第十話 大旦那と白夜と着物



 あるところに『てんじん』というあやかしたちのお宿がありました。

 これは、天神屋が創設されて間もない頃のこと。

 のちにおおだん様と呼ばれる鬼が、まだ少年の姿をしていた頃の、遠い昔の話です。


「こんな重そうな着物、僕は嫌だなあ、びゃく。動きづらそうだ」

 少年の鬼が、ズルッと長い羽織をまとい、複雑そうな顔をしていました。

「なにをおっしゃる大旦那様。あなたはこれから天神屋の大旦那になるのだから、偉そうな高い着物を纏っていなければ」

「相変わらず堅苦しいなあ、お前は」

 天神屋のお帳場長である白夜というあやかしは、この少年に見える鬼が天神屋の〈大旦那〉に就任するにあたり、それはもう偉大な見栄えのする重厚なお召し物を見繕い、贈ったのでした。

 少年の鬼は身軽な格好を好んでいましたが、子供の姿では周囲にめられると白夜にはわかっていたので、そこはもう「我慢するように」と言って聞かせたのでした。

大旦那様。私とて、長い着物を好んで着ているわけではない。しかし赤の他人とは、他者をまず見た目で判断するものだ。交渉ごとなどにおいて、第一印象は大きく影響を及ぼす。特にあやかし間の交渉は、相手をどれほど恐れさせられるか、というのが重要になってくる。中身がどうであれ、あなたは現在子どもの見た目をしていらっしゃる。それではこの先、不利なのだ」

おうごんどう様も子どもだぞ、白夜」

「あの方は別格だ。子どものお姿であるからこそ、十二分に影響力を持っていると言える。しき童子わらしとはそういうものだ。それに黄金童子様は、とても地味ななりとは言えない。派手にして金ぴかな後光を背負っていらっしゃる。そのお姿を拝見し、誰もが恐れ多いと感じるのだ」

「確かに。いつもキラキラしていらっしゃるからなあ、黄金童子様は。あの後光は天然ものだろうか? 僕には到底不可能なお力だ。なんせ、座敷童子と違って僕は鬼だ」

 大旦那様と呼ばれる少年の鬼は、あきらめた口ぶりで顔を左右に振りました。

 すると白夜はフッと笑いました。

「金ぴかを背負いたいわけでもあるまい。鬼であるのなら、を抱かずにはいられないお姿をしていれば、それで十分なのだ。それが貴方あなたにとって、最大の武器となる」

「それで……これを着ろと。このもふもふのついた羽織を」

「そうだ。そのもふもふは実に鬼らしい装飾であろう」

 白夜が羽織を着せてやろうとすると、もう諦めたようにそれを羽織る大旦那。

「うむ。私の見立て通り、やはりよくお似合いになる」

 白夜は満足げでしたが、大旦那様は姿見の鏡の前に立つと、途端に顔をしかめる。

「着られている感がすごいぞ、白夜。まるでしっくりこない」

「そのうち、しっくりとむ時が来る」

「うーん。でも少し恥ずかしいぞ、白夜」

「そのうち慣れる。以上」

 白夜は照れ臭そうにしていた大旦那に、きっぱりと言って、これ以上は文句を言わせないのでした。

「あなたが誰からも敬われるこの天神屋の大旦那となれば、その姿も様になりましょう。あなたのお姿こそが、天神屋の象徴となるのだ」

「……ま、あと五年もすれば、白夜、お前の背なんてすぐに追い越す。本来の僕はとても大きな鬼なのだ。こんなちびっこではない」

「ほお。ならばそのようなお姿、一日でも早く拝みたいものだ。しかし大人のお姿になったらなったで、別の問題も出てくる。大旦那様はこの天神屋の次のおお女将おかみいださなければならない。その者こそが、あなたの花嫁だ」

 すると大旦那は顔をしかめた。

「花嫁、か。僕はそのようなものに興味はないな。白夜だって独り身じゃないか」

「何を言う。私にもかつて妻がいた。今はもう、いないというだけの話だ」

「……新しく妻を迎える気はないのか?」

「あり得ないな。そう思える程、私にとっては唯一の妻だった」

…………

 何だかよく分からないな、と大旦那はつぶやきました。

「なに。大旦那様にもいずれ分かる。そのうちに、はんりょとなるべき者が現れよう。あなたが認めたのであれば、それがきっと、天神屋の大女将であるあかしなのだ。私もあなたのそばで、それを全力で見極めるとする」

 大旦那様は鏡越しに白夜を見て、なぜかクスッと笑いました。

「ふふ。白夜はまるでしゅうとめだな」

「何を言う。姑は黄金童子様であろう。私は、そうだな、小姑こじゅうとくらいか。しかし慎重にもなる。天神屋の未来がかかっているのでな」

「そうだな。全ては天神屋のため。そうであるのなら僕はそのうち、妻をめとろう」


 そうこう言いつつ、大旦那はその後しばらくの間、妻を娶ることなどありませんでした。

 天神屋をかくり一の宿にまで育て上げ、日々その経営や営業に追われるばかりで、周囲がいまかいまかと待ち望む日は、なかなかやって来なかったのです。

 このお方の花嫁は、どのような娘だろうか。

 天神屋の大女将にふさわしい者であれば良いと思う一方で……

 白夜としては、大旦那様が心底信頼できる者、大旦那様を信じてくれる者が現れてくれればと、願わずにはいられませんでした。

 大旦那をかすことはありませんでしたが、その者が現れるのを、白夜もまた長い間、待ちわびるのでした。