡をかけるのです。私はそれをいつも見ていたので、よく知っています。……今、彼がかけている眼鏡はどちらでしょうか?」
「さぁ……」
「普通の眼鏡です。これはありえない。洋介は、仕事中は、必ず作業用の眼鏡をしているから、つまり、洋介は仕事中に死んだのではない。会社の外で死に、あるいは殺され、誰かにここに運ばれてきたということです。洋介をここに運んできた人物──洋介はそいつに殺された可能性が高い」
「…………」
「もう一度言いましょう。晴美さん、あなたが洋介を殺したのではないですか? 洋介は、自分には高額の生命保険がかけられていると言っていた。それが狙いではないですか?」
晴美は目をそらし、黙った。それが答えだと思った。
が、突然、顔をあげ、殺気だった目を弘樹に向けた。そして弘樹の鼻先までぐっと迫り、はっきりとこう言った。
「主人が殺された、というのは、あなたの言う通りよ。でも、犯人は私ではないわ」
犯人が自分ではないのなら、なぜ、『洋介が殺された』などと言えるのか──。
「洋介のようないい奴を殺そうとする人間がいるはずない!」
晴美は、観念したのか、やや小さな声になって続けた。
「そう、主人は誰かに恨まれるような人間ではなかったわ。あの人は本当に素晴らしい人だった。私のいちばんの宝だった。──あなたが言う通り、洋介をここに運んだのは私よ」
とうとう自白した。厳しいビジネスの世界で仕事をしていたからか、ウソをついている表情や、その人が何を考えているのかが、ある程度わかるようになった。今の仕事を辞めても、探偵になれるんじゃないだろうか。弘樹はそんなことを考えた。
しかし、弘樹の思考が脇にそれたことなどおかまいなしに、晴美は続ける。
「主人は、昨日の深夜一時を過ぎた頃、疲れ切った顔で帰ってきました。シャワーを浴びてから寝ると言うので、私は先にベッドに入りました。つい寝入ってしまって、気がついたら夜中の三時を過ぎていました。でも、隣のベッドに洋介の姿がない。何してるのかしらと思ってリビングに行ったけど、そこにも彼の姿がない。あわてて浴室に行ったら、電気がついているけど、物音がしない……」
「…………」
「嫌な予感がして、ドアを開けたら、洋介は洗面台の前で倒れ、すでに死んでいました……」
その話は信用できなかった。弘樹は矛盾をついた。
「では、なぜ、救急車も呼ばず、遺体をオフィスに運び入れたんですか? 犯行を隠蔽するためじゃないんですか? 洋介は死んだんではなくて、あなたが殺したんだ」
「あなただって救急車を呼んでいない。それはなぜ? 犯人がわかったと思って、探偵を気どりたかったから?」
「そ、そんなことはない……」
「あなたは何もわかっていない。なぜ、私がわざわざ主人の遺体をここに運び込んだのか。……それは、主人の思いをあなたが何も知らないことに納得がいかなかったからよ!」
「どういうことですか?」
「主人は、仕事のしすぎで──過労で死んだのよ!」
「過労で……」
「そうよ!! 主人は、新しい会社を作ってから、一日も休まず、毎日、毎日、徹夜をして、ほんのわずかな睡眠時間しかとらずに働いていたのよ。新しい会社のために、あなたのために、ぎりぎりまで身体と精神を酷使して働いていたのよ!!」
「ウソだ……」
「あなたが知らなかっただけ。仕事を家に持ち帰ることも多かったわ。主人は、あなたに黙ってやっていたのよ」
「……そんな」
「あなたは、主人を死の
それまで我慢していた感情が一気にあふれ出て、晴美は大声で泣き崩れた。
「……俺が? 俺が洋介を殺したのか?」
起業は、順調に見えた。しかし、それは、洋介の「無理な働き方」に支えられた、あまりにももろいものだった。「その人が何を考えているのかが、ある程度わかる」……。さっき頭に浮かんだ考えを、そんなことを自慢気に思っていた自分を殴りとばしたくなった。いちばん身近な人間の考えすら、俺はわかっていなかった。
(作 桃戸ハル)