
あまりにも突然で、悪夢でも見たことがないほどおそろしいことが起きたので、ディゴリーは悲鳴をあげた。さっと、おじさんの手がその口を押さえた。
「よせ!」おじさんは、ディゴリーの耳もとでささやいた。「さわぐと、おまえの母さんに聞こえちまうぞ。お母さんをこわがらせたら、病状が悪化するだろう。」
ディゴリーがあとで語ったところによれば、こんなふうにして相手をだまらせるひきょうなやりかたには胸が悪くなったそうだ。しかし、もちろん、ディゴリーは二度と悲鳴をあげなかった。
「それでよろしい。」おじさんは言った。「まぁ、しょうがないな。初めてだれかが消えるのを見ればショックだからね。わしだって、このあいだモルモットが消えたときは、そうだった。」
「あの晩のさけび声は、おじさんだったんですね。」ディゴリーは、たずねた。
「おや、あれを聞いたのかね? わしをスパイしていたんじゃないといいがな。」
「してませんよ、そんなこと。」ディゴリーは怒って言った。「でも、ポリーはどうなったんです?」
「お祝いを言ってくれたまえ。」おじさんは、両手をもみあわせた。「実験は成功だ。あの子は消えた──この世から出ていったんだ。」
「なにをしたんです。」
「送りこんだんだ──そのぅ──別の世界へ。」
「どういうことです?」
アンドルーおじさんは椅子に腰かけて、こう言った。「よろしい。すっかり話そうじゃないか。ミセス・レフェイというおばさんのことを聞いたことがあるかね。」
「大おばさんじゃなかったかな。」
「正確にはちがう」と、おじさん。「わしの名づけ親だ。あの壁にかかっている人だよ。」
見あげると、色あせた写真があり、
「この人、どこかへんだったんじゃありませんか、アンドルーおじさん?」
「そいつは、へんということばの意味次第だな。」おじさんはクツクツと笑いながら言った。「世間の人の心はせまいからね。たしかに晩年は、かなり異様になっていた。とてもおろかなことをしでかした。だから、閉じこめられていたんだ。」
「施設にですか?」
「いやいや。」おじさんは、おどろいたような声を出した。「そんなんじゃない。ただの
「うわあ! なにをしたんですか?」
「ああ、かわいそうな人だ。判断力がなくなったんだ。いろいろなことをやってしまった。だが、それをくわしく話す必要はない。わしには、いつもやさしくしてくださった。」
「でも、それがいったいポリーとなんの関係があるんです。どうか、ポリーを──」
「今教えてやるから、待ちたまえ、ディゴリー。ミセス・レフェイは、死ぬ前に牢屋から出された。わしは、病気のあの人に会うことを許された数少ない人間のひとりだった。あの人はふつうの無知な人が嫌いでね。わしもそうだが。あの人とわしは、同じようなものに興味を持った。亡くなるつい数日前のことだったが、あの人は、わしに、あの人の家の古い机の秘密の引き出しをあけて、そこにある小箱を持ってくるようにと言ったんだ。その箱をつかんだとき、指がむずむずして、箱のなかにすごい秘密があるとわかった。あの人は、わしを信頼して、自分が死んだらすぐ、それをあけずに、ある儀式をして燃やす約束をさせた。その約束をわしは守らなかった。」
「それって、ひどいじゃないですか。」
「ひどいだと?」おじさんは、わけがわからないという表情を浮かべた。「ああ、なるほど。子どもは約束を守らなければいけないということだね。まったくもって正しい。きみがそのように教えられているのは、よろこばしいことだよ。だが、もちろん、この手の規則は、子どもとか召し使いとか女性、いや一般の人にはとても大切なことだが、深遠なる研究をしている者や、大いなる思想家や賢者には当てはまらないということを理解しなければならんよ。いや、ディゴリー、わしのように、かくれた知恵をもつ人間には、ふつうの規則は当てはまらないんだ。ふつうのよろこびがわれわれに当てはまらないように。われわれは、高尚にして孤独な運命をたどるのだ。」
そう言うと、おじさんはため息をついて、とても真剣で、高貴で、謎めいた顔つきになり、一瞬ディゴリーには、おじさんがとてもよいことを言っているかのように思えてしまった。けれども、ポリーが消えるときにおじさんの顔に浮かんだ嫌らしい表情を思い出すと、すぐに、おじさんのえらそうなことばの本当の意味がわかった。
「要するに、自分なら、なんだってやりたいようにやっていいっていうことじゃないか。」ディゴリーは思った。
「もちろん」と、おじさんは言った。「長いあいだ、その箱をあけてみようとはしなかった。かなり危険なものが入っているかもしれないと、わかっていたからね。わしの名づけ親であるミセス・レフェイは、とてもすごい女性だった。実のところ、この国で
「悪い妖精だったにちがいない」とディゴリーは考え、それから声に出してこう言った。「だけど、ポリーのことはどうなったの?」
「そればかり言うな! まるでそいつが一大事だと言わんばかりじゃないか! わしの最初の仕事は、もちろん、箱そのものを調べることだった。とても古い箱だった。ギリシアのものでもなければ、古代エジプトのものでも、バビロニアのものでも、ヒッタイトのものでも、中国のものでもないことは、最初からわかっていた。もっとずっと古いものだ。そして、とうとう真実がわかる日がきた。ああ──あれは、すばらしい日だった。その箱は、失われたアトランティス大陸で作られたものだったのだ。つまり、ヨーロッパで発掘されている石器時代の遺物よりも何世紀も古いことになる。しかも、石器時代の遺物のような雑で粗末なものではない。というのも、歴史の夜明けにあったアトランティスは、宮殿や寺院が建ちならび、学者が住んでいた巨大な都市だったからね。」
おじさんは、まるでディゴリーがなにかを言うのを待つかのように、しばらく口をつぐんだ。けれども、ディゴリーは、どんどんおじさんが嫌いになってきたので、なにも言わなかった。
「いっぽう」と、おじさんはつづけた。「わしは別の方法で魔術一般についてかなり学んでいた。(子どもには教えられないような方法だ。)そうしてわしは、その箱になにが入っているのかつきとめようとしていた。さまざまな実験をして可能性をせばめていった。悪魔のような不思議な人たちと知りあわねばならなくなり、嫌な経験もした。それで、こんな白髪頭になったのだ。魔術師になるには、代償を払わなければならぬ。最後には、体までこわしてしまったが、それも快復した。そしてついに、わかったのだ。」
だれかが立ち聞きをしていることなどおよそ考えられないにもかかわらず、おじさんは前かがみになって、ささやかんばかりに言った。
「アトランティスの箱には、われわれの世界がはじまったばかりのときに、別の世界から持ってこられたものが入っていたのだ。」
「なんですか?」ディゴリーは、思わず興味を覚えて、たずねた。
「ただの土だ。」アンドルーおじさんは言った。「乾いた、さらさらの土だ。見た目はなんのへんてつもない。人生をかけてこれっぽっちかと言えるようなしろもんだ。しかしな、その土を見たとき(わしは、さわらないように、とても気をつけていた)、わしは、思ったんだ。その一粒一粒が別の世界からやってきた、とね──別の惑星ではないぞ。惑星はわれわれの世界の一部であり、十分な距離を進めば到着できる──そうではなく、まったく別の世界、ほかの自然、ほかの宇宙だ。銀河系のなかをどんなにずっと旅しても決して届かないところ、魔法でしか行けない世界だ。さあて!」ここでおじさんは、花火のようにバキバキと音がするまで両手をもみあわせた。
「わしには、わかっていた。」おじさんは話をつづけた。「この土を正しい形にしさえすれば、それがもといた場所にわれわれを連れていってくれると。ただ、むずかしいのは、正しい形にすることだ。初期の実験には、すべて失敗した。わしは、モルモットに試してみた。何匹かは、ただ死んでしまった。何匹かは、爆弾のように爆発した。」
「そんなの残酷すぎます。」かつて自分もモルモットを飼っていたディゴリーは言った。
「また、つまらんことばかり言う。動物というのは、そういうことをするためにあるんだ。わしは自分で金を払って買ったんだ。ええっと、どこまで話したかな。ああ、そうだ。ついにわしはその砂で指輪を作ることに成功した。黄色の指輪だ。しかし、こんどは新たな問題が出てきた。黄色の指輪にさわらせれば、どんな生き物も別の場所に送りこめることはわかったんだが、そいつがもどってきて、そこになにがあったのかを教えてくれなければ、意味がないということだ。」
「送りこんだ生き物はどうなるんです」と、ディゴリー。「もどってこられなかったら、ひどいことになるんじゃありませんか?」
「きみはいつもまちがった見方をするな。」おじさんは、いらいらした表情で言った。「わからないのかね。これは偉大なる実験なんだ。だれかを別の場所に送るのは、そこがどうなってるかを知りたいからだ。」
「じゃあ、自分で行ったらどうですか。」
ディゴリーは、この素朴な質問に対してこれほどおどろいて怒った人を見たことがなかった。
「わしが? わしがだと?」おじさんは、さけんだ。「この子は、頭がどうかしているぞ。こんなに年をとって、体も弱っているというのに、別の世界へ飛びこむ危険とショックに耐えられるとでも言うのか。こんな、とんでもない話は聞いたことがない。おまえ、自分がなにを言ってるかわかっているのか。別世界がどういうところか、考えてもみろ。なにに会うかもわからないんだぞ。なにが出てくるかも。」
「それで、ポリーを送りこんだってわけですね。」ディゴリーのほおは、怒りで真っ赤になっていた。「たとえ、ぼくのおじさんだとしても、自分が行くのがこわいところに女の子を送りこんだりするなんて、とんでもないひきょう者だ。」
「だまりなさい!」アンドルーおじさんは、テーブルをドンとたたいて言った。「小さな、きたない子どもに、そんな口をきかれる筋合いはない。おまえにはわかっておらんのだ。わしは、偉大な学者であり、魔術師であり、実験をしているその道のプロなんだ。もちろん、実験をつづけるために被験者は必要だ。まさかモルモットを送る前にモルモットに許可を求める必要があったなどとぬかしたりはしないだろうな。偉大なる知恵は、犠牲なしに手に入らない。だが、わし自身が行くなどということは、ばかげている。まるで将軍に一兵卒のように戦えというようなものだ。万一わしが死んだら、生涯をかけた実験はどうなるというのだ?」
「ぺらぺらしゃべってないで、ポリーを連れもどしたらどうなんだ?」
「おまえが無礼にも話の腰を折ったときにわしが言おうとしていたのは、わしはついに帰ってくる方法を見つけたということだ。緑の指輪で帰ってくることができる。」
「だけど、ポリーは緑の指輪を持ってないよ。」
「そうだ。」おじさんは残酷な笑みを浮かべた。
「じゃあ、もどってこられないじゃないか。」ディゴリーは、さけんだ。「それじゃ、ポリーを殺したも同然だ。」
「あの子はもどってこられる。だれかが黄色い指輪をつけて、自分とあの子がもどってこられるように緑の指輪をふたつ持って行けばね。」
このとき、もちろんディゴリーは、自分がどんな
やがて、アンドルーおじさんは、まるでとてもよいことを教えてやって、りっぱな忠告をしてやるりっぱなおじさんであるかのように、えらそうに声を張りあげた。
「ディゴリー、きみはまさか
「うるさい!」ディゴリーは言った。「おじさんに名誉とかそういうのがあれば、自分で行くはずだろう。だけど、もちろん行く気なんかないんだ。わかったよ。ぼくが行かなきゃいけないんだろ。おじさんはひどいぞ。ぜんぶ計画してたんだな。なにも知らないポリーを行かせて、それからぼくに追いかけさせようというんだ。」
「そのとおり。」おじさんは、例の嫌らしい笑みを浮かべた。
「わかった。行くよ。だけど、まず言っておきたい。ぼくは、今まで魔法なんて信じちゃいなかった。今それが本物だとわかった。だとすると、昔のおとぎ話は、少しは本当なのかもしれない。それから、おじさんはそういう話に出てくる、いじわるで残酷な魔法使いそっくりだ。そういった連中は、最後にひどい目にあうんだ。おじさんもそうなるぞ。いい気味だ。」
ディゴリーが口にしたことで、このことが初めておじさんの胸をついたようだった。ぎくりとしたおじさんの顔に、ものすごい恐怖の表情が浮かんだ。あまりにもおびえた顔だったので、こんな悪い人でも、かわいそうに思えるほどだった。ところが、瞬時にして、その表情は消え、かなり無理をした笑い声をたてておじさんはこう言った。
「いやはや、子どもの考えそうなことだ。どうせ女にかこまれて育ったんだろう。おとぎ話だと? わしがどんな目にあうかなど、心配せんでもよろしい、ディゴリー。おまえの小さな友だちがどんな目にあっているかを心配したほうがよくはないか。いなくなってからもうずいぶんたつぞ。むこうの世界で危険があるなら、手おくれにならないうちに行ったほうがよかろう。」
「よけいなお世話だ。」ディゴリーは、激しい口調で言った。「おじさんのおしゃべりには、うんざりだ。ぼくにどうしろというんだ?」
「そうかっかするもんじゃない。」おじさんは、冷ややかに言った。「レティおばさんのようなおこりんぼになっちまうぞ。さあ、聞きなさい。」
おじさんは立ち上がり、手袋をはめて、指輪の入っている盆のところへ行った。
「肌にふれたときだけ魔法は起こる。手袋をはめていれば、持ちあげてもだいじょうぶだ──こういうふうにね──ほら、なにも起こらない。ポケットのなかに入れておいても、だいじょうぶだ。だが、ポケットに手をつっこんで、うっかりさわったりしないように気をつけなければならん。黄色の指輪にさわったとたん、この世界から消えてしまう。むこうの世界にいるときは──もちろんまだ試していないから、わしの予想にすぎんが──緑の指輪にふれたとたん、むこうの世界をぬけ出して──わしの予想では──この世界にもどってくるのだ。さあ、この緑の指輪ふたつを取って、右側のポケットに入れなさい。どちらのポケットに緑のを入れたかちゃんと覚えておくんだぞ。緑の『み』と、右の『み』。わかるね。『み』ではじまる右側に緑の指輪が入っている。ひとつはきみ、ひとつはあの子の分だ。こんどは、黄色い指輪を取りたまえ。わしだったら、指にはめるね。そうすれば落とす心配はないから。」
ディゴリーは、黄色い指輪を取ろうとして、ふいにやめた。
「ちょっと待って。お母さんはどうなるの? ぼくがどこに行ったかとお母さんに聞かれたら、なんて答えるつもりです?」
「急いで行けば、急いでもどってこられるさ。」おじさんは陽気に言った。
「だけど、ぼくがもどってこられるかどうか、本当はわからないんでしょ。」
おじさんは肩をすくめ、ドアのところへ歩いていき、
「それでは好きにするがいい。おりていって、お昼を食べなさい。あの女の子は別の世界で野獣に食われるか、おぼれるか、飢えるか、永久に行方不明になるかするだろう。もしきみが、そのほうがいいと言うのなら、わしはどちらでもかまわんよ。ただ、お茶の時間になる前にプラマーさんのところへ行って、娘さんには二度と会えませんよと説明してあげたほうがいいだろうね。きみが指輪をはめるのをこわがったから、とね。」
「ちくしょう」と、ディゴリーは言った。「ぼくが、おじさんの頭を一発ぶんなぐれるほど大きかったらよかったのに!」
それから、ディゴリーは、上着のボタンをすべてはめ、深く息を吸ってから、指輪をつまみあげた。そのときも思い、あとで思い返すたびにも考えたことだが、そうするよりほかなかったのだ。