1章 不協和音の激情
──話の発端は、アニスが王都にやってくる数日前まで遡ります。
「ユフィリア様、そろそろお時間です」
「もうそんな時間ですか。ありがとう、レイニ」
王城の執務室で、私はレイニに声をかけられて顔を上げました。
身内での会議の時間まで政務を進めるつもりでいましたが、集中しすぎていたようです。レイニが声をかけてくれなければうっかり忘れていたかもしれません。
そんな心の内を読まれたのか、レイニは呆れたように溜息を
「集中されるのはよろしいですが、少しは休みも入れてくださいね」
「えぇ、わかっています」
「わかっているなら良いのですけど……」
そう言いながらレイニはジットリと私を見つめてきます。私は逃れるように視線を
熱中しすぎてしまうと時間を忘れる癖については何度も注意されているのですが、ついつい忘れてしまうんですよね……。
「まったく! そういうところは本当にアニス様とそっくりだとイリア様も言っていましたよ!」
「以後、気をつけますから……」
「アニス様も返事だけはいいと言っていましたね……」
「さぁ、レイニ。時間が迫っているので急ぎましょうか」
このまま話を続けていては不利だと思い、私は机の上を片付け始めました。
机の上を片付け終わると、計ったかのように執務室の扉がノックされました。
レイニが扉を開けに行くと、姿を見せたのはラング、マリオン、ミゲルの三人です。
「失礼致します、ユフィリア女王陛下」
「皆、よく集まってくれました。席についてください」
挨拶もそこそこにして、三人が執務室にある来客用のソファーに腰かけました。
三人が座ったのを確認し私も対面の席に腰かけて向き直ります。この三人は私にとって信頼が置ける相手であり、定期的に相談を持ちかけていました。
「それでは早速、本日の定例会議を始めたいと思います。まずラング、魔法省の近況はどうですか?」
「
「具体的にはどのようなことを?」
「アニスフィア王姉殿下の提案で、魔法省は魔学都市に人材を送るために貴族ならぬ魔法使いたちの教育を担当致しました。この経験を基に、今後も人材発掘を継続していくために制度として整備しておきたいのです。そのための人材を引き続き選定し、教育したいと考えています」
「そうですね、それは良い考えだと思います。魔学都市の建築速度は予定よりも順調に進んでいます。これを応用して、まだまだ開拓が行き届いていない領地に手を入れるいい機会にもなるかもしれません。報告書が上がってきた際には目を通させていただきます」
「はい。それから私は将来的に魔法省の一部を独立させるべきだと考えております」
「魔法省から独立ですか?」
「はい。魔法省の中にも魔学や魔道具に関心を示す者が増えてきております。今後、更に魔学を学びたいと思う者は増えていくでしょう。魔学研究室も設立されましたし、今後の動きに対応するための組織を立ち上げた方が良いと考えました。それならば魔法省から意欲のある者を中心に独立させるのが良いかと考えた次第です」
ラングの提案に、私は思わず微笑が
かつてアニスと因縁があった魔法省が変わり始めているという事実が
私たちの努力が形になってきているのですから、自然と頰が緩みます。
「それはありがたい提案ですね。私もそうしたいとは考えていましたが、魔法省から言い出してくれるのであれば心強いです」
「えぇ。丁度、アニスフィア王姉殿下に次ぐ魔学の権威と婚姻した当事者がおりますので、適任だと思っています」
ラングがそのように言うと、マリオンが思いっきり眉間に
「ラング……君までからかってくるのか?」
「何のことだかわかりかねるな、マリオン」
楽しげに笑うラングに、マリオンは顔を赤くして怒ったような表情になっています。
ハルフィスの友人である私としても、その反応は好ましく思います。
ただ、若干の申し訳なさも感じています。ハルフィスは私やアニスと距離が近いため、どうしても政略的に狙われるようになってしまいました。ハルフィスとマリオンの結婚が急であったのも、二人が引き離されないようにするために必要な措置です。
私のせいで結果的に結婚を
「魔法省の近況は良好で何よりです。では、次の議題を取り上げましょうか」
「それじゃあ、アニスフィア王姉殿下の魔学都市の
真っ先に口を開いたのはミゲルでした。相変わらず感情が読み取りづらい軽薄な態度であり、隣に座っているラングの眉間の皺がより濃くなっています。
すっかり見慣れたやり取りに小さく笑いつつ、私は話を進めました。
「ではミゲル、どのような噂がされているか把握はしていますか?」
「まず民たちの反応ですが、少しずつ生活用品用の魔道具が民の間にも広まりつつあるので期待が高まっているという感じですね。
「私の元にもそういった貴族が来ていましたね。アニスに直接交渉をしようとする者たちがいたら厄介です。貴族の動向には注意を払ってください」
「はいはい、それはもちろん俺の仕事ですからね」
ミゲルの実家であるグラファイト家はこの国の暗部を取り
そんな彼から
「続いて貴族についてですけど、明暗は様々ですね。王家に対して友好的になった東部からの反応はいいです」
「それは朗報ですね」
「精霊石を確保するための開拓地を支援したのが決定的ですし、冒険者として活動していたアニスフィア王姉殿下の評判も残っています。それにシルフィーヌ王太后殿下が東部出身だというのも要因としてあるでしょうね」
「成る程。そちらが明るいということは、陰りが出ているのは……」
「西部の貴族ですね」
パレッティア王国の貴族の勢力は、大きく分けると三つになります。
まずは中央。この中央には北部と南部も含まれていますが、勢力としては小さい北部と南部が中央に追従しているので一纏めにされています。
次に東部。古くから王国の領土を広げるため、開拓に尽力してきた勢力ですが、
クーデターが終結した後は改革の手が入れられ、世代交代などが行われたために比較的若い世代が多いと言われています。
それ故の苦労も多く、私が精霊資源を得るために行った開拓支援を
元々お父様との縁も強いので、潜在的に私とアニスの味方が多いです。
最後に、西部。勢力としては中央に匹敵するほどの大きさを誇り、王家であっても無視することは出来ません。
代々国境線を守り、国防の要としての役割を
「ユフィリア女王陛下が即位するまで貴族の腐敗が進んでいた訳ですが、腐敗の要因となる物の多くは西部が発信源であると断言していいでしょう」
「他国から輸入された禁制品ですね……」
私が確認するように問いかけると、ミゲルは大きく
「まだ違法とは言い切れない高級品はともかく、パレッティア王国では所有が禁じられている奴隷や珍獣は問題がありますね」
「まったく、嘆かわしい……貴族としてあるまじき醜態だ」
ラングはぽつりと、吐き捨てるように言いました。
パレッティア王国では奴隷の所有が禁じられていますが、これには王国の歴史が深く関わってきます。
建国の祖である初代国王は、パレッティア王国から見て西側の国々から追われるようにしてこの地に
珍獣に関しては、万が一所有者の手から離れて野生化した場合、魔物に転ずる可能性を秘めています。そうなった時の生態系への影響や、または
それ故に他国から輸入される動物には厳しい制限が課せられている
「西部出身の貴族としては、この調査結果を知ってしまうと複雑な心境にさせられてしまいますね……」
ぽつりと苦渋を
「西部出身と言えど、アンティ伯爵家は魔法省に入ってからは中央勢力に属しているのだろう? それに西部については致し方ない一面も存在する。西部は国境の守りの要だが、同時に他国との窓口でもある。異文化に触れる機会が多く、毒されてしまうのも理解が出来なくはない。そこを自制してこそ、貴族であると私は思うが……」
「ラングはそう言うがね、自分の利益のためバレないように違法ギリギリのことをしている貴族は多いぞ。いちいち裁いてたら手が回らなくなるから、証拠だけ
「……一体どれだけ貴族の弱みを握っているというのだ、グラファイト侯爵家は」
「それは秘密だ。それが表になるのは、ウチが滅ぼされた時だろうよ」
ミゲルは不敵な笑みを浮かべますが、同時に
暗部を担うグラファイト侯爵家、その次期後継者として彼にも背負うものがあるのだと感じさせられます。
だから、なんとなく私は彼のことが気に入っているのでしょうね。大きな責任を背負う者として。性格に関してはまったくソリが合わないと思いますが。
「ともあれ、西部はオルファンス先王陛下の代より前から中央と距離を取っていたからな。実態が把握しきれていない、というのは仕方ないことだ」
「クーデターが起きた際にも、西部は国防を理由に義父上への助力は最低限だったと聞いています」
「悪く言えば西部は
「勢力としては大きい以上、無視は出来ません。私もここ数年で中央や東部の支持を集めてきましたが、西部は
「そりゃユフィリア女王陛下の一声で自分の処遇が決まってしまうんだから、あちらさんも慎重になりますって」
「……精霊契約者の肩書きは重いものですね」
王国を築いた初代国王と同じ偉業、魔法使いとしての極致、それを成し遂げた者。
私にとってはアニスの力になるための手段でしかなくて、それを
それに、それだけの力を
そのためにも、やはりアニスによって齎された魔学と魔道具を発展させていくのが正しい道の筈です。
「幸いと言っていいかわかりませんが、西部でのアニスフィア王姉殿下の評判は悪いものじゃありませんよ。好意的というよりは打算が強いですが。あそこは商いが活発なので、魔道具が流通するかもと思えば商人たちが黙っていないでしょう」
「魔道具の国外の輸出は厳しく取り締まらなければいけないでしょうね」
「そうですね。魔道具に使用されている精霊石を悪用されるのも、魔道具そのものを悪用されるようなことも、他国に要らぬ警戒をされてしまうでしょうから」
パレッティア王国では生活の補助として使用されている精霊石ですが、他国では武器として使われているという話も聞きます。それを思えば、魔道具の扱いについても慎重にならなければならないでしょう。
「先の話ではありますが、今から備えて流通の仕組みを作っておくのはいいと思いますよ。商会の評判を調べるのに心当たりがあるんで、情報を探っておきます」
「お願いします、ミゲル」
「いえいえ、我らが女王陛下の勅命であれば喜んで使命を果たしますとも!」
「……ごほん。現状ですが、西部が不穏なことを除けば細かな問題ばかりです。こちらは時間がかかりますが、解決の
ミゲルの軽薄な態度を誤魔化すようにラングがそう告げました。私は
「安定して
「……しかし、その功績でユフィリア女王陛下への関心が高まりすぎている、という欠点がありますね」
「あぁ……そういえばそうでしたね」
マリオンの呟きに、私は思わず疲労感が籠もった
精霊契約者は畏れられるだけではなく、興味の対象や、信仰の象徴になってしまうのでしょう。正直、煩わしいというのが本音ですが……。
「やはり、精霊契約については気になるものなのですか?」
「そりゃ気にならない筈がないですよ。俺は信仰心に
「国の象徴ですからね。どうしても畏敬の念を感じずにはいられません」
ミゲルとマリオンの言葉に、私はそっと息を吐きます。どちらの反応も理解が出来ます。それだけ精霊契約という偉業が貴族たちの中に根付いているという
「精霊契約も気になりますが、それよりもユフィリア女王陛下の威光に目が
「愚かなことだ。……と、言えるのも我々がユフィリア女王陛下と
「信用の置けぬ者を
お父様の名前が出てきて、つい苦笑を浮かべてしまいました。
家から絶縁されている私に対して、父上はあくまで臣下として尽くしています。それ故に意見がぶつかることも多く、周囲からは良好な関係には見られていないでしょう。
それでも私はお父様を尊敬し、尊重しています。お父様も同じように私のことを思ってくれていると感じられます。だから私たちの関係は今のままがいいのです。
そんなことを考えていると、ミゲルが問いかけてきました。
「ユフィリア女王陛下は実際、マゼンタ公爵とは
「おい、ミゲル!」
「構いませんよ、ラング。仲違いしたとは思っていませんが、互いに線は引いています。父上は私を支持している訳ではなく、国を守るために必要な義務を果たしているだけですので、その点は信じていますが」
「ふぅん。まぁ、それならいいですけど。本当に親子だけあって似てますね」
「いえ、そんなことはまったくありませんが?」
「やけに早口で否定するじゃないですか……」
ミゲルったら、おかしなことを
よくアニスも口にされますが、私がお父様のようだと思われることはとても心外です。
そう思っていると、
「しかし、西部が王家に心から恭順していないというのは昔からの姿勢だが、女王陛下への支持が増えている中で孤立するような状況を招くのは賢い選択だとは思えない。一体、何を考えているのやら……」
「それに関しては正直、いまいちわからん。西部は内部事情が複雑なんだよな。国防を
「そのどちらかが主導権を握っている訳ではないのですね?」
「どちらもお互いの急所を握り合ってるような関係なのでね、持ちつ持たれつの関係でやっていかないと立ち行かないんですよ。それだけに勢力としての結びつきは強いですが、勢力内で意思統一するのに時間がかかるので即決の動きは難しい」
私なりに調べた限りでも、西部にはそういった
明確に敵対はしていませんが、かといって完全な味方とも言えない。当然の話ではありますが、ふと時折アニスの顔を思い出してしまいます。
私にとって完全な味方と言える人は限りなく少なくて、その中でも絶対に裏切ることはない人。
時折、どうしようもなく会いたくなります。離れる機会が増えてしまって、その気持ちは強くなるばかりです。
「まぁ、西部は気長に相手をしていくしかないですよ」
「そうですね。すぐに解決しなければいけない大きな問題には
「まぁ、全部の改革をやり遂げるのに十年じゃ足りないぐらいでしょうけどね。進めていく間に問題は増えていくでしょうし」
先は長い。ミゲルの言葉に自然と溜息が出てしまいます。私の生涯において、そう長いとは言えない時間にはなるでしょう。
それでも気が重くなってしまうのは、地位の重さがそうさせるのでしょうか。
「……問題と言えば、ユフィリア女王陛下。直接聞くのは
「何でしょう、ラング」
「
ラングの問いかけに、マリオンが驚いたように目を見開いて彼へと視線を向けます。
ミゲルはいつもの微笑ですが、目に鋭い光が宿ったように見えました。
一方で、私はその問いかけを落ち着いた気持ちで受け止めることが出来ていました。
ラングはずっと問いたかったのだと思います。その気配はなんとなく感じていました。それでも、今日までなかなか問いかけてくることはありませんでした。
そこには彼なりの葛藤があったのだと察します。
「ラング、私は国の在り方を変えるつもりです。私は精霊契約へと至りましたが、だからこそ魔法の万能性というものを信じていません」
「ユフィリア女王陛下ほどの魔法使いであっても、ですか?」
「はい」
魔法はあくまで力であり、手段でしかない。以前からそのようには思っていましたが、よりその思いが強くなったのはライラナに敗北を喫してからです。
ライラナが精霊契約者にとって天敵と言う程に相性が悪かったのもありますが、そこに彼女の才能と、ヴァンパイアという種に受け継がれた執念と言うべきものがあったからこそです。
私自身、
どれだけ強大な力を振るうことが出来ても、力を扱う者が探究を続けなくてはダメなのだと彼女は私に教えてくれました。
正直、今でも夢に
「ですが、私の考えがまた絶対に正しいとは思えません。もし他の誰かが従来の在り方を引き継ぎ、それが民の幸福にも
「そうですか……」
「もしも誰かが王位を継ぐのだとしても、それは私の子ではないでしょう。私の血はこの国に残すべきものではないと考えています」
ラングは私の返答に何も言わず、唇を引き締めて何かを考え込んでいるようでした。
そんな彼とは対照的に、ミゲルは明るい表情で手を打ちます。
「それが我らが女王陛下のご意向ならば。それじゃあ、なんとか隙あらばって息を潜めてる貴族たちには警戒しておかないといけないな。ユフィリア女王陛下を狙ってる
「……それは私も把握しておくべきか、悩ましい話ですね」
あれだけアニスのことを否定し、
個人的な感情で罰するなど、女王としては問題でしかないでしょう。それでもこの
せめて利用しようと思うなら、もっと早く動けば良かったのです。だからといって、他の誰かにアニスが救われるというのも複雑な気分にされますが。
「おぉ、怖い怖い。物騒な気配が出てますよ? ユフィリア女王陛下」
「……失礼しました。つい、感情が表に出てしまったようですね」
「まぁ、この問題は何を今更感がありますからねぇ」
「離宮の追加人員についてもかなり紛糾していたしな……」
「
ミゲルはケラケラと笑っていますが、その目はやはり笑っていません。
それだけ裏で色々とあったということなのでしょうが、私としても手を抜くつもりはないので、そこには触れません。
「今更アニスに近づこうなんて、本当に今更ですね」
「まぁ、今まで冷遇したので
「それについては私も耳が痛いですが……」
「気にしたところで仕方ないことだ」
ラングが何とも言えない複雑そうな表情で
ミゲルはそんなラングを慰めるように肩を強めに
「それでもラングはアニスと真っ向から向き合ってくれました。私が問題視しているのはアニスを利用しようと考えている者たちの存在です。思惑を巡らせることそのものが悪だとは言えませんが、気に入らないものですね。せめて上手に隠して欲しいですが……」
「まぁ、それに関しては隠されても俺の仕事が増えるので勘弁して欲しいですがね」
ミゲルが肩を
「それもそうですね。……本当にこの手の問題は簡単にどうにか出来ないのが悩ましいですね。だからこそ、アニスにはこういったことで煩わせたくありません」
アニスにはただ純粋に魔法の可能性を追い求め、未来を
「まずは近々行われる西部の貴族との会合次第ですね。そこで何らかの進展が得られればいいんですけど」
「そうですね。私もそのように願いたいところです」
──そう。私はその日までそう願っていたのです。
まさか、会合の場で無視出来ない問題が発生するだなんて夢にも思わずに……。
* * *
西部の貴族との会合の目的は、今後の流通の活性化を見込んでの街道の整備と、新たな流通路の開拓について協議するためでした。
西部の要となる貴族は普段、領地にいることが多いので改めて機会を設ける必要があります。領地に籠もっている理由は様々ですが、主な理由として挙げられるのは国境の監視の必要があるからです。
そのため、王都に足を運ぶのにも調整の時間がかかると言われ、ようやく会談が始まったのですが……。
「ユフィリア女王陛下のご要望につきましては理解致しました。西部としても
そのように答えたのは、すっかり髪が白く染まっている老紳士です。
この方はローシェンナ侯爵。西部のトップと呼ぶべき人であり、御年六十を超えているご長寿な方です。
それでも老いを感じさせず、大木のような静かな雰囲気を
これはお父様と同じぐらい、いえ、お父様よりも相手にしたくないかもしれません。
西部の貴族もローシェンナ侯爵に追随しているので、主に話をしているのはこの方です。それ故にやりづらいという意識が出てきてしまうのでしょうか。
「それでは、街道整備の計画に同意を頂けるということでよろしいのですね?」
「えぇ、国に活気が満ちるのはよいことです。アニスフィア王姉殿下によって
「では、詳しい計画についても検討させて頂きたいのですが……」
「ユフィリア女王陛下、
ローシェンナ侯爵は感情を読み取らせないような淡々とした声でそのように言いました。私は思わず眉が跳ねそうになるのを
「持ち帰りたいとは、
「今後、魔学による魔道具が発展し、その原動力となる精霊石の需要が高まること。その過程で需要が高まるとされる流通の整備と開拓を進めたいということ。ユフィリア女王陛下のお考えには我々としても深い理解を示しています。しかしながら、実際に進めるとなると計画の精査が必要となるでしょう。その精査の際には、西部の事情を知る者が草案を纏めるのが良策と考えています」
「ですので、今ここで草案を協議しようと考えていたのですが?」
「失礼ながら、西部とは特殊な地となります。中央や東部とは訳が違うのです。その背景を理解せずに計画を立てても二度手間になる恐れがあります。我々としては、そのようなお手間をユフィリア女王陛下にかけるのは心苦しく思っております」
「……だから一度、話を持ち帰って西部から計画を練って提案したいと?」
「我らが主導した計画に目を通してからの方が修正するにしても手間がかからないでしょう。これも全て、ご多忙なユフィリア女王陛下を思っての進言でございます」
「ローシェンナ侯爵、そのように
魔法省の代表として出席していたラングが眉を寄せながら苦言を呈しました。しかし、それを受けてもローシェンナ侯爵は
「ふん! そんな中央の要望ばかり求められても応じられんというのがわからんのか?」
その代わりに口を開いたのは、
彼はエボニー伯爵。ローシェンナ侯爵と並んで西部では有力な貴族です。
この二人の関係は、ローシェンナ侯爵が国境を守る騎士の頂点に立っており、エボニー伯爵は流通を取り纏める要として立っていると言えば良いでしょうか?
ローシェンナ侯爵は
その様相が不気味になっているのですが、喉が焼けたかのようながらついた声がその印象を深めているようでした。
「ローシェンナ侯爵が説明したであろう! 西部は王国を守る要である! 同時に国外との交易が
「理解とは仰いますが、それが西部の不透明さに対しての弁護にはなり得ませんな」
「我々の忠誠を疑うと言うのか!?」
「誰が忠誠の話を致しましたか? 私が問題視しているのは、西部の資金の流れに不透明な部分が見受けられる点です。不正を疑われても不思議ではないというのに、問い合わせても精査に時間がかかるというばかり。何事も鈍足なのは西部のお家芸だとでも?」
「思慮深く、慎重であると言ってくれ
苦言を呈するラングに対して、怒鳴りつけるかのようにエボニー伯爵はそのように言いました。ラングは表情を動かすこともなく、淡々と応じます。
「我々は自らの職責を果たそうとしているだけです」
「はん! どこまで信用出来たものかな! シャルトルーズ伯爵の反逆は我々の記憶にも新しい! それからどれだけ立て直せたと言うのか疑いたくもなる! 未熟者の集いだからこそ、
「……それは、魔法省への侮辱だと受け取っても?」
「何が侮辱か! ただの事実ではないか?」
エボニー伯爵の一言でラングの表情が大きく
私よりも先に口を開いたのは会議に参加していた西部の貴族たちです。思わぬ者たちが声を上げたことに驚き、口を挟む機会を失ってしまいました。
「エボニー伯爵! 黙っていれば口が過ぎるのではないか!? 貴様の横暴な態度が西部の評判を落としていると自覚なさらぬか!」
「私はただ事実を申し上げただけだと言った
「しかし、問題視されているのは貴殿等の資金の不透明さである! その問題に西部全体を巻き込まないで頂きたい!」
「自らだけが清廉潔白のように
「金に目を
「何を言うか! それを言うのならば、国防のためだと無作為に資金を浪費する貴様等こそ、王国に
「エボニー伯爵! 貴様ァ!」
突如、口汚く言い争いを始めた西部の貴族たち。私は
そうして戸惑っていると、沈黙していたローシェンナ侯爵が口を開く。
「静まれ、女王陛下の前であるぞ」
「ロ、ローシェンナ侯爵……」
「……お見苦しいところをお見せ致しました、ユフィリア女王陛下。ラング
「……謝罪を受け取ります。顔を上げてください、ローシェンナ侯爵」
席を立ち、深く頭を下げたローシェンナ侯爵。どうするべきかと考えて、ここは謝罪を受けました。
ここで
そうして私が考えている間にローシェンナ侯爵が顔を上げて、静かに言いました。
「これでは纏まる会議も纏まらないでしょう。やはり、この話を持ち帰らせて頂くということで進めさせて頂けないでしょうか?」
「……それは」
私としては、ここで打ち切るというのは望ましい展開ではありません。ここで見逃したところで同じことが繰り返されるだろうという予感があったからです。
しかし、かといってどう踏み込むべきか。やはり彼等の不手際を責めることで切り込んでいくべきなのか、そう考えているとまた別の貴族が口を開きました。
口を開いたのは西部の中では若年と言うべき貴族の青年です。
「お待ちください、ローシェンナ侯爵。西部の恥を見られた以上、ユフィリア女王陛下にも我らの実態を知って頂くべきかと進言させて頂きます」
「レグホーン伯爵、控えよと言った筈だが?」
「いいえ、控えませぬ! これも王国のための進言にございます! ユフィリア女王陛下、どうかお聞き届けください!」
レグホーン伯爵と呼ばれた青年は、ローシェンナ侯爵からの制止を物ともせず私に向けて声を張り上げました。
私を見つめる真っ直ぐな視線には、異様なまでの熱が込められているように感じます。
「我ら西部の貴族は日々、この国を守るために盾としてあることを志しておりました! しかし、国境と接するが故に我々は多くの物事と向き合わなければなりません! これによって主義主張が入り乱れ、意思の統一も難しい状況に陥っております! その中に法を犯す不逞の
「き、貴様! 何を言うか!」
「畏れ多くもユフィリア女王陛下に何を願うかと思えば!」
「黙れ! 何が西部の二本柱だ! この二つの頭が我々を互いに食い合わせているのだと何故気付かんのだ!」
「だからといって、王家の介入を望むとは! 我ら西部の信念を忘れたか!」
「王家の純粋性を保つために、国の盾という使命を忘れ得ぬために、西部には独立性が必要であるというお題目のことか! それを
「証拠は、証拠はあるというのか! それがなければただの
西部の貴族たちは
まるで
「ユフィリア女王陛下! どうか西部に御身のご威光をお示しください!」
「いい加減にせぬか! ユフィリア女王陛下! この者の言葉に耳を貸してはなりませんぞ! 誰か、この者をつまみ出せ!」
「──皆、静粛に」
耳を
「レグホーン伯爵、
「ユ、ユフィリア女王陛下! この者の言葉を信用するというのですか!」
「いいえ、しかし火のないところに煙は立たないというものです。それも全ては白日の下に明かしてからになりますが……」
「これは我ら西部と王家の関係を引き裂く
「私は今、ここで貴方たちを罪人と認めている訳ではありません。詳しくは調査をしてからに……」
次々と訴え出す貴族たちの怒号を
「ユフィリア女王陛下! 時を与えれば隠蔽に走る者もいる筈です! 故に、私も含めた上で西部の貴族は拘束すべきかと進言致します!」
「小僧、貴様ッ! まだその口を閉ざさぬか!」
「黙るのは貴殿等の方だ!
レグホーン伯爵は強く叫ぶと、貴族たちは口を閉ざしました。
彼等の浮かべる表情は様々でした。
そんな彼等の顔を見つつ、私は内心
発言が行き過ぎてしまうのも、その信仰心故なのでしょう。
どんどんと頭痛がはっきり感じられるようになっていく中、この事態を収拾するために口を開こうとした時でした。私に先んじて、再びレグホーン伯爵が口を開いたのです。
「ユフィリア女王陛下! この国に平穏を
「レグホーン伯爵。確かに私は精霊契約を成し遂げ、この王位の座につくこととなりました。しかし、私は法そのものではありません。罪を裁くのは、私の意思ではなく、国の法の下でなければなりません。そこは
「そのような甘いお考えでは不正は正せませぬ!」
……今、私は一体何を言われたのでしょうか? 理解が追いつかず、言葉を失ってしまいました。
「……それでは、国の法よりも王の意思が優先されると
私の声から感情が失われ、ただ淡々と問い詰めるだけになっていきます。
感情が
「どうなのですか、レグホーン伯爵」
「御身のご威光が、西部には必要なのです。そう! それはあの地に住まう心正しき者たちを救うために! 私とて、全ての者が悪辣であるとは思っておりません! なればこそ正しき臣下のために慈悲を授けて頂きたく!」
「……ご自分で正そうとはしなかったのですか?」
「誰も私の声に耳を傾けませんでした! 長く続いた西部の体制が生み出した
……あぁ、何故こんなにも
熱意は伝わります。正しくあろうとする心意気も伝わります。きっと、彼はとても善良なのでしょう。他人を思い、己の身を粉にして尽くす精神性を持ち合わせています。
でも、ただそれだけです。それでは私の心は動きません。その事実が私に深い
「レグホーン伯爵、貴方の仰りたいことはわかりました。しかしながら、私は貴方に退室を命じます」
「ユフィリア女王陛下……! 何故ですか!?」
「この会合は王家と西部の今後を話し合うための場です。個人の嘆願を聞き入れる場ではありませんし、ましてや貴方は西部の一員としては問題になるでしょう。一度、頭を冷やして己が行いを振り返ってください」
「どうしてわかって頂けないのですか! 今の法は不正を正すことが出来ない不完全なものだと言うことは貴方様でもご理解している
「それを正すのだとしても、それは私の意思一つであってはならないのです」
「いいえ! この国は貴方の意志で変えられるのです! 何故そうも偉業の成果を他者に譲られるのですか! その力を誇示すれば誰もが貴方に
「…………それは、どういう意味ですか?」
今、私は何を言われたのでしょうか? 理解が追いつかず、思わず聞き返してしまいました。
すると、レグホーン伯爵は我が意を得たりと言わんばかりに続けました。
「かのお方の魔学という発想は民に
「……理解が及ばないのですが、何を以てアニスが分不相応だと?」
「──全てです! 冒険者として名を
──私は、一瞬時を忘れてしまっていたのでしょうか。
気付けば、私は椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がっていました。
会議の場であるからと外していたアルカンシェルを求めた手が空振りし、自分が無手であることを自覚します。
私から放たれた殺気が圧となり、空気を震わせているかのようでした。恐れおののき、椅子から崩れ落ちる貴族たちが何人かいるのを目撃しました。
その中には、直接殺気を向けられたレグホーン伯爵も含まれています。その姿を視界に入れていると息が震えて、フーッ、と獣のような
自分のことの筈なのに、薄い壁によって隔てられてしまったかのような遠い感覚。人の声ですらもどこか遠くて、何を言っているのか聞き取れません。
このまま、この衝動に身を任せてしまいたい。何故、動けないのでしょうか。目の前にいるこの不届き者をどうにかしてしまいたいのに──
「──女王陛下! お気を確かに! それ以上はなりません!!」
そうして、漸く私の耳にハッキリと届いたのはラングの声でした。
薄い壁が剝がれるように世界の認識が戻ってきます。
「ラング……」
「どうか、どうか気を静めてください!」
必死なラングの声に、少し冷静さを取り戻せたような気がします。
それでも頭が
「会議はここまでだ! 女王陛下はここで退室とする!」
口早にラングが叫び、私の手を引くようにして会議室を後にしました。
会議室を出ると、外で待機していたレイニが飛びつくように私に向かってきました。
「ユフィリア様!? 一体何があったのですか!?」

「レイニ嬢、ユフィリア女王陛下を頼む! 私はこの場を収める! 陛下をここにいさせてはいけない、すぐに離宮へお連れしてくれ!」
「ッ、わかりました!」
ラングがすぐさま指示を告げ、レイニは表情を引き締めて
「ユフィリア様、行きましょう」
「……」
「ユフィリア様! しっかりしてください!」
レイニに声をかけられるも、私はどうしても動けずその場に立ち尽くすしか出来ませんでした。
どこまでも激しい感情が湧き出るのに、湧き出た瞬間にふっと消えてしまうような虚脱感。その繰り返しが目まぐるしく行われ、指一本すら動かすのが
結局、それから私はどう離宮に戻ったのかわからないまま、西部の貴族との会合を終えるしかなかったのでした。