3章 令嬢、他の方面でも頑張る



「あー、それではこれより、『リズベスの恋を応援しようの会・第三回会合』を開催します!」

「テレーゼ様、お茶をどうぞ」

「ありがとう、メイベル。さすが会員ナンバー二ね」

 テレーゼは満足そうな面持ちでメイベルのれた茶をすするが、トレイを抱えたメイベルは真顔で、「無理矢理入会させられたのですが……」とぼやいていた。

 親友リズベスが騎士団の誰かに片思いしているらしいと知ったテレーゼは部屋に戻るなり、「リズベスの恋を応援しようの会」の設立を宣言した。会長兼会員一号がテレーゼ、ちょうどその場にいたメイベルを引きずり込んで、現在会員二名だ。

 なお、リィナや大公にも声を掛けようとも思ったのだが、メイベルにじとっと見られたので声に出すことはなく却下しておいた。頭の中で考えていただけなのに、メイベルは非常に優秀である。

「まずは予定の確認。……明日の私は、午前中講義、午後から先輩女官の付き添いで実地訓練して、夕方から晩ご飯までの間が少しだけ空くはずなの」

 そう言いながら、テレーゼはテーブルに広げた紙に素早く計画を記していく。女官見習になってからは勉強用にということで上質な紙を支給されるようになったが、授業で使う以外の自習ノートなどは相変わらず、使用済み雑紙の裏を使うようにしていた。

「だから夕方の時間を使って騎士団詰め所にいるジェイドに会いに行って、ジェイドも『リズベスの恋を応援しようの会』に巻き込む!……メイベル、質問どうぞ」

「はい、二点質問事項がございます。まず、午後からの実地訓練を終えたテレーゼ様に気力が残るのかどうか、そしてよしんば騎士団詰め所に行けたとして、ジェイド様がいらっしゃるとは限らないのではないかということです」

 律儀に挙手をしてメイベルが質問してくる。そんな侍女に、テレーゼはカップ片手にふふんと自信満々に微笑んでみせた。

「抜かりはないわ。……明日は大公閣下が護衛を連れて市街地視察に行かれるの。私たち見習の明日の実地訓練は午後、閣下が戻ってこられるのを玄関でお迎えするというものなのよ。細かい配置は明日にならないと分からないけれど、大丈夫よ」

「なるほど……でしたら以前のように、当日になるまでペアの相手も仕事内容も何も分からない、ということにはならないのですね」

「そういうこと。それからジェイドだけど、明日の夕方は郊外の武具工場に注文していた訓練用剣が届くのだけれど、ジェイドはその監督に当たるそうなの。だから見回りとかも免除されていて、工場から馬車が来るまではフリーらしいの」

「なるほど。……しかし、どのようにしてその情報を仕入れたのですか?」

「門番のおじさまが教えてくれたわ。この前ポテトドッグの作り方で話が盛り上がってね、それから仲良くなれたの。おじさまは、いつ頃馬車が来るかも教えてくれたのよ」

「……はぁ。交友関係を広げられるのは、結構なことです。……つまり、その門番の言葉が信頼できるのならば、明日の夕方、武具工場の馬車が到着するまでの時間を狙ってジェイド様に会いに行くというのですね」

「そう! あ、もちろんメイベルにも来てもらうからね!」

「そうおっしゃると思って、もう既に明日の予定を空けて活動しやすい服を準備しております」

「さすがだわメイベル!」

 テレーゼは手元の紙に「参加者・私とメイベル」と書き、ぐりぐりっと丸で囲んだ。

 まったく、有能な侍女が付いてくれるテレーゼは幸せ者である。


*  *  *


 翌日、午前中の講義と午後の大公お迎えをつつがなく終え、テレーゼはメイベルを連れて騎士団詰め所に向かった。

 このために今日、一切の気を抜かずにすべきことを終わらせたのだ。コーデリアたちは見習の失敗を見つけ注意するのに忙しいようで、今日のように見習全体で参加する実地訓練の場合、誰か失態を犯す者がいないか目を光らせている。今日は「姿勢が悪い」ということで二人、「体がぐらついていた」ということで一人、「髪型が気に入らない」ということで三人注意を受け、彼女らは反省文を書かされていた。

(反省文を書かされていたら、ジェイドに会いに行く時間がなくなっちゃうものね。かんぺきにこなせてよかった!)

 なお、コーデリアはやたらテレーゼの周りをぐるぐる回って三白眼で見つめてきていたが、何も言わずに去っていった。どうやら今日の姿勢や態度、髪型はコーデリアの厳しいチェックをクリアすることができたようで、ちょっとだけ自信もついた。

 騎士団詰め所周辺にはちらほらと騎士たちの姿もあったが、大半の者はテレーゼを見ると、「おっ、久しぶり!」「女官見習になったんだっけ? 元気そうでよかった!」と気さくに声を掛けてくれた。大公妃候補時代、ジェイドを連れてあちこちを練り回っていたテレーゼは、騎士たちとも顔見知りになっていたのだ。

「早速ターゲット発見! メイベル、捕獲するわよ!」

「せめて、『探し人が見つかったから会いに行くわよ』とおっしゃってください」

 なんだかんだ言いつつメイベルも付いてきてくれたので、テレーゼはちょうど詰め所から出てきたところのジェイドに駆け寄る。相手は一人なので、声も掛けやすそうだ。

「ジェイド、お仕事お疲れ様!」

「おや、テレーゼ様。今日のお仕事は終わられたのですか?」

 駆けてきたテレーゼを見ると、ジェイドは生真面目そうな顔を少しだけほころばせたようだ。テレーゼはうなずき──そこで少し迷うような素振りで口を開いた。

「ええと、ジェイドにちょっと尋ねたいことがあって。今、時間大丈夫?」

「はい。この後接待の仕事があるのですが、今は休憩時間ですので」

 うん、知ってる、と言いたくなったが耐えた。本当は彼のスケジュールはばっちり把握しているのだが、「それを言うとさすがのジェイド様もドン引──いえ、戸惑われるでしょう」というメイベルの助言があったので、少々気後れはするものの「もし時間があったらうれしいのだけれど……」スタイルで行くことにしたのだ。

「そう? ありがとう!」

「いえ。もし長話になるようでしたら、詰め所の応接間にお通ししますが。お茶も出しますよ」

「ううん、ちょっとお願いしたいことと聞きたいことがあるだけなの」

 いくら休憩時間でも、応接間に通してもてなされるほどのことではない。

 そしてテレーゼは姿勢を正し、すっと息を吸った。向かいに立つジェイドもなぜか同じように背筋を伸ばしたようだ。

「ジェイド、お願いがあります」

「はい、内容によります」

「ありがとう! それじゃあ、『恋を応援しようの会』の会員三号になってください!」

「すみません、もうちょっと説明をお願いします」

「了解よ」

 テレーゼは手早く、「女官見習仲間が騎士団の誰かに恋をしているらしいこと」と、「自分はそれを応援しようと思っていること」を告げた。

 最初はややげんそうな顔をしていたジェイドだが、話を聞くとあごに手をやり、「なるほど」とつぶやいた。

「テレーゼ様はご友人の恋を成就させるため、ご自分にできることをなさりたいのですね」

「そういうことなの。といっても恋はその子次第だから、もし私に協力できることがあれば……って程度だけどね。それで、騎士であるジェイドにも協力をお願いしたくて」

「そういうことでしたか。……ちなみに私が会員三号ということですが、一号がテレーゼ様、二号がメイベル殿ということですか?」

「そのとおりよ、さすがジェイドね!」

「お褒めいただき光栄です。……そうですね。お互いの仕事の支障にならない程度でしたら、お手伝いさせてください。人の恋路はともかく、お互いの人となりを知ること、そして同じ城仕えの者として女官と騎士が懇意にするのは悪いことではないと思いますので」

 さすがジェイドは、勢いで全てを解決する節のあるテレーゼと違い、冷静だ。「リズベスの恋を応援しようの会」の未来は明るそうだ。

「ありがとう! それじゃあ早速だけど、ジェイドの好みを教えてくれる?」

「私の……好みですか?」

「うん。ジェイドは、どんな女の子がタイプ? できるだけ詳しくよろしく!」

 言うが早いか、テレーゼは隣に立っていたメイベルから手製メモ帳とペンを受け取って構える。何も言わず手を差し出しただけで必要なものを渡してくれるメイベルは、本当に優秀だ。

 対するジェイドは小首を傾げ、まゆを少し寄せていた。

「私の女性の好みを聞いて、いかがなさるのですか?」

「一般的な『騎士の好み』を知っておきたいのよ。ということで……身長は高い方がいい? 髪型は? 趣味は? 大人しいのと活発なのだとどっちがタイプ? むっちりタイプとスマートタイプだとどっちがいい!?

「はぁ……女性の好み、ですか」

 ジェイドは質問内容が予想外だったのか、難しい表情でかなり迷っているようだ。テレーゼの護衛だった頃の彼はどんな質問にもそつなく返答できていたと思うのだが、もしかすると自分自身についてのこととなると即答が難しくなるのかもしれない。

 ジェイドがちらっとこちらを見て、わずかに目を細める。テレーゼがうんうん頷きながらそわそわとペンを握り直すと、彼は少しだけ遠い眼差しになった。

「……今まであまりそのようなことを考えたことがないので、難しい質問ですが……そうですね。あえて言うなら健康的で、家庭的な女性がいいですね」

「家庭的……お料理とかが得意ってこと?」

「私は体を動かす仕事に就いているので、よく食べます。となると、料理を作るのが得意だと嬉しいですし、騎士仲間もよく『嫁さんができたら毎日うまい飯を作ってほしい』とか言っていますからね」

「なるほど。ご飯を作れる子がいいと……それじゃあ、一緒にご飯食べるのとかは?」

「ああ、それもいいですね。さっきも言ったように私は体力維持のためにもよく食べる人間なので、一緒においしく食事ができる人だと楽しそうです。加えて、好き嫌いしない人だと非常に印象がいいですね」

「好き嫌いしない、と……。小食じゃなくてたくさん食べる人の方がいい?」

「どちらかというと」

 考えながらしゃべっているようで、ジェイドはゆっくりと答えた。それとは対照的に、テレーゼの右手のペンはすさまじい勢いでメモを取っていく。

(家庭的、偏食せずご飯をよく食べる、健康的……なるほど、なるほど……)

「参考になったわ。ありがとう、ジェイド!……あら、門のところに馬車が来ているわね。お客様?」

「ああ、あれが私が接待する予定の客です。……すみません、テレーゼ様、そろそろ失礼します」

「うん! お仕事頑張ってね!」

 それとなく馬車の到着を教えると、ジェイドはあいさつして駆け足で門の方に向かっていった。

 彼の背中を見送ったテレーゼはにまっと笑い、メモ帳をめくる。

「ふふ……これはかなり有益な情報だったわ!」

「いかがですか、テレーゼ様。何かよい案でも?」

「そうねぇ……」

 腕を組み歩きながら脳裏に描くのは、ジェイドの──ひいては多くの騎士たちにとってのタイプと言えるだろう女性像。今回得られた情報は、「料理ができて何でもよく食べる健康的な女性」ということ。

(野菜もお肉もよく食べるということは、体型はそこそこがっしりしているはずね。健康的ということは、女性でも最低限の筋肉は付いているということ。そして料理が得意ってことは、今組み立てた像にエプロンを着せてフライ返しを持たせて──)

 テレーゼは、想像した。

 そして、とても後悔した。

「……私の想像力が貧相なのがいけないのかしら」

「テレーゼ様?」

「いえ、何でもないわ。……リズベスにはとりあえず、しっかりご飯を作って食べて太るようにって言えばいいかしらね。リズベス、細いし」

「それだととんでもない語弊を招きかねないので、部屋に戻ってからわたくしがリズベス様への助言内容をまとめますね」

「さすがだわ、メイベル。頼んだわ」

 そんなことをしゃべりながら城への道を歩いていたテレーゼだが、ふいにメイベルが小さく息をんだ。

「テレーゼ様、回避を──」

「……おや、あなたはテレーゼですか」

 しましょう、とメイベルが言葉を続けたが遅かった。彼女の声にかぶせるように響いてきたのは、きんと冷えた若い娘の声。

 あ、まずい、と気付いたテレーゼが顔を上げた先には、予想通りの人物が。幸運なのは、相手が複数でなかったことくらいか。

 沈みゆく夕日を背に立っているのは、女官服姿のコーデリア。軽く両足を開いてテレーゼの前に立ちはだかるその姿は威厳はもちろん、威圧感に満ちている。相変わらず不機嫌丸出しで、いい予感がしない。

(……ひとまず、礼儀正しく、好意的に挨拶を──)

 テレーゼは持っていたメモ帳をさっとメイベルに渡し、スカートのすそつまんでお辞儀をした。

「……お仕事お疲れ様です、コーデリア様」

「何をしに騎士団詰め所に行っていたのですか」

 コーデリアは口調こそ丁寧を心がけているようだが、声は震えている。間違いなく──怒っている。なぜなのかは分からないが。

(今は休憩時間だし。騎士団に行くな、なんてことも言われていないし。私用だから私服で行っているし──)

 数秒呼吸を置く間に己の行動が女官として違反していないことを確認し、テレーゼは再びお辞儀をした。

「騎士の友人がおりまして、少々立ち話をしておりました。ジェイド・コリックといって、大公妃候補時代に護衛騎士になってくれた人で──」

 とたん、ひくっとコーデリアの頰が引きつったのが分かった。テレーゼとしてはジェイドとの関係性を明白にするために背景も述べたのだが──なぜかは分からずますますコーデリアの不機嫌に拍車を掛けてしまったようで、いよいよ胸がばくばく鳴り始めてきた。

(ど、どうしよう……これ以上しゃべれば、もっとひどくなりそう……でも、えっと……)

 テレーゼがもだもだし、メイベルが隣であわあわしているうちに、コーデリアはますますむかむかしてきてしまったようだ。彼女はおおまた一歩でテレーゼとの距離を詰めると、右手の人差し指を立てて真っ直ぐテレーゼの胸に突きつけてきた。

「……あなたは、自分がそんじょそこらの女官見習とは違うということを、まだ自覚していないようですね。他の者であればまあ、騎士団に男漁りをしに行くにしても休憩時間なら目をつぶっていたでしょうが、あなたの相手をするとはその騎士も程度が知れるものです」

「誤解です! 男漁りじゃないです!」

 さすがに黙っていられず、テレーゼは語気強く言い返した。

 かつな行動をしたことでテレーゼが叱られるのはまだ分かる。だが、ジェイドまで悪し様に言われるのは我慢ならなかった。

 初めてテレーゼが反論したからか、コーデリアは一瞬ひるんだように息を吞んだ。だがすぐに彼女は唇の端を曲げ、忌まわしそうにテレーゼをにらんできた。

「……誤解だろうと何だろうと、わたくしの目にはそう映ったのだから仕方ありません。それに……あなたの軽率な行動でリィナ様の品位を落とすことにもなりかねないのだと、まだ分からないのですか?」

「えっ?」

 そこまでは、思い至らなかった。

(私のせいで……リィナが? でも、リィナも大公閣下も、私の行動に何かおっしゃることはないのに……)

 テレーゼの気迫が薄れたのを察したらしく、コーデリアは指を突きつけた格好のまま、けんに深いたてじわを刻んでテレーゼに顔を近づけてきた。

「リィナ様は平民出身で、しかも養子先は──なぜこのようなことになったのか甚だ疑問ですが、貧乏で有名なリトハルト侯爵家。リィナ様の足下をすくおうとするやからはいくらでもいます。そして皆は、リィナ様があなたを信頼していることも知っている。であれば──大公閣下の愛情とに包まれるリィナ様より、迂闊で馬鹿なあなたをとすことでリィナ様の足場を崩す方が楽だと、そう思うのが常識ではなくて?」

 リィナを失脚させるために、テレーゼを狙う。

 その可能性を、まったく考えていなかったわけではない。そして──大公の婚約者としてリィナの名を公表して久しいが、一般市民はともかく、公城の全ての人間がリィナを手放しで歓迎しているわけではないことも分かっていた。

(分かっていたのに──)

 テレーゼは唇を引き結んでうつむき、足下の砂利を睨むように見つめた。

 今鉢合わせたのが先輩女官だったからよかったものの、リィナを疎ましく思う者であればテレーゼの行動を見とがめ、あらぬ噂を流すことだって考えられる。

『リィナはそなたを信用しているようだが、心配もしている。それだけは忘れるな』

 食事会の後、厳しい口調で告げた大公の顔が脳裏をぎる。リィナをできあいする大公は、暗にテレーゼにも注意を促していた。彼はテレーゼの立場や思考をよく理解してくれているので、バザーに行くのをやめろ、使用人と仲良くするな、と行動に制限を掛けることはしない。ただ、「よく考えて行動しろ」と言いたかったのだろう。

(私は……)

「テレーゼ様」

 そっとメイベルに声を掛けられて顔を上げると、いつの間にか目の前からコーデリアの姿が消えていた。そういえばさっき俯いた時、それまで胸に突きつけられていた指が見当たらなかったことを思い出す。

「……メイベル、コーデリア様はどちらに?」

「ちょっと前にあちらの方へ」

 どうやらメイベルは一部始終を見ていながら、テレーゼの気持ちが落ち着くまでと声を掛けずに待ってくれていたようだ。

 テレーゼは小声でメイベルに礼を言い、示された方に向かう。コーデリアに、辞去の挨拶ができていない。正論を言われてショックを受けようと今はコーデリアの顔を見たくないと思おうと、それでは先輩に対する態度がなっていないことになる。

(コーデリア様のおっしゃったことはもっともだわ。気付かせてくださったお礼を言って、お見送りをして──)

 歩きながらも、心臓をぞうきん絞りされているかのように胸が痛いし、かつて生煮えの肉を食べてもんぜつした時のように胃もきりきり痛む。

 それでも背筋を真っ直ぐ伸ばして建物の角を曲がったテレーゼが見たのは──

「ありがとう、コーデリア。とてもきれいな花だから、部屋に飾っておきたくて」

「いいえ。わたくしでよろしければ、いつでもお呼びくださいませ」

 テレーゼの前方、秋の花で彩られた渡り廊下を歩いていく女性たちの姿。あの後ろ姿は、コーデリアに間違いない。ブルネットのポニーテールがふわふわとご機嫌そうに揺れている。ちらっと見えた限り、彼女は庭園に咲いている花を数本手にしていた。

 そしてその隣。侍女や騎士を伴って立っているのは──

(リィナ……)

 光沢のある青いドレスを着た妹だった。先ほどの会話からして、庭園に咲いている花をコーデリアが切ってあげたのだろう。テレーゼが俯いていた時間はほんのわずかだったと思うのだが、その間にコーデリアは通りかかったリィナを見つけ、彼女が庭園の花を欲していると知って駆けつけたのではないか。侍女や騎士ならともかく、女官ならかばんの中にはさみなどを入れていてもおかしくない。

 リィナたちは建物の陰にぼうぜんと立ちつくすテレーゼの存在に気付くことなく、廊下を曲がっていってしまった。

 だが、コーデリアはテレーゼに気付いたようだ。

 彼女はポニーテールを翻してこちらを見ると、一つ瞬きした。

 そして──にやりと、勝利に満ちた者の笑みを浮かべ、リィナの後を追いかけていったのだった。


 テレーゼは裂いていた。

「……無心、無心。ここでイライラするのは、お門違い……」

 テレーゼはストッキングを裂いていた。

 正確に言うと、再利用のためにストッキングを裂いていた。

 先ほどコーデリアと鉢合わせしたことで不安定になった気持ちを、テレーゼはエコグッズ作りにぶつけることで昇華していた。

 今テレーゼが作っているのは、破れたストッキングを活用したはたき。テレーゼは普通の令嬢と比べるとたいへんよく動きたいへんよく転ぶので、支給品のストッキングはすぐに穴が空いてだめになってしまう。だが、穴が空いても破れても、すぐに捨てたりはしない。

 女官が身につけるストッキングは町で売られているものより質がよく、目も細かい。よってストッキングを裂いて束ねれば、細かいほこりも逃さずき取るはたきが完成するのだ。他にも、伸縮性に富んでいるのでひも代わりにも石けんを泡立てる際のネットとしても活用できる。破れたストッキングの行く先は、明るいのだ。

(破れたストッキングでさえ未来が明るいのに、人間たる私がいつまでもグジグジしているわけにはいかないわ!)

 ストッキングを鋏で裂き、束ねていると、モヤモヤしていた気持ちもだんだん落ち着いてくる。テレーゼの手の動きがゆっくりになった頃を見計らってか、そっとメイベルが声を掛けてきた。

「……テレーゼ様、この後夕食には行けそうですか?」

「……うん! いいはたきもできたし、おいしくご飯を食べられそうだわ!」

 よし、と一息つき、手元のはたきを見つめる。

(……ちょっとモヤッとはするけど、コーデリア様のおっしゃったことも、私の実力がコーデリア様に追いついていないのも、事実だものね)

「こうなったら……メイベル!」

「はい」

「……こんなところでへこたれるわけにはいかないわ!」

 よくなかった点は改善し、「これは貫きたい」というものは曲げない。

「そのためにも、しっかりご飯を食べて、しっかり寝て、明日に備えるわよ! そう、私の未来は明るいの! ストッキングのように!」

「ストッキングの例はいいとしまして、かしこまりました。テレーゼ様が夕食に行かれている間、わたくしの方で安眠効果のあるアロマを探して参ります」

「メイベル……本当に、あなたがいてくれてよかったわ!」

 感極まってメイベルに抱きつくが、テレーゼの急な行動にも慣れっこのメイベルは細い両足で踏ん張ってテレーゼの体を受け止めてくれた。年を取り骨張った感触の目立つようになったメイベルだが、その温もりは子どもの頃から変わらなかった。


「あっ、テレーゼ。コーデリア様のこと、聞いた?」

 女官と侍女用の食堂で仲間たちを見かけたので、セルフサービス形式の食事をトレイに載せて彼女らの隣に座ったとたん。

 今はちょっと聞きたくない名前が鼓膜をフルスイングしてきて、テレーゼは思わずむせてしまった。

「ちょっ、大丈夫!? パンが気管に詰まった!?

「いや、まだ食べてないでしょう?」

「確かに。……大丈夫? 水でも飲む?」

「んんっ……大丈夫。それより、コーデリア様がどうしたの?」

 リズベスにとんとんと背中をたたいてもらいながら、テレーゼは尋ねる。あまり聞きたくない名ではあるが、気になるのは確かだ。

 最初に話題提供してきた仲間はスプーンを手に声を潜めるように前傾姿勢になったため、テレーゼたちも自然と身を乗り出す。

「それがねぇ、さっきリィナ様のお手伝いをしたとかで大公閣下からお褒めの言葉をいただいたそうなの。庭園で見かけたをリィナ様のために摘んで差し上げたようなの。とげの処理までかんぺきにこなしてね」

 へぇ、と皆が感心したような声を上げる中、テレーゼだけは落ち着いていた。一部ではあるがその有様を見ていたテレーゼなので、「やはりそうか」という感想しか出てこない。

(……でも確かに、指定された薔薇を摘んで棘の処理もするなんて……私だったら無理だったわ)

 本来は庭師の仕事だとしても、そつなくこなす女官。また、鞄の中には役に立つ道具を入れており、様々な事柄に対処できるよう備えているというあかしでもある。

「……やっぱりコーデリア様はすごいのね」

「そうね。確か私たちより一つ年下だったと思うけれど、有能な方なのよね。……まあ、絶対に逆らってはいけない相手だけれど」

 テレーゼがぽつんとこぼすとリズベスが同意を示した。どうやらコーデリアの実力を認めながらも怖がっているのは、テレーゼだけでないようだ。

 食事を終えると、他の仲間の大半は午後の実地訓練後の反省文の続きを書かないといけないらしく、急いで講堂に駆けていった。そのため、テレーゼはリズベスと二人で食堂を出てゆっくり歩くことになった。

(……ああ、そうだ)

「あのね、今日の夕方ジェイドに会いに行ったの」

「えっ?」

「それでね、騎士ってどんな女の子がタイプかなぁ、って聞いたのよ。あ、もちろんリズベスのことは伏せているから」

 彼女に誤解されてはたまらないと思って急ぎ付け足すと、リズベスはほっとしたように息をついた後、頰を赤らめた。

「そ、そうなのね。ありがとう、テレーゼ」

「ううん、私が勝手にやったことだから、迷惑だったら申し訳ないんだけど……」

「そんなことないわ! 私はテレーゼみたいな勇気を持っていないから、うれしいわ」

「それならよかった!……それでね、簡単にまとめるととりあえずしっかり食事をって、健康でいられたらいいと思うの」

 いろいろジェイドから聞き出したが、そのままテレーゼの言葉で伝えると伝言ゲーム事故が発生するのは目に見えていたので、メイベルがまとめてくれた無難な形で伝えることにした。

 リズベスは身長はテレーゼと同じくらいだが、小食らしくいつも食事量が控えめで、しかも貧血気味だそうだ。明日の朝食からはいつもより多めの量でバランスよく食べると、ジェイド──もとい騎士全般の好みに近づくだけでなく、体調も整うはずだ。

 もっと別のことを言われると思っていたらしく、リズベスはきょとんと緑の目を瞬かせた。

「ご飯……そうなの? ちょっと意外だったわ」

「そうねぇ。ジェイドいわく、一緒にご飯をおいしく食べたいらしいの。それから夜はしっかり寝たらお肌のつやもよくなるはず!」

「そ、そうなのね。分かった、気を付けるわ。……ちなみにテレーゼは、気持ちよく寝るのに何かいい方法でも知ってる?」

「そうねぇ……メイベルがアロマを準備してくれるかな。あとは……必殺! 枕の下に入れている帳簿を見てから寝ると、いい夢が見られるのよ、これが! おすすめよ!」

「そ、そう……」