ある国に、絵描きが住んでいた。特に有名な絵描きではなく、代表作があるわけでもない、どこにでもいる絵描きだった。

 ある日のこと。その絵描きのアトリエを、一人の老婦人が訪ねてきた。派手な身なりではなかったが、どこか気高さが感じられる老婦人だった。

 その老婦人が言った。

「私の肖像画を描いていただきたいの。お願いできますかしら?」

「もちろんです。さぁ、そこの椅子に座ってください」

 老婦人を椅子に座らせて、絵描きは絵筆をにぎった。キャンバスに絵を描きはじめてから一時間、肖像画は完成した。絵描きは言った。

「さて、こんな具合でどうでしょうか?」

 絵描きは肖像画を老婦人に見せた。すると、老婦人は優雅に微笑ほほえんで言った。

「美しい肖像画ですわね。でも、私、こういう絵を求めているんじゃないんですの」

「え?」

「この絵の中の私は、どう見ても今の私より、十歳以上は若いですわ。これは、私ではありません」

 女性は、たいてい実際よりも自分を若く見せたいと思っているものだ。そんなことを言う女性客ははじめてだ。絵描きがとまどっていると、老婦人は微笑んで言った。

「もっと写実的な肖像画を描いてください。しわの刻まれた、年老いた今の私。絵を見た人が、『私のことを、そのまま描いたんだな』と思うような絵にしてほしいのです」

 絵描きは、老婦人の目をじっと見つめた。見つめているうちに気づいた。この老婦人は、自らの老いから目をそらさず、今の姿を後世に残そうとしているのだ。

「奥様、あなたはどうやら、とても尊いお考えの持ち主のようだ。分かりました。私が持っている技術のすべてを駆使して、ありのままのあなたを描きましょう。ただ、一つだけお願いがあります」

「どういうお願いでしょう?」

「これから毎日、このアトリエに通ってください。私は、あなたをもっともっと深く知って、あなたという人間を、絵の中にとじこめたいのです」

「そういたします」

 老婦人は言われたとおり、それから毎日、アトリエに通った。絵描きは時間をかけ、しわの一本一本、しみのひとつ一つにいたるまで、丁寧に描きあげていった。

 絵描きが肖像画を描く間、老婦人は問わず語りに、さまざまなことを語った。三年前、愛する夫を病気で亡くしたこと、その後しばらく涙にくれたこと。何ごとも包み隠さず、老婦人は正直に明かした。ある時には、こんなことさえ絵描きに告白した。

「恥ずかしいことで申し上げにくいのですが、今、私は、世間様に隠れて、若い男性と暮らしておりますの。その男性を喜ばせるために、亡くなった主人の遺品である宝石をすべて売りはらって、お金に換えてしまいました」

 意外な告白だった。目の前の老婦人を見ていると、とてもそんなことをする女性には思えなかった。けれども老婦人の表情を見つめているうちに、絵描きにはその理由が分かってくる気がした。

 きっと老婦人は、その若い男を一人前の紳士にしたいと思っているに違いない。世間に悪いうわさが立つことも覚悟の上で、若い男のために自分を犠牲にしているのだ。

 老婦人のやさしさを感じた。その日、絵描きは、肖像画の中の老婦人の目尻に、やわらかい曲線の、一本のしわを描き入れた。老婦人のやさしさを際立たせるためだ。

 それから数日後、絵描きは老婦人から、また別の告白を受けた。

「実は、私と暮らしているその男は、私の財産が目当てですの」

 絵描きは老婦人に同情した。なんと悲しい恋なのだろう。それに耐えている老婦人の表情が、絵描きにはこの上なく悲しく、そして美しく思えた。その日、絵描きは肖像画の老婦人の瞳を、奥深い灰色に変えた。老婦人の悲しみを引き立たせるためだ。

 それからまた数日後、今度はこんな告白を聞いた。

「実は男には、私のほかに若い女がおりますの」

 その日、絵描きは、肖像画の中の老婦人の口元に、微笑みを与えた。男の浮気さえ許してしまえる、老婦人の心の広さを表現するために。

 また数日後、こんな告白を受けた。今度の告白は、絵描きを大いに驚かせた。

「実は今、私、その若い男に殺されそうになっておりますの。私を殺して財産を奪おうとしているのですわ。どうやらあの若い女にそそのかされたらしくて」

 この時ばかりは、口をはさまずにはいられなかった。絵描きは言った。

「おそろしいことです。私に何かできることはありますか?」

「いいえ。あなたはただ、今の私を描いてください」

 老婦人は、死をおそれてはいないようだった。きっと老婦人は、自らの命を男にささげることで、自らの愛を男に教えようとしているのだ。

 人間は、ここまで人のために生きることができるのか。絵描きは深く感動し、肖像画の中の老婦人の背景に、黄色い光の筋を描き入れた。その神々しさを描くために。

 それから一ヵ月ほどして、肖像画はついに完成した。見事なできばえだった。絵描き自身、ここまで納得のいく絵を描いたことはなかった。老婦人は感激して言った。

「すばらしいですわ。白髪の一本一本まで、本当に丁寧に描きこまれている。絵描きさん、ありがとう。これは、肖像画の代金です。受け取ってください」

 老婦人が差し出した封筒には、はじめ約束した代金の三倍もの札束が入れられていた。しかし絵描きは、その封筒を受け取りはしなかった。

「お金はいただけません。この絵を描かせてくれたあなたに、私はお礼を言いたいくらいです。死ぬまでにこんな絵を完成できるなんて、絵描き冥利につきます」

 すると老婦人は、けげんな顔をした。

「完成? いえいえ、それでは困ります。これから仕上げにかかっていただかないと……」

「仕上げ? 私には、これで十分に思えますが、まだ何か?」

「肖像画のなかの私を、宝石で飾っていただきたいの。ダイヤの指輪と、プラチナのティアラ。それに首筋には、純金のネックレスを描きこんでくださるかしら」

 絵描きは不思議に思った。が、すぐに思い直した。この方のことだ。こんなことを言いだすのには、何か深い考えがあるに違いない。絵描きは尋ねた。

「わかりました、宝石を描きこみましょう。ただその前に、宝石を描かなければならない理由を教えてくださいませんか?」

 すると老婦人は、いつもの優雅な微笑みを口もとにたたえながら言った。

「肖像画に宝石をたくさん描きますでしょ? 私が男に殺されますでしょ? そのあと、男をそそのかした女がこの絵を見つけますでしょ? どうなると思います?」

「どうなるのでしょう?」

「この肖像画を見て、ここに描かれた宝石を、女は必死に探します。ありもしない宝石を血眼になって探すのです。そのあせりにあせった表情を思い浮かべるだけで、私はもう、おかしくっておかしくって!」

 そう言って老婦人は、高らかに笑った。


(原案 欧米のばなし 翻案 吉田順・桃戸ハル)