──都心のラジオニホン、本社ビル。最上階の六階。

 その片隅にある会議室で、わたしは台本に目を通していた。

「ふんふん、ここでラジオドラマのコーナーか~」

 小さく鼻歌を歌いながら、口調も上機嫌に。

 背筋を伸ばして顔には笑みを浮かべ、できる限り『おん』らしく。

「コーナーは毎週ちょこちょこ変わるけど、ここだけは固定って感じですかね~」

「はい、そんな構成になる予定です」

 尋ねるわたしに、番組ディレクターのいつさんが笑顔で答えてくれた。

「ちなみに、番組開始前なのにメールもいっぱい来てます! 期待されてますよー」

「わあ、ありがとうございます!」

 言いながら、プリントアウトされたメールの束を受け取った。

 そこに書かれた、ファンのみんなの温かい声──。


『──紫苑ちゃんの大ファンです! らんちゃんも最近気になってたからうれしい!』

『──どんなラジオになるのか、今からわくわくです!』

『──この番組きっかけで、ラジオアプリもダウンロードしました!』


「もう少しで、らんかんばしさん入られるようなんで」

 メールを読むわたしに、五輪さんが言う。

そろったら、お打ち合わせ始めさせてください」

「はーい、ありがとうございます!」

 今日はわたしと欄干橋さんのラジオ番組。その名も『渡る世間は推しばかり!』の、初回収録日だった。

 久しぶりに、わたしは全身まるっと紫苑モード。

 華やかな色のカットソーとオーバーサイズのバギーパンツで、この場に臨んでいる。

 もちろん、メイクも髪の毛もばっちり。

 久しぶりにこの格好をすると、自然と行動も思考も紫苑っぽくなるから楽しい。

 ただ……、

「……」

 同時に、そこそこ緊張もしてしまっているのだった。

 だって……ラジオ番組だよ!? ずっと憧れだったんだよ!?

 こんな状況、ドキドキしちゃうに決まってる!

 はあ……このビルで、わたしの大好きな番組が生放送してたんだ。

 この会議室も、使われたりしたのかな?

 あの芸人さんが、ここで打ち合わせしたり……?

 アフレコスタジオにはまあまあ慣れたわたしだけど、初めての現場ではいまだにどうしてもそわそわしてしまう。

 それに、

「……」

 わたしはちらっと向かいの席。まだ誰もいない、台本の置かれた席に目をやる。

 もう一人のパーソナリティ、らんかんばしゆうちゃん。

 もちろん、データは頭に入っている。年齢はわたしの二つ年下の十六歳。

 一昨年おととしデビューで、以来トントン拍子で大人気になった期待の若手声優だ。

 おんもその熱烈なファンで、

「──らんちゃんの声からしか摂取できない栄養がある」

「──顔面IQ20000」

「──新曲最高、モモンガの社歌に採用したい」

 などと日常的に推し語りをしている。それを知ったラジオニホンの人が、「是非お二人でラジオを!」とこの番組を企画してくれたんだそうだ。

 ただ実は紫苑と欄ちゃん、一度も会ったことがなかったらしい。

 スタジオで鉢合わせ、なんてこともなく、つまり今日が完全なる初対面だ。

 ……どんな感じの子なんだろう。

 話は合うかな? 仲良くなれるかな……?

『おやすみユニバース』での共演も控えてるし、できればここで友達になっておきたいところだ……。

「……あ、来たかな」

 考えていると、いつさんが顔を上げる。

 確かに何人かの足音と話し声が、こちらに近づいてくる気配がある。

 背筋をもう一度正していると、会議室のドアが開かれ、


「──おはようございまーす!」


 ──彼女が現れた。

 一瞬で──まばゆさに目がくらんだ。

 白いブラウスに、つややかな茶色のロングヘアー。

 整った顔に、大きくてうるうるの瞳。

 肌は真っ白で滑らかで、生まれたての赤ちゃんのよう──。

「OTONARIプロダクションの、欄干橋優花です! よろしくお願いします!」

「……」

 一瞬、反応に遅れてしまった。

 かわいい人は、世に沢山いる。

 共演してきた声優さんや、学校にだってびっくりするような美人はいる。

 だから最近、見た目のい女性には慣れていたつもりだったんだけど。ちょっとやそっとの美人さんじゃ、動揺しないつもりだったんだけど、

「……わー、はじめましてー! すごーい! 本物だ!」

 慌てて紫苑を装いながら。

 彼女の下に駆け寄りながら、わたしは小さく衝撃を受けていた。

「えー、ありがとうございます、あはは」

 らんちゃんは楽しげに笑い、わたしの手を取ってくれる。

「ずっとお会いしたかったです、さん! ご一緒できてうれしいです!」

「こっちこそだよー! うわ、手握っちゃってる! 欄ちゃんの手……!」

「はは、本当に推してくれてるんですね。光栄です」

 なんと言えばいいんだろう。

 目の前にいる女の子、らんかんばしゆうちゃんは──100%、欄干橋優花ちゃんだった。

 ライブの映像で見たときと変わりない。

 動画や生配信での姿に、全く見劣りしない。

 外見も立ち振る舞いも声色も、完璧に「イメージ通り」の女の子だった。

 もちろん、わたしも身だしなみや言動には気を付けている。

 人前に出るときはメイクも服装もばっちり。声色だってテンションだって、『香家佐おん』を徹底している。

 ただ──欄ちゃんは、次元が違う。

 ステージに立っているときと、全く同じ。

 これからするのはラジオの収録で、ファンに見られることなんてないはずなのに……無数の光の粒子をまとって、彼女はそこに立っていた。

「……いや、見過ぎですよー!」

 さすがに凝視しすぎたらしい、そう言って欄ちゃんは笑う。

「ドキドキしちゃいますよ、そんな至近距離で!」

「あははー、ごめんごめん!」

 彼女の手を放すと、わたしは席に戻った。

 欄ちゃんもかばんかたわらに置き、一度頭を下げてからわたしの向かいに腰掛ける。

「大丈夫? 喉渇いてない? お茶飲む? あめとかもあるし、遠慮なくもらっちゃお」

「ああー、すいませんありがとうございます!」

「あと部屋の空調大丈夫? 暑かったり寒かったりしない?」

「大丈夫です……ていうか気遣いすぎですって! 推してくれてるとは言え、申し訳ないですよ!」

「そりゃ甘やかすでしょ! いいのいいの、やりたくってやってるんだから!」

「えー、おんさん、こんな感じなんだ」

 面白そうに笑うらんちゃん。

 その口元から、かわいらしい八重歯がのぞいた。

「もうちょっと、クールな方なのかと思ってました。お芝居も、ビシッと決まっててしいですし」

 確かに、紫苑はそういうところもあるかもしれない。

 華やかだけど自立している、かっこいい女の子。世間にもそう思われている。

 けれど……わたしは知ってるんだ。

 あの子が、自分の推しにはデレデレしちゃうことを。

 特に、欄ちゃんみたいなかわいい子にはお節介になってしまうことを。

 だから今回は、その感じを出してくのが正解と見た!

「もちろんクールだよ!」

 言いながら、わたしは欄ちゃんに胸を張ってみせる。

「この番組でも、お姉さんとして欄ちゃんをお守りしますから!」

「もー、ほんと過保護ですねー」

 どこかあきれたような口調の欄ちゃん。

 けれど、彼女はすぐにその顔をほころばせ、

「でもおかげで緊張がほぐれました。ありがとうございます!」

 花が咲いたような笑みだった。

 クラスにこんな子がいたら、その場の大半が恋しちゃいそうな笑顔だった。

 実際、こうやってわたしでさえお世話したくなる感じが欄ちゃんにはある。

 お姫様っぽいというか、大事にしたくなるというか。

 だから、紫苑の振りと言いつつもまあまあこれはわたしの素でもあって。そういうキャラが初対面で立ってるのは、すごいことだよなーと改めて感心してしまった。

「いいですね、今のやりとりの感じ」

 いつさんが、うれしそうな顔でそう言った。

「この番組、元々『紫苑さんがらんかんばしさんを推してる』って話から始まりましたし、だから『渡る世間は推しばかり!』ってタイトルなわけですが」

 言いながら、五輪さんはA4サイズの原稿をこちらに掲げ、タイトルを指差す。

 確かに、事前にそんな説明を受けていた。推してる側と推される側のパーソナリティ二人が、アニメの推し活を題材にお話する番組なのだと。

「そういう風に、普段から推す、推されるの雰囲気が見えるといい気がしますね! トークの立ち位置的に、今の関係性でいくっていうか」

「あー、なるほどなるほど!」

 らんちゃんが、台本にメモを取りながらうなずく。

「確かにそうすると、コンセプトともぴったり合いますね!」

「なので、過保護なさんと、それにちょっと突っ込み気味のらんかんばしさんっていう感じで、そこから広げていけると……」

 と、そこまで言うと、いつさんは我に返った顔になり、

「すいません、まだちゃんと、打ち合わせ開始できてなかったですね」

 恥ずかしそうに言って、頭をいた。

 そして、椅子の上で居住まいを正すと、改めてわたしたちの方を向き、

「ということで……ラジオニホン制作局の五輪です。この番組のディレクターをやらせていただきますので、よろしくお願いします!」

 そんな挨拶をして──本格的な打ち合わせが始まったのでした。


   ***


「──おはようございまーす!」

せいさいかい』の収録初日。スタジオのコントロールルームにて。

 そこにいる皆さんに、紫苑わたしはいつものようにご挨拶をする。

「プロダクションモモンガ、香家佐おんです。本日はよろしくお願いします!」

「はーいよろしく!」

「よろしくお願いしまーす」

 アニメのアフレコでもよく訪れる、おなじみのスタジオだった。

 カラフルな内装と、ずらっと並んだ機材たち。

 今回使う小さめのブースも、前にナレーションりやソシャゲのキャラの収録で使わせてもらったことがある。もはや実家のような安心感です。

 けど、今回はちょっと気合いの入り方が違う。

 いつもより背筋が伸びちゃうし、なんだか声も大きくなっちゃう。

 なんせ……主役!

 今回わたしは、主役の収録でここにやってきたんだから!

「じゃあすみません、まずは軽く打ち合わせを」

 アニメでは音響監督。ゲーム収録ではディレクターなんて呼ばれる立ち位置の方が、笑顔でそう言った。

「本国の方とも、回線つながってますので!」

「はい、よろしくお願いします!」

 台本の入ったキャリーケースをゴロゴロしてブースに置いてから、ソファ席に向かう。これを持って事務所を出たとき、偶然居合わせたにびっくりされたなあ。

「──な、何それ……!?

「──その中全部、台本が入ってるの!?

 驚きすぎて、持ってたお茶こぼしそうになってて笑った。

 でもそう、その通りなんだよ良菜くん。

 ソシャゲの、しかも主人公ともなれば収録量は膨大だ。

 具体的に言えば、今回は2000ワード。

 つまり、トータルで2000個くらいのセリフを収録することになる。

 深夜アニメなんかと比べると、目が飛び出そうなほどの大ボリュームだ。

 もちろん、今日だけで終わらないから四日くらいに分けて収録予定。

 その後もイベントや追加ボイスの収録のため、月一くらいで新たにアフレコをさせてもらうことになっています。

 改めて気合いが入るね! 準備も入念にしてきたし、ばっちり決めてやるぜ!

『──ということで、演じていただくあん。こちらにある通り、主人公ではあるのですがイメージは「闇のお姫様」です』

 メーカーである『エヌアールブイ Incインク.』。韓国にいるプロデューサーさんが、ネット越しに作品とキャラを改めて説明してくれる。

 韓国の方なんだけど日本語は完璧。

 こちらの文化に慣れているらしく、日常会話くらいは余裕らしい。

『武器は片手剣で、動きは……こんな感じですね。通常の攻撃は五段、四発目だけ魔術を使う。で、待機モーションは……これ、こんな感じで──』

せいさいかい』は、タイトルの通り色鮮やかな世界を舞台にしたゲームだ。

 ガチャやデイリークエストなんかのソシャゲの要素もあるけれど、その根本は骨太なオープンワールドアクションゲーム。最近、いくつかの会社から同じコンセプトの作品が出ていて、一つの王道になりつつあるジャンル、って感じだろうか。

 色とりどりの作中世界は、沢山の問題や対立、根本的な構造の不具合を抱えている。そこに立ち向かうのが、わたしの演じる主人公、暗ちゃん。

 黒いドレスを身にまとった、とってもかわいい女の子。

 白い髪と青い目がきれいだ。ラスボスであってもおかしくない配色のキャラだけど、ちゃんと主人公に見えるキャラデザになっていて素敵だなと思う。

 ちなみに男性主人公は、同じく『闇の王子様』をイメージした『くろ』くんだ。

 プレイヤーは序盤であんと黒、どちらかの主人公を選択し、好きな方でプレイしていくことになる。

『お芝居としては、基本は正統派のヒロインですね。ルックスの通り冷静なキャラなんですけど、抜けてて人なつっこいところもあるっていう。ただ、根っこの部分に『闇』の要素が見えるとありがたいです』

「なるほどなるほど」

 設定資料にメモを書き込みながら、わたしはうなずく。

「ふとしたときに、そっちの感じがのぞくイメージですよね。感情が高ぶったときとか、自分が揺らいだときとか」

『ですね、そういう風だとうれしいです』

 OK、考えてきた演技プランの通りだ!

 主人公としてのプレーンさと、暗ちゃんのオリジナリティのちょうどいいミックス。

 やりがいもありそうだし、今日は楽しい収録になりそうだ。

「では……さっそくですが、収録を始めましょうか」

 一通り説明を聞き終えたところで、ディレクターが言う。

「ボリュームあるんで、あとはやりながらお話しする感じで」

「はい、よろしくお願いします!」

 ディレクターとプロデューサーにお礼を言って、わたしはコントロールルームのすぐ隣、収録ブースへ向かう。

「よーし、やるぞー!」

 密閉されたその空間に入り、わたしは気合いを入れ直した。

 アニメのアフレコよりもぎゅっとコンパクトな、一人分のスペース。

 空気清浄機とアナログの加湿器と、キューランプ。近くで見るとまぶしすぎるからか、ランプにはゴム製のカバーがかけられている。

 照明も落とし気味で、とても静か……。

 ……実はわたし、この空間が結構好きだ。

 もちろん、広いブースで仲間とかけあいをしながらお芝居するのも大好き! というかそれが一番好き! でも、こんな風にわたしだけの空間に籠もって、真正面からキャラと向かい合うのも、すごくやりがいがあるのだ。

「──ん、ん、んーん」

 せきばらいしながら椅子に腰掛け、目の前のテーブルに台本を用意。

 お茶と筆記用具も並べて、準備はOK!

 ヘッドフォンを左耳には装着、右はちょっとずらすっていう普段のスタイルにできたところで、

『──では、お願いしまーす』

 ディレクターのトークバックが響いた。

「はい、お願いします!」

『ひとまずテストを、十二ページ目。二十四ワード目からいければと』

「十二ページ……」

『最初の街の門の前でガーディアン、フレデリックと会話するシーンですね』

「あった。はーい、承知しました!」

 開いたページ、プリントされたセリフに目を通す。

 小さく深呼吸して、自分の中にイメージしてきた『あん』を取り込む。

 ……よし、できた。いける。

 そして、視界の端。キューランプがついたのを確認してから、


「──旅の者です。このナコクで、冒険者を募っていると聞いて」


 わたしは、マイクに向かってお芝居を始めた──。


   ***


「──おんとー!」

「──らんかんばしゆうのー!」

「「『渡る世間は推しばかり!』」」

 わたしとらんちゃんのタイトルコールに、元気なBGMが乗っかる。

 しばらく曲が流れて、ディレクターさんがキューを出してくれたら──、

「こんばんはーはじめまして! 声優、香家佐紫苑です!」

「ふふ。こんばんは。声優の欄干橋優花です!」

 お互い顔を見合わせて、小さく笑い出しながらトークを始めた。

「ということで新番組が始まりましたー。タイトルは『渡る世間は推しばかり!』」

「うんうん」

「この番組はタイトルの通りね、推し活がテーマです。わたしと欄ちゃんの推しの話をしたり、皆さんの推し活エピソードを聞いていこうと思ってまーす」

「はい! そういう番組でーす」

 そこまで言い終えると、一度周囲を見回した。

 好きな番組のサイトなんかでは見たことがあった、ラジオの収録スタジオ。

 目の前にあるマイクと、音量調整用のカフ。

 そして──テーブルの向かいにいるらんちゃん。

 アフレコスタジオにはずいぶん慣れたつもりだったけれど。ラジオのスタジオにはそれとはまた別の雰囲気があって、その新鮮さにほどよい緊張感を覚える。

 ちなみに、今日のためにトークも結構練習してきた。これまでおんが出演したラジオの音源を聞いて、あの子のしゃべりの特徴をつかんできた。

 テンポのよさ、踏み込みの勢いの良さ、頭の回転の速さがあの子の魅力だ。

 だから、ここはわたしから一歩前に出て……、

「じゃあ……まずは何より、自己紹介しようか?」

「そうですね。はじめましての方もいるかもしれないですし」

「え? そう? はじめましての人、いる?」

「それはいるでしょう」

「いやいや。わたしのこと知らない人はいるだろうけど。欄ちゃんはいなくね? 国民知名度百パーでしょ」

「そんなわけないでしょ! わたしまだ駆け出しですよ!?

「わたしの中の知名度は百パー超えてるんだけど」

「なんですか紫苑さんの中の知名度って……」

 転がるトークに、目の前の放送作家さんが噴き出す。

 見ればガラスの向こうのディレクターさんもミキサーさんもニコニコしていて、よし、滑り出しは好調! と内心ほっとした。

「ということではじめましてー、紫苑です。声優として、アニメやゲームなんかに出演させてもらっています! 欄ちゃんを推してまーす」

らんかんばしゆうです! 駆け出しの声優として、一生懸命がんばっています! 同じ事務所のお友達とユニットも組んでいて、Sugaryシユガリー tonesトーンズっていうんですけど──」

 ──欄ちゃんの自己紹介を聞きながら。

 はきはきしたしゃべりを聞きながら、おお、ちゃんとラジオだ、と改めて実感した。

 今回は二本りの収録の形だし、この声がすぐにリスナーに届くわけじゃない。

 それでも……マイクの向こうに誰かがいる。わたしたちのトークが、沢山の人に届く。

 こうしてスタジオでお話をしていると、不思議とそういう体感がちゃんとある。

「そちらの活動もがんばってます! 是非応援してくださいね!」

「シュガトンね、新曲良かったよー!」

「え、聴いてくれたんですか!? うれしい……」

「聴いた聴いた! ほら見て、ここ来る途中でも聴いてて」

「いや今スマホ出さないでください! 収録中ですよ!?

「でも、わたしのシュガトン愛、証明したいし!」

「あとで裏でやってください、公私混同がすぎますよ……」

 あきらんちゃんに、放送作家さんが笑いの声を漏らす。

 うん……いいぞ。もう完全に、トークの基礎形式ができてる。

 ちょっと心配にも思ってたけど、この感じなら楽しく最後までおしゃべりできそうだ!

「じゃあ、さっそく聴いてもらおうよ、その曲!」

「はい、そうですね。このままじゃおんさん、スマホで流しそうだし……」

「ということで、聴いてください! Sugaryシユガリー tonesトーンズで『スイート・クリーム』」

 タイトルコールで、聴き慣れた曲のイントロが流れ出す。

 わたしは一度ヘッドフォンを頭から外すと、目の前の欄ちゃんと……同じく一息をつく彼女と、短く笑い合った。


   ***


「──この子はダキニ。きつねではありません」

「──いえ、魔物でもありません!」


 反響の少ないブースに、わたしの声が響く。


「──大丈夫です、悪さはしませんから!」

「──ありがとうございます。ニョライの導きに感謝を」


 相手のセリフを、周囲の景色を頭の中で思い浮かべながら。オーディオドラマをるような感覚で、お芝居を続ける。

 ゲームの収録時、アニメ収録のときのような映像は用意されていない。

 わかっているのは目の前の台本、そこに書かれたシーン説明だけ。

 その自由度も、アニメと違って面白い──。

『──はーい、ありがとうございます!』

 シーンを演じ終え、ヘッドフォンの左耳からディレクターの声が響いた。

『今の、いただきます! 素晴らしかったです』

「ありがとうございます!」

 収録は、順調に続いていた。

 第一章のメインストーリー。物語は後半に突入し、お芝居のテンションも徐々に上がってきている。喉の調子は絶好調、あんちゃんのキャラも十分身体からだんできた。

 ここから、ストーリーは重要なシーンの連続になるらしい。

『つづいてー……次の百二十八ページ。マガツヒノカミとのたいシーン』

「はい!」

『第一章のボスとの、戦闘前のやりとりですね。今日の収録は、このマガツヒノカミ周りで終わりです』

「承知しました!」

 台本に改めて目を通し、わたしは内心気合いを入れ直す。

 あんたちが最初に訪れる街。ナコクの守護神だと信じられてきた、マガツヒノカミとの対峙シーン。

 ここは『せいさいかい』にいて、とっても重要な場面だ。

 全体を貫くストーリー。その魅力をいかにプレイヤーに感じてもらうか。

 今日の締めくくりとして、このシーンはばっちり決めたい──。

『──では、お願いします!』

「はい、よろしくお願いします!」

 トークバックからそう聞こえて、わたしは大きく深呼吸。

 暗は慈愛の笑みで、けれどどこかりんとした声色で、マガツヒノカミに語りかける。

 だから、必要なのは──共感と決意。

 二つの感情を、わたしはこの身に降ろしていく。

 わたしの気持ちが、暗の気持ちとシンクロする──。

 ただ……もう一つ大事なのは、わたしがわたしであることだ。

 暗でありながら、香家佐紫苑わたしの強みも貫き続けること。

 声の響き、思い切りのよさ、そういうものも、きちんとかす。

 そして、キューランプがついたのを確認し──、


「──ずいぶん、苦しい思いをしてきたんだね……」


 ──お芝居を始めた。


「──あなたは悪くない、きっと誰も悪くないんだと思う」

「──悪人はわたしだけ。どの色にも染まらない、わたし一人……」


 感情をまっすぐに声に込め、わたしは暗を演じる。

 徐々にテンションを上げ、戦闘前の緊迫感を演出していく。

 そこに時折混ぜ込む、わたしらしさ。わたしの声のきらめき。


「──他に、手段はないのかな?」

「──そう。ずっと前から、そうするしかなかったんだね……」


 戦うしかない、という事実を、お互いに確認するあんとマガツヒノカミ。

 そして──シーンのラスト。頭の中の暗が、その手に剣を強く握り直した。

 だからわたしも、おなかいっぱいに大きく息を吸い──。


「──なら……すべてここで!」

「──今、わたしの手で終わらせる!」


『──はい、ありがとうございまーす』

 沈黙の一拍を挟んで、トークバックの声が聞こえた。

『いいですね。少々お待ちくださーい』

「はーい!」

 達成感に口元をほころばせつつ、わたしは一口お茶を飲んだ。

 ……うん、結構良かったんじゃない!?

 一発目から、かなりハマった感じがあるんじゃない?

 感情もきれいにつながったし、舌もちゃんと回っていた。

 暗の苦悩も、そこからの決意もきれいに表現できた気がする。

 そしてそこに、自分らしさという一本の筋も通せた。

 このあとも、戦闘中のやりとりや戦闘後の会話もあるけど……いけそうだ。

 い感じに、第一章ラストを彩ることができそう。

「……ん?」

 と、そんなことを考えていて。

 ガラス越しのコントロールルーム、入り口辺りがざわめいているのに気付いた。

 挨拶を始めるディレクターや、スタッフさんたち。

 誰か来た? エヌアールブイの偉い人とか?

 そして、わちゃわちゃするガラスの向こう。スタッフさんの合間からようやく見えた『その人』に、

「……って、わあ!」

 わたしは思わず声を上げてしまった。

わらさんだ!」

 小田原とおるさん。二十六歳、超人気男性声優。

 幼い頃から舞台に出演し、迫力あるお芝居で業界からの信頼も厚い実力派。

 そして──今回、『せいさいかい』の男性主人公。

くろ』くんを演じることになる、言わばわたしの『影の相棒』みたいな存在だ──。


   ***


「──ねーねー、昨日言った話、考えてくれた?」


 トークのコーナーの収録を終え、第一回の収録の終盤。

 ドラマパートのお芝居が始まった。


「VTuberやろうよって話。あなたが演者で、わたしがマネージャーやるの」


 声優二人がパーソナリティということで、『渡る世間は推しばかり!』では毎週、二人のかけあいのお芝居コーナーが用意されている。

 今回は、放送作家さんの用意した台本を。次回以降は、リスナーから送られてきた台本、シチュエーションを演じるらしい。

 今日の内容は、初回だけあってストレート。

 高校二年生の女の子が、一年生の後輩に「VTuberをやってみよう!」と誘いをかける。後輩は乗り気になれず何度も断るけれど、先輩はなんとか彼女と活動したくて……という内容だ。

 二人の関係性は、まさにわたしたちとそっくり。

 それもそのはず、この台本は作家さんが会議室でのわたしたちのやりとりを見て、その場で一気に書いたものなんだそうだ。


「──ガワはもう発注済み。アプリもそろえたから、いつでも始められるよ!」


 台本を読みながら、わたしはちらりとらんちゃんの方を伺う。

 欄ちゃんは、どんなお芝居をするんだろう。

 もちろん、出演作品は事前にチェックさせてもらっている。

 実力がある子なことも、どんな声質なのかも頭ではわかっている。

 けど……『おやすみユニバース』でも共演する、しばらく一緒に仕事をすることになる欄ちゃん。そんな彼女との初めてのかけあいには──緊張と同時に、期待とわくわくを覚えるのだった。

 そして、


「──だからー。やりませんって!」


 らんちゃんがお芝居を始める。


「──何回も断ったじゃないですか! わたし、部活で忙しいんです! VTuberなんて、絶対に無理です!」


 高めのトーン。甘い響き。

 ルックスによく似合う声で、欄ちゃんはそう言う。

 先輩に対するあきれと、その向こうにある親しみの感情。

 正直、表現されている感情は微細ではない。

 はっきりとわかりやすい、比較的シンプルなキャラの気持ち。

 デフォルメがしっかり利いていて、アニメらしいと言ってもいいのかもしれない。

 そして……それがい。

 そこには、ずっと聴いていたくなるような心地よさがある。

 いやおうなしに、胸に幸せな気持ちが湧き出す。

 同時に──、


「──でもでもー、もう一回考えてみてよー」


 お芝居を続けながら、わたしは不思議な感覚も覚えていた。


「──あなたのその声、絶対にかすべきだよ! すぐに人気者になれるよ! 保証する!」

「──ええ、そうですか……?」

「──うん! だって、わたしがこんなに夢中になったんだもん!」

「──なる、ほど……」

「──ほら、こうして話してても、投げ銭したくなるくらいで……」

「──ちょ! やめてください! 何お金出してるんですか!」


 テンポよく回っていく会話。

 楽しくみ合っていく、わたしたちのお芝居。

 けれど……らんちゃんのお芝居は、ときどきわたしの予想の外に飛び出す。

 ふわっと上がる声のトーン。細かく挟み込まれる動揺のニュアンス。

 わたしやおんだったら選択しなかっただろう、演技のディテール。


「──ていうか、それだけかわいければもう顔出しでよくない?」

「──もはやそれVじゃない!」


 そして、それが不思議とハマっている。

 欄ちゃんの声や、キャラの存在感。

 それらがみ合って、独特の魅力を生み出している──。

 ──何を考えているんだろう?

 ──何を思って、欄ちゃんはお芝居をしているんだろう?

 別の価値観の存在を、はっきり感じた。

 お芝居の仕方なんて、多分無限にあるんだろうと思う。

 まだまだ経験の足りないわたしだけど、沢山の役者さんに出会ってきた。

 そのたびに、新しい価値観を知って驚いてきた。

 そして欄ちゃんも……それを持っている。

 わたしの知らない、紫苑ともまた別の、彼女の目指すもの──。


 その存在が、強さが──鳥肌が立つほど面白い。


   ***


「──久しぶり、紫苑」

 しばらく収録をしてから、挨拶に出たコントロールルームにて。

 わらさんが、そう言ってわたしに笑いかける。

「『くろ』役をやらせてもらうから、長い現場になりそうだな。よろしく」

 ちょうど今日、このスタジオで別作品のアフレコがあったらしい。

 わたしが『あん』の初収録をしていると知り、様子を見に来てくれたそうだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 そう言って、わたしも彼に頭を下げた。

「ソシャゲでこんなボリュームやらせてもらうの、初めてなんで。色々教えてください!」

「いやいや、主人公は俺も初めてだから」

 爽やかに笑い、小田原さんは首を振る。

「お互い手探りでがんばっていこう。だからすまん、どんな風に演じているのかを見てみたくて、ちょっとお邪魔させてもらった」

 ──わらとおる

 端整なルックスと実直な性格で、同世代トップクラスの人気を誇っている。

 実際、目の前で見る小田原さんは、どこか古風な和風美男子という趣きがあった。

 武道でもやってそうな引き締まった身体からだに、爽やかな黒髪。

 顔立ちもさっぱりしていて、一部の女性に大人気なのもうなずける。

 けれど、この人の強みは──やっぱりお芝居だ。

 物心着く前から舞台に立ち、気付けば『役者』だったという小田原さん。幼い頃にはレジェンド級の演出家の舞台に出演し、厳しい稽古を付けられていたという話は有名だ。

 そのお芝居のすごさは──当然わたしも身に染みて実感している。

 これまで何度もご一緒していて、そのたびに衝撃を受けてきた。

 短いセリフでも、ほんの二、三言でもはっきりと立ったキャラ。

 すっと伝わる感情と、その説得力。

 迫力や立体感というものは、この人から学んだと言ってもいい。

 わたしにとって、小田原さんは『背中を追いたい』『いつか追いつきたい』先輩の、代表格のような人だった。

「なるほど、そういうことだったんですねー」

 らしいな、と思いながらわたしはうなずき、

「……どうでした? わたしのお芝居」

 ちょっと緊張しながら、彼に尋ねる。

「メインストーリー、一通りやってみましたけど。どう思いました?」

 小田原さんは、お世辞を言わない。

 後輩相手だろうが同期相手だろうが、先輩相手でさえ素直な感想を伝える。

 前にアフレコをご一緒したとき、それが原因でピリッとした空気になったのを見たことがある。

 だからこそ──意見を聞きたかった。

 わたしの『第一章ラスト』。その感想を聴きたい──。

「……正直、驚いた」

 しばし考えてから、小田原さんはそう言ってくれる。

「ここしばらく共演がなかった間に、伸びたのは感じてたんだ。一皮むけたというか、一歩先に進んだというか。だから、今日も楽しみにしていたんだが」

 言うと、彼はふっと息を吐き、

「ここまでとはな……」

「……ほんとですか!?

 わっと、胸にうれしさがこみ上げる。

「そんなによくなりました!?

「ああ。本当によくなったよ」

 そんなわたしに、わらさんは力強くうなずいた。

「素晴らしかった。キャラの理解も表現の技術も、以前に比べて段違いだ。特に表現の技術。おん独特の良さがきちんと出ているし、それでいて隙あらば枠から踏み出そうというチャレンジもい。存在感が強いから、こういう芝居は板の上でも映えるだろう」

「おお、ありがとうございます……!」

 実は──最近わたしのお芝居が伸びているのは、自覚があった。

 というか、現実的に超がんばっているのだ。もっと強くなれるよう、良い役者になれるよう、これまで以上に練習に力を入れている。

 きっかけは、

 わたしの身代わりなんてめちゃくちゃな立場で、いやおうなしについてきてくれるあの子。

 あの子をきちんと導くためにも、誰よりも良い役者じゃなきゃいけない。だからこの半年。デビューしてから初めてって勢いで、わたしは芝居にのめり込んでいた。

「それから、キャラに対する向き合い方だ。はっきりとした存在感があるのに、丁寧さも感じる。特に、マガツヒノカミとのたいシーン……そうだ、俺の芝居は聴けますか?」

 小田原さんが、ディレクターさんの方を向く。

「先日った、俺のくろ。マガツヒノカミとの対峙シーンを聴けませんか?」

「ああ、大丈夫ですよ」

 うなずいて、ディレクターさんがパソコンを操作する。

 何度かトラックパッドをタップし、画面をこちらに向けると──、


『──ずいぶん、苦しい思いしてきたんだな』


 ──小田原さんのお芝居が流れ出した。

 わたしのあんと、同じシチュエーション。ちょっとだけ調整のされたセリフで。


『──お前は悪くない、きっと誰も悪くないんだと思う』


『──悪人は、俺だけだよ。どの色にも染まらない、俺一人』


 どくん、と心臓が高鳴った。

 りんとしたお芝居。一聴して伝わる、くろの冷静さと優しさ。

 わたしのあんよりも少々ぶっきらぼうで、それでもそのお芝居がわらさんの声とよく合っていて、


『──なら……すべてここで!』


『──今、俺の手で終わらせる!』


「……さすが、ですね」

 気付けば、そう漏らしていた。

「さすが、小田原さん」

 強い。シンプルにそう思う。

 彼のお芝居には、一瞬で誰もが感じられる魅力がある。

 迫力、明瞭さ、そのうえでかすかに香る色気。

 きっと、長い舞台の経験を通じて手に入れた能力なんだろう。

 それはわたしにはないもので、努力したって手に入れられそうになくて、どうしても敬意と嫉妬を覚えてしまう。

「いや、だがおんのキャラ把握には舌を巻いたよ」

 腕を組み、けれど小田原さんは真面目な顔で言う。

れんさやけなさを、俺は黒に込められなかった。色々考えてした選択だったが、それができる紫苑がうらやましい。そのうえ、2000ワードを四回でるんだろう? 俺はその倍以上──」

「──あ、ちょちょ、ちょっと一旦ストップ!」

 話のボルテージが上がってきたところで。

 それまで脇で見ていた彼のマネージャーさんが、慌ててそこに割って入ってくる。

「ちょっととおる、テンション上がりすぎ。これそのまま、二時間とか語り出しちゃうコースでしょ!」

「……ああ、確かに」

 はたと気付いた様子で、小田原さんは頭をいた。

「すまない、アツくなりすぎた」

 照れくさそうにほほえむ小田原さん。周囲のスタッフも小さく笑い声を上げる。

 そんな彼を「やれやれ」と眺め、

「……そうだ、さん、さいとうさん、今夜お時間ありますか?」

 マネージャーさんがわたしたちに尋ねてくる。

「今夜は、はい、空いてますが」

「ほんとですか!? なら、よろしければ……なんですが」

 答えたさいとうさんとわたしに、マネージャーさんはにこやかな顔で、

「久しぶりにお食事など、ご一緒にいかがですか? わらも、さんとお話がしたそうですし」

 そんな風に、尋ねてきたのでした──。


   *


「──楽しみですね。『おやすみユニバース』」

『渡る世間は推しばかり!』の収録が終わり、ラジオニホン本社ビルを出たあと。

 少しお話でも、とやってきたレストランの個室にて。

 向かいの席のらんちゃんが、うれしそうな声でそう言った。

おんさんとの共演もそうですし、わたし、とうさわ監督のファンなので。ああいう作品、出演する機会もなかったから……」

「あーね、超楽しみだよね!」

 テーブルの上のサラダを取り分けながら、わたしもうんうんうなずいた。

「わたしも原作超好きでさ、受かったのうれしかったー」

 ──番組収録は、最後までつつがなく進行した。

 トークは一貫してみ合いまくり、スタッフの皆さんからも大好評。

 わたしも純粋にお話が楽しくて、二週分り終えてもまだまだ欄ちゃんと話していたいくらいだった。

 それに……ラジオドラマのコーナー。

 やっぱりあれが、一番印象的だった。

 わたしや紫苑の追求とは、別の価値があるという印象。

 それがどこまでも奥深くて、予想外の反応をくれて楽しくて。共演する『おやすみユニバース』にも、今から期待が膨らんでいるのでした。

「……ただ」

 ぽろっと、欄ちゃんが言葉をこぼす。

 それまで通りの華やかな声色。顔には、笑みを浮かべたままで。

「ちょっと怖いなとも思っていて。がんばってはいますけど、お芝居もまだまだ修行中ですし。皆さんの中で、ちゃんといお仕事できるかなって」

「いやいや、大丈夫でしょう」

 思わぬ言葉に、気付けば素でそう返していた。

「今日も、一緒にかけあいやっててびっくりしたもん。すごいなこの子、って。いっぱい勉強させてもらったし」

 らんちゃんのお芝居の根っこには、強い意志の存在を感じた。

 わたしなんかよりもよっぽど強力な、揺るぎない何か。

 今だって、欄ちゃんは徹底的に『らんかんばしゆう』であり続けている。

 わたしたち二人とマネージャーさんたちしかいないこの席でも、欄ちゃんのまぶしさは変わらない。この欄ちゃんが、そんなに不安に思うべき現場がそれほどあるとも思えない。

 それに、

「もし何かあったら、フォローするから!」

 わたしたちは、協力することだってできるんだ。

「困ったり悩んだりすることがあったら、一緒にわたしも考えるから! だから、きっと大丈夫!」

 おんなら、そう言うと思う。そしてわたしも、そうしたいと心から思う。

 どこまで力になれるかわからない。

 それでも、欄ちゃんが困ったときには、そっと背中を支えられればと思う。

「ありがとうございます」

 そう言って、欄ちゃんは口元をほころばせた。

「とっても心強いです! 紫苑さんに、そう言ってもらえるなんて思ってなかったなあ……」

「いやいや、そりゃ言うよ! 推してるんですから!」

 わたしのその言葉に──欄ちゃんは一瞬黙り込む。

 そして、覚悟を決めるようにこちらを見てから、

「……正直」

 どこか挑むような声で。

 真正面から向き合うように、わたしにこう言った。

「わたしみたいな声優のことを、どう思ってますか?」

「……へ?」

「歌も踊りもバラエティも、全部やりたい声優を、どう思いますか?」

「……」

 予想外すぎる言葉に──キャラ作りを忘れた。

 反射的に、黙り込んでしまう。

 けれど……今目の前にいる欄ちゃん。

 まっすぐこちらを見据えて、尋ねる彼女。

 ……本心だ。

 ふいに、はっきりとそう実感した。

 今の一言は、彼女の素の言葉。

 本物の気持ちを、疑問を、らんちゃんはわたしに向けてくれている──。

「どうして、そんなこと聞くの?」

 まっすぐ彼女を見返しながら、わたしは尋ねた。

「わたしは最初に知ったときからずっとファンだけど、何か引っかかるところがあるの?」

「そうですね」

 欄ちゃんは、視線をテーブルに落とし、

「わたしは、今のあり方に誇りを持っています。わたしのできる全力で、ファンの人に楽しさを届ける。こんなに素敵なお仕事はないと思っています。でも最近……おんさん、お芝居で評価されてるじゃないですか?」

 身じろぎもしないまま、そう続けた。

「実際、今日のお芝居もすごかったですし。元々とっても素敵ですけど、最近はなんていうか、奥行きが増したっていうか」

 言い方を探るように、欄ちゃんは一度言葉を切り、

「キャラの深いところまで表現されるようになったように思うんです。反応も、すごくいですし……」

「そうかな、ありがと」

 反応の良さや奥行きは、以前から褒められることの多いポイントだった。

 養成所でもアフレコの現場でも、そういうニュアンスを評価してもらえる。

 元々の紫苑の方向性とはちょっと違うから、少し躊躇ためらいもあるんだけど……個人的に興味があるのも、派手なものよりは微細なお芝居だった。

「で、そういう役者さんって」

 顔を上げ、欄ちゃんがこちらを見る。

「その後も、そっちの道を究める感じになると思うんです。とうほうもとさんとか、そういう感じに」

 東方さん。『コミック・ロジック・レトリック』で共演した若手女性声優さん。

 確かに彼女、デビュー時は歌や踊りに、バラエティ番組への出演にとあらゆるお仕事に全力な感じだったらしい。

 ただ、最近は『お芝居』が話題になることが多くなっていて。声優としてだけではなく舞台のお仕事をしていることもあって、『演技派』として認識されつつある。

「わたしは、そういうタイプじゃない」

 そして、欄ちゃんはきっぱりそう言う。

「写真集とかそういうのも出してみたいし。シュガトンだって、どんどん大きくしてドームライブとかできるようになりたい。それが一番やりたいことです。でも、そういう声優って」

 言うと、彼女はじっとこちらを見て、

「演技派の人からは、受け入れられないことも、あるのかなって」

「んー……」

 なるほど、そういうことか……。

 タイプの違う声優さんが、自分のことをどう思うのか。

 特に、こだわりの強そうな『芝居重視』の声優が、マルチに活動したい声優のことをどう思うのか。

 ……らんちゃんでさえ。

 強い意志とプロ意識を持つ欄ちゃんでさえ、そんなことを思うのか。

 意外だけど……だからこそ、なのかもしれない。

 すべてに意識を巡らせられる彼女だからこそ、周囲の視線にも敏感でいる。

 だとしたら、

「わたしは……めちゃくちゃ尊敬してる」

 わたしは、端的にそう言う。

「色んなお仕事でファンを幸せにできるの、純粋に、本当にすごいことだと思う」

 これが、シンプルなわたしの本音だった。

 おんだって、まず間違いなくそう思うだろう。

 他の人が、どう考えるかはわからない。それでも、わたし自身はただただ敬意を覚えてしまう。

「確かに、わたしは同じような活動をそんなにはしないかもしれない。歌もグラビアも好きだけど、一番好きなのはお芝居だったから」

 かつて紫苑に言われたこと。一番好きなのはお芝居であること。

 それは、わたしも変わらない。

 彼女とわたしの、最大の共通点かもしれない。

「でも、他の人もみんなそうあるべきなんて思うわけない。むしろ色んな人がいた方が楽しいでしょ? ファンの人たちも、好きな声優さんを見つけやすくなるし。わたしたちだって、同じ感じの人ばっかりでいるより視野が広くなるし」

 真剣な顔で、話を聞いてくれている欄ちゃん。

 その丸い目を見返しながら、わたしは言葉を続ける。

「何より……わたし自身、本当に感動したんだもん! そのかわいさと一生懸命さに! だから推してるし、会えてうれしかったんだし……」

 そして──わたしは自分の素直な気持ちを。

 きっと、おんも言うだろう言葉を彼女に伝える──、


「──『最高!』以外に言うことないでしょ!」


「……ありがとうございます」

 そういうらんちゃんの声には、もう『らんかんばしゆう』の彩りが、彼女の華やかさが戻ってきていた。

「そういう風に言っていただけて、本当にうれしいです──」


   ***


「──実は、落ちたんだ。『おやすみユニバース』」

 わらさんたちとやってきた、和食のお店にて。

 しばらくお芝居の話に花を咲かせたあと……小田原さんが、ぽつりとそう言った。

「え……そうだったんですか」

 思わぬ告白に、おはしを落としそうになった。

 小田原さん、参加してたんだ、あのオーディション。

 しかも、落ちちゃった……。

「あの、役は? 誰を受けたんですか?」

日向ひなたの彼氏役をな。かなり気合いを入れて臨んだし、自信もあったんだけど……ダメだった。とうさわ監督作品、出たかったんだがなあ」

「うわー、マジですかあ……」

 日向の彼氏役。

 俳優のたてさんが勝ち取ったポジションだ。

 ていうかオーディション、あったんだ。矢盾さんがやるってことは、てっきり指名かと。直接監督からオファーしたのかなと思ってたんだけどな。

 しかし、人が落ちた話はやっぱりなんかこっちも微妙な気分になっちゃうなー。

 その気持ちがよくわかる分、共感しちゃって。

 しかも、こっちはわたしというか、が受かった立場なわけで。

 小田原さんにもさっきそれは話したから、どんな声をかければいいのか……。

「だから……大したものだよ、紫苑。あの塔ノ沢監督に、見初められるなんて」

「ああ、いやいや! 運もありましたし」

「だとしても、運の大前提には実力が必要だろ? そこが今、気になってるところでもあって……」

 言うと、わらさんは焼き魚を口に運ぶ。

 そして、少年みたいな目でまっすぐわたしを見ると──、


「最近の芝居……まるで、これまでと別人みたいに感じることがある」


 ぎく──と、心臓が跳ねた。


「見た目も声もそっくりな、別の人間が演じてるんじゃないか……そう思うことさえある」


「……それは、どうしてですー?」

 あくまで冷静を装って、わたしは尋ね返した。

「別の人間って、そこまでわたし変わりました?」

 視界の端で、さいとうさんが身じろぎしているのが見える。

 動揺してる。

 フォローは期待できない。ここは、わたしがく返さないと……。

「これまで、君の魅力はどこまでも自分を貫くことだと感じてた」

 そんなわたしたちの内心を知らずか、穏やかな口調で小田原さんは続ける。

「厳しい現場でも全く初めてのジャンルの作品でも、ブレずに自分の良さを提供し続ける。そのタフさには個人的にも好感を覚えていたし、おんの武器はそこであり続けるんだろうと思っていた。今日も改めて、芯の強さを感じたよ」

 それは、全くその通りだ。

 わたしの武器は、ブレないところ。

 もちろん、作品やキャラには可能な限り寄り添うけれど、それでも消えないわたしの個性。そこを貫くのが、役者としてのわたしのあり方だった。

「けれど……先日の、『コミック・ロジック・レトリック』。あのお芝居が、ずいぶん柔軟で繊細に思えたんだ。これまでの手前に来る立体感だけじゃなく、奥行きも豊かになったと」

 ──『コミック・ロジック・レトリック』。

 まさに、わたしの代わりにが出演した番組だ。

 誰にもバレはしなかったけれど、小田原さんだけは、変化に気付いていた──。

「それに、『おやすみユニバース』。これもきっと、奥行きの必要になる作品だろう。リアルな皮膚感。現実的な湿度。ただ──今日のお芝居。あんを演じるときには、これまで通り華やかな演技だった。まるで……うん、武器を二つ持ったみたいだ」

 腕を組み、小田原さんはわたしを見ると、

「その辺りは、やっぱり意識をして?」

 率直にそう尋ねた。

「自分で考えて、そんな変化を決断したのか?」

 彼らしい、ちよくせつで裏表のない問いかけだった。

「……そうですね」

 胸に引っかかるものを感じながら、わたしは笑顔でうなずいた。

「もっとくなりたいと考えていたら、自然とそちらも意識するようになりました」

 当たり障りのない一言だった。

 わたしにしては普通の回答すぎて、不自然にさえ聞こえるかもしれない。

 けれど、これ以上、言うことができなかった。

 ここしばらく、ずっと考えていること。

 わたし自身が感じている『負い目』を思えば、これが精一杯。

「そうか、やっぱりな」

 そんなわたしの内心は、見抜かれることはなかったらしい。

 わらさんはうなずいて、快活に笑う。

「大したものだよ、そんな二面性のある役者に化けるなんて。これからが、一層楽しみだ」

 そして、手元のお茶を飲み干すと。

「……一緒にがんばろう!」

 どこか、真剣勝負でも挑むような表情で、わたしに言ったのだった。


「『せいさいかい』のダブル主人公。これからも、どうぞよろしく!」