カイン花の花ことばはおにいさまだいすき

謹慎中のカインはほっておけと言われ、イルヴァレーノはディアーナと一緒に勉強、エリゼの侍女の手伝い、執事の手伝い等をしていた。侍従見習いなので、手伝いというよりは指導を受けているといった方が正しい状態ではある。お茶の淹れ方、アイロンのかけ方、スムーズな服の着せ方脱がせ方。ドアの開け方閉め方、咄嗟の染み抜き方法や簡単なケガに対する応急処置の仕方など。

お茶淹れも洗濯もその他の仕事もそれぞれ専門の使用人がいるが、主人がそれを必要とする場にいつでも専門家がいるとは限らない。いつ何時でもそれが必要になったときに、主人に不便をかけさせないために。侍従は何でもできなくてはならないのだと執事は言う。

「おや。イルヴァレーノは治癒魔法が使えるのですね」

書類の端で小さく指を切ってしまった執事が、丁度良いから覚えた応急処置の実践をしてみましょうとイルヴァレーノに指を差し出した時のこと。

渡された消毒薬とガーゼを置いて、イルヴァレーノは魔法でその傷を癒したのだ。それをみて、執事が驚いて訊いてきた台詞だったが。

「すみません。実践での練習の機会でしたが……その、えっと、実際に怪我をしていて、それを治せるのなら治した方が良いと思って……」

と、イルヴァレーノは申しわけなさそうに言った。

「いいえ。治せるのなら治した方が良い。その通りです。どの程度まで治せるのですか?」

「小さな傷くらいしか治せませんし、調子が悪いと全然治せないときもあります。ですので、応急処置方法を教えてもらって助かってます」

「ふむ。なるほど」

大きな怪我まで治せていたら、カインに拾われることもなかった。孤児院でも、怪我した子の傷をすぐには治さず、昼寝や夜寝てる間に治して「いつの間にか治ってた」「幼い子は怪我の治りが早いねぇ」と周りに思われるように気を使っていた。

治癒魔法が使えるなんてバレたら、どこに売られてしまうかわからなかった 。

「イルヴァレーノ。今、ディアーナ様と一緒に勉強しているのですよね?」

「はい。カイン様と一緒に教えていただいていましたが、なにぶん途中参加みたいなものでしたので、今の機会に基礎を教えていただいています」

「ふむ」

執事はなにやら思案顔でイルヴァレーノの顔を見下ろしている。何か用事を言いつかるのかと黙って見つめられるままに立ち尽くしているイルヴァレーノだった。何を思案していたのかは、後日カインの謹慎明けに判明することになる。

その日の夜、まもなく夕食の時間という頃合いに、イルヴァレーノは柱の陰に隠れているつもりで丸見えなディアーナから手招きをされた。何か用かと側へ近寄ると、耳を貸せというジェスチャーをしてきたので跪いて顔を寄せた。

「イル君あのね。ディはみたことのないお花をみつけたの」

こっそりと耳元でそう言うと、後ろ手に隠していた一輪の花を見せてきた。それは、イルヴァレーノからしたらどこにでも咲いている雑草の花で、孤児院の日当たりの悪い裏庭なんかではやたらと咲いている物だった。

「どこで見つけたの?」

イルヴァレーノがそう問いかければ、「ひみつ」と言ってニシシシシと笑った。令嬢の笑い方ではないが、年相応で可愛らしいといえるかもしれない。

ひみつと言いながら、すぐに裏門の柱の陰で見つけたと教えてくれた。本当は教えたくて仕方がなかったのだろう。

「これね、見たことないでしょう? きっと新しいおはななのよ。だから、ディがおなまえ付けられるし、はなことばもつけられるのよ」

このどこにでも生えている雑草の花を、ディアーナは本当に見たことが無かったのだとイルヴァレーノは気がついた。この完璧に手入れされ、管理された庭しか知らないのだ。ディアーナは。

公爵家の庭は、きちんと手入れされており名のある美しい花ばかりが咲き乱れている。庭師や外回りの掃除を担当しているメイドなどがきちんと排除しているからもちろん雑草なんて生えていない。孤児院の園庭は、子どもたちが走り回るため土が踏み固められているのであまり雑草は生えていない。遊びに来たときは裏手に回ったりもしていないので、花は見かけなかったのだろう。

「なんて名前にして、どんな花言葉にするの」

「うふふふ」

少しもったいぶった後、すごいドヤ顔でディアーナは発表した。

「カイン花って名前にして、おにいさまだいすきって花ことばにするのよ」

兄も兄なら、妹も妹だな。と呆れるイルヴァレーノだった。その後、イルヴァレーノはディアーナからその『カイン花』を託された。

「きんしんちゅうで、ディはおにいさまにあっちゃだめっていわれてるの」

とのことで、この花をプレゼントしてカインを喜ばせたい、元気づけたいという事だった。

イルヴァレーノはカインの侍従なので、カインの部屋の隣に部屋を貰っている。側仕え用の小さな使用人部屋だが、いざという時のために隠し扉で繋がっている。

何故かそれを知っているディアーナが、イル君ならこっそり渡せるでしょう。お父様とお母様には内緒よ。と人差し指を口に当てて「シー」と大きな声で言ってから去っていった。

おそらく、少し離れて様子を見ていたエリゼの侍女から情報は筒抜けになっていると思われるが、それを言ってディアーナをしょげさせるほどイルヴァレーノは冷たくも無かった。

夕飯時は、カインが参加していないので公爵家の晩餐の場には侍らず、使用人たちの食堂で食事を取った。倉庫番に声をかけて一輪挿しを一つ貰うと、そこに水をいれ花を挿して自分の部屋へと戻った。

「カイン様」

隠し扉から部屋へ入り、すでに寝ていたカインに声をかけた。

生返事だが声が返ってきたので起きてはいるようだ。謹慎四日目だが、その間カインは何もしていなかった。ほっとけとは言われても、イルヴァレーノはカインの侍従なので時々様子を見ていた。

あんなにスケジュールを詰め詰めにして精力的に行動していたのが嘘のようだった。

「カイン様。ディアーナ様から贈り物を預かって参りました」

そう声をかければ、ガバリと飛び起きて肩をつかみ、どれだ早くとせっつかれると思っていたのに、のそのそと起きあがって眠そうな目でこちらを見てくるだけだった。

ディアーナからの贈り物と言ったのに。ディアーナと会えないから落ち込んでるものだとばかり思っていたイルヴァレーノは困惑した。

白くて小さな花が一輪だけ生けてある小さな花瓶をベッドサイドのボードに置き、よく見えるようにランタンに火をともした。

「雑草の花だね」

「ええ。屋敷の外に出れば、どこにでも咲いている花です」

「これを、ディアーナが?」

ぼんやりと花を見つめるカインに、イルヴァレーノはだんだんイライラしてきた。自信満々で、何でも知ってるぞという顔をして、イルヴァレーノをこの屋敷に引っ張り込んだのはお前だろう。なんでお前が腑抜けてるんだと文句をつけたくなった。

「ディアーナ様は、見たことのない新しい花を発見したと言っていました」

「どこにでもある花なのに?」

「この公爵家の庭園にはないんですよ。徹底的に手入れされて管理されていますからね」

「……そっか。まぁ、そうかもね」

「ディアーナ様は、新しい花なので自分で名前を付けて花ことばも付けると言っていましたよ」

「イアニス先生とそんな話したね……」

「ディアーナ様は、約束通りこの花を『カイン花』と名付けて『おにいさまだいすき』という花ことばにしたそうですよ」

「ディアーナ……」

カインの目が揺らぎ、目尻にうっすらと水の粒が浮かぶ。

嬉しさと、悲しさと、疲れや諦めなんかの感情が入り交じっていた。イルヴァレーノはそんな目をする大人は何人か見たことがあった。最後の最後、ソレこそが救いだと受け入れてしまう大人や自暴自棄に暴れた挙げ句に逃げられないと諦めた人などがよくこんな顔をしていた。

「ディアーナ様、裏門の陰で見つけたって言ってましたよ。普段そんなところ行かないのに。どうしても新発見の花が欲しかったんでしょうね。今日はずっと敷地内をうろうろ歩き回ってましたよ」

何故か小さなディアーナが一人で邸をウロウロしていたのを見つけて、イルヴァレーノはその後をこっそり付けて見守っていたのだ。

「『おにいさま早く元気になってね』って伝言だよ。いつまでダラダラしてんのさ。謹慎中だって出来ることはいくらでもあるでしょ」

イルヴァレーノはついに二人だけの時のくだけた口調で文句を付ける。こんなカインじゃ張り合いがない。里帰りから戻って言いたいこともあったのに、帰ってきた時にはこんな状態だったから言いそびれてしまっているのも気にくわない。

「それとも、ディアーナ様の幸せはもう良いの? ここまで大切にしておいて、もう放り出すわけ?」

「そんな事はっ」

カインは一輪挿しの花を見つめる。見つめた後、手で顔を覆ってしくしくと泣き始めてしまった。

「ディアーナを守りたいだけなんだ。ディアーナを大切にしたいだけなんだ。でも、方法がわからない。今やってることがちゃんと未来に繋がっているのか解らないんだ……どっちに転んでも良いように仕掛けたはずなのに、それが間違っていたかもしれないんだ……」

「知らないけどさ。少なくとも今のディアーナ様は幸せなんじゃないの」

「怖いんだよ。一つフラグ間違えただけで全てが無駄になりそうで。ひとつも間違えられないんじゃないかって」

「……俺を拾ったのは間違いだったかもしれないか?」

「解らない。でも、ディアーナが不幸になる可能性のひとつはつぶせたはず……たぶん……自信がない」

「刺繍を必死に覚えて刺繍の会に行ったのは間違いだったかもしれないか?」

「間違いだったかもしれない……解らない……だってディアーナとアイツを会わせたくなかった」

「ディアーナ様をデロデロに甘やかしたのは間違いだったかもしれないか?」

「解らない。解んないよ。もう何をしたらいいか解んなくて怖いんだよ」

「全部まだ一個も結果は出てないんじゃないか。それってまだ一個も失敗してないって事だろ」

「失敗したら終わりなんだ……失敗出来ないんだよ」

「そんなわけあるか」

イルヴァレーノはベッドの縁に座ってカインの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。孤児院で下の子たちを慰める時によくこうしてた。

「お前が俺を拾って、これでもかと恩を着せてきたんだ。俺はそれらをまだ返せてない。なぁ。お前のやろうとしてることの片棒を担がせてくれよ。お前の失敗は俺がフォローする。そのために勉強もさせてもらってる。俺だって懐いてくれてるディアーナ様のことは可愛いと思ってるんだ。むざむざ不幸になんてさせたくはないよ。お前の心配事はなんだ? 何にそんなに心折られたんだよ」

謹慎中のカインは食事を部屋で取っていた。厨房係がティーワゴンに載せて部屋の前まで持ってきて、ドアをノックしてそのまま置いて帰って行く。いつまでも廊下に置きっぱなしのワゴンを部屋に入れて声をかけるという行為をイルヴァレーノは何度かやっていた。

「なぁ、ちゃんとメシ食ってるか?」

ベッドの上からちらりと部屋の中程を見れば、布巾が被せられたままのワゴンが見える。

「食べてるよ……落ち込んでても、腹は減る」

そんな自分にもがっかりしているのか、ますます頭を垂れてしまうカイン。

一度立ち上がり、ワゴンの上の布巾をめくるとパンが半分ほど齧られていて、サラダからトマトだけなくなっている。イルヴァレーノは大きくため息をつき、ワゴンをベッドサイドまで押してきた。

「まずは、飯を食え。餌台の小鳥じゃあるまいし、こんなちょっとだけパンをつついたのは食べたとは言わない」

カインが庭に作った鳥の餌台は、パン粉を載せていたら小鳥が良くくるようになった。しかし、手のひらに乗るくらいの大きさの鳥しか来ないので、羽根ペンに出来るような羽は手には入らないままだった。その小鳥がパン粉を食べるのに例えて小食過ぎると揶揄をする。

食事の載ったワゴンをベッドのすぐ脇に持ってくると、イルヴァレーノは再びベッドの縁に腰をかけ、カインの顎を手でつかむと無理やり上を向かせた。

「口を開けろ。飯を食え」

そういって、ぼんやりとしていたカインの口に無理やりスープを載せたスプーンを突っ込んだ。

咳き込んで目を白黒させているカインの口にさらにサラダの豆を突っ込んでいく。

「独りでいることと腹が減ってることはいけないことなんだろ。サカエバァチャンとやらの言葉なんだろ」

具合が悪くて食べていなかった訳ではないので、カインは口に入れられたものはもぐもぐと咀嚼そしゃくしていた。ゴクンと喉が動くのをみるとまたイルヴァレーノが食べ物を口に突っ込む。

「情けは人のためならずなんだろ」

「良く覚えていたな……」

それは、カインがイルヴァレーノを拾った直後に言った言葉だ。前世で大ヒットした映画の名台詞と、前世で二通りの意味が知られていたことわざだ。

あの時は怪我をした上にカインから追い討ちをかけられて意識が朦朧としていたようなのに、イルヴァレーノがちゃんと覚えていた事にカインは驚いた。

「あの時、お前は俺に情けを掛けた。だから俺はお前に情けを返す」

無理やり口に食べ物を突っ込むのをやめ、カインの手にスプーンを握らせる。肩を掴んで顔をのぞき込み、目をしっかりと合わせて睨みつける。

「飯を食え。独りでいて暗い考えばっかりするなら、側にいてやる。なんなら夜は添い寝だってしてやる。考え事をしないように本を読んでやってもいい」