◆露出過多少女の恋



 今日の放課後は、運良く彼が残っていた。

 彼は人気者だから、当然のことながら学校終わりの遊びに誘われることも多い。

 それなのにそれを断ってわざわざ誰もいない教室に残っているところから、脈ありって感じがする。

 これで脈がなかったら、マジで何?ってカンジ。

 都合のいい話相手だとかって思われてたらヤバいって。

 アタシのことなんだと思ってるんだろう? 天下のナナ様だぞ?

 ……ま、最悪な仮定に対してそんなに怒ってもしょうがないよね。

 ここは前向きに仮定していこう、どうせなら。

 脈はある。相手が特殊なアタシだから、どう踏み出せばいいかまだ分かってないだけ。

 きっとそう!

 面倒でホームルームに出てなかったアタシが荷物を取りに戻ってきたところで、物憂げに机の上で腕を組んでいる彼に遭遇した。

 その姿も様になっていると思ってしまうのは、アタシが彼にれ込んでしまっているからなんだろうか。

 いやいや……自分で惚れ込んでしまっているからとか考えちゃったけど、我ながら恥ずかしい。

 まだそこまでじゃないし。って否定するのもなんかあれだし。

 あーもう、ホントに思考をき乱されてるってカンジ!

 これが嫌じゃないのもなんだかなー!

「ん、お疲れ様」

 彼はいつもの第一声で、アタシに声をかけてきた。

 アタシは彼の前の席に彼の方を向いて座りながら、あえて「ホームルーム、お疲れ様」と返した。

「いや、ほんと、なんでホームルーム出ないし」

 彼はくすくすと笑いながらそう言う。

 その笑い方もかわいく見えてしまうのは重症なんだろうか。

 でも、こういう時にくすくす笑う彼は本当にかわいいのだ。

 百人いたら、百人がそう思うだろう。そうに違いない。

「だってメンドーじゃん。大したこと言わないのに、時間だけ取るしさ」

「それは言えてるかもしれんけど」

「でしょー? 出てる方がすごいよ。だからお疲れ様」

「ふは。あんま褒められてる気がしない辺り、さすがナナちゃんって感じする」

「なにそれ。それこそ褒められてる気しないんだけど!」

 名前を呼ばれたことに内心で喜んでいることを悟られないように、彼の肩をバシッと軽めにたたいた。

 こういう軽いスキンシップも大事だよね。何より、拒まれたことがない。

 その事実に口の端が不自然にり上がりそうになるのを、必死にこらえる。

 彼と話していると、いつもこうだ。

 そのせいで変な筋肉が鍛えられそうで、ちょっと困る。

「なんか考えてたっぽいけど、今日もなんか悩み事?」

「うーん、悩み事っていうかさ……」

 彼は顎に手を当てて、考える素振りを見せる。

 悩み事じゃないとしても、そんな風に考えてるってことは悩み事じゃないの、なんて茶々は入れない。

 普段のアタシだったらすぐにそんなことを言ってしまうだろうけど、今入れたら彼の本心に迫れなくなってしまう。そうなったら嫌だ。

 どうせなら、彼の本当に迫りたい。

 アタシはうそばっかりかもしれないけど、だからこそ人の本当に迫ることが好意の表れのように思えるからだ。

「ナナちゃんって、人と話す時ってなに考えてる?」

「え? うーん。相手のことじゃないの?」

「……ほんとに? 俺と話してる時、俺のこと考えてる?」

「考えてる考えてる」

 なんなら話してない時もキミのことを考えてますよ、とまで言う勇気はない。

 それはもう、ほとんど告白と一緒じゃない?

 どうせ告白するなら、もっといいタイミングを見計らいたい。

 一番いいのは、彼の方からロマンチックなタイミングで告白されることだけど……。

 ロマンチックな演出が彼に出来るかは置いておいて、告白とかは自分からするタイプなんだろうか?

 うーん……。

 あんまり想像が出来ないのは、まだ彼のことをあんまり知らないからなのかな?

 もっと知れば、あるいは……。

「ほんとかなー。なんかいっつも軽く流されてるから、別のこと考えてるものだと思ってた」

「そんなの心外なんだけどー」

 本当に心外だ。

 こっちはキミのことばかり考えてしまうっていうのに!

 でも、こっちの考えが伝わっていないことにあんしている自分もいる。

 あんまり考えてるって思われたくないっていうか、重いって思われたくないっていうか……、それはそれで相手のことなんてどうでもいいって思ってるみたいでやっぱり嫌かな?

 もうちょっと真剣になるべき?

 いや、これでも結構真剣なんだけど、あんまり深刻になり過ぎても変だろうし……。

 もう、ゲームみたいに好感度が見えたらいいのに。

 それで今好感度あんまりないって分かったらショックだろうな……。

 今と変わらず、見えないほうがいいのかもしれない。

 思考がぐるぐる回ってきたけど、今は彼の話をきちんと聞かないと。

「それで、キミも相手のこと考えてるの?」

「うーん……考え過ぎてるのかもしれないって、最近思いはじめたってわけ」

「考え過ぎてる?」

 相手のことを考えないっていうのはよく聞くけど、考え過ぎてるっていうのは一体どういうコト?

「そうそう。その上で俺はただ、自分が想像出来る中で相手が望んでいる返答をしているだけなんじゃないかって」

「望んでいる返答?」

「……自分が、無いんじゃないかって」

 すごく悲しそうに話すけど、アタシはそんな風には思わないからなんだかなって思っちゃう。

「そんなことないよ、うん」

 そうだとしたら、アタシに対して今すぐ告白してなきゃおかしい。

「……すぐに答えられるくらい、ナナちゃんはそう思うんだ」

「うん」

「どうして?」

「どうしてって……」

 彼は驚いた表情で、アタシの方を見てくる。

 自分がないってことを否定されたのが、よっぽど意外だったのかな?

 自分がないワケないのに。

「いや、アタシの望んでいる言葉も分かってない人が言っていいセリフじゃないでしょ、それ」

「何それ? ナナちゃんの望んでる言葉? かわいいよとか?」

「そ、れは当たり前だから今更ってカンジ」

「だよね。言うと思った」

 動揺して変なところで区切ってしまった。

 表情を変えないようにして、全然動揺なんてしてないですよアピールを試みる。

 出来てる? 出来てるか彼以外の何かに判定してほしい。うあー!

「それ以外の褒め言葉……? いや、褒め言葉じゃない可能性もあるのか」

 いや、褒められるのはそれはそれでうれしいけど感情がこもってなきゃ嬉しくないっていうかなんていうか。

 さっきのは感情が入ってた?

 一瞬だったから、よく覚えてない。

 なんでちゃんと記憶しないかなアタシは! もう!

「じゃあ確かに、俺は望んでいる返答をしているだけってワケじゃなかったね。ちゃんと俺があるって分かって、安心したよ」

 良かったーとこぼす彼は、本当に安心しているようだった。

 アタシの言葉でそこまで安心してくれるってことは、それだけ信頼してくれてるってことなんだろう。

 率直に言って嬉しい。

「ねえねえ」

「うん?」

「ナナちゃんをしている人は多いけど、実際話してみるといい子だよね? それとも俺の前だけ?」

「確かに。いい子なのは、キミの前だけかも」

「アハハ。だとしたら、ちょっと面白いかも」

「いや、なんで面白いの?」

 そこでそんな風にクスクスと笑われるのは心外だ。

「いやだって、こんな暗いこと言ってばっかりの俺なのにいい子でいてくれるなんて、まるで俺のこと好きみたいじゃん?」

「そんなワケないじゃん」

 とつに否定してしまった。しかも、結構きつめの口調で。

 否定しないほうが良かったかもしれないと、すぐに頭の隅が考える。

 私の内側なんて知らない彼は気にすることなく、だよねと同調した。

「ナナちゃんが俺みたいな普通の、ちょっと病んでるかもしれない男なんて相手にするわけないよね」

「普通なのは否定しないけど、そう簡単に病んでるなんて言わないほうがいいよ」

「それもそっかーごめん」

 なんて叱ってみたりするけど、頭の中はどうして否定してしまったんだろうってことばかりになってしまってもうダメだった。

 好きって、冗談めかして言うとか。他にも言葉はたくさんあったのに。

 まるで小学生みたいな反応をしてしまった自分が恥ずかしい。

 それ以降にしやべった内容も覚えてないし、なんならいつの間にか家に帰っていた。

 帰り際の彼に手を振ったかすら思い出せない。

 いつも手を振ってるのに振らなかったら変だし、なんか変に考え込むって姿も見せたくないし!?

 でも本当にどうだったか思い出せなくて、髪を洗うついでに頭をかきむしってしまう。

「あーもう!」

 浴室だから変に反響して聞こえるのも、今は何となく嫌だった。

「反響するな!」なんて無理なことを言っても、反響するのは止められない。

 そもそも何で浴室の壁って反響するんだろう?

 お姉ちゃんが気持ちよく歌うため?

 そんなワケないよね……!?

 イライラしっぱなしだったお風呂からあがって、ベッドに寝転がって考える。

「否定しないほうが、良かったかも……」

 アタシらしくないと思いつつも、そう考えるのを止められなかった。

 それに、段々否定することをまるで当然と思った彼にもイラだってきた。

 ちょっとは動揺してくれたっていいのに。普通とか、ちょっと病んでるとかなに? 本当の闇を見せてやろうかッ!

 ……いやでも、最終的には自分がなんで即座に否定しちゃったんだろうってことになるんだよね。

 好きな人にちょっかいかけてるのに、いざそれを指摘されるとムキになって否定する小学生みたいだ。

 ていうかまさにそれで、本当に恥ずかしい。

 高校生にもなってそんなことを自分がするなんて……。

「もう! なんでこうなのかな!」

 愚痴を書こうと思って、裏アカを開いた。

 ここ最近は恋愛系インフルエンサーのつぶやきを見ているのもあって、アカウント自体を開いてはいる。

 だから、話しかけてきた人とちょっと話してもいる。

 その返信もしなきゃとメッセージボックスを開くと、割と親しく会話をしていた子から会ってみないかという誘いが来ていた。

 悩みの内容からして女の子だと思っていたんだけど、どうやら男だったらしい。

 このカンジで出会おうなんて言ってくるのは、男に違いない。

「結局は出会いちゆうかー。どこの馬の骨とも分からない人間と出会わないって、フツーは」

『出会い厨はお断りです』と一刀両断したい気持ちを抑えて、『そういうのお断りしてるんです』とやんわりしたメッセージを送ってアカウントを閉じた。久しぶりだな、この感覚。面倒なことには変わりないけど。

「あ」

 愚痴を書こうとしていたことに閉じてから気付いたけど、もう一度開くのが面倒でやめておいた。

 スマホを適当に枕のところに置いて、寝返りを打つ。

「……なんだかなってカンジ」

 もう少しく立ち回れるはずなのにって思いが、頭を埋め尽くす。

 こんなのアタシじゃない。

 アタシはもう少し、上手くやっていける。

 それなのに、彼に恋してからずっとこんな調子だ。

 恋なんてもうしないほうがいいのかもしれないと、頭の中にいる冷静な自分は何度も思う。

 それでも好きっていう気持ちを抑えることは出来なくて、かなわないかもしれない恐怖におびえながら相手のことを思うしか出来ない。

 ……こんな風にうだうだと悩んで詩的なことを言っているのも、自分に酔っているカンジがして嫌だ。

 けど、こんなこと誰にも言えないから、自分で考えて納得するくらいはしたい。

 納得出来てるかどうかっていうと、話は別だけどね……。

 ハア……ため息しか出ない。


 ○


「あのさ、ナナちゃん。ちょっといい?」

 その次の日の放課後は、彼はいなかった。

 代わりにというように、アタシに好意を向けているらしい男子がいた。

 向けているらしいというのは、どうして向けられているか全く分からなくて疑っているからだ。

 それもそのはず。下心があるようにも見えない男の子ってカンジの同級生なのだ。

 どうやらアタシが定期入れを拾ったとかで恩を感じて以来、付きまとう……とまではいかないけど、後をついてくるようになった。

 アタシがそんなに教室にいないから、後をついて来られてない時も多いけど。

 ……そろそろに出なきゃ、単位ヤバいんだっけ?

 ヤダなー。

 体育とか出来る限り出たくないんだけど。

「ちょっとって何?」

「いや、話でもと思って」

「面白い話なら聞くけど」

 彼は一瞬だけまばたきをしてから、ちょっと困ったような顔をした。

「落語でいいなら……」

「は? 落語?」

「あー、えっと。ナナちゃんみたいなイマドキの子は興味ないよね。ごめん……」

「ちょっと興味ある」

「え?」

「やれるんならやって見せてよ」

 帰ろうとしていたアタシは、自分の席に戻って座り直した。

 本当にちょっと興味あるのも事実だったけど、試してみたいという気持ちがあった。

 アタシのコトが好きなら、そのくらいやって見せられるよね?的な。

 若干悪いこととは思いつつも待っていると、彼は素直に準備をしはじめた。

 ご丁寧に扇子まであるし。

 こんなの持ってきてるんだ、なんか意外。

 ちょっと高そうだし、もしかして本格的なカンジなんだろうか?

「この学校って、落研……みたいなのってあったっけ?」

 あんまり部活動に詳しくないけど、毎年の紹介で見たことがない。あったら印象に残るだろうし、覚えているはずだ。

「ううん、ないよ。独学だからつたないとは思うけど、面白かったら幸いかな」

 そう言いながら、彼は扇子をぱちりと開いた。

 アタシはその手元を見つめる。爪の先までれいに整っていた。

「それでは、話をさせてもらいます」

 そう断ってから彼がしやべりはじめると同時に、空気が変わった気がした。

 いつもの声とは違う。低く響く声音に、どこか哀愁を感じる。

 抑揚のある語り口は、聞いていてここよかった。

 アタシは、いつの間にか彼の世界に引きずり込まれていた。

 気付けば、最後のオチまで聞き入っていたのだ。

「どうだった?」

「すごいじゃん。超良かったよ!」

 本当に、予想外に良かった。

 ちょっと見直しちゃったくらいだ。こんな特技を持ってたなんて知らなかった。

「ほんと!?

「うん。落語って初めて聞いたけど、なんか好きかも」

 それは本心からの言葉だった。よく分からない単語や人も出てきたりしたけど、それでも面白いってことは分かった。それはきっと、すごいことなんだろう。

うれしいなぁ……。俺さ、小さい頃からずっと落語が好きなんだ」

「そうなんだ。すごいね」

「ナナちゃんに褒められて、本当に嬉しい」

 危うく今以上に相手に興味を持ってしまいそうになるが、頭の中に例の彼のクスクスとした笑い顔を思い浮かべてやり過ごした。

 危ない危ない。

 でもこんなことでほだされそうになるアタシって、本当に単純なのかもしれない。

 冷静だと思ってたんだけど、ちょっと自信なくなってきた。

「きょ、今日はもう帰るから」

「うん、また明日ね」

 目の前にいる彼の笑顔からは、やっぱりそこまで魅力を感じられなかった。

 彼と恋人のような関係になることは、きっとないだろう。

 落語は良かったけど。それとこれとは話が別だ。

 明日こそは意中の彼と話せる放課後だといいなと思いながら、学校を後にした。


 ○


 いつものように放課後、私の方が好意を向けている彼を待っていた。

「今日の彼、どうしたんだろ……」

 今日は珍しく、向こうのほうがホームルームに出ていなかった。

 不思議なこともあるものだと思いながらスマホをいじりつつ待っていると、人影が二つ見えた。

 ……二つ?

 誰か忘れ物でも取りに戻って来ているんだろうかと思った矢先に、女の声がした。

「レンヤくん! 一緒に帰ってくれる?」

「もちろーん」

 レンヤくん。

 それは、アタシが好意を向けている彼の名前だ。

 アタシですらめつに呼ばないのに、そんなれしく名前を呼びやがって。

 そんな風にじゆが頭をよぎっていたら、そのレンヤくんと女が手をつないで教室にやってきた。

 アタシは叫んでしまいそうになるのを、必死に脚をつねりながら我慢する。

 なんでこんな我慢の仕方をしなきゃならないんだろうと痛みやら何やらにむせび泣きそうになりながらも、そのレンヤくんに話しかける。

「え、キミって彼女いたの」

 あくまでも冷静に、純粋に驚いているだけというていを繕ってみせる。

「つい最近、向こうから告白されてさ。それで、付き合うことになったんだ。それで、その……」

「イチャつくの我慢出来なくて、ホームルームサボっちゃったの!」

 女が、キャッとムカつく感じにキャピキャピしながら答える。

 お前には聞いてないんだけど……。

 イライラが止まらない。

「へぇ~そうなんだ」

 結局、無難な言葉を返してしまった。

 アタシらしくないと思うけど、彼の前ではいい子のままでありたがっている自分がいた。

 そんなことをしても、意味なんてないのにね?

 二人が荷物をまとめるのを、思わずじっと見つめてしまう。

「そんなに彼女いるの意外?」

 彼は何を勘違いしているのか。そんなことを言ってくる。

 そういうことじゃないんだけどと今すぐここでいやをぶちまけてやりたい気持ちをどうにか抑え込んで、アタシはうなずいた。

「うん。ちょうどいいってカンジの彼女だから意外で」

 それでもちょっとくらいはいいだろうと嫌味っぽく返してみた。

 けれど二人はそんな嫌味なんて気にせずに「ちょうどいいんだって」「お似合いってことだよね」とわいわい話している。

 恋愛始めたて人間のポジティブ無敵モードだと分かって、アタシは笑顔が引きつるのが分かった。

 今すぐ帰ってほしい。

「じゃあ、また明日学校で」

 その願いは、すぐにかなえられた。

 いや、二人とも帰ろうとしていたから、当然といえば当然なんだけど……。

「うん。じゃあねー」

 アタシは自分が出来る精一杯の作り笑いで見送った。

 いつもなら見えなくなるまで手を振ってくれる彼が、すぐに彼女の方を向いてしまったのを見て、ああ、本当に彼女なんだと改めて実感してしまう。

「……このタイミングで彼女作るか、フツー?」

 アタシは大きな声を出したい欲求を抑えながら、そうつぶやいた。

 思わず乱暴な口調にもなってしまうだろう。

 だって、彼女がいたにしてはアタシに対して脈があるって思わせ過ぎだと思う。

 あの、ちょっとだけ見せてくれた闇はなんだったんだろう? たまたまそばにいたから、話してくれただけ?

 いやいや、そんなことある?

 期待させるのがいなあ(怒)。

 アタシは思わず、怒りで震えてしまう。

 けれど、なんかもうどうでもいいって気持ちもあった。

 ホームルームサボって彼女とイチャつくような人間だったというのがなんか、そんな程度の人間だったんだなと思わせてくる。

 もう少しで、でもちゃんと好きって表現してくれるような人だと思ってたのに。

 結局目の前の彼女に飛びついてしまうような、ただの高校生だったんだ。

「……上手くいかないなぁ」

 アタシのつぶやきは、誰に聞かれることもなく消えていった。


 ○


「ナナちゃん、良ければまた落語を聞いてもらってもいい?」

「いいけど……また?」

「新作を覚えてきたんだ。今度のも、面白いと思う」

「ふーん……」

 アタシに好意を向けている彼は、アタシが意中の彼に振られたのを知っているのか、いないのか。

 あの日からやけに落語を聞いてほしいと言ってくるようになっていた。

 正直最初ほどの目新しさがなくなって、面白さはあんまりなくなってきていた。

 それでも必死にアタシのために覚えてきている姿には、自尊心が満たされる。

 だから聞ける時は、なんとなくでも聞いていた。

 今日もまた彼なりに面白いと思ったらしい落語を覚えてきて、それらしく話してくれている。

 ……うん、正直あんまり面白いと思わなくなってきている。素直にそう伝えて、あんまり関わらないでほしいって伝えたほうがいいんだろうか?

 自尊心が満たされるってだけで、好きでいてもらい続けるのも正直迷惑といえば迷惑だし……。

「あんまり分からなかった。アタシ、落語もう聞かないほうがいいかもしれない」

「そうなんだ。じゃあまた違う、分かりやすくて面白い話を探してくるね」

「そういうことじゃなくって」

 アタシのイラだった口調に、彼はびくりと肩を震わせた。

 それでも彼は、必死に笑顔になって言葉をつなぐ。

「た、たまたま分からなかっただけだよね? ナナちゃんは、定期を拾ってくれて、それを誇示しないくらい優しい人だから……」

「そんな理想を押し付けないでよ!」

 彼はアタシの言葉に、さらにびくりと肩を震わせた。

 さっきよりも大きな震えは、彼の心を折るのに充分だったんだろう。

 顔には明らかにおびえの色が浮かんでいる。

 まさかアタシがキレるなんて、思いもしていなかったのかもしれない。

 でも、アタシはキレる。

 気分が良くないから。

 大してかわいくもない女に負けて、気が立ってるから!

「ご、ごめん……迷惑だったよね」

「うん、迷惑。落語も面白くないし、もう関わらないで」

「……分かった。ごめんね」

 彼は泣きそうになりながらもうなずいて、その場から去っていった。

 今のは、アタシが悪かったかもしれない。

 でも、それどころじゃないのにアタシに理想を押し付けられても困るだけだ。

 アタシはただ歩くのに邪魔だったから定期を拾っただけで、そこに優しさなんてものを過剰に感じないでほしい。

 アタシに人並みの優しさがあるとは自分でもあんまり思っていないのに、ものすごく優しいみたいに接せられても困るだけだ。

 ため息が出る。

 もう、現実の男に夢見ないほうがいいのかな。

 顔が見える相手は期待させるだけさせておいてそれっきりだし、理想を押し付けてきたりもするし。顔の見えない相手は、出会いちゆうしてくるし……。

 みんな、アタシの良さに本心から気付かないバカばっかりだ。どうしてこんなにアタシは素敵なのに、ロクでもない人間ばかり引き寄せてしまうんだろう。


 最悪だ。

 男なんて、もうこりごり!


 ○


「はぁ……」

 大きなため息が、控え室に響き渡った。

 それが私から発されたものだと気付くのに、わずかに時間がかかってしまった。

「どうしたの? ため息なんてついて」

 アタシが気を抜いて出してしまったため息に、先輩であるカオリさんが反応する。

 それもそのはずで、この部屋にはアタシとカオリさんしかいないのであった。

 こ、このままだとまるでカオリさんといることにため息をついてしまったみたいじゃない……!?

 それはいくらなんでも困る!

「い、いえあの、最近人を好きになったり好きになられたりしたんですけど……」

 アタシは慌てて、口から言葉を出してそうじゃないですよということを伝えようとする。

 でも、言わなくていいことを言ってしまっているような気がして顔が赤くなる。

 カオリさんとはあんまり話したことがないから、距離感がつかめない……。

 そんな相手にいきなりこんなことを言われたら、引かれるんじゃないか?

 っていうか引かれた。絶対引かれた。

 マジ終わりじゃん……。

 短い間にたくさんの後悔をしながら、カオリさんの方を見る。

 すると彼女は、真剣な表情で口を開いた。

「そうなんだ。若いね」

 いや、カオリさんも大して変わらないじゃないですか!と言おうとして、やめた。

 カオリさんは、確かに年はあまり変わらないと聞く。

 けれど、雰囲気はもう成人しているかのように大人おとなびている。

 それに、そんな風にちやすような場面でもないように思えた。

 ルル辺りが言ってきてたら、間違いなくそっちの方が若いじゃん!と言っていたんだろうけど……。

 いや、今はそれどころじゃないんだってば。

「それで、それがどうしてため息になったの?」

 カオリさんは、あくまで真剣に続きを促してくれる。

 それが雰囲気だけじゃなくて、本当に大人なんだと思わされる。

「それで……恋って結局は男にうんざりするだけなのかもしれない……って最近思いはじめて」

 恋なんてしないほうが、楽に生きていけるのかもしれない。

 追うのは楽しいけど疲れるし、追われることは気持ちいいけれど意図してないと気持ち悪い。

「そうなんだ」

 カオリさんは、アタシの言葉にうなずいた。

 それから、ニィッと笑った。

 めつに見ることのない、何かをたくらんだような顔にドキッとさせられる。

 こんな表情も、出来るんだ。すごい……。

 かわいさだけではこの世界で通用しないってことを、思い知らされる。

 なんでこんな時に?ってカンジではあるケド。

「じゃあさ、推しを作らない?」

「え、っと……?」

「推しだよ。推し!」

「推し、ですか……?」

 最近よく耳にする言葉ではある。

 雑貨屋さんとかでも、推し活グッズというのをよく目にするようになったし。

 けれどカオリさんの口からそんな言葉が出てくるとは思わず、アタシはたじろいでしまう。

「ちょっと、私がオススメする場所に行ってみない?」

「ど、どこですか?」

「行ってみるまで内緒」

「内緒、ですか……」

「どうする、行ってみる?」

 アタシは一瞬だけ悩んだ後、差し出されたカオリさんの手をとった。

 柔らかくていかにも女性らしい手が、今はすごく頼もしく思えた。

「お、お願いします……」

「分かった。それじゃあ、終わってからまた連絡するね」

「はい! 頑張ってくださいね!」

「ナナちゃんも頑張ってね!」

 それからカオリさんは、別の撮影に行ってしまった。

 ほどなくしてアタシの撮影も始まる時間になったので、スタジオに向かう。

 今日はまだ、ハートマークは浮かんでいない。

 このまま浮かばないことを祈りながら、頑張ろうと気合いを入れるためにほおを軽くたたいた。

 ……なんだか流れでそんなことしちゃったけど、らしくなかったかな?

 らしくないことをしたんだから、今日中は浮かばなきゃいいのにと思ってしまった。


 ○


 無事、瞳にハートマークが浮かび上がらないまま、撮影が終わった。

 やっぱり撮影前に、らしくないことをしたからなんだろうか?

 本当のところがどうなのか分からないけど……そうだったんだと思うことにする。

 衣装から着替えてスマホを見ると、すでにカオリさんからの連絡が入っていた。

『入り口で待ってる!』

 メッセージを頼りに入り口に向かうと、どことなくさっき見た時よりも気合いの入ったカオリさんが待っていた。

「お疲れ様です」

「お疲れ様! それじゃ、行こうか」

「はい!」

 気のせいかもしれないけど、撮影前よりメイクが整っているように見える。撮影前も充分だったけど、より念を入れているっていうか……。

 え、そんなことある?

 いや、場所によってはあるのかな……どうなんだろ。

「これから向かうところって、そんな気合いを入れてなきゃいけないところなんですか……?」

 アタシは不安になって、素直にそんな疑問をこぼした。

「あ、気合い入ってるように見えた? ちょっと恥ずかしいな」

 カオリさんは、本当に恥ずかしそうに白い頬を赤く染めている。素直に可愛かわいらしい仕草も可愛いんだから、本当にすごい。

「でも、推し活をするんだから気合いも入っちゃうんだよ!」

 彼女は手を握り拳にしてそう話してくれた。

 そんな、推し活って戦ったりするものなんだろうか……?

 モデルであるカオリさんがそんなことするわけないと頭の中では分かっているつもりだけど、具体的なイメージが出来なくてどうしたものかと思ってしまう。

「そういうものなんですか?」

「そうそう。なんたって推しに会えるんだからね。気合いも入っちゃうよ」

「推しって、好きな人とは違うんですか?」

 アタシの言葉に、カオリさんは一瞬だけ足を止めた。

 またすぐに歩きはじめたけど、もしかしてよくない質問だったのかな……?

「いい質問だね」

 カオリさんは、そう言って笑った。

 聞いてもいい質問だったらしい。

 心の中で、あんの息を吐き出す。

「好きな人は、自分一人で独占したいって思うでしょ?」

「確かに、そうかもしれませんね」

「でも推しっていうのは、他の人にも好かれていて人気があってほしいって思うような人のことなんだよ」

「なるほど……アイドルに向ける感情、とかで合ってますか?」

「うん。……って言っても、これはアタシの意見だからあんまり気にしなくていいよ。自分なりの推しへの解釈をすればいいんだし」

 自分なりの推しへの解釈ってどういう意味なんだろう……と思いつつ、なんとなく納得したからうんうんと首を縦に振る。

「カオリさんの推しって、どんな人なんですか?」

 ふと気になって聞いてみる。

 カオリさん自体が、素敵な人だ。

 その人が好きな……推している人は、一体どれほどの人なんだろうか。

「うーん。ものすごく輝いている人、かな?」

「輝いている人、ですか」

「うん。いつでも素敵であろうって、努力してる人。憧れちゃう」

「そうなんですね……」

 会ってみるのが、ちょっと楽しみだ。

 いや、アタシも会えるんだろうか?

 どういう状況になるのか、よく分からない。

 でも、楽しみなことには変わりがなかった。

 しばらく歩いていると、オシャレなカフェが立ち並ぶ辺りについた。そこにある一軒の前で、カオリさんは足を止める。

「ついたよ。ここが推し活をする場所」

「そうなんですか……?」

 よく目を凝らして見てみても、普通のカフェと変わらないような気がする。普通のカフェなんだろうか? それとも……?

「いい? 入るよ?」

 最後みたいな確認をされて、アタシの心臓はドキドキと高鳴っている。

 なにがあるか分からない。怖いけど、気になるアタシは縦に首を振った。

 開かれる扉。

 明るくなる視界。

 目に映るのは。黒い服を着た人たち。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 現実的じゃない言葉をかけられてギョッとする。

 お嬢様……こんな光景を、エリムはいつも見ているんだろうか……?

 ふと、奇妙な縁で今もつながっているお嬢様のことを思い浮かべる。

 けれども彼女の境遇を考えると、案外そんなことはないのかもしれないと思った。実際、家に行った時もそんなに大勢のメイドがいたわけじゃなかったし。

 こういうのって、そもそもが分かりやすいフィクションなのかもだし。

「どう? すごいでしょ!」

「す、すごいですね。かなり驚きました」

「ふふー。連れて来る子がそういう反応をするのを見るのが最近の楽しみでもあるんだー」

 アタシ以外にも連れて来てるんだ。

 よっぽど好きなのかな?

 そう思ってしまうくらい、カオリさんは楽しそうだった。

 大人おとなっぽい顔が、子どもみたいにはしゃいだ表情になっている。

 その表情の変化が、すごく可愛かわいらしい。

 こういう瞬間を撮るのも、それはそれでいいんじゃないかと思ってしまったくらいだ。

 まぁ、プライベートだから出来る表情なのかもしれないけど……。

「カオリお嬢様、おかえりなさい。こちらはご友人?」

 そう思っていたら、店員さんらしい人が話しかけてきた。

 ……店員さんって呼ぶべきなのか、その見た目から執事と呼ぶべきなのかよく分からない。

 その瞬間、カオリさんの目がキラキラに輝いた。

「ただいま! そう。モデル仲間のナナちゃんって言うの。よくしてあげてくれるとうれしいな」

「かしこまりました。おかえりなさいませ、ナナお嬢様。私の名前は、ミレイと申します。どうぞお見知り置きを」

「あ、どうも……」

 そう言ってアタシに会釈をした執事さんは、確かに外見からキラキラと輝いているように見えた。長い髪を後ろでくくっているのも、執事服をビシッと着こなしているのも。

 何より、笑顔がキラキラしている。一目で輝いていると分かるくらいだ。

 きっと、中身もそうだからこそカオリさんはあんな風に言ったんだろうけど。

 そんなことを考えているうちに彼から促されて、三人がけのテーブルについた。

 彼も当然のように一緒に座り、アタシたちにどのメニューにするか問いかけてくる。

「アタシはいつものセットで! ナナちゃんは?」

「あ、じゃあ……アイスティーで」

 食欲のないアタシは、そう言った。

 すると彼が立ち上がり、近くにあった大きめのケースを手に取った。中には小さな箱が隙間なく並べてあり、よく見るとそれは茶葉の箱なんだということが分かる。

「当店は紅茶に力を入れていてね。種類がいくらかあるんだけど、どれにする?」

 いくらかというには多い数に尻込みしてしまい、悩む時間を作ることもためらわれたので「お任せで」と言った。

 それでも彼は、にっこりと笑って了承する。

 きっと、似たようなお客さんもいっぱいいるからなんだろう……。

「それじゃあ、少し待っていてね」

 そう言うと彼は、奥のちゆうぼうらしきところに行ってしまった。

 カオリさんと二人きりになったアタシは、確認したいことを小声でカオリさんに問いかける。

「もしかしてここ……男装してますか?」

「うん、そうだよ。男装執事喫茶。素敵でしょう?」

 カオリさんは、なんでもないようにそう言った。

「何も知らされずに来ましたから……ちょっと驚いています」

「でも、悪くないでしょ?」

「そう……かもしれませんね」

 正直、よく分からなかった。

 いわゆるコンカフェには、来たことがなかったからだ。

 勤めてそう、と言われたことは、裏アカも含めて何回かあるけど……。

 来たことがないのに、初回で男装執事喫茶なんていう特徴の強い場所に連れて来られたら混乱するだろう。

 でも、カオリさん相手にそうは言いたくなかったし思いたくもなかった。

 実際彼女みたいな人から落ち込んでて元気になってもらいたいなんて意図で連れて来られたんだから、むしろ光栄だと思うべきだろう。

 でも混乱はしていた。

 だから、素直に良いとは言えなかった。

 下を向いているとあんまりよく思っていないのが必要以上に伝わると思ったので、興味を持っているかのように辺りをきょろきょろと見回してみる。

 内装自体もそんなに特別変わっているわけではなく、ちょっと高級感のあるカフェってカンジだ。

 店員さんがちょっと変わっている点を除けば、一般的なカフェと変わらないだろう。食事メニューも、そんなに高額ってワケじゃなかったし……。

「そういえば、いつものセットってなんですか?」

 ついでに気になったので聞いてみる。

「ん? オムライスと野菜スムージーのセットだよ」

「へぇ、そんなスムージーまであるんですか」

 とにかく女性向けなんだということが伝わってくる。

「ミレイさんが言っていた通り紅茶に力を入れているのはもちろん、料理も本格的でしいんだ。今度来ることがあれば、頼んでみてほしいな」

「はい。機会があれば、ぜひ」

 もう一度来ることは果たしてあるんだろうかと思いつつ、軽く話を聞いているうちにミレイさんがドリンクを運んで戻ってきた。

「こちら、ストロベリーの紅茶になります。甘くしているので、疲れに効きますよ」

 そう言いながらミレイさんは、アタシの前にティーカップを置く。

「……ありがとうございます」

 その気遣いがうれしくて、思わず笑ってしまった。

 それに、ティーカップがかわいくて、目を奪われてしまった。

 装飾も凝っていて、すごく素敵だ。

「そして、カオリお嬢様の好きな野菜スムージーです」

「ありがとうー」

 カオリさんはそう言って受け取ると、ストローをさして飲みはじめた。

「ふぅ……やっぱりこの味が落ち着くなぁ」

 そうつぶやいて、目を細めていた。

 アタシもそれにならって、紅茶を一口飲む。

 甘い香りが、こうを抜けていく。本当に甘くなっていて、疲れに効きそうだった。

 けれどそんな気遣いをさせてしまうくらい、疲れているように見えたんだろうか。

「そんなに疲れているように見えました?」

「カオリお嬢様が連れてくるご友人は、疲れていることが多いんだよ」

「そうなんですか……」

「きっと彼女なりの優しさでここに連れて来ているんだろうと思うから、私もそれに応えたいと思ってね」

 ミレイさんはそう言うと、微笑ほほえんだ。

「優しいんですね、カオリさんって」

「うん。私は、彼女のそういうところが大好きなんだ」

 ミレイさんは、まるで自分のことのように誇らしげに言った。

 どちらも相手のことを素敵だと考えている関係に、アタシは尊敬の念を抱いた。

 さっきまで来なきゃ良かったとちょっとだけど思っていた自分を悔やむ。

 当の本人であるカオリさんは、気恥ずかしげにスムージーを飲んでいる。

 その仕草もかわいくて、本当にこの人はすごいなぁと思うばかりだった。

「さ、そろそろオムライスも出来ているだろうから取ってくるよ」

 そう言ってミレイさんは、ちゆうぼうからオムライスを持って来た。

 運ばれて来たオムライスは本当にしくて、今度があってもいいかもしれないと思いはじめていた。

 そして帰り際。

「また来てくださいね、ナナお嬢様」

 ミレイさんに、にっこりと微笑まれてしまった。

「あは、機会があればぜひ……」

 また来てほしいという圧を感じるその笑顔に、アタシはただ苦笑するしかなかった。


 ○


 なんだかよく分からないけど、なんにもくいかない。

 そう思った途端、まるで坂道を転がり落ちるようになんにも上手くいかなくなってしまった。

 学校、モデル業だけならまだしも、家でもお姉ちゃんとケンカしちゃって最悪だと思った次の日。

「……ホント、ヤになる」

 目覚めた瞬間から、ハートマークが瞳に浮かんでいるという確信があった。

 鏡で確認してみると、本当にある。

 変なところでだけ、直感が働くんだから……。

 そのことを裏アカで愚痴ろうと思ったら、通知がたくさん来ていた。

 最近は投稿も少なくしているはずなのになんだろうと驚いていると、なんの冗談かアタシのアカウントが軽く炎上していた。

 この前、出会いちゆうをしてきた人間が燃やしているらしい。

 攻撃的なコメントや思いっきり性的なコメントを朝から見るとは思わず、頭がクラクラしてしまう。

「そんなことで燃やすか、フツー……?

 それで全部が嫌になったアタシは、全てから逃避するつもりで二度寝した。

 それ自体は気持ちよかったけど、目覚めてから後悔した。

 学校になんの連絡も入れてない。

 それにきっと後から、お母さんにあきれられるだろう。

 何で最悪を増やしちゃうのかな、アタシ。

 そんな自分に呆れて、でもどうにもならないからもう一度寝ようと思った。

 けれど、ふと思い直した。

 そしてしっかりメイクを決めたアタシは、とあるカフェに向かった。

 非現実的で、不思議なカフェ。

「ホントに、一人で来ちゃった……」

 改めて、外観は普通のカフェにしか見えない。

 けれど中に入ったら、非現実が広がっているんだろう。

 どうして来てしまったのか分からないまま、扉の前でちゆうちよしてしまう。

 この前はカオリさんが一緒にいたから勝手が分からなくてもなんとかなった。

 けど今は違う。

 それに、この前は本当に今度があるなんて思ってもいなかった。

 それなのにどうして、ここに立っているんだろう。

「どうしたの? お嬢様」

 すると、中から見えていたんだろうか。向こうから扉を開けて、声をかけてくれた。

 それはこの前も担当してくれた執事の人だった。名前はたしか……ミレイとか、そういうのだったような気がする。

「一人だと、入っていいのか分からなくて」

 アタシはうそでもないそんなことを言った。

 ミレイさんが微笑ほほえむ。

「もちろん大歓迎だよ。おかえりなさいませ、お嬢様」

「た、ただいま」

 なんて返すのが正解か分からなかったけど、今は非日常の空気にまれたくてそう返した。

「随分とお疲れのようだから……注文は、この前と同じ紅茶でいいかな?」

「あ、え、覚えてるんですか?」

 ここは紅茶に力を入れているから、種類が豊富だと彼自らが言っていた。

 それに以前一度来たきりのアタシの注文を、覚えているだなんて……。

「当然だよ。お嬢様の執事だからね」

 そう言ってミレイさんは、カッコ良さげにウインクをした。

 ……その仕草に、胸が高鳴るのはどうしてだろう。

 いや、きっと気のせいだ。

 気のせいに違いない。

 もしくは心がザワザワしているのを、ドキドキしたと勘違いしているだけだ。

 動揺する心中を悟られないように気をつけながら、案内された席に座った。

 平日だからか、人はまばらだった。

「もしかして、今日は求愛性症候群に悩んで戻って来られたのかな?」

「え、なんで……あ」

 お店の窓ガラスに映った自分の瞳には、ハートマークが浮かんでいる。

「その瞳に、ハートマークが浮かんでいるから」

「ああ……アハハ、情けないですよね」

「どうしてそう思うんだい?」

 彼は、心底不思議そうな声をあげた。

「そのハートマークの浮かんでいる瞳は、とても美しいよ」

 優しい声でそう言われて、思わずドキッとする。

 同時に恥ずかしくなってしまって、顔が熱くなった。

「……お嬢様は、嫌かもしれないけど」

 これは心からのお世辞、本心から出たうそだろう。

 そういうのをずっと、いろんな人相手に言い続けているんだろうと思うと心が痛んだ。

 ……心が痛んだ? どうして?

 頭では分かるけど心では分かりたくなくて、現実から目をらす。

「アタシの症候群って、誰かに認められたいって願望……この場合は欲望って表現のほうが正しいのかな? とにかく、そういうのから出てくるものなんですけどね」

 瞳のことを褒められて、気が動転したんだろうか。

 冷静なアタシはそんなことを話して何になるんだと言っているけれど、口は止まらなかった。

 ミレイさんはというと、ちゆうぼうの方へも行かずにアタシの話を目を見て聞いてくれる。

 こんなに目を見て話を聞いてくれる人ってめつにいないかもと、アタシはぼんやり思っていた。

「好きな人がいて、ものすごく打ち解けてるって思ったんですけど……アタシの勘違いだったみたいで。その人、別の女子と付き合いはじめたんですよ。しかもホームルームとかイチャつくためにサボる的なこともするし」

「うん」

「別の男子からはなんか勝手に好かれてたんですけど、そんなに聞きたくもない理想を押し付けられて……インターネットでは、出会いちゆうされたかと思ったら知らない間に炎上させられるし」

「そうなのかい」

「いやもうホント、男ってアホだなーって思って」

 そんなことを言いたいワケじゃないのに、口が止まらない。

 なんだか考えていることと言っていることがかいしているようで気持ち悪い。

 そんな風に思っていたら、なぜだか涙がつうっとほおを伝った。

 慌てて袖で拭き取ったけど、ミレイさんには見られていただろう。

「あ、あはは」

 恥ずかしくて、取り繕って笑ってしまう。

 乾いた笑いじゃ、余計に惨めになるばかりだって分かっているのに。

「そ、そんなこと考える私もバカだなーなんて」

「すごく頑張ってきたんだね」

 ミレイさんは、至って真剣にそう言ってきた。

「が、頑張ってってそんな、そんな……そんなんじゃないですよ」

「そうかな? 自分だと気付かないだけで、そういう人との関わりを大切にしようっていう心持ちは、頑張っている証拠だと思うよ」

「そ、そんなの普通じゃないですか」

「だからこそ、だよ」

「なる、ほど……?」

 その目に見つめられると、そうなのかもしれないと思えてきた。

「ナナお嬢様は、褒められていいんだよ」

 彼の言葉には、なんとなく力があった。

 それはこの場だからこそ作用する、不思議な魔法みたいなものなのかもしれない。

「私が、褒めてもいいかな?」

「あ……はい」

 アタシは、自然とうなずいていた。

 そんなアタシに対して、ミレイさんは穏やかな笑みを浮かべる。

「いいこいいこ」

 頭を、でられてしまった。

 彼氏が出来たとしても、それだけは髪の毛のセットが崩れるからやめてもらおうって思っていたのに。

 それなのに、今のアタシはときめいている。

 ときめいて、しまっている……。

 女の人だって分かっている。

 それなのに、いや、それだからこそだったりするんだろうか。

 だからこそ、励ましが優しく感じるんだろうか。

 胸の中に、温かいものが広がるのを感じる。

「あの、ツーショ撮ってもらえますか?」

 私はその感情をなんとか残しておきたいと思って、そう言った。

 ミレイさんは、にっこりと笑う。

「もちろん」

 彼と一緒に撮ってもらった写真の中のアタシは照れていたけれど、それでも可愛かわいらしい笑顔だと思えるくらいにはいい写りをしていた。


 ○


 それからアタシは、ミレイさんの元へ頻繁に通うようになった。

 といっても、高校生のお小遣いには限度がある。

 いくらミレイさんのいるコンカフェが良心的な価格設定だからっていっても、毎日のようには通えない。

 けれど、毎日のように通いたい。

 お茶だけを頼むって手もあるんだろうけど、そんな貧乏くさいをミレイさんの前でしたくない。

 だから毎回きちっと一食分頼むことにしている。

 ……これ、太る可能性もあるのでは?

 いや、メニューとしては女性向けだから栄養素なんかも考えられているだろうとは思うけど。

 だとしても、今以上に筋トレを頑張らないといけない……!

 それはそれで、モチベーションアップにつながるからいいことかもしれない。

 なにより、ミレイさんと話すのは楽しいから仕方ないよね。

 いつも新しい顔を見せてくれて、本当に飽きないし。

「今日はね、新作のスイーツがあるんだよ」

「わぁ、本当ですか!」

 新作スイーツという言葉に、胸が高鳴る。

「うん。ほら、この前、ガトーショコラを食べたいって言っていたでしょう?」

「あ……そう言えば、言ったような記憶があります」

 会話をしているうちに好きなケーキは何かという話になって、その時の気分的にガトーショコラと答えた記憶がある。

「運良く新メニューの開発日と重なったから、提案してみたんだ。そうしたら見事に通って、期間限定だけどメニューになったんだよ」

「すごいですね! じゃあ、それをお願いします!」

「ふふ、かしこまりました」

 しばらくしてから出されたガトーショコラは、ケーキ屋さんのものと大差ないくらい濃厚なチョコレート風味でしかった。

「濃厚で、すごく美味しいですね!」

「それなら良かった」

 ミレイさんは、にっこりと微笑ほほえむ。

 相変わらずの美しい笑みに、思わずれてしまう。

「またなにか食べたいものがあったら、言ってみてごらん。もしかしたら、メニューに追加されるかもしれないから」

「はい、楽しみにしてます!」

 ──そんなカンジの日もあれば、

「今日はどうしたんだい? もしかして、ちょっと落ち込んでる?」

 出来るだけそう見えないように振る舞っていたはずなのに、ミレイさんはちょっとの落ち込みを見抜いてきた。

 きっと色々なお嬢様と接しているから、感情の起伏なんかに過敏なんだろう。

 だからアタシは、思い切って打ち明けることにした。

「実は、撮影で失敗しちゃったんですよ……」

「ん? なんの撮影?」

「一応、読モやってて……その撮影です」

「読モ! すごいね、ナナお嬢様」

「そんなことないですよ。今は誰にでも」

 なれますと言いかけた唇に、ミレイさんの手袋をした指が重なる。

 それ以上は言わないようにと、視線で制される。

「すごいことなんだよ、とても」

 ミレイさんの言うことは、いつも正しいように思ってしまう。

 読モであることはすごいことなんだと、その時はじめてアタシは思った。

 いやでも、確かに全員が全員なれるわけじゃないしすごいことなのかも。

 やっぱりナナ様なんだよね。

「……そうですね。でも、失敗しちゃって」

「誰にでも失敗する日はあるよ。私なんて……ここだけの話だけど、失敗ばかりだからね」

 ミレイさんは小声で、そう言ってくる。

「そうなんですか?」

「あんまり詳しくは言えないけど……そうだな、私の部屋はとても見られたものじゃないよ」

「そ、そうなんですね。意外」

 ミレイさんの部屋がそんな感じだとは思ってもいなかった。

 片付けには自信があるから、いつか部屋にお邪魔して片付けを手伝ってあげたいな……なんてね。

 そこまで考えてしまうのって、流石さすがにキモいかな?

 引かれちゃったら怖いから、言わないようにしよっと。

 ──っていうふうな日もあり、

「今日は人、少ないですね」

 いつもと比べてお嬢様も執事さんも少ない気がして、私はそう切り出した。

「ちょっとキャストが多めに休んでしまってね……ナナお嬢様にはあまり影響はないと思うけど、今日は早めに閉める予定でもあるんだよ」

「そうなんですか。大変ですね」

「まぁ、割とよくあることだからあんまり気にしてはないんだけどね」

「よくあることなんですか?」

 その言葉にちょっと驚いてしまって、聞き返す。

 ミレイさんは、苦笑気味に返した。

「そうだね。私からしてみれば意外でもなんでもないんだけど、ナナお嬢様には意外だったのかな?」

「だって、お仕事じゃないですか」

 読者モデルといっても守らなきゃならないことはたくさんあるし、あんまり休んでいるわけにもいかない。

 それなのに本業といってもいい仕事の人たちがそんなに休むなんて、なんだかありえないことに思えた。

「ふふふ……」

 にそう言ったはずなのに、ミレイさんは笑っている。どうしてなんだろう?

「ナナお嬢様は真面目だね。休んでいる執事に爪のあかを煎じて飲ませたいくらい」

「そ、そんなことないですよ!?

「真面目でかわいらしいよ」

「は、はい……」

 ──というカンジの日まで様々だ。

 本当に飽きなくて、楽しい日々を過ごさせてもらっている。


 ○


「新規のお客様キャンペーン……!?

 いつものように手に取ったメニュー表に書かれている文字に、アタシは震えてしまった。

 新規の、お客様向けのキャンペーン……アタシはもう、新規と呼べないくらい通っているだろう。

 そうなると、キャンペーンに参加出来ない可能性が高い。

 それはちょっと悲しい。

 そんなキャンペーンがあるって知っていたら、もっと来る頻度を落としていたかもしれないのに……ぐぬぬ。

「そうなんだよ。新しくいらしてくれたお嬢様と、その人を呼び込んでくれたお嬢様を対象に、新しい衣装を着た私たちとの撮影が出来るっていうキャンペーンなのさ」

 呼び込んでくれたお嬢様ってことは、アタシも対象になれるってことだろう、その事実に、あんする。

「新しい衣装って、あれですよね」

「そうそう。あの写真と似たものだよ」

 アタシとミレイさんは、同じポスターに目を向ける。

 お店でナンバーワンの人が、白い執事服を着ているポスターだ。

 ……いつも思うんだけど、なんでミレイさんがナンバーワンじゃないのか分からない。

 アタシがかけているお金がいくら高校生並みだったとしても、この人のことならそんな感じで何人もの人をとりこにしているだろうし……不思議だ。

 執事にしてはちょっとカジュアルな言葉遣いをしているけど、そこがいいんだし。

 ナンバーワンになって欲しい気持ちもあれば、このままでいてほしい気持ちもある。

 アタシにもっとお金があれば……と思うけど、ナンバーワンになってしまったら遠い存在になってしまうかもしれないなんて心配もしてしまう。

 ここに通うようになってから、そんな葛藤ばかりな気がする。

 それでも以前よりも毎日が楽しいと思えるから不思議だ。

「カフェの執事それぞれに白い衣装が貸与されたんだけど、それを着た私たちと一緒に写真が撮れるんだよ」

「ほー……」

 思わず、感嘆のため息がこぼれてしまう。

 普段の黒い執事服も、もちろん素敵だ。

 けれど白い衣装も、きっと似合っていてものすごく素敵だろう。

 そんな彼とツーショが撮れるんだったら、たとえ悪魔でも連れて来たいくらいだ。

 ……流石さすがに悪魔は、どんな姿をしているか分からないからやめておくけども。

 モデル仲間は、すでにカオリさんによってこのカフェに連れてこられているらしい。

 そうなると頼れるのは学校の交友関係だけど……そんなものはあってないようなものだ。

 コンカフェに行く?なんて声をかけられるくらいに仲がいい子なんていない。

 そもそも、コンカフェに来ているなんてことを学校の人にはあんまり知られたくない。

 そこからどんなうわさがまた広められるか、分かったものじゃないし。

 適当な噂を広めないような、気軽にコンカフェを勧められる人間はどこかにいないだろうか……?

「あ」

 そこで私は、とりあえず二人思いついた。

 けれど一人は、堅物なのできっと無理だろうとすぐに判断する。

 一人は流されやすそうな顔してるし、実際これまでも流されてきたし、ちょっと押せばなんとかなるだろう。

「一人でも、ミレイさんと写真を撮れることには変わりないよね?」

 私は口の端に、笑みが浮かぶのを感じていた。