予知能力
男は、華のない人生を歩んでいた。
地元の公立高校から、中堅の私立大学に進学し、卒業後は小さなメーカーに就職。お見合いで結婚したが、お互いに愛情がないことがわかり、三年で離婚。いまは一人。もう結婚する気はない。
仕事ぶりもいたって普通。営業の成績はそこそこで、特に悩みという悩みはない。プライベートでのささやかな楽しみは、パチンコと競馬である。
ある日、パチンコで負けた帰り、男は公園のベンチでうたた寝をしていた。すると、急に雲行きが怪しくなり、あっという間に空は分厚い黒い雲に覆われ、雷が激しくとどろいた。
男は眠い目をこすりながら、立ち上がろうとした。すると、目の前に大きな人影が立ちはだかった。
「なんでも好きな願いを一つかなえよう」
低い声が言った。見ると、フードのついた黒々としたマントを頭からかぶり、長い
「……なんだ、あんた?」
現実であることを確認するように男は質問する。
「私は魔法使いだ。なんの夢も希望もないお主のために現れた。なんでも好きな願いを一つかなえてやろう」
「魔法使いだと!? 芝居の練習か何かか?」
男は後悔した。──あぁ、これは、かかわらないほうがいい人間だ。そんな男の後悔を無視するように、大男は続けた。
「まぁ、信じられないのも無理なかろう。……では、一つ試しに願いを言ってみるがよい」
大男が自信ありげに笑った。
「ハッ、面白い。なら、現金で百万円を出してみろ」
「そんなことは、お安い御用だ」
そう言うと、魔法使いは、指を軽くパチンと鳴らした。すると、男の頭上から、バサバサと大量の紙が降ってきた。
「さあ、試しは終わりだ。願いを言うがよい」
一枚を拾って、じっくりと見てみる。間違いない。本物の一万円札だ。枚数を数えてはいないが、百枚あるのだろう。息をのんで、魔法使いの姿を改めてまじまじと見つめた。
「あ、あんた、本当に魔法使いなのか……。こんなことがあるなんて……。夢ならさめないでくれ……」
男の小さなつぶやきを聞き、魔法使いは、ふっふっ、と口元をゆるませた。
「じゃあ、好きな願いごとをかなえてくれるんだよな。そうだな……」
男は、あれやこれや悩んだが、決断した。ギャンブルで勝つための能力がほしい。それさえあれば、お金も手に入る。お金が手に入れば、ほぼ何でもできる。
「よし、俺は予知能力がほしい」
男がそう言うと、魔法使いは、
「お前の願いは聞き届けられた」
と言うと、どこへともなく姿を消した。
「おい! 待てよ!」
すると、空を覆っていた雲がさっとひいて、隠れていた太陽が顔をのぞかせた。男の足元には一万円札がまだ散らかっている。しかし、そんなはした金、拾う気にもならなかった。予知能力さえあれば、お金なんていくらでも手に入るからだ。
男は足元のお金を蹴飛ばすと、ニヤリと笑った。
翌日、男は会社を休んで朝から競馬場に出かけた。
さっそく、いくつかの競馬新聞を買い込んでデータをチェックし、レースの展開を予想した。
不思議なことに、新聞を見ているうちに各レースの展開をはっきりと見通すことができた。頭の中に、はっきりと馬の着順が浮かんでくるのだ。
「1レースは、大きく3番が逃げるが、鼻差で5番が勝つ。2レースは、1番の逃げ切り。3レースは、ゴール前の混戦を制して6番がクビ差で勝つ……。全部、見えるぞ!」
新聞を持つ手がふるえた。
しかし、これが本当に予知能力なのかはわからない。ただの勘違いかもしれない。
男は試しに、まず1レースの馬券だけを買って、結果を見ることにした。
結果、レースははじめから男の予想通りの展開となった。3番の馬が大きく飛び出し、後続をぐんぐん引き離していく。そのまま行くかと思われたが、最後の直線になって、5番の馬が信じられないような追い上げを見せた。
「まさか……」
そして、ゴール直前で5番が3番をかわし、一着に。二着は3番だった……。
男はひとり、小躍りして喜んだ。レースに勝ったことに喜んだのではない。能力が本物だったことに喜んだのだ。
それから男は、自分の予知能力を信じ、予想した通りに馬券を買っていった。そして、そのすべてがことごとく的中した。
その日の最終レースで、男は高倍率の大穴馬券を予想した。
「これが勝ったら、大金が手に入る……」
すると、そのレースも男の予想が的中。結局、その日だけで合計数千万円ものお金を手にした。
「……まるで夢のようだ。この調子なら、もう働く必要もないぞ」
それからの男は、さまざまなギャンブルや株で、大金を稼いだ。
稼いだお金で高級マンションと高級外車を購入し、ぜいたくに遊び暮らした。その暮らしぶりに、人々が群がり、権力も手にするようになった。男は、それまでの平凡な生活とはうって変わって、幸福の絶頂にいた。
あるとき、魔法使いが言った。
「……そう言えば、あの男はどうなっているかな? 公園で出会った、あの男だよ」
すると弟子は、
「ご覧になりますか?」
と、大きな水晶玉に男の姿を映し出した。男は病院のベッドで笑みを浮かべながらぐっすり眠っている。
「公園で眠ったままの姿で発見され、意識が戻らず、病院に収容されたようですね。よく眠っておりますよ。ずいぶんと幸せそうな顔で……」
魔法使いは、水晶玉をのぞきこむと、
「それは、そうだろう。夢なのだから……」
と言って、弟子の顔を見た。
弟子は、少しあきれたような表情で魔法使いを見て言った。
「相変わらず、師匠は意地の悪いことをなさいますね」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うでない。私は『夢ならさめないでくれ』という、あの男の願いをかなえてやっただけなんだから」
そして、魔法使いと弟子は、あざけるように笑い続けた。
(作 桃戸ハル)