「イルヴァレーノ……」

「弟妹達も、カイン様いつ来るのって楽しみにしてた。セレノスタはディアーナ様にあげる強い石を拾ってきて磨いてる。ものの数にはならないかもしれないが、孤児院の子どもたちはお前とディアーナ様の味方だ。お前が俺たちに情けをかけたからだ。これが、情けは人のためならずって事だろ。これは、失敗なのか?」

「……」

「力が足りないなら、鍛錬にだってつき合ってやる。手が足りないなら貸してやる。怖いなら一緒に立ち向かう。そんな情けない顔をするな!」

まだ七歳の、幼いイルヴァレーノの顔にひとりの青年のイメージがかぶる。

面影がしっかりと残っている、十七歳のイルヴァレーノだ。

『君の側にいるよ。君を脅かす全ての物から守ってみせる。君を蔑む者は排除する。君を悲しませる者は退ける。君を傷つける者には同じ傷を返す。そんな悲しい顔をしないで……』

それは、アンリミテッド魔法学園のイルヴァレーノルートの最後。皆殺しルートのラストシーンの画像だ。

周りは血の海で、他の攻略対象も悪役令嬢のディアーナもすでに死んでいる。心を病んだイルヴァレーノが主人公を助けようとして、寄り添おうとして告白するシーンだ。

そのシーンのイルヴァレーノと。

今、カインを励ましているイルヴァレーノと。

「何も変わらない……言い回しとか、同じなんだな」

心を病み、主人公を守る方法が敵の排除しかなかったイルヴァレーノ。

それが、どうだ。一緒にいるというそのあり方でもこんなに違う。一緒に戦おうとしてくれる。

皆殺しルートを回避したくて、イルヴァレーノが心に闇を抱えないように心を砕いた。拾い上げて、受け入れて、友達として扱った。

ディアーナと自分の命を救うための手段としての行動ではあったけれど、一緒に遊んで勉強してディアーナを可愛がった日々は確かに楽しかった。この後十年経ったとしても、このイルヴァレーノならカインとディアーナを殺すことは無いだろうと思うことが出来る。

それは。

「ちゃんと、俺のやったことが実を結んでる……。結果は、ちゃんと出てるんだな……」

それは、実感だった。

全てが無駄なんてことはない。失敗もあるかもしれないが、ちゃんと幸せな未来への道筋も、細いかもしれないが伸びつつあるという、実感。

目の前の、イルヴァレーノという成功例。

それに抱きついて、カインは声を上げて泣き出した。


「いいこと? しばらくの間は、お兄様のお部屋に行ってはダメよ」

ソファーの隣に座る母エリゼが、ディアーナに言い聞かせる。ディアーナはコクコクと頷くと、

「しばらくって明日まで?」

と聞いた。早い。エリゼは困った顔をして、ディアーナの頭を撫でる。

「明日ではちょっと早いわね。もう少し先までよ」

「わかりました!」

刺繍の会でやらかしたカインが自室で謹慎中なので、ディアーナにも面会不可を言い聞かせている。

その間、ディアーナはイルヴァレーノと一緒にイアニス先生の授業を受けたり、母と刺繍の練習をしてみたり、イルヴァレーノに絵本を読んであげたりして過ごしていた。

しかし、授業の休み時間やお茶の時間、食事の時間にもカインに会えない寂しい気持ちが募っていった。

受けている授業も多く、自主的な鍛錬も積極的にやっていて、スケジュールいっぱいのカインだったが、隙間隙間にディアーナに会いに来ていたので、ディアーナは寂しいと思ったことはなかったのだ。


時間が半日ほど遡る。

昼食後のお茶を母と飲んでいたディアーナは、ここのところ毎日聞いている質問を、今日も母に問いかけた。

「お兄さまにはまだ会っちゃだめですか?」

「まだだめよ」

ディアーナは頬を膨らませて、上目遣いで母をにらむ。

「お兄さまにはいつまであえないの!?

「お父様が良いと言うまでよ」

期限が決まっているわけではないのでそのように言ったエリゼだが、ディアーナは別の意味に受け取った。ニカッと笑うと高らかに声を上げた。

「わかりました。お父さまに、お兄さまにお会いして良いかきいてきます!」

「ディアーナ!?

エリゼが止める間もなく、ディアーナはソファーからピョンと飛び降りると、足取りも軽く居間から出て行った。エリゼは、頬に手を当てて困った顔をしてそれを見送った。

コンコンバタン!

ノックの音と同時にドアが開き、ディアーナが入ってきた。その勢いに驚いて目を丸くしていた父ディスマイヤは、視線を下げて小さな訪問者を見つけると、嬉しそうに顔を緩めた。

「ディアーナ。ノックすれば部屋に入って良いと言うわけではないよ。ノックしたら返事を待ちなさい」

「わかりました!」

ディアーナはいつも返事だけは良い。おそらく次回もノックと同時にドアを開くだろう。それでも、少し前はノックすらしないでいきなりドアを開けていたので、進歩はしているのだが。

「お父さま。お兄さまにお会いしてもいいですか?」

クリンと首を傾げて聞いてくるディアーナの愛らしさに、ディスマイヤは思わず頷きそうになるが、咳払いをして気を取り直す。

「お母様から、ダメだと言われなかったかい?」

「いわれました」

「なら、ダメだよ」

「お母さまは、お父さまが良いといったら会えるっていったもん」

「あー」

エリゼの言ったであろう言葉に思い当たり、困った顔をしてくしゃりと髪をつかむ仕草をした。立ち上がってディアーナを抱き上げると、同じ高さになった顔を覗き込む。

「カインは今、反省中なんだ。己と向き合い、今後やらねばならないことを考えている所だから、邪魔をしてはいけないよ」

「お兄さまは、はんせいちゅう」

「そうだよ。そっとしておいてあげようね」

「はい!」

ディアーナは返事だけは良い。

父ディスマイヤに別れを告げて書斎を出ると、カインの部屋の前までやってきた。洗濯物を集めて回っていたデリナが、カインの部屋の前に立っていたディアーナを見つけて声をかけた。

「ディアーナ様、カイン様のお部屋に入ってはいけませんよ」

「はい!」

ディアーナは返事だけは良い。

デリナにバイバイと手を振って、廊下を歩き出すディアーナ。カインの部屋のドアの前からディアーナがいなくなったので、ホッとして仕事を再開するために歩き出したデリナだが、ふと思い出したことがあって振り向いた。

「そうだ、ディアーナ様……」

デリナが振り向いた先には、もうディアーナはいなかった。無人の長い廊下が伸びている。

「……ディアーナ様は、足がお速いのね……?」

質素な壁紙の部屋に、置いてあるのはベッドと机と本棚だけ。手狭な部屋のベッドの上にイルヴァレーノは座っていた。本を読んでいたのだが、驚くべき事があったためにそちらに視線を取られていた。

「イル君、シー!」

主人の部屋の隣にある、使用人部屋である。ここには、邸の住人である公爵一家が来ることはない……ハズである。

口の前に人差し指を立てて「ナイショ」のポーズを取っているディアーナが、ドアの前に立っていた。使用人の寮がある棟と違い、主人の私室の隣にある使用人部屋は、入り口が解らないようになっている。来客や主人たちの目に触れないように、また安全の観点からも隠し扉にされているのだ。

「ディアーナ様……なんでこの部屋の入り方知っているの」

「ふっふっふ。ディはなんでもしっているのよ!」

なにやらポーズを決めてそんなことを言う。いったい誰の影響なんだろうとイルヴァレーノは思って、そして眉をひそめた。ディアーナに変な影響を与える人物なんて一人しか思いつかなかったからだ。

「カイン様には会えないよ」

「うん」

頷いて、ベッドの傍らに立って壁を指差すディアーナ。顔だけイルヴァレーノの方に向けるとニッコリと笑った。

「あーけーて!」

「なんでそこが続き部屋への戸だって知ってるのさ……」

イルヴァレーノはため息をつくと、ディアーナの隣に立って、見えないように細工されているノブを引いて薄く戸を開く。この国の建築様式では珍しい引き戸になっている。

「こっそりのぞくだけだよ。謹慎中なんだからね」

「はんせいちゅうでしょ?」

「……まぁ、そうだね」

薄くあけた隙間から、二人でカインの部屋をのぞく。カーテンが閉まっていて薄暗い部屋の中で、カインは、ソファーに座ってうなだれていた。しばらく眺めていた二人だが、カインはピクリとも動かなかった。

「お兄さま元気ない」

「なんかやらかして怒られたらしいからね。奥様に凄いげんこつ貰ったらしいじゃん」

「怒られたから、はんせいちゅう?」

「そうだね」

「怒られたから、元気ない」

「そうだね」

なるほど、とディアーナは大きく頷いた。はんせいちゅうというのは、元気がないことなのだ! とディアーナの中で言葉が結びついた。はんせいが終われば、カインに遊んでもらえる。つまり、カインが元気になれば、カインと遊べるのだ。……と、ディアーナの中で結論付いた。

「ディが、お兄さまを元気にしてあげなくちゃ!」

「なんかする気?」

「おじゃましました!」

スタスタと使用人部屋の出口へ歩き出すディアーナを追いかけて、戸をあける前に外の様子を窺う。この部屋に出入りするところを人に見られてはいけないのだ。

「イル君。ディがここに来たことはシーっね」

ディアーナが口の前に人差し指を立てる。そうは言うが、邸の中でディアーナがうろつくときは、大抵隠れてエリゼの侍女が付いてきているのだ。ディアーナの行動に、本当に内緒のことなど何もないのだ。

何もないはずなのだが。

「おかしいね……誰の気配もない」

「ディはひとりでここまできたもの」

そっと二人で廊下に出て、左右を見渡すが誰もいない。カインが謹慎中なのもあり、シーツや寝間着を回収するデリナが通り過ぎればもう食事を届けに厨房係が来る以外は誰も来ない。しかし、イルヴァレーノが気配を探ってもこっそりと付いてきているハズの侍女の気配がなかった。

「まさか、本当に一人できたの? お守りの人撒いて来ちゃったの?」

「ディは、やればできる子なのよ」

バイバイ! と元気良く手を振って歩いていくディアーナを見送りつつ、本当に誰もいないの? とさらに周りに気を配るが、矢張り本当に誰もいないようだった。

「あぁもう!」

頭をくしゃくしゃとかき回すと、イルヴァレーノは足音をたてないようにディアーナの後ろをついて行った。

「んしょ。うんしょ」

ディアーナが階段を降りていく。体に対して一段の段差が大きいので、体を横にして片足ずつ、一歩ずつ降りていく。

その様子を、廊下の角からこっそりとイルヴァレーノが見守っている。一歩ずつゆっくりと降りていくが、時折ぐらぐらと体が揺れるのでイルヴァレーノは気が気でない。手が出そうになったり引っ込めたりしながら「あぁもう」と小さな声でつぶやいている。

あと三段で踊場に着くというところで、ディアーナはスカートの裾を踏んづけて体のバランスを大きく崩してしまった。

「あぶない!」

イルヴァレーノはとっさに飛び出して階段の最上段をけり、空中でディアーナをキャッチして抱え込むとグルンと一回転して勢いを殺し、そのまま踊り場でもう一回転前転してディアーナを後ろ向きに立たせた。しゃがんでいた体勢から膝を伸ばして飛び上がると、手すりに一度足をつき、そのまま下の階へと音もなく飛び降りた。

「イル君?」

転びそうになってギュッと目をつむったら、クルクルっとして気が付いたらちゃんと立っていた。イルヴァレーノの声がしたと思って振り向いたけど誰もいなかった。

「うーん?」

ディアーナは首を傾げたけど、まぁいっかとまた歩き出した。片足ずつ一歩ずつ、カニ歩きで階段を降りていく。今度は、スカートの裾を踏まないようにスカートの裾を両手で持ち上げてから降りていく。

裾を持ち上げすぎて、ウサギさんの描かれたカボチャパンツが丸見えになってしまっているがディアーナは気にしない。