『──収録で、大変だったことですか』
『それはもう、沢山ありました。初めてのゲーム主人公ですから、これまで経験のなかったことばかりで』
YouTubeの『
リリース直前の、キャストインタビューだった。
小さなスピーカーで再生されているのに、そこには明瞭な説得力がある。
『ただやはり、正面からぶつかるしかないですからね。俺の持つものを、すべてぶつけさせてもらいました』
「へえ……やっぱり、こだわりの強そうな人だね」
喫茶店の隣の席で、彼女のスマホを
なんだかわたしは、緊張感に背筋を伸ばしてしまう。
「背も高いし、強そうだし。こんな人とやり合うなんて……わたしだったら、怖くて泣いちゃってたよ……」
想像してみて、ぞっとしてしまう。
こういう年上の男性に怒られる場面。しかも、相手の方が正論だった場合。
……うん、ダメだ。間違いなく泣いちゃう。
反論とかやり返すとか絶対無理。よくがんばったなあ、紫苑……。
「やー、実際わたしもキツかった」
言葉とは裏腹に、晴れやかな声で紫苑は笑った。
「ビビったし
「やっぱりそうだったんだ……」
「でもそれ以上に悔しかったからねー。ちゃんとやり返せてたらいいんだけど」
「え、謝られたんじゃないの?」
「うん。でもなんかさらっとだったから」
言って、紫苑は唇を
「本人の中では、別に大したことなかったのかもしんない」
「んー、そうかなー」
なんて、そんな風に話していたタイミングで──、
『──強いて言えば、
スマホの向こうで、
反射的にわたしたちは口をつぐむ。
『彼女とはPVでかけあいもやったのですが、その存在感に負けない芝居をするのが、もっとも難しかったかもしれません。まだ若いのに、彼女は本物の役者です。これからも、一緒に仕事をできるのがうれしいですし、身の引き締まる思いです』
驚いて、紫苑の方を見た。
スマホに向けた目を丸くしている紫苑。
数秒の間を空けて──彼女はにへっと笑った。
「……なんだよー」
あくまで冷静風の声で、紫苑は言う。
「そういうの、ちゃんと本人に言えよなー。スタジオでは、なんかツンツンして……ろくに褒めてもくれなかったくせに」
「……よかったね」
そんな紫苑に、なんだかこっちも幸せな気分になる。
「この人にそんな風に言われるなんて、がんばった
「あー。だね。あはは、正直うれしい」
と、紫苑はもう一度柔らかく笑ってから、
「これからも、めちゃくちゃがんばって小田原さん焦らせてやろ。……ってやば、そろそろ時間だ!」
ふいに、紫苑が腕時計を見て声を上げる。
「映画館向かわないと!」
「……わあ、ほんとだ!」
確かに、そろそろ予約した回の上映時間が迫っている。
今日、わたしと紫苑は一緒に映画鑑賞しようとお出かけをしていた。
もちろん、見るのは『おやすみユニバース』。
先週封切りになり、大好評上映中のわたしの主演作だ。
わたしも既に、試写会やプライベートで完成版を鑑賞している。
けれど、どうしても
「よし、行こう!」
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
そんな風にわちゃわちゃしながら、わたしたちは喫茶店を出ると、すぐそばにある映画館に小走りで向かったのでした。
***
「──うおー、満員じゃん!」
「すごいね、平日なのに……」
数百席ある客席は、沢山の人でほぼ埋まりきっていた。
「これまでの
驚き周りを見るわたしに、良菜が説明してくれる。
「若い人の間で話題だって。本人も、ここまでとは思わなかったってびっくりしてた」
「へえー、大ヒットだなあこれは」
声を潜めたまま、席の一つ一つを眺める。
わたしたちのような若者から、お父さんお母さんくらいの年齢の人まで。
様々な人たちが客席で期待の表情をしていて、『大人気』という事実をわたしは肌で感じ取る。
予約していた席に、良菜と並んで腰を下ろした。
上映まで、まだ少し時間がある。
さっきロビーで買ったパンフレットを、ペラペラと眺める。
作品や設定、キャラの紹介。塔ノ沢監督へのインタビューや、キャストからのコメントたち。その豪華さに、力の入った作品なんだなと改めて思い知る。そして、そんな作品で主演する、良菜のすごさも。
「……お」
そして、わたしは気付いた。
パンフレット後半に並んでいる、キャストインタビュー。
その中でも、
──そんな魅力
ストーリーはもちろん素晴らしいですし、キャラもすっごくかわいい!
背景もとってもきれいなんです。皆さん夢中になってくれるんじゃないかなー。
あとあと、キャストも皆がんばりましたよ!
特に……
とても素敵なお芝居だったので、共演者として是非注目してもらいたいです!
「……ふーん」
読みながら、思わず笑みが
さっきはわたしをうらやんでいたけど、良菜もなかなかやるじゃん。
あの
それに……うん、楽しみだな。
この作品で良菜がどんなお芝居を見せてくれるのか、心の底から楽しみだ。
そうこうしているうちに、劇場内の照明が落ちる。
「……は、始まる!」
良菜の声と同時に、スクリーンに
これが終われば、とうとう『おやすみユニバース』の本編スタートだ。
「き、緊張する~……」
小さな声で、良菜がつぶやいた。
「もう何回も見てるのに、
「あはは、そうだよね」
そんな彼女に、わたしもデビュー当時を思い出しながらそう答えた。
「自分の出演作見るの、はらはらするよね」
「うん……心臓飛び出そう……」
「大丈夫だよ」
言って、わたしは隣に座る良菜の手を握った。
冷たくてすべすべの、彼女の手の平。
「良菜は
「……そっか」
「良菜は、絶対大丈夫」
「うん」
ようやく落ち着いたようで、良菜は視線をスクリーンに戻した。
そして、わたしの手をぎゅっと握り返し、
「わたしたち、一緒にここまで来たんだもんね」
「そうだよ」
うなずくと同時に──宣伝映像が終わる。
そして、二呼吸分ほどの間を置いて──、
『──不思議な夢を見た』
『──恋をする夢。誰かを
『──彼の体温や低い声、くせ毛の髪や制服の胸元』
『──そんな確かな感触とともに、わたしは目を覚ます』
『──恋の感覚を、確かにこの胸に宿して』
息を
良菜演じる
『──へえ、転校生』
『──珍しい時期に引っ越してきたんだ。しかも結構イケメン……』
『──ね、寝かしつける!? わたしがあなたを!?』
『──大丈夫、怖くなんてない!』
『──本当の世界で、本当のわたしであなたに会いたいから!』
──それを、全身で正面から受け止めながら。
彼女のお芝居を感覚すべてで受け止めながら──わたしは実感する。
──最強の、ライバルが現れたことを。
同世代では一つ抜けていたわたしに、とてつもない強敵が現れたことを。
──
この子は──わたしより
役者として、
考えてみれば、当然だ。
たった半年で、
わたしの身代わりとして活動しながら爆発的に成長し、映画の主演という大役を
間違いない。
そんな役者を、わたしはこの手で目覚めさせてしまった。
握っていた良菜の手を、一度強く握りしめた。
彼女は戸惑うように指先をもぞもぞさせたあと、同じ強さで握り返してくれる。
──うれしく思う。
最強のライバルが隣にいることを。
わたしが願えば、一緒に歩み続けることができるのを。
そして──決意する。
わたしの将来のこと、うやむやにしていた未来のことを。
そうだ、わたしの願いは。
わたしが、これから願うことは──。
***
「──あー、面白かったあ……!」
映画が終わり、劇場を出てしばらく。
周りに観客らしき人がいなくなった路地で、わたしは大きく伸びをした。
「自分が出た作品だけど、本当にいいよね『おやすみユニバース』……!」
「だねー、マジでよかったわ!」
隣を歩く
「久々に本気で泣きそうになったし。純粋に映画としていいよなー」
「でしょ!? もっともっと沢山の人に見てもらいたいなあ……」
もう、これで何度目かの鑑賞になるけれど。
ストーリーも展開も画面もほとんど覚えてしまったけれど。
それでも、最後まで通して見たときの感動は今でも色あせない。
そんな作品に出演できたことを、心から誇りに思う。
これからも、そんな経験を沢山できればいいなと思う。
「……そうだ、あのさー」
駅に向かって歩きながら。
「わたし──声優続けることにする」
「……へ?」
「起業の件、とりあえず延期にして、もうちょっと役者続けてみる」
──起業、紫苑の夢。
それを──延期。
「……ど、どうしたの?」
全く予想外の言葉に、声が裏返りそうになる。
「ちょっとずつ、準備もしてたんじゃないの? 大学とか、色々」
「うん」
うなずく紫苑。
そして彼女は、
「でも、気が変わった」
あっさりと、重い上着でも投げ捨てるように言った。
「本気で面白くなってきたんだもん。わたしのお芝居、ここからだって思った。だから、他のことなんてやってらんない。これからも、お芝居をやり続けるよ」
「……そう、なんだ」
うなずいて、それでもわたしはまだ
「なら……わたしもうれしいけど。これからも、紫苑と一緒にいられるなら楽しいけど……なんで? どうして急に、そんなことを……」
その夢は、紫苑にとって重要なことだったはず。だからこそ、わたしに入れ替わりを提案したはず。何が紫苑を心変わりさせたんだろう。
尋ねるわたしに、紫苑はぱっと笑みを咲かせ、
「──
鮮やかな声でそう言った。
「良菜がわたしに、そんな風に思わせてくれた!」
「え! そうなの!?」
「うん」
うなずいて、紫苑は一度足を止め、
「だから……ありがとう。わたしにこの先を見せてくれて。もっと歩きたい自分を、気付かせてくれて」
「……どういたしまして」
胸いっぱいになりながら、わたしは
純粋に、うれしいと思った。
この子の力になれたこと、これからも一緒に表現を続けられることが。
「行こう」
言って、紫苑がわたしの手を握る。
あの日、わたしをお芝居の世界に誘ってくれたこの手。
それを今、わたしは強く握り返す。
多分わたしたちは、どこにでも行ける。
いつか、この手を離すときが来るのかもしれない。
それぞれ別の道を歩くときが来るのかもしれない。
それでも、今は構わない。
隣同士、
時刻はちょうど、十六時頃。
わたしたちの頭上には、透明な月がひらひらと輝いていた──。