好きな人が好きな人
「あのさ……森くんって、
「うん、まぁ。川上がどうかした?」
猛が問い返すと、とたんに莉菜の視線が落ち着かなくなった。うつむいてモジモジしている彼女の両手は、所在なさげにスカートをつかんだり放したりしている。
「どうかしたっていうか、まぁ、その……わかるでしょ!」
歯切れの悪さに猛が首をかしげたとき、莉菜が、スゥッと息を吸った。
「かっ、彼女とか、いるのかなって、思って……」
顔を赤らめて、そんなことを言う女子を見てピンとこないほど、猛は子どもではない。一応、自分にも
「いや、川上、彼女はいないって言ってたはずだよ。……あっ、そう言えば!?」
「な、なに?」
何かを思い出した様子の猛に、莉菜がおそるおそる尋ねる。いじらしいな、と猛は微笑ましく思った。だから、少しでも莉菜が自信を持てれば、と思って、前に川上から聞いたことを伝える。
「前にアイツ、『好みの女の子は、ひとつ下の
「ひとつ下……」
「あっ、学年じゃなくて、年齢なんじゃないかな? ほら、アイツ浪人してるから、俺らより
莉菜は
「ありがとう、森くん」
何かを決意した様子の莉菜に、猛が「がんばれ!」と心の中でエールを送ったときだった。
「あの……よかったら森くん、ついてきてくれない?」
予想していなかったさらなる「相談」に、「はぇ?」と間の抜けた声が猛の口からこぼれる。莉菜は顔を真っ赤にしながら、か細い声を絞り出した。
「ひっ、ひとりじゃ不安っていうか……直前で、心が折れそうだから……それに、森くんがいれば、川上くんも、へんに構えないですむっていうか……」
それは、あまりにもおかしい。自分は莉菜の身元引受人でもないし、自分がついていったら、むしろ川上が変に勘ぐるのではないだろうか。
しかし、莉菜はいたって真剣らしい。もしかしたら、誰かがいることで、告白を断りづらい状況を作りたいのだろうか。川上の性格からすると、そんな状況に左右されるとは思えないのだが……。
結局、不安で揺れる瞳で「お願い……」と懇願されて、猛は莉菜の頼みを引き受けることになった。
そうは言っても、告白する、そのシーンに立ち会うのは、猛のほうも気まずすぎるので、莉菜や川上からは見えない物陰から応援することにした。
相談を受けた翌日の今日、火曜日には、三人がともに履修している講義がある。二限のその講義が終わったところで、猛が川上に声をかけて引きとめる。ほかの学生たちがいなくなったところで莉菜がやってきて、猛も退室し、莉菜が告白する。猛は、それをドアの外から見守る、というか、聞き耳を立てて莉菜の告白の成功を祈る。
──それが、計画の全貌だ。
その教室は三限で使われる予定はないのだが、猛は、もし誰かが教室に入ろうとしたら、それを止めるというけっこう重大な役も担っている。
講義終了のチャイムが鳴り、教授が終わりを告げるより先に学生たちが持ち物を片づけ始めた。教授が「じゃあ、今日はここまで」と言い、学生が次々に教室を出ていく。大学では恒例の風景だ。
猛はあえて片づけに手間取っているフリをし、川上を待たせた。昼食に急ぐ学生たちは、あっという間に教室を去り、今、猛と川上の二人だけが教室に残っている。
そこへ、台本どおりに莉菜が現れた。
「川上くん、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど……」
「川上、俺、ちょっとトイレに行ってるから」
猛はそそくさと教室を出た。心の中で、「がんばれ!」と、もう一度、莉菜にエールを送った。
教室を出た猛は、閉めた扉にピタリと体を寄せ、聞き耳を立てた。あまりいい趣味ではないが、ことのなりゆきを見守っていないと、あとで莉菜に対してどういう態度をとればよいかわからない。
それに、いい趣味ではないが、興味はあったのだ。
「あ、あのさ……川上くんに、聞きたいことがあるんだけど……」
「ん? なに?」
──きた!
緊張度合いの増した声が扉のむこうから聞こえてきて、猛の手にまで汗がにじむ。
まだ高校生のころ、自分が瑠美に告白したときのことがよみがえり、妙に恥ずかしい気分になってきた。頭を横に振って当時の記憶をひとまず追い払った猛の耳に、莉菜の
「わ、わたし……その……」
──がんばれ! 香月さん!
昨日、猛に相談してきたときのように、莉菜が、大きく息を吸いこむ音が聞こえた。現実的には、聞こえるはずなどないのだが、たしかに聞こえたような気がした。
「ず、ずっと前から、川上くんのことが好きでした! よかったら、わたしと付き合ってください!」
──言った!
モジモジしていた莉菜からは想像できないような潔い告白に、猛はギュッと拳を握りしめていた。扉越しにもその必死さが伝わってくるのだから、彼女の目の前にいる川上に、
──「ありがとう」って言え、「うん」って言え、あわよくば、「おれも好きだったんだ」って言え!!
ふたたび高校生のころの、瑠美との記憶が戻ってくる。
自分のことのように懸命に祈っていた猛の耳に、川上の落ち着き払った声が聞こえてきた。
「ごめん……おれ、好きな人がいるんだ」
莉菜に感情移入していた猛は、莉菜が受けているであろうショックを、同じように受けた。
「好みの女の子」というのが莉菜のことではなかったということだろうし、「好みの女の子」が漠然としたタイプのことを言っていたのではなく、具体的な誰かのことを言っていた、ということだろう。
その可能性は十分に考えられたのに、莉菜にへんな期待をもたせるようなことをしてしまった自分の無責任さを、猛は後悔した。
「そう、だったんだ……」とつぶやく莉菜の声は、とても小さい。
まるで呪いをかけられて、コビトにでもなってしまったかのようだ。もちろん、その呪いの言葉を唱えたのは川上である。
「それって、どんな人なのか、聞いてもいい?」
震える声で、莉菜が踏みこむ。
猛は、「やめておけ」と莉菜に言いたかった。「もう、それ以上、自分を傷つけるような質問はするな」と言ってあげたかった。でも、できなかった。川上は、どういう気持ちで、なんと答えるのだろう……。一方で、それを聞きたいと思う自分もいたからだ。
「小さくてかわいくて、ちょっと天然なところと涙もろいところがあって、だけど本当は芯が強くて、だから応援したい、守ってあげたいって思える女の子──莉菜ちゃんとは、次元が違うんだ」
最後の一言が聞こえてきた、その一瞬で、猛は我を忘れた。
「おい、川上!」
猛は、ケンカするときにだって出したことのない大声を上げると同時に、目の前の扉をガラッと開け、教室に踏みこんだ。莉菜のためではない。自分が、そんなひどいことを言われた気持ちになったのだ。
「も、森?」
大きく見開いた目を向けてきた川上のそばで、莉菜が今にも泣き出しそうな顔をしている。今度は、自分のためではなく、莉菜のために猛は怒鳴った。
「川上、おまえ……いくらなんでも、今のはひどすぎるだろ!!」
「え? 『今の』って……」
「『次元が違う』とかいうやつだよ! おまえに好きな人がいて、香月さんと付き合えないのはしょうがないことだと思うよ。でも、香月さんがどんな気持ちで告白したと思ってんだよ! 香月さんのこと、よく知りもしないで……ほかに、もっと言葉があるだろ!?」
友人だと思っていた川上への怒りと失望が、猛の胸にごうごうと渦を巻く。
「も、森くん……わたしは大丈夫だから……」
不穏な空気を感じたのか、莉菜が猛と川上の間に入ろうとした。そこへ、眉ひとつ動かさずに、川上がけろりとこう言ったのだ。
「そんなに怒られることか?」
「はぁ!? おまえなあっ!!」
「『次元が違う』ってダメかなぁ? そのまんまの意味なんだけど……」
「『そのまんま』?」
なにやら会話が
そして、注目された川上は、おもむろにポケットからスマホを取り出して、なにやら操作し、画面を二人に向けたのだった。
そこには、ピンク色のカールした髪の毛に、黒目の中に星が輝いている大きな瞳の──イラストの女の子が映し出されていた。
「これ、って……」
「かわいいだろ!? ミアちゃんだよ。トップアイドルになることを夢見ている十七歳。でも、トップアイドルになるためには、いろいろなハードルがあってさ。それなのに、くじけず
明らかに川上のテンションが変わったことで、猛の怒りの炎はすっかり鎮火していた。見れば、莉菜もぽかんと口を開けている。自分も似たような表情をしてしまっているんだろうなと、猛はぼんやり思った。
そして、ようやく、先ほど川上が口にした言葉の真の意味を理解する。
「それじゃ、『次元が違う』っていうのは……」
「だから、おれ、今は三次元の女の子に興味ないんだわ」
「『好みは、ひとつ下』って、前に言ってたのって、もしかして……」
「ああ、次元の話だよ。三次元のひとつ下の二次元のこと。森もあのとき、『たしかに下はかわいいよな』って言って、アニメの話をしだしたから、てっきり通じてるんだと思ってたんだけど……」
猛は、めまいがしたように感じた。が、それはたぶん、気のせいではない。
川上は、まだ何かを熱心に解説してくれているようだったが、その声はまるで猛の頭に入ってこなかった。莉菜へのフォローをどうするかということで、猛の頭の中はいっぱいだったからだ。
(作 橘つばさ・桃戸ハル)