──入れ替わりの発表から、十日ほどが
わたしにとっても
連絡のあった各社に出向き、お詫びと説明を繰り返す。その間にアフレコやオーディションもあるから、そこでも事情を話したり平身低頭謝ったり。
LINEには無限に連絡が来るし、テレビでもYouTubeでもわたしたちの話題が流れまくり。
あまりの情報量の多さに全く気の休まらない、生きた心地のしない毎日だった。
さらに言えば……学校。
通っている学校での騒ぎも、大変なものだった。
わたし、
「──ねえねえ、今ニュースになってる声優の件……」
「──あれ、山田さんなの……?」
「──そういう
以前から友達だった子もいれば、一度も話したことがない人まで。
なんなら、クラスや学年まで違う人もその中には混じっていた。
正直……怖かった。
知らない人に根掘り葉掘り聞かれるのは、
さらには、とんでもないことを聞いてくる生徒までいて、
「──声優って
「──
「──有名人とLINE交換したりした?」
……もちろん、仕方がないことだと思う。
原因を作ったのはわたしと紫苑で、こういうのも甘んじて受け止めるべきだと思う。
今後も声優として活動することを考えれば、怒るわけにもいかない。
だから──本心を隠して、なんとか受け流すしかない。
無理に笑みを浮かべて、「それがね~」なんて返そうとしたところで、
「──はいはいストーップ!」
──突然上がった、意外な声。
「山田さん、忙しくて疲れてんだからさ~」
「勝手に質問ぶっこむのやめてくださーい!」
……派手系グループの皆さんだった。
例の『技術室ちゃん』の動画を作った彼らが──わたしの前に立っていた。
「聞きたいことあったら、わたしらがマネージャーだから」
「取材はこっち通してね~」
「インタビューは一回五万からな」
彼らの軽い口調に、周囲で笑い声が上がる。
なんとなく穏便な空気感で、周りの人が方々に散っていく。
「……あ、ありがとう」
予想外の展開に驚きながら、ひとまずわたしは彼らに礼を言った。
「すごく、助かったよ。あの、怖かったから……」
「あー、いいのいいの」
「ていうか……多分、俺らきっかけだったりするだろ?」
リーダー格のパーマ男子が、申し訳なさそうにわたしを見る。
「入れ替わることになったのって、多分、俺らの動画が発端だよな……?」
彼の言う通りだった。
今年の春、彼らがクラスで
だからすべての始まりは、この四人組だ。
「ならやっぱ……助けないと」
明るい髪色のギャル系女子が、真面目な顔でわたしに言う。
「わたしらが、
その真剣な口調に──思わず笑ってしまった。
この人たちは、相変わらずだ。
ノリはわたしと全然違うし、キャラも立ち位置も、きっと趣味も違う。
深夜アニメなんて、ほとんど見たことがないんじゃないかな。
けれど、こうして自分がしたことの責任を取ろうとするところは本当に素敵で。
いい人たちだなと改めて実感して、
「……心強いよ」
わたしはありったけの感謝を込め、彼らにそう言った。
「守ってくれてうれしいです。ありがとう……」
「いいってことよー!」
「俺らの仲だろ!」
「遠慮すんなってー!」
コールみたいな口調でそう返す彼らに、わたしはもう一度笑ってしまった。
*
そんなこんなで、入れ替わりの公表から二週間が
ようやく、ネット上の騒ぎも落ち着きつつあった。
世論がどんな風に動くのかは不安だったけど、それによってはわたしも
もちろん、寄せられた意見には様々ある。
単に驚いている声、面白がっている声、激怒している人も当然いる。
声優業界やアニメ関係者、出版業界からも沢山のコメントが上がっていた。
これももちろん方向性はバラバラで、受け入れている人から本気で拒否をする人まで、一つにまとまったりはしていない。
ただ……全体の空気感として。
社会全体の雰囲気として「じゃあ、これから二人がどんな活動をするのか」に注目が集まっている気がした。
やってしまったことは、どうしたって変わらない。
そのことの是非を、今すぐ判断するのも難しい。
じゃあ──ここから
それが問われている雰囲気──。
「やっぱ、ここからだねー」
打ち合わせの場で、紫苑も同じような感想みたいだった。
さすがに、ここしばらくの大騒ぎには体力を削られたのか。
珍しくちょっと疲れた様子で、彼女は会議室のテーブルに上半身を投げ出していた。
「友達の声優とか、みんなフォローする感じになってくれて……それで、首の皮一枚
「そうだね、大事なのは今後だね」
入れ替わりの公表をきっかけに、わたしへの敬語をやめてくれた斎藤さん。
「ここから二人が
説得力を感じてもらえるか──。
だとしたら──やるしかないと思う。
これまでだって、もちろん全力だった。
慣れないお芝居というものを前に、必死で走り続けてきた。
だから、そうあり続けるしかない。
これからも、お芝居を世間に見せ続けていくしか──。
「二人とも……このあと、大事なお仕事が入ってるから」
気合いを入れ直すように、
「
──ラジオ、『おやすみユニバース』。
──『精彩世界』。
どちらも、わたしたちの今後に大きく関わるお仕事だ。
そして──入れ替わり告白後、初めての現場が数日後に控えている。
「……がんばろうね」
椅子から立ち、わたしは紫苑に言う。
「ここからだね、紫苑。二人で一緒に、がんばろう!」
「……おう!」
紫苑も立ち上がり、正面からこちらを見ると、
「いっちょ、やったりますかー!」
彼女らしい不敵な笑みで、元気にそう言ったのでした。
*
「──おはようございまーす!」
いつも通りの華やかな声。メイクも服装もばっちりの、『100%の欄干橋
そしてわたしは──、
「おはよう、ございます!」
──
「
佐田良菜として。
ウィッグではなく地毛の黒髪。服装も、紫苑の好みではなく自分で選んだもの。
それが、
紫苑という
それでも──今は彼女に、やるべきことがある。
「本当に、すみませんでした」
まずは、そう言って深く深く頭を下げた。
「前回までの収録、わたしが
顔を上げ、わたしは必死に彼女に言う。
「それでも、これからも一緒にがんばれればって思っています!
このラジオは、紫苑の出演に切り替える、という話もあった。
わたしのお芝居で勝ち取ったお仕事ではないし、実際出演するのは紫苑でも問題ない。
むしろ、あの子に出てもらう方が色々と筋が通るかもしれないとも思う。
けれど……投げ出したくない、と思った。
ただでさえ不誠実なことをしちゃった現場なんだ。
わたしなりに、番組を盛り立てることでそのお詫びをさせてもらいたい。
それに……欄ちゃん。『おやすみユニバース』でも共演する彼女。
どうしても、直接謝罪をしたかった。きちんと謝って、許してもらいたい。
だから自分から希望して、この番組にはわたし自身を出させてもらうことにしていた──。
「まだまだなところも一杯あるけど、全力でがんばるから! どうか、よろしくお願いします!」
精一杯、本心を伝えたつもりだった。
今わたしに言えることを、まとめて言葉にしたつもり。
けれど──そんなわたしに、欄ちゃんは、
「──ああ、そうですかー。わかりました」
明るい笑みで。
一分の隙もない軽やかな声で、そう答えた。
「じゃあ、今日もよろしくお願いしまーす」
歌うようにそう言って、席に腰掛ける欄ちゃん。
周りのスタッフと軽く会話をし、目の前の原稿を手に取ると。
「ふーん、今回はこんな感じかあ……」
どこか機嫌よさそうな声で、そんな風につぶやく。
「おー、いいですね今回のラジオドラマ! 二股された女の子同士……」
「……」
一瞬の、間を空けて──背筋がぞくりと
会議室全体に満ちる、不穏な空気。
──怒っている。
何よりも、はっきりそう感じた。
間違いない。声に出さずとも態度に出さずとも、間違いなくわたしは理解する。
欄ちゃんは──怒っている。
──激怒している。
……もちろん、そういう覚悟はしていた。
受け入れられる可能性もあれば、激怒される可能性もある。
そのことは、理解しているつもりだった。
けれど……それがいざ、こうして現実になると。
目の前で共演者に拒絶をされると──背筋が凍り付く。
喉がカラカラに渇いて、呼吸が詰まりそうになる──。
「……それでは、打ち合わせを始めさせてもらいます」
目の前の展開に打ちのめされるわたしの横で。
彼もきっと、この場の張り詰める空気に気付いているんだろう。
「今回から、
「で、ですよね! ほんとすいません、めちゃくちゃなことして……」
「いやいやいや! こちら的にはむしろ面白いというか、ちょっと話題になりそうでありがたいくらいで……」
わたしと五輪さんの、白々しい会話が会議室に響く。
欄ちゃんは、何も言わない。
ただ薄い笑みを浮かべて、わたしたちのやりとりを聞いている。
「……で、そう! 二人の関係性というか、トークの立ち位置なんですけど……」
五輪さんが、必死の表情で会話を続ける。
「
「あ、ああ、そうですね」
そうだ、そこの問題がある。
「その関係性を、今後どうしていくか。変えちゃうのか、今まで通りのままにするのか……」
「あ、あの! わたしも!」
ちらりと
「本当に欄ちゃん好きになっちゃったんです! 最初は、紫苑が推してるから勉強で見てるだけだったんですけど……曲聴いたり、現場の映像見たりしてるうちに、普通にファンになっちゃって……」
これは、わたしの素直な本心だった。
誇張しても盛ってもいない、ただの事実。
わたしは純粋に、一ファンとして欄ちゃんを推してもいる。
「だから……基本的にはそこは変わらず。けど、紫苑ほどはぐいぐいしゃべるタイプじゃないので……そこだけ、ちょっと変わる感じでどうかなと……」
それでも……この状況だと白々しく聞こえる気がした。
「なるほどなるほど、それならいけそうですね……!」
乾いた声で、
「控えめに推す
と、そこで五輪さんは欄ちゃんの方を向き、
「どうですか……? そういう感じでどうでしょう?」
「ええ、いいと思いますよー」
相変わらずの百点満点の笑みで、欄ちゃんはうなずいた。
「できると思うので、それでいきましょう」
「……ありがとうございます」
完全無欠の声色に、陰りの一切見えない表情。
そのあまりの隙のなさに、とっかかりのない完璧さに──わたしは背筋がぎゅっと、硬直するのを感じる。
欄ちゃんの怒りは、想像以上に深い。
そして──わたしはそれに反応してしまう。
彼女は表面上、問題ない態度を貫いてくれているのに。他でもないわたし自身が……そこに影響を受けてしまう。
……これ、どうなっちゃうんだろう。
こんな調子で、ラジオの収録は……その先にある『おやすみユニバース』の収録は、一体どうなるんだろう……。
***
「──色々と、お騒がせしています」
久しぶりの、『
メインストーリーをあらかた
偶然鉢合わせた
「わたしと
入れ替わりの告白以降。
小田原さんと顔を合わせるのは、これが初めてだった。
事前に『
だから──まずはここで、彼には心からの謝罪をしないと。
「それでも……本来してはいけないことをしてしまいました。申し訳ありませんでした」
周囲のスタッフに、ピリッとした空気が走る。
収録の場で、こんなことをしてしまって申し訳ない。
けれど、この過程を経ることなく、仕事を続けることはきっとできない。
今、この場できちんと小田原さんに話さないと──。
「なるほど、そうだったのか」
あくまでフラットな声色で。
普段通りの涼やかな声で、小田原さんはうなずいた。
「
冷静な表情。落ち着いた声色。
そのことに少しほっとしながら、わたしは言葉を続ける。
「もしかしたら、この件で小田原さんにも質問やインタビューが来るかもしれません。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないです」
「ああ、いくつかSNSで質問がきたよ」
「まあ、そういうのがあるのは仕方がない。この仕事についている段階で、ある程度覚悟はしている」
「そうですか……」
彼の言葉に、ふっと息をついた。
「そう言っていただけるのは、とてもありがたいです……」
小田原さんの物言いは、単刀直入だ。
思うところがあれば隠さずに相手に伝えるし、きっと今回もそうするはず。
だから、それなりの覚悟はしてきたつもりだった。
厳しいことを言われる前提で、わたしはこの場に臨んでいた。
それでも、こうして冷静に受け止めてもらえるなら、ひとまずは安心──、
「──みんな、優しいんだな」
──小田原さんが、つぶやく。
「このところ、周囲の反応を色々と見てみたよ。ずいぶんと、優しいんだなと思った。特に役者たち。皆当たり前のように擁護に回っている。これは正直、予想外だった」
はっ──と。
長身、引き締まった
濃紺のシャツに身を包み、流し目でわたしを見る彼──。
「だから、俺ははっきり言おう」
そう前置きし、小田原さんは眉間に
「──君には失望した」
その言葉に──心臓が、一拍大きく跳ねた。
失望。
小田原さんの目の奥。そこにはっきりとある落胆の色。
「この際……道義的なところを言うつもりはない」
小田原さんはそう続ける。
「問題があることは十分理解しているだろう。そのことは、君のこれからの行動で償っていくしかない。存分に苦労をするといい」
「……はい」
なんとか口を開き、わたしはそう返すことしかできない。
彼の言うことは正論だ。反論の余地も、そんなことをしたいと思う気持ちもない。
ただ……予感がある。
わたしは、これから
この入れ替わりに際して、一番のわたしの急所。
もっとも言われたくないこと、認めたくないこと──。
「落胆したのは……君の技術に関してだ」
予感が、徐々に形を帯びていく。
「俺が感銘を受けたのは、君が本来の強みとは違う芝居に挑みはじめたことだ。芯のある唯一無二の芝居から、柔軟性のある繊細な芝居もできるようになりはじめた。しかもそれが、同じ役者だとは思えないほどにそれぞれ際立っていた」
小田原さんとの食事を思い出す。
確かに彼は、そこを褒めてくれていた。
わたしはそれにちょっと抵抗を覚えつつ、それなりにうれしくも思っていた。
「まさかそれが……」
と、悔しそうに小田原さんは視線を落とし、
「本当に……他人だったとはな」
嘆くような声でそう言う。
「まさか君が……他人の手柄を、自分のものであるように装うとは……」
──他人の手柄。自分のものと装う。
これも、反論は一切できない。
純粋な事実だ。
そこに、
もちろん、それが目的だったわけじゃない。
そんなことをしたくて、良菜に入れ替わりをお願いしたんじゃない。
でも──結果としてそうなった。わたしは、あの子の繊細なお芝居を、反応の良さを、自分のものであるように見せてしまった。
「……すみません」
苦いものが口の中に広がる感覚。
それに耐えながら、わたしはもう一度彼に謝罪した。
「おっしゃることは、すべてその通りです」
「それに……」
と、彼は落ち着いた声で続ける。
「改めて見させてもらった。
そして──
誰よりもお芝居にひたむきな彼は──、
「──
わたしに──
「君よりも──佐田良菜の方が、優れた役者なんじゃないか?」
──全身に、熱い血が巡った。
頭が猛烈な熱を帯びる。
わたしは──プロの役者だ。
自分のお芝居に誇りを持ち、それを提供することを
そんなわたしに……良菜の方が上手い?
お芝居を始めて、半年とちょっとのあの子の方が?
「……」
怒りという感情の御し方は、知っているつもりだった。
そんな感情に自分を支配されちゃうなんて絶対に嫌だし、だからいつでもご機嫌でありたいと思っている。その方が、仕事の現場も上手く回る。
けれど──今回だけは、抑えられなかった。
自分の中にこみ上げる激情を、隠し通すことができなかった。
「……仕事で、お見せしますから」
声が震えるのを自覚しながら、わたしは言う。
「わたしの実力をちゃんと見せますから。そのときは、今の言葉は撤回してください」
「ああ、構わないよ」
存外あっさり、小田原さんはうなずく。
「本気でそう思えたら、撤回して謝罪するさ。ただ」
あくまで冷静な顔で。
ごく単純に疑問に思うような表情で、彼はわたしを向き、
「君も、そう思ってるんじゃないか?」
首をかしげ、そう尋ねてきた。

「
***
『──はーい、ありがとうございました』
ラジオの収録。通常コーナーを終え、ボイスドラマ収録パート。
一通りお芝居を終えたところで、トークバックで
『よかった……のではないでしょうか。こちらでいただきます』
「はーい……」
「ありがとうございまーす」
明るく返事をしたけれど……絶望的だった。
内心わたしは、ここまでの収録内容に完全に落ち込んでいた。
──
いや、欄ちゃんはこれまで通りにやってくれているんだ。
明るい声と楽しいトーク。紫苑とは違う推し方をするわたしに、どこか保護者っぽい感じで接してくれる欄ちゃん。今日この場で決まった方向性とは思えないほどに、そのスタンスはハマっていた。
お芝居だって、これまで通りだ。
彼女独自の良さを発揮しながら、
ただ……わたしがダメだった。
わたしが徹底的に、調子を崩してしまった。
……反応してしまう。
欄ちゃんの『完璧さ』に怒りを感じて、どうしてもそれに反応してしまう。
そのせいで気持ちが不安定に揺れてしまって、トークでは言葉が出ないしお芝居にも変な色が混じる。
「ということは、今日はここまでなので」
「はい! お疲れ様でした」
「ありがとうございましたー!」
ブースを出て、副聴室の皆さんに挨拶しながら、わたしは必死で考える。
このラジオに関しては……ギリギリ及第点、くらいにはできていると思う。
欄ちゃんのフォローのおかげで、わたしのおどおどはそんなに不自然に聞こえていないはず。お芝居だって、キャラがたまたま『引っ込み思案』な女子だったから、乗り切ることができた。
けれど──『おやすみユニバース』。
そのアフレコは、今日から二週間後に迫っている。
このままじゃ、乗り切れない。
今の欄ちゃんとわたしの関係のまま、
だから──、
「……うん」
改めて、わたしは決意をした。
正面から、ぶつかっていくしかない。
わたしの気持ちをすべて、あの子にきちんと伝えるしかない──。
「──本当に、ごめんなさい」
戻ってきた、会議室にて。
帰ろうと荷物をまとめる欄ちゃんに、わたしは深く頭を下げた。
「入れ替わりのこと、その説明が遅くなったの、ごめんなさい!」
欄ちゃんのスニーカーが、足を止めたのが見えた。
こちらに向き直る彼女の二つの爪先。
──怒りを静めてほしかった。
じゃないと、お芝居ができない。このままじゃ『おやすみユニバース』をめちゃくちゃにしてしまう。
だからなんとしても。何を犠牲にしても。
わたしは、欄ちゃんに受け入れてもらわないといけない──。
「謝って済むことじゃないよね。でも、ちゃんと伝えたくて……」
言って、わたしは顔を上げる。
恐る恐る目を欄ちゃんに向け、その顔を見る。
そして──そこにいる彼女の顔色に、
「……え?」
そんな声が出た。
──笑っていた。
いつもと全く変わらない明るい表情で。
欄ちゃんは──頭を下げるわたしをじっと見下ろしていた。
「……怒ってる、よね?」
一瞬、混乱しかけてそう尋ねる。
「欄ちゃん……
もしかして……勘違いだった?
ふいに、そんな考えがよぎった。
彼女は今日、ずっと静かにほほえんでいる。一言だって、一瞬だって、はっきりとわたしに怒りを向けていない。
だったら……わたしの、気にしすぎ?
本当は、入れ替わりに関して特になんとも思ってなかったんじゃ?
けれど──、
「そんなことは、どうでもいいんです」
欄ちゃんは、ぴくりとも表情を動かさないまま言う。
「……え?」
「わたしが怒ってるとかそういうことは、まるでどうでもいい」
返す言葉に詰まった。それは一体、どういう……。
そして欄ちゃんは──、
「仕事を──ちゃんとしてください」
──突き刺すように、わたしにそう言った。
「何よりもまず、あなたはプロです。仕事を、これまで通りやりきってください」
「……ごめんなさい!」
あまりにもまっとうな指摘に、わたしは身をこわばらせた。
視線を落として小さく頭を下げる。
それでも、
「何ですか、今日のトークは。おどおどするキャラでもいいですけど、
「……はい」
「それに何より……お芝居」
言って、欄ちゃんはふうと息を吐く。
「話になりません」
かわいらしい声のまま、彼女はそう言った。
「みんな楽しみにしてくれてるんです。リスナーは、わたしとあなたのラジオドラマに期待してくれています。ラジオやスマホのアプリを使って、わざわざ時間を割いてまでわたしたちのお芝居を聞いてくれてるんです。この忙しい時代に」
「……だよね」
思い出すのは、毎週送られてきたリスナーからのメールだ。
みんなわたしたちの放送を楽しみ、応援し、一緒に盛り立ててくれていた。
「そこには、どんな言い訳も通用しません。なのに、何なんですかあのお芝居は。リスナーに損をさせてしまう。かけてくれた期待を、裏切ってしまう。そんなこと──到底許せるはずない」
これも、欄ちゃんの言う通りだ。
リスナー……正直、これまであまり意識できていなかった。
アニメの現場でもそうだ。自分のお芝居やどう振る舞うかに精一杯で、それを楽しんでくれる人がいることを考えられていなかった。
でも、そうだ。わたしたちは、その人たちのおかげでお仕事ができている。
そういう人たちを、失望させかけてしまった。
「何よりも第一に、お仕事はきちんとやるべきです。それがわたしたちの、存在理由なんだから」
「……はい」
「そして、だからこそ」
欄ちゃんは、
「あなたと
「……だからこそ?」
「自分の芸名を、何だと思っているんですか」

──自分の芸名。
──だからこそ。
きちんと受け手を楽しませること、役者の名前……。
ただ、お芝居のことだけを考えてここまで来てしまった。
憧れに少しでも近づきたくて、手を伸ばしてきただけだった。
そのせいか……わからない。
「──許す気はありません」
そんなわたしに──欄ちゃんははっきりそう言った。
「あなたと
そして、彼女は会議室をあとにする。
残されたわたしは、どうすればいいのかわからなくて。
何をどう考えればいいのかわからなくて……、
「……うう……」
スタッフさんたちが気まずそうに黙り込む中。
力なく、椅子に座り込むことしかできなかった。
***
『──んー、少々お待ちくださいね……』
収録の始まった、イベントシーン。
とあるプレイアブルキャラが主題となった、盛り上がりのシーン。
一通り
『すみません、ちょっと一旦相談するので……』
──繊細なお芝居が、必要になる場面だった。
キャラの
悲しみや
そんな気持ちを複雑に織り交ぜながら、静かにお芝居するシーンだ。
……絶好のチャンスだと思った。
自分が──
あの子の得意な静かなお芝居。感情の揺らぎを込める場面。
ここを完璧に演じきって、彼にわたしの実力を認めさせる──。
けれど、
『──すみません、ちょっとこのシーン、全体に安定感がなかったんで』
しばらくの間のあと、トークバックでそんなセリフが返ってきた。
『もう少し暗、細やかな感じでいけないでしょうか? まるまるになっちゃって、申し訳ないんですが……』
明白に──お芝居がブレてしまっていた。
シーンの収録を始めて、自分がおかしいことにはすぐに気が付いた。
思った通りに、声が出てくれない。
妙に声量が大きくなってしまう。無理にでもトーンを抑えれば
こんなこと初めてで、混乱したままお芝居を続けて……ダメだった。
『
──芯の強さが、魅力だって言われていたのに。
どんな状況でも、自分の強さを、良さを
それがわたしの武器だったのに──今の自分は、その真逆のお芝居をしている。
「こちらこそすみません!」
それでも、落ち込んでいるような余裕はない。
ディレクターたちに笑顔を向けつつ、できる限り明るい声で言う。
「全然ダメでした! 最初からお願いします!」
『はい、ありがとうございますー』
そして始まった、二度目のこのシーン。
「──そう。あなた、には、そんな過去が」
「──ううん、わたしも思い出して。幼い、頃のこと、ダキニと、出会う前の話」
すぐに──わたしは理解する。
ダメだ。わからない。
なぜかわたし、お芝居の仕方がわからなくなっている。
役者として──ブレてしまっている。
その後も何度も
一時はどうなることかと思ったけれど……ひとまず、今日の収録はギリギリ乗り越えられそうだ。
だけど……どうしよう。
これからを思い浮かべて、焦りに全身が汗ばんだ。
このあとも、自分には仕事が山ほど入っている。
アニメのアフレコもオーディションもあるし、この『
……今のわたしで、いけるの?
妙にブレてしまうわたしで、ここからの仕事を乗り切れるの……?
「……お疲れ様です」
短く取ることになった、休憩の時間。
「すみません、ちょっと手こずっちゃって……」
ブースを出て、コントロールルームでそう頭を下げると、
「……そんなものか」
──
収録の合間、様子を見に来ていた小田原さんが腕を組み言う。
「あれだけ言って、見せてくれた芝居がこんなものか」
ありありとその声に浮かぶ、失望の響き。
表情も、怒りよりは落胆の色が濃い。
そんな彼を前に、一言も言い返せないわたしに──、
「──下手になったな」
──そう、
「──悲しいよ。まさか君が、そんな役者になるとは」
血の気が引いた。
怒りを通り越して、寒気を覚えた。
唇が震える。汗が噴き出す。涙が出そうになる。
けれど……言い返せない。
今のわたしは、彼に返す言葉を一つも持っていない。
だから、ぎゅっと拳を握ると。わたしは逃げるようにして、足早にコントロールルームを出て行った──。