第五章 最初の場所で最後の場所


 俺とみずしまの「勝負」の一か月も、ついに最後の一週間をむかえた。

 いよいよ決着の時もせまったことで、みずしまもこれまで以上に全力で俺をこうりやくしにかかってくるにちがいない……と思っていたのだが。

 当のみずしまの行動はというと、これが先週とほとんど変わっていなかったのだ。

 来週にひかえた中間テストに向けて相変わらず放課後にファミレスで勉強会をするだけ。

 他に特別なことはいつさいせず、気付けば月曜日から金曜日までが矢のように過ぎていった。

 それどころか。

「……は? お休み?」

《うん。明日の土曜日はちょっと用事があってさ。だから、デートはお休みにしようと思って》

 一体どういう風のき回しなのか、金曜日の夜にみずしまからそんなれんらくがあったのだ。

 彼女の方からそんな提案をしてくるのなんて初めての事で、ちょっと面食らってしまった。

 いや、デートがなくなること自体は別に構わないし、その分自由に過ごせるのは俺としてはありがたいのだが。

 みずしまにとっては貴重であろう最後のチヤンスの半分を捨てるというのは、今までのあいつの行動パターンとは明らかにちがう。正直、ちょっと不気味ではあった。

「あいつ……最後の最後で、ま~た何かたくらんでるんじゃないだろうな?」

 いまいちしやくぜんとしなかったが、ともかくそういうわけだったので、俺は久々にフリーダムな休日をまんきつすることにしたのである。

 そうしてむかえた、翌日の日曜日。

「お~、そう見て見て。ぐんかんがあるよ、ぐんかん

「海上自衛隊と米軍の基地があるからな。そりゃぐんかんぐらいていはくしてるだろ」

 おためしのこいびと期間も最終日ということもあってか、みずしまの提案により俺たちはホームタウンから少し足を延ばしてよこの方まで遊びに来ていた。

 よこえきを降りれば目の前に広がっている軍港の景色をながめて、みずしまかんたんの声を上げる。

「やっぱりつうの船とは全然ちがうね。う~ん、せっかくならもっと近くで見てみたいけど、さすがにいつぱんじんには難しいかな」

「たしか、港から観光用のクルーズ船が出てたような気がする。軍港をぐるっと一周して間近でかんせんを見られるらしい」

「え? めっちゃ楽しそうじゃん、それ。ならあとで行ってみようよ」

「別にいいけど、たぶん事前に予約してないと乗れないぜ? 当日券が残ってるかどうか……」

「その時はその時ってことで。とにかく、ほら」

 言うが早いか、みずしまが俺のシャツのそでぐちを引っ張った。

 そのままいつものように俺のうでいてくる……と思いきや。

 そでぐちつかんでいたみずしまの右手が、するりと俺の左手にびてきて。

「え……?」

 次には俺の指に自分の指をわせる、いわゆるこいびとつなぎの状態へと移行した。

「行こっか、そう

「お、おう」

 てっきり例によってコアラみたいにくっ付いてくると思っていただけに、俺はなんだかひようけしてしまった。

 別にそれを期待していたとかそういうわけでは断じてないが。

 ただ、いつもうつとうしいくらいにベタベタしてくるみずしまにしては大人しいスキンシップだなと思ったのだ。まぁ、こいびとつなぎだって結構なものだとは思うけども。

(……大人しい、といえば)

 晴れた港の景色に目を細めてとなりを歩くみずしまを、俺は改めて横目で見やる。

 本日のみずしまのファッションは、上はシンプルな無地のニットセーターで、下はチェックがらのロングスカート。そのすそからはショートブーツがのぞいている。

 以前こいつが俺の家にしゆうらいした時も似たようなコーデだったが、今日はあの時とはちがいセーターはしっかり首元まであるタイプだし、スカートたけはくるぶしの辺りまでびている。みずしまのファッションは今まで色々と見てきたけど、今日は過去一でしゆつ度低めな組み合わせだ。

 かみがたも、左のこめかみ付近の毛を三つ編みにして垂らしているという女の子っぽいスタイル。

 いつものクールビューティーでちょっとセクシーなみずしまとは一転、今日の彼女のよそおいは正統派なせい系美少女という感じで、まさしく「大人しい」の一言だった。

(まぁ、相変わらず何を着てもオシャレに見えるのは流石さすがだけど……)

 それでも、だんあの手この手で俺をドギマギさせようとしてくるこいつにしては、いかんせん置きに行っている感がある、気がする。

(最後だしもっとキメキメで来るかとも思ってたけど。意外に無難なヤツが来たな……いや、待てよ? 実はこれもギャップえをねらったこいつの作戦という可能性も……)

 みずしまの意図を測りかねているうちに、気付けば俺はじっと彼女の横顔を観察してしまっていたらしい。

そう? どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「へっ?」

 視線に気づいてこちらをかえったみずしまの言葉に、俺はハッとして顔をらした。

「い、いや、別に……何でもないよ」

 とつのことでし方もおもかばず、言葉をまらせてしまう。

(しまった……これはまた、「いま私にれてたでしょ?」とかなんとか揶揄からかわれるパターン)

 不覚をとった自分をいましめつつ、だから俺は、みずしまのうざったいついきゆうをどうかわそうかと身構えていたのだが。

「そっか。まぁ、私の顔くらいいくらでも見てくれていいけどさ。何でもなくても」

「へ?」

 想像とはちがう反応が返って来て、思わずけな声が出てしまう。

 対するみずしまはというと、いつものクールでました彼女はどこへやら。らしくもなくくさそうに赤面したかと思えば、次にはうわづかいでこしょこしょとつぶやいた。

「だってほら、うれしいじゃんね? そうが私のことを見てくれるってだけで、その……幸せだから、私」

「いぃ!?

 あいにくと鏡を持ち合わせていなかったので、かくにんすることこそできなかったが。

(おいおいおい……だれ!? このピュアでいじらしい清純派美少女はだれなの!?

 その時の俺はきっと、みずしまい勝負ができるくらいには、顔を赤くしていたにちがいない。



 一体どういう風のき回しなのかはサッパリわからない。

 ただ、その後のみずしまとのデートは、これまでと比べるといたって健全そのものだった。

《──さて、ただいまみなさまの右手に見えておりますのが、アメリカ海軍よこ基地です。あちら側の岸に上陸する際はパスポートが必要になります。クルーズ中、万が一この船から落ちてしまったお客様は、必ずよこ方面に向かって泳ぐようにしてくださいね~》

「あはは、だってさそう。上陸する場所、ちがえないようにしないとね」

「いや落ちるの前提かよ」

 こんな具合に、運よく当日券で乗り込むことができた軍港クルーズを楽しんだ時も。

「うわぁ……うわさには聞いてたけどすごいボリュームだね、『よこネイビーバーガー』。付け合わせのポテトも大量だし、まさにアメリカンって感じ」

「やっぱり一人前にしといて正解だったろ? これでも二人で分けるには十分なんだよ」

「ふふっ、たしかに。そうのおかげで命拾いしたよ。あ、お皿貸して。私が切り分けてあげる」

 クルーズを終えて地元グルメを楽しんだり、市内を観光して回ったりしている時も。

 俺のとなりでコロコロと表情を変えては休日をまんきつしているみずしまは、い意味で「つう」だった。

「パーソナルスペース? 何それしいの?」と言わんばかりに過激だったスキンシップも、今日はすっかり鳴りをひそめている。せいぜいかたが少しれたり、たまに手をにぎってくるくらいのわいらしいせつしよくだけだ。

 初デートの「ファッションショー」やちゆう街での食べ歩きの時のように、いきなり過激で暴れ馬なしようえて俺をゆうわくしてくるようなこともない。

 むしろこれまでのほんぽうさがウソのように、今日のみずしまはガードが固いように見えた。

(どうなってるんだ? いつもは俺をまわすだけまわしてくれるくせに……今日のこいつ、マジで「つうわいい彼女」って感じじゃんかよ)

 変な小細工もいろけも使わず、真正面から堂々とこいびとらしいこいびとをやっているみずしま

 これまでとは百八十度ちがアピールけてくる彼女に、だから俺も最初のうちこそけいかいしていたのだが。

「じゃーん。このスカジャン、そうに似合いそうじゃない?」

「チョコバナナもいいけど、マンゴーも捨てがたいなぁ。ねぇ、そう。両方とも買ってさ、二人で分けない? クレープ」

「ふふっ。潮風が気持ちいいね、そう? やっぱり私、海が見える町って好きだな」

 ある意味ではかざのない、しかしだからこそしんせんを覚えるみずしまの言動に。

(くっ、なんで……なんで俺は今さら、こいつなんかに……)

 ふと気付けば、不覚にも、ドキドキさせられてしまっている俺がいた。

 そして一度そう意識してしまうと、もうダメだ。

「じゃあ、次はこのエリアに行ってみない? インスタでよく話題になってるお店が……」

「おおうっ!?

 今の今までなんとも思っていなかったはずなのに、不意にみずしまに手をにぎられて、俺はずかしさから思わずせいを上げてしまった。

「ど、どうしたのそう? びっくりした~」

「あっ、わ、悪い……急に変な声だして」

 俺の返事をおそおそる聞いていたみずしまは、次には視線を手元まで下げたところで、ハタと何事かに思い当たったようだった。

「もしかして……手つなぐの、いやだった?」

「へ?」

「ご、ごめんね? 私、つい楽しくて……はしゃぎ過ぎちゃってた、よね」

 そんなしおらしいことを言ってさびしげに目をせるみずしまの姿が、なんだか寒さにふるえる捨てねこのように見えてしまって。

「い、いやいやいやっ! 別に手をつなぐのがいやとかじゃなくて……そ、そう、虫! ちょっとデカめの虫が耳元を横切ったから、びっくりしてさ! はは、ははははっ」

 そこはかとない罪悪感から、俺はつい必死にそうフォローしていた。

「そう、なの? えっと……じゃあ、手はつないだままでもいい、のかな?」

「お、おう。だいじようだから、気にするな」

「そっか……うん。なら、良かった」

 たんに、いつものりんとしたそうぼうくずし「えへへぇ」とユルユルなみをかべて見せるみずしま

(だ、か、ら! かんべんしてくれ! そんなじやがおで俺を見るんじゃあなぁい!)

 まずい……なんか俺、今日はまともにみずしまの顔を見られないかもしれない!



 軍港クルーズをしたり市内観光したりと、朝からひとしきりよこめぐりをまんきつしていたら、気付けばぼちぼち夕方の四時をむかえようとしていた。

「結構いい時間だな。あと一、二か所くらいなら回れそうだけど……どうする、みずしま?」

 俺はスマホの時計をかくにんしつつ、次の目的地をたずねてみる。

 だが、みずしまの中ではすでにいきさきが決まっているようだった。

「じゃあ、最後にあそこに行こうよ」

「あそこ?」

 みずしまの指差す先を見てみれば、そこには港沿いに建つ大型のショッピングモールがあった。

(あのモールって……いや、まさかな)

 ふと頭にかびかけたじやすいさんさせ、俺はかたすくめる。

「何か買いたい物でもあるのか? それか行きたい店があるとか?」

「う~ん。お店、じゃあないかな」

「うん? なら何しに行くんだよ」

「それはもちろん、そういつしよにやりたかったことだよ」

 いまいち話が読めず首をかしげる俺の手を引き、みずしまは「行けばわかるよ」と言ってほほんだ。

 そうして連れられるままにモールに入り、エスカレーターをいで辿たどいたのは……最上階にある映画館エリアだった。

(ああ……なんとなくそんな気もしてたけど……やっぱりここか)

 みずしまが最後のデートの場所にこのよこを指定してきた時から、実はうすうすここに連れて来られるんじゃないかとは思っていた。

 ちらりと横を見ると、案の定だ。みずしまは意味ありげなみをかべて俺を見上げている。

「……やりたいことっていうのは、いつしよに映画館で映画をること、か?」

「うん。部屋でかんしよう会をしたことはあったけど、映画館には一度もいつしよに行ったことがなかったでしょ?」

「そうかい。にしても、わざわざここじゃなくたっていいだろうに……」

 この映画館は何をかくそう、俺とちゃんが初めてのデートでおとずれた映画館だったりする。

 あの時も、二人でちょっと遠出をしようという話になって、よこまで足を運んだんだっけ。

 まぁ、今日とちがってあの時はただつうに映画をて帰るだけのシンプルなデートだったけど。いま思えば、なんてエスコート力に欠けたかれだったんだろうな、俺は。

 だから、トラウマ……というほどではないにしろ。

 ちゃんにフラれた俺にとっては、苦い思い出の映画館というわけだ。

いやがらせのつもりか?」

「そんなんじゃないって。ただ、そうちゃんが初デートした場所で、私もそういつしよにデートしてみたかった、ってだけ」

「なんでだよ?」

「ん~だってさ、そうしたらここはもうそうにとって、『ちゃんとの思い出の場所』ってだけじゃなくなるでしょ?」

 そんなことを言いながら、みずしまはさっさとチケット売り場へと歩いて行ってしまう。

 鼻歌さえ歌いながらのじやな足取りに、俺もそれ以上は過去にひたる気はせてしまった。

(……まぁ、今さら気にしたってしょうがないか)

 センチメンタルな気分をはらうように一度大きく息をき、俺はみずしまの背中を追いかけた。

 そうして、二時間ほどをシアターの中で過ごしたのちに。

「──いやぁ~、なかなかおもしろかったね」

 映画かんしようを終えた俺たちは、モール内のカフェに移動して感想会としや込んでいた。

「私、すっかり雪国に旅行しに行きたくなっちゃったよ」

「たしかに、あんな光景をじかに見られたら最高だろうな」

 みずしまが選んだ映画は、アンデルセン童話の一作である「雪の女王」を原作とした、いわゆるおとぎ話を実写化したタイプの作品だった。

 登場人物たちの熱の入った演技もさることながら、厳しくも美しい雪国の風景も見事な映像美でびようしやされていて、これが非常に見ごたえのあるものだった。

 正直、この手のジャンルは俺の好みとは少しズレるし、る前はあまり期待していなかったのだが。やっぱりわずぎらいは良くないな、うん。

 おかげで、らしくもなくみずしまとの感想会にも花をかせてしまう。

「それにストーリーも良かったしさ。私、好きなんだよね。『雪の女王』のお話」

「そういえば、『雪の女王』ってどういう話だったっけ? 大まかには知ってるんだけど、実はちゃんと原作を読んだことないんだよな」

「そうだなぁ。私も全部を知ってるわけじゃないけど……」

 そう言ってみずしまが語るあらましは、おおむね俺のおくにあるものと似たようなものだった。

 とある雪国で暮らしている少女・ゲルダには、カイというとても仲のい少年がいた。

 しかしある日、ほうの鏡のへんが心臓にさったことがきっかけで、カイは別人のように冷たい性格になり、ゲルダにもつらく当たるようになってしまう。

 そんな時、二人の暮らす町に雪の女王がやってきた。雪の女王と出会ったカイはすっかり彼女にせられてしまい、そのまま彼女の城へと連れていかれてしまう。

 そんなカイのことを連れもどすために、ゲルダは彼を探す旅へと出かけるのだった。

「で、きよくせつの末に雪の女王の城へとたどり着いたゲルダのなみだによって、カイの心臓にさっていた鏡のへんけた。そうしてやさしい心をもどしたカイとゲルダは、いつしよに仲良く故郷へ帰りましたとさ……っていうお話。原作はもっと長いし登場人物も多いんだけど、大まかな流れは同じだね」

「たしかに今回の実写化映画でも、大筋はそんな感じだったな」

「うん。でもさ、そう考えるとこの三人の関係性って、ちょっと今の私たちに似てない?」

「どういうことだ?」

 俺がき返すと、みずしまいたずらっぽいみをかべてピンと三本の指を立てて見せる。

「だって、このお話って要は『仲良しの子を別の人にうばわれちゃうお話』でしょ? だから、そうちゃんをカイとゲルダだとすると、さしずめ私はゲルダ江奈ちやんからうばった雪の女王……みたいな?」

「いや、そりゃ逆だろ? 実際にうばわれたのはちゃんの方なんだから、それで言うならゲルダのポジションは俺だ」

「う~ん、まぁ事実はそうだけど…………内情は、あながち逆でもなかったり?」

「は? どういうことだ?」

「ううん、なんでもない。まぁ、細かいことはいいじゃん。ただのちょっとした例え話だよ」

 なんて他愛もない話をしている内に、気付けば外もぼちぼちうすぐらくなってきた。

 俺たちの「最後のデート」も、いよいよ終わりが近づいている。

 それが分かっているからだろうか。みずしまはまだ帰りたくないとでも言うように、さっきからほとんど手元のカップに口をつけようとしなかった。

「でも私、原作よりも今日の映画版の方が好きかも。特に……雪の女王の設定がさ」

 カップの紅茶をようやく一口すすって、みずしまが窓の外の港の景色に目を向ける。

「原作では、雪の女王がカイを連れ去った理由って、明確にはえがかれていないんだよね。タイトルになっている割には出番も少ないし、目的がいまいちよくわからない。だけど今回の映画版では、はっきりと理由が設定されていたじゃない?」

 みずしまに問われ、俺はうなずく。

 雪の女王がカイを連れ去った理由。映画版のしゆうばんで、それは明かされていた。

 原作とはちがい、映画版の雪の女王は、実はまだゲルダと出会う前のカイと会ったことがある、という設定にされていた。

 一人ぼっちだった雪の女王は、ある日森の中で幼きころのカイと出会い、やがて二人は友達に。

 そして、他の人間とはちがい自分のことをこわがったりしないカイに、雪の女王は段々と心かれていき……。

「でもある日、カイの前にはゲルダという別の女の子が現れ、二人はたちまち意気投合。カイはめっきり自分のもとへ来なくなってしまった。だから、もう二度と自分の元からはなれないように、雪の女王はカイを自分の城へ連れて行った……ふふ。なかなかおもしろいアレンジだよね」

 そう言ってほほみずしまひとみが、けれど少しだけさびしそうに見えた気がした。

「まぁ、結局カイはゲルダの元に帰ってしまうわけで、それでハッピーエンドなんだけど。でも私、ちょっと雪の女王にも共感しちゃうかも。これもやっぱり……同じ悪役だから、かな?」

 どこかぎやく的にそんなことをつぶやくと、みずしまはそこでちらりと時計をかくにんする。

 それから、まだほとんど口をつけていなかった紅茶を一気に飲み干して。

「……名残なごりしいけど、そろそろおそいし帰らないとだね」

「え? お、おう、そうだな」

 さっきまでとは打って変わってテキパキとかえたくを始めるみずしま

 げんに思いつつ俺も手早く片付けと会計を済ませ、やがてショッピングモールを後にした。

 建物の外に出ると、すでに陽が暮れてうすぐらい空にはどんよりとした雲が広がっている。

 なんだか今にもひと雨きそうなふんだ。

「しまったな。俺、かさ持ってきてないや」

「駅に行くくらいまでならだいじようじゃない?」

「そうだな。まぁあんまりひどくなりそうなら、駅前のコンビニで一本買っておくか」

 どんてんの夜空を見上げてまゆひそめつつ、俺はみずしまいつしよえきまでの道を歩いていく。

 そして……。

「──あれ?」

 最初にそれに気づいたのは、みずしまの方だった。

 不意に立ち止まったみずしまを不思議に思い、俺はかえる。

みずしま? どうした?」

「いや、うん。もしかしたら気のせいかもだけど……」

 歯切れの悪い物言いでそう言って、みずしまは俺たちから見てななめ前方、大きな車道をはさんで反対側の歩道を歩いていた人物を指差した。

「ねぇ、そう。あそこにいるのって……ちゃんじゃない?」

「え……?」

 言われて、みずしまの指差す方に視線を走らせてみれば……本当だ。たしかにあの後ろ姿はちゃんだ。

 しかし、きっと俺はみずしまてきされなければ、彼女がちゃんだと気付くことはなかったにちがいない。

 なぜなら今日のちゃんはなんというか、すごくらしくない格好をしていたからだ。

 いわゆるらい系ファッション、というやつだろうか。やたらフリルやレースがついたかた出しのピンクブラウスに、だいたんに太ももをしゆつさせた黒のミニスカート。ひざから下はこれまた黒いレースのソックスにおおわれており、足にはたくさんそうしよくほどこされたロングブーツをいている。

 かみがたはいつもと同じで特にわえたりはしていないが、頭にはパンクな感じの赤いカチューシャをつけ、そして首元にはおみの首輪というよそおい。

 正直、「どちら様ですか?」って感じだ。

 街中ですれちがっても、もしかしたらちゃんだと気付かないかもしれないレベルである。

「え、ちゃん? な、なんでこんな所に……それにあの服装は一体?」

「それはわからないけど……でも、どうやら一人ってわけじゃなさそうだね」

 みずしまの言う通り、たしかにちゃんのとなりには連れ合いらしき人物がいた。

 見た目からして大学生くらいの若い男だ。

 そのうえ、男はちやぱつでパーマでピアスで丸メガネでダメージジーンズだった。

 早い話が、ちゃんのとなりにいたのは、お手本のように典型的なパリピ男だったのだ。

「んなっ!?

「う~わぁ……」

 俺のおどろきの声と、みずしまの苦虫をつぶすようなつぶやきが重なる。

「な、なん、なん……なんだよアレは!? どういうことだよ!?

「どうもこうも、見たまんまなんじゃない? どう見てもデート帰りの現場でしょ、あれは」

 じようきようが飲み込み切れずあわてふためく俺に、みずしまてるようにつぶやいた。

「はぁ~あ、そっかぁ……ちゃん、今度はあのお兄さんにくらえしたってわけかぁ」

「は、はい!?

 じゃあ、何か? ちゃんは俺のことをフッてみずしまと付き合うことになったのに、実はその裏でさらに別の男とも関係を持っていたとでもいうのか!?

 それで今日は、その新しい男と仲良くよこデートしていたってことなのか!?

「まぁ、私だって似たようなことやってるわけだし、言えた義理じゃないけどさ……ちょっとショックかも。まさか、あの清純派なちゃんがあそこまで『こい多きおと』だとは思わなかったなぁ」

「こ、こい多き……って、いやいやいや! ありえないって! これはきっと何かのちがいだ!」

 だって、あのちゃんだぞ?

 せいれん大和撫子やまとなでしこ、真面目で優等生なおじようさまなんだぞ?

 れんあいどころか友達付き合いにもおくで、俺と付き合うまでは同年代の男子とまともに会話したこともないって言ってたくらいなんだぞ?

「なのに、お前のその言い方じゃまるで……まるで、ちゃんがこいびとをとっかえひっかえしているとんでもない悪女みたいじゃんか!」

「そりゃあ、私だってそう思いたくはないけど……でも案外、それがあの子のほんしようだったりするのかもよ? だってほら、見てごらんよ」

 言われて、俺はうながされるままにちゃんの方へと視線をもどす。

 今日一日のデートの感想でも語り合っているのだろうか。ちゃんはとなりを歩くパリピ大学生と何やら親し気に言葉をわしている。

 しまいには少しまどりを見せつつも、なんと男のみぎうでにギュッと自分のうでからませ始めてしまった。すごく……すごく、仲が良さそうだ。

「あ~あ~、すっかりたらし込まれちゃってさぁ。あの典型的ならい系コーデも、あのチャラ男さんのしゆなのかもね」

「そ、そんな……」

 あまりにも受け入れがたい光景に、俺は眩暈めまいがしてきた。

 たしかに……ちゃんには、俺をフッてみずしまえたという「前科」はある。

 けれどそれは、きっと俺がちゃんの心をつなぎとめておけるだけの男ではなかったからだ。俺がなかったから、ちゃんはあいかしてしまったんだ。

 でも、みずしまちがう。俺なんかとはちがってビジュアルも良ければ頭もいし、おまけにカリスマJKモデルだ。財力だって、きっとその辺の高校生の比じゃないだろう。こいびととしてこれ以上の優良物件もそうそうないと思う。

 だからちゃんだって、俺の時とはちがってみずしまあいかすようなことはない、って。そう……思っていたけど。

「はっ!? も、もしかしてちゃん、俺たちの『関係』に気付いたんじゃないのか? だからあんな風にグレちゃったんじゃ……」

「う~ん、あの子の前でボロを出したことはないと思うけど。土日と放課後はそうと過ごしていたとはいえ、学校にいる間は常に構ってあげてたから、さびしさのあまりに、ってこともないだろうし」

「じゃ、じゃあ……本当に、あれがちゃんのほんしようだった、ってことなのか?」

 頭の中で、これまでのちゃんとの思い出がフラッシュバックする。

 好きな映画について楽しそうに語っていたちゃん。

 三か月記念日のプレゼントをおくってくれたちゃん。

 いつか手編みのマフラーを編むと言ってくれたちゃん。

 そんな、まるで地上にりた天使みたいだったちゃんは。

(全部……本当の姿じゃなかった、っていうのか?)

 急に足元の地面が音を立ててこわれていくような感覚におそわれて、俺はとうとうひざから地面にくずちてしまった。

「え、ちょっ、そう? だいじよう?」

「……こわい」

「え?」

「……女の子って、こわい」

「おおぅ……女性きようしよう、一歩手前って感じだねコレは」

 ふと気が付けば、いよいよポツリポツリとあまつぶが降ってきた。

 うなれる先の白いアスファルトの地面が、じよじよに黒くりつぶされていく。

「降ってきちゃったか……そう、とりあえず駅まで行こうよ。もうすぐそこだから。ほら、ひとまず私のかさに入って」

「あ、ああ……そう、だな……」

 ポンポンとやさしくかたたたいてくるみずしまの言葉にうなずいて、俺はヨロヨロと立ち上がる。

 ななめ前方のちゃんたちに目をやれば、二人はこれまた仲むつまじそうに一本のかさを分け合い、かたを寄せながら駅前広場へと向かっていた。

(ああ、そうか……もう、どうあがいても俺の手が届かない場所に行ってしまったんだ)

 いよいよ泣き出してしまいそうな俺をさすがに見かねたらしい。

 立ち上がった俺のかたを支えて歩きながら、みずしまが心配そうに顔をのぞき込んでくる。

そう。その、なんて言えばいいか……」

「……だいじよう、わかってる。むしろ、これではっきりして良かったんだよ。俺と付き合っていたころちゃんはもう……どこにもいないんだって、さ」

 もはやなみだを流すのもとおして、俺はかわいた笑いをこぼしながら、せいぜいそんな強がりを言うことくらいしかできなかった。

「……帰ろう、みずしま

「うん……ねぇ、そう。あんまり気を落とさずにね。そうの落ち込んだ顔を見るのは、私もつらいからさ」

みずしま……」

「まぁ、そうからちゃんをうばった私が言うのもなんだけどね」

「……それもそうだな。お前が言うな、まったく」

 俺をはげまそうとしてか、みずしまがあえておどけた口調で揶揄からかってくる。

 正直、今はもう何も考えたくないくらい気がっているからか、彼女のそんなさいこころづかいすらやけに胸にみて、俺はいよいよがしらが熱くなるのを感じた。

 しかし。

「……ん? ねぇ、そう

「うん?」

「あの二人、なんか様子が変じゃない?」

 そんなみずしまの言葉に、俺はもう目をそむけたい気持ちを押し殺して、再びちゃんたちの方に顔を向ける。

 二人は今、ちょうど駅前広場へと続く歩道橋を歩いているところだった。

 しかし、歩道橋の中間ほどにかった所で足を止めて、何やら言い合っている様子だ。

 俺たちのいる場所からはその内容までは聞き取れないが、遠目から見たちゃんの表情はおだやかではない。

 先ほどまでとは打って変わって、険悪なムードがただよっているらしいことだけはうかがい知れた。

「な、なんだ? 急にどうしたんだ、ちゃん?」

「あのお兄さんとけんにでもなったのかな?」

「ええ? そんなことあるか? さっきまであんなに仲良さそうだったのに……」

 俺たちが首をひねっている間にも、二人の言い争いはさらにエスカレートしていく。

 というよりも、男の方が一方的にちゃんに何事かをまくし立て、ちゃんの方はおびえた表情でそれをじっとえているようなふんだ。

 そして。

(おいおい……ダメだろ、それは)

 しまいには男が左手でちゃんのかたつかみ、空いたもう片方の手を大きくりかぶったところで、俺は頭が真っ白になってしまった。

 もしも、あの男が本当にちゃんの新しいこいびとなんだとしたら。

 たとえ二人がけんをしようと、それはあの二人で解決するべき問題だ。いわんや、俺みたいな赤の他人がでしゃばるようなことじゃない。

 だけど──それでも俺は、ちゃんがこわい思いや痛い思いをしようとしているのをだまって見ていられるほどには、いさぎよい人間でもなかった。

ちゃんっ!)

 ついさっきまで彼女から目をそむけようとしていたことも忘れて、だから、俺は思わず歩道橋への階段をがろうと走りだす。

「待って」

 そんな俺のうでつかんでみとどまらせたのは、みずしまだった。

そう、何するつもり?」

「何って……お前も見ただろ!? あのろうちゃんに手を上げようと!」

「だから? 割って入っていって、『ちゃんに手を出すな』とでも言うつもり?」

「ああ」

「『助けて』って言われてもいないのに?」

 言われて、俺はほんのいつしゆん言葉をまらせてしまう。

さわらぬ神にたたりなし、じゃなかったの?」

「それは……」

 自分の中の正義感に疑いもせず従って、望まれてもいない人助けをする。

 そんなのは正義の味方でもヒーローでもなんでもなく、ただの自己満足ろうであることを、俺はよくよく知っている。

 みずしまの言う通り、だからこれは、俺自身がいつもきらっていた「おせつかい」ってやつなんだろう。

(……それがどうした)

 けど、今は俺のそんなちっぽけなポリシーなんてどうでもいい。

 ちゃんがピンチだと言うのなら、俺はいくらでもおせつかいろうになってやる。

「関係ない」

 静止の声をって階段を上ろうとすると、俺のうでつかみずしまの手に力がめられる。

 それからゆっくりと息をくと、みずしまんでふくめるように俺をたしなめた。

「……ねぇ、もういいじゃん。そうだれよりもやさしい人だから、放っておけないのかもしれないけど。ちゃんはもう、私たちを置いて別の場所に行っちゃったんだよ? ならもうそうがこれ以上、あの子を気にかけてあげる義理はないんじゃないの?」

 はだにポツポツと冷たいものが当たるかんしよくが広がっていく。

 どうやらあまあしが強まってきたらしい。

 時折通りかかる車のライトが、降りしきる無数のあまつぶを照らし出した。

「それに……そうがあのチャラ男さんからちゃんを助けてあげたとしても。それであの子がそうの元にもどってくるわけじゃない。ここで飛び出してもそうには何の得もないどころか、余計みじめな思いをするだけかもしれないよ?」

 それはきっと、みずしまなりに俺のことを案じて言ってくれた言葉なんだろう。

 たしかにみずしまの言う通りだ。

 ここで俺が飛び出して、それこそヒーローよろしくちゃんのことを救ったとしても。

 彼女にとってしよせん俺は元カレ。いや、もはや委員会が同じだけの「ただの同級生」だ。

 俺にあいかしたからこそみずしまくらえしたのであろうちゃんが、たかだか一度ピンチにけつけた程度で、もう一度俺にいてくれるなんてことはない。

 現実ってやつはいつも、映画の中の世界ほど都合のいシナリオでは成り立っていないんだ。

 得られるものは何もない。

 むしろ、みじめな自分にさらに追い打ちをかけるようなことになるだけかもしれない。

「それでも、行くの?」

 限りなく「やめておきなよ」に近い、みずしまのその問いかけに。

「……行くよ」

 けれど、俺はきっぱりと言い返した。

「義理とか、損得とか、そういうのじゃない。──俺が助けたいから、助けるんだ」

 しゆんかんみずしまくちびるわずかに引き結ばれる。

…………やっぱりキミは、そうするんだね」

 次にはみずしまが何事かボソリとつぶやくが、それを気にするゆうは俺にはない。

 引き留める彼女のうでをやんわりと押しのけると、俺は今度こそ階段をがり、ちゃんたちの前におどた。

「──ちょっと待ったぁ!」



なぐいがしたいなら、俺が相手になってやる!」

 今まさにちゃんをなぐろうとしていたチャラ男の前におどて、おどろちゃんを背にかばい、俺はがらにもなくそんなたんを切っていた。

 だから、きっとそのままストリートファイトにとつにゆうするだろうとかくしていた、のだが。

「いきなり出てきてマジなんなんだよお前……ちっ、あ~めんどくせぇ」

 ところがどっこい、さにあらず。

「キモいヒーロー気取りろうのせいですっかりえちまったぜ。もういいわ、お前ら。好きにしやがれ」

 思いのほかあっさりと引き下がったチャラ男はひどくめんどうくさそうにそう言うなり、ちゃんをほっぽり出してさっさと一人で帰ってしまったのだ。

「ええっ、と……とりあえず、事なきは得た、のかな?」

 あらごとにならずに済んだのはばんばんざいだが、やけにぎわのいいチャラ男になんだかすっかりひようけしてしまって、俺はポカンとやつこさんの背中を見送るばかりだった。

 なんだ、あいつ? 割って入った俺が言うのもなんだけど、急に現れた見知らぬ男に彼女を預けてさっさと帰っちまうとは、はくじようなやつもいたもんだ。

「……あの、はらくん?」

 ほっと胸をろしていた俺は、けれど背後から呼ばわれてハッとする。

 そうだ。ちゃんを助けに飛び出してきたはいいけど、色々と説明をすっ飛ばしちゃってたんだよな。

「あ~、えっと……ごめん、さともりさん! 急に俺なんかがしゃしゃり出てきて、びっくりさせちゃったよね?」

「い、いえ……それより、どうしてはらくんがここに?」

「それは、その……き、今日は、たまたまよこに用事があってさ! それで、かえぎわさともりさんが男の人と歩いてるのを見かけたから……ちょっと、気になって」

 俺がとつにでっち上げたけいに、それでもちゃんは「なるほど」となつとくしたようだった。

 本当になおで良い子で……それだけに、危なっかしいんだよな。

「そしたら、さともりさんがなぐられそうになってたから、つい放っておけなくて」

「そう、だったんですね」

「後をつけるようなことしてごめん! それに今だって、もしかしたら余計なお世話だったかもしれない……勝手なことばっかりして、ごめん。本当に」

 俺は深々と頭を下げて、せいいつぱいの謝罪の言葉をちゃんに告げた。

 さわらぬ神にたたりなし。

 自分の正義感だけに従ってだれかを助けようとするのは、ヒーローではなくただのおせつかいろう

 そんなことは百も承知だったはずなのに、当の俺自身がその「おせつかいろう」になるなんて。

 冷静になって思い返せば、まったく笑ってしまう話だ。

(……ちゃん、あきれてるだろうな)

 おそおそる顔を上げて、俺はちゃんの二の句を待つ。

 しかし、俺の心配とは裏腹に、ちゃんの表情に非難やいかりの色はなかった。

「そんな……謝らないでください。はらくんが来てくれなければ、きっとひどいことになっていたと思いますから」

 俺を責めるどころか、ちゃんはそんなぶかい言葉をかけてくれた。

 さっき、みずしまは俺のことを何と言っていたか。だれよりもやさしい人、だったか?

 とんでもない。俺なんかよりもちゃんの方が、あつとうてきにその評価に相応ふさわしい。

 こんなじようきようで言うのもなんだが、やっぱりマジで天使みたいな女の子だ。

 いや、むしろ天使そのものと言ってもいいね。うん。

(ただ……だからこそ、分からない)

 こんなやさしくて、けんきよで、せいれん潔白な女の子であるちゃんが。

 俺みたいないんキャオタクはともかく、あのスパダリでカリスマなイケメン美少女モデルであるみずしままで差し置いて、だ。

 あんな一山いくらみたいなチャラ男にうわをするなんてことが、本当にあるんだろうか?

ちゃんがそこまで節操がない性質だなんて、少なくとも俺は思えないんだけど)

 そこまで考えたところで、俺はほとんど無意識のうちに口を開いていた。

「あ、あのささともりさん。それで……」

 一体、あのチャラ男とはどういう関係なのか。いつどこで知り合って、どういうけいで今日いつしよけることになったのか。

 よっぽどそう聞こうかとも思ったのだが。

「いや、ごめん……なんでもない」

 現在のこいびとであるみずしまならいざ知らず、もはや赤の他人に過ぎない俺がそれを聞くのはやっぱりおかどちがいな気がしたので、やめた。

「もうすぐそこだけど、せめて駅まで送るよ。ああ、もちろんめいわくじゃなければ、だけど」

 仕切り直すように頭をって、俺はちゃんに提案する。

「いいんですか? ですがはらくん、見たところかさをお持ちでないようですが……」

「あ~平気平気。俺はちょっとくらいなられてもだいじようだから」

「いえ、そういうわけにも……あ、それなら」

 かみの先から水をしたたらせながらさっさと歩き出そうとする俺に、ちゃんが手に持っていたかさを差し出してくる。

「これを、二人で使いませんか? 駅まで行くだけなら十分だと思います」

「えっ?」

 そ、それってつまり、いわゆるあいあいがさってやつですか!?

「い、いいの?」

「はい。私を送るために雨にれさせてしまうのも申し訳ありませんし」

「あ~……」

 降ってわいたあいあいがさイベントにじやつかん喜んでしまったが、ちゃんの方は特に意識していないご様子。あくまで人として常識的な判断をしただけ、という感じだ。

 うん。分かってた。分かってはいたけど、やっぱりこの事務的な対応はさびしいです、はい。

「えっと……じゃあ、行こうか?」

「はい」

 ちゃんのかさを俺がさし、そうして二人並んで歩き出す。

 かさのサイズがつうよりも小さめだったため、俺はちゃんのかたれないように、かなり彼女寄りになるようにかさかたむけていた。

 それでも、心なしかちゃんが俺の方へきよめてきている気がしたのは、多分、俺の脳が見せた都合のさつかくちがいない。

 そうして並んで歩き出した俺たちは、特に何を話すでもなくただただだまって駅までの道のりを進んでいき。

 ほどなくして駅に辿たどいたところで、別れのあいさつをするためにようやく口を開いた。

「送っていただいて、ありがとうございます。それに、さっきのことも。今日は本当に助かりました」

「いやいや! 俺なんかホント、大したことはしてないしさ。とにかくさともりさんが無事で何よりだよ。はは……」

…………

…………

 二言、三言交わしたところで、けれど俺たちの間には気まずいちんもくが流れてしまう。

 話したい事ならいっぱいある。今日は何をしによこまで来たのか、とか、あのチャラ男は結局ちゃんの何だったのか、とか。

 だけど、残念ながらそのどれもが今の俺には知る資格がないことで、だから何も聞けないことが歯がゆかった。

 こうしてだまっているところを見ると、きっとちゃんも、今日のことについて俺に話すことは何もないと思っているんだろう。

「……それでは、そろそろ電車が来ますので」

「え? あ、ああ、そうだね……」

 やがてちんもくいて、ちゃんがペコリと頭を下げる。

 どれだけ服装が変わっても、そのとしてていねいな所作は少しも変わっていない。

 少なくとも、こいびとをとっかえひっかえして遊んでいるような女の子のそれとは、俺はやっぱり思えなかった。

(本当に、今までのちゃんはウソだったのか?)

 きびすかえして駅の改札口へと向かっていくちゃん。

 遠ざかっていく彼女の背を見つめながら、俺ののうにふとよぎったのは、いつかの屋上での出来事だった。

『私──信じています』

 あの時、そう言って俺に口づけ──だったと思う──をしたのは、一体どういう意図でのことだったんだろうか。

 何か俺に伝えたい、秘めた思いでもあるのだろうか。

 はたまた、それすらも彼女の本当の姿ではなかったというのだろうか。

 ──ちゃんの本心が知りたい。

 今このしゆんかんほど、そう強く感じたことはなくて。

「……あ、あのっ! ちゃん!」

 気付いた時には、俺の口からは彼女の名前が飛び出していた。

 かえちゃんに向けて、しぼすように言葉をつなげようとして。

「あ、その……帰り道、気を付けて」

 けれど、やはりそれすらももう俺には知る資格がないことだと思い直し、結局はそんなたりさわりのないセリフしか出てこなかった。

 かたすくめて目をせる俺を、ちゃんはしばらくの間じっと見つめて。

…………ごめんなさい」

 最後に短くそれだけ言い残すと、足早に改札口のざつとうの中へと消えて行ってしまった。

(ごめんなさい、か)

 それが一体なにに対しての謝罪なのかも、今の俺には推測することすらできなかった。

 ああ……俺ってやつはほんと、ちゃんのことを何も分かってなかったんだな。

 そりゃあ、フラれるのも当然って話か。

「あいつの言う通り……みじめな思いをするだけだったなぁ」

 駅構内のてんじようを力なく見上げながら、俺はちようした。

「……って、やべっ。そういえば、そのみずしまのことをほったらかしだった」

 とつだったとはいえ、雨の中に「彼女」を置き去りにしたのはさすがにマズかったよな。

 これじゃあ、俺もさっきのパリピ男のことをとやかく言えないじゃんか。

「まぁあいつかさ持ってるし、心配ないと思うけど……うぉっ!?

 駅を出てみずしまの所までもどろうとした俺は、しかし、かえった先の光景にギョッとする。

「……み、みずしま?」

 いつの間に追いかけて来ていたのか、みずしまは俺の後ろ、ちょうど駅の屋根がある部分のすぐ外の辺りで立っていた。

 しかし、どういうわけか今の彼女はさっきまで差していたはずの自分のかさをすっかり丸めてしまい、手で持っているだけ。

 必然、かみから服から全身が雨でずぶれになってしまっていたのだ。

「お、お前、何やってるんだ? 早く入れよ、ひいちまうぞ?」

 俺はあわてて屋根の下に来るように手招きをするが、みずしまはただじっとだまってくしたまま動こうとしない。

 れたまえがみかくれてしまっているせいで表情もよく見えないし、無言なことも相まって、それがなんだか不気味だった。

「お、おこってるのか? その、置いていったのは悪かったよ、ごめん。あの時は……」

 きっと静止の声も聞かずに勝手に飛び出し、置き去りにしたことに腹を立てているんだろう。

 そう考えた俺は、おそるおそる謝罪と弁解を口にしようとして。

 ──ガバッ。

「んんんんんんんんっ!?

 しかし、次にみずしまがとった行動は、俺をどうもくさせるには十分すぎるものだった。

(な、な、な……!?

 声を出すこともできず、俺はさながらかなしばりにでもあったかのように身動きをとることができずにいた。

 それもそのはず。だってみずしまは、いきなり俺のふところに飛び込んでいてきたかと思ったら、そのままを言わさずくちびるを重ねてきたんだから。

(こ、こいつ、いきなり何のつもりだ!?

 あわてて引きはがそうとするのだが、みずしまぜんしんぜんれいの力で俺に密着し、絶対にはなれようとしない。そしてその間も、決して口付けを止めようとはしなかった。

「……んっ……はぁう……じゅるっ……」

「んんっ……ちょ、待っ……むぐっ……!

「ぇあ……ひゅむ……んはぁ……はむっ……」

 いや、それはもう「口付け」とか「キス」とかいう生易しいものじゃない。

 らえたものむさぼしよく者のように、骨のずいまでしゃぶりくそうとするけもののように。

 みずしまはただひたすらに俺のくちびるねぶっていた。ねぶり続けていた。

 昼間に見せていたせい清純な彼女の姿は、もはや見るかげもない。

(こいつ、舌までっ!?

 降りしきる雨の音に交じって、みずしまあらいきづかいと、おたがいのねんまくなまめかしくう音がまくげきする。

(ま、まずい……意識が……)

 そうして、実に数十秒ほどにもわたってくちびるを重ね、いよいよ俺の理性も宇宙の彼方かなたにぶっ飛びそうになったところで。

「………ぷは」

 ようやくこうそくを解いたみずしまが、一歩、二歩と後ずさった。

 れたまえがみをかきあげて、その向こうから現れたエメラルドのひとみでじっと俺を見つめてくる。

 真意はまったくわからない。

 それでも、目の前の少女が何かただならぬ様子であることだけは確かだった。

…………好き」

「え?」

「……好き、好き、好き好き好き好き好き。大好き。世界で一番キミのことが好き。本当は『好き』なんて二文字だけで表すことなんてできないくらい……私は、そうのことが好き」

「みず、しま……?」

 ひようひようとしていて、こっちがどれだけ目をらそうとまるで本心を見せようとしないだんの彼女からは想像もできないほどに、むき出しの感情を見せてそう告げてくるみずしま

「いつもキミのことだましたり、わなにハメたり、うそくこともあったから、信じてもらえないかもしれないけど……私、本気だよ? 本当に、そうのことが好きなんだ。心から」

 おだやかにほほみ、けれどどこかすがるような目をして、みずしまがそう言ってくるものだから。

「急にどういうつもりなんだ」とか、「つまり何を言いたいんだ」とか、そんな茶々を入れる気も起きずに、俺はただただぼうぜんくすことしかできなかった。

「……あはは、ごめんね。急にこんなこと言われても、ワケ分からないよね」

 やがて、少しだけいつもの調子にもどったみずしまが、再びツカツカと俺の方へ近づいてくる。

「でも……とにかく今は、伝えておきたかった。伝えておかなきゃいけないと思った。私が、どれだけそうのことをおもっているのか、ってことを」

「それは……」

 正直、今は頭が混乱していて、ロクに考えもまとまらない。

 それでも、ひとつだけはっきりとわかったことがあった。

 いや……俺はもうきっと、いつかこいつが命がけで俺をかばってくれた時から、うすうす分かっていたんだろう。

 ずっとしていたけれど。

 ずっと目をらしていたけれど。

そう、私はね──キミのヒロインになりたいんだ」

 俺の耳元に顔を近づけ、みずしまささやくようにつぶやいたその言葉は、やっぱりまぎれもなく彼女の本心なんだということを。

 理由も、けいも、いまだにわからないけれど。

 どうやらこのみずしましずという少女が本気で自分のことを好きであるらしいことだけは、筋金の入ったひねくれ者である俺でも、さすがに認めざるを得ないようだった。

「今日で『勝負』も終わりだね」

 するりと俺のわきを通り過ぎたみずしまが、そのまま首だけをこちらに向けて改札口へ歩いていく。

「明日さ、待ってるから──答え、聞かせてね」

 最後にそれだけ言い残し、みずしまは人ごみにまぎれてけむりのように去ってしまった。