「──ということで、復帰以降初!」
活動を再開してひと月
ちょっとお話を、と集まった事務所の会議室で。
「
「ほ、本当ですか!?」
「おー、そうなんだ。おめでとー、
立ち上がったわたしに、
「がんばってたもんねー、ここんところ!」
「努力が報われましたね!」
「ありがとう! ありがとうございます!」
二人にぺこぺこ頭を下げながら、わたしは最近のことを思い出す。
この一ヶ月、目が回るほど忙しい日々だった。
ラジオのお仕事と再開した養成所のレッスン。
新たに受けるテープオーディションとスタジオオーディション。
予定が立て続けに入ってきて、復帰前よりめまぐるしいほどだ。
両親には「バイトを再開した」と伝えてあった。例の声優事務所のバイトだから、遅くなっても心配しないで、と。勉強だって、受験生としての最低限くらいはこなしている。
とはいえ当然、親としては気が気がじゃないわけで。「志望校は決まったの!?」「予備校には行かないの!?」なんて問い詰められて、わたしも言い訳に苦慮している。
ちなみに……『おやすみユニバース』キャスト発表までの猶予も、残り一ヶ月。
わたしと紫苑が今後も入れ替わりを続けるのか。あるいは、それぞれ別の役者として生きていくのか、そろそろ本気で決めなきゃいけない。
だから──最近全体的に、頭も
ずっと全力疾走しているような、嵐の中を駆け抜けているような毎日だった。
「ちなみに……受かったのはどの作品ですか?」
そんなあれこれを一旦
わたしはドキドキしながら斎藤さんに尋ねる。
「結構色々受けましたけど、なんて作品ですか?」
「それはですね……『
言って、斎藤さんはパソコンの画面をこちらに向けてくれる。
そこには少し前、オーディションを受けた作品の原作カバーが表示されていて、
「青年誌で連載中の、年の差恋愛ものですね。二十七歳のバツイチのお姉さんと、十七歳の男子高校生のラブストーリー!」
「おお! あれですか!」
もちろん覚えている。原作を読ませてもらって、わたしも好きになったやつだ!
リアルな筆致と穏やかな物語運び。かわいいキャラと、時折挟まれる小粋なジョーク。
どこか文学的な匂いもして大好物だったし、名だたる漫画賞をいくつも受賞した業界注目の一作だったはずだ。
ちなみに、わたしは二役受けていた。
ヒロインのお姉さん、
手応え的には、三ツ池ちゃんの方がハマった感触があった。
だから、あっちが本命かなと思っていたのだけど、
「しかもですよー……」
「ヒロインの──冴草さん役で受かりました!」
黒髪セミロング。世をすねたような表情のメインヒロイン、冴草さんを表示させた。
「え、えええー!」
思わず、めちゃくちゃ大きな声が出た。
「さ、冴草さんですか!? 三ツ池ちゃんじゃなく!?」
「そうです、冴草さんです!」
「……マジですか」
ぺたんと椅子に座りながら、なんとか事実を
「ええー、そうなんだ。だ、大丈夫かな。やれるかな……」
現在わたしは、十八歳。主人公と同世代だ。
対する冴草さんは二十七歳で、わたしの九個上。
離婚の経験さえあって、作中でも『お姉さん』として描写されていて、
「わたし、あんな大人の女性を……」
「でも、アンバランスなところが良かったんだと思いますよ」
励ますように、斎藤さんは笑う。
「冴草さん、自分としては大人なつもりだけど、内面は全然成熟してないから。そういう不安定なところに、
「そう、なんですかね……」
一度うなずいて、わたしは
わたしたちのやりとりを眺めていた紫苑の方を向く。
「ど、どう思う? 紫苑、自分よりずっと年上の役、やったことあったっけ?」
──すぐに、アドバイスをくれる気がしていた。
頭の回転の速い紫苑のことだ、すぐにわたしの状況を整理して、必要な情報やアドバイスをまとめて、こっちに提示してくれそうな気がしていた。
「……あ、ああ」
けれど
「年上の、キャラだよね」
「うん。十個くらい上のお姉さん。なんかコツはあるかな?」
「んー、それなら……」
考えながら、いくつかのアイデアをくれる紫苑。
それがやっぱり的確で、さすがだなあとわたしは思う。
それでも、
「──単に声を低めにするだけじゃなくて、むしろテンポ感とかの方が──」
これまでよりもトーンの抑えられた声。陰りも感じる笑顔。
その表情に──わたしは確かに感じ取る。
紫苑は、なんだか様子がおかしい。今日だけじゃない、少し前からだ。
そして……その理由も、わたしはもちろんわかっている。
紫苑も、『決断』について思い悩んでいるんだ──。
***
「──ただいまー」
家に着いたら、ちゃんとそう口に出す。
実家に帰ったときも、一人きりの
いってきますも、いただきますも、ごちそうさまもそう。
わたしは、
「ふう……」
上着を脱いで、手洗いうがい。
ソファに腰を下ろして、短く一息つく。
目に入るのは、いつものリビングの光景だ。
引っ越してくるときに家具屋さんで厳選した、お気に入りの家具たち。
壁に飾られた原作者さんたちのサインや、演じたキャラのかわいいフィギュア。
全部わたしの宝物。十七年間の人生を、全力で駆け抜けてきた証拠だ。
……本当はこのままお風呂に入って、メイクを落としちゃいたいところだけど。
早めに寝て、明日の仕事に備えたいところだけど、
「……よし」
気合いを入れ直すと、その場に立ち上がった。
今日はちょっと──やらなきゃいけないことがあるんだ。
部屋の隅、自作のアフレコブースの横に配置したパソコン前に腰掛ける。
スリープを解除してデスクトップが表示されたら、
「さーて、どこかなー……」
音声ファイルの格納フォルダをオープン。
『テープ』→『
その中に……『
開くと、表示されるいくつかのファイルたち。
そのうちの末尾にfixとあるファイルを選んだら、音楽制作ソフトを立ち上げてそこに配置。一呼吸置いて、意識を集中してから再生ボタンを押す──、
『──子供なんだから。無力でいるのが仕事なの、あなたは』
『──はあ? 元夫? そんなこと聞いて、どうするの……』
──流れ出す、良菜のお芝居。
数ヶ月前、この部屋であの子と相談しながら
『──別に、大した理由じゃないよ。強いて言うなら、大人になっただけ』
『──迷惑だって言ってるの。わたしはもう、君みたいには期待してないんだよ』
少しがさついた声。
原作の冴草さん、その表情に反応して生まれたお芝居の奥行き。
諦めだとか疲れだとか物憂さだとか、そんなものの奥にかすかに残る少女性。
この音源には、今の良菜のお芝居がすべて籠もっている。
だからわたしは、
「……」
そのお芝居を、何度も何度も繰り返し聞く。
唇の震えや喉の鳴り。舌の動きや吸い込む空気の響きまで。
鳴っている音を──すべて聞き込む。
──いつもの、逆を試してみるつもりだった。
つまり、
それできっと──すべてがわかる。
わたしとあの子が選ぶべき、未来が見えるはず──。
しばらくお芝居をチェックして、技術的なところは大まかに把握できた。
パソコンの中に残っていたテープの台本を開いて、プリンタで印刷する。
それを手に立ち上がり、大きく深呼吸したら──お芝居の前の、仕上げに入る。
どんな生い立ちで、どんな性格の女の子か。
どんな価値観を持って、生活の中で何を選び、何を捨てるのか。
……うん、できた。問題なくできたと思う。
ここ半年以上、あの子とは近しい距離で付き合っていたんだ。
きっとわたしは、誰よりも良菜のことを理解できている。
だから──お芝居にとって、とても大事な最終段階。
創り上げたイメージを、自分の中に宿すステップに入る。
「……ふう」
息を吐き覚悟を決めると、「あの子」を自分の
他の人間が自分に置き換わる、不思議な感覚。かすかな抵抗と、同時に自分を明け渡してしまう心地よさ。
このときだけ、わたしは良菜になる。
思考と身体が結びついて、良菜という『役』になる。
これも問題なくできた。準備完了だ。
──いける。
台本片手に
見慣れたマイク前。音の反響を抑えた狭い空間。
そしてわたしは、
「……んっんー」
短く
『──子供なんだから。無力でいるのが仕事なの、あなたは』
『──はあ? 元夫? そんなこと聞いて、どうするの……』
口が回る。舌が踊る。
喉が狙った通りに響いてくれる。
『──別に、大した理由じゃないよ。強いて言うなら、大人になっただけ』
『──迷惑だって言ってるの。わたしはもう、君みたいには期待してないんだよ』
わたしの中の
『──違うよ。何ベタな勘違いしてるの、あはは』
『──
良菜が思う
二十七歳バツイチで、ちょっとだけ自暴自棄になっていて……それでも少しずつ、主人公に
『──だから、これからわたしたちを待っている季節は、冬だよ』
それを今──わたしは一通り演じきることができた。
「……ふう」
息をつき、ブースを出るとパソコンの前に戻る。
録音を止めるとしばらく伸びや深呼吸をして、しっかり『わたし』が『わたし』になるのを待つ。
満足感があった。
胸に満ちる幸福感と自信。
上手にできたんじゃないの?
だったらいいんだけどなー。
もしそうなら。わたしたちはまだ。これまでも、これからも──。
「……よし」
でも、いつまでもぼんやりしていられない。
早めに聞き返してお風呂に入らないと。
心臓が、普段より上にあるような感覚を覚えながらマウスを手に取る。
そして、カーソルを再生ボタンに持っていき、カチリとそれを押した。
『──子供なんだから。無力でいるのが仕事なの、あなたは』
『──はあ? 元夫? そんなこと聞いて、どうするの……』
流れ出す、
『──別に、大した理由じゃないよ。強いて言うなら、大人になっただけ』
『──迷惑だって言ってるの。わたしはもう、君みたいには期待してないんだよ』
普段より抑えたトーン。
細かく込められたニュアンス。
現実的で近い距離感。
『──違うよ。何ベタな勘違いしてるの、あはは』
『──
『──だから、これからわたしたちを待っている季節は、冬だよ』
けれど──わかった。
よく、理解できてしまった。
「……なるほどねー」
他でもない、わたしだからこそ間違いなく判断できた。
「わたし、
ため息交じりに、そうつぶやいた。
「あの子と同じお芝居、できないかあ……」
奥行きが足りなかった。物憂さが足りなかった。諦めが足りなかった。
技術を使いすぎていた。情報量を抑えすぎていた。表情が豊かすぎた。
これは──
「……ふう……」
音声の再生を止め、背もたれに体重を預ける。
湯船に
わたしたちの間に空いた距離。二人を分かつ、大きな隔たり。
……そっか、そっか。わたしたち。もう、こんなに──。
なら、わたしは。きっと、わたしたちは──。
***
「──ということで、今日はナレーション実習だよ!」
毎週恒例、養成所のレッスンの日。
いつもの受講生の面々を前に、先生は宣言するようにそう言った。
「声優にとっては、ナレは大事な仕事だね! テレビ番組や動画とかのナレーションもあれば、企業さんから依頼を受けてビデオに声をふき込むこともある」
熱の籠もったその説明に、みんなもうんうんとうなずいた。
先生の言う通り。声優さんのお仕事として、ナレーションをやらせてもらう機会は思った以上に多いみたいだった。
わたし自身、お芝居の練習は熱心にしてきたけれど、そういうスキルにはノータッチで。だからこそ、ここで勉強しっかりしていきたい。
「もちろん、お芝居の役にも立つからね。気合い入れてやっていきましょう!」
「「「はい!」」」
わたしの隣では仲の
──
一度は休止していたそこでのレッスンにも、仕事再開と同時に再び通いはじめていた。
現実的に、わたしのお芝居はまだまだだ。『おやすみユニバース』に受かったのは運の要素が大きいし、胸を張って「プロです!」と言えるレベルには至っていない。
だから少しでも基礎を身につけられるよう、お芝居の底力をつけられるよう、ここでのレッスンには可能な限り出席するようにしている。
……ちなみに。
一ヶ月ほど練習を休止していた件については、青物くんたちから質問攻めを受けた。
「──どうしたんだよ? 体調不良とか?」
「──もう会えないのかと、わたし心配で……」
「──なんか悩みがあったら、僕らに相談していいんだからね!」
そんな彼らの勢いに、
こんなに心配してくれるのに、わたし……挨拶もなしに、レッスンから離れちゃって。
本当に、悪いことをしてしまった。
せめて一言、声をかけてからいなくなるべきだったなあ……。
とはいえ、戻ってきた今も本当の事情を明かすことはできない。
「ちょっと、わたしには声優無理だと思っちゃって……」
「一度お芝居から距離を置いて、色々考えてみたの……」
彼らには、そんな風に説明した。
「でも、やっぱりやってみたいと思ったから、こうして戻ってきたよ!」
「ごめんね、心配かけて!」
まあ……大事な要素が抜けたけど、それ以外は
距離を置いて考え直して、やっぱりやりたいと思った。
これが、わたしの説明できる精一杯……。
そんなわたしの出任せにさえも、
「そっか……あるよな、そういうこと」
「今度ご飯会しようよ! みんなでぶっちゃけて色々話そう!」
「いいね! 僕も最近ちょっと、進路で悩んでて……」
三人はそんな風に真剣に応えてくれる。
ああ、もう……わたしは
罪滅ぼしができない分、彼らのことは一生大事にしようと心に誓った。
『──ということで。やってみようか、
養成所がレッスン会場に使っている、都内の小さなスタジオ。
その片隅にあるナレーション
わたしは一人きり、マイクを前にして座っていた。
目の前にあるテーブル、そこに置かれたナレーション原稿。
周囲には手を伸ばせば届きそうな位置に壁が迫っていて、孤独と同時にちょっと圧迫感も覚える。
「はい、お願いします!」
そう返した声も、いつものブースとは違う短い反響で溶けていった。
『とりあえず、つらっと通して最後まで。途中しんどくなっても、原稿終わりまでは必ずいこう!』
「はい!」
この養成所の先生は、「ひとまずやってみろ」というレッスン方針だ。
もちろん、理屈での説明も基礎の練習もしっかりやらせてくれる。
でも、最初は何にせよ体験する。アフレコでもサンプルボイス作りでもナレーションでも、ゼロの状態からチャレンジしてみる。そこで自分に足りないものを把握するのが重要だ──そんな考えらしい。
受講生の間には、そのやり方が苦手な生徒もいるみたいだった。ヒーヒー言いながら必死についていっている人も少なくない。
それでも、わたしはそのスタンスが結構好きだから、
「──高校生1000人に聞きました! 好きな食べ物ランキング、ベストテーン!」
声のトーンを上げ、明るい女性をイメージしたバラエティ仕様で。
目の前の原稿に書かれた、架空の番組のナレーションを読み上げはじめた。
「──いつの時代も、高校生は食べ盛り! そんなティーンズのみんなに、大好きな食べ物をインタビューしてランキングにしました!」
「──君の好きな食べ物は、何位にランクインするかな!?」
ほどよく緩急をつけながら、テンポよく先に進んでいく。
意識が
「──ではさっそく結果発表! まずは第十位! ……アイスクリーム!」
「──夏の定番が第十位にランクインしましたー!」
……うん、楽しい!
明るいナレーションは、こっちの気分もハッピーになるね。
浮かれた気分に釣られて、自然と声も軽やかに弾む。
「──放課後みんなと食べるのも、
「──続いてー……第九位!」
順番に、好きな食べ物ランキングを紹介していく。
タイミングを計りながらの結果発表と、テンションを維持してのコメント。
よしよし、良い感じだ。舌も回るし
このまま最後までいっちゃおう!
「──第六位! ステーキ!」
「──ここで来ましたお肉の王様! 見てるみんなも好きだよね!?」
けれど……そこまで言って、ふとブースの外に目をやった。
セリフに釣られて、視線が自然と台本から
目に入るのは……冷静にわたしを見ている先生。その向こうにいる、受講者たち。
明るくしゃべるわたしのテンションと、彼らの表情の落差──。
──あっ。
と思った。
なんか、踏み外した感触。
やば、いかも。基準、見失ったかも。
「──男女問わず人気だけど、特に運動部男子からの投票が多かったみたい!」
「──ちなみにわたしは、ウェルダン大好き! みんなの好きな焼き加減は何かな!?」
言葉を紡ぎながら、
標準の声やテンション。客観的なわたしの立ち位置。
でも……あれ? あれ!?
見つからない……!
ブースの中には他に誰もいないし、アフレコのときみたいな映像もない!
「──第三位!! お
「──ここで来ました! 和食のエースッ!」
こうなったら、自分の感覚でいくしかない!
覚悟を決めて、声を張り続ける。
でもなぜだろう……わけもなく、トーンが下がっていく錯覚にとらわれた。
テンションも、しゃべるごとに急降下していくような体感。
うそ、そんなはずないよね……!? 声も気持ちも下がっていないはず!
だけど……怖い。なんかめちゃくちゃ不安だ。
必死で喉を震わせ声を張る。虚勢とわかっていても、明るい声を貫く。
それでも──状況はどんどん悪くなって、
「──回転寿司では、みんなでワイワイ食べられるのも魅力ですよねッ!?」
言葉は明らかに上滑り。
しゃべっている自分でもはっきりとわかるほどに、空元気の声になってしまった。
必死の時間は無限に思えるほど続き──、
「──ということで、第一位は焼き肉でしたーっ!」
「──高校生好きな食べ物ランキング。いかがでしたか!? みんなも好きなものめいっぱい食べて、元気に毎日過ごしましょーっ!」
へとへとになりながら、わたしはようやく原稿を読み終えた。
『はい、
「……お疲れ様です」
『……ちょっと、呼吸整えようか』
「はい……」
言われて、椅子の背もたれに体重を預ける。
酸欠になりそうになりながら、大きく深呼吸する。
チカチカする視界。バクバク言っている心臓。
これは……前途多難だ。わたし、まさかナレーションがここまで苦手だなんて……。
一人でやるのが、これほど難しいなんて……。
そして、ぼんやりする意識の中で……ふいに思った。
──
最近は、『
確か、ソシャゲの収録も完全に一人きり。狭いブースで孤独に
しかも……2000ワード。あの子は普段のアフレコや、このナレーションよりも
──
できる気がしなかった。そんなこと、どれだけ今後練習をしても経験を積んでも、できるようになれる気がしない。
あの子のいる場所。彼女が三年以上かけて身につけてきた技術。
そして──二人の間にある、大きな隔たり。
今や、仲の
そんな当たり前の事実を、わたしは狭いブースの中で再認識していた。
*
「──お疲れ様ー」
「──じゃあね、また来週!」
今週のレッスンが終わる。
汗を拭き荷物をまとめて、
最寄りの駅でそれぞれの路線に別れると、わたしはすぐにホームに来た電車に乗車。
空いていた席に座り、ふうと息をついた。
走り出す列車、窓の外を流れる景色。
小さく気持ちを落ち着けると、わたしは
──そろそろ、話さなきゃいけないことがある。
新しい毎日が始まる中で、どんどんわたしたちの『次』が生まれていく中で、できるだけ早く決めなければいけないこと。
だから、わたしは散々文面に迷ってから、
そう入力して、まずは送信。
同時に──既読がついた。
──もしかしたら紫苑も、わたしにメッセージを送ろうとしてた?
山田良菜『近いうちに、時間もらえないかな?』
続けてそう送ると、返事はすぐに来た。
しおん『おけ。わたしも話したいことあった』
しおん『明日空いてるから、事務所あつまろーか』
しおん『(レトロかわいいキャラのスタンプ)』
山田良菜『うん、そうしよう』
集合時間を決めて、紫苑とのやりとりを終える。
スマホを鞄に戻して、窓の外に視線を戻す。
日の暮れた
その軌跡が後ろに流れていくのを、網膜に焼き付けるようにじっと眺めていた。
***
──翌日、午前八時。
約束した待ち合わせ場所、事務所の屋上にて。
「おはよ、
「うん、おはよー」
手すりに体重を預け、朝の街を眺めていたわたしは──やってきた
「ごめ、ちょっと遅れた……」
「んーん、いいのいいの」
焦り顔でこちらに駆けてくる良菜。
季節は冬の入り口で。厚手の上着を羽織った彼女は、銀色の朝日に
「不思議な感じだなー、こんな時間に良菜と会うの」
「だね。いつも顔合わせるの、お昼以降だったもんね……」
良菜もわたしの隣、手すりに手をかけ景色を眺める。
土曜日。住宅街とオフィス街の入り交じるこの街は、平日とは違う独特の落ち着きの中で回りはじめている。
犬の散歩をする近所の住人。
早くも
そばのカフェでは、店員さんがキビキビと開店の準備をしていた。
「このビル、こんな場所があったんだね」
「うん。ときどき
「へー、いいとこだなー」
いつも通りの、なんてことのない会話だった。
学校の休み時間にでもするような、目的もゴールもないとりとめのないお話。
涼しい風が吹いて、わたしと良菜の髪を揺らす。
天気は晴れ。薄水色の空には、所々
うん、よかったなー。今日、こんな天気で。
良菜と話をするのが、こういう空気の中で。
なんとなく、二人の間に沈黙が下りる。
ごく自然な、わたしたちに必要だと感じる静けさ。
それはどこか居心地よくて、ずっとこうしていたいと思うほどだったけど、
「ねー、良菜」
「ん?」
わたしが切り出すと、
だからわたしも視線を前に戻すと、ぽつりと彼女に伝えた。
「別れよーか」
「……えー」
短く間を置いて、良菜が笑う。
こちらを向き、心底楽しそうな表情で、
「何、その言い方。彼氏に言うヤツじゃん」
聴き慣れたフレーズ。良菜が繰り返し、わたしに言った言葉。
だからわたしも、声と表情を作って、
「良菜のこと、嫌いになったわけじゃないの。でも、距離を置いた方がいいかなって……」
「だからそれも、彼氏に言うヤツだよ」
あはは、と笑う良菜。
それに釣られて、わたしも笑ってしまう。
ありふれた朝の、ありふれた光景だった。
だから、その笑顔のままで、
「──入れ替わり、やめよう」
わたしは──良菜に結論を伝えた。
「──別々の声優として、生きていこう」
──出会ったあの日から、良菜はわたしについてきてくれた。
何をするにもわたしの
最初は、ただ面白いなと思っていた。
良菜がどんどん上達していくのを、お芝居がわたしに近づくのを楽しく見ていた。
──それに罪悪感を覚えるようになったのは、いつからだっただろう。
『コミック・ロジック・レトリック』を見たとき?
そのオーディションに受かったと、知らされたとき?
いや、きっとそうじゃない。
もっと前、良菜の芝居の透明さを目の当たりにしたとき、わたしは自分の「間違い」に気付いた。
そしてそれを、ついに正すときがきたんだ──。