二 怪物ばかりが笑う



「さて、事情をきちんと説明してもらえますか?」

 翌日、サムと向かい合ったルーミーがそういった。その指は口紅をくるくるともてあそんでいる。

 二人の中立となる位置に立ったシーモアは、思ったよりもキツいルーミーの剣幕に苦笑をしてみせる。

「まぁ、その、そんなに怒らないでください。事情をあまり聞かなかったのは僕ですし」

「私もできる限りシーモアさんのそういうところは尊重したいですけど、私みたいな存在が関わってて、シーモアさんに身の危険があるっていうなら話は別ですよ」

 ルーミーはシーモアに対しても怒りを感じていることを表明するようにその腰に手を当ててみせている。

 が、シーモアが感じたのはむしろうれしさに近かった。

 少なくともマフィアに追われる程度はシーモアが対処できると、ルーミーがそう信頼していることが言外にあったからだ。

「うぅ…………

 そんなことは関係ないサムは、すっかり萎縮してしまっていたが。

「ご、ごめんなさい…………

「あなたが悪いとはいいませんが、あなたが隠していることはもう明かす時です。そうしないと私が怒りますし、シーモアさんもそれを認めてくれますよね?」

「まぁ…………そうだね」

「それで、サム。あなたは何らかの怪物。それで合っていますか?」

 吸血鬼のような、何らかの超越的な力を振るうことができる世界の産物。

…………多分」

「多分?」

「二週間くらい前? サムね、ある日街にいたの。でもサム、自分のこと知らないんだ。ママとパパのことはなんとなく覚えてたけど、それ以外は知らないの」

「自分が何の怪物かもわからないんですか?」

「うん…………

「ルーミー、それって普通じゃないこと?」

「私もそれほど怪物の知り合いはいませんが、世界に作られた私たちは怪異として振る舞うのに必要な知識を備えて生まれます。私も、生まれた時からこの姿でしたし」

 生後数年、と前にいっていたルーミーが胸に手を当てる。その姿は誰が見ても妙齢の美しい女性でしかないだろう。

 シーモアは顎を軽くでる。

「それがサムにはなかったっていうと、元々そういう怪物っていう線が一つ。それか怪異として発生する時に何かトラブルがあったとか?」

 そういう例があることも知っている。

 彼のガレージには入れ替わりに失敗した入れ替わり子チエンジリングが暮らしているからだ。

「それともう一つ。単なる記憶喪失の人間という可能性もありますね」

「あー。いや、でも何か能力があるっぽいって話じゃないっけ?」

 ルーミーの手の中の口紅を示す。

殺人株式会社マーダー・インクの社長は、最近自分の足を生やしてましたよ。生やしたというか、あるように見せているという感じですが。あり得ない力だけでは怪物の証明としては足りていません」

 厳密には怪物とは真逆の存在らしいと以前聞いたが、確かに怪物のような超常的な力を振るう人間は存在している。願うだけで世界を塗り替える、そんな力の持ち主が。

 サムが具体的にどういう力を持っているのかはわからないが、彼女が怪物ではなく、口紅を宙から取り出す能力を持った人間である可能性は否定できない。

 でも、とシーモアは首を振った。

「サムは怪物で確定だと思うよ」

「それは、どうしてです?」

「肌がね」

「肌?」

 生きてきた時間と歴史は肌に刻まれていく。

 そう気づいたのはルーミーの肌の変化を感じたためだった。初めて会った時と変わらず彼女は美しく、その肌は透き通った色をしているが、しかしそこには生活をしてきた痕跡がある。風にさらされたり、家事をしたり、笑い合ったりという行為があったことを、その肌が美しいままに物語っている。

 そうしたものが、サムにはない。

 触れて、んでみたサムの肌は、まるで昨日生まれた子供のようだった。

…………。あぁ、あの失礼な発言はそういうことだったんですね」

 ルーミーが口をとがらせていて、シーモアは首を振ってみせる。

「それで、サム。君はパパとママは最初からわかってたっていったんだっけ?」

「うん。近くにママがいることにはすぐ気がついたから、ママに会いにいったの。しばらくはママといたんだけどママがちょっとてにあまるからパパのところに行けって」

「ママのところにいた時から、あの能力…………能力? は発動していたんだ」

「うん。怖い人たちにも追われたりしたよ!」

 マフィアがサムを狙っていることが確定したのも記憶にとどめておく。

「能力について隠してたのはママの指示ってことでいいのかな?」

 ところで、シーモアが『ママ』というたびにルーミーの視線が険しくなっていく。他に呼び名がないので許して欲しい。

「うん! その方がパパはきっと助けてくれるからって!」

 話を聞けば聞くほどいい性格をしている母親のようである。

 そして気にはなりつつ問いかけることを避けていた、一番重要な質問をシーモアはようやく口にした。

「それで、結局君のママの名前は?」

「名前はサムも知らない! でも、なんて呼ばれてたかは知ってるよ!」

 サムは笑顔でいった。

 改めて考えてみれば、その緑に輝く瞳には見覚えがあってもよかったのだ。

「『死神』だってさ!」

 直後、ルーミーの身体からだが夕闇を迎えた空へと飛び上がった。


 着地。

 同時にルーミーは叫ぶ。

「『死神』!」

 街外れに存在するはいきよでのことだ。血の臭いを頼りに逃亡犯である死神の位置を特定し、空と水道管を利用して飛んできたのである。

 ルーミーの着地の勢いによって尻餅をついていた死神…………『ボーデン家の死神』と呼ばれる連続殺人犯の少女は、緑色の目を細め、へらりと口元を緩めた。ルーミーがどのような用件によってこの剣幕で飛び込んできたのか、彼女は正しく理解しているらしい。

「あ、バレた?」

 立体的に伸び上がった影が死神のことを吹き飛ばした。

「ぐわぁああああああっ!?

 死神がはいきよの床を転がっていくが、見た目ほどのダメージはないだろう。

 同じくはいきよで寝起きしていた少女──エマ・コスナーがこちらへと近寄ってくる。

「お久しぶりです、ルーミーさん」

 その顔は相変わらず内気で、いつも何かにおびえているように見える。が、それでも前に見た時よりは健康的な血色で、ルーミーにも落ち着いて挨拶をしてくれるようになった。

 はいきよと路上を行き来する暮らしが一般的な幸せかどうかはわからないが、彼女にとってそれが適した生活であるのは間違いないようだ。

「久しぶりですね。ちゃんとご飯は食べれてますか?」

「はい。その、ちゃんとかはわかりませんがたくさん食べてます」

「ならよかった………………けど、ちなみにその、収入源は?」

「死神さんが持ってくるんですが…………

 ちらりと二人で視線を向ける。

 床であぐらをかいた死神は締まりのない笑顔を浮かべていた。これは追及すべきではないだろう。少なくともエマの前では。

「それで、君がここにきたってことは、そういうことだよね。サムに会った?」

…………はい」

「よかった。ちょっと前に急にぼくのところにきて、ぼくのことをママだって呼ぶからしばらく一緒にいたんだけど、色々限界があってね。ぼくの力じゃ抱えきれなくなったんだよ」

 そういう死神の表情は、珍しく弱気さがにじんでいた。

「君も見たでしょ。あの子が何かを出すところ。多分あれ目当てなんだろうけど、マフィアが追ってきちゃって。あの子がシーモアのことを『パパ』だっていってたから、任せちゃった」

「任せちゃったって…………相変わらずですね、そういうところは」

「だってぼく、住所不定無職だよ? しかもサム以前に一人の子持ち!」

 死神の手がエマの首に回され、エマがくすぐったそうにほほむ。

「これ以上はぼくには無理だから、転がり込んできた女の子を拾うプロであるシーモアに任せるしかないよね」

 恋人に大変不名誉な称号が与えられていたが、ルーミーは特に否定せずにうなずいた。

 それよりも彼女の頭の中にあったのは、マフィアがサムを、あるいはサムの能力を狙って動き出しているという点だった。怪物という存在が世界に知られていき、世界もまた怪物を前提として回り始めていることを感じる。

 そうでなければマフィアが『何かを生み出せる少女』なんてファンタジーを捕らえるために、街中で銃を持ち出すはずもない。

「とりあえずサムに関して知っていることはそれで全てですか?」

「君が聞きたいのは、サムの正体についてだろ? 残念ながらぼくも知らない。ある日突然やってきた子という以上の情報はないよ」

 うそはない、とルーミーは読み取る。

 そもそもとしてこの段階で死神がうそを吐く動機が見当たらない。無論、何か隠された事情で死神がこちらを欺いている可能性はつきまとうが、それはいささか以上に警戒しすぎだろう。

「何の手がかりもなしですか。どんな怪物だとか」

「知らないなぁ」

「それか、その…………

 ルーミーは小さく唾をんだ。

…………本当にシーモアさんとの子供だとか」

…………は?」

 シーモア・ロードと死神は、過去に会ったことがあるはずだ。

 それがどんなかいこうだったのかは知らないが、少なくとも死神はそのことを記憶していると聞いた。どこかで接点があり、それに死神は執着していた。

 そして、一度会ったというのはシーモアにとっては一夜をともに過ごすのに十分過ぎるくらいの接点だろう。

 そんな考えが顔から伝わったのか、しばらくぽかりと口を開けていた死神は、やがて腹を抱えて笑い出した。

「あははは! こっちからお断りだよぉ、あんなの!」

「あんなのとは何ですか」

「ルーミー、嫉妬をぶつけるならシーモア相手にしてよ。ぼくを笑い殺す気?」

 目の端に浮かんだ涙を拭って、それでも堪えきれないように死神はひいひいと声を漏らす。ルーミーは少し唇を突き出した。ゆうであることも、嫉妬であることもわかってはいるのだ。それでも口を突いてしまったというだけで。

 ともかく、頭の中で整理をする。

 サムは少し前に誕生した怪物。これは確実。そしてその段階でシーモアと死神のことを両親だと認識していた。そして死神の下から、彼女の指示によって送られてきた。

 事情さえわかってしまえば単純な話だ。依然としてサムの正体について何もつかめていないという点について除けば。

「で、最後の質問なんですが」

「うんうん。何かな」

「そういった事情を隠すようにサムに指示をしたのはどうしてですか?」

 死神は手を打った。

「その方が面白そうだったし」

 もう一度伸び上がった影が死神を吹き飛ばした。

「ぐわぁああああああっ!?

「そんなことだろうとは思いましたが、無駄に混乱させてくれましたね…………

「いやいや。最初から事情がわかっていても、わかっていなくても、結局起きたことにはほとんど変わりなかったじゃん、多分」

 それはそうではある。仮にここまでの事情が明らかになっていたとしても、シーモアはサムを保護していただろうし、今日に至るまでの流れはほぼ同じになっていただろう。

「まぁ、ですがそれはあなたの悪趣味を許容する理由にはなりませんよね」

「ド正論やめて欲しいなぁ…………

 後は死神と会う時にはいつもしていることだけをした。

 つまり家から持ち出したいくつかの生活物資を彼女たちに渡してやり、代わりに最近のストリート事情の変化を聞いたり、変わったことが起きていないか調査したりだ。仕事と車を通じて街を眺めるシーモアとは全く異なる視座にいる彼女たちからは、シーモアが捉える街とは全く違う様相が語られる。

 そうして知ることの一つ一つがいつかどこかで彼の役に立てばいい、だなんて願いをルーミーは抱いていた。

 しばらくの時間を過ごしてから、ルーミーは膝のつちぼこりを払う。

「それじゃあ、私は今日はこれで失礼しますね」

「次はもっとご飯がたくさん欲しいなぁ」

「る、ルーミーさん、また来てくださいね…………!

 けなげなことをいってくれるエマに手を振って、ルーミーは家の方角をる。

──────

 かすかな空気の流れが生まれたのはその瞬間だった。

 とはいえそれは珍しいことではない。ルーミーは落ち着き払って背後を振り返る。その瞳に映るのはナイフを構えてこちらへと飛び込んでくる死神の姿。

 生まれついてのさつりく者と生まれついての怪物のちょっとしたじゃれ合い。

 超常の力によって加速したナイフは、人間には不可能な速度と鋭さでもってルーミーの首を両断することだろう。そう予想して服の襟が切断されないように少しだけルーミーは立ち位置を調整し、

「あれっ?」

──────?

 首をかしげた。

 死神の振るったナイフがルーミーの首を両断することなく、その表面でぴたりと止まったからだ。皮膚の一枚を裂くことすらできず、死神の身体からだもまた不自然に静止する。

 いつもならば今頃首が吹っ飛んでいたはずなのに。

「どうかしたんですか?」

 と問いかけながらも、その事態が死神にとってすら予想外なのは、見開かれた彼女の目が証明していた。

 彼女は自分の手とナイフ、そしてルーミーの顔を眺め、数秒黙り込む。

 それから彼女はひょいと服の内側にナイフをしまった。抜き身のそれは危ないことこの上ないが、きっとその刃物が死神を傷つけるようなことは決して起きないのだろう。

…………。いや、なんでもない。ちょっと今日は調子が変みたいだ」

「そう、ですか? いやまぁ、聞いて欲しくないなら説明は求めませんが」

「どうだろうなぁ。じゃ、またいつかね」

 ぎこちなく手を振った死神にもう一度首をかしげてから、ルーミーは今聞いたことを説明するべく家へ向けて飛び立った。


………………あれはまずいのかなぁ」

 ルーミーが飛び立って少しした後、はいきよの床にべたりと寝転んだ死神はつぶやいた。

「そうなんですか? これどうぞ」

 もらった生活物資を丁寧に分類し、リュックサックに詰めていたエマが首をかしげる。両手に持った果物を片方こちらへと渡してくる。

 腐りやすいから今日のうちに食べてしまおうというのだろう。

 そうしたことを最近、エマは自分で判断するようになった。以前ならば求められるまで何一つとして決めず、フォークの持ち方一つですら死神の目をうかがっていたような少女が、だ。

「ありがとね」

 服の裾で拭ってから、てのひらサイズのリンゴにかじりつく。

 そうしたさいな変化や成長。それに気づけるようになった自分。そうしたものでやはり今、自分は手一杯なのだと実感する。何年も車のみを頼りにして街をさまよっていたシーモア・ロードも大概だが、こちらだって人間初心者なのだ。

 サムを押しつけることくらいは許して欲しい。

「んー、なんていうかなぁ」

 いいながら死神は思い返す。

 ルーミーの肌の表面で止まったナイフの切っ先を。

「世界っていうのは押し合いで…………いや、いいや。めんどくさい」

「ええ…………大丈夫ですか? 調子が悪いとか?」

「そんなことないよ。調子が悪いとしたらぼくじゃなくて、あの子のほうさ」

『ボーデン家の死神』は世界を塗り替える。

 人間を殺すという行為に限り、彼女は世界に対して望む結果を押しつけることができる。相手が人間でさえあれば銃を持っていようと爆弾を持っていようとボクシングのチャンピオンであろうと、徒手空拳の死神に絶対に殺される。そうした優先権が彼女にはある。

 そしてルーミー・スパイクはちょっとした例外だ。

 意味がなく、価値がない類いの例外。大抵の場合において、死神はルーミーの首をはねることができた。本来死神の能力の適用範囲外である吸血鬼でありながら、ルーミーにおいては絶対に殺すことができていた。何度となくナイフで首を飛ばした。

 だが、今日、それができなかった。

「うーん…………

 そのことの意味を死神は理解している。

「それに、多分、いいとか悪いとかの話でもないんだろうね。変わった。うん。変わったというだけの話だよ。調子の話ではあるんだろうけど」

……………………?

 リンゴを丁寧に切ろうとしているエマが首をかしげていたが、死神はそれ以上の説明はしなかった。どちらにせよ、死神とエマには関係のない話である。

 そのうち、シーモアにでも会ったら話してあげた方がいいのかも知れない。

 そうとだけ思って、彼女は彼女なりの日常とそれに伴う悩み事へと思考を戻していった。



「わかってきたような、わからなくなったような」

 シーモアはガレージの床にあぐらをかいてそういった。

 彼の前にはいくつかの脈絡がないものが並べられている。サムの能力が発覚して以来、数日をかけて彼女の能力で作り出された物品たちである。

「パパ、眉間にしわー。顔怖いよー?」

「ん。あぁ、ごめんね。別に考え込んでいただけだよ」

 あぐらの中にすっぽり収まったサムが手を伸ばしてくるので、意図して笑顔を浮かべる。

 彼の前にあるのはチョコレートキャンディー、新鮮なトマト、切り詰められた古い鉄パイプ、二キロぴったりのニッケル合金、何枚かの子供服、吸いさしの煙草たばこなどだ。どれが誰の願いかはさておいて、サムのそばでそれぞれ願いを思い浮かべたところ、こうしたものが突如として現れた。

 その過程で大まかにサムの能力についてもわかってきた。

 彼女は周囲の誰かが願ったものをこの世界に生み出す。それは幻影などではなく、実際に存在するものとしてである。

 また、それはどこかから超自然の力によって運ばれてきたものではない。

 少なくとも、とシーモアは手の中で半ばまで燃えた煙草を見つめる。それは『推磨トウイ・モ』という世間にほとんど出回っていないものだ。シーモアが想像した通りの燃え尽き方でその煙草が現れた以上、「世界のどこかでこのマイナーな煙草がシーモアの望んだのと同じ具合で吸われていた」というよりは「燃え尽きた形で煙草がたった今作り出された」とする方が自然である。

『誰か』という条件もかなり広いようで、人間であるか怪物であるかを問わず、シーモアたちの誰もがサムに願ってものを作り出すことができた。

 多分、距離的に近接していれば誰であっても彼女の能力を利用することができるのだろう。

 ものを生み出す際の大きさや頻度には制限があることもつかめてきた。少なくともサムが「今は無理そう」といった時にはものが出てくることはなかったし、大きすぎるものについては「多分無理」と語っていた。実際、シーモアがエセックスを願った際には車が出てくることは決してなかった。

 そして、もう一点。

………………やっぱり問題は、これだよなぁ」

 シーモアは並べられていたうちの一つ、金属部品を手に取る。

 それはハブベアリングと呼ばれる車の部品である。エンジンが生み出した動力のベクトルなどを変更し、その際の摩擦によるロスを軽減するためのものだ。複数方向の軸とベアリングという球体をはめた軸受けによって構成されている。

 それは、シーモアが願って生み出したものである。

 しかしシーモアはハブベアリングの正確な寸法を知らない。

 車に使用される部品は、当然産業的な規格にのつとって作られている。シーモアもいくつかの型番くらいは知っているが、しかしそれらの細かなパーツのそれぞれがどういった大きさ、どういった角度、どういった素材の組み合わせによるものかまでの知識はない。サムたちが知っているということもあり得ないだろう。

 だが、このハブベアリングを車に取り付けてみたところ、完璧に機能した。とりあえず、少なくとも、簡単に動かせる範囲では。

………………

 それが何であれ、それがどんなものであるか理解していなくても、生み出せる能力。

 マフィアが追いかけるはずである。その能力が大きさや頻度によって制限を受けるとしても、悪用する方法が無限に思い浮かんでくる。

 というか、シーモアですら積極的に使いたい気分になってくる。

………………

「はい、悪巧みはすみましたか」

 びしりと額をはじかれる。

 ルーミーが腰に手を当てながらこちらを見下ろしていた。その髪の毛が自在に動いて、三人分のココアを運んでくる。

「そろそろ悪いことではなくて、パパとしてやるべきことを考える時間ですよ」

…………そうだね」

 額を擦った。

 仕事でニベルコルやリンに頼っている立場でいえることでもないが、サムはまだ子供だ。しかもあの二人と違って、まだ自分の価値や意味をきちんと理解してもいない。

 シーモアが考えるべきなのは──パパであるとかどうこうはさておいても──彼女がその力をきちんと自覚し、自分でその価値を決められるまで守ることである。間違ってもマフィアと同じ側に回るようなことではない。

 というようなやりとりを言外で済ませてしまうから、膝の上でサムが猫のようにその毛を逆立たせることになってしまうのだろう。

「あ、今パパのこと殴った! さいてーだ、さいてー!」

「知らないんですか、シーモアさんはたたかれると喜ぶんですよ」

「え、そうなの!? パパ、サムがたくさんたたいてあげるね!」

「ははは。顎はやめて。やめてください」

 小さな拳を顎にくらいながら、シーモアは考える。

 とりあえず数日をかけてみはしたが、やはりサムの調査には自分たちでは限界がある。彼女がどういった怪異であるかすらこの調子ではいつまでも特定できないだろう。

 となれば、後の手がかりはもう一つ。

 マフィアはどこでサムを知ったか、だ。

 死神とて彼女の力を見せびらかすようなことはしなかっただろう。となれば誰かがサムのことを調べ上げ、その能力をマフィアたちに流したのだ。そこにどんなメリットが存在しているのかはわからないが。

 危険ではあるが、調べようと思えばその辺りにしか手がかりが──

「とあーっ!」

「ぐあーっ!?

 途中から楽しくなってしまったらしいサムの拳がクリーンヒットし、シーモアはひっくり返った。



 翌日、シーモアとリンの姿はホリデイの席にあった。

 シーモアが座っても足が浮くような椅子でも、リンはきちんと座ることができる。その長身は店内でもひときわ目立っていて、リンの居心地はよくなさそうだった。

 しけたパンとしなびたレタス、紙よりも薄いハムといったサンドイッチをかじるシーモアに対して、店員があきれたように眉を持ち上げてみせた。

「お前な、そろそろ出禁にしちまうぞ」

「いやぁ、多分今は無害なんで許してくださいよ」

 そういったのは、背後から視線をひしひしと感じているせいだった。

 明らかに誰かがシーモアのことを監視している。

 はっきりいってしまえばマフィアが。

 サムのことを狙っている組織だろう。あるいは、組織たちといった方が正確に違いない。

 最初の日以来マフィアによる表だった襲撃は起きていなかった。それは恐らく襲撃者側もルーミー・スパイクという脅威を認識しているからであり、また複数の組織が同時にサムを狙うことによって、かえって彼ら同士でこうちやく状態に陥っていると予想できるからだ。

 当然ながら、こちらに監視はついているが。

「それよりも」

 がたんと椅子を一度鳴らす。

「前にいったもの、調べてもらえました?」

「あーん? そりゃいわれりゃ調べるけどよ。いくらなんだって無理があんだろ」

 店員があきれたように肩をすくめた。

「会社を立ち上げたとはいえ怪しげな仕事をしている男。結婚していない恋人。素性不明の子供二人に、最近もう一人増えたんだっけ? そんなやつらを入居させたがる大家がどこにいるってんだ。しかも家賃安めとか無理無理。諦めろ」

「あー、やっぱりそうなりますよね」

 以前からガレージであの人数が生活することには限界を感じていたのだ。そろそろ新しい家を見つけられればと思ったのだが、当然ながらそれは難航していた。

 社会的な信用が足りていなさすぎる。

「というかほら、あれだ。いつもの情報屋に頼みゃいいだろうが」

「勘弁してくださいよ。あの子のことは信用していますけど、信用しているからこそ絶対にあの子の用意した家には住みたくないです」

「それもわかるが…………なら神様にでも祈るんだな。よっぽどの幸運がありゃ、一つか二つくらい物件が見つかることもあんだろうよ」

 一応準備した、と不動産屋からもらってきたらしいチラシの束を投げ渡される。何枚かをめくってみるが、やはり条件に合うような家は見つからない。

「うー…………?

「ん? あぁ、気にしないでよ」

 気遣わしげな顔でリンがのぞき込んでくるものだから、シーモアはその額を軽く押した。

「そもそも君といる時にこの話をしたのは、君がある意味じゃ一番大人だからだよ。だからこれが君たちが悪いわけでもないし、君たちが気に病む必要がないことはわかるよね?」

 これがニベルコルやサムではそうはいかなかっただろう。あるいはもしかすると、ルーミーでさえ。

 彼女たちがやってきたことでシーモアには苦労が増え、実際こうして家を探すのに苦心していたりはする。しかしそれはシーモアが自分で抱え込んだことであり、折り合いをつけるのはシーモア自身の問題だ。

 そうしたあんばいがあの家で一番伝わるくらいに大人なのは、きっとこのリンである。

 リンは数度まばたきをしてから力強くうなずいた。

「う!」

「しばらくは狭い家で我慢するしかないかな。幸運を期待しようにも、日頃の行いにも自信がないし…………

「苦行を行うとヴアチユーが高まるってうわさだぜ。そこでどうだ。コーヒーをもう一杯」

「君、今自分の店の売り物を苦行扱いしました?」

しいコーヒーをれてみたいが、本格的な道具も豆も高いんだよなぁ」

 確認も取らずに押し出されたたっぷりのコーヒーを、願掛けのつもりで一息に。むせかえるほどのほこりっぽさと苦さ。泥水をすすった気分で舌を突き出す。

 それから隣をちらりと見た。

「うー」

「ん。終わったか。じゃ、そろそろおいとましようかな」

 リンにうなずき返されて、シーモアは席を立った。ポケットから出した小銭をカウンターに置き、今日もクロスワードに励んでいるマデラに軽く手を振る。

 景気を問いかけることはしなかった。

 もう景気なんてずっと悪いのだから。

 エセックスの中へ。周囲の監視の目を刺激しないようにそろそろとアクセルを踏み込み、加速。十分に追っ手との距離を離してから問いかける。

「で、どうだった? 取れた?」

「うー!」

 元気のいい返事。

 リンがそのつなぎのポケットをひっくり返すと、その内側からは大量の財布があふした。もちろんそれは彼女が持っているものではない。

 あるはずのものがなくなったり、そんなさいなイタズラは妖精の専売特許だ。

「監視連中の財布を取ってみる。なんて思いつきだったけど、意外とうまくいくもんだな」

 シーモアが出歩けば勝手に監視がやってくる。彼らも銃くらいは備えているだろうが、しかし人の目に止まらない小さな隣人は警戒できなかったらしい。

 財布をあさったリンが中身を──金目当てではないため紙幣は脇に置いて──見せてくる。

「うー」

「傷がデザインに入ってるってことはブラッド・ファミリーかな」

「うー」

「大陸系の意匠……三合会の系列だとは思うけど」

「うー」

「うわ。カッサダガ・ファミリー。その悪趣味なぴかぴかした革は間違いない」

「うー」

「えーと、最近しんこうした宗教の…………名前何だっけな」

「うー」

「それは確かダ・カドーレのところのさん…………待って。マジでこんなにいたの? 僕たちもしかしてこの街のヤバい組織の名鑑とか作ろうとしてる?」

「うあー!」

 まだまだあるとでもいいたげに財布をさらに見せられて、シーモアは本気のいきをこぼした。思った以上にマフィアたちの勢力が多かった。

 いや、それも当然か。

 怪物に対してすっかり慣れてしまったシーモアと違い、マフィアたちがその力を認知したのはつい最近のことだろう。そして彼らの本質的な敵というのは同じマフィアたちだ。

 超常の力への理解を深めれば、それはそのまま周囲のマフィアへのアドバンテージにつながる。それはもう全力でサムを追いかけるというものだった。

…………まぁ、後でサムには一応確認しておくかな」

「うー?」

「あの子はこの街のマフィアの勢力図を一変させられる可能性があるし、一応あの子もそれを認識していてもいいっていうだけ」

「うぅー…………

 不満げにうなったリンの頰を、ハンドルから外した片手でつまむ。

「もちろんそんな風にあの子に自由を投げつけるつもりはないから」

 そんな力も決断も、子供の身には余るものだ。

 そうしたものを遠ざけてやるのも、自分の役割の一つだろう。そう思ってから苦笑する。すっかり父親気取りが板についてきてしまっている。

「しかし、そうなると困ったな…………

 思った以上に統一性が感じられない。マフィアというのはそれぞれに関係性があって、生まれや縄張りごとに系統が存在している。

 ならば追っ手となるマフィアの流れを調べればマフィアにサムの情報を流した人物が、あるいはそのヒントがわかるのではと思ったのだが、

「手当たり次第って感じだ。数が多すぎるせいでかえって何のヒントにもならないな」

 サムの情報を流している誰かはよほど例外的な立場の人間らしい。全てのマフィアに対して接することができる人間なんてこの街にだってほぼ存在しない。

 運び屋として基本的に中立を決め込んでいるシーモアですら、いくつかのマフィアの縄張りには決して入ろうとしないくらいだ。単純な利害関係でも、複雑な敵対関係でも、マフィアというシステムに対して特異なスタンスを持っている誰か。

「うわー、仮にいたとしても知り合いたくねぇ…………

「うー」

『これこれ』『返す返す?』『もらっちゃう?』『ちゃうちゃう?』『ごはん!』『おかし!』

 車内の影からかすかな声が響く。

 それは見えない隣人たちの声だ。

「はいはい。ダメですよ。返しますからね」

 調査に必要だったとはいえ、リンに財布を取らせるのは割と危ない橋ではあった。サムと同様に彼女もマフィアによって目をつけられる可能性が生じる。

 なのでシーモアは手を打って、どうにか小さな怪物たちに財布を返しにいってくれるよう交渉を始めたのだった。



「やっと寝てくれました…………

 ぐったりとした様子でルーミーがロフトから降りてくる。

 夜も半ばを過ぎて子供組は寝る時間帯であり、今はロフトのベッドに器用に三人で転がっているはずだ。ニベルコルもリンも自分のペースで勝手に暮らしてくれているが、サムばかりは毎晩寝る前にひともんちやくがある。

 さみしいからそばに誰かいて欲しいとか、何か読み聞かせして欲しいとか、そういった類いのほほましいささやかな騒動だが。

「お疲れ様、お母さん」

 からかうようにそういっていると、とんでもなく鋭い視線が飛んできた。

「私はママではないですよ。シーモアさんはパパみたいですが」

「すみませんでした」

 まだそうした冗談をいえるほど許されてはいなかった。

 平身低頭するシーモアに苦笑して、ルーミーが家に転がっているラジオへと手を伸ばす。聞こえるか聞こえないのかの音量でつけられたのはどうやら天気予報のようだった。

「こっちきてください」

 手招きをされて近づくと、ぐいと床に引っ張られる。そろって床に寝転んで、しかしそれ以上何をするでもなくルーミーはぼうっと天井を眺めていた。

 しばらくその隣で彼女の体温を感じながら過ごして、それからシーモアは口を開いた。

「ルーミー、何もしないの?」

「シーモアさんは何かしたいんですか?」

「今日はようやくちょっと暇ができたし」

 というか打つ手がなくて数日を曖昧に過ごしてしまっただけだけれど。

 マフィアたちからも辿たどれず、サム自身の調査も進展しづらい状況では、こちらから取れる手段が少なすぎる。

「どっか遊びに行ったりする?」

「このままでいいです」

 ルーミーがすっぱりいうものだから、まだ怒っているのかと思わず心配する。

 しかしその顔を見てみれば彼女の顔は不思議な充足感に満ちていて、どうやら自分への当てつけとしてこうして寝転がっているわけではないらしい。

………………楽しい?」

「はい。私はこういう時間、好きですよ。シーモアさんは苦手ですか?」

「得意だし好きだけど、昔はよくこうしていたものだけど、だからその分最近はこういう時間はちょっと苦手になったかもなぁ」

 過ぎ去った時間に値段をつけて、もうけられたはずの金額に換算するのは商人の悪癖だと思っていた。が、資本主義も全盛のこの時代では生きている人間全員が商人みたいなものだ。

 意図してそうなろうとしているシーモアもまた、その主義からは逃れられない。

「まぁ、でも私はこうしていたいので、慣れてください」

「ルーミーがこういうダラダラした時間が好きだとは意外だったけど」

「だって、これ、すごくぜいたくじゃないですか」

ぜいたく?」

「限られた時間しかないのに、それを何もせずに浪費するなんて」

 その言葉の冷たさに身体からだがぎくりとした。

 冷たくあろうとして冷たい言葉ではない。限りなく離れていて、限りなく遠くて、限りなく希釈された結果として生まれる冷たさ。それはまるで宇宙空間みたいな、どうしようもなく温度のない声音だった。

「人間の人生なんて短いのに、その僅かな時間のうちのいくらかを、私のためだけに使わせるなんて、とても素敵でぜいたくですよ」

…………吸血鬼にぜいたくだと思ってもらえるなんて光栄だよ」

「すごく短い、誤差みたいな人生なのに」

「待って、今人間の一生のことを『誤差』って表現した?」

 本来寿命と呼べるようなものがないらしい吸血鬼からすれば、それはもう短いのかも知れないけれど。誤差と呼んで差し支えない短さなのかも知れないけれど。

 視点の長さが違いすぎて笑うしかない。

 そして同時に別の笑いも浮かんだ。喉の鳴るリズムに合わせて、シーモアの胸の内で心臓が鼓動する。

 吸血鬼の心臓が。

 それはルーミーと交わした約束のあかしだ。

「その誤差にほだされて、一緒に死ぬつもりのくせに」

 シーモアを愛して、シーモアが生きている限りは生きると決めた吸血鬼が、そのことがうれしくて仕方がないというようにくすくすと笑う。

「ええ、本当に。生きていくのって不思議ですね」

 そうした横顔を眺めているとルーミーの気分も少しくらいは、誤差くらいにはわかるような気がした。なるほど、これはぜいたくだ。

 いっそこのままダラダラと日々が続いていけばいいのに。

 そんな風に素直に思う。せわしないし、胃を痛めることもあるし、様々なことに追われてばかりの毎日だが、そんな毎日が悪くない。素直にそう感じるのだ。

「そうもいかないと思いますけどね」

 考えを読んだようにルーミーがぽつりといった。

「犬に命じられるのは『待て』と『お座り』だけで、『諦めろ』はできないんですよ」

「そのうち、まぁ、限界がくるよなぁ」

 昨日ではなかったし、今日ではなかった。

 しかしそこに明日ではない保証はない。

 マフィア同士がにらみ合っていて、永遠に何も起こらないなんてことはあり得ないのだ。いつかはどこかで火花が散り、全体へと引火する。その日は必ずくる。

「ま、いつかはくるので、今日はダラダラしましょう」

「ルーミーも人間ってものがわかってきたねぇ」



 その日がきた、と思ったことに明確な理由はなかった。

 例えば監視についているどこかのマフィアたちが肩をぶつけ合っているのを見たことだとか。例えば朝刊の一面に株価の下落が報じられていたことだとか。例えば街に出た時に少し普段よりも風にほこりの臭いが混じっていたりだとか。

 そうしたことが積み重なって、太陽が地平線に隠される頃にはシーモアは今日がまさにその日であることを確信していた。

「というわけで、いってきます。サム、ついてきて」

「パパ…………?

「ドライブだよ。ちょっとばかり手荒い感じになるけど」

 ガレージの扉を開いていると、ルーミーが手袋を持ってきてくれる。片手ずつそれらをはめて、一度手をきつく握ってから開いた。

「じゃ、ルーミーたちは留守番で。ニベルコル、リン。いい子にするんだよ」

「あたしまで子供にでもしたつもりなの、パパ?」

「うー!」

 リンは聞き分けがいいなぁ、と軽く首を振った。

 ガレージに置いていく組については心配をしないことにした。マフィアたちは吸血鬼という脅威をかなり重く見ていることが今日までのこうちやく期間の長さからわかる。シーモアがサムを連れて出ればここが狙われる可能性はほぼないだろう。

 むしろこれから心配すべきなのは、自分の方だ。

「さて、じゃあ、頑張りますかぁ」

 エセックスに乗り込み、扉を閉める。後ろに座ったサムにはあらかじめ頭を下げさせておいた。座席で亀のように丸まるサムの姿に苦笑。

 既にその日はきてしまった。

 間違いなくマフィアの忍耐力は限界に達しており、今にもこの家に突っ込んできかねない。となれば必要なのは息抜きであり、ガス抜きである。一度実際に騒動を起こして血の気の多い連中を引っ張り出し、その上で再度こうちやく状態へと持ち込む。

 騒動を起こすまでは極めて簡単で、どうやって終わらせればいいのかは曖昧だ。後は実際の流れの中で考えていくしかないが、まぁ、それはいつものことだろう。

「そぉ、れ!」

 景気づけに声を上げながら、シーモアはアクセルを踏み込んだ。

 ガレージを飛び出した瞬間、複数のヘッドライトの光が目を貫いた。ガレージの前の道路に既に複数の車が詰めており、にらみ合いが発生していたのだろう。その全員がエセックスを見、そしてそこに乗っているシーモアとサムを見た。

 一斉に殺気立つ彼らの気配を感じる。

 エセックスのテールライトが暗闇を切り裂いて走り出した時、その背後に全員が続いたのも当然のことだった。

「パパ、パパ! すっごいきてる!」

「了解! ご機嫌だなぁ、もう!」

 後方から追ってくる大量の車は一旦無視。どうせすぐには追いつかれない。通りを挟んだ向こう側などでもエンジンのとどろきが響いてくるが、それについても無視。この後の数秒間で問題になる相手ではない。

 即座の問題は、道路の向こう側。

 こちらへと突っ込んでくる大量の車である。

「いやいや、楽しくなっちゃうぞ、こんなの!」

 冷や汗を舌先でめ取る。

 車種とエンジンのうなりを聞き分け、車ごとの速度差からこちらへと到達するタイミングを切り分ける。脳内に描かれる数秒後の未来、その車列の隙間を縫うようにして細かくハンドルを切る。

 奇跡のようなルートを辿たどった一秒後、壮大なクラッシュ音が響いた。

 後ろから追ってくる車と、前から突っ込んできた車の一部が思い切りぶつかったのである。暗闇を炎と悲鳴が引き裂く。

「パパ、すごーい! かっこいい!」

「いいぞー、サム。その感じで褒めてくれ。褒めてくれないと心折れそう」

 数台の車が壊れたというのに、追っ手の数は一向に減った気がしなかった。シーモアは泣きたい気持ちで笑いながら周囲へと視線を走らせる。

 とりあえずこれで、話を大きくするという最低限の目標は達した。

 明日の朝刊にこの騒動が載ることは間違いがない。マフィアたちがいかにサムを重視したところで、彼らの振るえる暴力には限度がある。警察の直接的な介入を招くような規模の抗争を、そう簡単に起こしたがるわけがない。

 つまり後は、とシーモアは背後をる。

 そこには依然として追ってくる大量の車。

「あいつらを朝まででも連れ回して痛み分けに持ち込めば────

 直後、爆音が鳴り響いた。

────ぁっ!?

 バックミラーの中で二、三台の車が冗談のように宙を舞う。路上で起きた火災をバックライトにして道路上に姿を現したのは異形の車である。

 恐らく、その車はアルファロメオだろう。公道を日常的に走るためだけにはあまりにも過剰なスペックを機能的なボディへと押し込んだ、真っ赤なスポーツカー。

 だろう、と曖昧になってしまうのは、それ以上に目を引く部分が存在しているせいだ。その特徴的な長いノーズには大量の鉄骨、リベット、スプリングが搭載され、さらに一回りも大きくなった上で凶悪かつ鋭角なシルエットを浮かび上がらせている。

 その新たなパーツが何を目的としているのかは明確だった。

 突っ込んで、吹っ飛ばす。

 その結果もまた、たった今地面へと落ちたところである。追突され、かち上げられた車たちがアスファルトでひしゃげ、爆発する。

「うははは! 馬鹿だ! あれ作ったやつ絶対に馬鹿!」

 シーモアが思わず笑う背後で、その凶悪なノーズを振り回したアルファロメオがさらに周囲の車をクラッシュさせていく。

「うわー、全然趣味じゃないけどアレは一度乗りてー…………!

「パパ、すっごい追ってきてる! 追ってきてる!」

「これは避けきれないやつ! サム、頭押さえて!」

 エセックスとではエンジンの出力が違いすぎる。追突されることは不可避と判断したシーモアは、ハンドルを強く切って直撃されることだけを避けた。

 急速に旋回したエセックスの横っ腹を、馬鹿の質量攻撃が捉える。

「うひゃぁああああっ!?

 サムの悲鳴。

 だが幸いにして浮き上がったのは後輪だけで、先ほどの車のように一撃で破壊されることはなかった。

 回転する車の中で瞬発的に思考を巡らせる。

 このスリップは制御可能だ。だが同時に視界の隅でアルファロメオが旋回している様子も見えている。そのフロントガラス越しに視線がぶつかる。

 アルファロメオの運転手がアクセルを踏んだと見切った瞬間、

──────そこ!」

 シーモアは接地もしていないと理解したまま無理にアクセルを吹かした。

 エセックスのスリップが加速する。同時に横方向へとずれが発生し、アルファロメオが慌てて再度の方向転換をしようとした。

 即座に見切った運転手の腕は見事。

 だが、

「かかったな!」

 改造によって作られた異常な重量のノーズと、二度にわたる無理な方向転換。アルファロメオの後輪が接地を失って滑ったのは当然のことだ。

 泡を食った運転手が体勢を戻そうとしているが、あんな異常な車、そうそう運転には慣れていないらしい。シーモアが悠々と姿勢を取り戻すその視線の先で、もたつくアルファロメオの横っ腹へと別な車が突っ込む。

 この場には大量のマフィアの勢力が入り乱れている。あれだけド派手な破壊を見せれば、他の勢力があれを排除しようというのは想定できてしかるべき事態だっただろう。

 シーモアは今度こそしっかりと後輪を地面にかませ、加速。

 面倒くさいのにからまれてしまったが、どうにか乗り切ることができた。さすがにあんなのが二台も三台もくるとは思えないし、いくらかの敵はあの車が破壊してくれた。

 結果的にはいくらか状況はよくなったといえるだろう。

「サム、無事?」

 後部座席に問いかける。

「サム………………サム!?

 返事がない。

 何か不測の事態でもあったのかと慌てて振り返れば、しかしサムはそこで普通に座っていた。シートに膝をついて後ろをじっと眺めていて、こちらからは背中だけが見える。

「サム、無事なら返事をしてくれ。何かあったかとびっくりしただろ」

 すぐに元気な返事があるものかと思ったが、やはりサムは無言。

 やがて静かな声が届く。

「パパ、何かくる」

「何か?」

「わかんないけど、何か」

 あまり後ろも見ていられないシーモアだったが、背筋に冷たいものは感じた。気配としか呼べない何かが急速に接近してきている。

 サムが叫ぶ。

「パパ!」

 直後、世界に衝撃が走った。


……………………ぐ、ぅ」

 どうやら短い間気絶していたらしい。

 意識の断絶とそれの回復に伴う、現実感の喪失。真っ先に感覚が戻ってきたのは両手であり、触れたハンドルからエセックスが停止していて、まだエンジンがかかっていることがわかる。

 ずきずきと痛む額は多分ハンドルにぶつけたのだろう。

 流れる血を意識しながらどうにか目を開く。

 揺れる視界の中に入ってきたのは、意識を失う前から変わらない通りと、辺りに散らばった車だったらしきものたち。通りでうめき声を上げるマフィアたち。

 そのただ中に立つ、何か。

────────

 理性が悲鳴を上げる。

 そこにいたのは何かとしかいえないような物体だ。かろうじて人のようなたいをしていることはわかるが、同時に無数の黒い触手の塊であることもわかった。おじの走るような粘液をしたたらせる複数の触手が、人めいた形を織り上げている。

 その中央で緑の光がらんらんと輝いていた。

「う、うぉおおおおおおっ!?

 悲鳴を上げて銃を撃ったマフィアの誰かを、シーモアは責めることができない。仮に手の中に銃があったら、シーモアとてそうしていただろう。

 だが複数の銃火がその存在に──とても人とも動物ともつかないそれに何か効果を示したとは思えなかった。意識の端に上ったかどうかも怪しい。ただその存在はぐるりとその身体からだを巡らせて、こちらを見た。

「いや、マフィアを見てくれよ!」

 即座にバックで発車。

 異音を立てながらも幸いにしてエセックスは動いてくれた。周囲の残骸の隙間を縫って走り出し、Uターンと同時に背後へと言葉を投げかける。

「サム!」

「げ、元気!」

「よかった!」

 とはいったもののバックミラーをのぞき込んだことは後悔した。

 背後で増殖してゆく触手が目に入ったからだ。どうやらその存在は逃げようとしたシーモアを追うに当たって、走るとか飛ぶとかではなく、増えるということを選択したらしい。爆発的に伸び、数を増す触手が道路を埋め尽くしていく。

 勘弁してくれ。

 心底そう思った。

 再加速したシーモアの周囲に再び車が集い始めているが、その彼らもシーモアを追っているのか波のごとく押し寄せる触手から逃げ出しているのかわからないありさまである。

「いや、うん。とりあえず…………!

 幸いにして触手が迫ってくる速度はそれほど速いものではない。

 これならばそう時間はかからずに引き離せるか。

 そう考えたシーモアに、しかし声が届く。

「パパ!」

…………めっちゃ聞きたくないけど」

「右!」

 破砕音が鳴り響く。

 最初、シーモアはそれが建物を崩して追ってきた触手のものだと思った。しかしビルの外壁を内側から突き破って現れたそれを見て、すぐに考えを改めた。

 金床を打ち付けるような壮絶なひづめの音が鳴り響く。

 暗闇にそのがんに宿った炎が揺らめく。

 そこにいたのは車すらもしのぐ巨体を誇る、六本足の馬だった。異常に巨大なひづめれきと車とアスファルトをまとめて蹴り砕くその背中に、一つの人影。

 つばの広い帽子をかぶった女が、こちらを見て笑った。

「チャオー」

 絶対にさっきのとは別口のろくでもないやつだ。

 そう判断したシーモアへと馬が駆け寄ってくる。トラックと見まがうようなその巨体。そこから振り下ろされるひづめはほとんど真上から降ってくるみたいだった。

 その威力は、かすめたエセックスの扉が吹き飛んだことからして疑いようもない。

 そしてそれは六本分の足で繰り出されるのだ。

「サム!」

「ま、まだ元気! パパ頑張って!」

「そりゃ頑張るしかないけど!」

 素早くハンドルを切り、あるいは車体ごと馬の足へとぶつかることによって、どうにか安全を保ち続ける。その間にもヘッドライトやサイドミラーなどが馬の足によって蹴り潰され、どんどんとエセックスに軽量化が施されていく。

 後はこの車がどれだけ耐えてくれるか次第だが、厳しいか。

 シーモアの背筋を冷たいものが流れた瞬間、状況はさらなる変化を迎えた。

「パパ、なんかくる! サムは元気!」

 ついに先に自己申告された。

「元気なのはよかったけど………………おぉ!?

 どん、と何かの着地によってエセックスが揺れた。

 強烈な音はその存在の重量と、その存在が四つ足であることを雄弁に語ってくる。

 響き渡った声は人間がまだ野生だった頃おびえていた何かへの本能的な恐怖を呼び起こした。

 その正体は、それが屋根から飛び上がり、馬へとみついたことによってようやく目に入る。鮮烈な赤色の毛並みと、長く伸びた尾。

 人ほどの大きさもある、巨大なコヨーテである。

「ぶわっ!?

 同時、シーモアが悲鳴を漏らす。

 胸元に突っ込んでいた煙草が爆発…………いや、内側から膨張し、はじけたのである。何かと思えば、胸ポケットから大量の葉や根が生えてくるところだった。まるで煙草がかつて大地に根を張っていた頃の自分を思い出したようなありさま

 飛びかかろうとするコヨーテが、空中で撃ち落とされる。何が起きたのかはわからないが、馬の上で手を振った女の仕草に関係があるのだろう。見ようによってはこちらをかばってくれたようにも見える仕草に、すわ味方かとシーモアはからみつく草を片手で引き剝がし、ハンドルを握り直す。

「今のうちに逃げ────

 衝撃が身体からだを貫いた。

 コヨーテが爆発的に叫んだその声が物理的なダメージとなってこちらの身体からだを打ち付けたのである。ごふ、と息を吐き出しながらうめく。

「で、ですよね…………!

 馬に乗った女と巨大なコヨーテは正面衝突の姿勢を隠そうともしない。どころか増殖する触手もまたついにこちらへと迫り、緑色の視線が両者をへいげいする。

「ぱ、パパ、これなんかすごいことに…………!

「静かに、サム…………! 多分今日はハロウィンなんだ」

 口元を押さえ、サムに静かにさせる。

 目の前の三者は明らかに超常に属するものだ。マフィア同士の抗争ならばどうにか痛み分けくらいに落ち着ける自信はあったが、あいつらを相手にどうすればいいのかがわからない。

 じり、と口の中に嫌な味が広がるのを感じる。

 逃げるにしても交渉するにしても、どうやってだろうか。まともな人間の価値観で対話が可能な相手には全く見えない。

 そもそもとしてここから逃げることは可能なのだろうか。

 最悪でもサムだけは…………と考えてから訂正する。最低でも二人で逃げなければならない。シーモアがここで死ぬわけにはいかない。家で待っている人がいるのだ。

 だがどうすれば────

「お困りみたいじゃないか」

 ────車内に、不意に誰かが現れた。

 嘲笑するような声音を聞いた瞬間に、その正体が誰であるかを即座に理解していた。まるで繭のように身体からだを覆う長い髪の毛。顔の半分を覆う重篤な火傷やけど痕。そしてその身体からだから失われた片手と片足。

 いや、失われていたはずの左手と左足。

「やあ、シーモア・ロード。それに、サム。サム・ロードと呼んだ方がうれしいかな?」

 殺人株式会社マーダー・インクの社長クラウディア・ホーロックスが、影のように暗い奇妙な左腕でサムの頭をでる。

 サムがまばたきをして、端的にいった。

「誰!」

「子供のいうことはすごくシンプルでいいね。そうだろう、シーモア・ロード」

「いや、腕、違う、どこから、じゃなくて、えーと」

 クラウディアがくちを曲げた。

「助けは?」

「要ります!」

「じゃあ、はい。こうしてあげよう」

 ぱちんと音を立てて、クラウディアの左手が鳴らされる。

 異変はすぐにわかった。

 世界の音がしんと一段階遠くなり、まるで膜にでも覆われたような感覚があった。

 同時にこちらに向けられる視線や意識が薄れるのを感じる。先ほどまでマフィアたちも怪しげな三者も、思い切り騒動を起こしながらしかしこちらにも気を配っていた。隙を突いてシーモアが逃走することがないよう、視界の端には収めていた。

 だが、それがせたのである。

 こちらへと向けられていた意識が消失する。

 まるで視界の中からシーモアがえ、それに気づいていないかのような反応。いや、ようなではないのだろう。

 世界のテクスチャを書き換えられたという超自然的な実感。

………………あなた、今何をしました?」

「説明を受けたいのなら、やっぱり今逃げるべきだよ」

 シャボン玉めいて感じられるその膜が割れることを恐れ、シーモアはそろりとアクセルを踏み込んだ。


「やあ、お疲れ様。大変な騒ぎだったじゃないか。今日はハロウィンだったかな?」

………………

「その微妙な顔は?」

「いえ、その、なんです」

 ギャグのセンスがこの女と同じレベルかと思うと、少し反省もしたくなるものである。

 ともかくとして後部座席からの指示に従ってシーモアがたどり着いたのは、殺人株式会社マーダー・インクの拠点の一つであるらしい会社のフロアだった。

 殺人株式会社マーダー・インクなんてものがきちんとオフィスを構えていること自体が既にギャグめいているが、一向に使われた形跡のないがらんとしたフロアを眺め回すに、実際にギャグとして準備されている場所なのかも知れない。

 あるいは、こういう時の緊急避難先としてか。

 ぐったりと椅子に座っていたシーモアに、クラウディアが笑いかけてくる。ただ笑っているだけなのにひどく嫌な気持ちにさせられるような、けいれんめいた笑い方だった。

「しかし、シーモア・ロード。君のおかげで街はお祭り騒ぎじゃないか」

…………。仕方がないじゃないですか。僕の、あー、娘を狙って巻き込んできたのは向こうですよ」

「違うよ。君がこの街の全員を巻き込んだんだ、シーモア・ロード」

 すぱりとした言い切りにシーモアは眉を寄せた。

「何です…………?

「この世界の表舞台に立てる怪物は限られていたんだよ。例えばじんろうとか、妖精とか、精々がその程度。あまりにも超常的なものは人々の意識という名のおりはばまれて決して派手には暴れられないようになっていた」

 不意に思い出したのはフランと、彼女の店にみ着いた何者かの姿。

 本来あんなにも気軽に現れるはずではなかった怪物が、あまりにも自然にそこにいる。

…………。人々の意識が変わった?」

「そう。君と君の恋人の大暴れのせいでね。多かれ少なかれ、人々はそうしたものがそこにいることを知った。だから世界が変わったんだ」

 こんな風に。

 そういってクラウディアはその左手をひらりと動かし、左足で地面をたたいた。まるで張り子細工パピエマシエのように中身がない軽い音がする。

 いや、実際にそうなのだろう。

 世界の表面だけがごまかされている。そうした技術を彼女は身につけている。そうした技術で人の目を欺き、シーモアたちもここまで逃げてこられたのだ。

「それに加えて、君の娘だ」

「娘っていっても、仮ですよ」

 サムが何かをはんばくしかけていたが、それは口元を押さえてごまかした。

 今は血縁とか家族についてほのぼのと会話をする時間ではない。

 しかしクラウディアはそういった様子がおかしくて仕方がないというように笑った。ぴしりと真っ暗な指が突きつけられる。

「自分の子供にそういう態度はどうかと思うね」

「いや、その、実際に娘かどうかは議論の余地があるというか…………

「ないよ」

「はい?」

 断定的な口調にまばたきをする。

「そうか。君はまだ事情の把握もできていない段階だったね。君の娘が、君の娘であるということすら認め切れていないのかい?」

「このくらいの娘がいる心当たりは…………ないようなあるような…………

「せめて断言しなよ。でも、その子は君の娘だ。もっというならばシーモア・ロード、君とあの『ボーデン家の死神』の子供だよ」

 今度はシーモアが何かをいおうとする。

 シーモアもあれこれとやった過去はあるが、さすがにあの死神と子供を作ったような覚えはない。大体そういう感じのことを。

 けれどクラウディアの次の言葉の方が早かった。

「心当たりはないのかい? 君とあの女が触れ合った最も大きな存在を」

 クラウディアの瞳がゆがむ。

「正確にはあの女が作って、君が壊した存在を」

──────!

 ひらめきは瞬発的に訪れた。

──────『ボーデン家の死神』!」

 それは人間としてのその名前ではない。

 ボーデンという家に生まれたありふれた少女が、彼女の願いの結実として作り上げようとした怪物の名前だ。ただ人を殺すためだけの、彼女の悪評が現実に姿を取ろうとしたもの。

 シーモアが否定をし、生まれる前に崩れ去ったもの。

「待ってください。あれは僕が否定したはずで────

────したね。『死神』という超越者が大枠を作り、人々の願いが流れ込んで、形になりそうだった物語を君が崩した」

 じゃあ、とクラウディアは指を振る。

「その力はどこにいったのかな?」

………………力?」

「リソースと言い換えてもいい。願われて、実際に形を持ちかけるところまでいった、人々の膨大な願いの熱量。形が崩れたら、それはどうなった?」

 人々は誰もが願いをかなえる力を持っている。

 現実がそれに左右されないのは、誰もが等しい力しか持っていないせいで限りなく均衡が保たれているせいだ。だから多くの人々が同じ方向を向いて、同じ願いを抱くような潮流が生まれると、その力が結実する。

 シーモアはそれが完成を迎える前に砕いて壊した。

 だが、流れた力は?

「あれはなかなかの快挙だったよ、シーモア・ロード。生まれかけた怪物が、しかし生まれる前に否定され尽くしたことなんてぜんだいもんだ。だからあの時、初めて世界に法則が生まれたんだ。あるいは事態への対処が。どうするかが」

「どうなったんです…………?

「その結果がそこにいるじゃないか」

 クラウディアの指がぴたりとサムを指した。

「世界は方向性を失った力を適当な形にして放り出すことにしたらしい。大方、その時に君が何か面倒なことをいったんじゃないか? 『自分でなんとかしろ』とか『自分で頑張れ』とかそういう感じのことを。その『自分』を作ったのさ」

 シーモアの腕の中で、サムがこてんと首をかしげる。

「世界改変のリソースの塊。ラベルを剝がれた物語。あるだけの力という怪物が、それだよ」

 理解する。死神とビルの屋上で相対したあの日、シーモアの目の前で崩れていった影。

 あれが形を変えて、今腕の中にいた。

 彼女が何であるか、類推しようとしても無駄なはずである。

 なぜならば彼女は伝承を奪われたものであり、この世界で初めて生み出された名前のない怪物であり、無色透明なただの力だったのだから。

「え、えぇっと………………

 その事実にどう向かい合えばいいのかわからないまま、とりあえず一番真っ先にわかった明瞭な事実を一つ口にする。

 死神が育み、シーモアが切り離して生まれた。

 つまり、

「サム、君マジで僕の娘じゃないか…………!?

「最初からそういってたよ、パパ!」

 自分の正体について話が行われていたのがわかっていたのかどうか、サムはぷくりと頰を膨らませながらそう抗議してきた。


「さて、まぁ、家族だんらんは後回しにしてもらってだ」

 シーモアがサムの正体をしやくできるまで休憩を設けてから、改めてそう切り出された。

 クラウディアがかかとで床を打つ。

「あの怪物たちがどうしてサム・ロードを狙ったのかも理解ができただろう?」

………………。彼らのパワーリソースだから」

「そう。その通り。その子は現実を変えるという力の塊だ。しかも無加工、産地直送。漏れ出る力だけで周囲の怪物の力は強まるし、願いを注ぎ込めばリソースに応じて現実が変わる。直接的に彼らの栄養源ということもできる」

 くうから生み出された口紅を思い出す。

 あるいは、前回マフィアから逃げた際に車ごと隠した吸血鬼の力も。シーモアの心臓だけでは本来不可能だったはずのあれも、もしかするとサムが近くにいたことでその能力が知らずに後押しされていたのかも知れない。

「その使い道については彼らなりに考えがあるんだろうが、どんな怪物であってもその子は必ず手に入れたいはずさ」

「サム、パパと一緒がいい!」

「君はマフィアではないからね。私はその願いにできる限りの配慮をするつもりだよ」

 ぎゅう、と抱きついてくるサムの頭をシーモアはでる。

 変則的にであれ、この子が生まれてきた原因の一端がシーモアであることはようやくわかった。彼女の存在について、シーモアには責任がある。

「で、結局この後どうするんですか?」

「お、話が早いじゃないか」

「あなたがこうして姿を現した時点で、この後の対処は決まっているんでしょう。僕も現状でそれに逆らう気はありませんし、乗ってあげますよ」

「いいね。話がわかるというのはとてもいいことだ。そしてだからこそ彼らとも話をすべきだと私は思うよ」

「話って、あの、あれとですか…………?

 緑色の目をした触手。

 六本足の馬を駆る女。

 きよを持つコヨーテ。

 華麗なトークを売りにするラジオ番組であっても、あんな連中をゲストに招くことはそうそうないだろう。というか女を除いた二名は言葉が通じるのだろうか。

「対話はできるさ。彼らだって怪物というだけで災害ではない。今日は暴れていたけれど、話し合いで解決できるのならばむやみに暴れたりはしないとも」

「その話し合いの場を持つことがそもそも不可能に思えますけど」

「それは私たちの仕事さ。殺人株式会社マーダー・インクが何をするところか、もう忘れてしまったかな?」

 抗争の調停と収束。

 その応用によって彼らとの対話の場を設けることが可能だというのだろうか。

「設けるさ。あんな抗争が二度も三度も起きては、さすがに街が大変なことになる」

「つまり、その場で僕に頑張れという話ですね」

「頑張らなくてもいいのだけれど。私としてはその子の所在が決まって、抗争が起きなくなればおおよそ解決といえるし」

「させませんよ…………なんてあなたにいっても意味はないですね」

 その通り、とクラウディアが笑う。

「明日には会議の場を設けよう。今日のこの馬鹿騒ぎに参加した全員が一堂に集って話をする場だ。マフィアたちも否とはいうまい。あんな連中がいきなり参戦してきたのでは、彼らも情報が欲しくて仕方ないだろうしね」

「そこで話をして、どうにかすればいいんですね」

 どうにかが何も具体的にはなっていないが、まぁ、車で走り回って謎の怪物三体とマフィアたちを相手取るよりはずっと楽だろう。

「さて、シーモア・ロード。口の回りに自信は?」

「任せてください。高校生の頃は弁論部でした」

「お、君にまさかそんな特技があったとは」

「妹が」

「君の話は聞けば聞くほど、真面目に聞く気がせていくね」


 サムが眠りについてからも、シーモアはオフィスで一人膝を抱えていた。

 否、一人ではない。

 正確にいうならばオフィスには相変わらずクラウディア・ホーロックスがいる。彼女は椅子の一つに座り、片膝を抱えながら、その片手にペンを携えている。

 その彼女に声をかけたのが、眠りをはばむほどの明日への恐怖に耐えかねてだったことは、否定はできない。

「何をしているんですか?」

「わはは。遺書を書いているのさ」

 楽しくもなさそうに笑って、クラウディアはそういう。

………………遺書?」

 一瞬つまらない冗談かと思ったが、クラウディアの顔は真剣そのものだった。

 彼女は一言一句、ただ一つのスペルミスも許さないというような集中力で、目の前の紙に向き合い続けている。

「私たちが明日、一体何の前に身をさらすのか、忘れたわけじゃないだろう。なあ、シーモア・ロード」

 三体の怪物と、マフィアたち。

 それは殺人株式会社マーダー・インクの社長をして、遺書をしたためておかねばと思うほどの脅威なのだろうか。いや、疑問を抱く余地はない。

 つい数時間前に遭遇した、あの怪物たち。あの姿を思い出すだけで、本能的な恐怖が背筋を貫くのだから。

「あれらは古い存在だよ。古くから残るものにはそれだけの理由がある。その力であれ、知恵であれ、特異性であれ。じんを越えているとはまさしく彼らのためにある言葉だ」

「その怪物たちを相手に、明日は弁論大会ですか」

「おや、おびえているのかな。今からでも参加は取り消しておこうかい?」

 最近は、自分の側に誰かがいてくれることに慣れきってしまっていた。

 だからこうして一人で脅威に立ち向かおうとすると、浮かべるべき表情がわからなくなってしまう。シーモアは一度口を開け、閉じ、そしてまた開いた。

「冗談でしょう。あり得ませんよ」

「そんなにも震えているのに、そんなにも意地を張らないと駄目なのかな?」

「ええ、駄目なんです」

 シーモアは膝を強く抱いた。

 そして片手を伸ばして、サムの頭をでた。あるいは頭の中で、今頃寝ているはずのニベルコルとリンを思い浮かべた。

「うちには子どもがいますから」

「それが理由になるのかな?」

「なりますよ。ならなければいけないんです」

 シーモア・ロードが困難に際した時、一番優しく甘いのはニベルコル・バーズアイだ。彼女はシーモアに多くを要求しようとはしない。

 自分たちを助けているだけで十分だ、とニベルコルはよくうそぶいている。

 だが子供がそんな風に愛情や優しさに上限を設けて、さかしらに語らなければいけないことこそ何より彼女を哀れにも見せている。

 またはこうもいえる。

 信じられる何かが、最初から失われているのは何よりの悲劇である。

 たとえ何かを信じることが、それが壊れた時の虚無感をもたらすリスクをはらむとしても。

「誰かが大人になって、誰かが守って、誰かが戦わねばならないなら、それは僕なんですよ」

「柄にもないことをしている自覚はあるのかな?」

「柄になくともやらねばならない時はきます。世界は僕のことを待ってくれないので、せめていま走り出すしかないんです」

 むしろ自分に言い聞かせるようにシーモアがそう語ると、クラウディアは笑った。

「わはは。思ったよりも面白い人間になったね、君は。運送業が駄目になったら、私の会社に入る気はないかな?」

「本気でいってます?」

「本気でいっているけれど、君が私の会社に入るなんていったら幻滅だな」

 難しいことをいう、と苦笑する。

「何にせよ、眠った方がいい。無理ならば目を閉じてじっとしていることだよ。ただでさえ明日はその舌に君たちの、あるいは私たち全員の、もしくはもっと多くの命がかかるんだ。そこに寝不足まで抱え込むのは、推奨できないな」

 シーモアはうめきを同意に代えて、目を閉じた。

 暗闇が彼の意識を捕らえてくれるまでには、ずっと長い時間が必要であった。



 オフィスで一晩を明かし、伸びを一つ。

 床で寝ているのは普段と変わらないのに、普段よりもずっと身体からだが凝り固まって感じられるのはどうしてだろうか。

「パパ、おはよ。大丈夫?」

「もちろん。今日は任せておいてよ」

 具体的な道筋もわからないままで、頼もしい笑顔だけを作ってみせた。

 実際のところ怪物たちが顔をつきあわせて、一体どんな会議が行われるのかなど想像がつくはずもない。ましてそこにはマフィアたちもいるのだ。怪物たちほど超常的ではないかも知れないが、銃と火薬と権力を持つマフィアは紛れもない日常的な脅威である。

「一日でここまで頑張った私のことを褒めてくれてもいいんだよ」

 などというクラウディアを適当に褒めそやしたりもしつつ、指示された場所へと車を走らせる。既に空には月があり、世界は夜を迎えている。街は心なしかいつもよりも静まりかえり、草木すらもが息を潜めているような気がした。

 目的地であるビルの前に立った瞬間、ずくりと心臓がうずいた。

 何か目に見えない力の流れがこのビルを中心にして渦巻いている。人間がいるべき領域ではないという本能が、怪物の心臓を喜ばせている。

 それが錯覚ではないあかしのように、サムがぴたりとその身体からだを寄せてきた。

………………ここ、なんか、怖いのがいる!」

「大丈夫。パパならなんとかできる」

 といっておかないと心が折れそうだった。

 一歩一歩、死へと近づいていくような錯覚をしながらシーモアは歩みを進める。冷や汗がだくだくと噴き出す。

 だが逃げ出すわけにもいかない。

 ここで化け物たちを相手に弁論大会を開き、どうにか優勝しなければ、ろくな未来は訪れないのだ。ひっついてくるこの少女をこの世界に作り出してしまった責任が自分にはある。

 いっそ吐き気すら覚えながらシーモアは目的のフロアの扉を開いて、


「あれ、シーモアさん、思ったよりも早かったですね」


 そこには誰も立っていなかった。

 ただ一人そこにいる、吸血鬼を除いて。

 マフィアたちも、ばくだいな触手の塊も、馬を従えた女もその馬も、輝くような毛並みのコヨーテも、全員がぐったりと床に伏せている。彼らの抵抗の激しさは壁や床に刻み込まれたあらゆる種類の破壊の痕跡によって明確に物語られていたが、しかしそれらのどれもが何一つとして効果を上げなかったのだろう。

 何せ、街中で偶然会ったように照れ笑いをするルーミーには、傷一つなかったのだから。

「ルーミー…………?

「いや、その、本当は先に帰るつもりだったんですけど。ほら、この人たちがシーモアさんを困らせていたみたいなんで」

 ちょっと汚れていたので掃除をした、みたいな口調でルーミーがいう。

「全員、少しだけお話しさせていただきました」

 かべぎわで馬がうめき声を上げ、その瞳を燃やしながら立ち上がろうとする。

 が、その動きは激しくうごめいた霧によってはばまれた。フロアが砕けんばかりの力によって馬がたたせられる。

 その間もルーミーの視線はこちらに向けられたままだ。

 彼らの抵抗は吸血鬼にとっては一瞥の価値もないのだと、言外に語っている。

「やだなぁ。こんなほこりっぽい姿、シーモアさんに見せたくなかったのに」

 あんぐりと口を開けたシーモアは、それにうなずくしかない。

「え、あぁ、そうだね…………

 サムもクラウディアも、この状況に対して何をいうこともできないのだろう。言葉は一つもなかったが、それこそが彼女たちの衝撃の大きさを証明していた。

 もう誰一人として起き上がる気力すら残っていないことを確認してから、ルーミーがぱっと華やいだように笑った。

「これで万事解決ですね、シーモアさん!」