逃がさないために両手で挟み込むようにこめかみを押さえ込むカイン。ゆらりとカインの髪が持ち上がる。青い瞳が紫色にゆらゆらと変わっていくのを見て男の子はブルブルと体を震わせる。

「控えの治癒魔法士が怪我を治せば不問となるのであれば。僕が彼を怪我させても不問になりますね?」

そう言ってカッと目を見開き、手の先にゆらりと陽炎が立ち上った瞬間にカインの体は勢いよく後ろに引き上げられた。男の子の頭を掴んだまま引き倒されるほどの握力は無いためカインの手は男の子の体から離れ、自分の体と一緒に宙に浮いた。

その瞬間、空中にごうっと炎の塊が現れた。カインの両手の間に現れたその炎の塊は近くにいた者に熱い風を叩きつけて、すぐに消えた。

カインは、母エリゼに襟首を掴まれてぶら下げられていた。襟が喉をしめて息苦しいはずだが、歯を食いしばって怒りの形相で男の子を睨みつけ続けていた。

「バカカイン! 何てことをするのですか! 大怪我させる所でしたよ!」

「先にディアーナに怪我をさせたのは彼です!」

「やり過ぎだと言っているのです! 魔法を使うバカがどこにいますか!」

「許せません! 許せません! 彼はディアーナを傷つけた!」

エリゼからぶら下げられている状態でじたばたと手足をバタつかせるカイン。エリゼが襟を放すと綺麗に着地して母エリゼを睨みつける。

「嫌がる女性の手を強く引き、思うとおりに行かないからと突き飛ばしました! こんな乱暴なことは許されません!」

カインは悔しそうに叫ぶ。

「男子たるもの女性は大切にしなければなりません! 女性は、女の子はか弱いのです。繊細なのです。薄張りガラスで作られた薔薇細工のように、手のひらで受けた雪の結晶のように、洗濯桶から浮かんだシャボンのように、どれだけ優しく触れても壊れるはかない存在なのです! それなのに強く腕を引くなんて! 握ったところにあざが残ったらどうするのです! 関節かんせつが抜けたらどうするのです!」

カインは怒りで涙を浮かべて叫ぶ。

「女性は人類の宝です! 子を産むことが出来るのは女性だけです! 乳をやって育むことが出来るのは女性だけです! 女性がいなければ人類は子孫も残せないのです。突き飛ばして尻餅などつかせて、腰を悪くしたらどうするのです! 子を成せなくなったらどうするのです! 女性は尊い存在です。人を産み育て人類を繁栄に導ける女性という存在は敬うべきです。それを突き飛ばした! これは神に弓引く行為です! 背信行為です! 神への冒涜ぼうとくです!」

カインはうつむいてつぶやく。

「治癒魔法士で治せる怪我なのだから許せというのであれば、相手もそうであるべきです。身分差で罪の重さが変わる事があってはなりません……」

母エリゼは大きなため息をついた。

「だからと言ってさせなくて良い怪我をさせるのはいけませんよ。謝りなさい」

「彼がディアーナに謝るのが先です」

「彼は、人に頭を下げる立場にありません」

母の言葉に確信する。そうではないかと思っていた。

人前で人に頭を下げられない人物とは、すなわち王族である。ディアーナを突き飛ばした彼は王太子だったのだ。カインは、王族に怪我をさせようとして魔法を使った大罪人だ。

パンパンと手を打つ音が室内に響いた。

「今日はお開きに致しましょう。刺繍は心落ち着けてするものです。今日は心騒いで仕方がありませんからね」

王妃が部屋を見渡しながら声を張る。

「今日の埋め合わせに、皆様には後日お茶会へご招待いたします。来たばかりなのにごめんなさいね」

母エリゼが、王妃に向かって深く頭を下げる。

「連れてくるべきではありませんでした。危うく大怪我させてしまうところでした。申し訳ございません。沙汰さたは如何様にもお受けいたします」

カインも隣に立って頭を下げる。

「刺繍の会を台無しにしてしまい、申し訳ございませんでした」

カインは、決して王太子に怪我させそうになった事については謝らなかった。

刺繍の会は早々に解散になり、馬車が到着した家の者から退出していった。カインはその間母に叱られ、拳骨げんこつをもらい、正座をさせられていた。やがて、エルグランダーク家の馬車が到着したと告げられたので、母エリゼとカインとディアーナは王妃のサロンを辞したのだった。


ガタゴトと、馬車が石畳を行く振動に揺られてディアーナがカインの膝の上で寝ている。カインと繋いでいる手のひらにはもう怪我の痕は無かった。カインは指先で手のひらをコショコショとくすぐると、ディアーナはぎゅっと手のひらを握ってムゥと唸った。

柔らかく微笑んだカインは「綺麗に治してもらって良かったね」と寝顔に向かって話しかけている。

「だから、ちゃんと治ると言ったでしょう。刺繍中に針を刺してしまう事もあるから、治癒魔法士が常に控えてくださっているのですよ」

ため息を吐きながら、母エリゼが呆れたように言う。カインはチラリと視線を母に向けて、すぐにディアーナの寝顔へと戻した。

「王家より何か言われたら、迷わず僕を廃嫡はいちゃくしてください」

繋いでいない方の手でディアーナの髪を撫でるカインが、母に向かってそう呟いた。そこに、悲愴感はなかった。

「王妃様はお優しい方です。会に参加している気心のしれた人達しかいない場での出来事ですし、結局は怪我もさせていません。そこまで厳しい処罰は求めてこないでしょう」

エリゼは気遣うようにカインの膝をさすりながら答える。さすがにカインが反省したのだと思ったのだ。

「僕が廃嫡となれば、エルグランダーク公爵家の跡取りはディアーナになります。そうすれば嫁に行くのではなく婿を取ることになります」

カインは反省していなかった。穏やかな顔でディアーナの寝顔を見ながら、カインはふふふと含み笑いをする。王太子とディアーナが婚約するにはディアーナが王家に嫁入りするしかない。婿取りが必要となれば王太子との婚約が結ばれることはなくなる。

カインが廃嫡されて家を追い出されればディアーナの兄として守ることは難しくなるが、少なくとも王太子の婚約者になることは阻止できる。

「あなたはどれだけ王太子殿下が嫌いなの……お会いするのは今日が初めてでしょうに」

「王太子殿下が嫌いなのではありません。ディアーナを愛しているだけです」

「はぁ……。帰ったらお父様に叱っていただきますからね……」

「すでにお母様にもげんこつを貰ってますが……」

「足りません。反省してないじゃないの。貴族の子なのだから、もう少し感情を抑える事を覚えなさい。このままだと、あなたの前でディアーナの頬をツネって見せて、無表情を維持させる訓練をしなければならなくなります」

「ディアーナが可哀想なのでやめてください!」

「ならば、感情を抑えられるようになりなさい。ディアーナが絡んだときのあなたは本当に酷い」

「……精進いたします」

「普段は出来過ぎな程に出来る子なのに、どうしてこうなってしまったのかしら」

公爵家に戻ったカインは、父が帰宅するまでの間、自室への謹慎きんしんを命じられた。刺繍の会が早く終わってしまい、それに伴って帰宅も早くなってしまったためにイルヴァレーノはまだ戻ってきていない。ディアーナも母に足留めされているのか遊びに来ない。

ソファーにドサリと座って両手で顔を覆う。

「はぁー」

大きなため息をついて腰を折り、手で覆ったままの顔を膝にのせてうずくまった。

刺繍の会に行くからと、午前も午後も夕方も家庭教師は皆休みにしてもらっている。謹慎だから邸の周りをランニングして発散する訳にも行かない。

イルヴァレーノもディアーナもいない、ひさびさの完全な一人きりの時間だった。

「ゲームがしたい」

こぼしたつぶやきが柔らかい絨毯へと吸収されて消えていく。

実況用にプレイしていたアンリミテッド魔法学園は全ルートクリアして動画編集をしている所だった。実況関係無く趣味でやっていたオンラインゲームや、通勤時間に電車の中でコツコツと微課金でやっていたスマホゲームは途中だった。予約して届くのを待っていた数量限定特装版の新作ゲームも受け取れないままだ。とにかくゲームがやりたくて、給料が安くても定時で上がれる会社に入った。大作ゲームの発売日には有給休暇を取って初日のうちに中盤程までやり込んだ。

ゲームが好きだった。

ゲームを作りたいとは思わなかったが、ゲームプレイでお金が稼げたら幸せだと思った。

eスポーツという言葉が出来て、実際にゲームプレイでお金を稼ぐ手段は出来つつあったが、カインは前世で人と争うタイプのゲームはあまり得意ではなかった。それで始めてみたのがゲーム実況動画の配信だった。

最新作のネタバレをしたくなくてストーリーの無いアクション系のゲームから始めた。ストーリーがあるものでも切り取り方で動画視聴後でもゲームをやりたいと思わせる編集を研究して、ようやく月に一本くらい新作ソフトを買える程度の小遣いを稼げるようになって。

動画にコメントなんかを貰うようになって、小学校の頃ゲームの進捗を競い合ったり攻略方法を教え合ったりしていた頃の楽しさを思い出したりして。改めて、ゲームは楽しい! みんなとゲームの楽しさを共有したい! そう思って張り切っていた。そして、張り切りすぎて今がある。

「ゲームがしたい」

俯いて、膝に乗せた手がコントローラーを握る形になる。ボタンを押そうとして、トリガーを引こうとして、指が空を切る。

本が好きで、転生先の異世界で本を作る物語があった。

食べるのが好きで、異世界で味噌みそ醤油しょうゆを作る物語があった。

この世界で、トランプやリバーシや双六といったゲームを作ることは出来るだろう。カインは王家に次ぐ最上位貴族の息子として生をけた。求めれば材料の調達も職人を雇っての量産も可能だろう。

しかし、発電機を作る。テレビを開発する。基盤を開発する。プログラミング言語を開発する。そんなのはカインには無理だった。金と権力でどうなるものでもない。

転生したからには、この世界でカインとしてちゃんと生きていこうと思ってる。普段は鍛錬に勉強に打ち込んで、使用人や家族が常に側にいて話し相手になってくれて、充実した生活を送っているとカインは思う。カインの体は、ゲームのレベル上げのように、やればやるほど能力が上がっていくので面白かった。だから、勉強にも鍛錬にも打ち込めた。

ディアーナは可愛いし素直に育っている。順調に悪役令嬢への成長というあらすじから外れて行っているといえるだろう。

イルヴァレーノはツンデレ気味だが今のところ心に闇を抱えてはいない。順調にゲームを攻略しているという実感はあった。

母から言いつかっているのか、廊下を行き来する使用人の気配もない。転生して、カインとして産まれてから本当に一人きりになったのはもしかしたら初めてかもしれない。

「ゲームがしたいなぁ」

無責任に、失敗してもロードすればやり直せる、セーブデータをいくつも保存できる、他人事として感動して泣いたり笑ったりできるゲームがしたかった。

ある程度あらすじの解っている人生ゲームの、全く新しいエンディングを、しかもノーコンティニューで目指さなくてはならない攻略は孤独だしハードモードで辛かった。

ポッカリと何もない時間が出来たことで、カインの心は折れそうだった。


刺繍の会での一件は、王城の法務棟で勤務中のディスマイヤ・エルグランダークへとコッソリ伝えられた。通りすがりのメイドから「元々はうちの子が悪いんだからお咎めなしの予定よ。あんまり怒らないであげてね」という王妃直筆のメモ用紙を受け取ったのだ。

急用が出来たと部下に伝えて急いで邸に帰り、エリゼから事情を聞いたディスマイヤはなんとも趣深い顔をした。

「アイツそんなに?」

「イル君が来てから、ディと遊ぶのをイル君に譲っていたりもしたから、少しは妹離れ出来ているのかと思ったのですけどね……」

「ていうか、いつの間に魔法とか使えるようになってたの。カイン」

「ディと違って、出来るようになっても自慢しに来てくれないのよね、あの子……。今度ちゃんと、家庭教師の方達から進捗を聞いておくわ」

「そうしてくれ……。大人しくて出来る子だからって、ほったらかしにしすぎたかね」

とにかくちゃんと叱ってくださいね、とエリゼに言われながらカインの部屋へと訪れたディスマイヤは、コンコンと部屋の戸をノックする。

しばらく待つが返事がないのでもう一度ノックするが、やはり返事がない。仕方なく「入るぞ」と声をかけながら戸を開けば、そこにカインはちゃんといた。王宮から帰った服のままソファーにうなだれて座り、手は軽く開いたまま時折指先がピクピクと動いていた。

「カイン?」

ディスマイヤが声をかけても返事もしないし顔も上げない。

エリゼは、カインは部屋で勉強か読書かバイオリンの演奏でもしているんじゃないかと思っていた。ディアーナと遊ぶか食べるか寝るかしている以外は、隙間なく勉強か鍛錬をしているイメージがカインにはあったのだ。謹慎を言い渡したところで、部屋から出ずにやれることは沢山ある。帰りの馬車でも自分を廃嫡しろと言って不敵に笑う位だから、反省も何もしてないだろうと思っていたのだ。

だからこそ、ディスマイヤにキツく叱ってもらわねばならないとエリゼは考えていたわけなのだが。ディスマイヤは部屋に入りローテーブルをずらすとソファーに座るカインの前に跪いた。俯いていて表情が見えない顔をペチペチと手の甲で軽く叩く。

「カイン、カイン。まずは返事をしなさい」

ピクリと肩を揺らして、頭がわずかだけ持ち上がった。

「お父様」

「うん。ただいま」

「……おかえりなさいませ」

カインと会話が出来ることがわかると、ディスマイヤは脇に手を入れてカインを持ち上げ、そのまま立ち上がって抱き上げた。

「おぉ。いつの間にかこんなに重たくなっていたんだな。もしかしたら、お前を抱き上げたのなんて生まれた直後以来かもしれないな」

一度抱き上げた後、よいしょと声を出して尻の下と背中を支える形に抱き直す。されるがままに担ぎ上げられたカインは、ディスマイヤの肩にぐでんと頭を乗せて寄りかかっている。ディスマイヤはそのまま、背中をポンポンと叩きながら部屋をゆっくり歩き出した。

「こめかみを挟んで炎魔法なんか使ったら、脳みそが焼けて最悪死んでしまうよ。治癒魔法士では焼けた内臓の復活は難しいからね。治癒魔法士では治せない怪我を負わせたら、ディアーナと同じ条件ではなくなってしまうよ」

「……」

「私は、法を司る仕事をしているのは知ってるね?」

カインは、ディスマイヤの肩に頭を乗せたまま、コクンと頷く。

「私に、息子の罪を裁定させないでくれ」

「……」

「わかるかい? カイン。上手くやりなさいと言っているんだよ」

「お父様……」

「やぁ、やっと顔を上げてくれたね」

カインは頭を起こして父の顔を見た。抱かれているので見下ろす形になっている。少し下からカインを見上げるディスマイヤはパチンとウィンクした。

「お父様。僕を廃嫡にしたら、その後僕をこの家で雇ってください。庭師のお爺さんの弟子でも門の警護見習いでも、洗濯メイド見習いでも、厨房の雑用係でも。頑張って仕事を覚えます。仕事が出来る人間になったらディアーナの侍従にしてください」

「都合の良いことを言うね」

ディスマイヤが苦笑する。カインを廃嫡にする事で、ディアーナを王家に嫁がせない作戦についても、エリゼからすでに聞いていた。

「カインは、ディアーナを殿下の婚約者にしたくないんだね?」

「はい……」

「今回の件、恐らく表向きにはお咎め無しになると思うよ」

「そうですか」

「むしろ、カインが大袈裟にしたせいで『怪我をさせた責任をとって嫁に貰う』とか言い出すかもしれないよ?」

「そんな!」

カインは焦ってディスマイヤの肩を強くつかむ。その可能性を回避するにはどうしたらいいのか、考えようとして目が泳いでいる。

「カイン。私は、息子といえども法を犯せば罰する事に躊躇しない。ごまかしも庇いもしないよ。どうか、そんな悲しい事にならないようにしてほしい」

「お父様……」

「もう一度言うよ。カイン、上手くやりなさい」

そう言うと、カインをソファーに下ろしてワシャワシャと頭をかき混ぜるように強くなでた。ぐちゃぐちゃになった頭を抱えて顔を上げたカインは、呆然と父の姿を見上げるしかなかった。

「王宮から沙汰があるまでは、カインは部屋で謹慎。家庭教師もお休みだし、ご飯も食堂へ来ないでひとりで部屋で食べること」

ビシッと指をカインに突きつけて、そう言い放つとくるりと背を向けて廊下へと歩き出すディスマイヤ。エリゼを伴って部屋を出たところで、もう一度振り返った。

「あと、ディアーナとも面会謝絶だからね」

「お父様!?

最後の最後で一番つらい罰を言いつけられてしまい、悲鳴を上げたカインだった。


「イアニス先生。せっかく来ていただいて申し訳ありませんが、本日カイン様は謹慎中でございまして、お勉強はお休みにさせていただきたく存じます」

イアニスがエルグランダーク公爵家を訪ねると、出迎えた執事にそう言われた。

はて? そうであれば、前もって休みの連絡が来るのでは無かろうかとイアニスは不思議に思った。

顔に出たのであろう疑問に、執事が話を続ける。

「前もってお休みのご連絡をすべき所ではございましたが、旦那様がイアニス先生とお話がしたいと申しております。本日は執務室の方へご案内いたします」

「かしこまりました」

なんだろう。何かヘマしちゃったかな? とイアニスは一瞬不安になるが、カインの勉強の進捗は順調過ぎるほどに順調だし、特に思い当たることはなかった。イアニスの方からも公爵家にお願いしたいことがあったので、ちょうど良いやと気楽にとらえることにした。元々は執事か侍女経由でお願いしようとしていたことだけど、直接説明できるならその方が良いだろうと考えた。

「お時間頂いて申し訳ないね。イアニス先生。どうぞおかけください」

「お久しぶりです、エルグランダーク公爵様。失礼いたします」

イアニスは、公爵という地位にありながら偉ぶったところがなくて人当たりの良いエルグランダーク公爵に好感を持っていた。

子爵家の次男だったイアニスは、結婚を機に家を出ているので身分としては現在平民である。魔脈の探索と人工魔石作製の研究で成果をあげており、叙爵のうわさもある。カインの家庭教師の打診を受けた後にでてきた話である。貴族出身とはいえ、現在平民のイアニスを学力と人柄重視で取り立ててくれたことに感謝をしていた。なにせ、研究には金がかかる。

「エルグランダーク様、後ほど私からもお話ししたいことがございます。そちらのお話が済みました後、少しお時間頂いてもよろしいでしょうか?」

「おや。それでは先生のお話からお伺い致しましょう。私はカインの勉強の進捗を伺いたかっただけですので」

「それなら、お話の内容は同じです。カイン様の勉強の進度についてお願いしたいことがありましたので」

ふむ、と頷くとディスマイヤはソファーに深く座り直し、背もたれに背を預けた。視線で話を続けるよう促す。

「現在のカイン様は、アンリミテッド魔法学園の三年生修了程度のところまで勉強が済んでおります」

「……は?」

「ですので、科目によっては私では教えることが難しい物が出てきます。それぞれに専門家を雇っていただくのがよろしいでしょう」

「え?」

「自然科学と魔力概論、国内史、算術は引き続き私が担当させていただければと思いますが、外国語と詩作、法律や経済については別の先生を……エルグランダーク様?」

魔法学園入学は十二歳から。三年生といえば十四歳。今のカインは七歳だ。

頑張ってるなー、出来が良いって褒められるなーとは思っていたが、そこまでとは思っていなかったディスマイヤである。

貴族として表面上何てことない表情をしているが内心は動揺の嵐だった。そのため見てくれは繕えたが相づちも返事もうまく出来ずにイアニスから訝しがられてしまった。

「いや、失礼。そんなに進んでいたとは思わなかったもので……。ご申告ありがとう。外国語と詩作と法律に経済だね。わかりました、家庭教師を探したいと思います」

「ありがとうございます。カイン様はとても素直で良い子です。出来れば私が最後まで教えたかったんですが、それでは伸びしろがもったいないと思いまして」

「いやいや。引き続き自然科学や算術などはよろしくお願いします」

「はい。喜んで務めさせていただきます」

話が一段落したところで、ディスマイヤが身を乗り出して膝に腕を置いて上半身を支えるポーズを取る。少し砕けた態度になって、イアニスはまだ何か用があるのだなと察した。

「イアニス先生。カインの授業が半分になると時間が少し空きますね? 研究の方は忙しいでしょうか?」

「研究はいつも通りの忙しさですね。お恥ずかしい話ですが、実入りが減る分どうしようかなと思っている所です。他家で自然科学や算術だけの家庭教師などのあてがあれば紹介していただけるとありがたいのですが……授業を減らすのはこちらから申し出たことですし、そこまで図々しいことは申せません」

イアニスが授業の半分を他の先生へ、と願い出たのはイアニスの都合ではなくカインの為だ。黙っていれば引き続きカインの家庭教師として全教科を受け持ち続けられたのだから、人がいいとしかいえない。

ディスマイヤはにっこり笑うと「それなんですが」と一つの提案をした。それは、イアニスにとってもありがたい申し出だった。

当主の執務室を辞した後、イアニスはイルヴァレーノに案内されて廊下を歩いていた。やがてひとつの扉にたどり着き、イルヴァレーノがノックして戸をあける。

「やぁ、ディアーナ様。ご機嫌いかがですか?」

「イアニスせんせー? こんにちわ!」

そこは、ディアーナの部屋だった。まだ両親と一緒に寝ているので、日中のわずかな時間を過ごすだけの部屋だったが、絵本の並んだ本棚や低い机と椅子などの調度品は一通り揃えられていた。

イアニスはディアーナの前まで進んで膝を突くと、目線を合わせてにっこりと微笑んだ。

「今日から、自然科学と歴史と算術を教えることになったイアニスです。一緒に楽しくお勉強しましょう」

そう言って右手を差し出せば、パアっと明るく笑顔を輝かせて両手でイアニスの手を握り返してきた。

「イアニスせんせーが、ディも教えてくれるのね! おにいさまと一緒に勉強できるのね?」

「進み方が違うから、勉強は別々になります。でも、野外での観察なんかは一緒にやりましょうね」

「はい!」

ディアーナが元気よく右手を挙げる。

イアニスはその様子にニコニコしながら、後ろに立つイルヴァレーノにも声をかけた。

「カイン様はしばらく謹慎だそうだね。その間に追いつけてないところやわからないところがあれば聞いてくれて構わないよ。カイン様について行くのは大変だっただろう?」

「……良いのですか?」

「もちろん。算術なんかは途中から入ってもさっぱりだっただろう?」

四歳のディアーナの勉強を見る間なら、カインの勉強を見るよりは時間にも準備にも余裕が出来る。そもそも、孤児院から引き取られたばかりで侍従という立場のイルヴァレーノが、三歳から勉強を始めているカインについて来いというのが無茶な話だったのだ。一部教科についてはなんとかついて来られていたが、基礎から積み上げる系の教科は厳しかった。

「頑張ってお勉強しようね」

朗らかな笑顔で言うイアニスに、ディアーナとイルヴァレーノは大きく頷いたのだった。


ディスマイヤは、眉間を揉んで大きくため息をついた。

イアニスの後も、しつけ担当のサイラス、音楽担当のクライス、芸術担当のセルシス、魔法指導担当のティルノーア、ついでに剣術や体術を仕事の合間に教えているというアルノルディアとサラスィニアにも話を聞いた。

皆口をそろえて、七歳の子どもが身につける程度を大きく超えて成長していると答えた。

これは単純に、カインが前世でゲームをする時に「レベルを上げて物理で殴る」プレイスタイルが好きで、コツコツレベル上げをするのも苦にならないタイプの人間だったのが影響している。その上でカインの体と頭脳は攻略対象キャラクターというある意味神に祝福された存在なのだから、やればやるだけ能力が向上していくのだ。

ガッツリレベル上げした状態でイベント戦闘などに挑む方が、失敗も事故も少なくて済み、実況動画としても受けが良かったので、ますますそういったプレイスタイルにハマっていっていた。

カインとして生まれて、ゲーム世界で実際に生きている今、絶対に失敗できないという思いがますますカインを『地道なレベル上げ』に駆り立てていた。

その結果が、七歳にして魔法学園三年生レベルの学力、三属性の最大威力魔法までの習得である。

ただ、芸術関係については「技術、技巧はスゴイが情緒やセンスはちょっと……でも、貴族のたしなみとしては十分ですよ」という事だった。

剣術は、体格と筋力が足りてないので押し負けるがセンスがあると言っていた。つばぜり合い等になれば当然力の差で大人に負けるが、打ち込みや受け流しなどの型からの応用はすでにほぼ出来ているんじゃないですかぁ? とはアルノルディアの台詞である。騎士たちは教えていないのに体術を使って大人を転ばせたり後ろから首に取り付いて頸動脈を狙ってきたりという技まで使うそうだ。

当然、それを教えたのはイルヴァレーノである。カインが無理やり教えさせたのだった。その他、前世で体育の時間に習った柔道なんかも技をいくつかは覚えているので投げ技もイケるのだが、まだ誰かに披露したことはなかった。

そういった、各家庭教師の先生たちからのヒアリングを終えたディスマイヤは改めて自分の息子のバケモノっぷりに気がついたのである。手がかからない、良くできた子ですという言葉ばかりで具体的な進捗を聞かずにいた自分の態度を反省した。

おそらくゲームでは、この「良い子ですという報告を鵜呑うのみにしてカインは放置」という態度がカインの性格を歪めて親子仲が悪くなり、最後は両親に愛されて育ったディアーナを憎むようになったのだろう。中身がアラサーのカインは放置されても気にせず、親以上にディアーナを可愛がり、レベル上げと思えばつらくない勉強にのめり込むという事態になったわけだ。

ディスマイヤが各先生たちからのヒアリングをした際に、魔法担当のティルノーアからは将来魔導士団への就職を願われ、音楽担当のクライスからは楽団への所属を願われた。

おそらく、もう少し大きくなって正式に剣術指南の指導騎士を雇ったら、王国騎士団からも勧誘を受けるだろうと考えても親バカではないとディスマイヤは思っている。

カインはディアーナが王太子や王妃に見初められるのを懸念していたが、その目をそらすことにカインは成功していた。王妃の目の前で炎の魔法を使って見せたカイン。王妃の興味はディアーナではなくカインに向いたのだ。

ディスマイヤの手には王妃からの手紙が握られている。お咎め無しの代わりに仲直りの場を用意するので登城するようにと書いてある。仲直りするのは王太子とディアーナではなく、王太子とカインだとそこには書いてあるのだった。

「カインを王太子殿下の側近候補としてそばに置きたいのだろうな……」

手紙をもう一度読み直しながら、ため息をつくディスマイヤ。

おそらく、王妃は王妃でカインの周辺を探ったのだろう。教師達に口止めもしていなかったので、カインの出来を聞かれれば答えたはずだ。それは、教師の優秀さをアピールする事にもつながるからだ。あわよくば王太子の家庭教師に、なんて思いも抱いたかもしれない。

非常に優秀、その上王太子に対しても怯まず怒ることが出来る正義感(?)がある。それはディアーナが絡んでいたからこそではあるが、初対面でその場しか知らなければわからないことだ。

王太子の側に置きたいと思われても不思議はないのかもしれないとディスマイヤは考える。そんなディスマイヤの背を労るようになでるエリゼの手は優しい。

「そろそろ、子ども同士の顔合わせなんかに参加する年頃ですもの。ちょうど良いといえば、ちょうど良い頃合いなのでしょう。……カインは、ディアーナが絡まなければ穏やかで優しい、人に気を使える子ですから」

「ディアーナが絡まなければな……」

何故か、カインは王太子とディアーナが婚約者になると思っていて、それを阻止しようとしている。確かに年齢も家柄も丁度良く釣り合いが取れているので、いずれはそう言った話もでるかもしれないが、筆頭公爵家が力を付けすぎてバランスが崩れるのも良くないという考え方もあるため、あくまでも候補の一人に留まるだろうとディスマイヤは考えていた。

カインが「ゲームの王太子ルートでは子どもの頃からの許婚という設定だったから」という根拠で動いているなど、知る由もないのだから不思議に思うのは仕方がないことなのだが。

「ひとまず、仲直りの場にはカインとディアーナを連れてくるようにと記載されているが、ディアーナには留守番してもらうことにしよう」

「そうですわね。まだ、礼儀作法もままならない為とか言っておけば向こうも無理にとは言わないでしょう」

「そもそも、手紙の内容的にもディアーナよりはカインを呼びたい風に書かれているからねぇ」

ディアーナと一緒に行って、また王太子がディアーナにちょっかいかけてカインがキレたらせっかくの仲直りの場が台無しである。

王太子もまだ四歳の子どもである。親や乳母から言い聞かせられていても好奇心やら癇癪やらを我慢できるとは限らない。カインだってまだ七歳なのだが、ディアーナが絡まなければ大人な対応が出来るだろうという、根拠の無い信頼がディスマイヤとエリゼにはあったし、各家庭教師たちの言葉を聞いてその思いは深まった。