4章 理想の君主
「んぅ……」
浅く沈めていた意識が浮上しました。完全に寝入るとまでいきませんが、緩く
それも隣にアニスがいてくれるからでしょう。彼女が身じろぎした際の声で意識が覚醒してしまいましたが、少しは気が休まったようです。
「……泣かせてしまいましたね」
アニスの目元にまだ涙の痕が残っていることに気付いて、そっと指で拭います。
あの後、二人で泣きじゃくるように抱き合いながら眠ってしまったようです。アニスが泣き疲れて眠ってしまった後、
「……人の感覚を取り戻すというのは、なかなか難儀ですね」
かつては当たり前にあって、今は失ってしまったことが当たり前になりつつある感覚。
それを再び取り入れようとするのは、異物を
自分一人では、もうどうやっても飲み込むことが出来ないでしょう。
でも、アニスがいてくれれば自然と飲み込めるような、そんな気がするのです。我ながら困ったことではありますが。
そんなことを考えながらアニスの頰に指を滑らせていると、小さく身じろぎをした後にアニスが薄く目を開きました。
「……うぅん」
「起こしてしまいましたか、アニス?」
「……ユフィ」
「はい、私ですよ」
「……寝てない」
「いえ、寝てましたよ」
「うそつき」
アニスは寝起きのせいなのか、とろんとした目つきのまま不満げに唇を尖らせています。そんな
すると、せがむようにアニスが手を伸ばしてきた。胸が温かな感覚で満たされていくのを感じながら、何度もキスをします。
この
「……もう、いい」
「私はまだしてたいですが」
「いいの!」
アニスは顔を赤くして、枕に顔を
顔を伏せられているので、代わりに髪に口づけを落とします。彼女に触れているという充足感が私を心から満たしてくれます。
あぁ、やはり私はアニスが
「……少しは元気になった?」
「えぇ、お陰様で。アニスも安心してくれましたか?」
「……ん」
伏せていた顔を上げて問いかけてきたアニスは、私の返事を聞くと身体を起こして私に両手を伸ばしてきました。まるで子どもが抱き上げるのをせがむような仕草に、心臓を直接
くっ、と漏れ出そうな声を
すると、アニスは私を包み込むように抱きしめました。とくとくと、互いに鼓動の音が聞こえる距離。息遣いの音が心地よい時間が穏やかに過ぎていきます。
このまま力を抜いて、ただひたすらに溶けていたい。気力が栓を抜いてしまったように抜けていくのです。
あぁ、私はずっとこの人を求めていたのですね。渇きを潤すような満足感が身体に満ちていきます。もう、今日は何もしたくない……。
「ユフィ、お疲れだね……」
「……ん」
「……寝ちゃう?」
「寝ません……」
「そっか」
互いに力が抜けきったように身体を寄せ合います。交わす言葉すらも力が抜けていっているかのようです。
このまま一緒に溶け合ってしまえれば良いのに。そう思いましたが、その時間に終わりを告げる音が鳴りました。
くぅ、とアニスのお
突如温もりを奪われたことは不満でしたが、顔を真っ赤にして
「……朝ですからね」
「聞かなかったことにしてよ!」
「仕方ないですよ。それに昨日は結局夕食を食べていないんじゃないですか?」
「うぅ〜〜っ……!」
私の指摘に自分のお腹を憎らしそうに見つめるアニス。そんなアニスを
「朝食を頂いてきましょうか」
「……ユフィは食欲ある?」
アニスはハッとして顔を上げた後、心配そうに私の顔を
申し訳ないと思いながらも、私は首を左右に振ります。食事を思い浮かべただけでお腹が
私の反応を見て、アニスは静かに
アニスの仕草があまりにも心苦しかったので、
「でも、アニスと一緒なら食べられるかもしれません」
「……本当?」
「はい」
「それなら食べやすいものを頼もうか! 一緒に食べよう、ユフィ!」
アニスは一気に元気を取り戻してそう言いました。
元気になってくれて良かったと思いつつ、私は
そう思って、メイドを呼ぼうとしたタイミングでした。丁度
「アニスフィア様、ユフィリア様、起きていらっしゃいますでしょうか?」
「イリア? どうかしたの?」
ノックをしたのはイリアでした。アニスが返事をすると、失礼致しますと声をかけてからイリアが中へと入ってきた。
「お疲れのところすいません、先王陛下から
「
「はい。体調が良いようであれば、なるべく早くに登城して欲しいとのことでして……」
イリアがこちらを案じるように言いました。それに私は再びアニスと顔を見合わせてしまいます。
もしかして、何かが起きたのでしょうか? 義父上がなるべく早くに、なんて言うなんて……。
「行ける? ユフィ」
「えぇ、大丈夫です。何かあったようですし、登城しましょう。イリア、義父上に朝食を食べ次第、城に上がると伝えてください」
「
また何か問題が起きた訳ではないと良いのですが、どうでしょうかね。
吐き出した溜息は、ついつい重たいものになってしまいました。
* * *
朝食を終えた後、私たちは城へ上がりました。執務室に入ると義父上と
私の代わりに執務をしてくれた二人に申し訳ないと思っていると、義父上が逆に申し訳なさそうな表情を浮かべて席を立ちました。そのまま肩に手を乗せて、気遣うように見つめてきます。
「ユフィリア、体調が優れぬ中、すまぬな。アニスもよく来てくれた」
「ユフィリア、大丈夫かしら? 無理はしていない?」
「いえ、構いません義父上、義母上。それよりも、何かございましたか?」
「うむ、それなんだが……実はローシェンナ侯爵がお前たちに謁見を求めている」
「は?」
義父上が要件を告げると、アニスが殺気に満ちた声を
義父上がギョッとした表情でアニスを見ました。義母上は頭痛を堪えるように額に手を当てていますが、特に何も言いませんでした。
その間にもアニスの目が
「ローシェンナ侯爵って、西部の親玉ですよね? それが今更謁見ってどういうことですか? まさか謝罪したいとでも言うつもりじゃありませんよね?」
「それもあり得るだろうな」
「まさか、減刑を求めるとか?」
「それも、あり得るな」
「父上!」
アニスが嚙みつかんばかりの勢いで義父上に詰め寄ろうとする。
それを義母上が間に入ることで押し
アニスが落ち着いたのを見計らって、改めて義父上が口を開きました。
「アニス、ローシェンナ侯爵はお前が戻ってきたことを察したようだ。お前への不敬についても話し合いたいと望んでいる」
「私が許すとでも思ってるんですか?」
アニスは明らかな拒絶の気配を漂わせて、
義父上はほとほと困った、と言わんばかりに眉を下げてしまっている。
「私のことは悪く言われても、ある程度は仕方ないと受け入れられます」
「アニス」
「西部の貴族はユフィにまで不敬を働いたんですよ!? しかも、そのせいでユフィは体調を崩したんです!」
「アニス、落ち着きなさい」
「母上!」
「落ち着きなさいと言っているのです!」
アニスを
互いに
そんなアニスの様子を義母上は痛ましそうに見つめました。肩を大きく下げるように息を吐いてからアニスへと語りかけます。
「
「……わかってますよ」
「貴方はいつも、そうして飲み込もうとしてくれていたのね。……本当に、自分が情けなくなってしまうわね。そんな苦労ばかり貴方に背負わせていたのだから」
「それは母上が悪い訳では……」
「立場上、そう言い切ることは出来ないわ。王妃だった身としても、貴方の母としても」
「……」
アニスは何も言えなくなってしまったのか、唇を嚙みしめて目を伏せてしまいました。
そんなアニスの
「それに私は貴方を止めるつもりで
「え?」
「やるなら徹底的に詰めてやりなさい、
義母上がアニスの肩を摑みながら、据わった目で言い切りました。その
ごくり、とアニスが思わず唾を飲み込んでいました。なんというか、この二人は親子なんですね。
「私もオルファンスも怒っているのよ。だから、ただ謝罪の場を設けたり、減刑を求めるつもりなら受けなかったわ」
「しかし、ローシェンナ侯爵は己の進退も含めた上で話し合いの場を求めた。であるならば、西部への方針も
「うっ……」
「では、ユフィリア。謁見を受けても良いということで進めていいな?」
「……わかりました。その話、お受けしましょう」
「ユフィ!」
「避けられない話です。それなら、早めに済ませてしまった方が良いでしょう」
アニスが心配をしてくれているのはありがたいですが、動く分には問題はないのです。
西部の問題をこのまま放置するのは良いことだと思いませんし、動くなら早いほうが良いでしょう。
「謁見の前にラングたちと話し合っても良いですか? ある程度、こちらの方針も纏めておきたいので……」
「ユフィリア、それについてだが……」
「その必要はありません、ユフィリア様!」
「……レイニ?」
まるで計ったかのようなタイミングでレイニが現れました。
困惑するままに義父上の方を見ると、
「先にあちらから動くとは思っていませんでしたが、ご安心ください。既に西部に対してどのように対処するのか、私たちで話し合って案を纏めておきました。こちらの資料で確認してください」
「……これをレイニが?」
「ラング様たちと一緒に作り上げました。ユフィリア様が動き出した時にすぐ参考に出来るように、と」
レイニに渡された資料に目を通すと、よく出来ていると
これを本当にレイニが作ったのでしょうか? 確かに資料の作成をお願いすることなどもありましたが、それはあくまで私が指示をした物だけです。
いつの間に自分からこんな詳細な資料を作れるようになっていたのでしょうか。驚きがすぐには飲み込めません。
「決めるのはユフィリア様しか出来ませんが、判断材料を纏めることは私たちでも出来ます。いつまでもユフィリア様に頼りっぱなしではダメなんですよね?」
「……よくこの短時間でここまで資料を纏めましたね」
「ラング様、ミゲル様、マリオン様が主体となって纏めました。ナヴル様やプリシラさんも手伝ってくれましたよ」
「ナヴルくんたちが?」
「主君を愚弄されたから断じて許しておけない、って感じで」
アニスが目を丸くして驚いていました。それに対してレイニが
誇らしい、と思いました。同時に、これは私がやらなければいけない仕事だとも思ってしまいます。皆には負担をかけてしまいました……。
「申し訳ありません、レイニ。私がすべきことでしたのに」
「そんなこと言わないでください。さっき言いましたよね? いつまでもユフィリア様に頼ってばかりじゃダメだって」
「それは……」
「私たちだって、ユフィリア様を支えたいと思っているんです。迷惑をかけた、なんて思わないでください。むしろ、もっと私たちを使ってください。ユフィリア様の負担を軽くするためだったら喜んで働きますよ」
レイニの笑顔に胸がすっとして楽になったような気がしました。
あぁ、口では人を頼らないといけないと言いながら、なかなか実践するのは大変なのですね。ここは申し訳なく思うよりも、よくやってくれたと思うべきです。
「それに、西部の貴族たちの態度には私も頭に来てるんで。こんな騒ぎも起こしてくれましたし、もうこれを機会にして一気に話を進めるべきかと思います。私たちの分までどうかよろしくお願いします!」
「……そうですね。ありがとうございます、レイニ。いつの間にか、私が思っていたよりも立派になってたんですね」
私の言葉を受けて、レイニが
自信がついたように笑う彼女がこんなにも頼もしい。そう思えば、どうしても笑ってしまいそうになります。
「それでは、詳細を詰めましょう。折角レイニたちが頑張ってくれたのですから、完璧に仕上げないといけません」
そう宣言する声は、いつもの自分のものよりも力が籠もっていたように思えました。
* * *
レイニから
私の側にはアニス、
改めてローシェンナ侯爵と向き直りましたが、数日前に顔を合わせた時よりも覇気を感じませんでした。
その様子が少し気にかかりました。会議の後、ずっと王城に留めおかれていたことで体調など崩したのでしょうか?
「ローシェンナ侯爵、頭を上げてください」
「頭を上げる前に、まずは
謝罪を告げる声には、悪いものを感じません。真摯に謝っているとさえ感じました。
様子見に入ってしまう私でしたが、その一方でアニスは一切の感情を表に出さずに冷ややかな声で応じました。
「謝罪を受けるかどうかはこれからの話し合いで決めさせて貰う。頭を上げなさい、ローシェンナ侯爵」
「……」
「聞こえなかったの? 頭を上げろと言ったのよ、ローシェンナ侯爵。それでは話し合いも出来ない」
「……
アニスに促され、ローシェンナ侯爵はゆっくりと頭を上げました。
その表情はとても落ち着いて、取り乱した様子もありません。逆に静かすぎて不気味に思えてきましたが、様子を見てばかりでは話が進みません。
「それではローシェンナ侯爵、謁見を求めた理由を改めてお伺いいたしましょうか」
「はい。それでは、ユフィリア女王陛下とアニスフィア王姉殿下は今回の一件をどのような沙汰を下すおつもりなのでしょうか? そのお考えをお聞かせ願いたく、謁見を申し入れました」
「私個人の考えでは、西部の貴族を全て
アニスは冷え切った声で、淡々と告げます。ローシェンナ侯爵は身じろぎ一つしていませんが、レイニや義父上がひやひやとしているのが横目で見えました。
「
「……」
「何か弁明はあるかしら、ローシェンナ侯爵」
「……いえ、何も」
「……何も?」
思ってもいなかった返答が来たのか、アニスは戸惑いを見せました。
表情には出しませんが、私も
ローシェンナ侯爵、彼は一体何を考えているのですか?
「我々の犯した罪、不正の数々は調査すればすぐに明らかになることでしょう。私からも協力せよと言うのであれば、私自身の処罰も含め正当に裁いて頂きたい」
「……証拠を提出する上に、弁明するつもりはないと?」
「ことここに至って王家に逆らうつもりはございません」
「……それを言うために、この場を設けたの? 何故?」
「我らが罪を犯し続けたことは事実。であれば、正しく罪を裁いて頂けることを望みます。何人かは死罪を申し渡される者たちもいるでしょうが、中には罪を知らぬ者、加担を強制された者も紛れています。どうか、その者たちには慈悲を与えて頂きたく」
ローシェンナ侯爵はそれだけ告げると、再び深々と頭を下げた。
アニスはすっかり勢いを殺されてしまったのか、
戸惑っているのはアニスだけではなく、ここにいる人たちに共通した感情でしょう。
「ローシェンナ侯爵、今になってそのように振る舞うのかが理解出来ません。それに嘆願されずとも法の下で平等に裁くつもりです。しかしながら、罰を受ける気があるというのなら何故もっと早く自首されなかったのですか? 貴方の行動は不可解です」
私がそのように問いかけると、ローシェンナ侯爵はゆっくりと頭を上げる。
彼の表情は、とても疲れ切ったものへと変わっていました。それから力なく笑みを浮かべます。
「そのようにお思いになるのであれば、凡愚の我が身でありましたが力は尽くせたということと受け取れますな」
「……どういうことですか?」
「ユフィリア女王陛下。もし私が自首などしようものならば、私はその前に暗殺されていたことでしょう」
「……暗殺?」
「西部は
「……それは王家への裏切りだよね?」
アニスが
「そうですね。しかし、我々も王家と争うことは望んでいませんでした。とはいえ、国の法に従うつもりがなかったのも事実なので、何を都合のいいことを言っているかと思われるでしょうが……」
「当たり前でしょう、あまりに馬鹿げてる。自分たちの悪事が明かされたくないから王家の干渉は避けたくて、でも反逆者になりたい訳でもない。そんな話が
「通らぬでしょう。しかし、それでも西部はそのようにあるしかなかった。全ては私の非才が招いたこと、最も罪深いのは他でもない私でありましょう」
「……自分たちで不正を
「
アニスがどんどんと不機嫌になっていき、目が据わっていきました。
そうして黙り込んでしまったアニスに代わって私から問いかけました。
「事が露見すれば罰せられる。故に西部全体で不正を隠蔽していたということですか?」
「その通りです」
「……
ふと、義父上が切なそうな声でローシェンナ侯爵に尋ねました。
すると、ローシェンナ侯爵が目を細めながら義父上を見上げます。その目には敵意などなく、どこか穏やかな気配が漂っていました。
それに一番戸惑っていたのは、もしかしたら義父上かもしれません。
「オルファンス先王陛下、貴方様が即位を終えて、国を掌握した頃には既に西部は引き返せないところまで来ていました。当時はまだ、国が混乱していたことと、先王陛下が強権を振るわぬ穏やかな王であったことが不正を助長させていたとも言えます」
「自分たちが不正に走ったのは父上のせいだとでも言いたいの?」
「いいえ、ただ私たちが悪辣にあっただけにございます。それに当時のオルファンス先王陛下には余裕がありませんでした。西部の現状に気付けば更に追い込むこととなっていたでしょう。国が更に割れることまでは我々も望んでいませんでした。それに貴方様に助けを
そこでローシェンナ侯爵は一息を
「しかし、ユフィリア女王陛下が即位したことで状況が変わりました」
「私の即位で、ですか?」
「お二方の活躍はあまりに華々しい。そこに期待を寄せる者たちがその輝きに目が
「期待? 私は功績を
「全ての者がそうではありませんし、レグホーン伯爵は精霊信仰にあまりにも傾倒しすぎました。気持ちはわからなくもありません、西部では清く正しくあろうとすればする程、その身に毒が
「──だから、何?」
ローシェンナ侯爵を
「毒が溜まる? 自分ではどうしようも出来ない状況に、生まれに、何も出来ないからなんだって言うの? そうして行き着いた先がこの始末なの? 笑い話にもならない! そんな
「……返す言葉もございません」
アニスの怒りを受けても、ローシェンナ侯爵はただ目を伏せるだけでした。
その反応が気に入らなかったのでしょう、アニスは一度強く
「ふざけるな! いつも、いつも、私がどれだけ耐えてきたと思っている! お前たちは、貴族はいつもそうだ! 魔法が使えないということだけで人を見下す! それなら、お前たちはその力で一体何を成し遂げた! 私の功績を笑うなら、見下すなら、否定するなら、それに見合うだけの力と結果を示せば良い! なのに、なぜそれをしない!?」
アニスの訴えに、義父上と義母上が表情を
大きく叫んだ後、アニスは何とか感情を落ち着かせようとするように肩で息をしています。静寂が満ちて、アニスの息遣いだけが聞こえてきます。
「……どうして、私を失望させるの? こんな国のために、私はユフィを王にさせてしまったの? いっそ貴族を、魔法使いを全て滅ぼせば良かったの?」
「アニス……」
「この国を守るために父上が、母上が、アルくんが! どれ程苦しんだと思っているんだ! 信仰に
「アニス! それ以上は、ダメです!」
「……ッ!」
私はアニスに近寄って、彼女の肩を
アニスは唇を
……本当は、ずっと前から言いたかった本音なのでしょうね。でも、それをずっと
あまりにも悲痛な叫びでした。どれだけアニスが苦しんできたのかが嫌でも伝わる程です。そう感じるのは私だけではなくて、この場にいる全員がそうだったと思います。
誰もが言葉を発しない中で、私はアニスを支えながら口を開きます。
「ローシェンナ侯爵。貴方の思いも、西部の境遇もわかりました。ですが、パレッティア王国の一員、それも貴族だと言うのであれば、その弱さこそが罪です。罪を犯してしまう弱さを私は看過出来ません」
「……当然のことかと思います」
「……貴方は一体、何を考えてこの場を望んだのですか? ただ裁かれるためですか?」
私には、それだけが本当に理解出来ないのです。
すると、ローシェンナ侯爵は私に視線を向けました。その瞳にはどこか
何だか、その視線で見つめられていると気分が悪くなります。そう思ったのが表に出てしまったのか、ローシェンナ侯爵は目を伏せてしまいました。
「私は、確かめたかったのです」
「何をですか?」
「貴方様が、私が求めていた主君であるのかどうかを。正しき治政を行ってくれる者であるのか、それを確かめたかった」
ぽつりと、そう
「私は、西部の
ローシェンナ侯爵の声に段々と力が籠もっていきます。だからこそ、感情が伝わってきたのでしょう。
彼から感じたのは、強烈なまでの
そうしてローシェンナ侯爵は、再び疲れ切った老人に戻ってしまいました。
「この国を真に思い、
「ローシェンナ侯爵、
それは心底、残念だと言うように失望に満ちた声でした。
彼の言葉は、あまりにも身勝手だと思います。でも、怒りは湧いてきません。ただ哀れだと思いました。
「私の生がある内に、私の罪を正しく裁いてくれる者が現れることを望んでいたのです。そして、ユフィリア女王陛下が即位なされた。しかし……貴方は、やはり私が望んだ国王ではなかったようです」
「ユフィが望んだ王じゃなかったって……?」
「私が望んだのは、私の父祖より語り継がれてきた古き良きパレッティア王国であったのです。この数年で、それをどうしようもなく実感いたしました」
アニスが戸惑いを見せる中、ローシェンナ侯爵は深く息を吐いて、ゆるゆると首を左右に振りました。
「間違いなくお二方は正しいのです。古き正しさよりも、より良い新たな正しさを求めることは自然のこと。私が望んだ王ではなくとも、貴方たちは民に望まれた王族でございます。それを受け入れられないのは、老い先短い老骨の嘆きでしかないのでしょう」
「……」
「どうして、と思ってしまうのです。どうしてオルファンス先王陛下に、マゼンタ公爵やシルフィーヌ王太后のような魔法の才がなかったのか? アルガルド王子がもっと才能に
それは、本当に私ではどうしようもない嘆きでした。
やはり、それを聞いても怒りは湧いてきません。ただ、目の前の老人が哀れだとしか思えないのです。
不遇の状況を自らで変えることも出来ず、ただただ自分が救われるための希望を探そうとしているだけ。私たちが自分の望んだ救済者ではないことを嘆くだけの人でしかないのです。
「もしも、貴方が望んだ通りの王がいれば理想の国になるとお考えだと?」
「……ユフィリア女王陛下の思う理想の国は違いますか?」
「違います」
それはハッキリと言えます。そして、同時に思うのです。
ローシェンナ侯爵が望んだ国は、きっと初代国王が作り上げた国なのでしょう。
けれど、リュミは初代国王を否定し、精霊契約が廃れることを祈った。
魔法は精霊より賜った尊い力。けれど、力にだけ頼り切った国になってしまえば
魔法を使えるか、使えないのか。貴族であるのか、平民であるのか。その違いが人の間を隔ててしまう。そんな世界では私の
それが私の、私自身にかけた願い。だからこそ、譲ることは出来ないのです。
「私は救いを待つより、誰かを救うために手を伸ばせる世界を望みます。魔法は精霊より賜りし尊い力ですが、それに拘るだけでは先が見えています。それが、かつてのパレッティア王国です」
「……えぇ、その通りですね」
「私は貴族であれ、平民であれ、理想に近づくための力を授けたいと思っています。それによって廃れるものもあるでしょう。変化を避けられない場面もあるでしょう」
私はちらりと、アニスの顔を見ました。アニスは怒ればいいのか、嘆けばいいのかわからない表情でローシェンナ侯爵を見ていました。
ローシェンナ侯爵の願いは身勝手です。それを本人もよくわかっているのでしょう。
それでも彼は変われない。彼には変えようと思うだけの力がなかったから。それは悲劇と言えるのかもしれません。
「それでも私は、人が自ら歩み出すことを選べる国にしたいと思っています」
アニスが歯を食いしばって、その道を進んだように。手を伸ばせば希望を摑めるように。生まれ、与えられたものが全てではないと言うために。
ローシェンナ侯爵は天を仰ぐように見た後、目を閉じて大きく息を吐き出しました。
そうしてから、ゆっくりと視線を下げて私と向き合います。
顔を上げたローシェンナ侯爵は、まるで
「心底、私には才能も心意気もないのだと思いました。やはり、貴方は私の望んだ国王ではありません」
「ローシェンナ侯爵……」
「──されど、私たちに裁きを与えてくれる者たちが貴方様で良かった」
ようやく、終われるのですね。
まるで、そう言いたげにローシェンナ侯爵は呟きました。
最後まで身勝手な言葉です。それでも、怒りよりも切なさと
望んだ救いを得ることは
それだけが、私たちにとっても唯一の救いのようでした。