「──ということで、復帰以降初!」

 活動を再開してひと月った、十一月。

 ちょっとお話を、と集まった事務所の会議室で。

やまさんに──オーディション合格の連絡がありました!」

 さいとうさんが、そう言いながらパチパチと拍手をしてくれる。

「ほ、本当ですか!?

「おー、そうなんだ。おめでとー、!」

 立ち上がったわたしに、おんもそんな声をかけてくれた。

「がんばってたもんねー、ここんところ!」

「努力が報われましたね!」

「ありがとう! ありがとうございます!」

 二人にぺこぺこ頭を下げながら、わたしは最近のことを思い出す。

 この一ヶ月、目が回るほど忙しい日々だった。

 ラジオのお仕事と再開した養成所のレッスン。

 新たに受けるテープオーディションとスタジオオーディション。

 予定が立て続けに入ってきて、復帰前よりめまぐるしいほどだ。

 両親には「バイトを再開した」と伝えてあった。例の声優事務所のバイトだから、遅くなっても心配しないで、と。勉強だって、受験生としての最低限くらいはこなしている。

 とはいえ当然、親としては気が気がじゃないわけで。「志望校は決まったの!?」「予備校には行かないの!?」なんて問い詰められて、わたしも言い訳に苦慮している。

 ちなみに……『おやすみユニバース』キャスト発表までの猶予も、残り一ヶ月。

 わたしと紫苑が今後も入れ替わりを続けるのか。あるいは、それぞれ別の役者として生きていくのか、そろそろ本気で決めなきゃいけない。

 だから──最近全体的に、頭も身体からだもフル稼働。

 ずっと全力疾走しているような、嵐の中を駆け抜けているような毎日だった。

「ちなみに……受かったのはどの作品ですか?」

 そんなあれこれを一旦いておいて。

 わたしはドキドキしながら斎藤さんに尋ねる。

「結構色々受けましたけど、なんて作品ですか?」

「それはですね……『はる日和びよりは春じゃない』です!」

 言って、斎藤さんはパソコンの画面をこちらに向けてくれる。

 そこには少し前、オーディションを受けた作品の原作カバーが表示されていて、

「青年誌で連載中の、年の差恋愛ものですね。二十七歳のバツイチのお姉さんと、十七歳の男子高校生のラブストーリー!」

「おお! あれですか!」

 もちろん覚えている。原作を読ませてもらって、わたしも好きになったやつだ!

 リアルな筆致と穏やかな物語運び。かわいいキャラと、時折挟まれる小粋なジョーク。

 どこか文学的な匂いもして大好物だったし、名だたる漫画賞をいくつも受賞した業界注目の一作だったはずだ。

 ちなみに、わたしは二役受けていた。

 ヒロインのお姉さん、さえぐささんと、主人公の同級生の女の子、いけちゃん。

 手応え的には、三ツ池ちゃんの方がハマった感触があった。

 だから、あっちが本命かなと思っていたのだけど、

「しかもですよー……」

 さいとうさんはそう言って、ノートパソコンをいじり、

「ヒロインの──冴草さん役で受かりました!」

 黒髪セミロング。世をすねたような表情のメインヒロイン、冴草さんを表示させた。

「え、えええー!」

 思わず、めちゃくちゃ大きな声が出た。

「さ、冴草さんですか!? 三ツ池ちゃんじゃなく!?

「そうです、冴草さんです!」

「……マジですか」

 ぺたんと椅子に座りながら、なんとか事実をもうとする。

「ええー、そうなんだ。だ、大丈夫かな。やれるかな……」

 現在わたしは、十八歳。主人公と同世代だ。

 対する冴草さんは二十七歳で、わたしの九個上。

 離婚の経験さえあって、作中でも『お姉さん』として描写されていて、

「わたし、あんな大人の女性を……」

「でも、アンバランスなところが良かったんだと思いますよ」

 励ますように、斎藤さんは笑う。

「冴草さん、自分としては大人なつもりだけど、内面は全然成熟してないから。そういう不安定なところに、やまさんのお芝居がハマったんじゃないかなと思います」

「そう、なんですかね……」

 一度うなずいて、わたしはおんを。

 わたしたちのやりとりを眺めていた紫苑の方を向く。

「ど、どう思う? 紫苑、自分よりずっと年上の役、やったことあったっけ?」

 ──すぐに、アドバイスをくれる気がしていた。

 頭の回転の速い紫苑のことだ、すぐにわたしの状況を整理して、必要な情報やアドバイスをまとめて、こっちに提示してくれそうな気がしていた。

「……あ、ああ」

 けれどおんは、どこか心あらずな様子でこちらを見上げる。

「年上の、キャラだよね」

「うん。十個くらい上のお姉さん。なんかコツはあるかな?」

「んー、それなら……」

 考えながら、いくつかのアイデアをくれる紫苑。

 それがやっぱり的確で、さすがだなあとわたしは思う。

 それでも、

「──単に声を低めにするだけじゃなくて、むしろテンポ感とかの方が──」

 これまでよりもトーンの抑えられた声。陰りも感じる笑顔。

 その表情に──わたしは確かに感じ取る。

 紫苑は、なんだか様子がおかしい。今日だけじゃない、少し前からだ。

 そして……その理由も、わたしはもちろんわかっている。


 紫苑も、『決断』について思い悩んでいるんだ──。


   ***


「──ただいまー」

 家に着いたら、ちゃんとそう口に出す。

 実家に帰ったときも、一人きりのとうきようの部屋に戻ったときも同じだ。

 いってきますも、いただきますも、ごちそうさまもそう。

 わたしは、紫苑は──そういうところ、ちゃんとできる女の子でありたい。

「ふう……」

 上着を脱いで、手洗いうがい。

 ソファに腰を下ろして、短く一息つく。

 目に入るのは、いつものリビングの光景だ。

 引っ越してくるときに家具屋さんで厳選した、お気に入りの家具たち。

 壁に飾られた原作者さんたちのサインや、演じたキャラのかわいいフィギュア。

 全部わたしの宝物。十七年間の人生を、全力で駆け抜けてきた証拠だ。

 ……本当はこのままお風呂に入って、メイクを落としちゃいたいところだけど。

 早めに寝て、明日の仕事に備えたいところだけど、

「……よし」

 気合いを入れ直すと、その場に立ち上がった。

 今日はちょっと──やらなきゃいけないことがあるんだ。

 部屋の隅、自作のアフレコブースの横に配置したパソコン前に腰掛ける。

 スリープを解除してデスクトップが表示されたら、

「さーて、どこかなー……」

 音声ファイルの格納フォルダをオープン。

『テープ』→『』→『20XX10』の順番にフォルダを移動する。

 その中に……『はる日和びよりは春じゃない』のフォルダを見つけた。

 開くと、表示されるいくつかのファイルたち。

 そのうちの末尾にfixとあるファイルを選んだら、音楽制作ソフトを立ち上げてそこに配置。一呼吸置いて、意識を集中してから再生ボタンを押す──、


『──子供なんだから。無力でいるのが仕事なの、あなたは』

『──はあ? 元夫? そんなこと聞いて、どうするの……』


 ──流れ出す、良菜のお芝居。

 数ヶ月前、この部屋であの子と相談しながらった『小春日和は春じゃない』のテープオーディション音源だ。このお芝居が製作側に好評で、スタジオオーディションを経て良菜はさえぐささん役を手に入れた。


『──別に、大した理由じゃないよ。強いて言うなら、大人になっただけ』

『──迷惑だって言ってるの。わたしはもう、君みたいには期待してないんだよ』


 少しがさついた声。

 原作の冴草さん、その表情に反応して生まれたお芝居の奥行き。

 諦めだとか疲れだとか物憂さだとか、そんなものの奥にかすかに残る少女性。

 この音源には、今の良菜のお芝居がすべて籠もっている。

 だからわたしは、

「……」

 そのお芝居を、何度も何度も繰り返し聞く。

 唇の震えや喉の鳴り。舌の動きや吸い込む空気の響きまで。

 鳴っている音を──すべて聞き込む。

 ──いつもの、逆を試してみるつもりだった。


 つまり、良菜あのこ紫苑わたしを演じるんじゃなく。

 紫苑わたし良菜あのこを演じてみるんだ。


 それできっと──すべてがわかる。

 わたしとあの子が選ぶべき、未来が見えるはず──。

 しばらくお芝居をチェックして、技術的なところは大まかに把握できた。

 パソコンの中に残っていたテープの台本を開いて、プリンタで印刷する。

 それを手に立ち上がり、大きく深呼吸したら──お芝居の前の、仕上げに入る。

 のあり方を、頭の中でイメージする。

 どんな生い立ちで、どんな性格の女の子か。

 どんな価値観を持って、生活の中で何を選び、何を捨てるのか。

 ……うん、できた。問題なくできたと思う。

 ここ半年以上、あの子とは近しい距離で付き合っていたんだ。

 きっとわたしは、誰よりも良菜のことを理解できている。

 だから──お芝居にとって、とても大事な最終段階。

 創り上げたイメージを、自分の中に宿すステップに入る。

「……ふう」

 息を吐き覚悟を決めると、「あの子」を自分の身体からだに取り込んだ。

 他の人間が自分に置き換わる、不思議な感覚。かすかな抵抗と、同時に自分を明け渡してしまう心地よさ。

 このときだけ、わたしは良菜になる。

 思考と身体が結びついて、良菜という『役』になる。

 これも問題なくできた。準備完了だ。くハマっている感覚もある──。

 ──いける。

 台本片手にかたわらのクローゼットの中、自作のブースに入った。

 見慣れたマイク前。音の反響を抑えた狭い空間。

 そしてわたしは、

「……んっんー」

 短くせきばらいしてから、目の前のマイクにお芝居を始めた──。


『──子供なんだから。無力でいるのが仕事なの、あなたは』

『──はあ? 元夫? そんなこと聞いて、どうするの……』


 口が回る。舌が踊る。

 喉が狙った通りに響いてくれる。


『──別に、大した理由じゃないよ。強いて言うなら、大人になっただけ』

『──迷惑だって言ってるの。わたしはもう、君みたいには期待してないんだよ』


 くできている感覚がある。

 わたしの中のと、舌や歯や唇がみ合っている。


『──違うよ。何ベタな勘違いしてるの、あはは』

『──はる日和びよりは春じゃない』


 良菜が思うさえぐささん。

 二十七歳バツイチで、ちょっとだけ自暴自棄になっていて……それでも少しずつ、主人公にかれていってしまう生身の女性。


『──だから、これからわたしたちを待っている季節は、冬だよ』


 それを今──わたしは一通り演じきることができた。

「……ふう」

 息をつき、ブースを出るとパソコンの前に戻る。

 録音を止めるとしばらく伸びや深呼吸をして、しっかり『わたし』が『わたし』になるのを待つ。

 満足感があった。

 いお芝居をできたときの、身体からだがふわふわする感じ。

 胸に満ちる幸福感と自信。

 上手にできたんじゃないの?

 はたから聞いても、良菜と区別つかないくらいだったんじゃないの?

 だったらいいんだけどなー。

 もしそうなら。わたしたちはまだ。これまでも、これからも──。

「……よし」

 でも、いつまでもぼんやりしていられない。

 早めに聞き返してお風呂に入らないと。

 心臓が、普段より上にあるような感覚を覚えながらマウスを手に取る。

 そして、カーソルを再生ボタンに持っていき、カチリとそれを押した。


『──子供なんだから。無力でいるのが仕事なの、あなたは』

『──はあ? 元夫? そんなこと聞いて、どうするの……』


 流れ出す、紫苑わたし演じる良菜あのこのお芝居。


『──別に、大した理由じゃないよ。強いて言うなら、大人になっただけ』

『──迷惑だって言ってるの。わたしはもう、君みたいには期待してないんだよ』


 普段より抑えたトーン。

 細かく込められたニュアンス。

 現実的で近い距離感。


『──違うよ。何ベタな勘違いしてるの、あはは』

『──はる日和びよりは春じゃない』

『──だから、これからわたしたちを待っている季節は、冬だよ』


 けれど──わかった。

 よく、理解できてしまった。

「……なるほどねー」

 他でもない、わたしだからこそ間違いなく判断できた。


「わたし、にはなれないかあ……」

 ため息交じりに、そうつぶやいた。

「あの子と同じお芝居、できないかあ……」


 奥行きが足りなかった。物憂さが足りなかった。諦めが足りなかった。

 技術を使いすぎていた。情報量を抑えすぎていた。表情が豊かすぎた。

 これは──さえぐささんじゃない。良菜の演じる彼女じゃない。

「……ふう……」

 音声の再生を止め、背もたれに体重を預ける。

 湯船にかるみたいに、ジワジワと事実が身体からだに染み渡っていく。

 わたしたちの間に空いた距離。二人を分かつ、大きな隔たり。


 ……そっか、そっか。わたしたち。もう、こんなに──。

 なら、わたしは。きっと、わたしたちは──。


   ***


「──ということで、今日はナレーション実習だよ!」

 毎週恒例、養成所のレッスンの日。

 いつもの受講生の面々を前に、先生は宣言するようにそう言った。

「声優にとっては、ナレは大事な仕事だね! テレビ番組や動画とかのナレーションもあれば、企業さんから依頼を受けてビデオに声をふき込むこともある」

 熱の籠もったその説明に、みんなもうんうんとうなずいた。

 先生の言う通り。声優さんのお仕事として、ナレーションをやらせてもらう機会は思った以上に多いみたいだった。

 わたし自身、お芝居の練習は熱心にしてきたけれど、そういうスキルにはノータッチで。だからこそ、ここで勉強しっかりしていきたい。

「もちろん、お芝居の役にも立つからね。気合い入れてやっていきましょう!」

「「「はい!」」」

 はじけるような返事の声。

 わたしの隣では仲のい面々、あおものくんやうおとりさん、ぜにくんもそろって声を上げていた。

 ──つのはずボイスカレッジ。おんの紹介で入所した養成所。

 一度は休止していたそこでのレッスンにも、仕事再開と同時に再び通いはじめていた。

 現実的に、わたしのお芝居はまだまだだ。『おやすみユニバース』に受かったのは運の要素が大きいし、胸を張って「プロです!」と言えるレベルには至っていない。

 だから少しでも基礎を身につけられるよう、お芝居の底力をつけられるよう、ここでのレッスンには可能な限り出席するようにしている。

 ……ちなみに。

 一ヶ月ほど練習を休止していた件については、青物くんたちから質問攻めを受けた。

「──どうしたんだよ? 体調不良とか?」

「──もう会えないのかと、わたし心配で……」

「──なんか悩みがあったら、僕らに相談していいんだからね!」

 そんな彼らの勢いに、ひどく申し訳ない気分になった。

 こんなに心配してくれるのに、わたし……挨拶もなしに、レッスンから離れちゃって。

 本当に、悪いことをしてしまった。

 せめて一言、声をかけてからいなくなるべきだったなあ……。

 とはいえ、戻ってきた今も本当の事情を明かすことはできない。

「ちょっと、わたしには声優無理だと思っちゃって……」

「一度お芝居から距離を置いて、色々考えてみたの……」

 彼らには、そんな風に説明した。

「でも、やっぱりやってみたいと思ったから、こうして戻ってきたよ!」

「ごめんね、心配かけて!」

 まあ……大事な要素が抜けたけど、それ以外はおおむね事実みたいなものだ。

 距離を置いて考え直して、やっぱりやりたいと思った。

 これが、わたしの説明できる精一杯……。

 そんなわたしの出任せにさえも、

「そっか……あるよな、そういうこと」

「今度ご飯会しようよ! みんなでぶっちゃけて色々話そう!」

「いいね! 僕も最近ちょっと、進路で悩んでて……」

 三人はそんな風に真剣に応えてくれる。

 ああ、もう……わたしはい友達を持ちました。

 罪滅ぼしができない分、彼らのことは一生大事にしようと心に誓った。



『──ということで。やってみようか、やま

 養成所がレッスン会場に使っている、都内の小さなスタジオ。

 その片隅にあるナレーションりのブースで。

 わたしは一人きり、マイクを前にして座っていた。

 目の前にあるテーブル、そこに置かれたナレーション原稿。

 周囲には手を伸ばせば届きそうな位置に壁が迫っていて、孤独と同時にちょっと圧迫感も覚える。

「はい、お願いします!」

 そう返した声も、いつものブースとは違う短い反響で溶けていった。

『とりあえず、つらっと通して最後まで。途中しんどくなっても、原稿終わりまでは必ずいこう!』

「はい!」

 この養成所の先生は、「ひとまずやってみろ」というレッスン方針だ。

 もちろん、理屈での説明も基礎の練習もしっかりやらせてくれる。

 でも、最初は何にせよ体験する。アフレコでもサンプルボイス作りでもナレーションでも、ゼロの状態からチャレンジしてみる。そこで自分に足りないものを把握するのが重要だ──そんな考えらしい。

 受講生の間には、そのやり方が苦手な生徒もいるみたいだった。ヒーヒー言いながら必死についていっている人も少なくない。

 それでも、わたしはそのスタンスが結構好きだから、


「──高校生1000人に聞きました! 好きな食べ物ランキング、ベストテーン!」


 声のトーンを上げ、明るい女性をイメージしたバラエティ仕様で。

 目の前の原稿に書かれた、架空の番組のナレーションを読み上げはじめた。


「──いつの時代も、高校生は食べ盛り! そんなティーンズのみんなに、大好きな食べ物をインタビューしてランキングにしました!」

「──君の好きな食べ物は、何位にランクインするかな!?


 ほどよく緩急をつけながら、テンポよく先に進んでいく。

 意識がれると声のトーンが下がるから、そこは常に注意して。


「──ではさっそく結果発表! まずは第十位! ……アイスクリーム!」

「──夏の定番が第十位にランクインしましたー!」


 ……うん、楽しい!

 明るいナレーションは、こっちの気分もハッピーになるね。

 浮かれた気分に釣られて、自然と声も軽やかに弾む。


「──放課後みんなと食べるのも、い思い出になるよね! でも、太っちゃわないよう食べ過ぎにはご注意を!」

「──続いてー……第九位!」


 順番に、好きな食べ物ランキングを紹介していく。

 タイミングを計りながらの結果発表と、テンションを維持してのコメント。

 よしよし、良い感じだ。舌も回るしむこともない。

 このまま最後までいっちゃおう!


「──第六位! ステーキ!」

「──ここで来ましたお肉の王様! 見てるみんなも好きだよね!?


 けれど……そこまで言って、ふとブースの外に目をやった。

 セリフに釣られて、視線が自然と台本かられた。

 目に入るのは……冷静にわたしを見ている先生。その向こうにいる、受講者たち。

 明るくしゃべるわたしのテンションと、彼らの表情の落差──。

 ──あっ。

 と思った。

 なんか、踏み外した感触。

 やば、いかも。基準、見失ったかも。


「──男女問わず人気だけど、特に運動部男子からの投票が多かったみたい!」

「──ちなみにわたしは、ウェルダン大好き! みんなの好きな焼き加減は何かな!?


 言葉を紡ぎながら、つかまれる場所を探す。

 標準の声やテンション。客観的なわたしの立ち位置。

 でも……あれ? あれ!?

 見つからない……!

 ブースの中には他に誰もいないし、アフレコのときみたいな映像もない!


「──第三位!! お寿!!

「──ここで来ました! 和食のエースッ!」


 こうなったら、自分の感覚でいくしかない!

 覚悟を決めて、声を張り続ける。

 でもなぜだろう……わけもなく、トーンが下がっていく錯覚にとらわれた。

 テンションも、しゃべるごとに急降下していくような体感。

 うそ、そんなはずないよね……!? 声も気持ちも下がっていないはず!

 だけど……怖い。なんかめちゃくちゃ不安だ。

 必死で喉を震わせ声を張る。虚勢とわかっていても、明るい声を貫く。

 それでも──状況はどんどん悪くなって、


「──回転寿司では、みんなでワイワイ食べられるのも魅力ですよねッ!?


 言葉は明らかに上滑り。

 しゃべっている自分でもはっきりとわかるほどに、空元気の声になってしまった。

 必死の時間は無限に思えるほど続き──、


「──ということで、第一位は焼き肉でしたーっ!」

「──高校生好きな食べ物ランキング。いかがでしたか!? みんなも好きなものめいっぱい食べて、元気に毎日過ごしましょーっ!


 へとへとになりながら、わたしはようやく原稿を読み終えた。

『はい、やまお疲れー』

「……お疲れ様です」

『……ちょっと、呼吸整えようか』

「はい……」

 言われて、椅子の背もたれに体重を預ける。

 酸欠になりそうになりながら、大きく深呼吸する。

 チカチカする視界。バクバク言っている心臓。

 これは……前途多難だ。わたし、まさかナレーションがここまで苦手だなんて……。

 一人でやるのが、これほど難しいなんて……。

 そして、ぼんやりする意識の中で……ふいに思った。

 ──おん

 最近は、『せいさいかい』の主人公役の収録をがんばっている紫苑。

 確か、ソシャゲの収録も完全に一人きり。狭いブースで孤独にる形のはず……。

 しかも……2000ワード。あの子は普段のアフレコや、このナレーションよりもはるかに多い分量を、一日中一人で演じ続けている……。

 ──目眩めまいがした。

 できる気がしなかった。そんなこと、どれだけ今後練習をしても経験を積んでも、できるようになれる気がしない。

 あの子のいる場所。彼女が三年以上かけて身につけてきた技術。

 そして──二人の間にある、大きな隔たり。

 今や、仲のい友達という関係だけど。それ以上に近い距離にいるわたしたちだけど……どんなに走っても追いつけない場所に、あの子はいる。

 そんな当たり前の事実を、わたしは狭いブースの中で再認識していた。


   *


「──お疲れ様ー」

「──じゃあね、また来週!」

 今週のレッスンが終わる。

 汗を拭き荷物をまとめて、あおものくんたちとスタジオを出る。

 最寄りの駅でそれぞれの路線に別れると、わたしはすぐにホームに来た電車に乗車。

 空いていた席に座り、ふうと息をついた。

 走り出す列車、窓の外を流れる景色。

 小さく気持ちを落ち着けると、わたしはかばんからスマホを取り出し、LINEを起動。

 おんとの、メッセージのやりとり画面を呼び出す。

 ──そろそろ、話さなきゃいけないことがある。

 新しい毎日が始まる中で、どんどんわたしたちの『次』が生まれていく中で、できるだけ早く決めなければいけないこと。

 だから、わたしは散々文面に迷ってから、


やま『お疲れ様。ちょっと直接話したいことがあるんだけど』


 そう入力して、まずは送信。

 同時に──既読がついた。

 ──もしかしたら紫苑も、わたしにメッセージを送ろうとしてた?


山田良菜『近いうちに、時間もらえないかな?』


 続けてそう送ると、返事はすぐに来た。


しおん『おけ。わたしも話したいことあった』

しおん『明日空いてるから、事務所あつまろーか』

しおん『(レトロかわいいキャラのスタンプ)』

山田良菜『うん、そうしよう』


 集合時間を決めて、紫苑とのやりとりを終える。

 スマホを鞄に戻して、窓の外に視線を戻す。

 日の暮れたとうきようの街には、既にあかりがともりはじめていて。

 その軌跡が後ろに流れていくのを、網膜に焼き付けるようにじっと眺めていた。


   ***


 ──翌日、午前八時。

 約束した待ち合わせ場所、事務所の屋上にて。

「おはよ、おん!」

「うん、おはよー」

 手すりに体重を預け、朝の街を眺めていたわたしは──やってきたに笑いかける。

「ごめ、ちょっと遅れた……」

「んーん、いいのいいの」

 焦り顔でこちらに駆けてくる良菜。

 季節は冬の入り口で。厚手の上着を羽織った彼女は、銀色の朝日にきらめいて見えた。

「不思議な感じだなー、こんな時間に良菜と会うの」

「だね。いつも顔合わせるの、お昼以降だったもんね……」

 良菜もわたしの隣、手すりに手をかけ景色を眺める。

 土曜日。住宅街とオフィス街の入り交じるこの街は、平日とは違う独特の落ち着きの中で回りはじめている。

 犬の散歩をする近所の住人。

 早くもとうきよう見物を始めているらしい、外国の観光客の人たち。

 そばのカフェでは、店員さんがキビキビと開店の準備をしていた。

「このビル、こんな場所があったんだね」

「うん。ときどきさいとうさんも、ここで休憩してるよ」

「へー、いいとこだなー」

 いつも通りの、なんてことのない会話だった。

 学校の休み時間にでもするような、目的もゴールもないとりとめのないお話。

 涼しい風が吹いて、わたしと良菜の髪を揺らす。

 天気は晴れ。薄水色の空には、所々もろそうな雲がぽつぽつと浮かんでいた。

 うん、よかったなー。今日、こんな天気で。

 良菜と話をするのが、こういう空気の中で。

 なんとなく、二人の間に沈黙が下りる。

 ごく自然な、わたしたちに必要だと感じる静けさ。

 それはどこか居心地よくて、ずっとこうしていたいと思うほどだったけど、

「ねー、良菜」

「ん?」

 わたしが切り出すと、は前を見たまま短く返す。

 だからわたしも視線を前に戻すと、ぽつりと彼女に伝えた。

「別れよーか」

「……えー」

 短く間を置いて、良菜が笑う。

 こちらを向き、心底楽しそうな表情で、

「何、その言い方。彼氏に言うヤツじゃん」

 聴き慣れたフレーズ。良菜が繰り返し、わたしに言った言葉。

 だからわたしも、声と表情を作って、

「良菜のこと、嫌いになったわけじゃないの。でも、距離を置いた方がいいかなって……」

「だからそれも、彼氏に言うヤツだよ」

 あはは、と笑う良菜。

 それに釣られて、わたしも笑ってしまう。

 ありふれた朝の、ありふれた光景だった。

 だから、その笑顔のままで、


「──入れ替わり、やめよう」


 わたしは──良菜に結論を伝えた。


「──別々の声優として、生きていこう」


 ──出会ったあの日から、良菜はわたしについてきてくれた。

 何をするにもわたしのをし、わたしとしてお芝居をしてくれた。

 最初は、ただ面白いなと思っていた。

 良菜がどんどん上達していくのを、お芝居がわたしに近づくのを楽しく見ていた。

 ──それに罪悪感を覚えるようになったのは、いつからだっただろう。

『コミック・ロジック・レトリック』を見たとき?

 そのオーディションに受かったと、知らされたとき?

 いや、きっとそうじゃない。

 もっと前、良菜の芝居の透明さを目の当たりにしたとき、わたしは自分の「間違い」に気付いた。

 そしてそれを、ついに正すときがきたんだ──。