「──入れ替わり」

 とうさわ監督が、わたしたちを。

 山田良菜わたし香家佐紫苑かのじよを見て、低い声で言う。

やまさんがおんさんに成り代わり、オーディションに参加した。あの日、なたを演じてくれたのは、香家佐さんではなく山田さんだった……」

 細い身体からだに長い黒髪。肌の色素は薄く、顔色もどこか青白い。

 繊細そうな表情は、叙情的なその作風とぴったり一致して見えた。

 ただ──声。

 文学青年風の見た目から発されるその声は、対照的に情熱を帯びている。

 この人がただ者ではないことを。日本で今、一番将来が期待される若手監督であることを、その響きに実感した。

「はい、その通りです」

 そんな監督に、紫苑ははっきりとうなずいた。

 よく通る声だった。躊躇ためらいも動揺もない声色だった。

うそをついてしまい、申し訳ありませんでした。そのことに関しては、言い訳のしようもありません」

「なるほど。いえ、いいんです」

 首を振ると、塔ノ沢監督は腕を組み、

「説明いただいたうえでお呼びしたのは、僕なので」

 紫苑のかたわらでは、マネージャーであるさいとうさんが唇をみ成り行きを見守っている。

 そしてわたしも、緊張に膝をガクガク言わせながら、一度大きく深呼吸した。

 ──アフレコスタジオ。

 わたしと紫苑、塔ノ沢監督がいるのは、アニメキャラの声を収録する施設。いわゆるアフレコスタジオだった。そのコントロールルーム、最後部にあるソファに座り、わたしたちは塔ノ沢監督と向き合っている。

 ここに来るのは、二度目のことだった。

 数週間前、わたしが塔ノ沢監督の新作劇場版アニメ『おやすみユニバース』の主演のオーディションを受けたとき以来。

 ただ──、

「そうか、山田さん……」

 つぶやくように、塔ノ沢監督はそうこぼす。

「香家佐さんではなく……」

 塔ノ沢監督の言う通り、わたしは『紫苑の振り』をしてその場に臨んでいた。

 つまり……地味な女子高生『山田良菜』が、大人気声優『香家佐紫苑』としてオーディションを受けていたのだ。

 ……我ながら、本当にめちゃくちゃだ。

 そんな入れ替わり、どう考えてもありえない。

 でも、そうなってしまった。

 そんな風にわたしはオーディションに参加し、主演を勝ち取ってしまったのだった。

 ──すべてのきっかけは今年の春。

 おんほつかいどうで、飛行機の足止めを食ったことだった。

 その日、どうしても外せないアフレコがあった紫苑は、ネットで見かけた「自分に声がそっくりな女子」、つまりわたしに代役を依頼。プロのアフレコ現場に放り込んだ。

 さらに、自分たちが声だけじゃなく顔までそっくりなのに気付き、こんなことを言いだしたのだった。


「──わたしと入れ替わってくれない?」

「──。わたしの代わりに、『紫苑』になってくれない?」


 とんでもない提案だった。

 もちろん、一も二もなく断った。

 ただ、紫苑から強くお願いされて、わたしは恐る恐る入れ替わりを了承。

 以来、ときどき香家佐紫苑としてオーディションに参加し、受かればアニメに出演する日々を送るようになった。

 そしていつしか──心の底から、お芝居に夢中になってしまったのだった。

「えっと、やまさん」

「は、はいっ!」

 ふいに監督に呼ばれて、素っ頓狂な声が出た。

 とうさわ監督には、今日の話の前に事情を明かしていた。

 オーディションを受けたのは、紫苑ではなく別人であったと。

 それでも、ということで今日はお招きいただき、こうして対面しているのだけど……、

「わ、わたしに何か……!?

 ……まあ、おびえている。

 何を言われるのかと、内心怯えまくっている。

 お叱りを受ける可能性はある。なんなら、ぶち切れられて当然だとも思う。だから、身をすくめて次の言葉を待っていたのだけど、

「あ、その、大丈夫です」

 そう言う監督は、どこかぼくとつとした声だった。

「そんなにかしこまらなくて。リラックスしていただいて」

「はあ……」

「あなたに役をお願いするのは変わりませんし。別段入れ替わりのことで、告発とかするつもりもないので」

「そ、そうですか……」

 恐る恐る様子を伺うと、監督の表情はあくまでフラットだ。

 確かに、怒られたりする気配は感じられない。

「今日はちょっと、作品のことを事前に色々お話ししたくて。だからすいません、急にお呼びしてしまって」

「い、いえ。そう言っていただけて、よかったです……」

 言いながら、あんにふっと息をついた。

 視界の端で、さいとうさんも小さく胸をなで下ろしている。

「でも……そうだな」

 監督は辺りを見回して、考える顔になる。

 そして、ふいに腰掛けていた椅子から立つと、

「ちょっと……出ましょうか」

「え、で、出る、ですか? スタジオを?」

「ええ」

 監督はうなずき、ショルダーバッグを肩にかける。

「狭苦しいここよりも、広い場所で話したいです。ついてきていただけると」

「は、はあ……」

 困惑しながら、かばんを手に取った。

 い、いきなりだな……急に外に、だなんて。

 でも、クリエイターってこんな感じなのかもしれない。

 急にこうやって、自由気ままに動くものなのかも……。

やまさんだけでなく、さんたちもご一緒できれば」

「あ、は、はい!」

「わかりましたー」

 監督に言われ、斎藤さんとおんもソファを立つ。

 そして、何人かのスタッフさんと一緒に、わたしたちは監督に続いてコントロールルームを出たのだった。


   *


 ──『おやすみユニバース』。

 ファンからも業界からも注目を集める、期待の新作劇場版アニメだ。

 原作は話題のSF小説で、指揮を執るのは新進気鋭の若手監督、とうさわとう

 制作は、深夜アニメ『眠れないから何か話して』が高い評価を得たクラウンワークス。

 そして──わたしにとって初めての、主演を担当するアニメでもある。

 実は……この作品に受かる前、わたしは入れ替わりをおしまいにするつもりだった。

 半年間おんの代わりとしてがんばって、わがままも言わせてもらった。

 紫苑やさいとうさんにも、結構な迷惑をかけちゃったと思う。

 だから責任を取るためにもすっぱり諦めて、地味な一女子高生に戻るつもりだった。

 そんなわたしの前に紫苑が再び現れて、『おやすみユニバース』に合格したことを告げ──わたしは、声優の世界へ戻ってきたのだった。

 つまり……今作が、自分にとっての声優復帰作になる。

「──この辺りを、作中の舞台として使うんです」

 スタジオから、車で走ること三十分ほど。

 降車したのは、たかだの駅から少し離れた住宅街だった。

「『魔法少女の夢』の舞台ですね。この辺りに日向ひなたの自宅がある設定で、坂を下った先の新じろ通りでは、敵の魔法少女とのバトルになります」

 どこか懐かしい匂いのする狭い路地。

 古い家々と、塀の上を歩いている野良猫。

 小高い丘の上にあるここからはしん宿じゆくの街並みも見えて、高いビルがクリーム色の陽光を反射している。

「生活動線はあえてぐちゃぐちゃに設定して、リアルとうそっぽさを混ぜる。それで夢の質感を出せればなと思っていて。オタク文化への感謝や、深夜アニメへのリスペクトもそこに込めたい──」

 熱心な監督の話を聞きながら、ゆっくりと息を吐き出した。

 こういう街並みは、わたしも大好きだった。

 初めて来るのにどこか懐かしいような、ここに住んでいるわたしを想像してしまうような、不思議な感覚。

「ご存じだとは思いますが、『おやすみユニバース』には無数の夢が出てきます」

 監督が、わたしの目を見て話を続ける。

「多元宇宙論をイメージした形で、夢を扱うわけですね。なのでここも、その舞台の一つです。ただ、リアリティラインは高め。普段のテレビアニメのお芝居とは、ちょっと勝手が変わるかもしれません」

「他のキャストさんは、もう決まったんでしょうか?」

 成り行きを見守っていたさいとうさんが、監督にそんな風に尋ねた。

「その辺りわかると、お芝居のイメージもつきやすいかなと思いまして」

「ええ、メインどころは決まりました」

 坂道を下りながら、監督はうなずく。

「まず、現実世界の日向ひなたの彼氏。夢のあるじである男の子は……俳優の、たてじんさんにお願いします」

「ええ!? 矢盾さん!?

 大声が出てしまった。

 ──矢盾陣。

 二十代半ば、今をときめくイケメン俳優だ。

 わたしも彼が主演のドラマはよく見ていたし、今日も彼が出ている洗剤のCM動画を電車で見かけた。

 あの人が……アフレコに参加するの!?

 え、ヤバ、なんかドキドキするんだけど。お芝居とはまた違うドキドキというか……。

「なるほど、てことはお芝居もリアル寄りですねー」

 そんなわたしの隣を歩きながら。おんがうんうんうなずく。

「ドラマとかの感じに近いっていうか。距離感とかも、アニメのやつじゃなくて現実っぽくして」

「ええ、その予定です。設定は荒唐無稽ですが、感情は現実準拠で」

 リアル寄り……距離感……。

 どうしよ、その辺まだよくわかんない。

 そういうことを意識してお芝居したこと、一度もないかも……。

 でも確かに、本職が声優じゃない役者さんが出てる作品って、空気感がリアルっぽい印象がある。多分、これまでの演技とは違う注意が必要なんだろう。その辺は、ここからまた勉強していかないと……。

「ただ、ちゃんとアニメっぽさも残したいので……妹。日向の妹である長閑のどかの役を、らんかんばしゆうさんにお願いしました」

「おおお! らんちゃん!!

 紫苑が興奮の声を上げる。

「マジですか! いいなー! わたし、欄ちゃん大好きで」

 欄干橋優花さん。

 十六歳、今人気急上昇中の、超若手声優さんだ。

 お芝居はもちろん、かわいいルックスや歌でも大人気で、同じ事務所の声優さんと組んだユニットでCDデビューもしている。

 おんはそのらんちゃんを激推し中。お仕事こそご一緒したことはないものの、CDを買いあさり出演作はすべてチェック。ライブにも何度も足を運んでいるそうだ。

「はい。あの期待にきちんと応える感じが、長閑のどかに合うかなと思いまして」

「あー合いそう! すごいですよねー欄ちゃん! 打率十割!」

「ええ。そしてきっとやまさん、たてさん、らんかんばしさんのお芝居が混ざると、すごくい空気感が生まれる気がするんです」

 言われて、わたしも想像してみる。

 まだ出会ったことのない。矢盾さんと欄干橋さん。

 それぞれ違う特徴を持った、役者さんたち。

 彼らと一緒にお芝居することで、生まれる世界──。

 ……わくわくに、胸が大きく高鳴った。

 ちょっと前まで、もう声優はやめたつもりだったのに。

 ごく普通の高校生に戻ったつもりだったのに、あっさり期待しはじめている。

 結局、逃げることなんてできないんだ。お芝居の高揚から。演じる喜びから。

 だから──向き合いたいなと思う。

 できるだけ正面から、わたしはお芝居というものに向き合いたい。


   *


 住宅街の中をしばらく歩き、きゆうしちざかを下りきる。

 日の沈みかけたしもおちあいの街。大通りから一本内側に入った小道。

 気付けばわたしたちは──とある分かれ道に差し掛かっていた。

 Y字に分岐したアスファルトの道路。

 それぞれ雰囲気の違う住宅街に向けて、二本の道が延びている。

 間には古い戸建てが挟まれていて、木製のベランダに誰かの洗濯物が干されていた。

 薄紫ににじむ空の下、わたしはぼんやりと白い月を見上げる。

 九月。空気はまだまだ夏の暑さを残していた。

 半袖から伸びた二の腕をでる風が心地いい。

 空気にかすむ草や花の匂い。どこかから聞こえてくる誰かの笑い声。

 なんとなく、予感がある。

 きっと……日向ひなたもこんな景色の中にいたことがある。

 無数の夢を巡り、眠る彼氏の下にたどり着いたあの子も。こんな夕方の住宅街で、懐かしい匂いの中で、こうして月を見上げていた──。

「……悩んでいたんですが」

 ふいに、とうさわ監督がそんな声を上げた。

「言うべきか、そうじゃないか迷っていたんですが。やっぱり……お二人に、聞きたいことがあります」

「は、はい!」

「何ですか?」

 突然の、ちょっとかしこまった言い方。

 思っていなかった展開に、わたしは反射的に背筋を伸ばす。

やまさんは、さんとして『おやすみユニバース』に参加することになるわけですよね?」

 戸惑うわたしに、彼はそう尋ねてくる。

「香家佐おんとしてオーディションを受け、香家佐紫苑としてお芝居をする。今作にかかわらず、他の作品でもそうしていくつもりであると」

「……そう、ですね」

 おずおずと、わたしはうなずいた。

「これまでもそうでしたし、これからもそのつもりです」

 正確に言えば、わたしは『声優』になったわけではない。

『人気声優、香家佐紫苑の身代わり』になったんだ。

 そこからはみ出すこともあったけれど、その根っこの部分を忘れたつもりはない。

 紫苑は、会社を立ち上げたいという夢を持っている。

 わたしに入れ替わりを打診したのも、それが理由だ。

 声優を引退できるように。所属事務所であるプロダクションモモンガに迷惑をかけずに自由になれるように、わたしがその立場を引き継ぐ。

 だからこそ、わたしはここまで優遇されてきた。素敵な作品にも出演できた。

 その恩に応えたいと思っている。わたしのお芝居には──そんな大前提がある。

「今、山田さんは何を見ていました?」

 じっとわたしの目を見て、けれど監督は尋ねてくる。

「何を感じて、どんなことを考えていました?」

「……えっと」

 言われて、ほんの数秒前の自分のことを思い出す。

 目に映っていたもの、感じていたこと。

 そして、考えていたこと──。

「夕焼けの空と月がきれいで、漂ってる香りで胸がぎゅっと苦しくなって……。それで、そう。きっと、日向ひなたもここにいたことがあるって、思ったんです」

 その姿を、はっきりと思い浮かべながらわたしは言う。

「魔法少女になったあの子も、ここに立ったことがあって。そのとき何を思ったんだろう、どういうことを考えたんだろうって……そんなことを、一人で想像していました」

 日向ひなたの考えること。

 感じることや、あるいは感じないこと。

 そういうことを、自然に考えていた。

 監督も、わたしにそうさせたくてここに来たんだと思う。

「それは──一人の役者ですよね」

 そんなわたしに、監督は言う。

「自分の感覚を使いながら、キャラの輪郭を探ろうとする。その内面を再構成して、把握しようとする。それは誰かの入れ替わりとか、身代わりとかではなく、やまという一人の役者ですよ」


 ──一人の役者。


 入れ替わりじゃない、身代わりじゃない。

 わたしという一人の声優──。

 反射的に──おんを見た。

 じっと、そばでわたしたちの会話を聞いていた紫苑。

 彼女はどこか無防備な表情で。自信にあふれた笑みでもなく、オーディションに向かうどうもうな顔でもなく、素の一人の女の子。じま紫苑として──じっとわたしを見ていた。

 ……本当は、わたしも気付いていたんだ。

 監督が言う通りのことを。

 わたし自身が、紫苑ではなく別の役者になりつつあることを。

 けれど、そのことをどう受け止めればいいのかわからなくて。ひどい裏切りであるような気も、むしろ誠実な変化であるような気もして、口に出すことができなかった。

 そんなわたしに──、


「別の役者として、生きるべきではないですか?」


 監督は──真正面から現実を突きつける。


「山田さんは山田さんとして。さんは香家佐さんとして、お芝居に取り組むべきじゃないでしょうか?」


 素朴な語り口で。けれど、声には深い情熱を込めて。

 その場にいる全員が、短く沈黙する。

 わたしたちのかたわらを、スクーターに乗ったおじいちゃんが不思議そうな顔で駆け抜けていった。

 ──別の役者として生きる。

 ──おんとは、別の道を歩み出す。

 もう一度空を見上げると、日はずいぶん大きく傾き、東の方には星が瞬きはじめていた。

 なんだか、ひどこころもとない気分になった。

 ここから、どう歩いていけばいいんだろう。

 わたしたちは、どんな風に進めばいいんだろう。

 わたしと紫苑を待っている、酷く不確かな未来──。

「二ヶ月後に、『おやすみユニバース』のキャストが発表されます」

 監督が、穏やかに言葉を続けた。

「三ヶ月後にはアフレコ。その後、キャストさんにも力をお借りして宣伝期間を設け、半年後に作品は公開されます」

「……はい」

 短くそう返すと、監督はわたしを、紫苑を、さいとうさんを見て、

「二ヶ月後までに、考えておいてほしいです」

 フラットな声のままでそう言った。

「キャスト発表までに決めてください。やまさんが、山田さんとして『おやすみユニバース』に出演するのか。あるいは──これまで通り、紫苑としてなのか。もちろん、どちらかに強制するつもりはありません。皆さんで決めたことに、文句を言うつもりもありません」

 事務連絡みたいなその口調。

 一人の責任のある立場として、大人として話すとうさわ監督。

「でも……僕は」

 ふいに、監督は笑う。

 親しい友達に話しかけるような。

 思春期の子供みたいな、どこかあどけない表情だった。


「二人が別になった方が──面白いのができると思うんだよなあ」


   *


「──確かに、一度きちんと考えるべきだと思います」

 帰りの車の中。

 事務所へ向かう、道の途中で。

 静けさを破って切り出したのは、さいとうさんだった。

「『おやすみユニバース』で求められるのは、これまでのおんとは別のお芝居ですよね。入れ替わりに無理が出てくるのは間違いありません。それに監督の言う通り、このままでいいのかって問題もある。二人にとって、入れ替わり続けるのがベストなのか……」

 エンジンの振動を背中に感じながら。

 とうきようの夜景が窓の外を流れるのを見送りながら、わたしも頭の中で考え続けていた。

 わたしと紫苑は──別々の役者になるべきなのか。

 入れ替わりを、やめてしまうべきなのか。

 とうさわ監督の指摘は、鋭かった。

 確かに、選択が必要だ。

 わたしは、一人の役者になりつつあって……だとしたら、決断しなきゃいけない。

 入れ替わりをやめるならやめる。続けるなら、覚悟を決めて紫苑の代役に徹する。

 どっちつかずの中途半端にしているのは、誰にとってもメリットがない。

「……でも、簡単な話じゃ、ないですよね」

 少し考えて、そうこぼした。

 具体的にイメージすると、様々な問題が見えてくる。

「例えば、わたしが出た『コミック・ロジック・レトリック』……今も放送中ですし、二期がありそうな雰囲気にもなってますし。入れ替わらなくなるとしたら、今後はそっちをどうするのか……」

 例えば、『おやすみユニバース』でやまとしてデビューするとして。

 今後の仕事はその名前で受けるとして、既存の『おんとして受けた仕事』はどうするのか。今後も作品が続く限り、そこでは紫苑の振りを続けるのか。

 正直……それはキツいだろう。

 頭がこんがらがりそうだし、どんどん芝居に無理が出てきそうだ。

 逆に、紫苑本人に引き継いでもらうのもちやだと思う。

 現場では現場ごとの『空気』が積み上がっていく。いくら紫苑といえども、それを知らないままアフレコに参加すれば絶対にボロが出る。

 となると……、

「……入れ替わっていた事実を白状して、山田良菜として出演する、とか?」

 そういう可能性も、ありえると思う。

「世間にきちんと説明して、お詫びをして、みたいな……」

 色々こんがらがった現状をすっきりさせて、一からやり直す。

 そのためには、覚悟をしてすべてを明かすことも、選択肢として考えなきゃいけない。

「ですね。そういうことも、必要になるかもですね……」

 さいとうさんの返事は、ひどく気が重そうだ。

「まあ、めちゃくちゃ燃えそうですけど……」

「……ですよね」

 うん……間違いなくネットで炎上するだろう。

 エグい勢いで燃えまくるのは、確実だ。

 しばらくSNSとかはその話題で持ちきりだろうし、『技術室ちゃん事件』なんて比じゃないレベルで騒がれるだろう。下手したら、一生後ろ指をさされるかもしれない。

 そんな未来を想像して、背筋に冷たいものが走って、

「……とすると、わたしは入れ替わりやめるの、反対かな」

 ため息交じりにそう結論した。

「良くしてもらった恩もありますし、迷惑はかけたくないです……」

 燃えてしまうくらいなら、無理をしてでも『紫苑の代役』を貫きたい。

 そもそも、紫苑には『起業』っていう夢があるわけで。そのためにわざわざ『入れ替わり』を始めたんだ。それをあっさり諦めるわけにはいかない。

 わたしが手に入れたものは、ほとんどおんがくれものだ。

 そんな恩人の気持ちを、夢を、わたしは大切にしたい。

「……紫苑は、どう思う?」

 運転席から、さいとうさんが紫苑に尋ねた。

「紫苑は、入れ替わりを続けるのとやめるの、どっちがいと思う?」

「んー」

 短く上がる、うなり声。

 どうなんだろう……この子的には、どう思うんだろう。

 全然予想がつかないまま、彼女の方に目をやると──、


「やめちゃっていいんじゃーん?」


 ──軽やかな声だった。

 クラスの友達と雑談するみたいな、リラックスした口調だった。

「別々になるの、ありでしょ。楽しそうだし」

「……いやいやいや。話聞いてた?」

 思わず笑ってしまいながら、突っ込みを入れる。

「そんな簡単じゃないんだってー。こっそりやめるにしても、色々あるし……」

「じゃあ、全部明かせばいいよ。まあ覚悟決めてさー」

「だから! そういうノリで言えるやつじゃないって! 大事件になるって!」

「そう?」

「当たり前でしょ! ネット中大騒ぎだよ!」

「それも楽しそうじゃね?」

「もー!」

 こっちを見るその笑顔の華やかさ。

 こんなときにも、余裕たっぷりの態度。

 なんだか、張り詰めていた気持ちがちょっと緩んだ気がする。

 どうしても視野が狭くなりがちなわたしだから。四角四面に考えちゃうから、この子のこういうオープンさには相変わらず救われる。

「まあ、わたしはわたしでさー」

 ただ、そんな風に紫苑が続けた言葉。

 その声のトーンが、少し落ちた気がした。

「負い目を感じてるところも、なくはないってわけ」

「……負い目?」

「うん。だからここで全部清算しちゃうのも、悪くはないのかもなーって思ってさ」

 全部、清算……。

 どういうことだろう。負い目って、何に対する?

 よくわからない、彼女が何を思っているのかは、いまいち読み取り切れないんだけど、

「ひとまず」

 さいとうさんがそう言って、わたしは意識を運転席に戻した。

「ここですぐ答えを出すのは無理でしょう。色んな条件が絡みますから、簡単には決められません。会社とも話さないと」

「……ですよね」

「それはそうねー」

「とはいえ、三ヶ月後のアフレコまでやまさんに待機いただくわけにもいかない。お芝居の練習も必要でしょうし、実は山田さんに新しくオファーしたい仕事もある。ので……」

 言うと、斎藤さんは深く息を吐き、

「ひとまず……現状維持で」

 どうにも煮え切らない口調で。

 苦しげな口ぶりで、わたしたちにそう言う。

「これまで通り、入れ替わりを続ける形でもう少し色々考えましょう。山田さんはおんとしてオーディションを受けて、通った作品に出演する。養成所でのレッスンも再開しましょうか。紫苑も紫苑で、これまで通り仕事を継続。つまり──二人で『紫苑』を運用する形で」

「……了解です」

「それが無難だねー」

 現状維持で、活動を元に戻していく。

 本当に何かを決めるのは、もう少し時間をかけて考えてから……。

 まあ確かに、それが得策だろう。今の勢いで何かを決めるのは危険だ。

 なら……せめて考えようと思う。

 どうするのが、わたしたちのためになるのか。

 応援してくれるみんなにとって、一番いのか。

 それがきっと、わたしに課せられた最低限の責任だと思う。

「ということで、真面目な話はここまで!」

 重い空気を振り払うように、斎藤さんが明るい声を上げる。

「色々あった一日ですし、あとは未来のわたしたちに任せましょう! それに、今日は報告もあるんですよ! 二人に、新しい仕事のオファーが来ています!」

「お、なになに? なんか受かったー?」

「わたしにもお仕事……なんだろう」

 おんと二人、前の席に身を乗り出す。

 久しぶりにいただく、声優としてのお仕事。

 もやっとした気分は消えないけれど、まずはそっちも大切にしたい。

「まずは紫苑。来年リリースの大作ソーシャルゲーム、『せいさいかい』の女性主人公役に受かりました!」

「やった! 絶対やりたかったやつ!」

「おおー!」

『精彩世界』──この作品の話は、覚えている。

 ちょうど、『おやすみユニバース』のオーディションに向けて練習している頃、紫苑が受けていた作品だ。

 韓国の会社『エヌアールブイ Incインク.』が制作中の、オープンワールドアクションゲーム。

 実力のある企業が社運を賭けて制作しているとのことで、業界の注目も集まっている。

 その女性主人公──あん

 そんな大役に、紫苑が合格した──。

「よかったね! めちゃくちゃ気合い入れてたもんね、あれ!」

「うん! あーうれしい! NRVの過去作、やりまくっておいてよかったー!」

 本気でうれしそうにしている紫苑。

 これまでもソシャゲには結構出ているけど、主役は確か初めてのはず。

 やっぱり、この子でもうれしいんだな。新しく大事な役をもらえると。

「近いうちに収録も始まるよ。ボリュームがすごいことになると思うから、気合い入れていこう!」

「わかった! よし、やるぞー!」

「続きまして、やまさん!」

「はい……!」

 名前を呼ばれて、反射的に背筋を伸ばした。

 わたしに頼みたい仕事……どんなお仕事だろう。

 紫苑と入れ替わりを始めて半年以上つけれど、まだまだこの業界知らないことだらけだ。だからどんな内容でも、精一杯がんばりたい。

「今回お願いしたいのは……」

 前置きすると、さいとうさんはふっと笑い、

「ラジオのお仕事です!」

「おお……ラジオ!」

「AMラジオ局『ラジオニホン』の、〇時からの番組ですね。週一で、三十分尺になるとのことです!」

「ええええええっ!?

 ラジオニホン!? わたしもよく聞いてたラジオ局じゃん!

 わたし、実は深夜ラジオのヘビーリスナーだ。

 芸人さんやミュージシャンがパーソナリティを務めるラジオを、眠い目をこすりながら毎週聞いてきた。しかも、中学生の頃からずっと!

 そんなわたしに……ラジオのお仕事!?

「うれしすぎます……超やりたいです!」

「よかった。じゃあこっちも、準備を進めていきましょう」

「はい! ……あれ、でも」

 と、わたしはふと疑問に思う。

「なんで、それをわたしに振ってくれるんですか?」

 わたしがオーディションを受けて合格した案件なら、わたしに振ってくれるだろう。

 けど多分、このラジオはそうじゃない。局側からオファーをいただいたお仕事だ。

 別に、おんでも問題ないはずなんだ。

 だとしたら、なんでわざわざわたしに……。

「それが……実は今回、共演者が指定されてまして」

「はあ、共演者……」

「二人組のパーソナリティで、お願いしたいと言われているんです」

 何かたくらむような声のさいとうさん。

 なるほど、二人のラジオなんだ……。

「誰、何でしょう? わたしが、お仕事ご一緒したことのある人ですか?」

「ううん。むしろ、これからご一緒する人で……」

 そこまで言うと、車が赤信号でまる。

 そして、斎藤さんはこちらを振り返ると。

「──らんかんばしゆうちゃんです」

 なんだか楽しそうな声色で、わたしにこう言ったのでした──。


「『おやすみユニバース』で共演する声優さんとの、ラジオのオファーなんです!」