
俺が聖竜様の領域より帰還した日から、春の訪れを知らせるように暖かさが増していった。
雪もほとんどが解け、皆が季節が変わることを意識しだした頃、冬の間に行っていた作業に一つの成果が出た。
ダン夫妻が経営する宿が完成したのである。
少し前と打って変わって暖かな日の夕刻。
俺はサンドラ達と聖竜領の入り口にできた宿にやってきていた。
「見事なものだな。中もちゃんとしている」
「ずっと皆さんで作っていましたですし。あてくしも頑張って商品を
内部を見て感心する俺に答えたのは、先日行商から帰ってきたドーレスだ。
冬の間、彼女は何度もクアリアと聖竜領を行き来して、宿に必要なものを取り揃えてくれた。
スティーナをはじめとした大工達のおかげで宿はとても立派だった。
三階建てで一階は酒場と店舗を併設。雑貨店としての店舗スペースのおかげで、ここに来れば食事と買い物が一挙にできる。
二階は客室。三階の一部にはダン夫妻やドーレスの生活空間も用意されている。
酒場のカウンターの向こうに見える棚には、多くの酒瓶が並び、客を迎える備えは万全だ。
雑貨店の方にも保存食や聖竜領産のハーブなどの品が置かれている。こちらは棚がたくさん空いているのでこれからに期待ということになる。
ここが聖竜領の商売の中心になる。
そう確信させてくれる見事な仕事だった。
「正直、わたしは建物には詳しくないのだけれど、良いものを作ってくれたと思う。みんなにお礼を言わないといけないわね」
店内を歩きながら一通りチェックを終えたサンドラも満足げだ。
「ちなみに準備の方は無事終わったんですが、人の手配が終わりませんでして。しばらくはあてくしもここで働く予定です」
雑貨店の辺りを指さしてドーレスが言う。
「仕方ないわ。冬の間に移住してもらうのは無理があるもの。もう少しすれば領内の建物も増えるでしょうし。ここに住み込みで働く人も来るでしょう」
「はい。そのつもりです。ところで、
「予定どおり。もうすぐそちらも完成。炉があったりする関係もあって、川の向こう側になっちゃったけれど。いいのかしら?」
「完璧です。知り合いのドワーフの鍛冶師が来ますですので、よろしくお願いするです」
「もちろん。心から歓迎するわ」
ドワーフは鍛冶の技術に秀でた種族だ。基本的に鍛冶師は腕利きしかいない。春が楽しみだ。
「頑張って説得して、腕と性格のいい子を呼ぶことに成功したですよ」
「それはありがたいな。頼りになるだろう」
「ええ、日用品を作ったり、直したり。馬の
「へへへ、あてくし、ここで頑張ると決めましたですので」
褒められたドーレスが
そんな風にしていると、酒場の奥からダン夫妻とトゥルーズが現れた。
「いらっしゃいませ。サンドラ様、アルマス様。酒場の主人の仕事は慣れませんが、精一杯おもてなしをさせていただきます」
「料理は私とトゥルーズの合作なのでご心配なく」
モイラ夫人がそう言うと横のトゥルーズがこくりと無言で
今夜は酒場の完成記念パーティーだ。これから続々と聖竜領の人々がやってきて、宴会になる予定である。
「こんにちは。きたよ」
ダン達が料理を
彼は今日という日をとても楽しみにしていた。
「トゥルーズ、ごちそう、ぼくのも、ある?」
「いらっしゃい……。フリーバの分もあるから安心して……」
「うれしい。じゃあ、時間までまってるね」
トゥルーズに頭を
「そろそろ皆、集まってくるな。気配を感じる」
宿の外の魔力を探ればわかる。領内のほぼ全員がこの場所を目指してやってきている。スティーナをはじめ酒好きには待望の施設だ。これから先、
「では、みんなが集まるのを待ちましょう。リーラ……じゃなくてモイラ、お茶を注文してもいいかしら。せっかくだから、お金も払うわ」
「承知しましたわ。サンドラ様はこのお店最初のお客様ということで、お代はサービスです」
「あら、得してしまったわね」
笑みをこぼしながらサンドラが着席すると、リーラもそれに続いた。今日は彼女も客の一人だ。俺も流れでなんとなく、同じテーブルにつく。
「無事に冬を越せてよかったな」
「そうね。昨年の春からは想像もつかない冬越しだったわ。屋敷の中に暖房も設置してもらったし」
「ユーグ様が必死に調査していたけれど、何の成果も得られないと嘆いておられましたが」
魔法書の研究中、屋敷全体に暖房魔法を設置したのだが、そんなことが起きていたのか。
「俺の設置した魔法は人間のものとは根本的に違うからな。気を落とすなと伝えておいてくれ」
竜の魔力の解明は簡単なことではない。ユーグの人生全てをつぎ込んでも成果が出るか怪しいだろう。俺にもよくわからんし。聖竜様も教えてくれない。
「領内が良い方向で賑やかになったと思う。春からもこんな調子だといいのだけれど」
「大丈夫だ。君は一人でいるわけじゃないんだからな。皆、協力してくれる」
「……そうね。忙しくなるだろうから、みんなと一緒に頑張りましょう」
一瞬陰ったサンドラの表情が明るくなった。
どうやら、今回は
「どうぞ。聖竜領特産、
モイラ夫人によってテーブル上に並べられたカップに手を伸ばし、口元に寄せるとよく知った香りが鼻孔をくすぐる。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
そうこうしているうちに店の入り口の扉が開き、次々と領民がやってきた。
皆、表情が明るい。冬の終わりを日々実感しているのも関係しているだろう。
二年目の春は、何が待っているだろうか。
『のうアルマス。お主とフリーバばかりご
『わかりました。良いものを選んでおきますよ』
『うむ。いやー、良い場所になったのう、ここ』
何というか、聖竜様がこの調子だし、今までどおりでなんとかなる気がする。

宿完成の祝宴は夜遅くまで続いた。春も近づいた景気づけということで、領主の
久しぶりに集まって騒ぐ皆の様子を見て楽しんでいた俺だが、スティーナが酒瓶を持って挑むようにこちらを見ている気配を感じて、素早く外に出た。
春が近いとはいえ、夜になれば身の引き締まるような寒さが全身を包み込む。暖かい店内とは対照的な空気を吸うと、少し頭がすっきりした。
今日も夜空は快晴。無数の星々が、ささやかながらもしっかりと自己主張をしている。
「もうすぐ一年か……」
最近は一人の時などに、よく昨年の今頃のことを思い出す。その頃の俺は、聖竜様の眷属として古い小屋に住み、非常に
四三六年間変わらなかった生活。季節が変わっても似たような日々が続くと思っていた。しかし、サンドラ達が来て大きく変わった。
多くの人々との交流を通し、初めての場所に行き、生活全般と住む建物が変わった。
なにより、思わぬことでアイノの治療が大きく進んだ。
あと数年でアイノと再会できるなんて、昨年の冬には想像もつかなかった。
まったく、人との出会いというのは、時に思わぬことを引き起こす。
そう感慨にふけっていると、宿の扉が開く音が聞こえた。
「アルマス、どうかしたの」
そう声をかけてきたのはサンドラだ。隣にはリーラもいる。
「スティーナに飲み比べを挑まれそうだったんで逃げたんだ。それと、昨年の今頃のことを思い返していた」
「やっぱり。スティーナが周りに絡んでちょっとした騒ぎになってたのよ」
そう言いながら、サンドラが俺の横に立つと横のリーラが無言で
俺と同じように、星空を見上げたサンドラが
「一年前の今頃は、どうにかして帝都から出ようと必死だったわ。まさか、次の春から忙しくなる心配をするくらいになるなんてね」
「忙しくなるのか?」
「ええ、春になったら農地を広げたり、鍛冶場を稼働させたり、色々とね。それに、スルホ兄様とシュルビア姉様の結婚式に出席しなければいけないし。アルマスも呼ばれるわよ?」
「結婚式は東都で行われるんだったな、楽しみだ」
イグリア帝国東部の中心、東都。そこで盛大に行われる結婚式。想像もつかない光景に今から少しだけ楽しみになる。
「サンドラの実家のことも心配だな」
秋にあったデジレの一件以降、エヴェリーナ家からの干渉は今のところない。しかし、春になって世の中の動きが活発になれば、何かしらあるだろう。
「第二副帝のクロード様に認められたから、少し安心しているわ。後ろ盾としてはこれ以上ないくらい強いもの」
「そうだな。それに、ここの皆と一緒なら多少の難局は切り抜けることができるだろう」
この一年で、聖竜領はサンドラを中心によくまとまっている。第二副帝という強力なコネクションを得たのも大きい。
「あとはわたしの仕事が忙しくなりすぎないかが心配なくらいね」
「一年や二年で色々と整えるのは難しいだろうな。俺もできるだけ協力するよ」
「もちろん。頼りにしているわ」
聖竜領はまだ足りないものがたくさんある。領内は宿兼酒場がようやく建っただけ。色々と利用できそうな南部は手つかずだ。
俺達の目標、スローライフを達成するにはまだまだ時間がかかるだろう。
「道半ばだが、先が明るいのはいいことだよ」
「ええ、先のことを楽しみにできるのは本当にいいことね」
しみじみと微笑を浮かべたサンドラが言うと、横のリーラがこくりと頷いた。
「……アイノも帰ってくる。こんなに嬉しいことはない」
「おめでとう、アルマス。あなたの妹さんのことは本当に嬉しいわ」
「ああ、感無量だ……。皆には感謝している」
そう言って俺は再び空を見上げた。ちょっと泣きそうになったので。
「お嬢様。あまり長く外にいると体に良くありません」
少し無言の時間が続くと、リーラが言った。たしかに、風邪でもひいたら大変だ。
「戻りましょうか。アルマス」
「そうだな。誰も犠牲になっていなかったら、スティーナからの飲み比べを受けるとするよ」
「おそらく、中の皆はアルマス様が戻ってくるのを待っているかと」
その様子が容易に想像できるのが面白くて、自分でも自然と笑みが浮かぶのがわかった。
「サンドラ。ちょっと待ってくれ」
リーラが宿の扉に手をかけ、明るく賑やかな室内に向かおうとするサンドラを俺は呼び止めた。
「ありがとう。全て、君がここに来ると決めてくれたおかげだ」
一瞬、驚いた顔になったサンドラだが、すぐに笑顔で返してくる。
「お互いさまよ。わたし達も、あなたがここにいてくれたおかげで助かっているもの。一緒に頑張りましょう」
「ああ、もちろんだとも。ただし、無理のない程度でな」
そんなやり取りをすると、改めてリーラが宿の扉を開いた。明るい室内から暖かい空気と
妹が目覚めた時も、こんな場所で迎えてやりたい。
そう思いながら、俺は共に生きる人々のいる場所へと戻っていった。