四 そうして戦いが始まる



 その日がやってきたことはあっさりと確信できた。

 起きた時からサムは体調が悪そうにしていた。吐き気をこらえるように何度も肩が上下し、その瞳は薄い光を帯び続けている。

 新聞を見ればそこには工場での火災が報じられていた。何人もの作業員がをし、あるいは命を失ったらしい。戦争がルーミーを生み出したように、人の死やそれに伴う強い念は怪物をこの世界に作り出すことがある。

 ならば、その際に生まれる摩擦はひときわ大きくなり、そしてそれはサムへと流れ込むのだ。

「パパ、ルーミー、身体からだ…………熱いよ…………

 いつかくるはずの日が、きたのだ。

 ふらつくサムの身体からだを支え、ベッドへと横たえる。触れたその身体からだはまるで熱病のような嫌な温度を持ち、今にも内側から破裂してしまいそうに感じられた。

 程なくして殺人株式会社マーダー・インクから人が送られてくる。

 サムが致命的な破綻に至るよりも前に、その力の使い方について決着をつけねばならない。話し合いを行うのはあの三種の怪物だろうが、その公平性と安全を確保するためにはルーミーがその場にいることが重要になる。

 実際に話し合いが行われるのは明日らしいが、会議の場を設けるに当たっても先に打ち合わせがいるのだろう。

 ルーミーが静かに笑みを浮かべた。

「それじゃあ…………シーモアさん。行ってきますね?」

「ああ、うん。行ってらっしゃい」

 シーモアがくるようには促されなかった。

 決断をするならばもっと前にもできた。今日まで何もしなかったことがシーモアの選択だと判断されたのだろう。

 そしてそれに、異論はない。

 ルーミーがいなくなった後には静寂だけが残された。サムは浅い眠りと覚醒を繰り返しているのか、不規則な呼吸とうなされるような言葉がその唇から漏れる。

「ねぇ、パパ」

「ん? どうかしたか?」

「何かお話しして?」

「何かかぁ。難しいこというなぁ」

「ルーミーとどうやって会ったの?」

 苦笑して、汗ばんだ彼女の額をでる。

「マセてるなぁ。あめだまが大好きな子供のくせに」

 後ろでごとりと音がした。

 視線だけを動かせばロフトの床に包装されたあめが転がっている。ただ、その大きさは尋常のものではない。まるでバスケットボールのような大きさをしている。

 サムから漏れ出す力は今もまた増し続けている。

「僕らの出会いはあんまり子供向けじゃなかったからなぁ」

「そうなの?」

「あの頃はルーミーも今ほど優しくなかったし」

「でもルーミーのこと好きになったんでしょ?」

「そうだなぁ。そうではあるんだけどなぁ」

 最初に会った頃のどこもかしこもろくでもない話を、どうにかサムに聞かせて問題ないように加工しようとする。化粧を施すというよりは整形手術を施すくらいに大胆な調整が必要になりそうだった。

「えぇと、あれはまだ僕が会社にもしないまま一人で仕事をしていた頃だけど────


 サムが眠りに落ちて、シーモアはそっとガレージを抜け出した。

 体調はやはりよくないのだろう。サムは結局ルーミーが最初の晩を明かすまでの話を聞くこともなく、深い眠りへと落ちていってしまった。

 ガレージから出て通りを散歩しながら、煙草たばこくわえる。

 どうあれ明日からは普通の日常が帰ってくる。それがどんな風に変質したところで、シーモアに対して害のあるようなものにはならない。

 ならば仕事のことや家事のことを考えた方が合理的だとは思うのだが、しかしどうにも思考はうまくまとまらなかった。口から入れた煙が頭蓋骨の中へと満ちていくようだ。

 これから世界が変わってしまうかも知れないというのに、夜はいつもの顔をしていた。

………………まぁ、こんなもんか」

 個人の意思が世界を変えてしまうからややこしいが、誰もが目の前の自分にできることに取り組んでいるだけなのだ。

 その影響の多寡を考えなければ、怪物たちですらそうである。

 だから世界が騒がしくなることなんてない。みんながみんな、自分の個人的な物語に関わっているだけなのだから。

「あの」

 足音とともに声が聞こえる。

 ぼんやりとした頭で振り返ると、そこに誰かが立っていた。反射的に動いた観察眼が、その人物が軍人であることを判別する。

「運び屋のシーモア・ロードさんですか?」

「あー、はい。どちら様でしょう?」

 シーモアとそうとしが変わらないだろう若者は、暗闇を透かすように慎重な目つきでこちらを見つめてきている。

 少なくともこちらに敵意は感じられないが、その顔に見覚えもない。軍関係に仕事がつながるような流れも今はなかったはずだ。

 男は問い返されたことに驚いてから、得心したように苦笑してうなずいた。

「そうか、そうですね。あなたは俺の顔を知らないんですね。なんだか以前お見かけした時が印象的だったせいで、すっかり顔なじみのような気がしていました」

「お仕事、お受けしていましたっけ? 忘れてしまっていたらすみません」

「あ、いえ。俺ではなく。仕事を頼んだのは叔母なんです。覚えておいでですかね?」

 いって、男は手を一度振った。

「ほら、港の辺りで、車ごと飛んでいたじゃないですか。あの時の仕事を頼んだのが叔母で、届けられたのが俺なんです」

……………………あ!」

 ルーミーと出会ったばかりの頃。

 今まさに出向しようとする船へと荷物を届けて欲しいという無茶な依頼があったのだ。

 あの時は端からエセックスで飛び出し、吸血鬼の性質を利用することで川に沈まないようにするという無茶をやらかした。

 そういえばあの時の届け先は軍人で、今まさに国外へと赴こうとしているところだったか。

「その節はお世話になりました。ご依頼の品は無事届いてましたか?」

「それはもう。というか色んな人が見たので、すごい語り草ですよ。あの運送業者は誰なのかって散々聞かれて、慌てて叔母に手紙を書いたくらいです」

 シーモアは長く運び屋として働いてきたが、その仕事は非合法なものに寄っていたために、こうして明るい成果を聞けることは珍しい。

 柄にもなく照れくささを感じながら、ふと首をかしげる。

「あれ、ですがあの時は数年は帰ってこられないと叔母様からお聞きしていたのですが」

「あー、それが。今日お伺いしたのも実は同じ理由なのですが」

 軍人の男が苦笑して首を振った。

「その、実は先日叔母がくなりまして」

「なる、ほど。それはご愁傷様です」

「急な病気だったので仕方のない話です。それに伴い親族である俺も赴任先から引き戻されたという感じですね」

 実際、男と叔母の関係は悪くなかったのだろう。

 整理済みではあるがそれでも隠しきれないような悲しみが、社交的な笑みを浮かべるその目元ににじんでいた。

「以前はお世話になりました。叔母も生前は本当にシーモアさんに感謝をしていて、それをきちんとお伝えできればと思い…………

「当然の仕事をしたまでではありますが、謹んでお褒めの言葉はいただいておきます」

 考えてみれば当たり前だが、シーモアが仕事で関わる時間はほんの僅かであっても、依頼人たちにはその後の日々があるのだ。

 日々こなすいくつもの仕事とその後を、少しの間だけ想像する。

………………………………………………あぁ、なるほど。日常か」

 ぽつりとつぶやく。

「はい?」

「いえ、なんでも。名刺をお渡ししてもいいですか?」

「もちろんです。俺ももらえればうれしいと思っていたところで。俺の方も連絡先をお渡ししておきますね」

 紙片を受け取ってから、軍人は思い出したように問いかけてきた。

「そういえば叔母から数字を聞いていたりしませんか?」

「数字ですか?」

「叔母の家に残された金庫で開かないものがあるんです。叔母はあなたにとても感謝していたので、もしかしたらと思ったんですが」

「残念ながら。扉が開くことを願っていますよ」

「壊さずに開けたいんですが、望み薄ですね」

 首を振って、軍人は別れを口にした。

 またいつか彼から仕事を受けることもあるのだろうか。その背中を見送りながらそう思った。自分にしては珍しく、利益と関係なくまた仕事をしてみたい気持ちだった。

 ともかくとして、シーモアは再び歩き出す。

 ポケットの中に紙片を突っ込んだ。

 手を入れたまま進む。

 指先が紙片に触れていて、その部分が少しだけ暖かい。

 具体的に何が変わったわけでもない。ただ、少しだけ昔を思い出していた。

「そんなこともあったなぁ」

 もうすっかり思い返すこともなくなっていたが、しかしそれは忘れてしまっていたというわけではない。

 そんな日々があったからこそ今日に続いていて、今日と地続きだからこそ、そこにあることを意識的に確かめることもなかった。

 あの時は確かに事件だった。

 だが、それはもう日常になっていたのだ。

「まぁもう怪物だの超能力だのも、珍しくなくなっちゃったしな」

 それに他のこともまた、そうだ。

 小さく笑う。

「帰ったらサムに教えてあげないと」

 いつかサムに、ルーミーのどこが好きなのかと尋ねられたことがあった。

 問いかけられた時にはすぐに答えをまとめることはできず、結局冗談に逃げてしまった。今もそれを一言でまとめることは難しい。どこが好きかを指し示したところで、その一カ所がなくなったらルーミーを嫌いになるという話でもないし、他の場所が好きではないということでもない。

 ただ、いつルーミーを好きになったかはわかった。

 思い出せた。

………………………………

 今まさに聞いたようにまざまざとよみがえってきたのは、車内に響いた二人分の笑い声だった。

 橋から川へと飛び出して、吸血鬼の力で吹っ飛び、そして笑ったのだ。

 シーモアがルーミー・スパイクという個人を好きになったのは、あの瞬間だった。あの時に重なり合った笑い声が、今もシーモアの中に残っている。

 そのことを確認するように小さくうなずく。

「うん、うん」

 家の前にまで辿たどいたが、それで足が止まることはなかった。

 車を出す手間すらも今はなんだか惜しくて、そのまま歩き続ける。アスファルトを蹴る足の速さがどんどん上がる。

 正直にいって、やっぱりシーモアに大それた望みなどない。

 この街だとかこの社会だとか、そんな規模の願いをかなえさせられそうになっても困ってしまう。もっといってしまえばルーミーが今後の人生の全てを守ってくれて、あらゆる困難を先に取り除いてくれるのならば、それに越したことはないとも思っている。

 ただ、それでも少しくらいの願いはあるのだ。

…………………………うん!」

 歩みはやがて早足になり、やがて駆け足へと変わっていった。

 どうせこれからもルーミーとの日常が続いていくのならば、そこに彼女の笑顔があって欲しい。シーモアがれたあの笑い声をいつでも聞かせて欲しい。

 そしてそれはきっと、平穏な道のりでは見れないものだ。

 彼女はいつだってトラブルの最中で笑っていた。人間にとって命の危機になるような大問題も、彼女にとっては心地よいそよ風であるかのように、そうした時にこそ楽しげで明るい笑い声を上げていた。

 だからシーモアが何かをする理由なんて、それで十分だ。

 何もできることなんてないのに、何もかもを投げ出さずにみっともなくもしがみつく理由なんて、それだけで。


「おい!」

 シーモアが辿たどりついたのはホーンズビー・シガーストア、その跡地だった。

 今となっては単なる一軒家のそこを押し開ける。内側から漏れ出た大量のノイズと、うごめく人ならざるものの気配が出迎えてくれる。

「やあ、お兄ちゃん」

 フランもまたそこにいた。

 一つだけ置かれた椅子に座った彼女は、くるくるとその場で回っている。

「何かご用ですか?」

「手伝ってくれ。ちょっとやることができた」

 出し抜けにそういうと、フランは大仰にいきこぼしてみせる。

「最近、お兄ちゃんは私を頼めば何でもやってくれる人だと思っていませんか?」

「何でもやってくれるだろう、お前」

「私にできることは何でも商売の種にしていますが、しかしそれは相応の対価をいただいてからということになっています」

 不意に背後で扉が閉まった。風が吹いたわけでもないのに動いた扉が、シーモアの尻をたたいて室内へと押し込む。

 走り続けて汗がにじんだ背中が冷える。

 大体にして日頃からシーモアとフランはだらだらとっているが、それはフランがこちらに合わせてくれているというだけなのだ。彼女もまたこの街で自らの力だけを頼りに生きている人間で、その困難さを思えば怪物よりもよほど怪物をしている。

「それで、私は情報屋としてここにいるんですが、お兄ちゃんは相応の対価をくれるのかな?」

 一つ息を吸い込む。

 フランシーナ・ホーンズビーという少女がこの街で情報屋をできているのは、彼女が限りなく絶対に近い能力を持っているからだ。彼女が知らない情報は全くないように思えるし、彼女はこの街の誰よりもその情報をうまく操ってみせる。だからこそ、一度店ごと爆破されたところで、彼女の力を疑うような人間はこの街にはいないのである。

 まして今彼女のそばには怪物がいる。

 正体不明の何かが、ただの人間であるシーモアの目では捉えられない何かが今も室内を動き回っている。ただでさえ情報面において凶悪であったフランには、今何かの現実的に行使できる力が寄り添っているのだ。

「面白いものを見せて────

────それは今回は通じませんよ」

 予想通りだといわんばかりにフランの目元がゆがむ。

「だって誰が力を振るったとしても、私は面白いですし」

 当然のようにこの少女は、今街で起きているトラブルを把握しているらしい。

 怪物たちを指折り数えるように彼女は指を振る。

「どんな形で誰が覇権を握ったとしても、そこでは情報が全部ぐちゃぐちゃになって、きっと面白いことになりますよ」

「だから僕にわざわざ力を貸す必要はない?」

「ええ、はい。この前の死神騒動の時は貸したら面白いものが見れましたが、今回は違いますから。今回は働きの内容に応じた正当な対価をいただきます」

 フランの仕事は、正直にいって高い。彼女の情報の正確さと専門性を思えば当然のことながら、その支払い金額はかなり財布に厳しい。あるいは、フランがこうして先に警告をしている以上、彼女が把握しているシーモアの財政事情ではとても支払えないと踏んでいるのかも知れない。

 ただ、それでもシーモアは力強く笑みを浮かべた。

「任せなよ。言い値で支払ってあげるから」

……………………へえ」

 フランが薄く目を見開いた。

 それから大きくのけぞる。薄っぺらい腹と胸が強調されて、呼吸をするたびにその下で内臓がうごめくのまで見えるようだった。

 上体が戻され、笑みがこちらに向けられる。

「まさかとは思いますけど、支払わなくても私がお兄ちゃんに優しくして、なあなあで許してあげるとか思っていますか?」

「それは僕に対する侮辱だよ。僕らはずっと契約でつながってきたのに」

「それとも実はルーミーさんをけしかける気だったりします? あの人に狙われるのは私としてもかなり面倒ですし」

「同じ言葉を繰り返さないとダメか?」

「だからこそそのつながりを惜しんでこうして聞いている訳なんですけど、お兄ちゃんがそこまでいうのなら仕方がないですね。本当に報酬は何でもいいんですか?」

「ああ。詳細はこれから詰めるけど、それ相応の好きなものを要求してくれて構わないよ。それだけの無茶ぶりをすることになるから」

「へぇ………………どんなことをさせられちゃうんでしょうか」

 シーモアはやるべきことを速やかに説明した。

 それは数分で済むような短い話だったが、その数分の間にフランはがくぜんと口を開き、そして終わった頃には手をたたいて笑っていた。

「お兄ちゃん、相変わらず最高ですね」

「だろ?」

「そしてそんなに強気な理由もわかりましたが…………一つ問題があります。人手が足りません。それをやろうと思ったら一人必要な人員がいることはお兄ちゃんもわかってますよね?」

 ふところから煙草を取り出して、くわえる。

 最近随分ともらう機会が増えた名刺たちをいじり回し、煙草の先端から灰が崩れる頃にようやくその一枚を見つけ出す。

「任せな。それは僕の知り合いにいるから」



 怪物たちの話し合いがこれから行われるから同行して欲しい。

 フランの下を訪れた翌日の夜、目が覚めてルーミーからそう告げられたシーモアは、とりあえず身支度を調えた。フォーマルな服装が必要になるかはわからないが、仕事に赴くくらいの気分ではいるべきだろう。

 サムを起こす前に新聞を取っておこうと思い、シーモアは外へ。

…………あ」

 そこで一枚の封筒を見つけた。

 中を開いて確認し、小さくほほむ。

「シーモアさん? どうかしましたか?」

「いや、何でもない」

 封筒をふところへ。

 それからロフトに上ってベッドで眠っているサムを揺り起こした。昨日はサムが体調不良を起こしていることもあり、バーズアイ姉妹には外で宿を取ってもらっている。さすがに同じベッドに押し込むのは忍びなかったのだ。

 狭い部屋の弊害だ、と思いながらその細い肩に触れると、サムが薄く目を開く。

………………パパ?」

「さ、行こうか」

 起き上がるのもおつくうそうな彼女を抱き上げて車へ。ロフトから降りるとルーミーが一度、不安そうにこちらの腕に触れてきた。

 エセックスを出す前にシャッターを開けようとして、

「シーモアさん」

「うん?」

「車、要らなそうです」

 開いた先は、既にシーモアの知る街ではなかった。

……………………うわ、なんだこれ」

 そこは奇妙な湖だった。

 サッカーが行えそうなほどの巨大な洞窟。その床一面に水が広がっている。水面は澄んでいるがその底は見えず、どれほど深いのかは想像がつかない。

 振り返ればたった今抜けてきたはずのシャッターが消えていた。そこにあるのはこけむした岩のみで、どこから入ってきたのかもわからない。それどころかこの洞窟はれいなドーム状になっていて、誰一人として入れる構造をしていない。

「明かりもないのに周りが見えているのが、不思議な感じだなぁ」

「その前に水の上に立っていることに疑問を持ってください」

「あ、それはそうだわ。ひぃ、靴がちょっとれて気持ち悪い」

 足下を見てその不安感に飛び跳ねると、水面は僅かに波紋が立った。しかしその中に沈み込んでいくような不安感はない。

「や、いらっしゃい。転送された気分はどう?」

 声がしてれば、既に今回の話し合いのメンツはそろっていた。

「人間でも耐えられるように準備したから大丈夫なはずだけれど」

 そういって手を振ってきたのは魔女。

 馬の背に座って、その足をぷらぷらと揺らしている。

「獣ならざるものが我が居所を踏むことは不快だがな」

 精霊が不満げにうなった。

 その毛並みがれることをいとっているのか、彼の身体からだは水面に浮かんだ葉によって支えられている。

「んー、こんな異界が現代にも残っているなんてね。神秘が色濃くて、空気がいいよ」

 暗闇がそういって、多分笑ったのだろう。

 今日ははじめからその姿を人に偽るつもりもないようで、いくつもの触手を水に浸したりしている。

「や、皆様お集まりいただいてどうも。アイスブレーキングに素敵なジョークはいるかな?」

 そして殺人株式会社マーダー・インク

 社長であるクラウディア・ホーロックスとおおかみめいた男がそこに控えている。社長はいつも通りの表情だが、おおかみめいた男はさすがに緊張を隠し切れておらず、特に魔女に向けた強い敵意をびりびりと放っていた。

「突然飛ばすなんてしつけですね」

 ルーミーもまた隣で不機嫌そうなものだから、少しだけ緊張がほぐれる。

 一度サムを抱え直してからシーモアはくちに笑みを作った。

「おはようございます。素敵な隠れ家ですね。ここでこっそりお酒を飲んだり、女の子を連れ込んだりするんですか?」

 返事は低くうなる精霊の声だった。

 人間的なジョークはあまり気に食わなかったらしい。魔女が手をたたいてくれたことが僅かばかりの救いである。

「それじゃあ、アイスブレーキングはシーモア・ロードがやってくれたことだし、さっさと本題に入ろうか」

「僕としてはあなたの面白ジョークというのにも興味がありますが」

「また今度のお楽しみにしておこう。シーモア・ロードとは長い付き合いになりそうだしね」

 こちらとしてはお断りしたいが、といきこぼした。

 水面を歩いて全員へと近寄る。

 怪物たちの視線がこちらに一斉に集まる様子は、そばにルーミーがいるという安心感を差し引いても背筋があわつような体験だった。どうしてもあの日の夜、マフィアたちと一緒に追い回された記憶がよぎってしまう。

「さて、それじゃあしようながら私クラウディア・ホーロックスが仕切らせてもらおうか。当然ながら今回の話題はサム・ロードの力の行方についてだ」

 クラウディアが黒い影のような奇怪な腕を動かす。

「このままだとサムは今日にでも限界を迎えて、その力が破綻する。街中にリソースが指向性も持たないままにばらまかれる。恐ろしい事態だね」

 胸の中で目を閉じたままのサムが身をよじった。

「だからそれを避けるために、誰かがその力を消費する必要があるんだ。まぁ、奪い合いをしたっていいんだけど」

 ちらりとその視線がルーミーを捉える。

「そんな結果が見えていることをしたい人はいないよね」

 明確な同意をした人物はいなかったが、怪物たちもまたそれで同意しているらしい。それぞれに表情は違うが──あるいは顔がないので表情が読めないが──、口を挟もうとする存在はなかった。

 クラウディアがゆがんだ笑みでこちらを見てくる。

「というわけで、単刀直入に決めてもらおうか」

 彼女にとってはどの選択肢が選ばれたところで変わらない。

 怪物の存在が衆目に触れ、新たな怪物の呼び水となることが彼女の目標に他ならない。となればこの状況に持ち込んだ時点で彼女の目的は達成されたも同然である。

「決定権は君にあるよ、シーモア・ロード。サム・ロードとルーミー・スパイクがその手の中にある時点で、全ては君が決められる」

 シーモアは、いきこぼした。

「別に僕は、彼女たちを所有しているようなつもりはありませんけどね」

 それから、言葉を続けた。

「正直にいうなら、僕は少しおびえていたんですよ。世界を変えてしまうこととか、すごい力を手にすることに。だからそれを平然と行える君たちがすごい存在なのではとも感じてました」

「まるで今はそう思っていないかのような言い草だな」

 不満げに鼻を鳴らした精霊にほほみかける。

「はい」

「貴様」

「だって、それは君たちにとっての普通じゃないですか」

 恐怖は感じない。

 隣にルーミーがいるからだ。しかしそれは、ルーミーの力がそこにあるからという意味ではない。彼女がそこにいてくれれば、彼女がただの人間であってもきっとシーモアはこうして笑えていただろう。

「君たちは人を上回る怪物です。だから人よりも大きなことを語れるのは、その視座からすれば当然なんですよね。その規模が違っても、君たちは君たちの等身大で生きているだけです」

「ふぅむ。神相手にそんなことをいったのは君が初めてだけど、それがどうかしたのかな?」

「いえ、つまり僕は僕の好きなことをすればいいんだなって感じたという、それだけの話です」

 シーモアが何をいっているのかがつかめなかったのか、いぶかしげに隣から視線があった。

「シーモアさん…………?

「さて、それじゃあ何をお見せしようかという話ですが、やっぱりこれですかね」

 サムを抱きかかえたまま器用に腕を動かして、ふところから封筒を取り出す。

 何の変哲もない、朝に届いたばかりの単なる封筒だ。シーモアはそれをルーミーへと手渡した。

「何ですか、これ」

「開いて、見てみて」

 いぶかしげな表情のままルーミーが封筒を開く。

 その中身をルーミーは速やかに理解したが、しかしそれでもその表情からげんさが失われることはなかった。

「えっと…………

「何かしら。こっちにも見せてくれるとうれしいんだけど」

 ぴらり、とルーミーが書類を彼らにも見えるように表にする。

「不動産屋さんからの、連絡です…………?

「は?」

 とつぶやいたのは誰だったか。

 全員だったかも知れない。

 その反応が見たかったのだと、シーモアは内心でほほむ。

「実は最近、家が手狭になりまして。ずっと新しい、もっと大きな家を探していたんですがようやく不動産屋からいい感じの連絡がもらえたんですよ」

「シーモア・ロード、その話が今何の関係が…………

「いえ、僕のような人間が借りられる家って少ないんですよ」

 シーモアのような怪しげな人間でも借りれて、家に関係性もわからないような少女たちを入れることができて、シーモアの会社の収益でもきちんと借り続けられる。

 探していたのは、そんな夢のような都合のいい物件だ。

「それが見つかったんです」

………………!

 気づいたのは魔女が早かった。

 彼女は馬ごと向き直るようにしてこちらを見て、まさかと言いたげに顔をゆがめる。

「あなた、それまさか、サムの力を使ったのかしら?」

 シーモアはシンプルにうなずく。

「意外と応用がくんですね。具体的なものを出すんじゃなくて、実際のものとの縁をつなげるようなことでも、祈ればなんとかなるとは思ってませんでした」

 怪物たちが不快感をあらわにしたのは当然のことだろう。

 彼らにとってサムとは自らの力を強めるための貴重なリソースだ。そして彼らには彼らなりの大義がある。家探しのようなさいなことに使われるのが、愉快なわけがない。

「まぁ、いいだろう。我の力が減るのは気に食わんが、その程度で使い切れるような殻の中身ではあるまい」

「君のものと決まったわけでもないだろうにねぇ」

「怪物の不遜よね、そういう考え方って。シーモアもそういうのは嫌いだと思うわ」

 既に皮算用を始めてギスギスとし始める怪物たち。

 そんな彼らの注意を引くために、シーモアはルーミーへと目配せをした。ルーミーが一度足で水を蹴ると、その音だけで彼らは即座に止まる。

 ルーミーの敵意を引くことだけはどうしても避けなければいけないのが、彼らの立場だ。

「まぁ、そうですよね。僕みたいなわいしような人間の願いで終わるようなリソースならば、最初から今回みたいな問題は起きていませんしね」

 その何千倍なのか、何万倍なのか、あるいはもっとなのか。

 具体的な数値はともかくとして、サムの力はそれだけ膨大な量を持っている。

「じゃあ、そういう話の上で、ご本人に会ってもらいましょうか」

 シーモアは腕を揺らした。

「サム、起きて」

………………ぅ

 そのまぶたが薄らと開く。

 サムは自分がどこにいるのかわからないというようにゆっくりと首を巡らせ、それからシーモアを見てほほんだ。寝ぼけたままらしい溶けた笑み。

「ほら、おはよう。そろそろ腕も疲れてきたし、ちょっと自分で立ってもらっていい?」

「えぇー…………眠い…………

 そういいながらもサムはするりとシーモアの腕から降りる。

 その手が目をしきりに擦って、ようやく彼女の目ははっきりと開いた。

──────!

 動揺が、走る。

 彼らがはっきりと認識したからだろう。サムの目が輝いていない。力の集積に伴う異常な明滅はなく、ただわいらしい少女の瞳があるだけだった。

 シーモアにはない感覚だが、彼らは何らかの形でサムの中のリソースを感知できるらしい。そこにあると信じ込んでいたためにたった今まで気づけなかったようではあるが、同時に彼らは理解した。

 サムの内側のリソースがせている。

 れいさっぱりと。

………………は? いや、待て」

 精霊があんぐりと口を開く。

「シーモアの願いをかなえて、違うな。その程度で消える力ではないし………………

 暗闇がいぶかしげに目を細める。

「何をしたのよ、あなた!」

 魔女が叫んだ。

 それら全ての反応が、シーモアが望んだものだ。

「人間なんて君たちからしたら大した存在ではないんでしょうね。わからないでもないです。君たちは強大ですさまじい存在ですから」

 でも、とシーモアは手頃な位置にあるサムの頭をでてやった。

「人間のすごいところを知っていますか?」

 暗闇も、精霊も、魔女も。

 そんなことは知らないといいたげな顔をした怪物たちに、教えてあげる。

「それは気持ち悪いくらい沢山いることですよ」



────お?」

 その日、ホリデイの店員は街角で足を止めた。

「おいおいおいおい!」

 その視線が引き寄せられていたのは、通りの一部を利用して行われていたバザーの、そのうちの一つの店舗である。

 道路に敷かれた布の上に、いくつかの金属の輝きがある。

 それはミルやサイフォンを筆頭とした、コーヒー豆を丁寧にれるための道具である。造りの正確さから明らかに高級品だが、そこに貼られた値札は、いい意味で数度も見直してしまうような数字を示していた。

「ここ、これ売ってるんすか!? こんな金額で!?

「いやぁ、実はやっていた喫茶店を閉めることになりまして」

 この露店の店主であるらしい老婆がほこほこと笑う。

「縁のある方にお譲りできればと、こうして並べていたんですよ」

「それは自分すよ! 絶対!」

 店員が財布を取り出すまでに、数秒も必要ではなかった。



「さて、そろそろ家の整理も終わらせなきゃなんだけど」

 軍人の男は、叔母の家で首を振った。

 唯一残された親類である彼が、散々世話になった叔母の遺品を片付けるのは当然の話だ。そうではあるのだが、それにしてもこの家はものが多い。

「シーモアさんのところに頼めるのかなぁ。こういう大量の物品の移動って。それなら一度どっかにまとめて、家だけでも処分してしまって…………

 ぶつぶつと今後の予定をつぶやきながら歩き回る。

「そういえば叔母が、シーモアさんには美人の恋人がいるっていってたっけ。いいなぁ。俺もそろそろいい相手を見つけて────

 ずが、と男は足の小指を棚へとぶつけた。

──────!?

 悲鳴を上げてうずくまる男。

 鍛えているのになぜ足の小指はこんなにも痛むのかと、世の理不尽に怒りの声を漏らす。そうしてどうにか立ち上がろうとして、

「あれ?」

 彼の目の前に一枚のメモ書きが落ちてきた。

 棚の隙間にでも刺さっていたのだろうか。それを手に取った男の目が、少しずつ開いていく。

 そこに書かれていたのは、数桁の数字だ。

 誰かに見えないように隠された、意味ありげな数字の列。

………………金庫!」

 軍人はまだ痛む足で、ばたばたと二階へ上っていった。



「いやぁ、これはズルなんじゃないかなぁ」

 ホーンズビー家の一室で、フランはくるくると回っていた。

 その手の中には金属部品が複雑に配された球体が握られている。球体の表面をいくつもの円環がいろどるそれは、アストロラーブと呼ばれる古い天体観測機器である。

 空を巡るいくつもの星の動きを機械的に再現するそれを、フランは手の中でいじる。

「『何でも欲しい報酬を』っていったら私が何かの情報を欲しがること、お兄ちゃんは絶対予想していたよねぇ」

 例えばどれだけ研究しても開けることができずに困っていた、古の時代の金庫だとか。

 アストロラーブを手の中で振ると、小さく内部で何かが転がる音がする。このアストロラーブについての由縁はフランの口を以ってしても語るのがおつくうなほどに長いが、ともかくとしてこの中には一部で極めて価値を持つ情報が隠されていることは間違いない。

 ずるり、と背後で気配がした。

 この家の中にいる怪物が、肩越しにのぞき込んできている。その頭をフランは軽くでてやった。

「君も昨日はお疲れ様。散々無茶をさせちゃったし、一緒にこれを見ようか」

 喜んでくれている、のだろうか。

 この奇妙な同居人のことはフラン自身ですらつかみ切れていないところがある。しかし背中から動かないということは、少なくとも嫌ではないのだろう。

 特定の手順でしか開かない頑固な天体観測機器を、しかし迷うことなく動かした。

 なぜならば、フランは昨日それを願ったからだ。

 世界の方が、導くようにして、やがてそれを開いた。



「えっ!? 本当ですか!?

 家にかかってきた電話を受けて、ベッキー・ラングレーは跳び上がるようにして喜んだ。

 電話の相手はラジオの放送局に勤めている知人である。知人は自らもうれしげに、昨日のラジオ放送が好評だったために、ベッキーに今後も継続して仕事を頼みたいと上層部が判断したというむねのことを伝えてくる。

 一通り喜びを共有し合い、今後の連絡に必要な情報をメモしてから、ベッキーは電話を切った。

 受話器を元の位置に置き直しても感動は冷めやらず、足が勝手にステップを踏むような心地である。

「やった! やった! シーモアさんのおかげだ!」

 シーモア・ロードから連絡があったのは昨晩のこと。

 きゆうきよラジオ放送の枠を一つ使うことになったから何か原稿が欲しいといわれた時には、正直やや正気を疑った。

 しかし事前に金を払われてしまっては選択肢などない。そうでなくとも恩人であるシーモアの頼み事を断るということは、ベッキーにとってはあり得ないことだった。

 そうして半信半疑で慌てて短い原稿をでっち上げ、驚いたことにラジオの放送は実際に行われた。

 そして、望外な幸運によって、それが新しい仕事へとつながったのである。

「シーモアさんにはうんと感謝しなきゃ! ああ、いつお礼をいいに行こうかな!」

 思ってから、手元のメモに目を落とす。

 新しい仕事もすぐに取りかからねばならない。ベッキーはその髪をひるがえしながら、自分の部屋へと駆け込んだ。



 そうしたこの街の細々とした幸運をシーモアは知らない。

 知らないが、多分何かが起きているのだろうということはわかる。

「皆さん、ラジオとか聞かれます? 昨日の晩に急に一個ラジオが放送されたことを知っている方は…………いなさそうですね」

 まぁそういうのがあったんですよ、と肩をすくめる。

さいなおとぎばなしでしたが。そのラジオを聞いた誰もが、ちょっとだけ願い事をしてしまうような素敵なお話でした。電話を通じて視聴者からお願い事を聞いたりするコーナーもあったんですよ」

 そこまで語れば全てを説明したようなものだ。

 おおかみめいた男が顔を上げる。

「おい、まさか…………!

「はい。そのラジオを計画したのは僕で、そして僕は、というかサムはその時に沢山の願い事を取得しました。何千だか何万だかは知らないですけど」

 あるいはもっとかも知れない。

 フランが本気を出して『なるべく多くの人間が特定のラジオを聞くように』と動いた場合の上限をシーモアは知らない。

 知っているのは、今日になったこの時から、サムの熱はすっかり下がっているという、それだけのことだ。

「僕の願いはわいしようでサムのリソースを消費しきるにはとても足りません。ですが、それが膨大な数集えば、まぁ、結果はこうなりますよね」

「パパ、なんのお話?」

「もう終わった話。まだ眠い?」

「んー」

 サムがももの辺りに顔をこすりつけてくる。

 寝起きのサムに何か食べ物があればいいのに。そうシーモアは想像したが、しかしくうからパンやらベーコンやらが湧いてくることはなかった。

 つまり、もうすっかり彼女は元通りだ。

「さて、みんな適度に喜んでくれたかな? まぁ、そんなに興味もないけど」

 街中で、ラジオを聞いて何かを願った人は、それなりの見返りを得たことだろう。

 そこに奇跡があったことにも気づかないようなさいな幸福が、彼らに降り注いだに違いない。限りなく巨大な奇跡の力は、限りないだけの数によってわいしようされ、日常の中のほんの一欠片かけらに成り下がった。

 だから、本当にもう終わった話なのだ。

 今日ここを訪れた時点で全ては完了していた。この場の誰もが望んでいた力は、誰にも気づかれない形で使い尽くされ、その行方を決めるための会議はもう意味を持たない。

「な────

 誰かの声にシーモアは視線を動かす。

「なんでそんなことを!?

 魔女がえた。

「そんな、無意味なことをするなんて!」

 小さく笑う。

 そうだ。無意味だ。

 なぜならば、こんなことは一時しのぎでしかない。

 怪物の中の誰かに力を託すにしろ、ルーミーにサムの血を吸わせるにしろ、それは半ば恒久的なものである。サムの内部にまったリソースは怪物に定められた方針に沿って消費され続け、今後サムが倒れるようなことは起きない。

 しかし、シーモアのこの対処は違う。

 ラジオを利用してサムの中の力を一気に消費したが、しかしそれだけだ。今回ほど派手にまることはないだろうが、また日々を過ごすうちにサムには力がまるだろう。そうなればまた別な対処を考えねばならない。

 場当たり的で、無価値で、適当。

 合理的に考えればこんな種類の手段を選ぶ理由なんてどこにもない。

 ただ、

「ねえ、ルーミー」

「はい?」

 話が急激に変化し追いつけていなかったのだろうか。

 ぼんやりと立っていたルーミーがこちらを見てくる。その彼女に、そっとうかがうようにシーモアは問いかけた。

「どう。予想外で、面白くなかった?」

 ルーミーが目を見開く。

 問いかけながらも答えはもう知っていた。

 なぜならばルーミー・スパイクは尋常ならざる力を持ちながらも変わらない生活が好きなだけのつつましい女性で、吸血鬼としての視座からごく自然に人間を誤差のように眺めていて、そしてそんな人間が予想外のことをするのがいつだって好きなのだから。

 沈黙。

 二人してじっと見つめ合って、それからサムを見た。少なくともこれで今日世界が決定的に変わることはなく、サムも含めた元通りの日々が帰ってくる。

………………くくっ」

………………あははっ」

 堪えきれずに喉を鳴らしたのは、二人同時だった。

 緊張からの解放と、誰しもの考えを出し抜いてやった達成感。そして何よりも、二人が望まなかった重たいだけの選択が失われたというその事実が、どうしようもなく胸をくすぐってくる。

 洞窟内に、程なくして二人分の笑い声がはじけた。

 そのルーミーの顔を見て、満足感を得る。

 そうだ。あの時もこの顔に見とれていて、そしてこれからもこの顔が見たかったのだ。だからこんなめちゃくちゃな対処をした理由は、それで十分すぎた。

………………んぅぅ」

 ひとしきり笑ってから、眠たげなサムが眉間にしわを寄せたことで我に返る。

 ぜんとしたまま対処の方法すら思い浮かばない怪物たち、そして殺人株式会社マーダー・インクの二人。一旦この場をお開きにしなければならず、ならば今、こんなにも楽しい気分の時に思い浮かぶ方法は一つだけだ。

 シーモアはサムを抱きかかえて、いう。

「さ、やっちゃえ、ルーミー」

 目の端に浮かんだ涙を指先で拭って、ルーミーが答えた。

「はいっ」

 その曖昧な指示が何を指しているのか真っ先に察したのは、やはり数々の経験がものをいうのか、おおかみめいた男であった。

「おい、お前ら、待て! というかぶっちゃけ俺らは無関係で──────

 その声を遮るようにルーミーが手を振り上げる。

「さ、じゃあ、これで終わりにしちゃいましょうか!」

 瞬間、膨大な黒い霧が生み出され、洞窟とその中にいたあらゆる存在をまとめて吹き飛ばした。


 気がつくとそこはガレージの前であった。

 あの洞窟は多分何かの能力で作られた、この世界のどこでもない場所だったのだろう。それがルーミーの力ではじけ飛んだものだから、元の位置へと戻されたらしい。

 出がけに開け放ったシャッターもそのままで、ガレージの中、エセックスのボンネットにサムが座っている。彼女は緩やかに一度あくびをした。元々体調不良だったところを無理して起こしたせいか、また一眠りする様子である。

 異界の中では時間の流れもゆがんでいたのか、既に夜も終わりを迎えるらしい。

 道路を挟んだ向かい側、工場の頭を越えるように光が差しつつあることに気づいて、シーモアは慌てて手を伸ばした。

「おっと、ルーミー」

 近くに立っていたルーミーをいだく。

 太陽を背にするように立ち位置を調節すれば、シーモアの身体からだが投げかける影の中へとルーミーの身体からだが収まる。

「危ないよ」

「シーモアさんがいるから平気ですよ」

 ルーミーがシーモアを抱きしめ返そうとしてから、その手を止める。背中側に手を回せば日に焼かれると気づいたのだろう。

 ルーミーの手は結局、シーモアの胸元に添えられた。

「本当は、シーモアさんが何もしなくても平気になればいいと思っていたんです。そうしようと思っていたのに」

「まぁ、それはやめにしようか。ちゃんと二人で考えていこう」

「私一人で解決できるのに?」

「だとしても、僕がいた方が楽しいよ。だろ?」

 ねたようにルーミーが鼻を鳴らす。

「だから陰で何かをするのは、やめにしようか。助けてくれるのはうれしいけど、僕にちゃんと話して、相談して、二人で決めよう」

「そんなことをしなくても、私の恋心は変わらないのにですか?」

「いいや、変わるよ。君は、これから」

「何でですか」

 あからさまにむっとした様子のルーミーに、ほほみかける。

 背中には太陽の暖かさがあり、腕の内側にはルーミーの温かさがある。こうしてここに立つことができただけで、馬鹿みたいなをしたがあったというものだった。

「これから僕と君は沢山のことをする。生きていく上で必要な、あらゆることを。そして僕は必ず君の予想を上回って、君を喜ばせる」

 だから、と彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

「君はもっと僕を好きになるのさ!」

 この腕の中にいるのは、怪物だ。

 彼女は自分を愛してくれているが、それでも彼女が自分の敵であることは間違いない。愛をもってシーモア・ロードという存在を滅ぼそうとしてくる吸血鬼。

 だからこそ、シーモアはそれに立ち向かわねばならない。

「今だってこんなに貴方あなたのことが好きなのに、これ以上を求めるんですね、シーモアさんは」

「もちろんだよ。人間の恐ろしいところだよね」

 小さな振動が胸から伝わってくる。

 肩を震わせて、声もなくルーミーが笑っていた。シーモアの胸元をつかむ腕が目で見てわかるほどに揺れてから、やがて彼女は顔を上げた。

 ルーミーの顔にあったのは、どうしようもなく凄惨な笑みだった。

 彼女の背後で闇がうごめく。シーモアの影が、ガレージの内側の影が、あるいはこの街全体の影がうごめく。その膨大な力が起き上がり、触れているだけでこちらを押しつぶすような、怪物の気配がする。

「いいましたね、シーモアさん。シーモア・ロード。愚かで愉快な人間!」

「いったよ。だから始めようか。僕らの日々と、僕らの戦いを」

「ええ、ええ。いいですよ。そうしましょう」

 真正面から見つめ合う。

 彼女の金の瞳は、今らんらんとした光を帯びていた。その内側にあるのは欲であり、怒りであり、そして愛であった。

「いつまでその意地が続くか楽しみにしてますよ、シーモアさん」

「君が嫌というほど君のことをれさせてあげるよ、ルーミー」