1章 令嬢、計画を立てる



 翌日、午前中の講義を終えて昼食休憩を取った後の女官見習たちに、招集が掛かった。

「そういえば、今日中に招集を掛けるって言われていたわね」

 食後、うがいをしたり化粧を直したりするために、テレーゼたち女官見習は化粧室に集まっていた。

 女官は才能を必要とされるだけでなく、仕事中の所作や言葉遣い、身だしなみもかなり厳しく見られる。かつては基本すっぴん、化粧する際も侍女に丸投げだったテレーゼだが、最近では自分でも化粧ができるよう練習していた。最初の頃はチークを付ける量やアイシャドウの量が調節できず、侍女のメイベルに「派手を通り越して不気味です」と言われたものだ。

 鏡を見ながらアイシャドウを塗り直していたテレーゼの呟きに、小麦色の髪に緑色の目を持つ見習仲間がうなずき返してくれた。

「きっととても大切なお話をなさるのよ。……ねえ、テレーゼ。私の髪型、崩れていない?」

「今日もきれいなお団子になっているから大丈夫よ、リズベス」

 友人の後頭部のお団子がきれいな形になっていることを確認してそう言うと、彼女は安心したように微笑んだ。

 彼女──リズベス・ヘアウッドはテレーゼの同期で、同い年で部屋も隣同士だったこともありすぐに仲良くなった。彼女はヘアウッド子爵のめい、テレーゼは侯爵令嬢ということで最初は遠慮されたのだが、今ではこうして気楽に話す仲になっている。

 リズベスは見た目は大人しそうだが物言いはハキハキしており、頭の回転が速い。座学でもいつも隣に座るので、テレーゼとリズベスはお互い教えあいっこをしていた。

(……よし、メイク完了!)

 化粧を一通り直し、少し鏡から距離を取って自分の姿を確認する。

 お仕着せのある侍女や官僚、騎士団服のある騎士などと違い、女官に制服はない。その代わり、華美でない程度のドレスの上に女官共通のエプロンを身につけ、手には同じく支給品のグローブ、首にはチョーカーを巻くことになっていた。このチョーカーは階級ごとに色分けされており、テレーゼたち見習は白色である。

 髪が長い場合は邪魔にならないように結うのが規則なので、テレーゼはおさげにしてリボンで括り、テレーゼよりさらに長いリズベスは後頭部で大きめのお団子に結っていた。「首飾りや指輪以外の装飾品は可」とのことなので、テレーゼはリトハルト家の家紋入りブローチを胸に留めている。

 髪の結い方やドレスのセンス、細かな装飾品などを女官長や先輩女官が厳しくチェックしてくるので、気を抜くことはできない。

 仲間同士でお互いの服装を確認し合った後、化粧室を出る。指定された時間の十分前集合は当たり前だ。女官は貴人──特に貴族女性の補佐的役割を担うので、主人の急な予定変更などに対応できるよう、時間に余裕を持って行動できなければならない。

「お入りなさい」

 女官長の部屋の前で待っていると声が掛かったため、テレーゼたちは一列になってどきどきしつつ入室する。

 三十代半ばとおぼしき女官長はデスクに向かって書き物をしていたようだが、テレーゼたちが全員入室してドアを閉めると顔を上げた。

 女官長は、城中の女官と侍女をまとめ上げる責任者だ。「長」の名が付くのは騎士団長、官僚長、彼女を入れて三人だが、三人の中で一番若く、そして一番発言力があると言われている。あの屈強で勇猛果敢な騎士団長でさえ、女官長の前では飼い慣らされた大型犬のように従順になる……らしい。

「皆、集まりましたか。エイミー、点呼を」

「はい。第一期女官見習八名、全員そろいました」

 テレーゼたちを代表し、名指しされたエイミーが少し震えた声で答える。「第一期」というのは、今年になって一回目の女官登用試験に合格したグループ、を意味する。たいていはこのグループ単位で講義を受けていた。

 エイミーの言葉を受けておうように頷いた女官長はデスクにひじをつき、重ねた手の甲の上にあごを載せた姿勢でテレーゼたちを見つめてきた。

「早速本題に入ります。本日まで皆には座学による基礎教養の定着に努めてもらいましたが、今後は実地訓練を開始いたします」

 実地訓練、の言葉にテレーゼはまつげを震わせる。

(それって……実際に、女官としてのお仕事をさせてもらえるってことよね!?

 礼儀作法をたたき込まれたテレーゼたちの中には、厳格な女官長の前であからさまに動揺を見せる者はいない。だが、誰もがその顔に緊張を走らせていた。

 女官長はわずかに目を細めた後、続けた。

「皆も知ってのとおり、もうじき大公閣下とリィナ様の婚約記念式典が執り行われます。見習であるあなたたちにもある程度の仕事が任される可能性があるので、これを機に実地訓練を受け、即戦力となるべき力を身につけてもらいたいと思っております」

 大公とリィナの婚約記念式典、の言葉にテレーゼはごくっとつばみ込んだ。

 リトハルト家の次女──つまりテレーゼの妹となったリィナ。大公レオンの若干重いちようあいを一身に受けている彼女が「お友だちから」ということで大公の求婚に応えて、約三ヶ月。これまで公城で大公妃教育を受けていた妹はたびの式典を皮切りに、国内のみならず他国の要人たちとも渡り合うことになるのだ。

 そしてテレーゼたちも、これから実地訓練を受けられるようになる。勉強したことを生かし、女官としての職務を遂行するのだ。

(リィナも毎日頑張っているんだ。私だって……!)

 腹部で軽く重ねている手にほんのわずか力を込め、テレーゼは決意を新たにした。


 女官長の部屋での話を終え、見習たちは一礼して部屋を出て行く。

 そうして無言のまましばし歩き、誰もいない廊下に差し掛かったところで一斉に大きなため息をついた。

「はあ……緊張した」

「そうね。でもこれからは実地訓練を受けられるんだし、腕が鳴るわね!」

 そう言って振り返ったテレーゼだが、なぜかリズベスたちの表情は優れない。

(……女官長オーラにあてられたからかしら?)

「女官長オーラ」とはテレーゼの中で勝手に名付けた必殺技で、これを浴びると著しく体力を消耗し、体が重くなるのだ。ちなみにこの必殺技は時を選ばずいつでも発動されるので、回避する方法はない。テレーゼたちにできるのは、「オーラを食らった後になるべく早く回復できるよう努めること」だけだった。

 リズベスは顔を上げ、驚いたようなまなしでテレーゼを見てくる。

「……むしろ、テレーゼは怖くないの?」

「私が怖いのは預金がゼロになることとクビになることくらいだわ」

「あ、うん。テレーゼに聞いたのが間違いだったわ」

「私たちが心配なのは……先輩たちよ。ほら、最近嫌がらせをしてくるじゃない」

「そうそう。それも、テレーゼにだけしつこいし悪質だし……嫌よねぇ」

 辺りをはばかるような小声で見習仲間に言われ、テレーゼは首を傾げる。

「……嫌がらせ?」

「そうよ! ほら、この前テレーゼだけ、昼食の時にカトラリーセットを渡してもらえなかったし」

「自分で取りに行ったわよ?」

「その前は、テレーゼが洗濯したものだけ生乾きだったじゃない? あれ、乾いていたのを水に沈められたそうなのよ」

「私の干した場所がハズレなのだと思っていたわ」

「昨日だって、町に行くテレーゼをからかっていたじゃない!」

「えっ、『せいぜい気を付けることね』って言われたの、あれってお見送りしてくださったんじゃなかったの!?

 どれも自分では「そういうこともあるか」程度にとらえていたものだったが、どうやら見習仲間からすれば先輩による立派な嫌がらせだったらしい。

(うーん……でもどうして、私に嫌がらせをするの?)

 何か先輩たちの不興を買うようなことをしていたのならば自分の行いを見つめ直す必要があるだろうが、これといって身に覚えはない。

(それに、見習としてまずいことをしていたら女官長様からお叱りが飛んでくるはずだわ。でも、特に呼び出しを受けた記憶はないし……)

 首をひねるテレーゼに、見習仲間が顔をしかめて言う。

「きっと、テレーゼがリィナ様の姉君だからってやっかんでいるのよ。ほら、テレーゼはよくリィナ様に会いに行くじゃない」

「えー……姉妹なんだから、自由時間に会いに行ったって別にいいじゃない?」

「もちろんそうよ。でも、このままテレーゼだけひいされて自分たちがないがしろにされるんじゃないかっておびえているのよ、きっと」

「本当に自信があったら、そんなそくな手は取らないんじゃないかしら?」

「自信がないからこそ、いずれ自分にあだなすかもしれない不安要素を早いうちに消しておきたいのよ──あ、まずい」

 テレーゼの背後を見やった仲間がさっと青ざめた。テレーゼもそれだけでなんとなく事態を察し、ごくっと唾を吞み込んだ──直後。

「……こんなところで立ち話とは、ずいぶんお暇なのですね?」

 こつん、と硬質なブーツが床を鳴らす音と、不機嫌丸出しの少女の声。

 おそるおそる振り返った先には、数名の女官の姿があった。まだ顔と名前が完全に一致しているわけではないが、彼女らののどを飾るチョーカーの色は、赤。見習を卒業した四等女官のあかしである。

 年齢はテレーゼたちとさほど変わらないだろうが、相手は先輩、こちらは新人だ。急ぎ姿勢を正し、テレーゼたちは揃ってお辞儀をする。八人で息を揃えてお辞儀をするのにも慣れている。

 ここで去ってくれればよかったのだが、先輩たちは息を詰めてお辞儀をするテレーゼたちにもよく聞こえるよう、大きなため息をついた。

「……女官長様から伺いましたが、明日からあなたたちも実地訓練を始めるそうですね」

「わたくしたちは、あなたたちの指導担当を割り振られます。……決して、わたくしたちの邪魔だけはしないことです」

 先輩たちは愛想の欠片かけらもなく、淡々と言葉を連ねる。言い方はともかく彼女らの主張もよく分かるためテレーゼは黙っていたが、ふと、ブルネットをポニーテールにしたきつそうな顔立ちの女官と視線がぶつかった。

 彼女はテレーゼと視線が合うと、ヘーゼルの目を細めて軽くあごを引いた。

「……テレーゼ・リトハルト。リィナ様の姉だからといって、妹君の権力をかさに着ることだけはしないようになさいませ。我々が敬愛すべきなのはリィナ様であり、あなたではない。そのことを忘れぬように」

 いきなり、たいそうな物言いである。かつてのテレーゼだったら、むっとして言い返していただろう。

「ご忠告ありがとうございます。肝に銘じておきます」

 本当は、「いや、そんなの分かってるけど?」と突っ込みたかったが、それをすればこの廊下が戦場になるのは明らかだった。

「先輩には敵対しないこと」──それは面倒ごとを避けるための処世術であり、テレーゼたちにとって暗黙の了解なのだ。

 先輩女官たちはテレーゼたちをいちべつすると、さっと脇を通り過ぎていった。そうして彼女らの姿が完全に見えなくなってから、テレーゼたちは同時に肩を落とす。

「……本当に、頭が痛いわ」

「大丈夫?……この後は自習時間だし、その前に部屋に戻って温かいものでも飲まない?」

「そうね。……テレーゼも、顔がすごいことになってるわ。戻りましょ」

「う、うん」

 なるべく平常心を保とうとしていたのだが、リズベスにはお見通しだったようだ。

 リズベスと肩を並べて部屋への道を歩くテレーゼの内心は、複雑だ。

 ──次期大公妃の姉君だからといって、威張ってはならない。

(……そんなの、言われなくても分かっているのに!)

 両親や侍女のメイベルにはもちろん、レオン大公からもやんわりと忠告されている。リィナの姉ということでごまを擦ろうとする者、取り入ろうとする者、もしくは邪魔だからととそうとする者──そういった者が公城にはあふれかえっている。

 今年の春、大公妃候補として城で暮らしていた頃はあくまでも客人だったので、この騎士のジェイドを始めとした皆に守ってもらえた。だが今は、自分の力で自分を守りながら目標達成を志さなければならない。

(リィナが妹になったことを誇りに思っても、言い訳にはしたくない)

 そうでなければ、自立し女官になった意味などないのだから。


*  *  *


 今夜は、いつもと違うドレス。

 唇に紅を差し、結った髪には生花を。ヒールのある靴を履けば、ちょっとだけ大人になった気分になれるの──

「……なーんてフレーズがリズベスに借りた本で出てきたんだけれど、履くだけで大人になれる靴なんて、ちょっと怪しくない? 『これを履けばあなたもちょっと大人になれます! 今ならもう一足付いてきて、お値段そのまま!』とか……主人公が変な商売に引っかかっているんじゃないかと思うと、なかなか内容が頭に入ってこなかったのよ」

「ロマンチックなら何でもいいのでしょう」

「なるほどね」

 テレーゼに突っ込みを入れるリィナ。相変わらず彼女の突っ込みは的確で、そうかいだ。

 今、テレーゼとリィナは二人並んでドレッサーの前に座っていた。それぞれに二人ずつ侍女が付き、髪を巻いたり化粧を施したりしてくれる。

 今夜、テレーゼたちは大公主催の食事会に招かれていた。大公いわく、「いずれ家族になる者たちとの親交を深めるため」ということで、リトハルト家の者たちが全員招かれていた。父も急ぎ領地から戻ってきて、仕度ができたらテレーゼとリィナを抜いた五人で城に来る手はずになっている。

 テレーゼとリィナは血のつながりはないが戸籍上姉妹なので、ドレスや髪型もおそろいにしてもらった。ローズブロンドにすみれ色の目のテレーゼはラベンダー色の、アッシュグレーの髪に赤茶色の目のリィナはマゼンタの、同じデザインの色違いである。リィナの方が背が高いし大人びた顔つきなので、並ぶとリィナの方が姉に見えそうである。

「わー、きれいだよ、リィナ!」

「ありがとうございます。……お姉様も、とてもよくお似合いです」

 そう言ってリィナは照れたように微笑んだ。最近では、彼女もテレーゼのことを「お姉様」と呼ぶことに慣れてきているようだ。最初の頃は「テレ……あ、いえ、お姉様」と、令嬢と教育係だった頃の癖が抜けきっていなかったものである。

「失礼する。……おお、リィナ。よいのそなたはとても美しい」

 しばらくしてやって来たレオン大公は、テレーゼと並んで立っていたリィナのもとまでおおまたでやってくると、流麗な動作で手を取ってキスを落とした。ドアからここまでそこそこ距離があるはずなのだが、すさまじい移動速度である。

「そなたの大切な家族と食事を共にできること、うれしく思っている。……テレーゼも、よく似合っている。二人並ぶと、よりいっそう華やかだ」

「ありがとうございます、閣下。……さて、そろそろ参りましょうか。両親と弟妹たちも到着しているようです」

 リィナの腰を抱いて熱い眼差しを送っている大公と、まだ慣れていないらしく明後日の方向を向いているリィナを促すべく、テレーゼは声を上げた。今日のテレーゼは大公にお呼ばれされている側ではあるが、彼らを食事の会場まで案内する役目は女官でもあるテレーゼに任された。

(今回は女官長様とかはあまり関係ないけれど……勉強の応用復習にもなるし、こうした経験を積み重ねると、いずれ効果が現れるはず!)

 そう思うと、日々のちょっとしたことにも意識を向けようという気になる。

 大公とリィナが並んで歩きだしたら、彼らの足下にも意識を向ける。今日は晴れているので大丈夫だろうが、天候の悪い日は湿った靴によりカーペットにシミができてしまうことがある。また、ヒールの高い靴を履いている女性ならば、毛足の長いカーペットや石畳の隙間につま先やヒールの先が引っかかって転倒しそうになることも。

(対象者が心地よく行動できるように配慮する……うん、頑張らないと!)

 リトハルト家の家族は、二つほど隣の応接間で待機していた。一張羅を着こんだ両親は緊張ガチガチで、「こ、今晩はお招きいただきありがとうございます!」とうわずった声で父があいさつしている。対する大公は気さくな様子で「こちらこそ、遠路はるばるようこそ」と普段領地で暮らしている父を思いやるような言葉を送り、父と握手をした。

 ──直後、父はふっと倒れた。

 応接間はちょっとした騒ぎになったが、「父は偉い人と握手をすると気絶する病なのです」ということで大公には納得してもらうことになった。


 隣室で休憩中の父を外し、食事会が始まる。

 大公は「身内だけの食事会だから、気楽に話でもしながら食べよう」と申し出てくれたのだが、彼の言うとおり「気楽に」食事ができたのは、まだ幼い双子のマリーとルイーズくらいだった。

 母とエリオスはシャンデリアの明かりを受けてきらきら輝く数々の料理に驚きっぱなしのようだし、リィナも緊張の面持ちで料理を口に運んでいる。

 食後の茶の時間になるとようやく父が復活し、茶を飲みながら雑談することになった。

「たいこうさま、かっこいいです!」

「マリーたちも、いつかすてきなひととけっこんするんです!」

 この時間になると、マリーとルイーズはすっかり大公に懐いてしまっていた。「他人に興味がない」と言われる大公も、リトハルト家──つまりリィナの家族となると話は別らしい。彼はきらきらのまなしで一生懸命話しかけてくる双子を穏やかな笑顔で見つめており、「そうか」「それはすばらしいことだな」と優しく相づちを打ってくれていた。

「そなたたちのように素直で明るい子が、未来のアクラウド公国を作ってゆくのだな。……リトハルト侯爵、我が婚約者の妹君となれば、年頃になったなら私の方から縁談をまとめようではないか」

「へっ!? あ、あり、ありがとうございます! 身に余る光栄でございます!」

 いきなり話を振られて、ミルフィーユをもそもそと食べていた父が目をいた。だが父は最初、大公の話の内容をよく聞かずに返事していたようで、やがてさっと青ざめる。

「あ、いえ。しかし、リィナ様の身内といえど我々に血の繫がりはなく、末の娘たちの縁談まで大公閣下に頼るわけには──」

「何を言うか。大公妃の妹君ということで、ろくでもない連中が彼女らを狙うかもしれん。それくらいなら私の方から信頼できる者を見繕い、話を持っていった方がよかろう。……エリオス、君の時にも必要とあらば、声を掛けなさい」

 父の隣で大人しく茶を飲んでいたエリオスは大公に呼びかけられ、目を見開いたようだ。

「……は、はい。ご厚意に感謝いたします」

「うむ、いつでも頼りなさい」

 大公と弟が会話をする傍ら、はちみつたっぷりの紅茶を堪能していたテレーゼは目を瞬かせた。

(確かにマリーたちだけじゃなくて、エリオスは跡取りだから結婚相手も慎重に選ばないといけないわね……)

 それこそ、「大公妃殿下と縁続きになれる」という目論見で弟妹たちに近づこうとする者だって出てくるだろう。大公はそれを心配しているのだ。

(……そうよ! マリーとルイーズは紛れもない天使だから、変なおじさんから守ってあげるのはもちろんだけど、エリオスだってかわいいかわいい弟なのよ! そんなかわいいエリオスを狙う者がいてもおかしくないわ──)

 テレーゼは想像する。

 権力に目のない色っぽいお姉さんが、エリオスに向かってちょいちょいと手招きをする。「お姉さんと一緒に遊ばない?」と。

 そう、それはまさに、この前見習仲間に押しつけられた本にあった展開のように──

(ああああっ! だめ、そんなのだめよ!)

 無邪気な弟が悪いお姉さんに引っかかるなんて、我慢ならない。

 弟妹たちの結婚を考えるのも、長女のつとめだ。テレーゼだって城仕えになったのだから、昔よりは人脈も増えた。大公に頼りきりになるわけにはいかない。

「大公閣下、わたくしも弟妹たちの結婚相手探しに努めますので、どうぞよろしくお願いします!」

 気合いを込めてテレーゼが申し出たとたん、なぜかその場がしんと静まりかえった。はしゃぎながらケーキを食べていたマリーとルイーズでさえ、きょとんとしてこちらを見ている。

(……あれ? 私、何か変なことを言ってしまった?)

 話の流れからすると不自然ではなかっただろうし、「気楽に」会話するようにと言われているのだから、テレーゼが話題に乗ってもとがめられることはないはずなのだが。

「……あ、あの?」

「でも、じゅんばんだとテレーゼおねえさまが……んぐっ」

「ルイーズ、まだケーキが残っているから最後まで食べてからおしゃべりしようね」

 何か言いかけたルイーズだが、エリオスにそっと口をふさがれてしまっていた。兄にやんわり止められたルイーズはさとくも何かを察したようで、うなずくと黙ってケーキを食べる作業に戻ってしまう。

 わけが分からずおろおろするのは、テレーゼだけのようだ。

(……どういうこと? はっ、まさか、「お見合いおばさんのようなことはやめた方がいい」ということかしら!?

 城下町に、「知り合いの息子が嫁さんを探していてねぇ。あんた、どうだい?」と他人の縁を取り持つことに人生を懸けているおばさんがいた。彼女は「お見合いおばさん」と呼ばれており、若干押しつけがましいので、テレーゼ含め同年代の者たちはちょっと迷惑がっていたではないか。

(い、いけないわ。私も弟妹たちの結婚に執着しすぎたら、お見合いおばさんになってしまうところだったわ! きっと皆は、沈黙でそのことを教えてくれたのね!)

 テレーゼとてまだまだ花の盛りの十八歳なのだから、「おばさん」になるのには数十年早い。

 なるほどなるほど、と一人納得したテレーゼは、すっきりした気持ちで茶を飲んだ。

 そんなテレーゼの気持ちが分かるはずもなく、両親とリィナは頭を抱え、弟妹たちは真顔で顔を見合わせ、大公は「本当にそなたはおもしろいな」と笑うのだった。


 無事食事会を終え、リトハルト家の五人は帰路に就くことになった。

 最初はかなり緊張した様子だった両親も、食後のお茶を飲みながらぽつぽつと大公やリィナと話ができるようになっており、去り際の表情も穏やかなものになっていた。

「……はあ、なんだかちょっと疲れちゃったわ」

「お疲れ様です、お姉様。お姉様も、いろいろと気を遣ってくださりありがとうございました」

 家族を見送りリィナを部屋まで連れて行く道中、二人は顔を見合わせてくすっと笑う。

「ああ、ばれちゃった?」

「ええ。きっと女官の眼差しでこの場をご覧になっているのだろうな、と思っておりました」

「あはは、そのとおり。……ああ、お腹いっぱい。料理、おいしかったね」

「そう、ですね……」

 何気なく話題を振ったのだがリィナの言葉の切れが悪く、テレーゼはさっと隣を見る。

(……リィナ?)

 立ち止まって顔をのぞき込むと、リィナははっとしたように目を瞬かせた後、誤魔化すように微笑んだ。

「いえ、何でもありません。わたくしもお腹がいっぱいになったので、今日はゆっくり眠れそうです」

「……うん」

 噓だな、とテレーゼは気付いた。リィナは案外噓をつくのが得意ではない。噓をつくことや誤魔化すことへの後ろめたさからか、視線が泳ぐのだ。

 とはいえ、料理は自分の分を食べていたし、好物ではおかわりもしている様子だった。「何でもない」わけではないはずだが、何か気に掛かる点でもあるのだろうか。

『相手が何を考えているのかを見抜くのも、側仕えの役目です』

(……そう、そのとおりだわ)

 リィナを部屋に送り届けたテレーゼの頭の中に、講師の言葉がよみがえる。自分のためにもリィナのためにも、考える必要がありそうだ。

「……テレーゼか。ちょっといいか」

 自分の部屋に戻ろうとしたテレーゼだが、背後から名を呼ばれて振り返る。そこには、先ほど食事会の会場となった部屋からちょうど出てきたところらしい大公の姿があった。婚約者やその家族との食事を終えたからか、ごうしやな上着は脱いで身軽な格好になっていた。

「はい、何かご用でしょうか」

「最近の様子を聞きたくてな。……女官としての生活はどうだ?」

 大公に問われ、テレーゼは目を瞬かせた。

(てっきり、さっきの食事会のことかリィナのことを聞かれると思ったんだけど……)

 そのつもりでいたから少しだけひるんでしまったが、気を取り直してテレーゼは答える。

「お気遣いに感謝いたします。見習として仲間と共に精進する日々でございます。また、閣下とリィナ様の婚約記念式典に合わせ、わたくしたちも明日から実地訓練を行うことになりました」

「ああ、そういえばそのように女官長が言っていたな」

 大公は頷いた後、壁に寄り掛かった。それだけの仕草だが、非常に様になっている。公城の廊下という廊下に、今の大公そのままの銅像を並べ置いたらさぞ華やかになるのではないだろうか。

 テレーゼは、そうなった廊下を想像した。

 そして、深く後悔した。

「他には……バザーに参加したり、公城の者たちの仕事を手伝ったりしているそうだな」

「はい。……あの、もちろん女官見習としての仕事に支障を来さない程度にしておりますので──」

「無論、止めるつもりはない。そなたの小さな思いやりや行動が公城の雰囲気をよくしているのは知っているし、バザー参加も規則に反しているわけではないからな。思うようにすればよい」

「さ、左様ですか」

 そこまで好意的にとらえられているとは思っていなかったので、テレーゼが少しだけ気恥ずかしい気持ちになってしまう中、大公はしみじみとした口調で続ける。

「……下位貴族の娘ならばともかく、侯爵令嬢でありながら職を持つとは珍しいことだが……実家を助けるというのはもちろん、金稼ぎも誰かの手伝いをすることも、趣味のようなものであるそうだな」

「はい。お金稼ぎはわたくしの使命であり、生きでもあります。誰かの仕事を手伝うことだって、回り回ってそれが自分のためになると思っております。ですからまったく苦だとは思いませんし、家族や領民の、そして自分のためだと思うと頑張れます」

 情けは人のためならず、自分のためなのだ。

(私だって、聖人君子じゃないもの。お金はほしい、誰かに感謝されたい、自分のためになることをしたい。……でも、この信念を持って行動していることを、恥ずかしいと思ったことはないわ)

 気合いを込めてそう告げると、大公は青い目を細め、クッと笑った。どこか邪悪ささえ感じられる笑い方だが、これが彼にとっては当たり前なのだと知ったのはわりと最近のことだ。

「それは何よりだ。そなたはそなたのしたいようにすればよい。私もそなたの意見を尊重しよう。……だが、そなたが無茶をすればリィナが悲しむ。リィナはそなたを信用しているようだが、心配もしている。何をするにしても、それだけは忘れるな」

 大公はそれまでの気さくな様子から一転し、やや厳しい口調で言った。その勢いにテレーゼが息をんだのは一瞬のことで、すぐに納得がいく。

 彼にとってはリィナが一番。テレーゼが体調を崩せばリィナが悲しむ。だからテレーゼに厳しいことを言っているのだ。

(閣下らしいわね)

 テレーゼはすとんと肩を落とし、ドレスのすそつまんでお辞儀をした。

「しかと肝に銘じておきます。ありがとうございます、大公閣下」

「うむ。……では今日もご苦労だった。ゆっくり休め」

「はい」

 大公がそれまで廊下の隅に控えていた護衛の騎士を連れ、部屋に戻っていく。彼の姿が見えなくなるまでお辞儀の姿勢をキープしていたテレーゼはようやっと体を起こした。

(私の体はもう、私だけのものじゃないのよね。それに、明日から実地訓練だし励ましてくださったのかも)

 体を壊せば悲しむ者がいる。困る者がいる。それを忘れてはならないのだ。

 大公の主張はかなり極端だしリィナの方に針が振り切っているが、言い分は正しい。

(……よし、明日からも元気に頑張ろう!)