7章 令嬢、証明する



「メイベル! とうとう私も自由の身よ!」

「城内謹慎期間が終わって、ようございました」

 両手を広げて大空を仰ぎながら、晴れやかな声を上げるテレーゼ。そんなお嬢様のスカートのすそが少し折れているのをちょちょっと直しながら、メイベルが冷静に言った。

 昨日、女官長から言い渡された「向こう二十日間の、仕事以外での外出禁止令」期間が終了し、テレーゼは晴れて外に出ることを許されたのだ。

「見て、メイベル! この美しい秋の空さえ、私の自由を祝福してくれているようだわ!」

「曇っておりますが」

「いいのよ。雲の向こうで、お日様が微笑んでいるのだから!」

 久しぶりに堂々と外出できるので、テレーゼの気分は上々だ。こうなったら、少々天気が悪かろうと関係ない。

 本日、テレーゼは市場調査と買い物のために城下町に下りることにした。休日だし仕事でもないので、いつもの女官服ではなくシンプルなワンピースとカーディガンをまとい、ふわふわのローズブロンドの髪はメイベルに太めの三つ編みに結ってもらった。これなら、「お供を連れたちょっと裕福な家のお嬢さん」に見えるのではないだろうか。

「最近、あまり内職ができなかったようですものね」

「女官としてのお仕事があるからね。でも、流行は移ろうもの……まめに状況把握していないと、あっという間に時代の波について行けなくなってしまうわ!」

 端切れでパッチワークを作ったり毛糸たわしを作ったりするテレーゼだが、作るものには季節感やその時の流行を取り入れるようにしていた。

 たとえば今年であれば、若い女性の服や小物にフリルが付いているのが流行らしい。外出用のポンチョやブラウス、スカートの裾はもちろんのこと、ポシェットのポケットやブーツの折り返し部分、ショート丈のグローブの縁などにもフリル要素を入れる。ビラビラ大量に取り付けるのではなく、ちょろっと見え隠れするのがおしゃれポイントらしい。

(だから、小物を作る時にもフリルを入れると売れ行きがいいのよね)

 試しに、同じ端切れで作ったクッションカバーを売り比べしたことがある。片方にはアクセントにフリルを入れ、もう片方には入れていない。

 その結果、フリルを入れた方が圧倒的に売れていた。端切れ代に加えてフリルを余分に買わなくてはならないので初期投資は掛かってしまうが、売れ行きを鑑みるとフリルを入れた方が客のウケがよく、結果として黒字になることが分かった。

 市場を歩く際には、道行く人たちの服装にも気を配る。そうすると自ずと、「今何が流行っているのか」が見えてくるのだ。

(こういうのって、普段のお仕事でも活用できそうよね)

 女官としてお世話をする貴族は年配の者が多いが、中には以前チャリティー観劇で同行したバノン子爵夫人のように若い世代の者もいる。身だしなみを整えたりするのは侍女の仕事だが、流行を把握しておくと世間話のきっかけになるし、もし夫人に何か尋ねられた際にもなめらかに受け答えをすることができる。

(日々けんさん、勉強ね!)

 一般市民に混じってバザーに参加することも城内をうろつくことも、無駄なことではない。コーデリアからは「ちょろちょろするな」と叱られるが、ちょろちょろしたことで得られるものがあり仕事にも還元できるのなら、それでいいのではないか。

「本日はまずどちらに参りましょうか」

「あのね、貸本屋に行きたいの。公城の図書館も充実しているんだけど、参考書類はあまり置いていなくってね」

「かしこまりました。では市場を通りながら、わたくしの行きつけの貸本屋に参りましょうか?」

「そうね。いい本はすぐに貸し出されちゃうし、行きましょう」

 公城や各教育機関などにある「図書館」で無料で本を借りられるのと違い、「貸本屋」は年会費を払わなくてはならない。

 公都に貸本屋は複数存在するが、どれも貸本組合に加入しており、年会費を払うことでもらえる会員証は全店共通だ。店によって品揃えに差があるため、お気に入りの貸本屋を頻繁に利用したり、もしくは自分の好みの本を求めて店をはししたりと積極的に利用されている。

 アクラウド公国は近隣諸国と比較しても教育制度が整っている方で、公都の者だったら身分を問わず最低限の読み書きはできる。それでも一般市民が気軽に本を購入することはできないので、城下町のあちこちにあり、会員登録して好きな時に好きな本を読めるようにしている貸本制度が好評を博しているのだ。

(これまでは貸本屋に登録するお金もちょっと渋っていたけれど、私の就職を機に思いきって登録したのよね)

 登録は基本的に家族単位なので、テレーゼが登録したことで両親や弟妹たちも借りられるようになった。エリオスは勉強用の本を読みたがっていたし、マリーやルイーズもたくさんの絵本を読めるので大喜びだった。

 メイベル行きつけの貸本屋は、市場から一本脇道にれた通り沿いに建っていた。なかなか立派な大規模貸本屋で、店の前には貴族のものらしい立派な馬車も停まっている。

「ここの貸本屋は初めて来るかも。貴族の方もいらっしゃるようね」

「今までテレーゼ様がご利用なさっていたのはマリー様とルイーズ様に合わせて、子ども向けの書物が多い貸本屋でしたからね。こちらはこのメイベルおすすめの、学術書専門の貸本屋でございます。学問にぞうけいの深い貴族であれば、自ら足を運んで書籍を選ぶことも少なくないそうです」

「そうなのね!」

 わざわざ城下町に足を運んで自分の好みの本を探そうとするガッツのある貴族がいるくらいなら、もしテレーゼがフラフラしているのを見られても不審には思われないだろう。気ままに本を探したいテレーゼにとっては、好都合だ。

「よーし……いい本をザックザック見つけるわよ! 勉強のために!」

「テレーゼ様、館内ではお静かに」

「あっ、はい」


 貸本屋は二階構造で、蔵書数もかなりのものだった。

「本当に、たくさんの参考書があるのね……!」

「ええ、こちらの貸本屋の裏に上級学校があることもあって、学生向けの参考書も多く取り揃えているとのことなのです」

「見たところ書き込みとかもないし、借りる人もしっかりしているのね」

 手頃な参考書を選んで、ぱらぱらと中を見てみる。図書館と同じで、貸本に書き込みをしたり傷つけたりしてはいけない。その辺りも貸本組合でかなり厳しい取り決めをしているようで、返却の際にチェックされ明らかな汚れや書き込みがあった場合、新しく本を買うための代金を請求される。当然、貴族だから、平民だからという言い訳は通じない。

(んー、大収穫!)

 結局テレーゼが借りることにした本は十冊を超え、さらに女官見習仲間たちに会員証を託され頼まれた本も加えるとかなりの冊数になった。これだけの量の本を女二人で持って帰るのはたいへんなので、公城まで届けてもらうことにした。なお、この運賃は「テレーゼに借りに行ってもらったから」ということで、仲間たちが支払うことになっている。

「それではわたくしが手続きをして参りますので、テレーゼ様はしばしお待ちください」

「分かった。人間観察をして待つことにするわ」

 メイベルが公都内配送サービスを受けに行くのを見送り、テレーゼはベンチに座った。ここは貸本屋の入り口で、座っていると店内を歩き回って疲れた足を休められるだけでなく、通り過ぎる人たちを観察することもできた。

(ふーん……最近の男性の中では、しまようが流行っているのね)

 ベンチに行儀よく座りながらも、目は皿のようにして通りゆく人たちを観察する。

 一般市民女性の流行はフリルのようだが、一般市民男性はストライプの小物を持っている者が多いようだ。貸本屋に来るのであれば、ある程度の資産と教養がある本好きに限定される。来店する人たちも最低限の身だしなみは整えており、服や小物にも工夫を凝らしていた。

(縞模様……パッチワークで作るのは難しいかもしれないけれど、新しい布を買って作ってみる価値はあるかも? それに、縞模様とフリルを組み合わせたら男女問わず買ってもらえるような商品が作れるかもしれないわね)

 貸本屋や図書館は原則筆記用具の持ち込みが禁止されているので、メモを取ることができない。今見聞きしたことや考えたことを頭のメモ帳にしっかり書き込んでいると、テレーゼの隣でぎしっとベンチがきしむ音がした。

「ああ、これは失礼、お嬢さん」

 そちらを見ると、身なりの良さそうな男性二人がベンチの反対側に腰を下ろしていた。貴族であれば座る前に一言断るのがマナーなので、この男性たちは一般市民で、テレーゼのことも町娘だと認識したのかもしれない。それはそれで結構だ。

「いいえ、どうぞ」

「すまないね」

 笑顔で首を横に振ると、男性たちも微笑んでくれた。

(あら、この人たちのネクタイもやっぱり縞模様ね。やっぱり今度のテーマは「フリル」と「縞」でやってみるべきかしら……)

「それで……何の話をしていたっけ?」

「子爵だよ、フィリット子爵のことだ」

 横目で男性たちのファッションを確認しつつ新作の構想を練っていたテレーゼは、二人の会話で聞き覚えのある名が出てきたため、思考を中断してそちらに意識を向ける。

(フィリット子爵って……コーデリア様のお父様?)

 テレーゼの脳裏を、こちらをにらんでくるコーデリアの姿がぎる。想像の中のコーデリアは腕を組み両足を踏ん張って立っているのに、なぜかブルネットのポニーテールは独りでにぶんぶんと左右に揺れていた。

「ああ、そうだった。おまえ、この前子爵の屋敷に行ったんだっけ?」

「商談でな」

 ということは、彼らは商人のようだ。それも子爵の屋敷に商談に行けるということは、そこそこ繁盛しているのだろう。

 子爵となるといいお得意様になりそうなものだが、男性の声には覇気がない。それどころかベンチに座って前傾姿勢になり、手のひらを額にあてがって嘆息している。

「商談自体は一時間程度で終わったのだが……その後の自慢話が長くて長くて」

「ああー……有名だよな。『子爵の話に付き合うとパスタのめんが伸びる』ってことわざがあるくらいだし」

「あったっけ?」

「俺が今作った」

「そうか。……といってもこの前の子爵は今までにないくらいご機嫌だったんだ。こっちだって商売しているんだから、お得意様のご機嫌伺いくらい喜んでするさ。……で、その内容なんだが」

「俺が聞いていいのか?」

「むしろどんどん広めてくれってさ。どうやらこの前、子爵令嬢が大公様の婚約者のお付きに選ばれたらしくて」

(……あ、これってコーデリア様のことだわ)

 なんとなくそんな気はしていたが、子爵は娘がリィナの臨時専属に選ばれたことが本当に誇らしく、あちこちで吹聴しているようだ。

(……まあ、喜ぶ気持ちも分かるわ。コーデリア様も興奮気味に報告していたし──)

「はぁ、それはそれは。……でもそれって、現金だよなぁ」

「おまえも思うだろう? なんてったってその令嬢ってのは、子爵が愛人に産ませた婚外子じゃないか」

「えっ?」

 思わず声を上げてしまった。幸い、ほぼ同時に目の前を若い女性たちが小声で話をしながら通り過ぎていったので、男性たちには気付かれずに済んだが、テレーゼの胸はやけに速く鼓動を刻んでいる。

(コーデリア様は……婚外子だったの?)

 公国ではどのような身分の者だろうと一夫一妻制で、重婚は認められない。だが婚外子はざらにいるらしく、貴族の場合、よその女性に産ませた子を認知するか金を握らせて口封じをするかはその者次第だと言われている。

(娘だと政略結婚をさせられるから奥さんの子どもとして引き取り、跡取り争いの原因になりやすい息子の場合は認知しないことが多いらしいけれど……)

 だが認知するにしても、婚外子は何かと白い目で見られやすいのが現状だ。そのため引き取るにしても、婚外子であることは伏せて「しんせきの子」などとぼかすことが多いそうだ。

(でも、コーデリア様の場合、婚外子ということは結構おおっぴらになっているみたいね……?)

 さすがに先輩女官の出自を探ろうなんて真似はしなかったし、知っていてもおいそれと口にしないだろうが、コーデリアの出自を知っている者は女官の中にもわりといるのかもしれない。テレーゼのように、家庭の事情でデビューすらできなかった令嬢でなければ。

「六歳くらいの時にいきなり引き取ったんだっけ? おまえ、その頃から子爵家のお得意様だったんだろう」

「そうなんだよ。それも、最初のうちは子爵のその令嬢への当たりも厳しくってさぁ……俺が商談に行った時、令嬢がちょこちょこやって来たことがあるんだ。子爵家にはもともと三人くらい娘がいたけれど、こんな子もいたんだな、って思っていたら、子爵がものすごい形相でその子を叱り飛ばしてあーだこーだ言ってたんだよ」

「あんまりいい待遇を受けていなかったんだろうな。それが今になって、手柄を立てたから鼻高々で娘自慢をするなんて、確かに虫のいい話だよ」

「ああ。……その令嬢も、かわいそうに」


 テレーゼはその後、配送手続きを終えたメイベルと一緒に貸本屋を出た。

「……テレーゼ様、何か気がかりな点でも?」

「えっ?」

 気が付くと、半歩後ろを歩いていたはずのメイベルがテレーゼの顔をのぞき込んでいた。中年侍女は「最近かすむようになって……」と語っていた目を細め、テレーゼを見つめてきている。

「もしかして、何か借り忘れた本でもございましたか? まだ時間はありますが……」

「……いえ、そういうわけじゃないの。ちょっと考え事をしていて」

「最近の流行についてですか?」

「……。……うん、そうなの! 縞模様とフリルのデザインを組み合わせたら、男女問わず手に取ってもらえるようなグッズが作れそうだなぁ、って思って。考えるだけでわくわくするわ!」

「まあ、それはよろしゅうございます」

 つい縞フリルを言い訳にしてしまったが、まったくの噓ではない。

(メイベルには……コーデリア様のことを言っても、心配させるだけよね)

 先ほど貸本屋で耳にした、子爵家のあれこれについて。

 彼らの話だけでは不透明な点もあるが、コーデリアは幼い頃に子爵家に引き取られた婚外子で、あまりよい待遇を受けなかったという。

(そういえば……私には見えなかったけれど、コーデリア様はお父様と話をしている時もおびえた様子だったみたいね)

 コーデリアが父親に対して抱いているのは、かなり複雑な感情なのかもしれない。そうでないと、父親に仕事ぶりを報告している時に怯えた表情をする必要はないだろうし、テレーゼにやたらきつく当たってくるのにも理由があるのではないか。

(なかなか複雑そうね……でも、私があれこれせんさくするのもよくないわね)

「……テレーゼ・リトハルト様」

 うんうん、と一人うなずいていると、背後から名を呼ばれた。

「はい?……うわっ」

「あ、すみません」

 誰に呼ばれたのだろうかと思って振り返ったとたん、立派な馬の顔が間近まで迫っていたため、ついついひっくり返った声を上げてしまった。

「馬がしゃべった!?

「そんなわけないでしょう。……しゃべっているのはこっちです」

 ぶるるん、といななく馬の向こう側からあきれたような声がした。首を伸ばしてそちらを見やると、まぶしい秋の陽光を浴びて馬車を操る、眠そうな目の少年の姿があった。

「どうもです、テレーゼ様。十日ぶりですね」

「あっ、ライナス! ごきげんよう、お仕事中かしら?」

「仕事中じゃなけりゃ、騎士団の制服を着て馬車を操縦したりしませんよ」

「そのとおりだわ!」

 この騎士団の制服姿のライナスは、ぽんと手を打つテレーゼをやれやれと言わんばかりのまなしで見下ろしてきている。御者台に座る今日の彼は赤い髪をコーデリアのように高い位置で結っているため、長い髪の房が秋のさわやかな風を受けてふわふわと左右に揺れていた。

「本日、あなたは侍女を連れて城下町に下りていると伺ったので、捜しておりました」

「私を? 何か問題でも起きたの?」

「何が何でも今すぐに、というほどではないそうですが、書類関係で早めに確認してもらいたい事項があるそうです。ちょうど僕が市街地視察の時間だったので、ついでにあなたを捜すよう女官長様に言われたんです」

「まあ、そうなのね。どうもありがとう」

「これも仕事なので。……というわけで、後ろに乗ってください。面倒なことはさっさと済ませた方がいいでしょうし、送っていきます」

 そう言った後、ライナスはテレーゼの隣で困った顔をしていたメイベルを見てちょこっと頭を下げた。

「あなたはリトハルト家の侍女ですね。僕はマーレイ伯爵家長男のライナスです。申し訳ないのですが見てのとおりこの馬車は小さいので、あなたも乗せることはできません。お嬢様は僕が責任を持って城までお送りしますので、別途お戻りいただいてもよろしいでしょうか」

「それは……そうですが」

 丁寧な口調でびを入れられたものの、メイベルは迷っているようだ。相手の身分は分かっても、テレーゼを託してもいいか判断に困っているのではないか。

「メイベル、ライナスはジェイドの同僚らしいし、信頼できるから大丈夫よ」

「いえ、むしろわたくしは、テレーゼ様がライナス様に失礼なことをなさらないかの方が心配で心配で……」

「そっち!?

「侍女にそこまで言われるなんて、あなたって本当にぶっ飛んでるんですね」

「ライナスまで!……だ、大丈夫! 暴れたりしないから!」

「お願い申し上げますよ、テレーゼ様!……それではライナス様、テレーゼ様をどうかよろしくお願いします」

「分かりました。途中で落とさないようにはします」

「もうそれだけで十分でございます」

 ライナスとメイベルがまともに話をするのはこれが初めてのはずなのに、やけに意気投合しているようでテレーゼはちょっぴり寂しかった。

 メイベルがつじ馬車を拾いに行ったのを見送り、テレーゼはライナスの手を借り──る前に自らライナスの後ろの席に飛び乗った。この馬車はほろや天井のない超小型タイプなのでドアを開けたりせず楽に乗ることができるのだ。

「僕が言うのも何ですが、ちょっとは淑女のたしなみってものを考えた方がいいんじゃないですか」

「でもこっちの方が早いし」

「確かに。……では参ります」

 ライナスがぴしっと馬にムチをくれ、馬車がゆっくり動きだした。シンプルな形状の馬車だからか車体も軽いようで、馬一頭の力でも難なく車輪が動き始める。

(本当はもうちょっと市場を歩いたり買い食いしたりしたかったけれど……呼び出しなら仕方ないわよね)

「ライナス、具体的にどんな書類確認なのかは聞いている?」

「簡単な内容確認だとしか。ああ、ただあなたの報告内容にミスがあるとかじゃないそうなので、かたひじらなくていいですよ」

「分かったわ……あ、そうだ」

 メイベルにも宣言したとおり大人しく座っていたテレーゼは少しだけ身を乗り出し、ゆらゆら左右に揺れるライナスのポニーテールに声を掛ける。

「あの、ライナス。せっかくだから、おしゃべりをしてもいい?」

「雑談なら構いませんよ。どうぞ」

「ありがとう。……あのね、ライナスはすごいなぁ、って思って」

「はい? 僕が?」

 赤いしつが揺れ、ライナスの頭が少し傾く。どうやら視線だけこちらに向けているようだ。

「僕、まだ下っ端ですよ。半年前、妃候補に紛れていた時は正騎士になって間もなくでしたし、ジェイド様には剣術でも全然かなわないし」

「まあ、それじゃあやっぱりジェイドと親しいのね。年の差とか階級差とか、そういうのがあまり感じられなくって。それに、私より年下なのにすごくしっかりしているじゃない」

「僕が落ち着いているんじゃなくて、あなたが落ち着いていないだけですよ」

「手厳しいわ」

「事実ですから。あと、ジェイド様に関しては、親しいというか……僕が入団した頃から世話になっているんです。よく手合わせもしてくれますし、何かと気を遣ってもらっています。僕は小柄で女顔なんで騎士団でもからかわれたりするんですが、ジェイド様はそんなことしません。『自分の特性を生かせ』といつもおっしゃっているんです」

「へぇ、ジェイドが……!」

 ライナスの口調は相変わらず淡々としているが、彼にしてはかなり長くしゃべっているし、なんとなく言葉にも熱が込められている気がする。

(つまり……)

「ライナスは、ジェイドのことが大好きなのね!」

「その言い方だと語弊を招きかねないので、撤回してください。ええ、今すぐ」

「ご、ごめんなさい。えーっと……ライナスは、ジェイドのことをとても尊敬しているのね!」

「そうですね。先輩騎士の中にはやかましい人や余計なことに誘ってくる人もいてうつとうしいんですけど、ジェイド様は僕のことをほどほどに放置してくれているので。ほどほどに接してくれる点もポイントが高いですし、尊敬していると言っていいでしょう」

「あはは……そうなんだ」

「そうです。……そんなジェイド様が、あなたのような思考回路のよく分からないご令嬢を気に掛けるなんて、人の心とはよく分からないものです」

「……んー、それは、やれやれ世話の焼ける妹だなぁ、みたいな意味でしょ?」

「はい? あなた、どこまで思考回路が飛んでいらっしゃるんですか。……はぁ、これではジェイド様が苦労なさるのもよく分かります」

 やれやれまったく、とばかりにライナスの肩が落ちる。馬車を少し減速させてこちらを振り返ったライナスは緑色の目を細めて、じとっとテレーゼを見つめてきた。

「これじゃあ、何のためにあの時僕がわざわざジェイド様にあなたを送るよう進言したのか、分からなくなります。あなたを異性として意識している天然記念物レベルに奇特な人物なんですから、ちょっとは大切にして差し上げてくださいよ」

「そんなこと言われても……って──えっ?」

 ライナスの歯に衣着せぬ物言いに突っ込もうとしたテレーゼだが、今、聞き捨てならぬ言葉が聞こえた気がする。

(ジェイドが私のことを、異性として意識している?)

「それって本当なの?」

「天然記念物じゃなかったら何なのですか。絶滅しゆですか」

「あっ、そっちじゃなくて……ジェイドが私を異性としてナントカって方」

「えっ?……あ、ああ。まあ、そうですね」

 ライナスは頭をき、「あー、これはさすがにお節介だったかなぁ」とぼやいている。

 テレーゼはゆらゆら揺れるライナスの髪を見ながら、あごに手を当てた。

 ジェイドと知り合って、約半年。

 彼には専属の護衛になってもらったり、無茶ぶりに付き合ってもらったり、助けに来てもらったりといろいろな場面を共にし、接点を持ってきた。

 だが──はたして、彼にそんな素振りがあっただろうか。

 頼りになるお兄ちゃん。

 信頼できる仕事仲間。

(……そんなジェイドが、私を異性として意識している? そうなの?)

 むう、とうなった後、テレーゼはふと顔を上げた。

「あの、さ。ライナスはそのことをジェイドから直接聞いたの?」

「えっ?」

 ライナスの戸惑ったような声。

 やはりそうか、とテレーゼは身を乗り出し、ライナスの背後の背もたれに手を掛けた。

「ジェイドが直接ライナスに言ったわけじゃないんでしょう? だったら、ライナスの気のせいかもしれないわ!」

「……確かに、直接ジェイド様から伺ったわけではありません。ですがねぇ、誰が見ても明らかだと思いますよ」

「そんなこと言われても、ジェイドからそんな様子は見られないし思い当たる節もないんだもの。ほら、男の人が女の人を好きって時には、ひざまずいて大輪のの花束を差し出して、『愛しているから結婚してください』って言うものなんでしょう?」

 なんといってもテレーゼは半年前に、大公がリィナに求婚している場面をこの目でしかと確認しているのだ。

(一般的な求婚のやり方とかはよく分からないけれど、大公閣下があのようになさっていたんだもの。それに、アクラウド公国のシンボルである薔薇を贈るのなら、理にかなっているわ!)

「ジェイドはテレーゼを異性として意識している」の定義がハズレであることを証明しなさい。配点二十点。

 一、「男から女への愛情表現」とはつまり「薔薇の花を持って愛の言葉をささやく」である。

 二、テレーゼはジェイドから薔薇の花を贈られた覚えはない。

 三、愛の言葉を囁かれたことも、そういった素振りがうかがえたこともない。

 一、二、三より、定義はハズレである。証明終了。

 ……ということを、テレーゼは自信満々に語った。

 ライナスは沈黙したまま、手だけは器用に動かして馬車を操っていた。「なにそのくっさいプロポーズ……」という声が聞こえた気がする。

「ライナス?」

「……分かりました。どうやら僕の早とちりだったようです」

「やっぱり!」

「しかし……ジェイド様を尊敬する者として、一つだけお願い申し上げます。早とちりだとしても、今回僕が発言した内容だけはどうか忘れないでください。そして、ジェイド様の言動を少しでもいいので気に掛けて差し上げてください」

「二つに増えていない?」

「気のせいです。……ああ、もうすぐ着きますね」

「あら、本当。送ってくれてありがとう、ライナス」

「どういたしまして。これも仕事なので」


*  *  *


 大公とリィナの婚約記念式典まで、いよいよあと半月。

「テレーゼ! リボンの形は!?

「ばっちりです、お母様!」

「テレーゼ! 髪型は崩れていない!?

「とってもきれいにぐるんぐるん巻いています、お母様!」

「テレーゼ! ドレスの形はきれいに出ている!?

「なんかこう、全体的にすとんとしてスルッとした見目で、シュンッと背筋が伸びて見えます、お母様!」

かんぺきね」

「完璧ですね」

 巨大な姿見の前で、ドレス姿の母娘が大騒ぎしている。母親は四人の子を産んだとは思えないほど若々しいし、娘ももうすぐ十九歳でありながら、十代半ばくらいから時が止まっているかのようにみずみずしい肌とぼうを持っている。

 ただ、言動はどちらとも少々残念だった。

 侍女たちがぽかんとして、母娘のやり取りを眺めている。彼女らはリトハルト家の侍女ではなく城仕えなので、貴族の親子がほぼ自分たちで仕度をしているのが物珍しいのだ。

 今夜、リトハルト侯爵夫人と娘のテレーゼはリィナの婚約記念式典の事前打ち合わせのため、着飾って城に参上していた。城仕えの女官見習であり普段の生活圏が公城であるテレーゼはともかく、結婚してからこれまでで数えるほどしか公城に来たことのない母は、どことなく緊張の面持ちをしている。

「お母様、今日の打ち合わせは私たちとリィナだけの簡素なものですし、肩肘張らなくても大丈夫ですからね」

「気遣いありがとう、テレーゼ。でも、わたくしとて二十ウン年前は社交界の華として名をせました。これしきのことで倒れたりはしません!」

 むん、とこぶしを固めて気合いを入れる侯爵夫人。彼女が二十ウン年前、「麗しき赤薔薇の君」という異名で未婚男性の視線をくぎけにしていたというのはわりと有名な話なのだが、ではどうしてそんな母がわざわざ貧乏侯爵家の長男だった父に嫁ぐことになったのかは、永遠の謎である。

「それに……お話をするのももちろんですが、もうひとつするべきことがありますものね?」

 母に視線を向けられたテレーゼはにいっと笑うと、大きくうなずいた。

「ええ! わたくしたちの『作戦』……成功すればいいのですが」

「成功します、ええ、きっと!」

「そうですね、お母様!」

 母娘はそれぞれ右の拳を固めると、こつんとぶつけ合った。それを眺める侍女たちは、「ここは衣装部屋ではなく、どこかの戦場だろうか」とうつろな目で思うのだが、たいへん優秀な侍女である彼女らは一切口を挟まなかった。


 仕度を終えると、テレーゼは母を伴って衣装部屋を出た。そこにいたのは、騎士団服姿のジェイド。

「お久しぶりでございます、リトハルト侯爵夫人。打ち合わせ会場までの案内ならびに護衛を、私ジェイド・コリックが担当いたします」

「あら……あなたは確か半年前、娘の護衛になってくださったのですよね」

 母もジェイドの姿を覚えていたようで、着替え中とは打って変わってしっとりと落ち着いた声音で言うと、ジェイドは微笑んで頷いた。

「はい。現在も同じ城仕えの者として、テレーゼ様とは懇意にさせていただいております」

「そうなのですね。無茶ばかりするぶっ飛んだ娘ですが、いつもお世話になっております」

「いえ、とてもお優しくて素敵なお嬢様ですよ」

 母が心底申し訳なさそうに頭を下げて言うと、ジェイドは穏やかな表情のまま答えてテレーゼを見、ちょこっとウインクをしてきた。

 あいさつを終えたところで、ジェイドについて大公の部屋に向かう。

「リィナ様は現在、大公閣下と歓談中でございます」

「そうですか。……ちなみに、例のカートの準備は?」

 母が問うと、ジェイドは笑顔で頷いた。

「はい、既に隣室に待機させております。大公閣下には事情を説明しましたが、『せっかくならサプライズといこうじゃないか』とのことでしたので。合図がありましたら、私がカートを部屋までお運びします」

「分かりました。では、手はず通りにお願いします」

 やがて、打ち合わせの場所に定めていた応接間に到着する。ジェイドがテレーゼたちの到着を告げると、内側から侍従がドアを開けた。

「お待たせいたしました。フレデリカ・リトハルトならびに娘のテレーゼ・リトハルトです」

「よくぞ来てくださった、リトハルト侯爵夫人、そしてテレーゼ」

 挨拶をした母に返事をしたのは、ソファに座っていた大公だった。ぱっと見たところ、機嫌はよさそうだ。

 大公は母とテレーゼの手の甲にそれぞれキスを落とした後、ソファに誘った。テレーゼと母が並んで座り、その正面に大公とラベンダー色のドレスを着たリィナが座っている。

「リィナも元気そうで何よりです」

「はい、お母様にお会いできてうれしゅうございます」

 そう言って母に笑みを返すリィナは元気そうだ。

(今日の「作戦」がうまくいけばいいんだけど……)

 綿密に下準備はしたし、ひそかにいろいろな人にも相談した。大公も「よい作戦だな」と言ってくれたので、きっとうまくいくはず。

「それでは打ち合わせに入ろうと思う……が。そういえばリィナ、そなたは最近また食が細くなっているようだな」

「そうでしょうか? 今日のばんさんに出てきたステーキも、とてもおいしかったですよ?」

 大公の言葉に首を傾げてみせたリィナだが、ほんの少し彼女の口元が引きつったのをテレーゼは見逃さなかった。同時に、隣に座っていた母がジェイドに視線を向けた。「あれを持って来て」という合図だ。

(よし! ここからは私の出番ね!)

 ジェイドがいったん退室したのを見届けたテレーゼは息を吸い、正面に座るリィナに声を掛けた。

「失礼します、大公閣下、リィナ。本日はわたくしたちからリィナに贈り物がございます」

「ほう」

「贈り物……ですか?」

 だいたいのことは知っているためおもしろがるように笑う大公と、不意打ちのことに目を瞬かせるリィナ。大公はどさくさに紛れてリィナの肩を抱こうとしていたが、リィナはこっちを見たまま器用に大公の手をぺしっと払いのけていた。

「それは……ありがとうございます」

「ええ。……こちらに持ってきてください」

 テレーゼが呼びかけると同時にドアが開き、食事運搬用のカートを押したジェイドが入ってきた。カートには白いクロスが掛けられており、食器の形を表すようにぼこぼこと波打っている。

「こちら、わたくしテレーゼならびにちゆうぼうの責任者考案、母フレデリカ監修、専用厨房の料理人作の料理でございます。リィナはもちろん、大公閣下も是非お召し上がりください」

「……だとさ。せっかくだし、いただこうではないか」

「は、はい。なんだかとてもおいしそうな匂いがします……」

 周りで侍女たちがせっせと食事の準備を進める中、リィナは銀色のドーム型の覆いのかぶせられた料理をしげしげと眺めている。「おいしそうな匂い」に周りの侍女たちがわずかに反応してみせたので、思わずテレーゼの頰も緩む。

 食事の用意が調い、大公が侍女たちに指示を出した。そうして同時に覆いが取り外され──はっ、とリィナが息をんだ。

 料理の品数は、四品。ひとつはパンにソース、ジャムなどを付けて食べられるようにした料理で、斜めにスライスしてこんがり焼いたパンを中心に、実に十種類近い具材の入った小さな器が円を描くように配置されている。

 続いて、グリーンサラダの盛られたボウル。見た目はよくあるサラダだが、ドレッシングに一工夫している。味はごくあっさりしており、よく使われる香辛料の代わりにすり下ろしたリンゴとオレンジ、甘い酢で味付けしている。

 そして、えん形のココットにはまだ温もりの残るグラタンが。宮廷でよく見られる肉とチーズたっぷりのものではなく、芋やタマネギにカボチャ、そして肉を控えめにする代わりに刻んだ豆を練り込んだものだ。

 最後に、食後につまめるような小さめのクッキー。砂糖飾りやクリームなどは極力添えず、刻んだアーモンドやクルミなどのナッツ類のみを飾っている。

 大公やその婚約者が食べるには、あまりにも質素で地味すぎる品々。だが、リィナの目は先ほどから見開かれっぱなしで、美食に舌が慣れているはずの大公も「うまそうだな」とつぶやいている。

「……あ、あの、お姉様。これはもしかして……」

「はい。アクラウド公国の郷土料理です」

 テレーゼはにっこり笑い、手で料理を示した。

 リィナが食事に乗り気でないらしい──そんな話を聞いたテレーゼは、「一般市民階級出身のリィナは、豪華すぎる食事に慣れていないのではないか」と予想した。

 もやしフルコースに慣れているテレーゼだって、大公妃候補になったばかりの頃は有り余る食事の量にへきえきしたものだ。同じように、次期大公妃に選ばれるまでは使用人として食事をっていたリィナなら、大公家が普段食するような料理では味付けも量も合っていない。もしくは胃もたれしてしまっているのではないか……と推測したのだ。

 そこでテレーゼは厨房の責任者に相談し、「リィナの生まれ故郷の郷土料理を提供してはどうか」と提案したのだ。彼はすぐに専用厨房の料理長に相談し、リィナの食が進むのならばと可決されたそうだ。

 テレーゼは母にも相談し、母はリィナの実母と連絡を取った。そしてリィナが子どもの頃に好きだったという料理を教わり、専用厨房の料理人たちがそのメモを元に料理を再現することにしたのだ。

 素朴な郷土料理だが、食材は一級品だしそれを作るのは信頼できる専用厨房の料理人たちだ。何度も味見もされて大公の許可も取っているので、テレーゼが仕事をしたり勉強したりしている間に作戦はとんとん拍子に進んでいたようである。

 そして満を持し、リィナに料理を提供する。せっかく母も参加したのだからと、記念式典の打ち合わせをする日に設定しようということになったのだった。

(公城のご飯は確かにおいしいけれど、私たちが普段食べているものでもちょっと味が濃いなぁ、って思うくらいだものね)

 リィナは最初こそそわそわしながら侍女に料理をよそってもらっていたが、まだほんのり湯気を上げるグラタンを一口ほおばると、目を丸くした。

「……これ、子どもの頃に食べたものと同じ──」

「うむ。肉がほとんどないが、野菜がたくさん入っているようで思ったよりも甘いな」

 大公もまんざらでもなさそうだ。庶民出身のリィナはともかく大公からも色よい返事をもらえたなら、作戦はうまくいきそうだ。

 テレーゼと母は茶だけを飲み、大公とリィナが感想を述べながら食事をする様を見守っていた。食事の量も、成人男性と女性が食べて少し物足りないと思うくらいにとどめてもらったので、しばらくすればどの皿もほぼ空になった。

「……とてもおいしかったです」

「そうだな。……そなたの食がこれほどまで進んだのは、久しぶりだな」

 大公がしみじみとした様子で言ったので、リィナの頰がぽっと赤く染まる。

「……申し訳ありません。健康が取り柄でしたのに、食事をおろそかにしてしまうなんて」

「何を言うか。……そなたは日頃努力しているのだ。たまに故郷の味が恋しくなったからといって、誰もそなたを責めたりはしない」

 大公に優しくささやかれたとたん、リィナの赤茶色の目が潤んだように感じられた。

(……やっぱりリィナ、無理をしていたのね)

 大公の婚約者に選ばれたからには、失態は許されない。いつだって背筋を伸ばし、勉学に努めなければならない。「好きなものはないのか」と聞かれても、「故郷で食べた素朴な料理が恋しい」なんて、真面目なリィナには口が裂けても言えなかったのだろう。

 不健康になるほどではない。食事が一切のどを通らなくなるほどでもない。

 だが──

「……今、わたくしは平民出身という身分に有り余るほどのぜいたくをしております。ですので、これ以上の贅沢もままも言ってはならないと思っており──しかし、かえってこのことでレオン様やお母様、お姉様を心配させてしまったのですね」

 ぽつんとリィナが呟くと、空になった食器を下げさせた大公はそっと婚約者の肩を抱いた。今回はさすがにリィナもはねけなかった。

「気にするな。今日の料理はとてもうまかったし、そなたの気分転換になったのならば何よりだ。今回はテレーゼや侯爵夫人はもちろん、使用人たちもそなたが元気になるようにと尽力した。今後もできるならそなたの懐かしい味を共に味わおうではないか」

「……よろしいのでしょうか」

「もちろん。……私こそ、そなたの気持ちを推し量ってやれなかった」

「いいえ。……お母様、お姉様。本当にありがとうございます」

 そう言って大公と一緒に会釈をしたリィナは、ここしばらくで一番の笑顔だった。


 軽食を挟んでの打ち合わせとなったが、その後も終始和やかな雰囲気のまま話を進めることができた。

 最初は大公も一緒に打ち合わせの輪に加わっていたのだが、話がドレスから服飾雑貨、そして下着類に移っていったため、「お二人はあちらへ!」と言うテレーゼによって大公とジェイドは応接間からぽいっと放り出された。

「それにしても、先ほどの料理は実に美味だった。……ジェイドもご苦労だった」

「いえ。リィナ様やテレーゼ様の嬉しそうな顔が拝見できて何よりです」

「そうだろう、そうだろう。……だがな、ジェイド。リィナだけは譲らんぞ」

「あっ、はい、分かっております」

 ジェイドは肩を落とし、まゆを寄せて婚約者への独占欲をぶん投げてきた大公にいんぎんに礼をした。

 大公はやや冷たい印象があり、本当に信頼している者以外にはなかなか心を開かないことで有名だ。そんな彼が最愛の婚約者を得たことでずっと人間らしくなり、こうしていち騎士に過ぎないジェイドにも気さくに声を掛けてくれるようになった。

 ……もっとも、大公はリィナ関連には弱いようなので、リィナ→リトハルト家→テレーゼ→テレーゼと仲のいいジェイド、という風に連想ゲームが起きたためなのかもしれないが。

 続き部屋からは、女性陣の華やかな笑い声が聞こえてきた。無粋な男たちがいなくなり、母と娘二人になったことで肩の力を抜き、話ができているのだろう。いいことだ。

「……リトハルト家はうまくいっているようだな」

 どうやら大公も、ジェイドと同じことを考えていたようだ。

 隣を見やると、腕を組んでソファに腰を下ろした大公が満足そうな顔で続き部屋の方を見ていた。

「リィナを養女にするにあたり、リトハルト家の面々ならば彼女を温かく迎え、家族として接してあげられるだろうと思っていた。予想通りで安心した」

「……そうですね。テレーゼ様はリィナ様のことを、妹として大切に思ってらっしゃるようです」

「ああ、よいことだな。私はこの年になると両親と話をすることも減ったのだが……やはり、家族はよいものだな」

 どこか遠いまなしになっている大公の呟きを、ジェイドは意外な気持ちで聞いていた。

 幼い頃から帝王学を受けてきた大公だが、両親である先代大公夫妻との仲は悪くはなかったと聞いている。だが先代大公の時代はなかなかごたついていたこともあり、公子だった大公は心の奥では寂しい思いをしていたのかもしれない。

 ふと、大公は首をひねってジェイドを見る。

「……ジェイド・コリック。暇なら、相談に乗ってくれ」

「そ……私が相談に乗るなんて、恐れ多いことでございます」

「そう固くなるな。そなたになら聞けると思っているのだ」

 最初はやんわりと却下したジェイドだが、先ほど家族について語った時、大公が少し物寂しそうな表情になっていたことを思い出し、背筋を伸ばした。

 伯爵家長男のジェイドと大公とではかなりの身分差があるが、年は近いしテレーゼやリィナといった共通する存在も多い。大公だってたまには肩の力を抜いて話をしたり悩み事を相談したい気持ちにもなるだろうし──その相手に選ばれたのが自分であるというのは、アクラウド大公家に剣をささげた者としてはこれ以上ない名誉だ。

 ジェイドは胸の前でこぶしを固め、うなずいた。

「……かしこまりました。せんえつながらこのジェイド・コリックがお相手を務めさせていただきます」

「感謝する。……実は最近、私はリィナに『変態!』と言われたり手をたたかれたりすると、とてつもなく幸せな気持ちになるのだ。誰かにののしられるのはもちろん腹立たしいことなのだが、リィナならとうされようと叩かれようとまったく嫌な気持ちにならないどころか、喜ばしいとさえ感じられる」

「……」

「私はどうすればいいと思う?」

「叩いてもらったらいいと思います」

 公国は、明日も晴れだろう。

 実によろしいことである。


*  *  *


 もうじき、大公と婚約者リィナの婚約記念式典が行われる。

「といっても、俺たちは見回りだしぃ」

「しかも俺なんて、裏庭担当だぜ? 庭園巡視ならきれいなお嬢さんを遠くから眺めたりエスコートしたりできるのに、裏庭なんて草しか生えてねぇんだよ!」

「おまえは草でも口説いてろってことだよ」

「……草って雌なのか?」

「草に性別はない」

 ここは、騎士団の詰め所。

 少し離れたところで休憩中の騎士たちがウダウダと世間話をしているのを、赤髪の少年騎士はちらっと見やった。だがすぐに興味を失ったように手元に視線を戻し、雑誌のページをめくる。

「なぁ、ライナス。おまえ、廊下担当だったよな?」

「そうですが、何でしょうか」

 声を掛けられたので、面倒くせぇなと思いつつ彼は振り返った。そこにいたのはさっき「草でも口説いてろ」と言われていた騎士で、すがるような眼差しでライナスを見てきている。

「ライナス、おまえが上官に掛け合って配置担当変更を申請してくれよ」

「お断りします。これが僕の仕事なので」

「なんだよぉ。おまえはまだお子様だし、きれいなご令嬢の姿を拝見できる仕事、俺たちに譲ってくれよぉ」

「子ども扱いしないでくれますか」

 さすがにイラッとしてきたので、読んでいた雑誌をパンッと閉じて騎士をにらみ上げた。相手は年齢で言うと十は上、体格だとライナスより二回りも立派だが、精神年齢は幼年学校レベルで止まっているのではないかと思われる。

「だいたい、仕事に私情を挟む方が馬鹿げています。与えられた仕事を与えられた場所でまっとうすれば、それでいいでしょう」

「わーん、ライナスがいつも以上に俺に冷たいよー」

「こっち来るな気持ち悪い」

 泣き真似をして仲間から軽くあしらわれる先輩騎士を冷たい眼差しで見送り、ライナスは雑誌を手に立ち上がった。せっかくの休憩時間なのに、ここだと静かに過ごすこともできそうにない。

 詰め所を出ると、涼しい風がライナスの長い赤髪をくすぐった。そろそろ季節は冬に差し掛かろうとしている。アクラウド公国は近隣諸国と比べると夏は涼しく冬は暖かい方なので、避暑や避寒のためにやってくる観光客も結構いる。

 半年前、バルバ王国の手先をつぶしてからというものの、アクラウド公国は比較的穏やかな時を過ごしている。こうかつで知られるバルバ国王もアクラウドに潜伏している手先を始末されたことで少々大人しくなってくれているようなので、国の治安維持に努め平和を守ることを信条としている騎士としては喜ばしいばかりだ。

 ライナスは雑誌を手に芝生広場を横切り、大きな針葉樹の根本に腰を下ろした。冬になるとこうして屋外でゆっくり過ごすのも難しくなる。今日は天気がよく風もそこまで強くないので、読書をするには最適だろう。

「……そこにいるのはライナスか」

 巨大な幹の反対側から名を呼ばれ、ライナスは振り返った。読書の邪魔をされるのは好きではないが、この声の人ならまあいいか、と思えるのだ。

「ジェイド様。そちらにいらっしゃるのですか」

「ああ。見覚えのある赤い髪が見え隠れしているからな」

 そう言ってひょっこりと姿を見せたのは、立派なたいを持った騎士──ライナスの先輩でもあるジェイドだった。

 鍛錬帰りだからか、ジェイドは騎士団の制服姿ではなく簡素なシャツとズボンというちだった。ライナスは上着を着ていないと肌寒いと感じるのだが、ジェイドは薄いシャツ一枚だ。鍛えられた筋肉がよく分かり、「おまえはいくつになっても細いなぁ」と先輩たちに言われるライナスはうらやましくなった。いつかジェイドのようにガッチリした筋肉のよろいまとうのが、彼のひそかな目標なのだ。

 幹に寄り掛かったジェイドはふと、ライナスが持っている雑誌を目にして微笑んだ。

「……休憩時間でも勉強熱心だな。それ、詰め所に置いていた雑誌だろう?」

「はい。書物を読むと勉強にもなりますし、僕自身も楽しいので」

 そう言うライナスが持ち出したのは、「体を鍛える! 目指せ、魅惑のマッスルボディ」というタイトルの雑誌だった。かなり前に発行されたものなので読み古されてぼろぼろになっているが、「成長期の体に負担の少ないトレーニング方法」など、興味深い記事がたくさん載っているのでライナスはこの雑誌を参考に日々鍛錬していた。

「それはいいことだ。ライナスは真面目だし努力家だからな、もう二年もすれば立派な騎士になれるだろう」

「……ありがとうございます」

 ぼそっと返事をし、ライナスは雑誌に視線を戻す。

 騎士団は体育会系の集まりで、正直うつとうしい先輩も多い。そんな中でもジェイドはかなりまともな部類に入り、ライナスのことも「女顔ー」とか「またドレス着てみろよー」とからかったりはしない。半年前、仕事だから我慢してドレスを着て姉のフリをしていたのも、黒歴史だ。当の姉にも「わたくしもライナスの女装姿、見たかったわぁ」と言われるものだから、たまったものではない。

「……あ、そうだ」

「どうした?」

「ジェイド様って、テレーゼ・リトハルト様のことをどう思ってらっしゃるんですか」

 今この場に第三者はいないので、思いきって聞いてしまうことにした。

 ライナスの目が正しければ、ジェイドはあのぶっ飛んだ令嬢を異性として意識している。テレーゼ本人はどうも偏った恋愛知識を持っているようで、「の花束を差し出して告白していないのだから」とわけの分からない理由で否定していた。一昔前ならいざ知らず、このご時世で薔薇の花束を持ってプロポーズするなんて古典的なことをする男がいるものなのだろうか。

 ライナスの質問を受けたジェイドは、しばし瞬きするだけで何も言わなかった。

「……どう思う、とは?」

「ぶっちゃけますと、女性として好きなのかなぁと思いまして」

「……。……もしやライナス、おまえはテレーゼ様のことを」

「あり得ませんのでご安心ください。僕はおっとり優しくて家庭的なふわふわしたお姉さんがタイプです」

「……あ、ああ。そうか」

 ライナスは目を細め、あごに手をやってなにやら思案する先輩を見やった。

 騎士の中には女好きであちこちの城仕えの女性に熱い眼差しを送る者もいるのだが、ジェイドはかなり硬派で、浮ついた噂も一切聞かない。先輩たちからは「おもしろくねぇ」と言われているそうだが、上官は彼の真面目一徹な態度を高く評価しているようだ。先輩の中では、「コリックに美女」という謎のことわざさえ広まっているらしい。意味は知らない。

 ライナスは、ジェイドの反応を待つことにした。待つ間、雑誌を読んで時間を潰すことにする。

 ──次にジェイドが口を開いた時、既にライナスは十ページほど読み進めていた。

「……そのように見えるのだろうか」

「見えますね」

「そうか。……ライナスにまで気付かれるとは、俺もまだまだのようだな」

「あっ、じゃあやっぱり好きなんですか?」

「……俺は確かに、テレーゼ様のことを好ましく思っている」

 遠慮なくズバリと指摘したライナスからふっと視線をらし、ジェイドはいつも通り生真面目一直線に答える。

「好き」とか「愛している」ではなく、「好ましい」とは、なんとも奥ゆかしい感情だ。硬派なジェイドらしい。

 そう思って雑誌を捲ったライナスだが。

「確かに、あの方は素敵な女性だと思う。どのような場面でも己の信念を曲げることなく、真っ直ぐ走って行かれる。笑顔はきらきらとまぶしいし、ちょっとズレたところも好ましいと感じている。リィナ様の姉君となられた今も尊大な態度を取ることなく誰にも平等に接し、ご家族や領民たちのために尽力しているあの人を尊敬している。それに、テレーゼ様を見ていると、こう、胸の奥が温かくなるし、もっと一緒にいたいと思われてくるんだ」

 以上、彼はよどむことなく一息で述べた。れするような肺活量である。

 ライナスはぺらりと雑誌を一枚捲った。おそらく今の自分の顔は、遠い異国に生息するというキツネのようになっていることだろう。

 真面目な顔でノロける先輩騎士の横顔は、なぜかきらきら輝いているようにさえ思われる。とはいえ、本人は自分が今ノロけているなんて露ほども思っていないだろう。

 だが、空気の読める男であるライナスは余計なことは言わず頷いた。

「なるほど。まあつまり、ジェイド様にとってテレーゼ様はとても特別な存在なのですね」

「そうだな。俺にとってテレーゼ様は特別な存在。そういうことだな」

 多分ちょっと違います、と思ったが、気遣いのできる男であるライナスは頷いた。

「そのようですね。……なんかいろいろ突っ込んだことを聞いて、すみません」

「気にしないでくれ。ライナスのおかげで、最近テレーゼ様のことを思うと胸が高鳴ってくる理由が分かった。感謝する」

「……。……それはよかったです」

 そう答えるので、少年はいっぱいいっぱいだった。


 この後ジェイドは打ち合わせがあるらしく、詰め所の方に去っていった。

 ジェイドを見送ったライナスは雑誌をペラペラと捲りながら、白亜の公城を三白眼で見つめていた。

「気の利く僕がお節介を焼いて差し上げようと思ったのに……もうでろんでろんになってるじゃないですか」

 尊敬する先輩の恋路を応援してあげようとして、猛烈なジャブを食らった気分だ。

 やれやれ、とライナスは空を仰ぐ。

 ……そういえば、先ほどジェイドに問われた際にテレーゼに恋をしているのだと思われたくないあまり、「自分の好きな女性像」を口走ったのだが。

「……あの人は元気かな」

 つぶやいた後、頭を振って立ち上がると、ライナスは歩きだした。