エヴェリーナ家との騒動も収まり、聖竜領内の工事も大分進んで夏も終わりかけた頃、サンドラが主だった領民を集めて会議を開催した。

「みんな、忙しいなか集まってくれてありがとう。そうはいっても半分以上、屋敷に住んでいるわけだけれどね」

 夕食後、そんな挨拶で笑いを誘うとともに会議が始まった。

 今回の参加者は屋敷にいる全員とルゼ、それと南部からフリーバが呼び寄せられている。残念ながら、ドーレスは行商に出ていてこの場にいない。

「まずは、現状の確認ね。領内の道の整備はもうすぐ終わるみたいなの。宿の建築の方も順調、こちらは冬の間も工事をすれば春にはできるのね?」

 問いかけられてスティーナが元気よく反応する。

「そうだね。クアリアから人も貸してもらってるおかげで大分早いよ。雪が降る前に外側さえ作っちゃえば冬の間に引っ越して、春になった頃に営業開始もできるはずさ」

 満足そうにサンドラは静かにうなずき、言葉を続ける。

「理想的ね。でも、余裕を持って進めてちょうだい。それとは別に、スティーナの工房も作ろうと思うのだけれど。これから建物を作ることが増えるだろうし、ちゃんと作業所を設けたほうがいいと思うの。できれば自宅付きがいいのかしら?」

 その言葉に、全員がしばし考え込んだ。

 最初に反応したのは当事者であるスティーナだ。

「い、いいのかい? あたしじゃなくて、他に優先する人がいるんじゃないかい? ほら、ロイ先生とか、エルフの人達とか」

「僕は屋敷の中に工房がありますから特には。資料が欲しいけれど、すぐにどうこうできるものでもないですしねぇ」

「エルフの村は自力である程度どうにかできていますね。必要なものはその都度もらっていますし。あとは冬の備えくらいですから」

 スティーナの発言にロイ先生とルゼがそれぞれ答えた。他の者も何も言わない。

「えっと、あたしの工房を作っていいならうれしいけれど。結構お金かかるよ?」

 大工の工房となると大きな作業所が必要だ。宿ほどではないが大規模な工事になるだろう。遠慮するスティーナに対して、サンドラはにこやかに答える。

「余裕を持って計算してあるから平気よ。ウイルド領の賠償金とクアリアに出荷したものの売り上げが結構あるの。ダン夫妻の宿くらい立派なものを建てるとか言われたら無理だけれどね」

「さすがにそんな要望はしないさ。作業場付きの小さな家……。いや、作業場は大きくしたいかな」

 どうやらいけるらしいと思ったのか、スティーナはその場でぶつぶつ考え事をしはじめた。

 自分の工房を持つというのは職人にとって一つの夢だと聞いたことがある。実に楽しそうだ。

「反対意見はなさそうね。スティーナにはこれから先、住居や橋、水車小屋だとか、色々と作ってもらうことになるでしょう。聖竜領の運営が順調にいけば、忙しい状態が続くと思うけれど」

「大丈夫さ! 頑張って働くよ! 預かった二人も大分使えるようになったしね! あ、でも人はもっと欲しいかも」

「そうね。そちらの手配も進めるようにしましょう」

 実際、領内の人口が増えていけばスティーナの仕事は増える。人材確保は急務だ。

「ロイ先生、村内の工事が一段落した後、他になにかやりたいことはあるかしら?」

「……実は、クアリアの職人組合の皆さんからゴーレムを使った土木技術について研究会を開催してほしいと申し出を受けておりまして。たまに出かけて色々と打ち合わせをしたいのですが」

「いい考えだな。仕事の合間に行ってみたらどうだ?」

 大規模工事が終われば、ロイ先生の仕事はポーションを作ったり、森や畑用のゴーレム作成が主になる。彼の生み出すゴーレムを使った土木技術が発達すれば、今後の作業効率が上がるだろう。

「クアリアと仲良くする意味でも大切なことね。ロイ先生の都合であちらと行き来してちょうだい」

 サンドラも特に反対する理由はないので笑顔で承認する。

「そうそう、本人には前もって伝えたのだけれど、みんなにも改めてお知らせね。ダン商会が、先日書類が通って帝国内に無事登録されたわ。聖竜領を代表する商会の誕生ね」

「ありがとうございます。早速クアリア領主様との取引がありまして、今日はドーレスさんに行ってもらっています。店ができたら皆さんが便利に暮らせるように頑張りますよ!」

 ダニー・ダンが頭を下げると元気よく言った。隣にいる奥さんともども、幸せそうだ。

「マイア、ルゼと一緒の地図作り、もう少し範囲を広げられる? 領内の洞窟や泉の位置をちゃんと把握したいの」

「おまかせを! アルマス殿に相談しつつ、ルゼ殿と時間を合わせて秋の間に頑張ります!」

 相変わらず元気なマイアは具体的な仕事を与えられてやる気十分だ。後で領内の地形についてしっかり教えておこう。

「アルマス、フリーバ。なにか領内に気になること、不便なことはあるかしら?」

 今度は俺達けんぞくに質問が来た。アリアに抱かれてぬいぐるみのようにしているフリーバと視線を交わす。丸い瞳でこちらを見つめてきて、軽く首をかしげられた。俺が話したほうがよさそうだな。

「俺の方は特にないな。聖竜領内にも異常はない。氷結山脈の魔物も大人しいものだ。このまま無事に秋を過ごせるだろう」

「南の方も、なにもないよ。湖が大きくなって、さかなが増えたよ」

 現状を話せばいいと判断したらしく、フリーバが俺に続いてくれた。言葉はつたないが、賢い。

「二人とも、何かあったら教えてちょうだいね。できる限りのことをするから。……それから、改めてみんなにも先日のエヴェリーナ家とのことを説明するわ」

 この場にいる面々は、サンドラの事情を知っている。エヴェリーナ家の名前を聞いて、室内の空気が緊張した。

「工事中、一時的に資材不足に陥ったのはエヴェリーナ家からの圧力が原因だったわ。それと、ハーブの取引でも少し口を出してきた。詳しくは話せないけれど、アルマスとリーラ、それとドーレスの力を借りて一時的な対処には成功したわ」

「それは、今後はわからないってことだね?」

 全員を代表するように言ったスティーナに、サンドラが申し訳なさそうな表情で答える。

「ええ、時間をおいて何らかの手を打ってくるでしょうね。それがどういうものかはわからないけれど……」

 エヴェリーナ家の動きを把握できない現状では後手に回るしかない。そっと拳を握るサンドラの姿から歯がゆさがにじみ出ていた。

「この件に関しては俺も協力する。クアリア領主だって手を貸してくれるだろう。深刻なことにならないよう、対処できるさ」

 気休めになればと思い、そう付け加えたが、皆は納得しないだろう。不安の一つも口にするかもしれない。

「そうですね。ここが頑張りどころというところでしょう」

 思いがけない言葉を放ったのはロイ先生だった。

「ですねー。きっと乗り越えられますよー」

「そうだね。本家の好きにはさせたくないねぇ」

 アリアとスティーナが続くと、周りの皆もそれぞれ言葉や態度で同意を示した。

「驚いた。思ったよりも状況を受け入れているんだな」

「わかっていたことですから。少なくとも、最初にサンドラ様についてきた僕達は、そのくらい織り込み済みですよ」

 俺の問いにロイ先生が笑顔で答えた。

「ま、今回はアルマス様達で解決しちゃったけれど、あたし達にもできることがあれば遠慮なく頼ってちょうだいね」

「……できることがあれば、手伝うから」

「戦いがありそうなら私にも声をかけてください! ぜひ!」

「よければウイルドのエルフに連絡をとって情報を集めてもらいましょうか?」

 ロイ先生に続き、何人かが言った。ルゼやマイアなど、後から加わった者も同様の意見のようだ。

「サンドラの人徳だな。ありがたい話だ」

「本当ね……ありがとう、みんな。困ったことがあったら、遠慮なく頼らせてもらうわ」

 遠慮がちに微笑ほほえむサンドラは本当に嬉しそうだ。横のリーラなど感動して涙が出たらしく、ハンカチで目の端を拭いていた。

「わたしの実家の件は以上。では、最後の議題。……収穫祭をしましょう」

 全員がざわついた。「おおっ」という感じだ。

「収穫祭か。いよいよだな。祭りとは懐かしい言葉だ」

「フリーバははじめて。楽しみだね」

 そう言うと、フリーバが腕をぱたぱたと嬉しそうに動かした。

 気持ちはわかる。祭りなんてどれくらいぶりだろう。人間だった頃も戦ってばかりだった。下手をすれば子供の頃以来じゃないか?

「秋は収穫が多いだけじゃなく、麦の植え付けもする大切な季節よ。それに、これまで娯楽らしいことがなかったことだし。……あまり気が回らない領主でごめんなさいね」

「お嬢様が気にすることではないですよ。それに、帝都にいては見られないものばかりで、振り返れば楽しかったかと」

 代表するように言ったロイ先生に、他の皆が同意した。

「それならいいのだけれど。ところで、この中で収穫祭の経験のある人はいるかしら?」

…………

 手を挙げたのは、ルゼとアリアとマイアの三人だった。

「少ないな……。そうか、ほとんどの人は帝都から来てるのか」

「実は私もウイルド領に行ってから初めて経験しました。その前は帝都に住んでいましたので」

 そう言ったのはマイアだった。

 思った以上に都会出身者が多い領地だったのだな。

「ルゼとアリアとマイアの三人には色々と教えてもらうことになると思う。それとアルマス、聖竜様へ感謝をささげる石像とかほこらを作ろうと思うのだけれど、どうかしら?」

 いきなりの質問に俺は少し戸惑う。

「石像? 祠? なぜそんなことを?」

「わたし達がここで無事に生きているのも、品質の良い作物を食べられるのも聖竜様のおかげでしょう。感謝を捧げるのはおかしなことじゃないでしょ。アルマス、あなたもそのはずだけれど」

 言われてみればそのとおりだ。気楽に会話できるから思い至らなかった。

「たしかに、聖竜様に感謝を捧げるのはよいことだ。俺も妹を治してもらっているしな」

『そうじゃぞ。お主ももっとワシに感謝するがよい』

『いや、してますし、最大の敬意を持っています。もしかして、俺がもっと前に石像とか作るべきでしたか?』

『いや、お主にまともなものが作れるとは思えん。どうせならかっこいいのがよいのじゃ』

 つまり、石像も祠も聖竜様的にはかなり嬉しいということか。俺の製作技術についての批判は自覚しているところがあるので甘んじて受け入れよう。

「石像の話を聞いて、聖竜様はお喜びだ」

 俺の目の変化に気づいていたらしく、緊張気味にこちらを見ていたサンドラがその言葉に口元をほころばせた。

「よかったわ。それでアルマス、聖竜様の外見はどんな感じなのかしら?」

 やばい質問が来た。

「……たしか……銀色の……大きな竜だ」

 過去の記憶を掘り返し、俺はどうにかそれだけ答える。

「アルマスあなた、自分の主人の外見を忘れて……」

 サンドラがどんよりとした目で俺を見つめていた。

「違う。俺は聖竜様を一度きりしか見たことがないんだ。それも四百年以上前にな。眷属になってからは頭の中で話すだけなんだ……」

「そういうことなら聞いたわたしが悪かったわ。困ったわね、どうしようかしら」

 サンドラが悩みはじめた。ここまで俺の記憶が当てにならないのは想定外だったのかもしれない。

 そこに本人から助け船が出された。

『なあ、ワシ、夢の中に出てもいいかのう』

『誰かの夢の中に姿を現すんですか? そんなことできたんです?』

『必要があればそれくらいはできるのじゃ。問題は、夢を見た当人がどのくらいしっかり覚えてくれるかなんじゃが』

『夢の中に聖竜様が出れば、たいていの人は覚えているかと思いますが』

 俺の様子から聖竜様と話し合いをしていると気づいたのか、いつの間にか全員が注目していた。

「聖竜様が、誰かの夢の中に現れてくださるそうだ」

 全員が一斉にざわついた。

「さすがは聖竜様ね。夢の中でお会いしたら感謝の気持ちを伝えないと」

「ところで、この中で一番絵のいものは誰だろう? どうせならちゃんと外見を伝えられる人を選ぶべきだと思う」

 再び全員がざわついた。今度はけんせいするような空気がある。

「ロイ先生はどうでしょうー? 魔法陣なんかで絵を描くのは慣れているのではー?」

「アリアさん、すいません……僕は……絵は……」

「あらー」

 アリアの提案にロイ先生が見たことがないくらい沈痛な表情になった。過去の何かを刺激してしまったらしい。

「わたしは風景画くらいなら描けるけれど上手くないし。リーラは?」

「申し訳ありません。さすがに自信がありません。スティーナはどうでしょう?」

「あたしも図面ならいけるんだけどねぇ。エルフの人達に一人くらいいないのかい?」

「どうでしょう。後で聞いてみますが……」

 生き物を描く上に、今回は村の収穫祭でずっと使う石像になるおまけ付きだ。これは難しい。

 そのまま、全員であーだこーだと話し合いが続く。

「うむ。結論がでないな、これは」

「アルマス、なにか便利な魔法とか能力はないのかしら?」

「ないな。俺は、できることとできないことがはっきりしている男だ」

「たしかに、手段があるならとっくに実行しているものね」

 サンドラの言うとおり、何らかの方法があるなら、俺は手早く実行する。この場合も何か上手い方法でも思いつけばいいんだが……。

 いや、そうだ。別に一人じゃなくてもいいのか。

『聖竜様、領民全員の夢に出ることは可能ですか?』

『できるぞい。なんか良さそうじゃな、それ。ワシも夢の中で皆と話せるし』

『じゃあ、それでいきましょう』

『うむ。そうしておくれ。ただ、夢に出るのはあまり多用できん。ワシの存在が大きすぎて、回数を重ねると負担をかけるのでな』

『なるほど。そういう事情でしたか。では、伝えましょう』

『かっこいい奴を期待しているぞい』

 なんだかウキウキした様子で聖竜様がそんなことを言ってきた。

「今、聖竜様に聞いたところ、全員の夢の中に現れてくださるそうだ。滅多にできることではないらしいので、今回限りだろう」

「それはありがたいわね。お礼を言うこともできるし、皆で絵を描けば、かなり近いものになる」

 示された解決策に、サンドラが飛びついてきてくれた。完璧ではないが、理想的な方法のはずだ。

「では、それでいこう。全員分の紙とペンを用意してくれ」


 翌日、聖竜領全体を巻き込んだ、聖竜様スケッチ大会が開催された。

 結果は、護衛の男とエルフの一人が、実にれいな聖竜様を描いてくれた。


      


 領地会議から数日後、俺は自宅で朝を迎えた。

 いつもどおり、朝日を浴びて目を覚まし、お茶の準備をする。

 今朝はハーブティーではなく、リーラから分けてもらった紅茶だ。

 俺は料理ができないが、茶をれるくらいならなんとかなるのである。

「ふぅ……いい朝だな」

 外は快晴。夏の暑さも収まり、空気は涼しい。散歩日和だろう。

 朝食は用意していなかったので、お茶を飲み終えた俺はすぐ外に出た。

 新しい家には立派な炊事場があるが、俺はまだ使ったことがない。まともに料理できないからな。

 たまに休憩に来た誰かが使っているので無駄な設備ではないはずだ。

 まず、朝の日課として、いつもどおり畑の世話を始める。ハーブ畑と魔法草畑。規模は小さいが、立派な収入源だ。

 ダン商会が本格始動してから、俺の育てたものは『けんぞくじるし』として、特別な箱に入れるなどして出荷されることが決まっている。商品価値を高めるためにやるべきだとサンドラも賛成していた。

 軽く畑の世話をした後は、聖竜領の森の畑を見に行く。

「おはようございます。アルマス様」

「おはよう。エルフは早起きだな」

 俺が姿を見せると、畑の世話をしていたエルフ達が挨拶をしてくれた。最近は、朝一番でここにアリアが来るのは二日に一度に減った。上手く分業できているらしい。

「スティーナ達が伐採した木材はあっちでいいか?」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 俺が畑の向こうを指さすと、エルフの一人が頷いた。

 ここ数日で建築用の木材を確保するためにスティーナ達が森を少し切り開いたのだ。

 既に木材は積まれていて、乾燥のための魔法を俺がかけることになっている。

 この木材乾燥は定期的に行っていて、聖竜領にとって大切な資材確保になっている。

 簡単な魔法なのだが、スティーナ達にはとても感謝されている。

「さて、一仕事するとするか」

 そうつぶやきつつ、俺は畑の向こうへと歩みを進めた。


      


 木を乾燥させる魔法はすぐにかけ終わった。すっかり慣れたものだ。

 森での仕事を終えたので、俺は領主の屋敷へと向かう。

 途中、足元は木の板でできたエルフの道から石で舗装された道へと変わる。

 目に入るのは収穫の時期を迎えた畑、遠くに建築中の宿だ。建物はかなり大きく、すでに人間と作業用のゴーレムが働いている。

 職人達の話によると聖竜領の建築は他と比べてかなり早く進むらしい。

 俺が木材を乾燥させたり、職人達と仲良くなったロイ先生が次々と新型のゴーレムを考案することで作業効率が上がっているそうだ。

 聖竜領はまだ二十人かそこらの小さな村なので、効率が良いのは素晴らしいことだ。

 というわけで、俺は今日もその手助けをしに来たのである。

「おはよう、ロイ先生。ちゃんと寝ているのか?」

「おはようございます。ご心配なく。最近は遅くまで起きているとアリアさんに怒られるんですよ」

「なんだ、立場が逆転したのか?」

「ええ、恥ずかしながら」

 外に置かれたテーブル上の図面を職人達と見つめていたロイ先生がちょっと嬉しそうにそう返してきた。以前はアリアの働きすぎを気にしていたものだが、今は逆のようだ。

 ロイ先生はアリアに気があるようで、よく一緒にいる。関係に進展があったのかは俺にはよくわからない。人間だった時もそういうのは疎かった。

「とりあえず、ゴーレムを造りに来た。いいか?」

「あ、はい。じゃあ、一緒に行きましょう」

 そう言って、ロイ先生が近くにあった荷物から魔法陣をいくつか取り出す。

 聖竜領の一画にはウイルド領との戦いの時に使ったストーンゴーレムの残骸がまとめて置かれていて、必要に応じてそれをゴーレムとして再利用しているのだ。

「ロイ先生、働きすぎになっていないか? 工房でポーションも作っているのだろう?」

「大丈夫ですよ。アルマス様からハーブを分けてもらっていますし。最近は大きな工事が減ってきましたから。アルマス様こそ、働きすぎなのでは?」

「そうか? 俺はあまり疲れないからな」

「僕達の手伝いだけじゃなく、魔物退治をしたり、戦いの先頭に立ったり、出張も多いですし、少しゆっくり過ごしたほうがいいですよ」

「俺、そんなに忙しく働いていたか?」

「ええ、かなり」

 これは問題だ。俺が目指すのはスローライフ。ゆったり、まったりと過ごすことだ。妹のアイノのためとはいえ、他人に心配をかけるほど働いていたとは。

 たまには自分の時間をとるべきだろうか。

「しばらくは状況が落ち着きそうだから、少しのんびりすべきかもな」

 戦争とか魔物退治とかなさそうだし、畑仕事なんかも落ち着いてきているしな。

「ええ、そうすべきです。あ、あの辺りの岩にしましょうか」

 手頃な岩を見つけたロイ先生が、魔法陣を用意しながら走りだした。

 俺はつえを取り出して、後を追いかける。


      


 ゴーレム造りを終えた俺は、領主の屋敷へと向かった。

 働きすぎを指摘されて、気になったことがある。

 サンドラもまた、働きすぎなのではないだろうか。

 彼女はよくやっている。だがまだ十三歳だ。

 俺などより彼女の方が休むべきなのではと思うのは、自然な話だろう。

 時刻はいつの間にか昼近くになっていた。領内を歩きながら仕事をするだけで、思ったより時間がってしまった。

 執務室に入ると、そこには書類仕事をするサンドラとリーラがいた。

「失礼する。……やはり仕事中か」

「こんにちは、アルマス。お昼はもう少し後よ」

 挨拶するなりサンドラは食事の話をしてきた。間違いない、俺が昼食目当てで来たと思っている。

「別に昼食を食べに来たわけじゃない。ちょっとロイ先生に気になることを言われてな」

「気になること? なにかあったかしら?」

「俺は働きすぎだと言われた。周囲からそう見られているらしい」

 さほど無理をしている自覚はないのだが。

……………

「どうかしたか?」

 サンドラは俺の発言に固まっていた。

 それを見かねたのか、リーラがペンを置いて口を開く。

「そうですね。聖竜領とクアリアを走って行き来したり、ひたすら魔法でゴーレムを造り続けたり、山を動かしたり、危険な相手と戦ったりと。極端な働きぶりなので心配にはなるでしょう」

 たしかに、どれも身に覚えのあることばかりだ。

「そうね。わたし達がここに来て以来、アルマスはずっと働いているものね。でも、しばらくは大きな仕事はなさそうだから、少しゆっくり過ごしたらいいんじゃない?」

「それだ。サンドラ、君も少しは休め」

「はい?」

 意外な発言だったのだろう。サンドラが間の抜けた返事をした。

「俺は竜だから大して疲れてはいない。だが、君は十三歳の少女だ。無理をしているんじゃないか? 今だって書類の山を相手にしている。ゆっくりとした時間をとるべきだ」

 一通りそう言うと、サンドラは癖毛をいじりながら、困ったような顔をした。

 まさか自分がこんな指摘を受けるとは思っていなかったらしい。

「大丈夫よ。書類なんて大したことないし。農作業で体力もついたし。今だって、計算が終わったら休むところだったし」

「計算? この量をか?」

 サンドラの前に積まれているのは領地の収支に関する書類だ。

 かなり量がある。デジレとの一件で確認したが、たしかにサンドラの処理能力は高い。それでも、この量は計算するだけで昼を過ぎてしまうだろう。

「む、わたしを信用していないわね。見ていなさい。リーラ、紙」

「はい」

 リーラから新しい紙を受け取ると、サンドラはすぐに計算を始めた。

…………なんだと」

 サンドラの計算速度は恐ろしい速さだった。

 書類に書かれた数字を一瞬見ただけで、正しい数字を導き出し、次々と新しい紙に転記していく。

 一枚が処理される速度が尋常じゃない。ちゃんと見てるのか不安になる速度で、次々と収支の書類が処理されて一つの山を作りあげる。

「はい、おわり。どうかしら?」

「どうかしらと言われても……。ちゃんと計算してるのか?」

「失礼ね。ゆっくりやったし、二回計算したわよ」

…………

 信じられないことを言うサンドラに、俺は絶句するしかなかった。

「お嬢様の計算を見た方は皆様驚きます。それと、後でもう一回、ダン夫妻とも確認しています。常識的な速さで」

「数学は一番得意なの。研究室に誘われたこともあるのよ? だから安心してね。わたしは書類仕事にそれほど苦戦してないわ。休みも適度にとってる。無理があったら人を雇うわ」

「そうか、それならいいんだが……」

 今の仕事ぶりを見せられてはそう言うしかなかった。

 ゆうだったか。これは。

「でも、ちゃんと休みをとるように注意するわ。色々とできることが増えたから、夢中になって頑張りすぎてる気がするのよね」

「お嬢様は仕事でストレスを解消しようとする傾向がありましたから、良いご指摘だったかと」

「余計なことを言ってしまったかと思ったんだが……」

「そんなことないわ。休日は大切だもの。今後はもっと意識しましょう。それと、ちょうど仕事が片付いたわ。アルマスもお昼を一緒にどう?」

 そう言うサンドラは、何だか嬉しそうに見えた。

 もちろん、俺に昼食の誘いを断る理由はない。


      


 昼を過ぎて時間ができた俺は、森の中のご近所さんへと向かっていた。

 エルフの道を少し歩けば、十名ほどが暮らすエルフの村がある。

 森の様子が徐々に変わり、木々がありながらも木漏れ日で十分明るいという不思議な風景になっていく。

 エルフの村は、森の木々に魔法をかけて作られている。

 木々や自然に干渉するという、俺やロイ先生の使っている人間の魔法とは違う系統の、エルフだけが使える特殊な力だ。エルフが森に魔法をかけることで、植物がそれまでにない形に成長し、優しい光のあふれる幻想的な村が生まれる、不思議な能力だ。

 おそらく、起源としては竜の力に近い。

 今、俺の目の前に広がる光景は、これまでの聖竜の森とは全然違ったものだ。

 足元はエルフの道。他より背を伸ばして葉を広げた木々の間から差す光が程よい明るさを保っていて、深い森にありがちな不穏な気配を感じさせない。

 その中にエルフの家がひっそりと立ち並んでいる。

 エルフの住居はいくつかの老木が寄り添うように形を変えたものと、聖竜領で作った材木を組み合わせた巨木のような家だ。

 森の小さな集落を眺めつつ、俺は村の中心に向かう。

「やはりここにいたか」

 村の中心の広場は、何本かの老木を使って今まさに大きな工事が行われている最中だ。

 巨木はそのまま柱となり、伸ばした枝が壁となる。足りないところを普通の木材などで補って完成するというエルフの工事現場だ。

 人間の家ほどの規模ではないが、工事は手早く、なにより森に優しい。

 今作っているのはエルフ村の中心になる屋敷だという。

 そこでは、数名のエルフと護衛の男性二人が作業をしていた。

「おお、アルマス様! おはようございます!」

「ございます!」

 筋肉質で大柄な男性二人はそれぞれ、ベッテルとビリエルという。

 どちらも似たような体格だが、髪の長いほうがベッテルで、坊主頭のほうがビリエルだ。

 ちなみにベッテルは絵が得意で、夢に出た聖竜様を最も上手に描いてみせた。

 ビリエルはスティーナの下で大工としての腕前がめざましく上達しているらしい。

 現在は二人とも、領内の建築ではなく、エルフ村の手伝いをスティーナに指示されている。

 別に仕事ができないのではなく、むしろ信頼されている証拠だ。

「二人とも、作業は順調か? 資材が必要なら持ってくるが?」

 俺がここに来たのは……暇だからだ。仕事は午前中で片付いてしまった。大きな出来事がなければ、俺の日常なんてこんなものだ。

 森の中を歩きがてら、エルフの村の様子を見に来た、それだけである。

「大丈夫っす! この前運んでもらいましたから!」

「エルフの皆さんも手伝ってくれますしね」

 そう言われて見ると、二人の近くにエルフの差し入れらしい食事が置いてあった。野菜や果実だけでなく、肉まである。二人のために用意してくれたのだろう。

 この二人はエルフ村の建築を初期から手伝っていることもあり、彼らと仲が良い。この前など、ベッテルがエルフ達と楽器演奏の練習をしていた。

 ちなみに俺はたまに建築用の資材を運んだり、ルゼの相談に乗るために来る。嫌われてはいないが、なんだか敬意を払われている気がしてくすぐったい。

「エルフの建物は面白いな。これが屋敷になるとは」

 目の前にある樹木が寄り添った建築物を見る。人間のものとは根本的に違う文化だ。

「はい。このまま大きくして一階建ての建物になります。拡張する時は上や横に新しく作ってつなげるんですよ。ちなみにこれは冬の間の住居でもあります」

 近くで作業をしていた女性のエルフが教えてくれた。

「冬の間は皆がここで暮らすのか」

「はい。その方が暖かいですし。エルフは村全てが家族ですから」

 聖竜領に来たエルフは、そんな文化を持つ人々だった。

 穏やかだが好奇心もあって、友好的だ。

「冬の間、お邪魔してもいいかな。なんなら暖房の魔法をかけるから」

「それは助かります。私達も聖竜様のお話をお聞きしたいです」

 俺の発言に、エルフはとても喜んだ。

 エルフ達は、聖竜様をとても敬ってくれる。俺が通訳みたいになって、ちょっと会話をするのを頼まれるくらいだ。夢に現れたことでその信仰心のようなものが強まったのかもしれない。

「ところでアルマス様、なにかご用っすか?」

「いや、時間ができたので散歩に来ただけだ。サンドラに休めと言われてな」

「ああ、なるほど。アルマス様の心配までするとは、サンドラ様らしい」

「ほんとっす。サンドラ様は心配性だから」

「そうなのか?」

「ええ、元々俺達二人も、エヴェリーナ家の中でちょっと浮いた存在だったっす。人間関係、難しいんすよね、お屋敷」

「貴族様の護衛にしては雑だとか、色々言われたもんです。でも、サンドラ様だけは違った」

「サンドラ様はまだ小さいのに賢くて、俺達にも気を配ってくれたんすよ。自分だって大変なのに。だから、俺達はここまで来たっす」

「アルマス様に会うまでは危険な魔境に来るつもりでしたから、自分らがサンドラ様の盾になる所存だったですねぇ」

「……サンドラは昔からそういう性格だったんだな」

 俺の想像以上に人望がある。というか、なんか人間的に負けてる気すらする。今の二人の話からするともっと小さい頃の話だぞ、これは。

「サンドラ様のおかげで、ここで色々学べるし、エルフにも会えるし、よかったっす」

「でも、頑張りすぎてないか心配なんで、アルマス様もたまに気にしてあげてください。自分らが頼むのも変ですけれど」

「先日、似たようなことを本人に言ったよ。俺よりもサンドラの方が休むべきだと思うしな」

 やっぱり、今度ハーブでも差し入れよう。いや、前にそれで無理をして熱を出したな。別のものを考えるか……。

「あの、アルマス様……」

 俺が考え事をしていると、いつの間にか子供のエルフがやってきた。

 以前、ウイルド領とやりあった時に人質にされていた少年だ。あの後、家族ごと聖竜領に移住してきてくれた。

 彼の手には、枝で作られたかごがあり、その中には木の実やキノコが満載されていた。

「森で採れたものです。お口にあうかわかりませんが……」

「貰っていいのか? む、いくつか知らないものも混ざっているな」

「この森の秋は自然の恵みが豊富ですから。僕らだけが知ってるキノコなんかも混ざっています。もう加工済みですから、食べられます」

 エルフだけが食べ方を知る作物だと。なんと希少な。

「そんな貴重なものを……いいのか? いや、俺が貰ってもトゥルーズに調理してもらうことになるんだが」

「はい! ぜひ貰ってください!」

 はじけるような笑顔で言われては貰うしかない。待ってろよトゥルーズ、自慢の腕を振るってもらうからな。

「散歩に来ただけで頂き物をしてしまい、申し訳ないな。困ったことがあれば言ってくれ。俺はエルフ達と良き隣人でありたいと思っている」

「ぼ、僕もアルマス様の近くで過ごせて嬉しいです!」

 なんだか少年はとても元気になった。若者は元気でいいな。

「そういえば、ルゼはどこだ? てっきりここにいると思ったんだが」

 この屋敷の建設はエルフ村の大事業だ。わかおさの姿が見えないのはいいのだろうか。

「ルゼ様はマイアさんと一緒に地図作りの冒険に出ちゃいました。にんも病人もいないし、作業は順調だからって……」

 すぐ近くで、ベッテルとビリエルが無言で頷いた。

 責任者がたまに不在なのが、エルフ村のちょっとした問題なのだった。


      


 エルフの少年にキノコを貰った翌日、俺は一仕事終えてからトゥルーズのところを訪れた。

 いつもどおり、トゥルーズはちゅうぼうにいた。宿とスティーナの工房を建築する関係でクアリアから職人が来ているので、食事を作るために彼女は厨房にいることが多い。ちなみに料理の評判はすこぶるいい。

「入ってもいいか、トゥルーズ」

「アルマス様、こんにちは。お昼の準備は終わったから大丈夫……。この香り? なに?」

 俺が籠に入れて持ってきたキノコにすぐ気づいた。さすがはトゥルーズだ。

「エルフの村でキノコを貰ったんだ。珍しい品らしいし、調理してもらいたいんだが」

 そう言って籠の中身を見せると、信じられない速さでトゥルーズが近寄ってきた。

「こ、これは……。エルフだけが収穫と加工の手順を知ってるという、キンソウダケ。別名、『隠された森の王』っ……」

 わなわなと震えるトゥルーズ。反応が尋常じゃない。

「もしかして、貴重なものだったか?」

「貴重なんてものじゃない……。採れる場所は少ないし、エルフの魔法を使ってしか収穫できない……。そうか、魔力が豊富だから聖竜の森に……。アルマス様、これ、加工済み……?」

 早口で呟きながら、確認をしてきたので静かに頷く。

「ああ、このまま食べられると言っていたぞ」

……………私に調理させてくれるなら、忠誠を誓う」

 それほどか。

「忠誠はいいから、い料理を作ってくれ。まあ、あまりないんだが」

 籠の中に入っているキンソウダケとやらは五本しかない。このまま食べたらあっという間になくなるな。

「調理法を工夫すれば……。さすがに詳しくないから試作も…………

 ぶつぶつと考え込むトゥルーズ。彼女らしからぬ反応が面白い。

「色々やってみる。できる量が少ないだろうから、二人でこっそり食べよう……」

 にやりと笑いながら、トゥルーズはそう言った。「他の人には話すなよ」という無言の圧を感じる。

「わかった。二人だけの秘密だ。これはトゥルーズに預けておこう」

「ありがとう。あ、ちょっと鮮度が……。アルマス様、魔法使えるんだから冷蔵してくれればよかったのに……」

 うらめしげな目でそんなことを言われてしまった。料理に関しての彼女は本気だ。

「すまない。気をつける」

「色々と調理法を試すから、また声をかける。お楽しみに……」

 そう言うと、トゥルーズは俺を全く見ないで大切そうにキノコを抱えて厨房へと戻っていった。

 あれはもう話しかけるべきではないな。

 そう思って退出し、屋敷の外に向かう途中でサンドラとリーラに会った。

「おはよう、アルマス。トゥルーズに何か作ってもらったの?」

「いや、世間話だ。主に好きな食べ物とかのな」

 俺が答えると、サンドラは「やっぱり」という顔をした。うそはついていない、詳細を語らなかっただけだ。

「トゥルーズがアルマスと仲良くなれてよかったわ。昔はもっと無口で気難しかったから……」

「はい。最初に会った時は口をきけないのかと思ったものです」

 リーラが同意を示す。トゥルーズをここに連れてくるまでにも色々あったのだろう。

「そうだ、アルマス。ドーレスが帰ってきてるわよ。あの子、やっぱり腕利きね。魔物の素材を高く売って、色々と仕入れてくれたわ。荷馬車も調達してね」

「それはすごいな。すると、次の出発までに素材を出しておかないといけないな」

 夏の間に俺達が氷結山脈で退治した魔物は素材単位に解体され、スティーナ達が屋敷近くに建てた冷蔵の魔法をかけた保管庫に置かれている。量が結構あるので手伝ったほうがいいだろう。

「色々と買ってきているから見るといいわ。それと、情報もね」

「ああ、聖竜領の外のことを仕入れてくれるのはありがたいな」

 まだまだ聖竜領は田舎だ。普通に日々を過ごしているだけで、世間から置いていかれてしまう。

 クアリアとのやり取りとドーレスが持ち帰る情報は、領地にとって大切なものだ。

「せっかくだ、土産話を聞くとするよ。ドーレスはどこだ?」

「宿の建築現場よ。ダン夫妻と打ち合わせね」

「わかった。感謝する」

「トゥルーズに建築現場への差し入れを一人前増やすように言っておきましょう」

「それも感謝する」

 気を回してくれたリーラにそう言うと、俺はさっさと建築現場へ向かうのだった。


      


 外の世界から商売をして帰ってきたドーレスに会うため、俺は領内の丘をゆっくりと下る。

 先日のデジレ・エヴェリーナの件もあるし、情報を得ておくことは大切だ。ちょっとしたことで問題に先手を打てるかもしれない。それに、ドーレスが仕入れてきた商品も気になるし、仕事の打ち合わせもしたい。

 聖竜領の宿の建築現場は領地の入り口近くにある。雑貨店に酒場も兼ねるということで敷地が大きくとられていて、現場の周りには大量の資材が積み上げられている。

 既に柱が立って建物の形が見えはじめた建築現場に到着すると、その前でダン夫妻と作業机を挟んで話しているドーレスがいた。近くには荷物を満載した荷馬車もある。仕事は順調なようだ。

「久しぶりだな、ドーレス、思ったよりも早く戻ってきたんだな」

「アルマス様。お久しぶりです。ちょっと西の方まで行ったら素材を売り切ってしまったです。報告と補給のための帰還です」

 言いながら、彼女はハーブティーを一口飲んだ。香りからして疲労取りのラフレの葉か。現場では聖竜領産のが常に準備されているからそれだろう。

「ちょうどいい。俺にも外の出来事を教えてくれないか。……と、モイラは仕事中だったか」

 見れば、ダン夫妻の奥さんの方、モイラが書類と格闘していた。見覚えがある。先日、サンドラがあっさり計算したやつだ。

「サンドラ様が作成した書類のチェックです。もうちょっと終わるところですわ」

「ほう。結構あったように見えたんだが。計算が速いな」

「サンドラ様ほどではありませんけれどね。妻はこう見えて、メイドとして住み込んだ先で頭の回転の速さを見込まれて、色々仕込まれたんですよ」

「たしかに振る舞いなどがしっかりしているものな。もしかして、旦那さんとの出会いもそこでなのか?」

 ダン夫妻の旦那の方、ダニーはほおをぽりぽりとかいて照れながら首肯する。

「ええ、まあ。それで二人で商売を始めようとしたんですが、妻に目をつけていた面倒なのに絡まれましてねぇ」

「エヴェリーナ家との取引で、不正をしているとぎぬを着せられそうになったところで、サンドラ様に助けられたのですわ」

「まあ、相手が商人組合の大物で、メンツをつぶしてしまって、いづらくなったんですがね。でも、おかげで良い場所に来られました」

 昔を懐かしみながら、ダニーが言う。その目線の先にあるのは建設中の宿だ。

 この夫婦はここで、ドーレスと共に商人としての一歩を本格的に踏み出すのだ。

 それにしてもサンドラ、いいことをたくさんしているな。本当に年齢不相応だ。

「はぇー。サンドラ様は凄いですねぇ。あてくしも、ここで頑張って働こうと思うです。そうだ、アルマス様にも関係のありそうな情報があってですね、クアリアの領主様が来年の春に結婚式をするようですよ」

「おお、いよいよか。にぎやかになるな」

 スルホの結婚は、妻であるシュルビアが色々と政治的なことを片付ける必要があるので、時間がかかると聞いていたのだが、案外そうでもなかったのか。

 なんにせよ、めでたいことだ。俺も結婚式には出席することになるのだろうか? 参ったな、服とかないんだが。

「他にも色々とありますですが、サンドラ様にも報告しないとですね。それにしても、ここは建物が建つのが早いです」

「アルマス様とロイ先生のおかげですね。早ければ、来年の春には店が開けそうです」

「おお、では、宿用の物品の仕入れをしないとですね。あてくし、そこらじゅうに声をかけるので必要なものを言ってください。あ、それから魔物の素材も回収しておかないと。それから、ここで店をやるなら人も……」

「なんだか随分とやる気だな」

 ドーレスは聖竜領に魔物をおびき寄せてしまったびも兼ねてダン商会に入ったのだが、思った以上にやる気を見せている。

「だって、ここは面白いところですから! 頑張ってダン商会を大きくして、幹部になるです!」

「まだ三人しかいないから、実質幹部ですけれどね。大きくはしたいですけど」

「あら、あながち大げさでもないかもですわ。ここは想像もつかないことばかり起きますもの」

 謙遜するダニーにモイラがそう付け加えた。

「そうだ。素材の売り上げですが、アルマス様にも結構な金額が入るです。欲しいものがあれば、出かけた先で見つけてきますですよ?」

「む、そうなのか。しかし、金の使い道か……」

 素材の売り上げの一部が俺に入るというのはわかる。魔物退治をしているし、理にかなっている。

 しかし、金の使い道というのが問題だ。四三六年の野生生活と元々の性格もあってか、俺は物欲が薄い傾向があるのだ。食事以外は。

「いきなり言われても思いつかないな。食材……は、どうせトゥルーズに頼むことになってしまうし。今度サンドラに相談してみるか。なんだドーレス、その目は」

 俺がそう呟くと、ドーレスがじっとりとした目で俺を見ていた。

「サンドラ様が言ってたです。『アルマスはたまにわたしを子供扱いするくせに、都合よく頼ってくるの』って。ほんとなんですね」

「なんだと……。そんなことは……」

 あるな。たまにちょっとしたことを相談してる。

「そうか。気にしていたか。子供扱いされることを気にするなんて、子供だな」

「それ、絶対に本人の前では言ってはいけないやつですわ」

 モイラが断言する口調で言った。確かにそうだ、気をつけよう。

「金の使い道くらい、自分で考えるか。生活を見直す良い機会だ」

「それがいいです。ご入り用の時はダン商会をよろしくです!」

 元気よく言ったドーレスを見て、ダニーの方は苦笑していた。

 俺はしばらくその場に滞在し、ドーレスから外の話を色々と仕入れたのだった。


      


 ドーレスは二日ほど聖竜領に滞在した後、再び旅立っていった。

 今度の目的地はクアリアだ。ダン夫妻の店のための買い出しと、石像の発注、収穫祭用の物品の調達のためである。

 今回は早く聖竜領に帰ってくる予定で、話によると、しばらく彼女は近場の町で商売をするとのことだった。

 平穏な日々が続く聖竜領でも少しずつ変化がある。

 まず、収穫が始まった。聖竜領の面々にとって、とても大切な時だ。この後に麦の植え付けがあるとはいえ、秋の一大イベントである。

「うひょおおお──! ついに収穫の時ですよおおおお!」

 そんなわけで、アリアが畑で荒ぶっていた。畑の中を自由自在に動く彼女は、次々と作物を収穫にかかっている。それも見たこともないテンションで。

 聖竜領の全員が参加して作業にあたっているのだが、彼女だけ異様に動きが良い。マイアが熟練の剣士のようだと驚いていた。

「普段はのんびり動いているというのにあの速さ、どうやっているんだ?」

「アリアさんは庭師ですから。植物を相手にした動きに最適化されているのでしょう」

「そういうものか……?」

 収穫された野菜を箱詰めしながら驚いていると、ロイ先生がにこやかにそんなことを言った。

 箱の中にはカボチャ、ラディッシュ、カブ、ルッコラ、ジャガイモ、ニンジンなどなど。俺の知らないものも含めてたくさんの野菜が収穫されている。

「このあとハーブ畑の方でも収穫するはずなんだが、あれで体力がもつのだろうか?」

「大丈夫ですよ。僕がハーブと魔法草で特製の体力回復ポーションを作りましたから」

 大丈夫なのか、それ。

 俺の視線に気づいたのか、ロイ先生はちょっと目をらしつつ言う。

「あ、ちゃんと危険がないように作っています。ちょっと元気が出る程度の効力が弱めのもので、試作品です。サンドラ様にも許可はとってありますし」

「アリアのために考えたのか?」

 体力回復ポーションなんてもの、ロイ先生が作れるなんて聞いていない。この時のために必死に研究したんじゃないだろうか。

…………れんですよね」

 俺の質問にわざとらしく答えず、まぶしそうにアリアを眺めながら、ロイ先生は呟いた。

 ちなみにアリアは奇声をあげながら、畑の中で転んでいた。

 ……まあいいや。この二人はそっとしておこう。

「さて、もう少し手伝うとしよう。日が暮れる前にハーブの収穫までしないとな」

 俺が畑に向かうとロイ先生も慌ててついてきた。

 その後、エルフ達も森からやってきてくれたおかげで収穫作業は順調に進んだ。

 一度に全部収穫するわけにもいかないので、しばらくはこうした日々が続く。

 野菜の多くは屋敷の保管庫と、この日のために作られた倉庫に保管される。

 冷気と風によって温度が低く保たれる魔法をかけておいたので、長くもつはずだ。


 そんな風に収穫の日々を続けていると、ちょっとした出来事があった。

 ある日、ハーブ畑と魔法草畑の収穫を終えた後、俺は何人かと家で休んでいた。

 この時アリアとロイ先生が家にいた。二人も含めてエルフ達と森の畑の世話をしたので帰る前に一服という流れである。

 俺の淹れたお茶とエルフの携行食を軽く食べながら、仕事の話となる。

「いやー、豊作ですー。これも聖竜様のおかげなんでしょうかー」

「聖竜領の大地は豊富な魔力が流れているようですから、そうかもしれませんね。とりわけ森は凄いみたいですし」

「どれだけ土地が良くても、育てる人間に知識と技能がなければこうもいかないと思うぞ」

 実際、どれだけここの土地が良くても、俺は農業に全く手を出せなかったわけだからな。技術と知識の何と尊いことか。

「しばらく忙しいでしょうが。収穫祭がたのしみですー。きっと賑やかになりますよー」

「サンドラ様が皆さんに色々と相談して準備をしていますからね」

「クアリアからも協力を得られるから問題ないだろう。俺達も何か準備すべきかな」

「そうですねー。ドーレスさんに服でも探してもらいましょうかー。少しはおめかししないとー」

「それはいいですね。いっそクアリアに行きましょうか」

 服、という言葉にロイ先生が反応した。着飾ったアリアでも想像したのだろう。

 とはいえ、たしかに二人とも大分服が汚れて傷んでいる。聖竜領に来てから肉体労働続きなわけだから、予備の服も同様だろう。

「そうか。服か……」

 考えてみれば、俺も聖竜様に貰った一張羅しかない。

 うん、これは考える価値がありそうだ。


      


 翌日、収穫作業を終えて少し落ち着いた昼過ぎに、俺はサンドラのところを訪れた。

「サンドラ、これで皆に服でも買ってやってくれ」

 そう言って、これまで貰った金の入った袋を置く。

…………え、なんで突然?」

 俺がやってきても気にせず執務をしていたサンドラが手を止めて聞いてきた。

 横のリーラも不思議そうな顔をしている。説明が必要だな。

「皆、ここに来てから仕事続きで服が大分傷んでるように見えてな。収穫祭に向けての準備に入り用だと思った」

 糸を布に、布を服に。時には色もつけて。手順も多く大量の人の手を使うのもあって服は高い。

 俺の説明を聞いて考え込むサンドラの横でリーラが「なるほど」と呟いた。

 どうやら意図が伝わったらしい。

「アルマス様、ご安心を。今は布を織る魔法具が作られたこともあり、服は昔より安価です。新品は相変わらず高いですが」

「そうなのか? 驚きだな。そういえば、紙の価値も変わっていたな」

 時代と共に物の価値も変わるものとはいえ興味深い話だ。その魔法具とやらを見てみたい。

「難しい模様なんかは織り込めない、本当に一枚の布を織るだけの道具よ。使用者の魔力を消費するから、交代で使うの。ちゃんと休みながらね。織物が盛んな地域に行くとよく見かけるわ」

「ちゃんと休みながらか。魔力が尽きるまで働かされそうなくらい便利なものに聞こえるが……」

「わたしが生まれる前に何人かの学者が研究発表してね。ちゃんと休憩して交代で動かしたほうが作業効率がいいっていうのが帝国内の常識になっているわ。とはいえ、そういう余裕ができる体制を作るのが難しいのだけれどね」

 人間には休憩が必要だ。それは俺もよくわかる。人間だった頃、休憩なしで連戦して死にかけたことが何度もある。疲れていると思いもよらないミスをするものだ。

「……そんなわけだから、あまり心配しないでいいと思うの。みんな、ちゃんとお給料は貰っているし、女性陣は自分で着飾るでしょうし」

「そうですね。お嬢様も着飾る準備をしませんと」

 リーラのその言葉にサンドラが微妙な顔をした。そういえば、サンドラは服装に気を使っている印象がないな。いつも青色の何かを身につけてはいるが。

「困ったな。せっかく金の使い道を見つけたと思ったんだが」

「だったら家の設備を良くすればいいじゃない。窓ガラスとか暖炉とか色々あるでしょう」

「それもそうなんだが。皆には色々世話になっているしな……」

「わたし達の方がよっぽど世話になっているのだけれど……」

 俺とサンドラが黙り込む横で、リーラが穏やかな微笑みを浮かべつつ言う。

「それでしたら、アルマス様は自前の服を仕立てたらいかがでしょうか? 失礼ながら、一張羅に見えますので」

「俺の服か……」

 なんとなく自分のローブを見る。聖竜様から頂いたこの服は汚れないので便利ということもあり、いつも着ている。

「いいわね。せっかくだから収穫祭用に一着用意しましょう」

 俺が微妙な反応を返したのに対して、サンドラは楽しそうだった。

「アルマスの服装とか考えがあるわ。ちょっとやる気出てきた」

「お嬢様は他人の服装を考えるのがお好きですからね。お人形遊びもお好きでした」

 俺は人形扱いか……。

『よかったのう、アルマス。服なんて四百年以上買ったことがないから、ちょうどいいじゃろう?』

 いきなり聖竜様がそんなことを言ってきた。なんだか楽しそうだ。

 考えてみれば、他人より自分のことを心配すべきだったのは事実である。

「安心してアルマス。素敵なのを選んであげるわ」

「普通ので頼む、普通ので」

 サンドラの笑みに不穏なものを感じたので、俺は努めて冷静にそう依頼をするのだった。


      


 収穫作業が始まって数日、俺は屋敷の食堂にいた。

 時刻は昼より少し早い。トゥルーズに「ちょっと早めに来て」と言われていたためだ。

 目的は先日エルフの少年から貰った貴重なキノコを使った料理である。

 厨房に入るとトゥルーズは既に準備を完了していた。他の者に黙ってこっそり食べるということもあり、厨房の片隅にテーブルが置かれ、その上に出来立ての料理がある。

「来たぞ。どんな感じだ」

「とりあえず、いくつか作ってみた。フリカッセのパイ包み、リゾット、あとはシンプルにソテーして特製ソースをかけたもの」

 テーブル上を見ると丸い容器の上をパイで包んだもの、キノコと米とチーズを混ぜて煮込んだリゾット、それとキンソウダケをスライスして焼いた上にソースをかけられた料理が並んでいる。

 近くに寄っただけで、鼻を抜けていく香ばしい芳香。風味だけでこれがとても味わい深い料理であることを予感させた。

「ソテーはキンソウダケを味わうために豪華に半分使った。他の二つは少なめ。数が少なかったから……」

「五本しかなかったからな。全部使ったのか?」

「あと二本ある。乾燥させたりオイルにしたりして、色んな料理の風味付けとかにこっそり使おうと思ってる……」

「なるほど。長く楽しめそうだ」

 トゥルーズも興味津々の素材だ。長く使って研究したいだろう。これから先の食生活が楽しみだ。

「説明は後でもできるから、先に食べよう……」

 待ちきれない様子で席につくトゥルーズ。俺もそれに続く。

「では、いただきます」

「いただきます……」

 とりあえず、一番の目玉であるソテーに手をつける。豪華に使ったとはいえキノコ半分だ、量は大したことがない。貴重なのでナイフで小さく切って口に運ぶ。

…………う、美味いな」

 なんというか。豊かな風味と言えばいいのだろうか。

 キノコとは思えない、濃厚かつ香ばしい味が口内に一気に溢れる。そして食感。肉厚で、まるで上等な肉をんでいるようだ。トゥルーズのかけた薄味でシンプルな塩気のソースが素材の味を引き出しているのもまた絶妙に良い。

「アルマス様の好みに合わせて塩っぽいソースにしてみたんだけれど……。合うね……」

「ああ、キノコとは思えない。鼻を抜けていく香りが凄いな」

「火を通す前は上品な感じだったけど、加熱したら別物になった……」

 なんと。そこまで変わるのか。

 次に俺はスプーンを手に取り、パイ包みを破って、その中にあるフリカッセに手を伸ばす。フリカッセは鶏肉、キノコ、タマネギなど、色んな素材を煮込んだ料理だ。

 程よく混ざったパイ生地と共に口に運ぶ。

 当たり前だが美味い。少ないキンソウダケが味に対していいアクセントになっている。

「美味い……本当に美味い……」

「リゾットもしい。でも、味が強すぎて全部似たような感じになってる。食事に出すなら一品だけとかがいいかも……」

「なるほど。しかし、よくこんなに食材があったな。米なんて作ってなかったはずだが」

 リゾットは珍しい料理ではないが、聖竜領では米が珍しい。

 俺の疑問にトゥルーズがにやりと笑みを浮かべる。

「この前、ドーレスが買ってきてくれた。色んな食材があったほうが楽しいからお願いした………」

 食事に関しては抜け目のない女性だな。頼もしい。

「これはきっといいものだから、こっそり食べていこう」

「そうだね。二人だけの秘密で……」

 俺とトゥルーズが固く決意したところで、厨房の外から騒がしい足音が聞こえた。

 人数は二人。そのうち一人は体重が軽い。

「ん? サンドラとリーラか。なんか慌ててるようだが」

「足音で誰かわかるの、本当に凄い……」

 トゥルーズが感心しているが、大したことじゃない。多分、リーラでもできそうな技能だ。

 これは何かあったかなと思う間もなく、厨房のドアが勢いよく開けられた。

「アルマス! よかった、ここにいたのね!」

 ドアの向こうで息を弾ませているのは、サンドラだった。息が上がっている。聖竜領で鍛え直された彼女にしては珍しい。

「どうしたサンドラ、息を整えたほうがいいぞ。元々君は体力がないから無理な運動は……」

「畑からここまで走ってきただけだから心配無用よ。って、なにこの匂い。二人で何か食べてるの? すごく美味しそうなんだけれど。もしかして新しい特産品になるようなもの?」

 つかつかと室内に入ってきて、テーブル上の料理を見て矢継ぎ早に状況を確認するサンドラ。領主らしい思考の流れが彼女の成長を感じさせる。

「これは俺がエルフ村で日頃のお礼として貰ったものをトゥルーズに調理してもらっただけだ」

「私はアルマス様に頼まれて調理しただけ……」

 とりあえず「報告してないのは悪いことじゃない」アピールを開始する俺達だった。

 実はこのキンソウダケ、かなりの高級品で商売に使えるんじゃないかと心の片隅で思っていた。だが、それはそれだ。世の中には優先すべきことがある。

…………詳しく話を聞きたいところだけれど、今はいいわ」

 しばらく半眼で俺達を眺めた後、サンドラはそう言って追及を諦めた。

 どうやら、ただならぬ事態が起きたらしい。

「二人ともよく聞いて。スルホ兄様から魔法具で連絡があったわ。三日後、クアリアの町から聖竜領に向けて、とんでもないお客様が来るって」

「とんでもない……? 具体的には誰なんだ?」

「第二副帝」

………………

 俺とトゥルーズはすぐに反応できなかった。ただ、横のトゥルーズは「第二副帝」という単語を聞いた瞬間、全身が軽くけいれんし、表情が固まった。

「第二副帝なら俺も知っているぞ。イグリア帝国で二番目か三番目に偉い人だな。あと、この辺り一帯を治めている人物でもある」

 聖竜領のあるイグリア帝国は帝都のある西側を皇帝、中央を第一副帝、そして辺境とも呼ばれる東部を第二副帝が治めている。普段意識することはないが、第二副帝というのは帝国の住民にとって最も身近な「とんでもなく偉い人」だ。

「……もしかして、大変なことか?」

 実感が伴ってきた俺の声に、サンドラは静かに頷いた。

「第二副帝クロード・イグリアス。彼が直接やってくるなんてさすがに想定外だわ。スルホ兄様からの手紙によると、シュルビア姉様の治療などのお礼も兼ねてということみたい」

「アルマス様、申し訳ありませんが、お嬢様をお願い致します。私は屋敷内の準備を整えます。トゥルーズは出迎える料理の計画を、できるだけで構いませんので」

 戸惑うサンドラの隣で、いつもは鉄面皮のリーラまで焦っていた。来るのが大物すぎるし、目的が不明瞭なのもまた不安にさせるのだろう。メイドとしてできる限りのことをするなら、サンドラの護衛をする余裕もない。

「わかった。任せてくれ。サンドラ、俺と一緒に外だ。領地全体を回って皆に知らせよう」

「そうね。みんなで力を合わせて乗り切りましょう。ある意味、聖竜領に来て一番の山場かもしれないわ……」

 不安そうに癖毛をいじるサンドラに、俺は穏やかに言い聞かせる。

「ちょうどいいじゃないか。エヴェリーナ家の件で強力なコネクションが欲しかったところだ」

「そうだけど。話が急だからちょっと困ってるのよ。せめて来年の春だったらもうちょっと領地らしくなっていたのに……」

 今の聖竜領の見た目は村と呼ぶにも寂しいのは事実だ。だが、第二副帝という人物も、それをわかって来るはずだ。春に開拓を始めた場所に町ができているのを想定するはずがない。

「まあ、なんとかなるんじゃないか? 今あるもので迎えるとしよう」

「その余裕がたまにうらやましくなるわね……」

 胃のあたりに手をやりながら、サンドラがこちらを見上げてそんなことを呟いた。


      


「第二副帝クロード・イグリアス。年齢は四十歳くらい。性格は温厚で知的、でも権力者としての冷静で冷徹な面を持つ人物よ。元々学者志望だったらしいけれど、ある日を境に人が変わったように権力者への階段を上りはじめてね。上の兄姉きょうだいを飛び越して第二副帝にまで上り詰めたの」

「それは権力争いに勝ったということか。ごわそうだな」

 緊急事態への対処の最初の段階として、屋敷の執務室で俺はサンドラから第二副帝についての情報を教えてもらうことになった。

 三日という短い期間しかないにしても、最低限、情報を仕入れて失礼のないようにしなければ。

「第二副帝になるまでの逸話は色々あるけれど、温厚なのは間違いないわ。わたしがここに来る時、男爵位をくれたりと色々と便宜を図ってくれたもの。娘であるシュルビア姉様と顔見知りだからだけれど」

「なるほど。サンドラとしては恩義があるわけか」

 サンドラはこくりと頷いた。

「話は通じる。でも、どれだけのことまで考えているかはわからない。お礼以外の目的が領地の視察くらいだといいのだけれどね」

「受け入れの方はどうする? 第二副帝ともなればかなりの団体じゃないのか?」

「スルホからの手紙には『お忍び』とあったわ。だから、数は少ないと思う。それに、第二副帝は強力な護衛がいるからあまり大人数で動かないの。……奥さんが帝国五剣の一人なのよ」

 帝国五剣、イグリア帝国最強の剣の使い手とされる五人だ。『嵐の時代』に戦で領地を拡大したこの国においては英雄のような存在とされている。弟子であったマイアからして、かなりの使い手だったことから、その実力の高さは想像に難くない。

「争いにならないように気をつけよう。……しかし凄い嫁を見つけたな」

「第二副帝の奥さんは二人いてね。シュルビア姉様の母君は帝国五剣の奥さんの幼なじみなの。考えにくいけれど、マイアを破ったアルマスに腕試しを挑んでくるかもしれない。その時はやりすぎないようにね」

「わかっている。加減しよう」

 サンドラは俺が帝国五剣よりも強いと認識しているらしい。おそらく、間違ってはいない。

「とはいえ俺は政治的な振る舞いは得意ではないからな。いっそ森で静かにしていようか」

「多分、無理だと思うわ、それ……」

 どういうことだ、と俺が言う前にサンドラは言葉を続ける。

「第二副帝は元々学者志望だった人と言ったわよね。非常に好奇心が旺盛なの。珍しい物事が大好きで、それで時々城を抜け出そうとするといううわさもあるくらい。聖竜様とあなたに会いたくて来た可能性は高いと思うの。……だから案内人、よろしくね」

「なんだと……」

 なんだか途端に面倒くさくなってきた。

「わたしも一緒だから、頑張りましょう」

 どんよりとした目をしながらサンドラが微妙な笑みを浮かべつつ右手を差し出した。間違いない、俺を道連れにするつもりだ。

『頑張るのじゃぞ、我が眷属よ』

 聖竜様に答える気がしなかったが、とりあえずその手は握ることにした。


      


 急な話なので聖竜領にできる準備は多くない。

 屋敷に客室を用意して、トゥルーズが料理の仕込みをする。リーラと相談したダニー・ダンがドーレスに頼んで、荷馬車を駆って急ぎの買い物をした。あとは領民全員に周知して、緊張してその時を待つことになる。

 そして三日後、情報どおり、昼を過ぎた頃に馬車がやってきた。

 数は二台。第二副帝なんて大物が乗っているとは思えない普通の馬車が屋敷の前で止まる。

 俺やサンドラといった領地の主立った者が出迎えのために立っていると、馬車の中から最初に女性、次に男性が現れた。

 薄茶色の髪と水色の瞳を持った中年の男性は、地味ながら各所に細やかな飾りがついた高そうな服を着ている。穏やかそうな風貌でありながら油断のない目つきだ。全体的な雰囲気はロイ先生に似ているようで、どこか緊張感のあるたたずまいをしている。

 親しみやすそうでありながら、厳しさも兼ね備えた人物。

 第二副帝クロードの第一印象はそんな感じだった。

「やぁやぁ、出迎えご苦労。やっぱりスルホから連絡がいってたんだね。感心感心」

 実に気軽な挨拶をしながら、クロードは笑顔でこちらにやってきた。

 その隣を油断のない歩みで女性が寄り添う。

 灰色の長い髪が特徴の美女だ。こちらは見た目からして怖い。よろいを着込んではいないが左の腰に長剣、右の腰に小剣をいている。

 帝国五剣にして第二副帝の妻、ヴァレリー・イグリアスである。

「お久しぶりです、クロード様、ヴァレリー様。ご壮健なようで何よりです」

 一歩前に進み出たサンドラが緊張した面持ちで言うと、第二副帝と妻は途端に顔をほころばせて優しい目になった。

「サンドラこそ元気そうで何よりだ。どうやら、必要以上に構えさせてしまったようだね。ここに来た名目は視察だが、何かするつもりはないから安心していい」

「ほら、やっぱり困ってるじゃない。貴方あなたは副帝なんだから、好奇心に負けて動くと周りが迷惑するのはわかってるでしょうに」

「いやあ、すまないね。しかし、クアリアまで来たら噂の聖竜領を見ないわけにはいかないしね。個人的にも副帝的にも」

「個人が先だったようだけれど?」

「いやぁ……ははは」

 妻にたしなめられて困ったように笑う第二副帝。

 それを見た俺達全員もまた、困っていた。

 なんだか思ったよりもノリが軽いのだが、どう接すればいいのかわからない。

 そんな感じだ。

 サンドラまで言葉を失っていると、第二副帝が俺の前までやってきた。

「貴方が聖竜の眷属、アルマス・ウィフネンだね? 服装でわかるよ。そのローブはイグリア帝国にはない作りだ。模様も同様。杖も見たことのない素材だね? ところで聖竜と話すと目が金色に輝くというのは本当かい? ぜひ見たいのだが、お願いできるかい?」

 瞳の中で好奇心を全開に輝かせ、物凄い勢いで質問が飛んできた。まるで学ぶのが楽しくてたまらない少年のようだ。

「貴方。アルマス殿が困っているわよ。……ごめんなさい。この人は元々学者志望でね、聖竜と貴方のことが気になって仕方がなかったの」

「そうなのか。それはまた大変そうな……」

「ええ、大変だったわ。政務を放り出して東に出かけようとすること五回。こっそりクアリアに向かう用件を画策すること三回。クアリアについたら一人で馬車を手配して向かおうとするし……」

 なんだか聞いてて頭と胃が痛くなる話だな。サンドラなんか顔が引きつってるし。いきなり第二副帝が一人でやってきたら倒れていたかもしれない。

「仕方ないだろう! 世界を創造せし六大竜の一つ、聖竜とその関係者に会えるんだよ。研究テーマとしてこれほど魅力的なことはない! いっそ移住して調べたいくらいだぐふっ」

 興奮気味に語るクロードの腹にヴァレリーの拳が突き刺さった。加減はしているようだが効いたらしく、第二副帝はうめき声をあげてうずくまる。

「その聖竜の眷属殿まで出迎えてくれたのだから、第二副帝らしい挨拶をなさい。まったく……」

 妻にそう言われ、腹を押さえながら立ち上がったクロードは居ずまいを正して俺をまっすぐ見る。

「失礼した。第二副帝クロード・イグリアスだ。偉大なる聖竜の管理する領地をサンドラ・エヴェリーナ男爵に預けてくれたこと、そして多大なる協力をしてくれたこと、この帝国東部を預かる者として感謝する」

 穏やかさと威厳を備えた語りと共に、右手が差し出された。

「アルマス・ウィフネンだ。聖竜様の眷属としてここで暮らしている。サンドラ達には良くしてもらっている」

 そう言って、握手を交わすと、思った以上の力で握り返された。

 そのままぶんぶんと腕を上下に振りながら、嬉しそうにクロードは言う。

「素晴らしい! 『嵐の時代』を生きた人なのだろう! 色々と話を聞かせてほしい! 元は人間だと聞いているがどうしてそんなに長生きなんだ? どのように暮らしていた? 聖竜とはどうやって会話をぐふっ」

 手を握ったまま質問を始めた第二副帝は、横からヴァレリーに一撃入れられて、その場に再び崩れ落ちた。

「……あの、屋敷の中に入りませんか? 歓迎の準備をしていますので」

 緊張と戸惑いで胃を押さえていたサンドラが遠慮がちに提案してきた。

 ヴァレリーは地面にうずくまる旦那(すごく偉い人)を見下ろした後、穏やかで優しい笑みを浮かべてサンドラに答える。

「ええ、そうしましょう。貴方にはシュルビアの件でしっかりとお礼も言わなければならないしね。サンドラ・エヴェリーナ男爵」

『あんまり偉そうじゃない権力者じゃのう』

 聖竜様がそんな感想を言ってきたが、自分のことも少し省みたほうがいいと思う。


      


 領主の屋敷には打ち合わせ用の小さな応接室はあるが、大きな会議室はない。

 第二副帝クロードの一行は馬車二台分、全部で六名だ。応接室には入りきらないので、いつも領地会議に使われている食堂兼用の広間に迎え入れた。

 できる限り綺麗に清掃し、貴人用にテーブルと椅子を運び込んだ室内に一行を案内する。

「申し訳ありません。開拓を始めたばかりの領地ですので、このような部屋しか用意できず」

「いや、これを見たかった。この建物はイグリア帝国が成立する以前、『嵐の時代』よりも前の建築だ。むしろ貴重な機会だよ。調度類も残っていたのかい?」

 しげしげと室内を見回しながら、第二副帝が尋ねる。

「はい。食器などもいくつか。使えるものは使う方針でやっていたのですが」

 サンドラの顔がこわる。もしかして、物凄く貴重なものを俺達は使っていたのだろうか。第二副帝的にまずかったか?

「むむむ。……それは仕方ないとはいえもったいないことだ。新しいものを用意するから交換を……いや、君を責めているわけじゃない。ボクの想像以上だっただけでね?」

「貴方、席につきましょう。ありがとう。わざわざ準備をしてくれて」

 放っておけば屋敷中の観察を始めそうなクロードだったが、奥さんにたしなめられて席につく。すぐにリーラの手によって全員にハーブティーが振る舞われた。お茶請けとして、トゥルーズが急いで作った焼き菓子も添えられている。

「ほうっ。クアリアでも飲んだ聖竜領のハーブティーだね。こちらの焼き菓子もここが産地の材料が使われていると見た。味も効能も期待できるね!」

「……少し落ち着きなさいクロード」

「はい」

 興奮気味のクロードに、ヴァレリーが殺気混じりに一言言うといきなり黙った。

 そして、好奇心旺盛な中年の顔から第二副帝の顔に切り替えて厳かに言う。

「聖竜領の心からの歓迎、嬉しく思う。皆、緊張しているだろうが安心してほしい。今回、訪れた理由は、そちらの聖竜の眷属とサンドラに礼を言うためだ」

 そう言うと、クロードとヴァレリーは席を立つ。お付きの者達と領民も反射的にそれに続く。

「我が娘、シュルビアを救ってくれたこと、心より感謝する。おかげで心置きなくクアリアに送り出すことができる。これは、第二副帝としてだけでなく、一人の父親としての感謝でもある」

「ありがとう。私の友人の子供を助けてくれて。もっと早くこれを伝えたかった」

 そう言うと第二副帝と帝国五剣は軽く会釈した。

「……わたしは、シュルビア姉様に良くしてもらいました。お二人には、この領地に来る際も色々と配慮いただきましたし。当然のことです」

 サンドラが声を震わせながら言う。色々とあったので、クアリアでシュルビアを治療したのを大分昔のことのように感じる。あれがこうして生きてくるとはな……。

「サンドラは聖竜様に認められた領主だ。俺は最大限協力するように聖竜様から言われている。気にしなくていい……です」

 話してる途中で気づいた。一応これ敬語を使ったほうがいい相手じゃないか。今更すぎて誤魔化しきれないか。

「ありがとう。アルマス殿、世界を創造せし聖竜は我々こそ敬意を払わねばならない対象だ。だから貴方も、いつもどおりでお願いしたい」

 よかった。あまり気を使わなくていいみたいだ。聖竜様のおかげだな。

『よかったのう。今思い出したんじゃが、お主、初めてワシに会った時もタメ口じゃったな。割とそういうの苦手じゃろ?』

『昔のことを……。聖竜様にはちゃんと丁寧に接しているじゃないですか』

 聖竜様に苦手分野がばれてしまった。実害がなさそうだからいいが。

「むっ。アルマス殿、その金色の瞳は聖竜が来ている証拠だね。シュルビアから聞いているよ。よく観察したいのだが……」

「貴方、我慢しなさい。お礼以外にも仕事があるでしょう?」

「お休みいただいたあと、アルマスとわたしで聖竜領を案内する予定なのですが、いいでしょうか?」

「ほう! それは素晴らしく楽しみだ! そして説明しよう! ボクらの滞在予定は二日間。その間に聖竜領を見て、今後の支援を検討することにしている」

「第二副帝が視察した上での支援とは、頼もしそうだな」

「世界を創造した竜がいる上に、強力な効能を持つ特産品の数々。ボクとしても無視するわけにはいかない。とはいえサンドラも皆もそのままだから安心してほしい。聖竜に認められた者でなければ、この領地を治められないだろうからね!」

「それを見定めるための視察でもあるのです。夫が色々と迷惑をかけるでしょうが、悪いようにはならないと思うので、よろしくお願いします」

 テンション高めな副帝とは対照的に、落ち着いた様子のヴァレリーが丁寧に頭を下げた。

「こちらこそ、クロード様達の来訪を嬉しく思います」

「よろしく頼むよ!」

 緊張でぎこちなく笑うサンドラに、クロードが物凄く軽い返しをする。横のヴァレリーの目つきが怖い。

『うむ。なかなか面白い男じゃ』

『そうですね……』

 なかなか珍しいタイプの人間だとは思う。

 ともかく、こうして第二副帝による聖竜領視察が始まったのだった。


      


 旅の疲れをいやした翌日、さっそくクロード達は聖竜領内の視察を開始した。

 案内するのは当然ながら俺とサンドラだ。護衛としてリーラとマイアもついてくる。

 クロード達は身軽なもので、奥さんのヴァレリーを伴うだけでお供の者達は屋敷に置いていくようだった。

「少ないな。大丈夫なのか?」

「妻がいるから大丈夫さ。それに、キミ達もいるしね」

 クロードが連れてきた者達は、屋敷内の調度類を検品している。どうやら、そのための人員だったようだ。

「しかし、あの屋敷を実質メイド一人で管理しているとは思いませんでした。さすがはエヴェリーナ家の誇る戦闘メイドね」

 賞賛の言葉にリーラが静かに頷く。

「恐縮です。ですが、お嬢様をはじめ、皆様にもお手伝いしていただいておりますので……」

「連れてきた者達は悪さをしないことは約束しよう。さあ、行こうか! 未知の世界は久しぶりだからワクワクするなぁ!」

 実に楽しそうにクロードが叫び、俺達は出発した。


 聖竜領の案内となると行き先は畑などになるので、割と地味だ。屋敷から出て、森に入り、領内の皆で世話している畑を前にサンドラが説明をする。

「……ここが聖竜領のハーブ畑です。ご存じかと思いますが、聖竜様の力で土地に魔力が豊富なため魔法のような効果があります」

「思ったよりも大きいね。種類も多い。ああ、なるほど、エルフが手伝うようになったんだね。これから珍しい品種も増えるんだろう?」

「今は一般的なものが多いですが、エルフにしか育てられない品種などが増える予定です。クアリア向けに獣けのポプリが重宝されています。特に、アルマスが作ったものが」

「そう、それだ! 眷属印というのはどういうことだい? 効果が全然違うという話だが!?

「俺は竜だからな。人間と違って植物を育てるだけでも大きな影響が出る。来る途中にあった家の近くにある小さな畑で栽培している」

「なるほどなるほど。いざ目にしてみると人間にしか見えないのだけれどねぇ。不思議だ!」

 クロードは今日も好奇心でいっぱいだった。隣で奥さんが疲れた顔をしている。ちなみにサンドラもちょっと困っているようで、頻繁に俺に話が振られるように誘導している節がある。

「向こうには魔法草の畑もある。俺が育てたものを株分けしたものだな」

 そう言いながら、魔法草畑に向かう。クロードはうんうんと何度も頷きながら言う。

「魔法草か。これは凄いものだよ。おそらくだけど、聖竜の森だけにしかない品種もあるだろう。研究すれば『ばくだい』の一言ですまないくらいの富をもたらすかもしれない」

「そう思うのですが、専門家が足りなくて。ここを担当している人材は優秀なのですが、普通の庭師とゴーレム専門の魔法士でして」

「ふむ。アルマス殿の専門は? 人間の時分は魔法士だったのだろう」

「俺の専門は戦闘だ」

「そうだった。ボクが動く前にウイルド領との小競り合いを解決したのは見事だったね」

「第二副帝が動く予定があったのか?」

「ヤイランはボクから見ても上手く立ち回っていたのだけれど、出来立ての領地相手にあれはやりすぎだよ。特にサンドラはボクが男爵位を与えているし、娘を助けてくれている。こちらで手を打つ準備をしていたのさ!」

「クロード様、ありがとうございます」

「なに、個人的にも政治的にも動く理由があったということだよ」

 礼を言うサンドラに対して、クロードはあくまで軽く返す。だが、言葉ほどにはその目は浮かれていない。元々問題のある領主にくぎを刺す、ちょうどよい機会という意味もあったのだろう。

「うん、わかった! この森は面白いね。もっと色々と教えてもらってもいいかい?」

 力強くそう宣言すると、クロードは次々と質問を俺達に投げかけてきたのだった。


 その後、エルフの村を訪れ、クロードはルゼを相手に聖竜の森のことで質問攻めにした。どうやら、事前にルゼが聖竜領内を歩き回っていることを把握していたらしい。

 ルゼは困りながらも知る限りのことを的確に答えてくれる。

 建設中のエルフの屋敷を見せると、クロードはそこでさらにつっこんだことを聞いてきた。

「ところでルゼ君。キミは聖竜の領域に行ったことはあるかい? 奥地にあって、聖竜に会えるそうなんだが」

 一瞬、困った顔でルゼが俺の方を見た。俺は頷く。別に隠すようなことじゃない。

「それらしい場所はあったのですが、聖竜様には会えませんでした。アルマス様が言うには、今は領域を閉じているとか」

「なんと、それは残念! ぜひ行ってみたかったのだが! アルマス殿、聖竜に会うことはできないのかい?」

「今は領域を閉じているからな。可能性があるとしたら『聖竜の試し』くらいになるな。あれで会話もできるはずだ」

 俺の妹、アイノの治療に専念する必要もあって、聖竜様は自分の領域に閉じこもっている。俺が眷属になってから領域を開いたことはない。

 『聖竜の試し』は聖竜様が心に直接触れてくるので、会話をすることもできる。実体を目にすることはできなくとも、クロードの要望をかなえる一番良い形だろう。

「『聖竜の試し』、シュルビアが言っていましたね。なんでも心の中をのぞかれるとか」

「そのとおりです。わたしも、スルホ兄様も受けました。聖竜様に心と記憶を見られます。お二人にはあまり、お勧めできません……」

 当然だ。第二副帝ともなれば重大な情報を多く抱えているだろう。聖竜様の性格的に必要ならば、国家機密だろうが俺に伝えてくるはずだ。それはよくない。

「む、どうしても方法はそれだけなのかな? 会いたい、会いたいぞ聖竜。……いっそ第二副帝やめようかな」

「貴方……」

「じょ、冗談だとも。個人的に大変好奇心をくすぐられるが、なにぶん秘密をたくさん抱える身なのでね、とても……とても残念だが、遠慮しよう」

 心の底から悔しそうに第二副帝は言った。帝国の秘密が丸裸になるようなことはさすがにできないだろう。賢明だ。


 そのままエルフの村で昼食をとったあと、俺達は屋敷の方へ戻ることになった。クロードは氷結山脈の方や森の奥を見たがったが、その場の全員で却下した。

「……むぅ。皆、なかなか厳しいな。一応第二副帝なんだが、ボクは」

「聖竜領の皆さんが常識的な方々で助かりました。この人、放っておくとすぐどこかへ行くので」

 奥方に「この人」扱いされるイグリア帝国有数の権力者と共に、領主の屋敷の方に戻る。森を抜けて領地に戻ると、そこでは宿の建築のためにゴーレムの数々が元気に動いていた。

「この領地、人口の割にゴーレムが多いね。形も変わっている。あれとか」

 クロードの指さした先にいたのは、人間くらいの大きさのストーンゴーレムだ。大きな腕で地面を押し込みながら前に進んでいる。

「あれは地面に対して細かい作業をするためのゴーレムです。ロイ先生……ロイという優秀な魔法士とクアリアの職人で色々な形を研究しながら利用しているのです」

「ほう。その魔法士は優秀なんだね。これだけの数を造り出すとは並の魔力じゃない」

「ゴーレム製造の時は俺の魔力を使っている。たくさん造れるからな」

「なるほど。竜の魔力というわけか。一度にどのくらい造れるのかな? 百かな、千かな?」

「いくらでも。十万くらいでも問題ないぞ」

……………

 俺の発言に第二副帝と奥さんが黙り込んだ。互いに目線を交わしている。

「確認だけど、冗談ではないよね?」

「もちろん。俺がクアリアと聖竜領の間の大地を動かした報告は聞いているだろう?」

…………

 再び少し沈黙してから、クロードがとても良い笑顔で言った。

「仲良くしよう! 共にこの地を生きる同胞よ!」

「別に脅したわけじゃなかったんだが……」

 しまったな。変に警戒させてしまったか?

「アルマスも聖竜様も悪い人ではありません。むしろ、わたし達に多大な協力をしてくれました。それがなければ、わたし達はここでの暮らしすらままならなかったでしょう」

 横からサンドラのフォローが入った。

「わかっているよ。ボクもキミを任命した責任がある。サンドラ・エヴェリーナ。今後も帝国のため、聖竜とその眷属と、良き関係を保ってくれ」

「はい。それがわたしの役目ですから」

「ああ、しかし残念だ。こんなに刺激と魅力に溢れているところで暮らせないなんて。……やっぱり第二副帝やめごふっ」

 二回目の問題発言に、ヴァレリーからの容赦ない一撃がたたき込まれた。

 大丈夫だろうか、この国。


      


 第二副帝の視察は本人がたまに騒ぐ以外は滞りなく進み、翌日には時間の余裕ができるくらいになってしまった。仕方ない、現状の聖竜領はあまり見る場所がないというのもある。

 視察に続いてサンドラとクロードが今後について話し合うことになり、俺も屋敷にとどまって様子を見守ることにした。

 そして今、俺の前ではマイアとヴァレリーが手合わせしていた。

「もう一度、もう一度お願いします!」

「いいですよ。何度でもかかってきなさい。マイア殿」

 サンドラとクロードは屋敷の外に置かれたテーブルを囲んで、リーラにお茶を用意させて穏やかに会話している。

 俺達も最初はそこに同席していたのだが、話の内容が仕事から世間話になったあたりで、近くにいたマイアをヴァレリーが見つけ、剣の手合わせとなったわけである。

「ロジェ殿の孫娘がここで修行していると聞いていたのでちょっと楽しみにしていたのです。直弟子でない今なら、存分に手合わせできますから」

「その言葉、とても嬉しく思います」

 ロジェというのはマイアの祖父の名だ。ヴァレリーと同じく帝国五剣である。なんでも、彼らは互いの手合わせを禁じられており、その弟子相手でも剣を交わすことはまずないらしい。

 つまり、帝国五剣ともなると技を競える相手がなかなかいない。元々剣を振るのが好きで達人へと至った者としてはいかんともしがたい状況に置かれてしまうのだ。

 そんなわけで、ヴァレリーは相手に飢えていたらしい。

 ヴァレリーとマイアは互いに剣を構え、何度も激しく剣を打ち合っている。ちなみにどちらも練習用の刃を潰したものである。マイアがクアリアで買ったもので、普段はあまり出番はない。

 ちなみに勝敗はヴァレリーの四連勝。実力差が大きい上に、マイアが正面から愚直にぶつかっているゆえの結果だ。

「これならどうです!」

 突如、マイアが動きを変えた。これまでの直線的で攻撃的なわかりやすいものから、剣を柔らかく運用し、ヴァレリーの攻撃をとにかく受け流す剣筋だ。

「そういえば、ルゼ達に剣を習っていたな」

 マイアはルゼと聖竜領内を探索する傍ら、エルフの剣術を教わっている。これはその成果だろう。流れる水のように攻撃を受け流し、必要に応じて自分本来の攻撃と速度を重視した剣に切り替える彼女の新しい戦法だ。

「そこですっ!」

 ヴァレリーの大振りの一撃を受け流した瞬間、マイアが一気に切り込んだ。脚から腕に全身の力が上手に乗った鋭い一撃を見舞いにかかる。

「良い動きですが、まだまだ無駄が多い!」

 しかし、相手は帝国五剣。実力的に上だ。ヴァレリーは体勢を崩さず、ステップだけでマイアの勢いある攻撃をかわしてしまった。簡単に見えるが、普通に避けられる速度じゃない。大振りした瞬間から、マイアの動きを予測していたのだろう。

「これで終わり!」

 鋭い叫びと共に、加減がされた剣の一撃によってマイアが転がされた。

 これで五連勝になった。

 ヴァレリーは俺から見てもさすがの強さだった。

 その動きは変幻自在で、聖竜領に来てからの特訓で鋭さを増したマイアを思うままにほんろうしている。本来は腰につけた長剣と小剣を同時に使うそうだが、それをしなくとも十分強い。

「はぁっ、はぁっ。少しは強くなったつもりでしたが、まだ全然ですね……」

 長剣を手に立ち上がりながらマイアが言う。その姿は悔しそうであり、嬉しそうでもある。

「以前見た時よりも剣の鋭さが増していますね。ロジェ殿に良い報告ができそうです」

「おじいさまに?」

「ここに来た時に、手ほどきするように言われていました。自分の剣が見つかるといいですね」

 そう言って、ヴァレリーは自分の剣をさやに納めた。表面上は平静を装っているが、微妙に顔が上気している。なかなか白熱した戦いだったからな。

 俺の見立てでは、マイアはかなりいいところまでいっていた。これ以上やると、ヴァレリーが本気にならざるを得ないくらいには。

「ありがとうございます。次にお会いする時にはより鋭い剣をお見せします!」

「楽しみにしています」

 元気よく叫ぶマイアに、笑顔で答えるヴァレリー。悪くない光景である。

「お、こちらも終わったようだね。ボク達の方も大体方向性は決まったよ」

「お疲れさま。大分白熱していたようね」

 こちらにやってきたサンドラの顔は昨日より穏やかだ。少しだが状況に慣れたらしい。

「とても良い時間を過ごせました。最近は城でも手合わせしてくれる者がいませんでしたからね」

「私もとても良い経験を積ませていただきました」

 マイアが一礼すると、クロードが嬉しそうに笑った。

「ボクも妻の欲求不満を解消できて一安心だ。剣の道に生きる女だけど、強くなりすぎてしまっていてね。そして、聖竜領には色々と朗報があるよ。ね、サンドラ」

「はい。クロード様からいくつかの支援を約束していただきました。冬への備えとなる物資、湯沸かしや汚水を浄化する魔法具。それと何よりも人材の派遣など」

「ここはまだ小さな領地だがとても重要な場所だと判断したんでね。ボクもまた来ることがあるだろう。そのためには過ごしやすくなくてはならない」

「なるほど。それで湯沸かしと汚水浄化か」

 聖竜領は屋敷にある風呂をたまに湯を沸かして使っていて、大分面倒くさい。そして、汚水の処理も古いものしかなく衛生環境が良いとは言えない。魔法具でそこが補強されれば生活水準がかなり向上するだろう。

「人材の派遣は魔法草の専門家を選別して送ろう。アルマス殿に嘘を言いたくないのではっきり言っておくけど、定期的に東都に報告をするためでもあるね」

 東都というのは第二副帝の住む帝国東部の中心地のことだ。

 優秀な人材兼お目付役が来るわけか。

「わたし達は今までどおりやればいいの。そのことがクロード様に伝わるにしても、そもそもこの地域を治める方なわけだしね。なにより最大限、聖竜様を尊重すると約束してくれたわ」

「ボクとしては仲良くしたいから、快く受け入れてほしいな」

「ふむ。俺はいいが、聖竜様はどう言うかな」

 俺は目を閉じ、心の中で聖竜様に問いかける。

『聖竜様はどう思いますか? 気になることなどは?』

『ん、特にないのう。都会の者が増えるのは楽しみじゃ』

 なんだか気楽な返事がきた。

『そうじゃ、ワシも一つやりたいことがあるんじゃ。今夜、第二副帝の夢に出るぞい』

『夢? 変なことをしないように釘でも刺す気ですか?』

『ワシなりのサービスじゃよ。安心せい』

 たしかに、聖竜様が変なことをするわけがないからいいか。

「聖竜様もそれでいいとおっしゃっている」

「本当かいっ。しかし、なんで今、目を閉じてしまったのかな、瞳が金色になるのを見たかったんだけれどね」

 それは俺の目の色が変わっているとクロードが凝視してきて居心地が悪いからである。

「そちらの方がやりやすいんだ。それと、第二副帝の夢に聖竜様が現れるとのことだ」

 その一言に、第二副帝が固まった。

 口を半開きにして硬直している。整った外見が台無しだ。

「ほ……お……お……。本当かいそれは? 聖竜がボクの夢に? え、話とかできるのかい? よし寝ようすぐ寝ようぐふっ」

 興奮してまくし立ててくるクロードをヴァレリーの一撃が黙らせた。

「それは聖竜からの厚意ということでしょうか? 夢で会うことで何か危険はありませんか?」

 うずくまるクロードを置いて、ヴァレリーが心配顔で聞いてきた。夢の中で誰かと話す機会なんてないからな、不安を覚えるのは当然だ。

「大丈夫だ。この領地の全員が一度は聖竜様と夢の中で話している。なんならヴァレリーの夢にも出てもらえるが?」

『いいですよね?』

『もちろんじゃとも。人と話すのは楽しいからのう』

 聖竜様も了承してくれた。相変わらず気軽な方だ。

「わかりました。ぜひとも私も聖竜と会わせてください」

「おや、キミにしては珍しいね」

「後で貴方から自慢されて悔しい思いをしそうですから」

 一人だけ聖竜様に会って何かにつけ自慢するクロードの姿が容易に想像できた。とにかくヴァレリーも納得してくれたようだ。

「いやー、まさか聖竜に会うことができるとは。来てよかった。もう少しここにいたいなぁ。駄目かなぁ……駄目だよね?」

「駄目です。公務がまっているのですから。それに、貴方みたいな学者崩れにできることなどたかが知れているでしょう」

「うっ……」

 妻の容赦ない物言いを受けて、第二副帝はその場に崩れ落ちた。

 そうか、「学者を目指していた」と言っていたな。つまり、学者にはなれなかったわけで……。

「ふふ、なんで副帝になっちゃったのかな、ボク。あのまま学者を目指す道も……なかったな」

 色々事情があったのだろう。地面を見ながら帝国で三本の指に入る権力者がぶつぶつ言っている。

「視察もほぼ終わったようですし、少しゆっくり過ごしたいと思います。この人もこれでいて疲れていますから」

 なんだかんだで優しい視線で夫を見ながら、ヴァレリーがそんなことを言うのだった。


      


 翌朝、出発を前にしてクロードはこの上なく上機嫌だった。

「いやー、素晴らしい経験だった。ここに来てよかったー」

 理由は言うまでもなく、夢の中で聖竜様と会えたからだ。

「夢の中とはいえ、世界を創りし六大竜に会えるとは思わなかった。ありがとう、アルマス殿!」

 背後に出発の準備を進める馬車を控えさせながら、両手で俺の手をつかんでこの上なく嬉しそうなクロード。隣のヴァレリーも何も言わない。

「止めないのか? このままだと聖竜領に居残るかもしれないぞ?」

「引きずってでも連れていきます。……しかし、あの強烈な存在を知った後ではこの人の反応もわかりますから……」

 そう言うヴァレリーの俺への視線の中には敬意のようなものが混ざっているように思えた。聖竜様の存在に触れたことで、俺への評価も変わったのだろう。さすがは聖竜様だ。

「クロード様、ヴァレリー様。これが今の聖竜領の全てです。森の奥や氷結山脈はわたし達もまだしっかりと足を踏み入れていませんが……」

 別れの挨拶とばかりにサンドラが言うと、クロードはおうように頷く。

「いや、十分すぎるほどの収穫があったとも。実を言うとね、状況次第では東都の飛び地にしてしまおうという話もあちらではあったのだよ。もちろん、そんなものは吹き飛んだ。この領地はサンドラ・エヴェリーナ男爵、キミに預けよう」

「あ、ありがとうございます……」

「誇っていいとも。キミは帝国でただ一人、聖竜領を治めることのできる領主さ。夢の中で聖竜から聞いたからね」

 聖竜様、クロードと一体何を話したんだろう。

「それに、聖竜領は素晴らしい。多くの人材と資源がある。そうだ、料理人を褒めておいてくれないかい? キンソウダケを久しぶりに口にした。調理法も見事だったとね」

「キンソウ……?」

「エルフだけが収穫できる特別で希少なキノコさ。ものによっては一本百万フォシルにもなる最高級品だよ」

「……ああ、なるほど。全て理解しました。料理人にはクロード様からのお言葉をしっかりお伝えします」

 一瞬、サンドラが俺の方を鋭い目で見た。うむ、ばれたな。しかし、百万とは。凄いものを気軽に食べてしまったようだ。

「さて、名残惜しいが、ボク達は行かなければならない。本当にね……」

「さあ貴方、行きますよ。また来ましょうねー。いつ来られるかわからないけど」

「色々とボクからも手を貸すから期待してくれたまえ! それと連絡をしっかりとろう。悪いようにはしない!」

 時間がないのだろう。引きずられるようにして第二副帝は馬車へと乗り込んだ。

「そうだ! アルマス殿、聖竜とは君の話をしたよ。そのうちボクから贈り物が届くから、楽しみにしておいてくれたまえ!」

 出発直前、馬車の扉が閉まり、窓から顔を突き出した第二副帝が俺にそう言った。

「俺について? 承知した」

 なんのことだかわからないが、とりあえず答える。

 俺はすぐに聖竜様に話しかける。

『それで聖竜様、夢の中で何を話したんですか?』

『ちょっとした世間話じゃよ。第二副帝に色んな魔法具を集めてもらうように頼んだのじゃ』

『魔法具? なんのために?』

 聖竜様は別次元にいるし、魔法具なんて使いようがないだろうに。

『前にシュルビアを治療した時にあった魔法具、人から魔力を抽出したりしとったじゃろう。あれのもっと上等なものがあれば、お主の妹の治療の参考になるかもしれん』

 春頃、クアリア領主の婚約者を治療した際、傍らに医療用の魔法具があった。対象の魔力をわずかながら浄化するという、珍しくはあるが簡単なものだった。

 まさか、それが妹の治療に使えるとは想像もしなかった。

『本当ですか? 人間の作った魔法具が役に立つんですか?』

 聖竜様は強大な力の持ち主だ。できることも幅広い。それに比べて小さな力しか持たない人の製作したものが力になるというのか。

『ワシらは強大な力を持つゆえに、工夫というものを知らん。新しい物事の発想は苦手なんじゃよ。万能すぎる弊害じゃな。逆に人間のように力の弱いものの方が珍しい発想をするんじゃ』

『まあ、確かに俺もろくに生活水準を上げられませんでしたからね』

『いや、それは半分以上お主の能力の問題なんじゃが……。ともかく、可能性は低いが、妹の治療の助けになるかもしれん。そういうことじゃ』

『しかし聖竜様、なんでいきなりそんなことを?』

 シュルビアの治療は大分前のことだ。その時からあった発想なのだろうか?

『実は、前にサンドラの夢に出た時に頼まれたんじゃよ。「アルマスの妹を早く治してあげてください」とのう。研究好きの権力者なら、使えそうな魔法具のあてくらいあると思って、詳しく話したのじゃ』

 聖竜様、子供のお願いに弱いからな……。

 しかし、夢の中でサンドラがそんなことを言っていたとは思わなかった。もっと自分の利になることを言えばいいだろうに。

『聖竜様、感謝します』

『気にするでない。ワシも治療に時間がかかっていることに思うところがないわけじゃないのじゃ』

 そう言うと、聖竜様の気配は遠ざかっていった。

 もしかしたら少し照れていたのかもしれない。

「聖竜と何を話していたんだい? アルマス殿」

 俺が聖竜様と話すのを見守っていたクロードが好奇心全開で問いかけてきた。

「昨夜のことを確認させてもらって納得したところだ」

 聖竜様との話のなかで俺も一つ思いつくことがあった。

 アイノの治療がゆっくりになっている原因は、聖竜様による魔力の浄化が精神に影響を与えるためだという。

 人間の生み出した魔法が聖竜様にとって有用だというなら、その中でも精神に作用するものはより効果的なのではないか。

 俺の生きた時代、人の心を操る魔法が存在し、その対抗策も研究されていた。四百年以上経った今なら、強力な精神防御の魔法があってもおかしくない。

「クロード、俺からも一つ頼みたい。人の精神を保護するような魔法があれば、その研究資料を送ってほしい」

「ふむ。キミは戦闘系の賢者だと聞いているよ。それにしては珍しいものを求めるんだね?」

「俺にとって最も役立つものかもしれないんだ。頼む」

 そう言って頭を下げると、クロードは驚いた様子で言った。

「承知した。聖竜の眷属に頭を下げられたんだ、最善を尽くすよ」

 おどけるようにそう言うと、クロードは馬車の中に引っ込み、出発した。

 聖竜領を賑やかに視察していった一団はこうして去っていく。

 後に残された俺達は若干の疲労感と共に小さくなっていく馬車を眺める。

「アルマス、どうしたの? 突然あんなことを言うなんて」

 いつの間にか、目の前に心配顔のサンドラがいた。

 上から下までじっと見てみるが、やはり子供っぽい。

 春先に来た時よりたくましくなったが、相変わらず小さな領主だ。

 だが、俺にとっては大切な友人であり、恩人である。

「サンドラ、ありがとう」

「え? わたし何かやったの? あ、聖竜様から話を聞いたのね」

 察しの良い彼女は、すぐに俺が礼を言ったことの意味に気づいた。

 気恥ずかしいのだろう、サンドラの顔が一気に真っ赤になる。

「お嬢様、いかが致しましたか? 今のお礼に破廉恥な要素でも?」

 横の戦闘メイドが変なことを言っているが、それもいつものことだ。

「なんでもないわ。気にしないで」

 そう言うと、顔を赤くしたサンドラは俺に背を向けて、屋敷に向かって歩きだした。

 俺もそれに続く。予定外の客で時間を取られてしまった。

 とりあえず、収穫祭と冬の備えの手伝いでもしようかと思う。

「そうだアルマス。後でトゥルーズと一緒に執務室に来てね。キンソウダケっていうキノコについて聞きたいのだけれど」

 一瞬振り返って言われたその言葉に、俺の歩みは止まるのだった。


      


 第二副帝が去ってしばらく経った頃、少し気温が下がった日に皆で麦をいた。来年の今頃は、聖竜領産の麦から作ったパンを食べることができるだろうか。

 収穫の秋も終わり、いよいよ冬への備えが始まる。

 一番忙しかったのはトゥルーズだ。冬に備えてジャム、野菜の酢漬け、瓶詰め、ハム、ソーセージ、くんせいと、保存の効くものをたくさん作っていた。手の空いている者も協力したがなかなか大変な作業になった。

 スティーナは保管庫をいくつも追加で建てて、俺はそれに冷蔵や冷凍の魔法をかけた。試しに調理済みの食品も凍らせたので、後で食べられるか、保管できるかの研究も同時にできるだろう。

 これで冬の間の食生活が豊かになるなら素晴らしいことだ。

 もろもろの作業が終わった頃、行商人ドーレスが聖竜領に帰ってきた。

 彼女がクアリアで手配してやってきた数台の馬車には、収穫祭用に皆が特注した服のほか、食材や菓子などが大量に積み込まれていた。

「うん。良い出来映えね。頼んだとおりに仕上げてくれている」

「とてもお似合いですよ、お嬢様」

 領主の屋敷の執務室にて、俺の目の前では、新しい服を着たサンドラと、それをたたえるリーラという光景が展開されていた。

「俺はなんで呼ばれたんだ? 真っ先にここに来いと言われたんだが。服の善ししはあまりわからないぞ?」

 正直、ファッションには自信がない。人間だった頃も適当だった。

「収穫祭用に作った服を見てもらおうと思ったの。これ、聖竜様は気に入ってくれるかしら?」

 そう言って、サンドラは身に纏ったローブの裾を振ってみせる。

 収穫祭のために作られたローブは、基本が深い青色に各所が銀と白で染められた色鮮やかなものだった。サンドラ用に作られたそれは豪華仕様で、他のものよりしゅうが多い。

「なんでローブなんだ? 祭り向きの格好には見えないんだが」

「あなたに合わせたのよアルマス。聖竜様の眷属と同じ服装をすることで敬意を示すの」

「なるほど。そういう意図か」

 俺がローブ姿なのは魔法士だからで、眷属としての正装が決まっているわけではないのだが。俺にも敬意を払われているようで嬉しくもあり、ちょっと恥ずかしくもあるな。

 ともかく、ここは本人に確認してみよう。

『聖竜様、どう思いますか?』

『大変よろしいのじゃ。可愛かわいらしいのう。ローブの首元に紋章が入っとるが、それもワシに合わせてくれたのかの?』

 見れば、サンドラの着ているローブの首元にはデフォルメされた銀色の竜が刺繍されていた。竜の周りは青く染め上げられ、周りを緑の糸で縁取られている。緑はよく見ると森の木々の形になっていた。

「その紋章は聖竜様かな?」

「ええ、せっかくだから聖竜領の紋章も発注してみたの。覚えやすくて描きやすいように、ちょっと可愛くしてみたのだけれど。あ、前に夢の中で聖竜様には相談してあるのよ」

『うむ。可愛らしくて大変良いのじゃ。ワシは満足じゃよ……』

 聖竜様が感無量という様子で語っていた。物凄く満ち足りてるな。

「聖竜様は大変満足している。収穫祭が楽しみだな」

「それはよかった。じゃあ、次はアルマスの分ね」

「……? 俺は聖竜様から頂いたローブがあるんだが?」

「そのローブの下よ。いつも地味な作業着じゃない。せっかくだから、良さそうなのを作ってもらったわ。前に約束したとおりね」

 サンドラの発言に合わせて、リーラが服を取り出してきた。黒を基調とし、各所に青が入った上等な服だ。パーティーにでも着ていけそうなものである。

「そういえば、そんな話もあったな……。これ、着るのか?」

「もちろん。真面目な話、これから先、かしこまった場所に呼ばれることもあるだろうから、一着くらいこういうのがあってもいいと思うのだけれど?」

 俺の反応がかんばしくないのが不安になったのか、癖毛をいじるサンドラ。

 この前は第二副帝なんていうのが来たし、見た目を気にする必要があるというのは説得力がある。

「喜んで受け取ろう。ありがとう、サンドラ」

「いいえ、お礼を言うのはわたし達の方なんだから。喜んでもらえてよかったわ」

 俺が新しい服を受け取ると、サンドラはとても良い笑顔になった。

「せっかくですから、軽く合わせてみましょう」

 そう言ってリーラが俺の隣に来ると、首から下に合わせるように服を寄せてきた。

「うん。ローブの色ともよく合ってる。リーラ、どう思う?」

「お似合いかと。あまり主張しすぎない色合いですし、アルマス様の体型を変えるほどではありません。なにより、お嬢様の考えたものですので」

 最後の部分、かなり私情が入っているがリーラの評価も上々だ。

「しかし、サンドラは青を使うことが多いな。好きな色なのか?」

 農作業もする関係上、彼女は作業服でいることが多いが、それでも青いものを一つは身につけている。何か思い入れがあるのだろう。

「ええ、青は母様の好きな色だったの」

「そうだったのか。大切に使い続けると約束するよ」

 この服には家に帰ってから保護の魔法をかけよう。俺はそう心に誓った。


 屋敷を出た後、少し離れた場所に作られた広場へと俺は向かった。

 村の中心となるこの場所は、工事と共に整えられていき、今では石畳で舗装され、端の方に炊事場や屋根付きの休憩施設も整えられてとても立派になっている。

 そして広場の中心、そこには綺麗に磨かれた白い石で作られた小さめな祠があった。

 人の背丈ほどの祠の中には、運び込まれたばかりの聖竜様の石像が収まっている。

「よくできているな。ひと月程度で作られたものとは思えないよ」

「ロイ先生のおかげです。ゴーレム技術の応用で、ある程度、図面の形に自壊する魔法陣を描いてくれましたです。それをクアリアの職人が仕上げたです」

 さすがはロイ先生だ。ゴーレム魔法士としての腕前が上がっているな。

 聖竜様の石像は非常に良い出来だった。

 大きさは俺の胸あたりくらいの小さなものだ。

 夢の中のスケッチをもとに作られた像の完成度は非常に高い。

 竜というのはトカゲに翼を生やしたような外見のものが多いが、聖竜様は違う。

 うろこではなく、磨かれた金属のような銀の皮膚。すらっとした印象を受けるその見た目は、どことなく気品と気高さを感じる。

 見事な再現度だ。聖竜領の中心にふさわしい石像といえる。

『聖竜様、感想をどうぞ』

『最高』

 このとおり、本人もとても満足している。

「聖竜様はとてもお喜びだ。良い仕事をしたな、ドーレス」

「本当です? いやー、嬉しいですね。お仕事頑張っちゃうです」

 ドーレスはダン商会の一員として、冬の間も聖竜領の外を行き来して商売をする予定だ。物資の補給に情報収集など、期待される役割は多く、その存在はとてもありがたい。

「収穫祭が終わるまではいるんだろう? 君ももう聖竜領の一員だ、ゆっくりしていくといい」

「そう言ってもらえると嬉しいです。収穫祭、楽しみですね」

「ああ、俺も楽しみだ」

 こうして無事に祭りができるまでになったことを思い、俺は感慨深く頷くのだった。


      


 ドーレスが荷物を持ってきてから四日後。

 青く澄んだ秋の空は遠く氷結山脈の向こうまで広がり、申し訳程度の薄い雲が涼しさを感じさせてくれる良い天気だ。

 今日は聖竜領の収穫祭の日である。これなら予定どおり実行できるだろう。

「天気は夜までもちそうだし、良い日にあたったな」

 祭りを行う広場に立った俺がそう言うと横にいたサンドラが頷く。

「そうね。暑くもないし、寒くもない。理想的だわ」

 今日の彼女はいつもの作業着ではなく、先日作成した儀礼用のローブを着ている。

 その下の服装も品良くまとまった上質なものだ。首から下げたペンダントの中央には大きなサファイアがはまっている。以前リーラが言っていた、母親ののこしたものらしい。

「アルマス様、きたよ。お祭りはにぎやかだね」

 昨日南部からやってきたフリーバが空中に浮かんで寄ってきた。彼はサンドラの腕の中に収まると、広場に集まった人々を見て目をきらきらとさせた。

 今日は年に一度の祭りの日。森に住むエルフも含めた、聖竜領の全ての人がここに集まっている。

「あのごちそう、食べられる?」

「それは儀式が終わってからね。きっと美味しいわ」

「わーい」

 喜ぶフリーバの言うとおり、広場内に作られた炊事場ではトゥルーズを中心に祭り用の料理の数々が作られている。

 大人数で屋外だしということで、手軽で量をたくさん作れるものが既にテーブル上に並んでいるのが見えた。内容はパンや肉料理、森の中の池でってきた魚の料理など様々だ。この日のために腕によりをかけたものであり、とても楽しみである。

 だが、それらの料理を味わうのは聖竜様の前で収穫祭の開催を宣言してからだ。

「……サンドラ様。うたげの準備、できました」

 炊事場で最後まで作業をしていたトゥルーズがやってきて一言言うと、サンドラが頷く。

「お疲れさま。いつもありがとうね」

 その言葉に、トゥルーズが軽く微笑むと、皆が立っている広場の中に戻っていった。

「アルマス。そろそろ始めましょう。フリーバ、あなたも六大竜の眷属だから、アルマスの隣にいるようにお願いね」

「わかったー」

 サンドラに頼まれて、フリーバが俺の隣に来て宙に浮く。

「では、行くとしようか、フリーバ」

「うん」

 俺はフリーバを伴い、広場に設置された聖竜様の像の前まで歩き、そこに立った。

 サンドラとリーラを先頭に、領民達が静かに整列する。

「これより収穫祭を行います」

 サンドラのその一言に、立ち並ぶ聖竜領の人々が厳かな面持ちでそれぞれ返事をした。

 聖竜領の収穫祭の手順は、最初に聖竜様に一年の感謝を捧げ、サンドラから眷属である俺に今年の収穫物を手渡し、俺が石像の前に供えるということに決まった。

 聖竜様を重視してくれるのは俺としてもとても嬉しい。

 儀式の後は今日だけのぜいたくとばかりに大量の酒を用意した宴をする。

 夜になると燃料が貴重だし冷えるので解散。

 そんな流れだ。

「では……。聖竜様から認められ、この地の領主として、聖竜様の加護がある土地に生きるものの代表として、感謝を捧げます。おかげでわたし達はこの地に根付き、無事に最初の冬を迎えることができました。……これは、わたし達からのお礼の一部です」

 そう言って、サンドラは近くのテーブル上に置かれていた野菜などの作物が満載された籠を持ち上げ、俺の前に差し出す。

「聖竜領の領主として、聖竜様とその眷属へ、感謝致します」

 そう言うサンドラには、いつもと違って厳かな雰囲気があるように見えた。人間、状況によって見え方が変わるものだな。

「受け取ろう。聖竜様が認める限り、皆はこの地に生きる同胞だ」

 俺は籠を受け取り、聖竜様の石像の前にそっと供える。

「聖竜様も皆が健やかに生きることをお喜びに…………ん?」

 締めの言葉を続けようとしたところで俺は気づいた。

 聖竜様の石像から魔力を感じる。

 どういうことだ?

「アルマス、どうしたの?」

 いつもの口調で話しかけてきたサンドラに向かって言う。

「いや、聖竜様の石像から魔力を感じるんだが……む?」

「なんだろ? ふしぎだね?」

 フリーバの言うとおり、謎の現象だ。こんなことが起きるのは想定していない。

 石像からの魔力は膨れあがり、ついに像自体が発光しだした。

 明るいが眩しくない、どこか優しげな光が、石像全体から漏れ出てくる。

「アルマス、これはどういう……?」

「危険は感じない。大丈夫だ……多分」

 俺がそう言うと同時、像から激しい光の奔流が噴き出て、辺りを包み込んだ。

「く…………

 一瞬だけ目がくらむ。

 広場にいた面々からどよめきや驚きの悲鳴も出た。

「お嬢様! 無事ですか!」

「平気よ。それより石像は?」

 慌てて寄ってきたリーラにサンドラが応答するのを後ろで聞きながら、俺は驚いていた。

「野菜がなくなっている……。それと、石像から聖竜様の気配を感じるな」

 どういうことだ? と疑問を挟むまでもなく、本人から声が来た。

『おお、アルマス! 驚きじゃな! ワシを模した石像に干渉できたぞい! 野菜はありがたく頂いておいたのじゃ! 新鮮で嬉しいけど、生野菜以外の料理も所望するぞ!』

『いや、「干渉できたぞい」じゃなくて。平気なんですか、これは?』

『うむ。大丈夫じゃ。おそらくじゃが、この地にワシによく似た石像が置かれたことと、近くにお主がいたことなどが重なったことで起きた現象じゃ。この石像周辺に限り、ワシがちょっとだけ干渉できるみたいじゃな』

『ほう。そんなことができるんですね。お供え物をするくらいしか使い道がなさそうですが』

『なに、おいおい用途を見つけるのじゃ。こうして外部との繋がりができるのは嬉しいのう』

 なんだか聖竜様は滅茶苦茶喜んでいた。こんな力があるとは本人も知らなかったみたいだ。

「どうやら、この石像への供え物は聖竜様が受け取ることができるようだ。これから先、もっと色々なことが起きるかもしれない」

 動揺する領民達に伝えると、全員が驚きの声をあげた。

「そんなことが。じゃあ、あの野菜は聖竜様の元へ行ったのね」

「とても喜んでいた。他の料理も味わいたいそうだ」

 俺がそう言うと、サンドラは笑みを浮かべた。

「じゃあ、眷属だけでなく、聖竜様にもこの領地自慢の料理を味わってもらわないと」

「……今日の料理は自信作だから。聖竜様にも食べてもらいたい」

 俺達の話が聞こえたらしいトゥルーズが少し嬉しそうに笑みを浮かべ言った。

 その言葉を聞いて笑顔になったサンドラが、領民全員に宣言する。

「みんな! 石像の光は聖竜様がここにいらっしゃっているからよ! とても喜んでくれているそうだから、今日という日を祝いましょう!」

 こうして、聖竜領初めての収穫祭の宴が始まった。


      


 宴は大変盛り上がった。普段粗食に耐えて生活しているわけではないが、今日は大盤振る舞いだ。料理も酒も品質が違う。

 日頃の疲れやうっぷんもあるし、こういう時にしか話せないこともあるようで、広場のそこかしこで皆は大いに語り、笑い合っていた。途中でエルフ達の楽器の演奏が始まり、思い思いに踊る場面まであったほどだ。

 それから時間が過ぎて、あっという間に日が傾き、夕暮れが訪れる。

 広場の中央に材木が重ねられ、火がかれた。夜は冷えるし、これが消える頃には解散だ。

 皆、それなりに宴会で疲れたのか、広場全体にゆったりとした時間が流れている。

「アルマスもお酒を飲むのね、初めて見た」

 聖竜様の石像の隣に座り、焚き火を眺めながら杯を傾けていると、リーラを伴ったサンドラがやってきた。

 俺の隣にサンドラが座る。

「スティーナが飲み比べて負けて潰れるのも初めて見たわ」

 少し前、話の流れでスティーナと飲み比べになって俺が勝ったのである。今、彼女は広場の隅で寝かされている。

「二人に俺の秘密を教えよう。俺はあらゆる酒に酔わない。竜退治の伝説の中に酒に酔わせて退治するものがいくつかあるが、俺にそれは通用しない」

 聖竜領には現れないが、世の中には悪い竜もいる。

 歴史上、そういうのは様々な方法で倒されてきた。

 特別な酒で竜を酔わせるのはとてもメジャーな手法だ。

 あるいは、竜の数少ない弱点の一つが酒ともいえる。

 俺はその弱点を克服した竜でもあるのだ。

「アルマスを退治する必要なんて感じないけれど、覚えておく。おかげで無事に冬に入れるわ。ありがとう」

 周囲に聞こえないような声で、サンドラがそう言った。

「聖竜領の冬は寒いが、積雪はそれほど多くはない。なんとか乗り切れるだろう」

「そうね。あなたが言うと、なんとかなる気がするわ」

 そう言うとサンドラも焚き火を眺めはじめた。

 広場の各所では領民達がゆったりと過ごしている。その数は二十人程度。

 今年の冬の終わり頃、一人で森の中にいた頃からは想像もつかない光景だ。

『賑やかになったもんじゃのう』

『まったくです。でも、悪くない』

『うむ。良き出会いじゃった。これからもそうであるといいのう』

 語りかけてくる聖竜様も楽しそうで、石像もぼんやりと明滅していた。ちなみに石像にはたくさんの料理が備えられ、次々に聖竜様のところへと消えていった。

『ところで、ワシにもう少し食べ物を供えてくれんかの。久しぶりの料理は美味しいのじゃ』

 俺みたいなことを言い出した聖竜様に思わず苦笑する。

 眷属として断れない要望だ。

 俺は立ち上がり、料理のあるテーブルへ向かうことにする。

「聖竜様が料理を所望だ。とってくる」

「それなら、あっちのソーセージがおすすめよ。トゥルーズが作ったの」

「ありがたい」

 楽しそうに笑うサンドラに答えながら、俺は歩きだす。

『これから、皆が石像に積極的にお供えすると思いますよ。よかったですね』

『うむ。ワシも頑張るのじゃ』

 領民と接触する手段を手に入れた聖竜様はとても嬉しそうだ。

 空を見上げると、満天の星々が輝いていた。日中と同じく、晴天だ。誰かが楽器を奏ではじめたらしく、広場に落ち着いた雰囲気の曲が流れはじめた。

 ゆったりとした穏やかな時間だ。まさに俺が求めているものである。

 この満ち足りた時間を聖竜領の皆だけでなく、妹とも過ごせれば。

 空から目を戻し、広場の焚き火と人々を眺めながら、俺はそんなことを考えた。