二、三年くらいは行かなくてもいいかな、と思う程度にはシーパラを満喫し尽くした、その翌日の日曜日。
昨日は散々歩き回って疲れたし、今日はお互い休養日にしよう……という展開にはもちろんならず、俺はやはり水嶋とのデートに付き合わされていた。
とはいえ、さしもの水嶋も完全には体力が回復しきっていないようで、今日は大人しく近場のプラザでのショッピングを提案してきた。
まぁ、昨日あれだけはしゃいでいた上に、結局は閉園時間いっぱいまで遊び回ったからな。
水嶋以上に体力の消耗著しい俺にとってもありがたい話だし、断る理由はなかった。
「さてと。じゃあ色々見て回る前に、まずは必要な買い物を済ませちゃおうか」
そんなわけでやって来たのは、桜木町駅からほど近い「ミナトミライスゴイタカイビル」、もとい横浜ランドマークタワーのプラザだった。
「ほ~ん。必要な買い物って? 日用品か何かか?」
「まぁ、そんなところ。悪いんだけど、颯太もちょっと付き合ってくれない?」
「別に構わないけど……荷物持ちをさせるつもりなら、あんまり大量に買い込んでくれるなよ。なにせ今日の俺はいつも以上に体力が無いからな」
「ふふ、大丈夫だよ。別に体力は借りるつもりないから」
「ならいいけど」
なんだか回りくどい言い回しが少し気になったが、ひとまず俺は水嶋の後に付いていく。
やがてたどり着いたプラザ二階の一軒のテナントの前で立ち止まると、水嶋はクルリと俺に向き直った。
「はい到着~。じゃあ、さっそく入ろうか」
「へいへい。なら折角だしついでに俺も何か買って……って、アホっ!」
グイグイと袖口を引っ張る水嶋の手を払いのけて、俺は思わずベタベタなノリツッコミをしてしまう。
「わお、びっくりした。急にどうしたの、颯太?」
「びっくりしたのはこっちだ! てっきり雑貨屋とかドラッグストアにでも行くのかと思ったらお前、何だよこの店は!」
詰め寄る俺に、けれど水嶋は毛ほども悪びれる素振りを見せずにのたまった。
「何って、ただのランジェリーショップだけど?」
水嶋が指で示す先には、内装全体がパステルカラーなピンク色や紫色にカラーリングされたオシャレな雰囲気のショップ。
男が足を踏み入れるような場所ではない、とひと目で分かるファンシーなオーラ漂う店内には、色もデザインも様々な女性用下着がずらりと並べられていた。
「いやね。私もモデルの端くれだし、体形管理には気を付けてるつもりなんだけど、最近またブラがキツくなってきちゃってさ。こないだサイズを測ってみたら、とうとうきゅ──」
「聞いてないから!」
恥ずかしげもなく自らの胸囲を申告しようとする水嶋を制し、俺は深い深いため息を吐いた。
というか、現時点でも高一女子としては規格外なのに、まだ成長するというのか……末恐ろしいにも程があるな。
「はぁ~……つまり、お前の言う『必要な買い物』ってのは下着のことだったと」
「うん」
「で、俺にその下着選びに付き合えって?」
「うん」
「なんでやねん!」
水嶋が曇りなき眼で頷くものだから、今度はシンプルにベタツッコミが出てしまった。
まったく勘弁してほしい。いくら女子と一緒だとは言え、さすがにあの手の店に入れるほどの度胸パラメータは割り振っていないんだ、俺は。
こんな事を言ったら失礼かもだが、正直、女子更衣室とか女子トイレに入れと言われているような気分だ。
「俺は入らないぞ。ここで待ってるから、行くならお前一人で行ってこいよ」
「それじゃ意味ないじゃん。どんなデザインが颯太の好みなのか知りたいんだから、一緒に選んでくれないと」
「知るか! あるわきゃねぇだろ、女物の下着の好みなんか!」
俺が「シッ、シッ!」と手を払うと、水嶋はわかりやすく不満そうな顔をして。
「もう、わかったよ。そこまで嫌なら一人で行ってくる。でもちょっと時間かかるかもよ? 私のサイズ、いつもあんまりいい感じのデザインのやつ見つからないし」
「ならその辺の店で適当に時間潰してるよ。終わったらチャットで連絡くれ」
「了解。あ~あ、どうせ新調するなら颯太が選んでくれたやつが良かったんだけどなぁ」
未練がましくボヤきながらも、結局は渋々ショップの中へと消えていった。
ふぅ、やれやれ助かった。別に何の罪に問われるわけでもないんだろうけど、さすがにあれだけの女性用下着に囲まれちゃ気まず過ぎるからな。
ほっと胸を撫で下ろした俺は、さてどうやって時間を潰そうか、と辺りを見回した。
生憎とランジェリーショップのある通りはブランドもののブティックや化粧品店ばかりで、やはり俺のような男子高校生はいささか場違いな感がある。
「お? あれは……」
と、そこで。
フロアの吹き抜けを挟んだ反対側に、大きな書店チェーンがあるのを見つけた。あそこなら暇つぶしにはちょうど良さそうだ。
俺は吹き抜けを迂回して本屋に向かい、ブラブラと当て所もなく店内を物色する。
そういえば、最近追いかけている漫画の最新刊が、ちょうどこの前発売されてたんだっけ。折角本屋に来たことだし、ついでに買っていこうか。
思い立って漫画コーナーへと赴いた俺は、それから新刊の並ぶ棚をチェックしようとして。
「……佐久原くん?」
「へ?」
不意に背後から掛けられたその声に驚き、反射的に振り返る。
「え……さ、里森さん!?」
聞き覚えのある澄んだ声の持ち主は、案の定、江奈ちゃんだった。
まさかの遭遇に声が裏返ってしまう。そんな俺の様子に若干困惑した表情を浮かべながらも、江奈ちゃんは律儀にペコリと頭を下げた。
「はい。こんにちは、佐久原くん」
「え? あ、ああうん……こんにちは?」
図書委員の仕事で会う時のように、あくまでも事務的な口調で挨拶をしてくる江奈ちゃん。

学校の外でも変わらない彼女の態度につられて、気付けば俺も思わず頭を下げていた。
休日だから当然と言えば当然だが、今日の江奈ちゃんはいつもと違って制服姿ではない。
上はゆったりとしたタートルネックのセーターで、下はくるぶしまであるロングスカートと、清楚な彼女らしい落ち着いたスタイルのファッションだ。そして首には、今日も今日とて例の首輪をつけている。
(おお……私服姿の江奈ちゃん、なんだか随分と久々に見た気がするな)
制服よりも露出度は少ないけど、これはこれでまた趣があって……。
(って、いやいやいや! 吞気に鑑賞してる場合じゃないだろ、俺!)
俺はのぼせかけてしまった頭をブルブルと振った。
「佐久原くん? どうかしましたか?」
「な、何でもない! それよりも奇遇だね、こんな所で会うなんて! はは、はははは!」
我ながら不自然だと思うくらい爽やかに笑いつつ、しかし俺は内心で焦りに焦っていた。
(まずい、まずい! ちょっと待ってくれ!)
ここで江奈ちゃんと出くわしてしまったのは、非常に由々しき事態である。
なぜなら俺は今、江奈ちゃんに内緒で、彼女の現恋人ということになっている水嶋とショッピングをしている最中。つまり、絶賛「浮気デート中」なのだ。
たまたま別行動をしていたことだけは不幸中の幸いだが、もし俺が水嶋と一緒にデートしていたなんてことが江奈ちゃんにバレたら……ダメだ、想像するのも恐ろしい。
ここはなんとか悟られないようにやり過ごさなければ!
「ええっと、里森さんは買い物中? 何か欲しい本でもあったりするの?」
俺は少しでも怪しまれないようにあくまで平静を装いつつ、ひとまず当たり障りのない世間話をぶつけてみる。
江奈ちゃんは気のせいか一瞬慌てた様子で「へっ?」と呟くも、すぐにまた凜とした態度に戻ってコクリと小さな顔を頷かせた。
「え、ええ、まぁ。手芸関係の本を少々」
「手芸? ああ、そうか」
そういえば、江奈ちゃんは高等部になってから手芸部に入ったんだっけ。
本当は俺と同じ映研に入りたかったみたいだけど、周りの友達から「あんな変人の巣窟にわざわざ行くことはない」と必死に止められたらしい(ひどい)。
だから映画の次に興味があった手芸をやってみることにしたんだそうだ。
『いつか、颯太くんにマフラーでも作ってあげられるように頑張りますね』
なんて嬉しいことを言ってくれたこともあったっけ。まぁ、今となってはそれももはや叶わぬ夢になってしまったワケだけれども。
くそぅ……江奈ちゃんの手編みマフラー、欲しかったなぁ!
きっとどんな高級素材で作ったマフラーよりもあったかかったんだろうなぁ!
「佐久原くんは、今日はお一人でお買い物ですか?」
しみじみとあの頃の思い出に浸っていたところで、江奈ちゃんがどこか訝しげに尋ねてくる。
「へ? ま、まぁそんなところかな、うん! ちょっと本をね、探してて!」
「なるほど…………じゃあ、今日は一緒じゃないのかな」
俺が頷くと、江奈ちゃんは小さな声で何事かを呟いた。
「ん? ごめん、なんて?」
「いえ、何も。それで、探している本というのは見つかりましたか?」
「あ、ああ~、それなんだけどさ。どうやらこの店には置いてないみたいで。ぼちぼち別の本屋に行ってみようと思ってたところなんだ」
「別の本屋さん、ですか?」
「うんうん。それにほら、里森さんの買い物を邪魔するのも悪いしさ。ってわけで、この辺で退散させてもらうとするよ」
言うが早いか、俺は「それじゃ!」と片手をあげて回れ右。そのまま書店の入り口に向かって歩き始めた。
ちょっと強引だったかもしれないが、この際細かいことは言っていられない。
今はとにかくこの場を離れて水嶋と合流し、一刻も早くこの建物から脱出しなければ。
立ち読みをしている客の合間を足早に縫って、やがて入り口へとたどり着き。
「──あ、あの、佐久原くんっ」
しかし、書店を後にしようとした俺の足は、そこでピタリと止まる。
名前を呼ばれて振り返ってみれば、そこには俺の背中を追いかけてきたらしい江奈ちゃんの姿があった。
「あの……もしよければ少しだけ、私の買い物に付き合ってもらえませんか?」
………………ファ?
「……図書室に新しく漫画を置く?」
「はい。実は、手芸関係の本を探すのはついででして」
その後、再び書店の漫画コーナーまで戻ってきた俺は、江奈ちゃんの言う「買い物」について説明された。
今の帆港の図書室にはいくつか漫画本も蔵書されているが、それらはどれもいわゆる「学習漫画」に分類されるものや、俺たちが生まれる前に書かれていたような古典的なものばかりだ。
「ただ、そうした本はなんというか……生徒の皆さんはあまり興味がないみたいで。以前から司書教諭の中山先生のもとに、『もっと最近のものやエンタメ性のあるものも置いてほしい』という声が届いていたそうなんです」
そこで、このほど中山先生が図書委員の各メンバーに「新しく蔵書する漫画」のアイデアを募る、という運びになったのだそうだ。
「じゃあ、里森さんもその漫画選びをするために本屋に?」
「はい。ただ、私は正直あまり漫画に詳しくなくて……だから、できれば佐久原くんの意見も参考にさせていただければ、と」
なるほど。それでさっきの「付き合ってほしい」発言に繫がってくるわけか。
せっかくの休みの日にまで委員会の活動をするなんて、相変わらずなんて真面目な子なんだ。
「……あれ? でも、俺は中山先生からそんな話は聞いてなかった気がするけど……そのアイデア募集って、いつの話?」
図書委員の各メンバーへの募集ということなら、俺の所にもその話が来るはずなんだが……。
まさか俺、ハブられてる? それとも存在を忘れられている?
「そ、それは、えっと……」
ふと浮かんだ疑問を投げかけると、途端に歯切れが悪くなる江奈ちゃん。
あっちこっちに視線を泳がせるその様は、どう言い訳をすればいいか必死に考えているようにも見えた。
おっとぉ? もしかしてだけど、俺ってマジで仲間外れだった感じ?
俺以外のメンバーで構成された図書委員のチャットグループとかある感じ?
いやまぁ、それならそれでも別に大して気にしないけども。
俺がはぐれ者気質なのは今に始まったことじゃないし。
「えっと……そ、そう! 中山先生からお話があった際に、私から佐久原くんにも伝達するように言われまして。ほら、私たち、おなじシフト同士ですし」
どこか取り繕うような口調で、江奈ちゃんはそう説明した。
う~ん、気を遣われてるなぁ……でもまぁ、せっかくこうしてフォローしてくれてるんだし、ここはそういうことにしておいた方が良さそうだな。
「とにかく、そういうわけでご協力いただけないかと。もちろん、貴重な休日かと思いますので、佐久原くんのご迷惑にならなければ、ですが」
「そ、そうだなぁ」
本音を言えば今すぐこの場を離れたいところなんだけど……。
「ダメ、でしょうか?」
うっ! こ、こんな捨てられた子犬のような目をされては、すごく断りづらい!
俺はポケットからスマホを取り出し、チラリと待ち受け画面を覗き見る。
水嶋からの連絡は……まだ無いみたいだな。
「……わかった。そういうことなら、俺もアイデア探しに付き合うよ」
しばしの逡巡の末に、俺は首肯した。
まぁ、水嶋も「時間がかかる」って言ってたし……ちょっとくらいなら、大丈夫だよな?
「本当ですか?」
「もちろん。それに、図書委員の仕事って言うなら、俺もメンバーとして手伝わないわけにはいかないしね」
「ありがとうございます、佐久原くん。助かります」
相変わらず事務的ながらも、江奈ちゃんが心なしか声を弾ませる。
そうして話もまとまったところで、俺たちは改めて漫画コーナーをぐるりと巡ってみた。
「ちなみにだけど、里森さんはもう何かアイデアとかあったりする?」
「そうですね。漫画とはいえ、あくまでも学校内に置くものですから。あまりにも娯楽に特化したものや、過激なものは難しいかもしれません」
「となると、やっぱり少年漫画とか異世界系コミックとかは除外かな」
「なるほど……佐久原くんは、普段そういった漫画を読んだりはするんですか?」
「まぁ、人並みにはね」
二人並んで歩きながら、顔を突き合わせてあーでもないこーでもない、と言葉を交わす。
考えてみれば、委員会活動の一環という名目はあるものの、こうして休日に江奈ちゃんと過ごす時間というのは随分と懐かしい感じがする。
まるで「あの頃」に戻ったみたいだな……なんて、そんな仕方のないことを考えてしまう自分に、思わず苦笑した。
「佐久原くん?」
「ごめん、何でもないよ。それより、学校に置いてあっても不適切じゃなくて、かつ多少のエンタメ性もあるものとなると……この辺りなんかどうかな?」
俺が指差したのは、実際の歴史や文化、民族などをベースにしたタイプの漫画たちだった。
「例えば、これは中世のヴァイキングたちをテーマにした戦記モノで、こっちは平安京を舞台にした怪奇サスペンス。ストーリーとか設定こそ架空だろうけど、どっちも当時の時代背景の描写がリアルだったり、実在の人物がキャラクターとして登場したりして、結構勉強になったりするんだよ」
「なるほど。それならたしかに、学校の図書室にあっても不自然ではありませんし、読み物としても楽しめそうですね」
目から鱗、といった風に頷いた江奈ちゃんは、俺に習うようにして本棚に目を走らせる。
並べられた本の背表紙をなぞるように指をスライドさせ、やがて一冊を手に取った。
「あ、これはどうですか? 大英帝国時代のメイドが主人公の恋愛ロマンス、だそうですよ」
「いいかもね。当時の上流階級の生活様式なんかも、主人公がメイドならリアルな描写が……」
そこまで言いかけてふと、俺は数日前に目にした江奈ちゃんのメイド姿を思い出し、思わず口を噤んでしまう。
気まずさから唐突に目を伏せた俺を見て、最初はキョトンとしていた江奈ちゃんも、やがてその理由を察したらしい。にわかに頰を朱色に染めて、勢いよく俺から顔を背けてしまった。
「あ~、その……メイドものは、止めとこうか。いや、特に理由はないけどね!?」
「そ、そうですねっ。私も別にメイドさんに何か思うところなど全く、全然、これっぽっちもありませんが……ひとまず、これは保留ということで」
あの時の犬耳マスクメイドさんはあくまでも「エレナさん」であって、里森江奈とは何の縁も関わりもない人物である。
気恥ずかしそうに口元に手を当てる江奈ちゃんの横顔は、言外にそう主張していた。
う~ん……やっぱりあの時の江奈ちゃん、自分でもやってて相当恥ずかしかったんだろうなぁ。これ以上ほじくり返すのは酷ってもんだろう。
(それにしても……じゃあ、なんで江奈ちゃんはメイドなんかに……)
ブブッ、ブブッ──。
不意にズボンのポケットが振動し、思考の海に沈みかけていた俺の意識が引き戻される。
慌ててポケットからスマホを取り出せば、水嶋からの着信画面が表示されていた。
(やばっ!? そういや、いつの間にか結構な時間経っちまってるな……)
きっと買い物が終わったという連絡だろう。
あまり水嶋を待たせるわけにもいかないし、流石にそろそろ潮時か。
「佐久原くん? どうかしましたか?」
「へっ? いや、えっと……」
ああでも、こっちの本選びはまだ終わっていないし、付き合うと言った手前こんな中途半端な状態で投げ出すわけにも……!
震え続けるスマホと、不思議そうな顔で俺を見上げる江奈ちゃんとを交互に見て。
(や、やむを得ん!)
後から考えてみれば、我ながら何を血迷ったのか、と思わないでもないが。
「ごめん、里森さん! ちょっとお腹痛くなってきたから、トイレ行ってくる!」
気付けば俺は江奈ちゃんにそう口走っていた。
「え? さ、佐久原くん?」
「すぐ戻るから! だから里森さんはここで待ってて! 絶対にここから動かないでね!」
「は、はぁ……」
頷きながらも怪訝そうに首を傾げる江奈ちゃん。そんな彼女を尻目に書店を後にして。
(くそっ……こんなことなら、多少無理してでも遠出のデートを提案するんだったぜ!)
神様の悪戯と己の不幸を呪いながら、俺は大急ぎで水嶋の元へとひた走った。
「お~そ~い~」
息せき切ってランジェリーショップまで戻ってきた俺への、水嶋の第一声である。
「可愛い彼女を待ちぼうけさせて、颯太は一体どこまで行ってたのかなぁ?」
「わ、悪い……ハァ、ハァ……ちょっと、トイレに寄ってて」
紙袋を片手に腕組みをして仁王立ちしていた水嶋に、俺は呼吸を整えながら弁明する。
ジトッとした目でそれを聞いていた水嶋は、けれど次にはフッと口元を緩めて破顔した。
「ふふ、なんてね。冗談、冗談。待っててくれてありがとう。おかげでゆっくり選べたよ」
「そ、そっか。そいつは良かった」
「ちなみに今買ったのはこんな感じのやつで~」
「それは見せんでいい!」
「あはは、冗談だってば」
そうしてひとくさり俺を揶揄ったところで、水嶋はおもむろに腕を組んできた。
「じゃあ、買うものも買ったことだし、あとは色々見て回ろっか」
「お、おう」
「颯太はどこか行きたいお店とか、ある?」
「へ? う~ん、そうだな……」
なんて、考える素振りを見せるものの。今の俺は、ぶっちゃけ買い物どころではなかった。
(とりあえず戻ってきたはいいけど……さて、どうしたもんか)
俺と水嶋がデートしている場面を江奈ちゃんに見られるわけにはいかないが、かといって俺が水嶋の知らぬ間に江奈ちゃんと会っていたことがバレるのもまた問題だ。
『江奈ちゃんのことなんて考えないで』
昨日の水族館で水嶋が放ったセリフが脳裏を過る。
どういう心境の変化かはわからないが、最近の水嶋はなんというか、なんだか妙に江奈ちゃんを警戒しているように感じた。
「勝負」が始まった当初は江奈ちゃんの話題が上がっても軽く受け流す程度だったけど、今のこいつは俺が彼女のことを考えたりするだけでも、あからさまに不機嫌になるんだ。
それが例えば、ただ嫉妬心や独占欲といった感情からのものであればまだ話はわかるけど……なんとなく、どうもそれだけではないような感じもする。
いわんや、俺がデート中に江奈ちゃんと「密会」していたなんて知れたら、こいつにまた何をクドクド言われることやら。
ただ偶然出くわしただけとはいえ、だから、知られないに越したことはないだろう。
(一番いいのは、さっさとここを出て別のプラザなりに行くことなんだろうけど)
とはいえ、江奈ちゃんに「すぐ戻るから待ってて」と言ってしまった手前、そのままバックレというのはあまりにも後味が悪い。
別の施設に移動してしまえば戻ってくるのは難しいし、今ランドマークタワーを離れるわけにはいかないよな。となると……。
「……そういえば俺、いくつか文房具を切らしててさ。たしか上の階に文具店があったと思うから、ちょっと付き合ってくれないか?」
「文房具? うん、全然いいよ。じゃあ行こっか」
二つ返事で了承する水嶋に、俺は内心で「ヨシ」と指を鳴らした。
俺たちが今いるのはプラザ二階の南エリア。江奈ちゃんがいる本屋もこのエリアにある。
そして、文具店があるのは五階の北エリアだ。階層もエリアも違うし、江奈ちゃんにも本屋から移動しないように言ってある。まず鉢合わせることはないだろう。
ランドマークタワーの外には出ず、かつ水嶋と江奈ちゃんが遭遇しないように誘導し、その上で両方との買い物をカバーできるように立ち回る。
かなり綱渡りにはなるが……この状況をうまくやり過ごすには、もうこれしかない!
「文房具屋さんかぁ。私も何か買い足しておこうかな。あ、そうだ。せっかくだし、颯太が何か私に選んでプレゼントしてよ」
エスカレーターで上階へと向かう道すがら、水嶋が出し抜けにそんなことを言う。
「プレゼントって、文具をか?」
「そうそう。さっきは颯太に下着を選んでもらえなかったし、その代わりってことで」
落差がひどいな、おい。
「文房具なんて、わざわざ人から貰うようなもんでもないだろ。自分で買えよ、そんくらい」
「え~、いいじゃん。颯太の試験勉強だって見てあげてるんだから、これくらいのお返しがあったってバチはあたらないと思うけどなぁ」
「うっ! そ、それを言われると断りづらいんだが……ちなみに何が欲しいんだ?」
「う~ん……万年筆とか? ペン先が金のやつ」
「高っけぇぇわ! 自分で買えよ、そんなもん!」
そうこうしている内に、やがて俺たちは目的の文具店へとたどり着いた。
(さて、ひとまず水嶋をあの本屋から遠ざけることには成功したが……あとは、どうやって自然にこの場を一時離脱するかだな)
これ以上待たせると怪しまれるかもしれないし、そろそろ一度江奈ちゃんの所に戻らないといけないだろう。何かうまい言い訳を考えなければ。
まったく……俺はどっちかと言えば人の演技を撮影する側の人間であって、自分が演技をするのはそこまで得意じゃないんだけどな。
(うん、そうだな。これでいこう)
そうして頭の中で算段を立てたところで、一足先に店内へと足を踏み入れていた水嶋がくるりと俺に向き直る。
「それで、颯太が切らしてる文具って? 教えてくれれば、私も探すの手伝うよ」
「おう、サンキュー。ならまずは……」
と、そこまで言いかけて、俺はあえて言葉を切る。
次にはあからさまに焦燥した表情を浮かべ、おもむろにポケットをまさぐり始めて見せた。
「颯太? 急に難しい顔してどうしたの?」
「……俺、財布置きっぱなしにしちゃった、かも」
普段から息をするように噓、ハッタリをかましている水嶋のことだ。こっちが下手な演技をすれば、きっとすぐに看破されてしまうに違いない。
そう考えた俺は、過去に本当に財布を失くした時の出来事を思い出しながら、精々深刻な表情と声を作って水嶋に向き直った。
そう。あれは忘れもしない、中学二年の冬のことだ。家族旅行で訪れた群馬県は草津の温泉街を散策していたら、いつの間にか尻ポケットに入れていた長財布が消えていたのである。
当時は雪も降っていたし、道に落とした財布なんてすぐさま埋もれてしまってまず見つからないのが普通だろう。あの時はさすがに「終わった」と思った。
まぁ、幸いにも心優しい人が俺の財布を拾って交番に届けてくれていたらしく、なんとか事なきを得たけれども。以来、俺は絶対に長財布は使わないと心に決めたのだ。
閑話休題。
「え、財布を? ど、どこに?」
実体験をもとにした俺の慌てっぷりは奏功し、どうやらそれなりのリアリティを演出できたらしい。水嶋もにわかに動揺する素振りを見せていた。
「多分、さっき行った二階のトイレだ」
「あちゃ~。なら早く取りに戻らないと」
「ああ。ごめん、俺ちょっと行ってくる」
「じゃあ私も一緒に……」
「いや、大丈夫! すぐ戻るから、水嶋はここで待っててくれ!」
後に続こうとした水嶋にそう言い含めて、俺はそそくさと文具店を後にする。
一度五階の北エリアから南エリアへと移動し、エスカレーターを一気に下って二階へ。
フロアの雑踏を速足で駆け抜けて、ほどなく先ほどまでいた書店まで戻ってきた。
「あ……お帰りなさい、佐久原くん」
店の中に入ると、律儀というか何というか、江奈ちゃんはさっきまで俺と一緒に眺めていた本棚の前から微動だにしていなかった。
いや、たしかに「ここから動かないで」とは言ったけれども。まさか本当にその言葉通り待っているとは。
首元にチラリと覗く例の首輪も相まって、その姿はさながら主人の帰りを待っていた忠犬の如しだ。さしずめ「ハチ公」ならぬ「エナ公」といったところか……違うか。違うね、うん。
「た、ただいま。待たせちゃってごめん」
「いえ、私は大丈夫です。でも、随分と時間がかかっていたようですけれど」
「それが、二階の男子トイレがどこもかしこも混んでて。最寄りのトイレなんてもう長蛇の列でさ。あちこち走り回ってたんだよ。いやぁ、参った参った!」
身振り手振りを交えての俺の適当な口八丁を、それでも江奈ちゃんは「そうでしたか」と言って信じてくれたようだった。
う~ん、素直。俺が言うのもなんだが、ちょっと心配になるレベルだ。
将来悪い男に引っかからないといいけど……いや、もう悪い女には引っかかっているが。
「漫画選び、再開しましょうか」
「あ、ああうん。そうだね」
と、頷いてみたはいいものの。
結局すぐにまたここを離れて、水嶋の元に戻らないといけないんだよなぁ。
今度はどんな理由で抜け出したものか。
(……結局、今日もハードな一日になりそうだな)
「颯太、大丈夫? なんか疲れた顔してるけど……もしかして具合悪い?」
「だ、大丈夫だ、問題ない。ちょっと歩き疲れただけだから」
そうして、何度か水嶋と江奈ちゃんの元を往復した頃には、さすがに俺もすっかり気力と体力を消耗してしまっていた。
「そう? なら、いいんだけど」
当然だが、水嶋はいつまでも同じエリアに留まってはいない。色々な店を見るためにあちこちの階に移動する。
なので、水嶋に見つからないように、俺はその度に江奈ちゃんを別のフロアへと誘導しなければいけなかった。
プラザには二階の店の他にも何店舗か本屋があるので、別の階に誘導すること自体はそこまで難しくなかったのは幸いだったが。それでもこう何度も階段やエスカレーターを上り下りすれば、そりゃあ疲れた顔のひとつも浮かぶってもんである。
(そろそろ抜け出すための言い訳もネタ切れになってきたし……マズいな)
四階西エリアのブティック内。目の前で服選びに勤しんでいる水嶋を見やりながら、俺は冷や汗を流していた。
「うん。こっちの色の方が良いかな、やっぱり。じゃあ、これとこれ合わせてみるから、ちょっと待っててくれる?」
「お、おう。行ってこい」
俺が頷くと、水嶋はウキウキした顔をしながら、店内に一つきりの試着室へと入っていった。
カーテンによって水嶋の姿が見えなくなったところで、深いため息を吐く。
(この様子じゃ、こっちの買い物はまだまだ終わりそうにないなぁ……)
となると、やっぱり江奈ちゃんとの漫画選びを早々に終えて、彼女の方を先にランドマークタワーから離脱させるのが得策か。もう施設内の本屋もあらかた巡り終えてしまったことだし、江奈ちゃんとのターンは次で最後に……。
(……んんっ!?)
なんて考えながら何気なくブティックの入り口に視線を向けたところで、俺は思わず目を見開いた。
それもそのはずだ。だって、店の前の大通りに、なぜか江奈ちゃんがいたんだから。
(なぜここに!?)
江奈ちゃんとはさっきまで一階北エリアの本屋にいた。そこで俺は、「四階の本屋で買い忘れた本があるから」と言って抜け出して来ていたのだが。
(しまった、さすがに待たせ過ぎたか? しびれを切らして、俺を探しに来たのかも!)
向こうはまだこっちに気付いていないみたいだが、俺たちが今いるブティックはそこまで大きな店じゃない。店前の通りからでも店内全体を十分に見渡せてしまうだろう。
俺は江奈ちゃんの視界に入らないように、ひとまず近くにあったマネキンの陰に隠れて様子を窺う。どうにかこのままやり過ごせればいいが……。
「……(スンスン)」
ブティックの前を通り過ぎようとした江奈ちゃんは、けれどしきりに鼻をヒクつかせると。
(な、なにぃ!?)
なんと、次にはおもむろにブティックの店内に入ってきた。
(な、なんでだ!? 姿は見られてないハズなのに……はっ!)
そういえば江奈ちゃん、前に俺が体育倉庫の跳び箱に隠れた時も、「颯太くんの匂いがした気がした」とか言ってたような……。
まさか江奈ちゃんには、俺の匂いを感知できるほどの嗅覚があるとでもいうのか?
(ど、どうする!?)
俺は必死に頭を回転させながらキョロキョロと店内を見渡して。
やがて、つい先ほど水嶋が入っていった試着室が目に入った。
(他に隠れられそうな場所はあそこぐらいしか……いやっ、でもさすがにそれは……!)
などと葛藤している内にも、江奈ちゃんはどんどん俺の潜んでいるマネキンの近くまで歩いてくる。迷っている時間は、もうなさそうだ。
(……ええい、ままよ!)
とうとう覚悟を決めて、俺は試着室のカーテンに手をかけて中へと踏み入った。途端に、甘い金木犀の香りが鼻をくすぐってくる。
「へ……?」
当然と言うべきか、試着室の中には今まさに着替えの真っ最中の水嶋がいた。
いきなり押し入って来た俺を啞然とした表情で迎えると、さすがに羞恥心が勝ったのか、水嶋はいつものように俺を揶揄う余裕もなさそうに狼狽する。
「うえぇ!? そ、颯太!? な、なん、なんで急に……!?」
顔を赤くしながら珍しいくらいに慌てふためく水嶋。
そんな彼女の口を右手で素早く塞いで、俺は壁際まで押し込んだ。
「んむ!?」
試着室の中は、人間二人が入るにはやや手狭な広さしかない。
なので、俺は必然的に左手で壁ドンをしながら、着替え中の水嶋を右手で押さえつけるような格好になってしまう。
(……傍から見たら今の俺、完全に変態犯罪者だよなぁ)
顔見知りとはいえ、着替え中という無防備な状態でいきなり乱入してきた男に身動きを封じられてしまったんだ。
江奈ちゃんをやり過ごすためとはいえ、水嶋にはちょっと怖い思いをさせてしまったかもしれない。あとでちゃんと謝らないとな。
「悪い、水嶋。文句なら後でいくらでも聞くから……今は、少し静かにしててくれ」
一抹の罪悪感を覚えながらも、外に声が漏れないように、俺は囁き声で水嶋に言い含める。
「…………(コク、コク)」
しかし、一方の水嶋は驚きに目を丸くしてはいるものの、特に怯えるような素振りは見せずに、素直に頷き返してくる。
それどころか、なぜか風邪で熱に浮かされている時のようなトロンとした瞳で、じっと俺の顔を見上げていた。
そうして五、六分ほども固まっていただろうか。やがて試着室の外から江奈ちゃんの気配が消えた頃を見計らい、俺はカーテンの隙間から店内を見回した。
「……行ったみたいだな」
どうにか危機は去ったらしい。俺は安堵のため息をついて、水嶋の拘束を解いてやった。
「あ……えっと、よくわかんないけど、もう喋っても大丈夫?」
「ああ。悪かったな水嶋。突然こんな、こ、と……」
試着室内を振り返った俺は、そこでようやく、水嶋が下着にシャツ一枚を羽織っただけというあられもない格好をしていたことに気が付いた。
「うおわっ!?」
俺は慌てて試着室を飛び出し、カーテンを閉めてくるりと背を向ける。
「わ、悪い! 見るつもりはっ……!」
「あはは。べつに、そこまで必死に謝らなくても大丈夫だよ」
「け、けど」
「たしかにちょっとびっくりしたけど、それだけ。前にも言ったでしょ? 『颯太に見られて恥ずかしいことなんて一つもない』って」
いや、さすがに一つ二つくらいはあってくれ……俺が言うのもなんだけど。
「それに、颯太が理由もなくこんなことする人じゃないって知ってるからね。それで? 何かあったの?」
「あ、ああ、そうだな……」
水嶋の質問に、俺はしばし考えてから答える。
「実はさっき、店の中に帆港の知り合いが入ってきて」
噓は言ってない。「元カノ」だって知り合いは知り合いだしな。
「帆港生の知り合い? それって、颯太の友達?」
「そうそう、友達! 山口っていうんだけど、小学生の頃からの付き合いでさ」
こっちは思いっきり噓である。悪いな山口、もとい樋口。せいぜい盾にさせてもらうぜ。
「他の奴らならまだしも、あいつ、俺が休日にこんなショッピングモールに来るような奴じゃないって知ってるからな。見つかったら絶対怪しまれちまう」
「なるほど。それで慌てて試着室に身を隠した、と」
「ああ」
水嶋の言葉に頷いて、それから俺は努めて自然体を装いながら言葉を続ける。
「でもあいつ、もしかしたらまだ近くにいるかもな。いま店を出たら鉢合わせるかもだし、ちょっとその辺を見回ってくるよ。すぐ戻ってくるから、水嶋はそのままここにいてくれ」
「え? う、うん。わかった……颯太も見つからないように気を付けてね」
若干訝しげではあるものの、水嶋としても帆港生と出くわすのは避けたいようで、素直に俺の離脱を認めてくれた。
よし。これで後は江奈ちゃんを追いかけて合流し、そのままあっちの買い物を終わらせてランドマークタワーから送り出せば任務達成だ!
「すみません、佐久原くん。せっかくの休日なのに付き合っていただいて……でも、お陰で色々と参考になりました。ありがとうございます」
「いやいや。俺は特に何もしてないから。それに図書委員としての仕事なんだから、手伝うのは当たり前だしね。気にしないでよ」
フロアの二階からプラザ北の正面口を見下ろすと、颯太と江奈ちゃんがそんな会話をしているのが見えた。
(なるほどねぇ……颯太ってば、それでちょくちょく抜け出してたのか)
なんとなく、おかしいなとは思っていた。
いつもは表情や声色からすぐにボロが出て分かりやすいのに、今日の颯太は彼にしては演技が自然過ぎたのだ。
だから、本当にトイレや忘れ物を取りに行くためにいなくなっていたんだとばかり思っていた。ついさっきまでは。
(調べた限りだと、颯太の小学校からの友達の名前は『山口』じゃなくて『樋口』だったはず。必死に隠そうとするあまり、最後に余計な噓をついちゃったかな?)
詰めが甘いなぁ、と呟きつつ、視線を颯太から江奈ちゃんの方へと向けてみる。
あくまでも事務的な態度を崩さないけど……同類だからわかる。あれは、必死に自分の気持ちを押し留めている顔だ。
あの様子じゃ、多分ここに居合わせたのは本当に偶然っぽいけど……。
「う~ん……良くないなぁ」