なにかが起きている。そう思ったのは氷結山脈の魔物狩りが一段落し、畑の世話と建設工事の手伝いの日々に戻って数日った時のことだった。

 現場用のゴーレムを造るため、いつものように広場に向かったのだが、そこで見た光景に、俺は違和感を覚えた。

「……少なくないか?」

 聖竜領の中心にあり、各種行事を行うための広場。ここは工事の際には資材置き場や休憩所として機能しており、周囲に木材や石材、その他色々なものが集まる場所だ。

 宿の建築工事は土台ができたばかり、領内の道の工事もまだ続いている。

 にもかかわらず、資材の量が少ない気がする。二日に一度はクアリアから馬車で足りない分が補充されているはずなのに。

 ちょっとした疑念だが、担当の人間に確認しておくべきだろう。なにも問題なければ一安心だ。

 そう思って広場の中に入ると、その場に担当者がいた。

「二人とも、なにかあったんだな?」

 ダン商会の会長であるダニー・ダンと最初の構成員のドーレス。その二人が資材置き場の中で深刻な顔をして話し合いをしていた。

「おはようございます。アルマス様」

「おはようございますです」

 二人に挨拶を返しつつ、俺も近くに寄る。ダニーの方は書類を持っており、横から見たところ納品書のようだ。

「資材の量が少ないように見えるんだが。二人もその件か?」

「さすがですね、そのとおりです」

「ここ二回ほど、入ってきた資材が予定より少ないんです。それで、会長と色々話してたです」

 帝国東部に来てまだ半年のダニーと違い、ドーレスは帝国内を旅していた行商人だ。各地の事情に詳しい者に相談していたということだろう。

「俺も気になるな。それで、どうなんだ?」

 促されて、ドーレスが話しだす。

「おかしいと思いますです。収穫前の時期に修理や増築で資材の需要が増えることはあります。でも、宿一軒分の資材が確保できなくなるほどではありません。まるで大きな公共工事でもあったみたいです」

 たしかに、宿と街道工事は聖竜領からすると大工事だが、一般の町ならそうでもない。その上、資材の納入元のクアリアは結構大きな町だ。これはなにかあるな。

「ドーレスさん、なにか大きな工事のうわさを聞いたことなどは?」

「すいません。噂ですら聞いたことがないです」

「これは、本格的に調べたほうがいいかもしれないな」

 物価や物資の流通というものは、思った以上に世の中の事件の影響を受けるものだ。人間だった時代も、いやに穀物が値上がってるなと思ったら戦争が始まったことがあった。あの時は情報にさとい商人達が事前に買い占めをしていた。

「このまま何もせず、工事が止まるのはまずいですからね。手を打たないと」

「それならあてくしにお任せです。顔の利く商会に頼んでみるですよ? 宿一軒分ならなんとかしてみせるです」

 考え込んだダニーを見て、ドーレスが自信ありげに胸を張った。

「そうだね。ここはドーレスさんに頼んでみましょうか。それと、サンドラ様に相談してクアリアの領主様に協力してもらうよう働きかけてもらいましょう」

「賛成だ。使えるものは使ったほうがいい。いつ頃になるかな? 俺は一仕事終えたら領主の屋敷に向かうつもりなんだが」

「では、その際にご一緒します。ドーレスさんは旅支度を整えておいてください。サンドラ様なら反対はしないと思いますので」

「はいです。ご恩返しを頑張りますよー」

 聖竜領の一員となり、さっそく出番がやってきたドーレスはやる気十分のようだ。だいぶ元気になったことだし、期待させてもらおう。


「……早めに気づけてよかったわ。これ、まずいと思うの」

 領主のやかたにて、俺とダニーが現状を報告すると、サンドラは机の上に並べた書類に素早く目を通して、深刻な顔でそう言った。

 俺とダニーは想像以上の反応にちょっと驚く。

「クアリアに向かうドーレスに情報集めもお願いできるかしら。それと、スルホ兄様に手紙を書くからそれも届けてもらいたいの」

「俺達が思っている以上に深刻な状況のようだな」

 サンドラはその場でリーラに紙を用意してもらい、クアリア領主スルホ宛の手紙を書きだした。最近の彼女にしては随分と余裕がないようにも見える。

 文面はそれほど長くなかったようで、手紙を書き終えたサンドラは顔を上げると、俺とダニーに向かって硬い口調で言う。

「もしかしたらだけれど、これは実家……エヴェリーナ家からの圧力かもしれないの」

…………

 エヴェリーナ家という言葉に、俺とダニーは息をむ。サンドラを追い出した実家が、彼女の活躍を知って何らかの手出しをしてきたということか。

「遠い帝都から辺境とも呼ばれるこの地にですか? まさか……」

「いや、ありえない話じゃないな。エヴェリーナ家の者はサンドラの能力を恐れている。聖竜領の噂を耳にして何かしら行動を起こすことは前から予想していた」

 サンドラの高い能力を恐れて、共存や利用ではなく、排斥を選ぶような臆病な者達だ。遠い辺境で力をつけはじめたサンドラを警戒して、大きな力のない今のうちに押さえつけにきてもおかしくない。これがゆうでなければ、油断できない状況である。

「あくまで可能性の話なの。詳しく調べてみて、何事もなければそれで良しね。ドーレスには先にクアリアに行ってもらうとして、その次の手ね。スルホ兄様に相談したいから、私とアルマスも領内の仕事にがつき次第、出発したいのだけれど……」

 遠慮がちにサンドラがこちらを見て言ってきた。勝手に俺の予定を決めていいのか気にしているようだ。もちろん、断る理由などない。

「承知した。ゴーレムをたくさん造り置きしてから出かけるとしよう」

 俺が承諾すると、サンドラはうれしそうにうなずいた。


      


 ドーレスが先行してから三日ほど後、俺はサンドラ、リーラと共にクアリアに向かった。

 今は工事があるため双方を行き来する馬車が多くある。無理を言って朝早くに聖竜領を出発してもらったおかげで、夕方になる前にはクアリアの町に到着した。

 隣町のクアリアは豊かな土地で知られており、帝国東部の食料庫のような場所である。クアリアは領地と同じ名前を冠する中心地で、町としての規模も大きい。

「なんというか、クアリアに行く時は大体なにか起きているな。もっと普通に買い物に来たい」

「同感です。私も仕事以外でゆっくり買い物などしたいものですね」

「冬になって仕事が落ち着いたら遊びに来られると思うの。でも、まずは今の問題ね」

 そんなことを話しつつ、俺達はまっすぐ領主の元へと向かう。

 相変わらず重厚な造りで町の規模を感じさせる領主の館に到着すると、すぐに目的の人物に会うことができた。

「ようこそ、サンドラ、アルマス殿、リーラ。さすがに早かったね。ドーレスというドワーフから手紙を預かったんで、すぐに来ると思っていたよ」

 クアリア領主のスルホは、穏やかな印象を持った二十代後半の青年だ。若くして父の後を継ぎ、クアリア領を経営するやり手の領主でもある。また、サンドラとは幼い頃から親交があり、彼女が兄と慕うほど仲が良い。

 彼は元々サンドラの立場に同情的で協力してくれていたが、春頃、俺が婚約者を助けて以降、聖竜領に積極的に力を貸してくれている。

「お久しぶりです、スルホ兄様。申し訳ないけれど、頼らせてください……」

 挨拶を返しつつ言ったサンドラにスルホは笑顔で返す。

「気にすることはないさ。聖竜領に対しては、できる限りのことをするつもりだからね。連絡を受けて、資料を集めたところだよ」

 そう出迎えると、スルホはいつもの応接室ではなく、屋敷内の別の部屋へと俺達を案内しはじめた。

 かつて訪れた時、客人だった俺達が出入りすることはなかった場所。領主の執務室がある方向だ。予定では、ここでサンドラと共に書類を調べさせてもらうことになっている。

「そういえば、ドーレスは滞在していないのか?」

「彼女は聖竜領のための資材を確保するために走り回っています。思ったよりも資材が集まらなくて、周辺の町まで行くといっていましたよ」

「そこまで把握してくれているとは、さすがだな」

 穏やかで物腰も優しい男だが、しっかりと情報は押さえてくれる。頼りがいのある人物だ。

「彼女は優秀な商人のようですね。クアリアで知り合いの商会や職人のところをいくつか回って、すぐにそう考えて、ぼくに教えてくれたんですよ」

「ドーレス、思った以上に頼りになりそうね」

 サンドラのつぶやきに俺も頷いて同意する。

「こちらです。中に他の者はいませんのでご安心を」

 スルホが止まったのは執務用の部屋の一室。たしか、会議などに使うと言っていた部屋だ。

 扉が開かれ、中を見ると机の上に書類が積み上げられていた。

「クアリア内の組合から取り寄せた、ここ十日での領内における建設資材の取引の資料です。皆さんならお見せしてもいいと判断しました。商品の金額や詳細は他言無用でお願いします」

 あと、担当者も急に取引量が増えていることを不思議がっていましたよ、とスルホは付け足した。

「ありがとう、スルホ兄様。リーラ、アルマス、やってしまいましょう」

 サンドラに促され、俺達も室内に入る。

「念のため東都にいるシュルビアにも問い合わせています。情報が入り次第お知らせしますね」

 東都というのは帝国東部の中心地だ。現在、彼の婚約者であるシュルビアはそちらで過ごしつつ、結婚の準備をしているという。都会は手に入る情報の量も質も変わる。とてもありがたい話である。

「では、ぼくは執務がありますのでこれで。なにかあったら連絡してください」

 俺達を信用してくれているのだろう。スルホはそう言い残すと去っていった。

「さて、これでなにかわかるといいが」

 俺は何枚かの書類に目を通す。農作物以外にも、材木や炭など、取引している品目は多い。内容も、取引相手も、一枚見ただけでは違和感は感じない。

 しかし、聖竜領で資材の入手が難しくなった時期までさかのぼって情報を追いかければ、何かをつかめるかもしれない。

 例えば、特定の商会の特定の品目だけ取引量が増えていたり、価格が変わっているとかだ。

 もし、それが判明した場合、さらにその商会の情報を追いかければ、これがエヴェリーナ家から聖竜領への圧力かどうかはっきりさせられるだろう。

 スルホの集めた資料はクアリア内の一部のもののようだが結構多い。とはいえ、なんとかなりそうな量だ。大きいといってもクアリアも辺境と呼ばれる町だということもあるだろう。

 何よりこちらには驚くべき勢いで書類を確認できるサンドラがいる。

「では、始めましょう。リーラ、紙とペンを用意して、わたしが言ったことを記述して」

「はい」

「俺も資料を見ているから、必要なものがあったら適時指示してくれ」

「ええ。頼りにしているわ」

 そう返しつつ、空いている机にリーラが筆記具を用意したのを見ると、サンドラは猛烈な勢いで書類をあらためはじめた。


 サンドラのおかげで夕食に呼ばれる前に一通り精査が終わり、さらに食後にもう一度内容の検討を行うことができた。

 部屋にスルホも呼んで、サンドラが皆で出した結論を話す。

「調べたところ、かなりの可能性でエヴェリーナ家が関与していると思うの」

 そう言ってサンドラが書類を一束と、皆で書いたメモを机の上に置く。

「七日ほど前から、特定の商会だけ、材木の取引量が増えてるの。しかもそのうち一つは、これまで材木などの建材を取り扱ってなさそうな商会」

「メラゼカ商会……帝都に本店がある貴族向け商品を扱う商会で、クアリアでは主に高級な農作物を買い取って東都に納品しているところだね」

 眉をひそめつつ、スルホはメモに目を走らせる。

「そして、エヴェリーナ家と付き合いが深い商会でもあるの。父様の仕事でも使っていたし、たまに家具や装飾品を調達してもらっていたわ」

「他にも急に取引が増えた商会がありまして、どれもお屋敷にいる頃に見かけたところです。おそらく、クアリア全体で調べればもっとわかりやすい結果が出るかと」

「しかし、あまりにも露骨だ。わざとじゃないかと思う」

 リーラの発言に俺はそう所見を付け足した。

 もっとわかりにくい方法でじっくり聖竜領への流通に影響を与えることもできるはずだ。これはむしろ、サンドラに「実家から圧力がかかっているぞ」と警告するための行為にも見える。

「……たしかに、思ったよりもすぐに判明しましたね。しかし、普通に商売する分にはぼくも手出ししにくい」

 スルホの言うとおり、商会は普通に商売をしているだけだ。ただそれが常より大きいため、聖竜領に影響を与えているだけである。

「今は聖竜領の規模は小さいから、それほど困らないけれど。ずっと続くようなら問題ね」

「それに多分、これ以外にも何か行動を起こしてくると思います。エヴェリーナ家なら色々な手段を使えますから」

 サンドラとリーラの懸念が正しければ、建材の買い占め以外にも、情報を流すとか、人手を制限するとか、なにかしらの手段を使って今後もこちらに手出ししてくるだろう。

 座して待つだけではいけない。こちらも対抗策が必要だ。

 一つだけ、俺の中に思いつくものがあった。

「推測だが、これを指示している者がクアリアの近くにいると思う。それを見つけ出してどうにかできないだろうか?」

「……そうね。聖竜領の状況を伝える人間が必要だものね」

 サンドラには俺の考えが伝わったらしい。見ればスルホとリーラも得心した様子だ。

 向こうは聖竜領に圧力をかけ、将来的に何らかの取引を持ちかけるのが目的のはずだ。ならば、常に見張って報告する者が必要になる。クアリアも聖竜領も帝国の辺境だ、優秀かつ信頼の置ける者を派遣しているだろう。

 相手がそれなりの地位にある者なら、やり方次第で手を引かせることも可能なはずだ。

「スルホ、門の通行についての記録は屋敷にあるか? どこかの門で商会の出入りが急増していれば方角くらい割り出せるかもしれない」

 あるいは門番に問い合わせれば、どこに向かっての馬車が増えているかわかるかもしれない。くいくかはわからないが、やってみる価値はある。

「門の出入りの記録なら、毎日屋敷に運び込んで保管しています。すぐに調べましょう」

 そう言ってスルホは扉を開けて室外に出ていった。俺達もすぐ続く。

「正直、驚いたわ。こういうことも考えつくのね」

「昔、情報収集で潜入した時にちょっとな」

「色々やっていたのね……」

 血なまぐさいことが多いので『嵐の時代』のことはあまり話さないようにしているからな。

「まあ、人生なにが役に立つかわからないな……」

 あまり深く掘り下げる話でもないので、そう流しつつ俺は廊下に出るのだった。


 スルホの屋敷で調べものをした翌日、クアリアの南西部を歩きながら、俺はサンドラからエヴェリーナ家の事情を聞いていた。時刻は昼過ぎ、町の中心から離れていても人出は多くにぎやかだ。

「家の話をする前に、この国の貴族について話すわね。イグリア帝国には大きく分けて二種類の貴族がいるの。わたしやスルホ兄様のように領地持ちの貴族と、領地を持たずに皇帝や第二副帝の下で働く貴族」

「ああ、一応そのくらいは把握している」

 イグリア帝国は帝都のある西部を皇帝、中央部を第一副帝、そして俺達の住む東部を第二副帝が治めている。貴族達もそれぞれの皇帝や副帝の下で、それぞれの役職についている。

「エヴェリーナ家の実家は領地を持たない貴族なの。伯爵ということになっているのだけれど、治める民はいない」

「つまり、帝都で皇帝の下について行政に関わっているということか?」

 サンドラが軽く頷き、真剣な目で前を向いたまま答える。

「ええ、父様は魔法伯という特別な役職についているわ。国内の魔法士や研究に教育、それに関わる広い物事に対する権限を持っている、帝国の魔法をつかさどる機関の長よ。部下も多くて、仕事場が小さなお城になっているくらい」

「……それは、とんでもない大物じゃないか?」

 国内の魔法に関すること全てを牛耳るような立場にいるわけだ。その影響力は帝国の事情に明るくない俺には想像がつかない。

「我が親ながら大物ね。一応、権力が集中しすぎないように、魔法伯は三人いるの。伝統的に、人間、エルフ、ドワーフの三種族から役職者が選出されるわ」

 帝国内が皇帝と副帝に分けて治められているように、ここでも役職が分けられているわけだ。

「権力争いがすごそうだな……」

「実際、色々あるみたい。父様はほとんど家に帰ってこないし、あまり話したことがないもの……。とにかく、三分割されているとはいえ、魔法伯の権力はとても大きいの」

 昔のことを思い出したのか、サンドラは軽く眉をしかめてから、話題を個人ではなく魔法伯という役職に戻した。

「今回の件、君の父親は関わっていると思うか?」

 大事なところなので確認する。もしこれがサンドラの父親自らの行動だとしたら、俺達は強大な相手とやり合わなければならない。

「父様ならもっと直接的にわたしをどうこうできるから違うと思うの。義母の一番上の兄が部下として働いているから、そちらだと思う。聖竜領に手出ししているとすれば、その権限の範囲での行動になるはず。それに……」

 サンドラは軽く目を伏せると、小さな声で続けた。

「……父様は仕事に私情を持ち込まないって、お母様が褒めていたから」

 今はいないサンドラの母による評価。状況からの分析。なにより、サンドラを疎んじているのは義母とその子供達だという事実。彼女の推測は正しいように感じられた。

「ごめんなさい。そのうち話そうとは思っていたんだけれど、聖竜領にいる限りでは優先順位が低かったから……」

「問題ないさ。たしかに、聖竜領にいるならば縁があるとは思えない相手だ」

 なにせ、聖竜領には俺も含めて二人しか魔法士がいない。それにサンドラは家の話題でも特に父親のことは避けている節がある。こんな事態にならなければ聞くことはなかっただろう。

「さっき調べた感じ、その長兄がなんらかの理由をつけて帝国東部に干渉していて、この辺りの流通に手出ししているのは間違いないな」

 相手についてある程度把握できたので、俺は話題を身近なところに戻す。

「南西部の門を通るメラゼカ商会の馬車が増えていましたね。しかも、荷物の記録によると、日用品もあったとか」

 確認するように言ったリーラに、俺とサンドラは頷く。

 昼前に俺達は門番をしている兵士に聞き取り調査をした。残念ながら、馬車がどこに向かっているかまで確認した兵士はいなかったが、荷物に日用品や良い食材が多かったことまでは把握できた。

 運んでいた食材の中には日持ちしないものもあったから、そう遠くない場所に潜んでいるはずだ。

「さて、次はどうする? 俺としては一度メラゼカ商会とやらの建物を見ておきたいんだが」

「そうね。軽く見ておきましょうか」

 店内に入って問い詰めるわけにはいかないが、店に出入りする人間などを観察することで何か得るものがあるかもしれない。なにより、今一番の手がかりだ。一度見ておくのは悪くない。

「いっそ襲いかかってきてくれれば楽なんだがな……」

 これだけ向こうがあからさまに動いているわけだし、こちらが顔を出すのも想定済みで何らかの反応をしてほしい。

「なかなか暴力沙汰にまで発展させるのは難しいかと」

「わかっているよ。冗談だ」

 これは武力を使わない戦いだ。情報の量と速さと質がものを言う。そして残念なことに、主導権は向こうにあるのが現状だ。

 探りを入れつつ、どうにか勝利する手段をいだす必要がある。なかなか厄介な話だ。

 そんなことを考えつつ歩いていると、メラゼカ商会の建物に到着した。帝都に本店がある大きな商会の支店ということだが、町の中心から外れた落ち着いた地区に店が構えられていた。

 高級感のあるたたずまいと大きめのガラスがはまった建物の前で突然サンドラの歩みが止まった。

「どうした、サンドラ?」

…………

 店内を見て、サンドラは固まっていた。

「……デジレ様」

 同じく動きを止めていたリーラがぼうぜんと呟く。それを見て俺も察した。ガラス越しに見える店内に、二人の知り合いがいるのだ。反応からするに、エヴェリーナ家の者が。

 二人の視線の先にいたのは茶色の豊かな髪を持った、長身の女性だ。赤いドレスめいたヒラヒラが多い、動きにくそうな服を着ていて、大変目立つ。濃い茶色の瞳をした目は鋭い造形をしており、気の強そうな印象を受ける。

 彼女は店の中で店員と話し込んでいた。かなり親しげで、表情も和やか。昨日今日知り合ったという風ではなさそうだった。

「デジレ・エヴェリーナ。義理の姉よ……」

 サンドラの絞り出すような小さな声が聞こえた。つまり、目の前にいるのは義母と一緒にサンドラを追い出した義理の姉ということか。まさか、こちらから動く前に当たりを引いてしまうとは思わなかった。

 ところで、俺達三人は町中ではそれなりに目立つ。リーラはメイド服だし、俺はローブ姿。サンドラは良い服を着ている。

 そんな三人が店の外に固まっていれば、当然店員も気づく。そして、店員と話している客もこちらを見る。

 デジレ・エヴェリーナは俺達を見ると、驚いた顔をしつつ外に出てきた。背後と横には護衛が二人。一人は腰に剣。もう一人はローブを着た魔法士だ。

 その二人を伴い、デジレは威嚇するような態勢で俺達の前に立つ。

「久しぶりね。サンドラ」

「……お久しぶりです、デジレ姉様。なぜ東部に?」

 自信たっぷりに言うデジレに対して、サンドラは大人しく返した。

「仕事よ。兄様からこの辺りの業務を任されたの。思ったよりも、楽しくやっているわ」

「この辺りの業務ですか……魔法伯から?」

 口調だけでなく発言も含めてサンドラは慎重に言葉を選んでいるようだった。

「ええ、そうよ。私がここで何をやっていようと貴方あなたには関係ないでしょう? サンドラ・エヴェリーナ男爵」

「そうですね。今のわたしは一地域の領主ですから」

「色々と頑張っているようだけれど、気をつけることね。世の中には大きな流れというものがあるものよ。のんびり買い物していてもいいのかしら?」

「……承知しています」

 いつもと比べて精彩を欠くサンドラの応答。違和感を感じるが、デジレの方はそうでもないらしい。帝都での彼女はいつもこうだったのか?

 サンドラに興味を失ったのか、デジレは俺の方を見てきた。

「そちらは聖竜領の賢者かしら。はじめまして、デジレ・エヴェリーナよ」

「アルマスだ」

 短く返すと、デジレは俺を値踏みするように上から下まで見てから言う。

けんぞくじるしというハーブをいくつかもらい、感動しましたわ。よければ、帝都への販路を紹介しますけれど? 私ならサンドラよりも多くの便宜も引き出せます」

「……っ」

 露骨な勧誘にサンドラの顔色が変わる。

「いや、遠慮しておく。俺は自分の畑の世話で忙しくて商売まで手が回らないんだ。それに、サンドラへ協力することを約束している」

 俺がそう答えると、デジレは軽く驚いた後、一度目を伏せてからゆっくりと言葉を出す。

「そう、その子に入れ込んでいるのね。たしかに優秀だけれど、ちゃんと情勢は見えているのかしら? 賢者様」

 挑発的な物言いに俺よりも早く反応する者があった。

 聖竜様だ。

『なんかこやつ、気に入らんのう』

 いいタイミングだ。俺はできるだけ堂々と、デジレの瞳をじっと見て言う。

「お前よりは多くのものが見えているぞ。デジレ・エヴェリーナ」

「……なっ!」

 金色に輝く俺の瞳を見て、デジレはあからさまに動揺した。単に聖竜様が近くにいるしるしに過ぎないのだが、知らない者が見れば驚くだろう。

「聖竜の賢者、噂どおりのようね……」

 噂というのが気になるが、俺の試みは上手くいったようだ。

 人間、自分の理解できないもの、知らないものには恐怖やを覚えるもの。少なくとも、これで俺のことを得体の知れない警戒すべき相手と認識しただろう。上手くすればサンドラへの敵意をげる。

「ところで姉様、クアリアの近くに滞在しているのですか?」

「……今日は仕事で立ち寄っただけよ」

 思い出したように投げかけたサンドラの問いかけに投げやりに答えると、不機嫌そうにデジレ・エヴェリーナは再び店内に戻っていった。

「サンドラ、リーラ、屋敷に戻ろう」

 これでまた状況が変わった。俺達は急いでクアリア領主の屋敷へと向かった。


      


 屋敷に戻ると、周辺での資材集めが一段落したらしいドーレスが待っていた。

 手に入った情報の中にはスルホに伝えたほうがよいものもあったので立ち寄ったところ、俺達が滞在しているのを伝えられたらしい。

 早速小さめの会議室に通され、話し合いが始まる。町中でデジレに会ったことを伝えたら、スルホも仕事を置いて参加してくれることになった。

 俺、サンドラ、リーラ、ドーレス、そしてスルホの五人が席につき、ハーブティーの香りが満ちた室内で話し合いが始まる。

「皆さんがここにいてよかったです。早めに報告したいことがいくつかあったです」

 そう言って、まずはドーレスが報告を始める。

「まず、資材の確保は順調です。宿建築分の資材は聖竜領に順次運び込まれます。ちょっと高くつきましたが、予算内で収めましたです。むしろ、行き来しながら持っていた魔物の素材を売ったおかげでトントンくらいにできそうです」

 非常に明るい話題だ。ここに来るまでずっと考え込んでいたサンドラも表情が和らいだ。

「ドーレスに任せてよかったわ。魔物の素材を売れるルートを持っているとは聞いていたけれど、ここまで上手にさばくなんて」

「氷結山脈の魔物は珍しいですからすぐでした。冬が来たら、アルマス様に頼んで保存してもらってある分を持ち出して売りまくるです」

 先日退治した魔物を解体して出た素材は、聖竜領内で冷蔵して保管中だ。量も多いので貴重な収入源になるだろう。

「それとは別の報告ですが。どうも、この辺りで買い占められた資材は東都の方に運ばれてるみたいです。お上の方で色々動きがあったみたいですね」

 テーブル上に置かれたハーブティーを飲みながらドーレスが言うと、それを待っていたかのようにスルホが口を開いた。

「その件ですが、先ほどシュルビアから魔法具で連絡が届きました。魔法伯が東都周辺の魔法士の研究を支援することが決まり、研究施設の拡充などでかなりの予算が動いているようです」

「買い占めた資材の使い道はそれか……。東都というのはそんなに魔法が盛んなところなのか?」

「東都を治める第二副帝は学問好きな方よ。おかげで近年は研究者が増えているの。これまでも中央から支援はあったし、順調だったみたいだから理由としてはわかるわ」

「それをかくみのにこちらに圧力をかけているということか……」

「そうね。デジレ姉様が来ていることから間違いないわ」

「確認するけど。本当にデジレに会ったんだね?」

 困惑した様子のスルホにサンドラが頷く。なかなか衝撃的な情報だから仕方ない。

 しかしある意味、これでようやく本題だ。俺も聞きたいことがある。

「気になったんだが、デジレと話している間、サンドラは随分大人しかったな。そんなに苦手なのか? 普段ならいくらでも言い返しそうに思えるんだが」

「苦手というか……それもうそじゃないけど。それ以上に深く考えていたの。ここにデジレ姉様がいるということの意味と、最適な対応を」

「エヴェリーナ家と本格的に対立することを心配しているんだね?」

 スルホの発言で俺も理解した。あの場でサンドラが、俺がこれまで見てきたような彼女のように決然とした対応をすれば、実家との本格的な対立が始まる。少し動いただけでクアリア周辺の流通に影響を与えるだけの力を持つ相手だ。慎重になるのは悪いことじゃない。

「今のわたしは領主だから。ちょっとした判断一つが聖竜領のみんなに影響する。それと、デジレ姉様が普通に仕事をしているみたいだったから、ちょっとびっくりしたの。弱気な態度で対応してみせても尻尾を出さなかったし」

「たしかに、帝都で社交ばかりをしていた方ですから。私も驚きました」

 デジレの人物評についてリーラも同意する。デジレ相手のあの態度は演技か。あの一瞬で色々と考えたものだ。

「よければ俺に、デジレ・エヴェリーナについてどんな人物か教えてもらえないかな? それと、サンドラの考えていることも」

 そう頼むと、サンドラは軽く癖毛に触れて、ゆっくり話しはじめた。

「デジレ姉様は、とても素直な方。そして短慮よ。頼まれたことや決まったことをやる分には十分なのだけれど、隙が多いの。自分の感情を隠せないし、隠し事も下手。でも自信に満ちてるの」

「それは大丈夫なのか?」

 能力がないわけではないようだが、複雑な事情が渦巻く貴族の世界向きの人物には思えない。

「大丈夫じゃないわ。エヴェリーナの名がなければ帝都の社交界で生きていくのは難しいと思うの。だからわたしはよく助言をしていたわ。それが気に入らなかったようだけれど」

「私見ですが、最初はお嬢様の助言を受け入れて、それで上手く回っていたのですが、だんだんとそれを疎ましく思うようになったように見えました。実際、途中からお嬢様の同行を許可せずに単独でパーティーなどに向かうようになりましたので」

 リーラの説明した人物像と、初対面で感じたデジレへの印象が上手く一致した。プライドが高く、サンドラの助言を受け入れて振る舞うよりも、脅威に感じるほうに傾いたのだろう。

「わたしがもっと上手に振る舞えればよかったのだけれど……」

「お嬢様が気にすることではありません。助言を受け入れるかどうかは相手次第ですので」

 リーラのフォローに「ありがとう」と返してサンドラは話を続ける。

「多分だけれど、わたしがいなくなったことで、デジレ姉様は帝都の社交界でいづらくなったはず。それで、実家から命令を受けてこちらに来たのだと思うわ。聖竜領の噂を聞いて、警戒しているならちょうどよく使える駒になるし」

「それは上の方の義理の兄が、妹を道具として使っているということか?」

「一番上のラッツ兄様は父様……魔法伯の下で働いていて、それなりに優秀なの。わたしが思いがけず力をつけていることに気づけば、そのくらいはする。それに、デジレ姉様を帝都の社交界に関わらせずに済むのも大きい」

 厄介払いと攻撃を同時にしたということか。デジレが少しびんに思える。

「たしかに、ラッツはサンドラの父上の下でそれなりの権限を持っています。東都への支援を強化する話を進めることくらいはできるでしょう。それと、エヴェリーナ家の者が直接向かえば、打てる手も増えます。実際、今日ぼくのところに大きな商会から眷属印の取引権について相談がありました」

「そんなことがあったのか。俺は今のところクアリア領主以外には売るつもりはないぞ?」

 今でも聖竜領内での仕事が結構あるのに、さらに商売相手のことまで考えなきゃいけなくなるのは望ましくない。

「そうおっしゃると思い、保留にしておきました。もう少し聖竜領が落ち着いてから来てくれとね」

 これもデジレがクアリアに来た影響なのだろう。なかなか侮れない。

「推測だけれど、デジレ姉様は複数の策を持たされて順番に実行しているんだと思う。そのくらいの能力はあるはずだから」

「それで、どうする? なにかできることはあるか?」

 今はドーレスのおかげで資材は確保できたし、スルホが協力的なおかげでこちらに大きな被害はない。しかし、これから先はわからない。なにかしらの策を講じるべきだ。

「……策というほどでないけれど。デジレ姉様を退散させて時間を作ることはできるかもしれない」

 さすがはサンドラだ。既に優秀な頭脳の中で対応策が組み上げられていた。

 しかし、本人が浮かない顔をしているのが気になる。

「聖竜領の皆のことを心配しているのか?」

「そうね……ちょっと、迷ってる」

「それも仕方ないな。君はもう一人ではない。まったく、これが戦争なら相手をたたいて降伏させればいいんだが……」

 先日のウイルド領との争いは楽だった。俺が出ていって戦いさえすればよかったのだから。

「政治の世界でも近いことはできますが、今回は少しその道が遠いですね……」

「あのー、あてくし的には当面は受け流しつつ、穏やかに過ごすこともできそうだと思うですが。あ、すみません。一介の商人の発言です、聞き流してくださいです」

 じっと横で聞いていたドーレスが発言して慌てて謝るが、誰もそれをとがめない。

 この場は黙ってじっと耐える。それも一つの手段だ。実際、ドーレスのおかげで当面の聖竜領内の開拓への影響はない。

 しかし今後は? 何もせずにいたら、好き放題されて手に負えない状況を作られてしまうのでは? その時には手遅れなのでは?

 結局、行動してもしなくても、何かしらの懸念は残るのだ。

「個人的には何かしらの対応をするべきだと思うんだが……。サンドラ、これは君の問題だ。決断するのは君の役目になる。……ただ、俺はいつもどおり、できる限り協力する。それは忘れないでくれ。聖竜様も力を貸してくれる」

 考え込んだまま押し黙ったサンドラに俺はできるだけ元気づけるように、強い口調で言った。どんな判断であれ、俺は彼女を助けると決めている。

「ぼくもアルマス殿と同じ気持ちだよ。サンドラさえよければ、シュルビア経由でいくつか手を打つこともできる。それもわかっているんだろう? 迷惑だとは思わないから、はっきり言うといい」

「私はお嬢様にどこまでも従いますから」

「あ、あてくしも頑張りますです!」

 スルホ、リーラ、ドーレスが言葉を続ける。もし、この場に聖竜領の他の人々がいれば、何かしら言って同じように彼女を支えただろう。

「みんな、ありがとう。少し……一晩でいいから考えさせて。ちゃんと、決めるから」

 これが領主として、そして領地としての将来に影響する決断だと理解しているのだろう。サンドラは悩みをのぞかせつつも、強い意志を感じさせる瞳でそう言った。


      


 スルホの屋敷での食卓は、いつも料理がしい上、領主の性格もあって訪れるたびに和やかで楽しい時間を過ごせるのだが、今日はさすがにそうはいかなかった。

 じっと考え続けるサンドラは黙々と食事をし、気を使って誰も話題を振らない。

 美味しいが静かすぎる夕食を終えた俺は、サンドラが滞在している部屋に向かっていた。

 たしかにこれは彼女が答えを出すべき事柄だが、十三歳の少女に丸投げしたままというのはあまりにも無責任だ。

 協力すると約束した以上、話を聞くくらいのことはしてやりたい。

 軽くドアをノックし、名前を告げると、リーラの声で「どうぞ」と返事があった。

 室内に入るとまず、ハーブティーの香りに包まれた。

 よく知っている、心を落ち着ける効果があるハーブだ。それも眷属印だ。

 サンドラはリーラとテーブルを囲んでお茶の準備をしていた。カップは三つ。俺が来ることを予想していたのだろう。

「さすがに心配で来てみたんだが、大丈夫だろうか?」

「もちろん。正直、助かるわ」

 その返答を聞いてから、空いている椅子へと座る。

「次から次へと、なかなかスローライフとはいかないものだな」

「本当に。いずれ起きる事態だと思っていたとはいえ、ね。放っておいてくれるのが一番よかったのだけれど」

 苦笑しながらカップに口をつけるサンドラ。

 スローライフ、都会を離れてゆっくりまったり過ごすこと。聖竜領をそうできる場にするのが俺とサンドラの目的だ。よって、サンドラ自身には聖竜領の経営さえ順調であれば、実家に対して積極的にどうこうするつもりはない。

 だが、向こうはそう見てはくれなかった。

「向こうからすれば、辺境に行った君がすさまじい勢いで力を身につけているように見えるだろうからな。脅威を覚えるなというほうが難しいだろう」

「そうね。わかりやすいわ。デジレ姉様を使ったところも含めて」

「お嬢様は今後どうなると予想しているのですか?」

「短期的に見れば、なにをしてもしなくても今は乗り切れる。長期的に見ると……難しいわ。なにもしないほうが聖竜領への手出しは少ないかも」

「難しい立ち回りを要求されるな……」

「そうね。デジレ姉様に上手く帰ってもらえれば大分時間を作れると思うのだけれど。下手につついて、逆にやる気を出して本格的に干渉されると困るかも」

「しかし、なにもしないで少しずつ情勢を握られて、とんでもない要求をされることもある」

 こちらから手を打たずにいるのは、好きなように料理してくれと言っているに等しい。ある日突然、逃げ切れない状況でとどめを刺しに来られるだろう。

「ええ、それもわかってる。どちらにしろ対抗策を練るのは必須ね」

 結局のところ、サンドラが悩んでいるのは「いつ、何をやるか」ということだ。実家からの手出しをいかに上手く捌くことができるか、その時期と手段を模索しているわけである。

「参考までに。仮に今動いた場合、どうすればデジレを退散させられる?」

「現状のデジレ姉様の策では聖竜領に影響がないことを教えるわ。デジレ姉様は素直だから、自分のやっていることが無駄だったと教えられたら、慌てて次の策を得るため兄様に確認に戻るはず。これまで政治的な行動はとったことがないから、自分で新たな手を打てる可能性は低いもの」

「それだけで上手くいくのか?」

「私見ですが。お嬢様の口から言っていただければ、上手くいくかと」

 疑問に答えたのはリーラだった。帝都にいる時、サンドラの助言を素直に聞く時代のデジレを見たことがあるからこその意見だろう。たしかに向こうもサンドラの能力は高く評価しているはずだ。

「ただ、これだけでは弱いのよね。多分、しばらくするとデジレ姉様が戻ってきてしまう。間違いなく、より対処が面倒な策を持たされた上でね。悩ましいわ……」

 そう言って、サンドラは頭を抱えた。今のままではこの対抗策では決め手になり得ないか。

「すでに実家と事を構えるのは仕方ないということでいいかな?」

「ある程度は覚悟しているの。ただ、今のままだと危険にも思える。スルホ兄様とシュルビア姉様に協力してもらって、もっとこの地域での力を持たないといけない」

 そこで時間か。デジレがいなくなれば、エヴェリーナ家の者として大きく力を振るう者が消滅する。彼女がしばらく戻ってこられないくらいの状況にできれば、俺達の今後はかなり有利になる。

 とはいえ、まさかデジレを始末するわけにもいかない。

 となると別の方策が必要だが、話しているうちに俺なりの考えを思いついた。

「一つだが、案がある。デジレの護衛の者。そのうち一人は魔法士だ。これだけのことをするんだから、魔法具で本家なり指揮官と情報のやり取りをしているだろう」

「そうね。定期的に情報交換をしているはずよ。……アルマス、そこを利用するつもり?」

 話の途中で気づいたらしい。さすがはサンドラだ。

「前に言ってたわね。ちょうほう活動で潜入したこともあるって」

「ああ、自信はそれなりにある。俺が魔法で姿を隠せば、見つかる恐れはない」

 途端にサンドラの目がこれまでと違う輝きを持った。癖毛に軽く振れつつ、検討を始める。

「たしかに、リスクも少ないし、メリットも大きい……。それに、リーラに手伝ってもらえば……」

「あの、お二人は何を考えているのですか?」

 主人の口から自分の名前が出たことが気になったのだろう。リーラが困惑気味に問いかけてきた。

 俺はサンドラに代わって、その疑問に答える。

「こちらから情報戦を仕掛けてみようということさ。それも、こっそりとな」

 具体的な話でなかったからだろう、リーラはまだげんな顔をしていたが、隣のサンドラは大きく頷いた。

 俺の能力ならば連絡に使っている魔法具をこっそり確保することができる。そうすれば情報は入ってくるし、誤情報を流して混乱させることすら可能だ。向こうに気づかれずに情報を武器にした戦いを仕掛け、優位な状況を作り上げるのだ。

「やりましょう、アルマス。やってみる価値はあると思うわ」

 今日一番の、力強い目線で俺を見て言ったサンドラの表情は、確かな決意を秘めていた。


      


 デジレ・エヴェリーナとの対決の下準備として情報戦を仕掛ける。

 それが決まって最初にやったのは彼女の潜伏先の特定だ。

 これは意外と早く目星がついた。クアリアの南西には、サンドラの母の実家が持っていた別荘が一軒あることを彼女とスルホが覚えていた。

 サンドラの母の家はエクセリオ家といって、跡継ぎがおらず、今は存在しない。別荘は権利を受け継いだエヴェリーナ家が管理しており、無人だったそうでかくとしてうってつけだ。

 別荘の位置はクアリアから馬車で半日の小さな町の外れだったので、俺はひとっ走りしてすぐに調査を行い、デジレの所在を確認。

 それからリーラを呼び寄せて、二人で服装を変えた上で本格的な行動を開始した。

 主な作業は俺達の推測の答え合わせだ。

 デジレはほぼ毎日、クアリアを中心とした周辺の商会に向かい、何かしらの指示を出していた。大体は東都方面から指示のあった資材の調達だ。

 そして、その資材調達の指示は魔法具を使って行われる。

 連絡用の魔法具は聖竜領でも使われている、魔力を込めたら決められた場所まで飛んでいく鳥を模したものだった。

 俺達は魔法具が飛ばされる度にそれをこっそり回収することに成功した。

 一番大変だったのがここで、デジレの護衛二人はなかなか優秀だった。連絡用の魔法具を偽装もまぜて複数飛ばしたり、時間や場所を変えてみたりと何らかの妨害を想定した動きをしっかりやっていたのである。

 最初の二日でそのことを確認した俺達は、潜みながら全部の魔法具を回収することにした。常に監視していなければならないのは疲れるが、幸い俺は竜、その程度のことで疲労はほとんど感じない。人間相手を想定した作戦は強引に打ち破らせてもらった。

 調査の結果、デジレ達の連絡相手は東都周辺の関係者であることがわかった。文面的に、さらに何カ所か経由して帝都のエヴェリーナ家にも情報が渡る仕組みのようだ。

 ちなみに中の文面もなかなか厄介で、肝心なところが暗号になっていたのだが、そこはリーラが解読してくれた。なんでもイグリア帝国の兵士達の間で使われているもので、勉強したことがあるそうだ。

 そこからは本格的な情報工作の始まりだ。

 最初は相手の状況を把握するために内容を確認するだけ、四回目あたりからは数値や内容に修正を加えるようにした。

 これはリーラが筆跡模写の達人だったおかげでできた作戦だ。「戦闘メイドのたしなみです」と本人は特に誇ることもないが、暗号の件といい、なかなか怖い技能を持っている人物である。

 サンドラに相談しつつ、デジレが不信に思わない程度に東都からの指示を俺達が修正する傍らで、ドーレスとスルホには別途動いてもらった。

 もちろん、向こうが俺達を監視している可能性は排除しない。偽装としてサンドラは聖竜領に戻り、リーラをクアリアに置いて連絡を密にしている風に装った。俺も街道を走って連絡役を担っているふりをしてみたりした。

 そんなことをしていたので、デジレの別荘で情報工作をするのは毎日ではなかったが、それでも十分な成果は得られた。向こうの情報は筒抜けである。

 デジレとその仲間達には怪しまれなかったらしく、彼女達は変わらず行動を続けていた。連絡用の魔法具から盗み見た書類によると、こちらが動揺していると思っているようだ。

「そろそろ、材料がそろったと思うのだが」

 俺がそう言ったのは作戦開始から十二日後のことだった。

 スルホの屋敷で久しぶりに皆揃って夕食を食べた後、会議室で集まっての場である。

「まさか、この短期間でこれほどまで調べるとは思いませんでした」

「向こうもそれなりに警戒していたようだが、なんとかなってよかったよ」

 驚くスルホに、俺はあんと共に答える。

 デジレの護衛二人は聖竜領の妨害を本気で警戒していたかはわからない。動きを見る感じこの手のことに慣れていて、いつもの業務として情報ろうえいの対策をとっていたように見えた。どこに行っても手を抜かない。なかなかの人材だ。

「デジレ姉様も頑張っているし、優秀な部下がついているようね」

「そうだな。思ったより厄介な相手だった」

 そして、成果も十分に得られた。デジレの能力、彼女の立場、どちらもサンドラの推測がおおむね当たっていた。これは俺達の諜報活動だけでなく、スルホが婚約者のシュルビアに頼んで集めてもらった情報による補強のおかげで確信に至っている。

「資材の搬入は順調。聖竜領の工事に影響はありません。これ以上何事もないと、さすがに向こうも疑問に思うかもです」

 方々を回って聖竜領に資材が足りないことを話しつつ、融通を利かせてもらったドーレスが言う。今回は彼女のおかげで助かった。情報操作もしてくれて、上手いこと聖竜領に影響が出ているということだけが向こうに伝わったようだ。

「そうね。デジレ姉様が聖竜領に来る前に先手を打ちましょう」

 サンドラも同意する。いくつか仕込んだ策もあり、それもそろそろ使い時だ。これはタイミングを逃すと意味がないので、決断する時期が大事である。

「入手した情報では、本日夜にクアリアで商談を終えたデジレ様達は別荘に帰宅。これまで調べたところですと、出先から夜に戻った後は一日休みます」

「サンドラ、どうする?」

 リーラに続いて俺はサンドラに問いかける。

 これは最終確認だ。今ならやめることができる。

「明日の朝、クアリアをちましょう。この状況を終わらせるわ」

 しゅんじゅんするかと思った聖竜領の領主は、迷いなく即答した。


      


 クアリア周辺は農地であり、それに寄り添うような小さな町が多い。見える景色の大半は畑か草原で、のんびりした光景がそこかしこに広がっている。

 デジレが滞在している別荘は小さな町の外れにある。近くに魔物や獣の出ない穏やかなところだ。

 別荘は民家よりは大きいが、屋敷と呼ぶには小さなもの。白くて品の良い印象を与える、建てた者のこだわりを感じる建築物である。

 現在の家主は知らないことだが、俺とリーラにとってはこの十二日間で大変親しみが湧くようになった場所でもある。

 いつもは夜などにこっそり近づいて観察したり、連絡用の魔法具が飛び立つのを確認していたのだが、今日は馬車に乗って正面に降り立った。

 デジレとの話し合いに向かったのは俺、リーラ、サンドラの三人だ。

 主にサンドラが話し、なにかあったら俺とリーラが彼女を助ける。屋敷内の人数は六人。そのうち戦闘能力があるのは護衛の二人。俺の見立てでは、荒事になってもリーラ一人でどうにかできる相手である。

 俺達が馬車から降りると、早速別荘のドアが開いた。

 中から顔を出したのはメイドでも護衛でもなく、デジレだった。

 彼女は自信に満ちた笑みを浮かべ、胸を張りつつ数段高い場所である玄関から俺達をへいげいする。

「サンドラ、そろそろ来る頃だと思っていたわ。さ、入りなさい。話し合いをしましょう」

 完全に自分の勝ちを確信した顔だった。素直だとは聞いていたが、これほどあからさまだと政治が絡む社交界で生きていけないんじゃないか。ごとながら心配になる。

 一方のサンドラは特に表情を変えることもなく、返事をする。

「ありがとうございます。きっと、大切な話になると思います」

 その口調も表情もいつもどおり。十三歳とは思えない、聖竜領のサンドラだった。


 俺達は別荘内に設けられた来客用の部屋に案内された。

 建物の見た目と同じく、落ち着いた上品な造りに、デジレが持ち込んだであろう華美な調度品が今ひとつんでいない部屋だ。

「護衛の二人も一緒か。できれば、我々だけで話したいんだが」

 デジレの後ろには武器は持たないものの屈強な護衛と魔法士の二人が油断なく立っていた。今回の話し合いのことを考えると、あまり好ましくない状況だ。

「無茶を仰るのね、聖竜領の賢者様は。サンドラにリーラと貴方がいるのだから、同様にしなければ駄目でしょう?」

 敵対しているとも言える間柄に単身で応対するわけにもいかない、それはよくわかる。

 サンドラの方を見ると、彼女は一つ頷いた。それでいいということか。

 デジレが連れてきたであろうメイドが全員分の紅茶を用意する。室内に濃く力強い香りが満ちた。きっと良い茶葉に違いない。

「では、話を始めましょうか。思ったよりも時間がかかったけれど、そろそろどうにもならなくなったかしら?」

「デジレ姉様はクアリア周辺の資材の流通状況をどう見ているのかしら?」

 問いかけに対して、サンドラがそう問いを投げ返すと、一瞬、デジレの眉が軽く動いた。

 サンドラが口調を変えたからだろう。今の彼女は義妹ではなく、イグリア帝国の一領主として話している。先日とは違うことを暗に伝えるためのものだが、デジレもそれを察したようだ。

「東都での研究者支援のため、ばくだいな予算を与えられて動いているのよ。クアリアで新しく大きな建物を建設するのが難しいくらいになっていると、いくつかの商会に聞いているわ。仕方ないわよね、そういう事業なのだから」

 暗にそれは予定どおりだと言ってきている。有効な手段だが、詰めが甘い。どうやらドーレスの存在に気づくことはできなかったようだ。公共事業として大きな単位で動くデジレからすれば、一介の行商人であるドーレスの取引量など小さすぎて目に入らないのだろう。だが、聖竜領にとってはそうでもないのだ。

「本当にデジレ姉様が自分から動いているのね。驚いた。帝都にいる時はこういう風な動き方をする人じゃなかったのに」

「……貴方がいなくなってから色々あったのよ。どうせ想像はついているんでしょう? まあ、外に出て、こういった仕事をするのも悪くないものだとわかったしね」

 どうやらデジレは自分の仕事ぶりに随分と満足しているらしい。

 ちなみにシュルビアが東都で帝都の情報を集めてくれた結果、デジレはサンドラの予想どおり社交界で上手くいかず、孤立気味だったことが判明している。彼女なりに新しい道が開けた気分なのだろう。実際、護衛二人の協力もあり、仕事は順調にこなしているようだった。

 悪いが、それに水を差させてもらう。

「デジレ姉様が仕事に励んでいるのはいいのだけれど、残念ながら思ったようになっていないことを今日は伝えに来たの。……聖竜領はもう、十分な資材を確保したわ」

「こちらは大商会を使って色々と集めさせているのよ。貴方達にそんな余裕はないでしょう?」

 どうやら、今の一言を揺さぶりだと解釈したようだ。デジレは余裕たっぷりに返した。

 サンドラは落ち着いた口調で言葉を続ける。あくまで事実を告げるために。

「うちには顔の利く優秀な商人がいるの。各地から少しずつ資材を分けてもらうことで解決したわ。買い占めで相場が少し上がってしまったけれどね」

 ちなみに確保できているのは今の工事分だけなので今後はわからないが、これは与える必要のない情報なので、もちろん、サンドラは伏せている。

「デジレ様……聖竜領の規模的に、あり得ない話ではないかと。大商会とはいえ、全ての取引を把握しているわけではありません」

 護衛の魔法士が小さくそう伝えると、デジレの顔色が変わった。

「う、そんなことが……」

「できるのよ。大商会とはいえ地域を支配しているわけではないの。特に辺境では持ちつ持たれつでやっているから、こういうこともできる」

 射貫くような目線でサンドラが見つめると、デジレは一度目を閉じて大きく息を吸った。

 それが事実を受け入れた動作だったのだろう、静かな口調で問いかける。

「……つまり、私のやっていることは無駄だということね?」

「ええ、そうよ」

 サンドラははっきりと言い切った。こういう時、言い切るというのは大切だ。はったりが効いて相手への心理的な印象が強まる。

「他にもクアリア領主に対して俺が作った眷属印のハーブの買い取りについて揺さぶりをかけ続けているようだが、そちらもやめておいたほうがいい。今のところ、俺は眷属印の商品をクアリア領主以外に売るつもりはない」

 眷属印について、クアリア以上の買い取り価格や帝都も含めた販路の拡大の提示。間を取り持ったということで今後のクアリア領への各種優先取引の特権。今日まで色々あったが、スルホには全部断ってもらっている。というか、うっかり承諾して大量注文があったら対応しきれない。何より、必要以上に忙しく過ごすのは俺の本意ではない。

「魔法士の中でも特に賢者というのは特殊だというけれど。まさか、本気で断るの? かなりの条件を出しているのよ? 聖竜領とクアリアにも利益があるのに」

「そうだ、話を受けるつもりはない。そもそも俺はハーブ栽培で財を成したいわけじゃないんだ」

 ハーブは大切な収入源だが、結果的に高く売れているだけである。俺は商人ではないので、今くらいがちょうどいい。

 それと、今の話しぶりだと、賢者ということで変わり者扱いされたような気がする。気にしないでおこう。

「……なるほどね。つまり、私に諦めて帝都に帰れとでも言いに来たのかしら?」

「いえ、もっと大切な話です。今のはただの現状確認なんです。リーラ」

「はい」

 サンドラに指示を出され、リーラはどうやってかメイド服から大量の書類を取り出す。そして、それを無造作に机の上に置いた。

「……この書類……! なんで貴方が!」

「どういうことだ!」

 その正体がわかり、デジレと魔法士が慌てふためきだした。

 これこそが俺とリーラが十二日間で確保した、彼らが東都とやり取りしていた書類である。

「ここしばらくの間、お前達がどこかとやり取りしている魔法具を捕獲して、中身を改めさせてもらった。向こうから来る分も含めてな」

 具体的な日数を教えずに言ってやると、デジレと魔法士がさらに取り乱した。

「そんな! サンドラが私達のことを知った時点で、念のために対策をすることになったのよ!」

 そう言って魔法士の方を見るデジレ。書類を見ながら、魔法士は震える声で話す。

「……偽装は念入りにやっていました。書類の暗号だって毎回変えましたし……」

「魔法具での連絡は俺にとっては簡単に対処できる。いっそでんしょばとの方が厄介なくらいだ。それと、こちらには暗号を解読できる上、筆跡を真似て、同じ書類を作れる者がいてな」

 そう言うと、デジレが目を見開いてリーラの方を見た。多才にして多芸な戦闘メイドは、どこか冷たい目でその視線を受け止める。

「暗号解読も筆跡模写も戦闘メイドのたしなみですから。知っている世代の暗号で助かりました」

…………!?

 デジレ達三人の顔色が変わった。自分達の行動が筒抜けだったことを理解したようだ。魔法士が書類に目を通し終えると、震える声で報告する。

「……たしかに、我々のやり取りがそのまま漏れています」

「やろうと思えば文書をかいざんして、もっと混乱させることもできた。これは警告だ。手を引け」

「くっ、こんなことが許されると思って!?

「この辺りの流通に影響を与えるほどの資材買い上げや、家の力を使っての強引な商談の持ちかけ、そちらの方が問題よ。この件はクアリア領を通じて、正式に抗議があるわ。第二副帝の名前で、取引量の制限があるはずよ」

「……なんですって」

 第二副帝。帝国東部を治める、この地域で一番の権力者にしてシュルビアの父親だ。今回、エヴェリーナ家に対抗するに当たって、俺達はできうる最強のカードを用意した。

「デジレお嬢様、さすがにこれでは……。一度、出直しましょう」

「……そうね」

 思いがけない権力者の名前の登場に、デジレ達は完全にづいていた。

「今回は完全にしてやられましたな。我らも準備がありますので、話はこのあたりに致しましょう」

 護衛の戦士の方が一歩前に出て言う。その表情に焦りがある。魔法士の方もだ。俺達がまだ温存している手札を想像し、早急に話を打ち切りにきていると俺は判断した。

「いや、もう少しだけ話がある。そこを動くな」

「う……」

 悪いが、これで終わりではない。俺がにらみを利かせて言うと、護衛の二人が動きを止めた。デジレの方は戸惑った様子だ。

 この一瞬で生まれた時間を逃さず、サンドラが口を開いた。

「それと、東都か帝都に帰る前に、デジレ姉様に見ておいてもらいたいものがあるの」

 そう言って、サンドラはリーラから新たな封筒をいくつか受け取った。

 それを見て、デジレの隣にいた魔法士の顔色が変わった。

「逃げるな。逃げても無駄だ。俺はどこまでも追いかける」

 及び腰になり、近くにいるもう一人の護衛に目配せした魔法士に鋭い一言を飛ばす。その顔は恐怖に引きつっている。どうやら、俺についても多少は調べてあるみたいだな。少し前に暴れたがあった。

「これはなにかしら?」

「彼らが隠れて帝都とやり取りしていた書類よ。内容は、デジレ姉様について」

「私の……?」

 怪訝な顔で封を破られた封筒の束を受け取ったデジレは、その中身に目を通しはじめる。

「……どういうことよ、これは」

 その顔がみるみる険しくゆがんでいった。

 どういう経路を通ってかはわからないが、護衛の魔法士はデジレの働きについて帝都のエヴェリーナ家に定期的に報告していた。

 内容は非常に事務的だ。彼女にどんな適性があるか、他にどんな仕事ならやらせることができるか。つまり、デジレに対しての評価報告である。

「デジレ姉様がエヴェリーナ家の駒になるかどうかを検討していたのよ。それも、帝都から追い出してね」

…………

 サンドラの言葉を無言で聞いたデジレは全身を震わせていた。その顔は屈辱に歪んでいる。

 家のために働いていると思っていたら、手駒として試されていただけなのがわかったのだから、そうもなるだろう。

…………やっぱり、そうだったのね」

 何度も手紙に目を通してから、すっかり意気消沈した様子でデジレがそうこぼした。

 横の護衛達は大変気まずそうだ。こうなるだろうから、最初に席を外せないか言ってみたんだがな。いや、さすがに無理だとは思っていたが。

「気づいていたのか」

「帝国東部でこれまでやったこともない仕事をやれと命じられればさすがにね……」

 項垂うなだれながら言うデジレの声は震えていた。気づいてはいても、こうして事実を突きつけられれば心にくるだろう。

「姉様、これが今のエヴェリーナ家です。姉様は素直すぎるところがあるので、帝都の社交は無理だと判断されたのでしょう」

 その姿に思うところがあったのだろう、同情的な声で言うサンドラにデジレは気丈に返す。

「やっと、それなりに上手くやれていると思っていたのよ。貴方がいなくなってから、失敗ばかりだったから」

「上手くはやっていたと思います。ですが、わたし達も生きるために必死ですから」

 その言葉にうつむいたデジレは反応を返さなかった。

 ただ、かすれた声で言う。

「……一度、戻るわ。東都か帝都かわからないけれど。色々確認しなきゃいけないこともできたし。……貴方達もよ」

 護衛の二人が硬い顔で頷く。どちらにしろ、このまま聖竜領へ圧力をかける意味はない。それどころか、第二副帝から何らかの対応がされてしまう。そこで出直しは良い判断だ。東都で直接情報収集をしてもいい。

「話はこれだけです。姉様、お元気で」

 素っ気なく言うと、サンドラは席を立った。

「ねぇ、サンドラ。私、どうすればよかったのかしら?」

 身内にすら利用された孤独なお嬢様。最初の自信をすっかり消失した、デジレ・エヴェリーナの心細い、すがるような問いかけだった。

 サンドラは癖毛に触れて少し考えると、領地で仕事をしている時と同じく、穏やかな表情と共に口を開いた。

「エヴェリーナ家の名前を使って、健全な商売をすれば案外上手くいくかもしれません。今回のように優秀な協力者が必要だと思いますが。……正直、思った以上に仕事ができていて驚いたんですよ。今回、一番裏をかかれたのはそこです」

 最後の部分は少し明るく、励ますような言い方だった。

 しかし、今まさにうちひしがれるデジレには伝わらなかったようだ。肩を落とす彼女を置いて、俺達は部屋を出る。

 去り際、俺は言うべきことを思い出したので、室内にいるデジレと護衛二人に向かって言う。

「デジレ、その二人だがな。上からの命令で仕方なくお前の能力について報告していたようだ。潜伏して見張っている時に『思ったよりも度胸があって、働き者だ』とか『良い経験を積んで頼りになるなら、仕えてもいい』と話していたぞ」

 それを聞いたデジレと護衛が動きを止めたのを確認して、俺は退出した。


『案外優しいのう、アルマスよ』

『いいじゃないですか。あのままふくしゅう心に駆られたりすると困ります』

『ふむ、それもそうじゃな』

 デジレの別荘を出て馬車に乗った帰り道。俺は一部始終を見ていた聖竜様に声をかけられていた。

「アルマス、聖竜様と何を話しているの?」

「デジレのことだ。これ以上の手出しはできないが、必要以上に悪いことにならないほうがいい」

「……そうね。わたしもそう思うわ」

「意外だな。君を帝都から追い出した人間の一人だぞ。もっと怒っていい相手だ」

 穏やかな顔をしているサンドラにそう言うと、彼女は軽く笑みを浮かべた。

「デジレ姉様は、あれで頑張っているだけだったから。それに、今日のあの姿を見て、気にならなくなったわ。むしろ、わたしみたいに居場所を見つけてくれればと思うくらい」

 穏やかにそう語ると、サンドラは窓から帰り道をまぶしそうに眺めた。彼女の視線の先には、今の居場所、聖竜領がある。

「デジレ様の居場所、あるでしょうか?」

「わからないな。それこそ、彼女の気持ち次第だ」

 リーラの問いに俺はそう答える。

 やったことは強引だったが、クアリア周辺でのデジレの評判は必ずしも悪くないものだった。ちょっと気が短いが、貴族にしては話のわかる相手だったのがよかったらしい。素直で短慮、サンドラの人物評そのままだ。

「当面の危機は回避したけれど、もっと力が必要ね。今回のように後手にまわらないように、情報や政治的な力が欲しいわ……」

 領主の悩みは尽きない。デジレがいなくなってできた時間で何をするべきか、すでに考えはじめているようだ。

「そこはスルホも交えて考えるしかないな。まあ、秋が来る前に片付いてよかったと思おう。楽しみだな、収穫」

「アルマス様は切り替えが早いですね」

「戦場では大切なことだぞ?」

 俺とリーラがそんな話をすると、サンドラが軽く笑った。

「悩みはあるけど、現実的に目の前のことを片付けていきましょう。でも、これで聖竜領で落ち着いて過ごせそうね」

「同感だ、俺もそろそろトゥルーズの料理が食べたくなってきたところだ」

 いつしか、話題は深刻なものから、いつもの日常へと戻っていった。

 ひと山越えて、聖竜領ののどかながら忙しい日々へと俺達は帰っていく。