第十四話 葵、大旦那様の看病をする。



 私の名前はあおい

 それは、私がうつしの大学に復帰した年の、晩秋のこと。


 週末の連休にてんじんへ戻ろうと、いつもの通りあの神社へと向かった。

 しかし迎えに来ていたのがおおだん様ではなくぎんさんだったので、私はとても驚いたのだった。

「それが、大変なのです、葵さん」

 銀次さんはオロオロしていた。

「どうしたの? 天神屋で何かあったの?」

「それが……大旦那様が、大旦那様が……ご病気になられて床に伏せっておられるのですっ!!

「え?? ええええええっ!?

 木枯らしの吹く静かな神社で、大きな声を上げてしまった私。

「え?? 大旦那様が病気!? いったい何の病気なの??

 銀次さんに負けず劣らずオロオロしてしまった私に対し、銀次さんは「落ち着いてください葵さん」と言った。

「まずはご安心ください。病気といっても、あやかし特有の風邪のようなもので、二、三日もすれば治ります。しかしすぐ感染してしまうため、あやかしは近づけないのです。大旦那様はお部屋にこもって、誰も入れようとはしません」

「要するに、誰も大旦那様の看病ができないってこと?」

「そうなのです。熱にうかされ、き込む大旦那様は、ただただ一人で苦しんでおられるのです」

…………

 私はすっかり青ざめた。

 ただの風邪とは言ったって、こじらせたら大変なことになるし、苦しい時こそ誰かに側にいてもらいたいもの。

 一人でただ苦しみに耐えるのはつらい。

 何か食べて、霊力や栄養を体に取り込んだほうがいいだろうし……

「ただ、人間にはこの病はうつらないのです。そこで葵さんにご相談なのです」

「あ、なるほど。要するに、私に看病をして欲しいということね」

「ええ、御察しの通りで。葵さんが天神屋に戻って来る時に風邪をひいてしまって、大旦那様はひどくしょげていらっしゃいますから。食事ものどを通らないほどです。愛妻の手料理なら食べられるかもしれない、とおっしゃっていますけれど」

「ん? 何それ。大旦那様、元気そうじゃない」

「い、いえ! 本当に、大層お辛そうで……っ」

 病に苦しむ大旦那様を思い、ヨヨヨ、と泣く銀次さん。

 そして私をチラッと見て、銀次さんは私に「大旦那様をよろしくお願いしますね」と言った。

 私はまんまと「もちろんよ!」とうなずいた。

 そして天神屋に着くやいなやゆうがおのちゅうぼうに向かい、大旦那様の食べられそうなものをこしらえたのだった。



「大旦那様、大旦那様、大丈夫?」

 氷水を張ったひのきおけと、手ぬぐいを持ち、ふすま越しに大旦那様に声をかける私。

 しばらくして、大旦那様の弱々しい声で「葵か……よく戻って来たね」との返事があった。そしてゲホゲホと咳き込む。

 本当に辛そうだ……

「私、人間だから大旦那様の風邪はうつらないわ。お部屋に入るわよ」

 そして襖をゆっくりと開けて、大旦那様の執務室に入る。

 部屋の中は暗く、いくつか鬼火が浮遊している。

 中央に敷かれた大きな布団に、寝込む大旦那様の姿がある。

 またゲホゲホと咳き込み、顔も赤く、呼吸も荒い。弱々しく、哀れな姿だ。

「葵……。すまないね、こんな姿で」

「ううん、いいのよ大旦那様。だけどとても驚いたわ。大旦那様が風邪を拗らせたって聞いた時は」

 大旦那様の枕元に檜の桶を置く。

 桶の氷水で手ぬぐいをらし、それを固く絞って、大旦那様の額の汗をぬぐう。

 あ、大旦那様のおでこ、熱い。

 高熱であることがわかって、私はますます心配になった。

 もう一度氷水で手ぬぐいを濡らす。確かにあやかしの熱を冷ますには、氷水くらいでなければ難しそうだ。

「季節の変わり目は風邪を引きやすいんだから、気をつけなくちゃダメよ。……気分はどう?」

「気分は……最悪だ。僕が、僕が葵を迎えに行きたかったのに……っ」

「ああ、そういうやつ」

 ううう、と泣く大旦那様。私はあきれつつも、クスッと笑う。

 大旦那様らしさは健在だ。

「病気なら寝てないとね。無理に動いて、風邪が悪化したら大変だもの。大旦那様だって、そう若くないんだから」

「葵にじじい扱いされるとは……ううっ」

「何言ってるの。それだけしゃべれるなら、大丈夫そうね。何か食べられる?」

「もちろん。腹ペコだ」

「あれ? なんか待ってました、みたいな顔ね。本当に病気なの?」

「ゲホゲホ。ゲホゲホ」

「……まあいいわ。いいもの作って来てあげる」

 私はまた氷水で手ぬぐいを濡らし、それを固く絞って大旦那様の額に載せると、

「ちょっと待っててね」

 そう言って、部屋を出たのだった。



 それから約二十分後。

「大旦那様、起きてる?」

 私は小さななべをのせたお盆を抱えて、再び大旦那様のお部屋にやって来た。

 大旦那様は首まで布団をかぶり、今もまだ赤い顔をして、ゲホゲホと咳き込んでいる。

「……何だかいい匂いがするな」

「私、卵のおかゆを作ってきたの。食べられそう?」

「何、卵のおかゆ!?

 さっきまで布団を被って弱々しい姿をさらしていたくせに、その布団をパッと下げて、キラキラした顔を見せる大旦那様。

 興奮しすぎたせいか、またゲホゲホとむせる。

「ち、ちょっと、大丈夫!?

「ああ。……すまないね、もう大丈夫だ」

 そしてゆっくりと起き上がる大旦那様。

 私もそれを支えてあげた。

 いつもとはまるで違う、弱々しい大旦那様の姿に、私はまた心配になる。

 食べさせてくれないと死んでしまうかも、とかぼやいてるし。

 ……仕方がないか。

 大旦那様風邪だし。

 小さな土鍋のふたを開くと、とりガラスープの香りがふわりと漂う。

 鶏がらスープでお米を煮て、溶き卵を回し入れただけのシンプルなおかゆだ。

 それを取り皿にとって、小口ネギを散らす。

「いい匂いだ……僕は随分と腹が減っているようだ。当然と言えば当然か。昨日から何も食べていない……」

 ブツブツ何か言っている大旦那様の横で、私はレンゲでおかゆをすくい、ふうふうと息を吹きかけて冷ます。

「簡単なおかゆだけど、熱いから気をつけてね。……ほら、あーん」

 冷ましてから、大旦那様の口にレンゲを運ぶ。

 大旦那様はゆっくりと口を開けて、それをパクリ。もぐもぐ。

 もっと食べるというので、もう一口運んで……パクリ。もぐもぐ。

 あれ。なんだろう。

 弱々しくも私のおかゆを食べる大旦那様に、なぜか胸がときめく。

 いや、病気で苦しんでる大旦那様にそんな……っ、とか思いながらも、やっぱりときめいてる気がする。

 まるでその姿は、守ってあげなくちゃいけない小さな子どものようだ。

 そういえば、大旦那様にお世話になることは多々あったけれど、こんな風に大旦那様のお世話をすることは、今までほとんどなかったなあ。

「ありがとう葵。とても美味おいしかったよ」

「あ……っ、もう食べちゃったのね。そうそう、薬飲まなくちゃ。しずちゃんにもらったんだった」

 私は慌てて、銀次さんの用意した薬を渡す。

 粉薬を水で流し込む大旦那様。

 苦い薬だったのか、少しの間とても渋い顔をしていたが、そのうちにホッと一息ついて、そのまま布団の上に体を横たえた。

「大丈夫? 大旦那様」

「大丈夫だ。そう心配するな、葵。お前の料理を食べ、薬も飲んだし、もう一眠りすればすぐによくなるさ」

 心配して顔をのぞき込む私の頰に、大旦那様は手を伸ばした。

 熱い手だ。

 顔には出さないけれど、きっとすごく辛いのだろうな。

「そうだ葵。風邪はいとおしい人の口付けで治ると言うよ」

「はい? なんかちょっと意味が違う気がするんだけど……」

 でも、それで本当に元気になるのなら。

 私はもじもじして、頭を抱えて、色んなかっとうと戦った後、おおだん様に……

 大旦那様の額に、そっとキスしたのだった。

「これが限界よ、大旦那様」

 へなへなとその場に溶ける私。

 この一瞬は、きっと私の方が熱高いと思う。

「あははっ。葵は恥ずかしがり屋でかわいいなあ」

「あーもう。あーもう!」

「おかげでぐっすり眠れそうだ……おやすみ、葵」

 そして、スヤア……と、一瞬で眠る大旦那様。

 なんだこの男。全然余裕そうなんだけど。

 私はいまだ恥ずかしがっているというのに……っ。

「仕方ないわよね。……生きてきた時間が違うわけだし」

 私ばかりがほんろうされ、気持ちを揺さぶられてばかりな事に少しモヤモヤしつつ、大旦那様の額に、再び氷水で濡らした冷たい手ぬぐいを置いた。


「おやすみ、大旦那様。早く元気になってね」