2章 零れゆく欠落



「そんな馬鹿な自殺志願者がいたの? 世も末ね」

 如何いかにも不愉快だと言わんばかりに零したのは、私を診察するためにきゅうきょ呼び出されたティルティです。

 彼女に脈を取られるなど診察をされながら、私はようやく気が落ち着いてきたのを感じます。先程までは何をするのも億劫だったのですが、それが軽減されました。

「突然拉致されて何が起きたのかと思ったけど、馬鹿らしすぎて逆に笑えるわ。そいつが目の前にいたら私がユフィリア様の代わりにくびり殺してやりたいくらいよ」

「ご、ご迷惑をおかけしました……」

「本当に勘弁しなさいよね、レイニ。お姫様抱っこで誘拐される身になりなさいよ」

 ジト目のティルティににらまれて小さく縮こまるレイニ。彼女は慌てるあまり、私を離宮に送り届けた後、ハルフィスの元に顔を出していたティルティを拉致するように連れてきたのです。

 その際にお姫様抱っこで駆け回る姿を多くの人に見られてしまった訳なのですが……これは後で私からも謝罪しておかなければいけませんね。

「それで? ユフィリア様の体調はもう大丈夫なのかしら?」

「いえ、その、怒りのあまり我を忘れていただけですので……」

「私からすれば、もうそうなったこと自体が異常だけどね。西部の連中も若いやつの暴走に巻き込まれて災難よ」

「えぇ、私もこんなことになるとは予想出来ませんでした……」

 ティルティが溜息交じりに言いましたが、私も深く溜息をきたいです。

 一体何を考えてあのような訴えをする気になったのでしょうか? 自分の行動によって何が起きるのか想像も出来ないのだとしたら、本当に危うい人です。

 とはいえ、レグホーン伯爵のような者が他にいないかと言われるといないと言い切れません。彼ほど過激な行動で示さなくても似たようなことを考える者は多数いるでしょう。

 それを思えば頭が痛い限りです。最近は多少マシになってきたかと思いましたが、精霊信仰に関わるとあんたんとした気持ちにさせられることが多くて憂鬱になります。

「よくもまぁ言えたものよね。正直、その場で首を斬られても文句が言えないわ。真っ向からユフィリア様にもアニス様にもけんを売ってるじゃない」

「本当ですよ! アニス様の功績を疑うだなんて、何を考えてそんな発言をしたのか理解が出来ません!」

 レイニも怒りをあらわにして震えていました。そんな彼女の様子にティルティは皮肉げな笑みを浮かべて肩をすくめています。

 彼女たちの怒りは当然でしょう。私だってまだ怒りを完全に抑えきれずにいます。

 アニスが一体どんな思いで魔学を追究し、魔道具を編み出したのか。魔法を使えないという逆境を彼女は一人で乗り越えてきたのです。

 その果てにドラゴンを討伐するという功績を立てました。それを思えば、魔法を使えないというだけでそれを否定するなんて見識が浅いとしか言えません。

「まぁ、ここ数年の情報を仕入れていないんだったらあり得るかもしれないわよ? それならアニス様が魔法も使えないのにドラゴンを倒しただなんて、そう簡単に信じられないでしょうね。いくら公の場で発表されたことだとしてもね」

「それは、色々と能力を疑いたくなりますが……」

「実際、無能としか言えないでしょう? 自分の立場も考えずに場を荒らしてるんだし。西部は王家と距離を取ってるから、それが暴走した理由の一つかもしれないけれど。どちらにせよ、かつな発言が許される理由にはならないわ」

 ティルティは吐き捨てるような口調でそう言いました。全くもって、私も同意です。

「不正をただしたいという気持ちは否定しませんが、手段を間違えてはいけません」

「そうね。理解したくもないわ、こんな行動に出るような考えなんてね」

「……アニスが直接聞かなくて良かったです。もしもアニスがその場にいたら私も抑えられなかったかもしれません」

「まったくね。それだけは幸いだったわ」

 私に同意するようにティルティが鼻を鳴らしました。本当にあのようなごとをアニスに聞かせなかったことが唯一の幸いと言ってもいいかもしれませんね。

 こちらとしても、この状況を歓迎することは出来ません。結果として、レグホーン伯爵のせいで西部との交渉も難しくなってしまいました。

「徹底的に追及してもいいんですが、その後の反応が予測しきれませんね……」

「あんまり追い詰めすぎると、また変な暴発を起こすかもね」

 やろうと思えばこちらが望むままに改革を迫ることも出来ますが、元より王家に対して距離を取ろうとしている姿勢がどう響くのかが未知数です。

「私は出来ればゆっくりと改革を進めていきたいのですけど、どうして事を急がなければならない問題が次々と起きるのでしょうね……?」

「急激な改革は反感を買う恐れがあるものね。どれだけユフィリア様に大義名分があろうとも、国の在り方なんてそう簡単に変えられるものじゃないでしょう」

「それだけアニスがもたらす変化の影響は大きいですからね」

 どれだけ便利になるのだとしても、魔学や魔道具を無理に普及させようとすれば長らく守られてきた伝統と正面からぶつかってしまいます。

 魔法は貴族たちにとって利権そのものです。そんな魔法の価値を大きく変えることは、かれの存在価値をおとしめる可能性をはらんでいます。

 だからこそ私は、アニスが齎したい変化と、この国で守られてきた伝統の間に入って、両者をつなぐために王位を継いだのです。国が割れるようなことになってしまえば、一番傷ついてしまうのはアニスです。

 故に、争いに発展しないように調整を続けているはずなのですが、何故なぜこうも思うように物事が進まないのでしょうか。その原因が思慮の足らない人間ばかりに思えてしまうのは、私が疲れているからなのでしょうか……。

うえたちにも相談しなければなりませんね……」

「大変ね、ご苦労様だわ」

他人ひとごとのように言いますね……」

「他人事だもの、とは言うけれどね。まぁ、愚痴ぐらいなら聞いてあげるわ」

「……ありがとうございます」

 私がそう言うと、ティルティはクスクスと笑ってみせました。私も釣られて頰を緩めてしまいます。そのお陰で少しだけ気が紛れました。

「今日は精神的に疲れたでしょうからゆっくり休んだら良いんじゃないかしら? 普段から色々とめ込んでるでしょう? アニス様もいないしね」

「それは、まぁ……」

「アニス様が帰ってきた時に余計な心配されたくないでしょ?」

「……アニスには知って欲しくないんですけどね」

「話すか話さないかはユフィリア様の判断だけど、話すつもりがないならバレないように取り繕えるようにしておくことね」

「ラング様やグランツ公がユフィリア様の政務を調整してくださっていますので、政務については心配しないでください。必要であれば先王陛下にも助力を願うと言っていましたので。ユフィリア様はゆっくり休んでください」

「ティルティ、レイニ、ありがとうございます。あまり義父上に代理を頼まないようにはしたいのですけどね……」

 義父上は国王の座を退いた後、私の補佐を続けてもらっています。かといって頼り過ぎては退位した意味がないので、なるべく頼らないようにはしています。

 暇が出来た義父上は、ずっとやりたかった植生の研究を始めました。元から穏やかな気質の方でしたが、退位してから更に穏やかさを増したように思います。

 ただ、それも私が補佐して欲しいと望んだ時に応じられるように小規模で、自分の代わりになる人を置いているので、本腰を入れているとは言えない状況です。

 だからこそ、あまり義父上には私の代理をさせたくないのですが、まだまだ人が足りてないので頼まざるを得ません。

「オルファンス先王陛下に言ったら、頼ってくれない方が問題だって言いそうですね」

「……それは否定出来ませんね」

 今回のように心ない言葉を向けてくる人もいますが、私の周りには支えになってくれる人たちがいます。

 本当にありがたいことだと、私はそう思って微笑を浮かべてしまうのでした。


* * *


 ティルティの勧めもあって、この後はゆっくり休むことを決めました。

 そうしていると、夕食の時間になります。今日は早めに食事を終えて、残りの時間も休養に当てようと思いながら口に運んでいると──

……ッ? ん、ぐ!?

 不意に私を襲ったのは、強烈なまでの違和感。

 食事を口に含んでも味をまったく感じなかったのです。精霊契約者になってからというもの、食事に対しての執着は薄れ続けていましたが、少なくとも味が判断出来ないということはありませんでした。

 それなのに味がしない。んでも食感を不愉快に感じてしまう。飲み込めば異物感がせり上がってきて、ただでさえ希薄になっていた食欲が更に薄れていくのを感じます。

「ユフィリア様? どうかされましたか?」

 配膳を終えて控えていてくれたレイニが、思わぬ私の声を聞いて驚きながら声をかけてきました。

 何もない、とはとっに言えず、気付かれないようにしゃくをしながら飲み下します。

 言い表すのが難しい感覚に苦しみながらも、それを表に出さないように笑みを浮かべてレイニを安心させようと試みます。

「いえ、何も……」

「ユフィリア様」

 レイニが真剣な表情で私の顔をのぞき込んできました。真紅の瞳に見据えられると、思わず目をらしてしまいそうになります。何とか取り繕おうとしますが……。

「私に隠し事が出来ると思いましたか?」

「……」

「感情が乱れてますよ」

「……レイニにはかないませんね」

 みついた習慣で取り繕おうとしましたが、ヴァンパイアの力で感情の揺らぎを感づかれてしまったようです。これだからレイニには隠し事が出来ないのですよね……。

 私が困ったようにほほむと、レイニの眉間のしわが深く寄りました。そのままためいきいてから、テキパキと指示を始めました。

「夕食は食べられないんですね? それなら今日はもうお休みになってください」

「申し訳ありません、レイニ……」

「ティルティ様を呼ぶ必要はありますか?」

「今日は一度診察して貰っていますし、このまま様子を見ます」

「……無理はしてませんか?」

「してませんよ。部屋で休みますので、後をお願いします」

「……はい」

 心配そうに見送るレイニの視線を背にして、私は食堂を後にした。

 ろくに夕食もとらずに退室した私を不安そうに見ているメイドたちが気になりましたが、彼女たちに余計な不安を与えないよう、表面上は何事もなかったかのように振る舞いながら部屋へと戻りました。

「……一体、何だったのでしょうか?」

 喉をつかむように触れながらぽつりとつぶやきをこぼしました。先程まで感じていた気分の悪さは、すっかり消えせています。

 夕食をほとんど食べていなかったので、おなかへの負担がそこまでではなかったのでしょうか? そう考えてみますが、しっくり来ません。

「……思っていたよりも参っていたのでしょうか」

 気分が落ち込むと食欲も落ちるものですが、自覚がないだけで相当落ち込んでいたのかもしれません。

 このままではいけない。今日は早めに休んで、明日には調子を取り戻しましょう。西部との会議の一件を放置する訳にもいかないですからね。

 私はそう思ってメイドを呼び、着替えを済ませて貰いました。入浴することも考えましたが、それよりもさっさと眠った方が良いと思ったので明日に回します。

「気晴らしに本でも読んで寝ましょうか……」

 幸いなことに読んでいない本はたくさんあるので、選ぶのに困ることはありません。

 これで気分が少しでも上がれば良いと思いながら、私は部屋の隅に積まれた本に手を伸ばすのでした。

 ……しかし、私の異常はそこで終わりませんでした。

 久しぶりのじっくりとした読書。それに没頭していた私ですが、ふと読み終わって顔を上げた時に気付いたのです。

「……もう、こんな時間?」

 外は真っ暗で、夜が来ていることに気付いていませんでした。どうやらあかりも無自覚でともしていたようです。

 最初は本を読むのに没頭していたからだと思っていたのですが、それが間違いだと気付いたのは流石さすがに眠らなければととんに入った後です。

「……眠れない?」

 どれだけ目を閉じても、意識がえ渡って眠れなかったのです。

 ……何かがおかしい。確かに私は精霊契約者になってからあまり眠気を感じたことはありませんでしたが、眠ろうと思えば意識を沈めることは出来た筈。

 眠気が来ないから眠る必要はないけれど、寝たいと思えば眠ることが出来ました。

 それが、一切出来なくなっていたのです。

「……一体、何が」

 言いようのない不安がふつふつと胸の奥から湧いてきました。何かを見落としているような、気付かないまま失ってしまっているような感覚が消えません。

「──ご機嫌うるわしゅう、とは言えない夜みたいね。ユフィリア」

「ッ!?

 自分の異常に気を取られていたからでしょうか。私はその存在に気付くのが遅れてしまいました。

 驚かされたことで肩を跳ねさせてしまいましたが、すぐに力を抜いて声の方へと視線を向けます。月の光が差し込むまどぎわ、そこにいつの間にかリュミが立っていました。その姿を認めると溜息が込み上げてきます。

「リュミ……驚かさないでください」

「あら、それは失礼したわね?」

「別に悪いとか思ってないですよね?」

「ご想像にお任せするわ」

 相変わらず神出鬼没だと思いつつ、額を押さえました。心臓に悪いんですよね、もう少し普通に話しかけてくれるとありがたいのですが……。

「それで、今日はどんな気まぐれで声をかけてきたんですか?」

「気まぐれではないわ。今は私がそばにいた方がいいかと思っただけよ」

「……え?」

「眠れないのでしょう? しかも食事までまったく出来なかった。自分でも異常だということはわかっているわね?」

 リュミは微笑を浮かべていた表情を真剣なものへと変えました。

 それはつまり、私には今、何かしらの異常が起きているというのは間違いないのでしょうか。不安に心臓の鼓動が速まったような気がします。

「リュミ、私に何が起きているのかわかるんですか?」

「まぁね。今日、何かあったのでしょう? 詳細は把握してないけど、随分とひどありさまになっているから気になったのよ」

「では、この症状は一体……?」

「先に言っておくけれど、それは異常であって異常とは言い切れないわ」

「……? どういうことですか?」


「ある意味で、今の貴方あなたが正常な状態ということよ。──精霊契約者としてね」


 リュミに告げられた一言に、私は思わず息を止めてしまいました。

 彼女に告げられた言葉の意味を考えると、汗が浮かんできます。嫌な予感を覚えつつも私は問いかけます。

「精霊契約者として今の状態が正しいというのは、つまり……」

「魂と肉体のかいが進んでる……つながりが弱まってるわね。だからいつも以上に人としての感覚が煩わしい、そうでしょう?」

 否定することが出来ず、私はうめいてしまいました。

 精霊契約者にとって、肉体はただの器。この世に存在するために必須なものではありません。意識して肉体を維持しなければ、あっさりと捨ててしまう。

 それを知っているからこそ、意識して人の感覚を維持しようとしてきたはずなのに、どうして……。

「……リュミ、どうしてこんな急に悪化したのでしょうか?」

「別に急でもないわよ。さっきも言ったけれど、本来だったらそれが精霊契約者として、精霊として自然な状態。むしろ普段が余計なものを無理に加えてるの」

 そう言ってから、リュミは指を私の額に当てました。

 そのまま覗き込むように迫るリュミの瞳から、私は思わず飲み込まれてしまったように視線を逸らすことが出来ません。

「人として振る舞えない程、今の貴方には余裕がないのよ。余程、心身に負荷がかかるようなことでもあったのかしら?」

「……それは」

「ただでさえアニスフィアと離れてしまって、魔力の供給が足りてないところにダメ出しを受けたみたいね。感覚を取り戻すのはなかなか面倒よ? なるべく意識して心を落ち着かせることね。でないと治らないわ」

「……厄介なことになってしまいました」

 思わずうなれて、片手で顔を覆ってしまいます。

 そうしていると、リュミが隣に座りました。そのまま私の手を握って、肩を預けるように体重をかけてきます。

「まぁ、良かったじゃない」

「……何もいいことはありませんが?」

「私がいるじゃない」

 あっさりとそう言われて、私は思わず口を閉ざしてしまいました。

 確かにリュミがいてくれなければ、この症状に見当もつかなくて、もっと苦しんでいたかもしれませんが……。

「理解者がいてくれるって、それだけで変わるものよ。私は一人だったもの」

「……ぁ」

「一人で苦しむのはつらいわよ」

「……そう、ですね」

 思わず吐息が声と共に零れました。空気が抜けたような頼りない声はあっさりと消えて、重たい沈黙が訪れます。

 リュミの表情はいつも浮かべている微笑へと戻っていました。その表情の裏に一体どれだけの苦しみを隠しているのかと、そう考えずにはいられませんでした。

「とはいえ、私も私以外の精霊契約者とこうして一緒にいるのは初めてだけどね」

「……かつて現れた精霊契約者と関わることはなかったんですか?」

 私が疑問を口にすると、リュミは静かに首を左右に振ります。

「なかったわね。皆、割とあっさり消えてしまったもの」

「不老不死なのに、ですか?」

 私の問いかけに対して、リュミは淡くほほみました。

 そこに今にも彼女が消えてしまいそうなはかなさを感じて、思わず手を伸ばしてしまいました。リュミは私の手を受け入れるように好きにさせてくれます。

 そのまま彼女の頰をでていると、リュミも手を重ねてきました。そのまま頰を私の手にこすりつけるようにして目を閉じます。

「器がある間は、ね。もちろん、器を捨てても魂が消える訳じゃないわ。ただ拡散してしまうだけよ」

「拡散……」

「自分が自分だと言える根拠。記憶や個性、それらが抜け落ちていくの。薄く広がって、透明になっていくように。執着を失って、意識が世界に薄く広がってしまう。そうして、やがては世界に溶ける。それが私たちに待っている末路よ」

 リュミの語る末路を、私は感覚的に自分もそうなるのだと理解していました。

 私が私であることを捨ててしまえば、今すぐにでもそうなってしまうだろうとも。

「明確な意識さえ保っていれば、私たちは簡単には死なない。でも、私たちが世界に残り続けるためには願いを繫げていかなきゃいけない。その願いの源泉を失った者から消えていくのよ。存在は残り続けても、それは死と変わらないのでしょうね」

「それでは、意識が拡散した精霊契約者が復活する、ということもあり得るのではないのですか……?」

「さぁ? そんな人は見たことがないし……でも、不可能ではないのかもしれないわね。うん、そういう意味でも私たちはやっぱり不老不死ではあるのよ。復活の余地があるという点ではね」

 うんうん、とうなずきながらリュミは言いました。

 彼女に感じていた儚さが一気に薄れて、いつもの彼女に戻りました。

「だから、今は感覚を失ってしまっていても気長に取り戻していけばいいのよ。心が穏やかになって取り戻すまでにはかなり不快に感じることもあるでしょうけどね」

「不快に感じながらも、心を穏やかにしろと? それは難しいのではないですか?」

「何も感じられないよりはマシだわ。痛みや苦しみが自分を繫ぎ止めてくれることもあるのだから」

 あっさりとそう言い放つリュミにギョッとしてしまいます。

 痛みや苦しみが繫ぎ止めてくれるのに、私は耐えられるでしょうか?

 とてもではありませんが、想像出来ません。それなのに彼女は……。

「……辛く、なかったんですか?」

 リュミは長い時を生きています。でも、その生は果たして幸せなものなのでしょうか?

 私の疑問に対して、リュミは軽く噴き出しました。それから意味ありげな笑みを浮かべて私を見つめます。

「辛いわね。どうしようもなく、辛いわ。それでも捨てられないのよね」

「何を捨てられないのですか?」

「精霊契約に誓った願いを」

「願い……」

「私は永遠に君臨する王、その予備であれと望まれたわ。だからこそ、私にはパレッティア王国を見捨てることは出来ないのよ。どんなに苦しくても、この国が終わる時まで見届けなければならないと思ってしまうの」

「……まるで義務のようですね」

「えぇ、義務なのよ。苦しくて、辛くて、それでも捨てられないね。だから辛い、ずっと辛いまま生きていくことになるのでしょうね」

 ケラケラと笑うようにリュミは言いました。

「確か、貴方と仲の良い子……ティルティだったかしら? あの子から言わせれば、これも呪いなのかもしれないわねぇ」

 呪い。それはティルティがよく口にすることですが、言い得て妙だと思いました。

 この国の貴族たちが尊い奇跡だと呼ぶ魔法は、転じて呪いになることがある。精霊契約はその極致でもあると。

 それを否定するような気持ちにはなれません。実際、精霊契約を果たしてしまった代償はこれからも私をむしばみ続けるのですから。

「……捨てられるなら、捨てたいですか?」

「まさか、あり得ないわね」

 私の問いかけに、リュミは一切のしゅんじゅんもなく答えました。

 あまりにも迷いがなかったので、リュミの顔をまじまじと見つめてしまいます。そんな私に対して、リュミは柔らかく微笑みました。

「辛いことばかりで、苦しくてどうしようもなく終わりに憧れてしまうけれど。その度に思い出してしまうのよ」

「何を、ですか?」

「私が幸せだったことを」

「幸せ……」

「幸せだったことを忘れないために何度も繰り返し刻み込んだわ。薄れゆく記憶をどうにかとどめようとして、しつように日記を書いたりもした。そうして何度も繰り返しながら思い出そうとするの。もう私の想像でしか埋められない部分もあるけれど、自分が生きた足跡を振り返るだけで前に進むことが出来るわ。それが私の大切な宝物だから」

 胸に手を当てながらつぶやくリュミの姿を、何故なぜまぶしいと感じてしまいました。

「私の終わりは明確に決まってる。それは、この国が終わる時よ。私が守りたいと思った人たちが生きた国が終わる日、その日を待つだけなの。私が生きている間に得られた宝物をでながら、いつか来る日まで笑って過ごすの」

 自分で口にしたように、リュミは宝物を自慢するかのように言いました。

 決して良いことばかりではなかった筈です。それでも、彼女は自分の人生をそのように言ってのける。

 ……だから、こんなにも眩しく思うのでしょうか。

「だからね、苦しむことは別に構わないの。その苦しみに勝るだけの幸せはずっと前から手に入ってたから」

 その穏やかな笑顔が、本当に心の底から幸せなのだと私に伝えるのです。

「私の記憶そのものが薄れていくことはあっても、私たちの軌跡が消えることはない。それがわかっていれば、私はこれからも終わりを待つことが出来るわ」

「……」

「理解出来ない?」

 逆にリュミから問われて、私は一瞬言葉に詰まってしまいました。

「……わかるような気はしますが、はっきりとは言えません」

「それでいいのよ。人はそういうものだし、精霊契約者になった私たちは特にその性質が強くなるのでしょう。私が他の精霊契約者に積極的に関わらなかったのは、私たちは自分の願いにとらわれている存在だからよ」

「願いに囚われている……」

「えぇ。それが私たちの全て、最後に残るもの。その願いがかけ離れていれば、共感も何もないのよ。私たちは願いが共存出来ているから一緒にいられるだけよ」

 言わんとしていることは、なんとなく理解出来ました。

 ただ、それを理屈として説明出来ません。それはきっと、願いという不確かなものから始まっているのでしょう。

 願いが純粋であればある程、それは人の理解から遠ざかるのでしょう。それ以外が不要である程、更に遠ざかってしまうでしょう。

 正しく因果なのだと、そう思いました。

「長く人として生きたいというのなら、人であることにしがみつきなさい。快も、不快もどっちも貴方あなたにとっては必要なものよ。でなければどんどん鈍くなっちゃうわ」

「リュミもそうしてきたのですか?」

「……えぇ。色々とあったのよ」

 私を案じるような目で見つめながら、リュミは頷きました。

 恐らく私は彼女の苦しみの全てを理解することが出来ません。上辺をなぞるような浅い理解に留まってしまうでしょう。

 私はリュミではないし、リュミは私ではないから。私たちの中心となる願いは、まったく別物なのですから。

 それでも、リュミは私に寄り添おうとしてくれている。それがどれだけありがたいことなのか、この瞬間に強く思いました。

「貴方の心配や不安はわかるつもりよ。でも、大丈夫。貴方の周りにはたくさん思ってくれる人がいるでしょう? その人たちを頼りなさいな」

「えぇ、わかっています」

「私から見ればまだまだよ」

「まだまだ……」

「えぇ、私から見て貴方は子どもも同然よ」

「……子ども扱いですか」

「実際、子どもでしょう? 何でも一人でやろうとしないで、周囲の人たちを信じてあげなさいな」

「信じる、ですか?」

「自分が手を放してもいいと、もう自分の力は必要ないのだとそう思えるまでに」

「……それは」

「難しい?」

「……はい」

 私が口にするよりも早く、リュミは私の思いを言葉にしました。思わず頷いてしまいます。それは本当に難しいことだと、心からそう思ってしまうから。

 何だかアニスがよく口にしていることのようだと思いました。それは私にとって目標と言うべきものです。いまだに成し遂げられていないから難しいと思ってしまうのでしょう。

「難しいのは仕方ないわ。だって、私たちは目的を成し遂げるために精霊契約を結んだのだから。全て自分の手で果たすのが一番楽で、手っ取り早い。他人に頼るのはどうしても遠回りに思えてしまう」

「……そうですね」

「だけれども、自分のためには他人を頼って、信じてあげないとダメなのよ。人の輪の中にいたいのなら、それが大事」

「……わかっていても、信じられなかったら?」

「その時は助けてあげればいいのよ。ただ、助け方は考えた方がいいわね」

「助け方を?」

「私だったらその人がいつか信じられるように、それだけの強さを得られるように背中を押すわ。別に今じゃなくていいのよ、いつかかなえばそれで十分。幸い、私は待つことが出来るから」

 待つことが出来る。それをリュミが言うのは、とても重たいと感じます。

 そう思ったことが顔に出ていたのか、リュミはクスクスと笑い出しました。

「悩むのはいいけど、悩みすぎないことね。私の正解がユフィの正解ではないわ」

「悩みすぎない、ですか。難しいですね……」

「自分の考えを信じられるようになりなさい。自分が導き出した考え方で、自分が信じた根拠を持つのよ。私たちは同胞ではあるけれど、どこまでも他人なの。私は私の考えで、貴方は貴方の考えで生きなきゃいけない」

「……リュミは、やはりアニスに似ていますね」

 ふと、そう思いました。自分で考えさせるという姿勢は、どこかアニスに通ずるものがあるような気がします。

 すると、リュミは何だかくすぐったそうな表情を浮かべました。

「そう? ……そうね。だから私はここに残ろうと思えたのでしょうね。さっきも言った通り、私が共存出来ると思っている理由はアニスなのだから」

「アニスが理由……?」

「あの子は魔法を尊くて素敵なものだと思っている。人が前に進むための力、希望の象徴になれるって。それは私がそうあって欲しいと未来に託した願いとよく似ているの。だから見ていて楽しくなってくるのよ」

 心底楽しそうに、誇らしそうに、そして、ほほましそうに。

 アニスに向けた愛情を感じます。けれど、不思議と嫉妬するような気持ちは湧いてきませんでした。

 アニスに好意を向ける人を見ると、つい嫉妬をしてしまうのですが、リュミには湧いてきません。きっと、それはリュミが私たちを子どものように見守ってくれているからなのだと思います。

「もっと貴方たちを見ていたいと、そう思ってしまうの。もしかしたら、貴方たちは私の夢になってくれるかもしれない。それを確かめたいから」

「リュミ……」

「だから少しは甘えてくれていいのよ。あの子の代わりにそばにいてあげるわ」

「……リュミはアニスの代わりになんてなれませんよ」

「あら、私じゃ物足りないかしら?」

 からかうようにリュミが笑います。でも、私は静かに首を左右に振りました。

「リュミだから、側にいてくれてありがたいと思うんですよ。アニスの代わりになる必要なんて、最初からありません」

「……そう。それなら良かったわ。どうせ眠れないのでしょう? 色々とお話をしましょう。何でも聞いてあげるわよ」

「ありがとうございます、リュミ」

 この眠れない夜に貴方がいてくれて、本当に良かったと思います。


* * *


「ユフィリア様、しばらく政務はお休みしましょう」

「レ、レイニ……? そ、それは流石さすがに……」

「休みましょう!」

 一夜明けて、私はレイニに自分の状態を伝えました。最初はショックを受けてがくぜんとしていたレイニでしたが、すぐに決意をにじませた表情でそう告げました。

 流石に休みまで取るのはどうかと思ってレイニをなだめようとしましたが、レイニの意思は固いようで、私の反対など聞いていないかのように各所へ連絡を回しました。

 私の不調はあっという間に広まり、皆が声をそろえて休みを取るように言ってきました。

「皆、過保護ではありませんか……?」

「そんなことはありません、これはユフィリア様の一大事です!」

「レイニの言う通りよ。今のユフィリア様に政務を任せるだなんてとんでもないわ」

 すぐさま離宮に顔を出したティルティがレイニに同調してうなずきました。若干、あきれたような目で見てくるので視線を合わせづらいです。

 そんな私たちの様子を見て、リュミが微笑ましそうに見てくるのも落ち着かないです。

「頼れる時には頼ってください。皆、ユフィリア様にだけつらい思いをさせたいなんて思わないんですから」

「……そうですね。まずはしっかり休みを取ろうと思います」

「そうしなさい。精霊契約者の体調管理については私も聞いておいてあげるわ。……あまり気は進まないのだけどね」

「貴方、私のこと苦手そうだものね」

 リュミがクスクスと笑いながらそう言うと、ティルティは何とも言いがたい表情を浮かべました。

「どうして苦手なのかしら? 私が色々と知ってそうだから? それとも、ユフィリアも言っていたけれど私がアニスフィアに似てるから? どこか面影があると相手にしづらいのかしら?」

「……そうやってずけずけと踏み込んでくるところは本当にそっくりですよ」

「別に心から私を敬っている訳ではないでしょう? かしこまらなくてもいいのよ?」

 楽しげに笑うリュミに対して、ティルティは嫌そうに表情をゆがめました。調子が狂ったのか、無造作に髪をき混ぜています。そんなティルティの様子を意に介した様子もなく、側へと寄っていきます。

「ティルティだったわよね。今度からちょっかいかけに行ってもいいかしら?」

「はぁ!? 何でよ!?

「だって、貴方はユフィリアの面倒を見るのでしょう? 今までは必要としていないから口を出してこなかったけれど、精霊契約者の性質と向き合うなら症例や、その対処についての知識が欲しいでしょう? それとも全部自分で確かめる?」

 リュミがそう言うと、ティルティはいまいましいと言わんばかりに舌打ちをしました。

「……アニス様以上にが悪いおひとしね」

「それだけ年を食ってるということよ。まだまだあの子は若くて青いわ。それは貴方もそうでしょう? それとも、ユフィリアのために人生をかけてまで自分で調べるというのなら黙って引くけれど、ねぇ?」

「……チッ!」

「私にお人好しと言うけれど、貴方も十分過ぎる程にお人好しでしょうね」

「あぁもう、どうしてこうなるのよ!」

 ティルティは勢いよく片手を顔に当てて、そのままうめき声を上げます。そんな様子を見ていると、あまりにも申し訳なくなってきてしまいました。

「ティルティ、貴方の迷惑になるなら嫌だと言うなら断ってくれても……」

「断る理由が、コイツを嫌いだってことしかないのよ。それだけなのに断れる訳がないでしょう?」

「ふふ、私は貴方あなたと仲良く出来る自信があるのだけど?」

 リュミの言葉にティルティの頰がヒクヒクと震えました。視線だけで人を殺せるなら、と言わんばかりの鋭い視線をリュミに向けています。

 けれど、リュミはまるで怖くないと言うように余裕の笑みを浮かべています。

「あら、怖い怖い。私は貴方に好意を抱いているのだけどねぇ?」

「はん! 私のようなやつに好意を抱くだなんて、相当な変わり者だわ」

「えぇ。私はそんな貴方だからこそ、好意を抱いているのよ?」

 ニコニコと微笑むリュミ。それに対して青筋を立てながら歯をギリギリと鳴らし始めるティルティ。

「……あの二人、一緒にしてて良いんでしょうか?」

「どう、でしょうか。どちらも悪い人ではないですし、大丈夫だと思いますが」

「……本当にそう思います?」

 レイニがすがるように私を見つめてきますが、視線を向けられても困ります。リュミは私が言って止まるような人ではないですし……。

 そんな話をしていると、ティルティが髪を乱暴に搔き混ぜながら声を荒らげました。

「あぁもう、本当に面倒なことになったわ! どこぞの暴走した西部の奴、覚えてなさいよ! 絶対にいつか報復してやるわ……!」

「物騒なこと言わないでくださいよ……」

 ここで西部と関係をめたら大変なことになりそうなんですから。

 だから、私はまさかティルティ以上に面倒を起こしそうな人が現れるだなんて想像もしていなかったのです。


「──もう、西部は潰しちゃおうか」


 ──まさか、全ての事情を知ったアニスがそんなことを言い始めるだなんて。