第六話 お涼のダイエット計画
彼女は雪女にして、お米大好きなあやかしだ。
お米を見ると故郷の雪原を思い出すとか何とかで、毎日毎日、
「うっ、うっ。いつの間にか、いつの間にかだったのよ……っ」
「…………」
「ううう〜っ」
その日、お涼は営業前の夕がおのカウンターに突っ伏して、おいおい泣いていた。
「知らないうちに、こんな姿になってたのよ! 私、そんなに食べた覚えないのに!」
「
私は真顔で突っ込んだ。
「あんなに毎日、山盛り大盛りの丼ものを食べてたら、そりゃあ誰だって太るわよ。太ってしまうわよ。特にお涼、あんたは揚げ物と丼の組み合わせが大好きだしね。最強に太る組み合わせだもの」
「うっうっ。でもでも。たったの一食を毎日食べていただけよ!? ちゃんと仕事して動いた後に食べてるのに〜っ」
「お涼の丼は、一食って言っても特盛り一人前なのよ? しかも絶対お代わりするじゃない、あんた」
「あああああっ! なんてことしてくれたのよ
「へえ……言ってくれるじゃない」
ギャーギャー文句言って、太ったのを私のせいにするお涼に、
そう。お涼はいつの間にか、太ってしまっていたのである。
わかりやすく言うと、顔が丸くなり、
二の腕も以前に比べると太ましい。
かつてのスレンダーな美女は見る影も無い。
とはいえ、そういうのはあまり気にしないタイプかなと思って、私は特につっこまずにいた。
しかし天神屋一デリカシーの無い男・
「最悪、最悪よ! よりにもよってあの暁に馬鹿にされて!」
「お涼がいつも暁を馬鹿にしてるからでしょ」
「悔しい悔しい悔しい! 天神屋一の美女と名高かったこの私が! 色香の権化だったこの私が! お客様も従業員もメロメロにしてきたこの私が! こんなおデブちゃんになっちゃったなんて〜〜っ」
「……お客様はともかく、従業員がお涼にメロメロ? どっちかって言うと
「お黙り葵!」
ガツン、とカウンターを
お涼がカウンターを叩いたせいで、テーブルの上に置いていた伝票入れの筒が床に転がり落ちてしまった。私は慌ててそれを拾いにいく。
「ねえ葵〜っ、私どうしたらいいの!? どうしたら
今度は泣きながら私の襟を
さっきまで、太ったのは私のせいだって言ってたくせに。
「わかった、わかったから。強く揺らさないで! お涼、腕力も
「わーん、太ったせいだわ。この太ましい腕のせいでー」
お涼が泣くと、その涙が氷の粒になって床に転がり落ちる。
今度は慌てて床を掃く。もうすぐ開店だっていうのに。
「もう泣かないで、お涼。私が何とかしてあげるから」
「……ほんと?」
ピタリと泣き
「はあ。まずは毎日山ほど食べているお米の量を減らすことから始めましょう。そして野菜やお肉やお魚をバランスよく食べるのよ。今日からしばらくは、お涼のリクエストじゃなくて、私が毎日あなたの献立を考えるわ。いいわね」
「うん、わかった。何でもする」
「……ほんとかしら」
お涼は、メイン料理である丼ものさえ食べられれば良いというタイプだった。
副菜や汁物にはあまり興味がなく、まさに、米と揚げ物オンリー。
特によく注文されるのが、天丼、カツ丼、牛丼だったっけ。
ああ、私も反省しなければならない。
彼女のリクエストに答えるまま、お料理を作ってしまっていた。
お涼はとても
あやかしだし、人間とは違うし、こんなものかなと思って……
だけど、これだけこってりしたものを大量のお米と一緒にガツガツ食べてたら、そりゃあ動き回る雪女の仲居とはいえ、太っちゃうわよね。
よし、決めた。
お涼が元の体型に戻れるまで、私、お涼のダイエットをサポートするわ!
その日から、お涼のダイエットチャレンジが始まった。
ダイエットは、運動と食事管理の組み合わせが最も効果的である。
適度な運動は、毎朝早起きをして筋トレをしたり、中庭をランニングしたりといった、基本的なもの。
これはお涼の部下である
「ぜえ、ぜえ。走ったのなんて何十年ぶりかしら……」
「お涼様、空飛べるもんね」
すぐに息が上がって立ち止まるお涼を「ほら中庭もう一周〜」と無慈悲に
中庭を掃除していたカマイタチたちも、物珍しげに見ている。
お涼もまた、文句を言いつつも筋トレやランニングをこなしていた。
あのお涼が、こんなにもキツいことを頑張れるなんて……
暁に太ったことを指摘されたのが、本当に悔しかったのだろう。
食事管理の面は、私が担当した。
まず、丼もの禁止令を出す。これが一番大事。
「えええええええええええっ!?」
運動をした直後で、お腹ペコペコだったお涼は、この決定に対し大いに不服そうだったけれど。
「ええ〜、じゃない。本気のダイエットするんでしょ? 暁を見返すんでしょ? だったら丼もの禁止くらい、当然でしょ」
「だけど私の一日の楽しみよ。運動したし、お腹
「もちろん、食べていいわ。キツい食事制限なんて私はさせないわよ。だけど丼ものは栄養も偏るし、何よりご飯の量が普通の定食の倍近くあるわ。しばらくは炭水化物を軽めにして、品数の多い定食を食べなくちゃいけないわ」
というわけで、お涼専用になっていた丼の器を、戸棚の高い場所に仕舞う。
お涼が名残惜しそうに、それを見送っていた。
「だけど、炭水化物は一日をしっかり活動するためのエネルギーになるし、あやかしにとってもお米は霊力たっぷりの命の源だから、必要な分は食べられるわ。しっかりカロリーを計算して、バランスのとれた食事をするの。きっとそれだけで効果あると思うわ」
というわけで、お涼のダイエットチャレンジにかこつけて、私も健康とカロリーオフに気を使ったダイエットメニューを考案する。
まず、朝ごはんは定番の定食だ。
ご飯は玄米を混ぜたものにして、軽めの一杯。
メインのおかずは魚料理と、ネギ入り卵焼き。タンパク質をたくさん取る。
魚料理は青魚を中心に、焼き
副菜の小鉢には、酢の物や煮浸し、
品数の多い定食をあまり食べないお涼だけど、運動をした後はお腹が空いているみたいで、結局はたくさん食べていた。
白いご飯を大盛りで食べられないのが残念そうだったけれど、今は我慢のしどころだ。
お昼ご飯も定食だけれど、お涼にとっては
揚げ物はしばらく厳禁だけれど、蒸し
そしてお昼のお
せいろ蒸しのお野菜は、カボスポン酢で食べるとさっぱりしていて美味しい。
お涼の好きなマヨネーズも、時々少しだけ添えてあげた。
するとお涼は、せいろ蒸しの野菜もちゃんと食べる。ダイエット中とはいえ、我慢させすぎると長続きしないからね。
夜ご飯は、消化によいお食事だ。
お涼の場合、天神屋で仲居として働いた後に夕がおにやってきて食べるお料理だ。
この時が最もお腹が空いているらしく、お涼はよく丼ものをガツガツ食べていた。
しかし就寝前でもあるため、このタイミングで揚げ物や丼ものを食べると胃に悪いし、太りやすい。
夜に生きるあやかしもそうなのだということを、私も重々承知して、夜ご飯は温かなスープや
お涼のお気に入りは、アサリやシジミなど海鮮の濃厚なお
しかし雪女であるため、体を温めすぎるとものすごい汗を吹き出す。まるで氷の表面が溶けるように。
これはこれで、心配になるのだった。
運動と、食事管理。
この王道ダイエット方法を約一ヶ月の間、お涼は続けた。
飽きっぽいはずのお涼だが、泣き言を言いながらも、なんだかんだと続けて頑張ったと思う。
最初は順調に体重が落ちていた。
しかし急に停滞期に入り、そこから体重を落とすのが難しくなってしまった。
体重が落ちていた頃はお涼のモチベーションも上がっていたのだが、停滞期に入るとこのモチベーションを維持するのが難しくなってしまい、お涼がダイエットチャレンジを投げ出しそうになったので、私はどうしたことかと頭を悩ませたのだった。
「うーん、うーん」
「どうしたのですか葵さん。渋い顔して、
「ねえ、
とある日の夕がお閉店後。
銀次さんは私が何に悩んでいるのか、ピンときたようだった。
「そういえば葵さん、お涼さんのダイエットをサポートしているとか。他の従業員たちの
「そうなの。だけどあやかしは人間とは違うもの。的確なダイエット方法が
例えば、基礎代謝の話。
人間だと筋肉をつけたり体を温めたりして代謝を上げて、脂肪を燃焼しやすくする。
「だけどそれって人間の体の仕組みでしょう? 雪女の場合、体を温めることに何か意味があるのかしら? だって雪女よ?」
基本、体温が人間よりずっと低い。それが雪女のスタンダードだ。
「う、うーん……確かに。あやかしにもダイエットの概念はありますし、食べすぎると太ります。ですが種族ごとに体質がちがったりしますからね」
銀次さんも、私と同じように唸っていた。
あやかしは種族ごとに体質が違い、例えば病気になっても種族ごとに治し方が違ったりする。
「そうよね。私、いろんなあやかしのダイエット本を読んだりしたんだけど、雪女ってそもそも太りづらいらしくて、あまりダイエット方法が確立されていないの」
「そうなのですか」
「だけどどんなあやかしも、必要なのは食事管理と、運動で、これは変わらないんですって。あやかしは食事から霊力を取りすぎるのが、一番の太る原因らしいから」
「そうですねえ。昨今のあやかしは、霊力を放出する機会もそうそうありませんから、カロリーオーバーならぬ、霊力オーバーに陥りがちです」
「霊力オーバー……ね」
「私は適度に化けたりして、霊力を使うようにしていますが」
そう言って、銀次さんはちゃっかり
「霊力の放出……」
私は小狐姿の銀次さんを抱き上げ、
雪女の場合、霊力を放出するには何が一番手っ取り早いだろう。
「というわけで、お涼。今日は山登りをするわよ」
「へ?」
天神屋がお休みの日、私とお涼と春日の三人は、天神屋の裏山に登ることにした。
お涼も春日も、私の提案にきょとんとしていたけれど、素直に私についてきた。
「ところでどうして山登りなの?」
山道を登りながら、春日が問う。私は重い荷物を背負っていたため、春日が後ろでそれを支えてくれていた。
「あやかしが太る原因の一つに、霊力オーバーというのがあるんですって。ほら、あやかしってご飯を食べて霊力を体内に取り込むでしょ? 私の料理はその効率がとても良くなっちゃうらしいから。もしかしたらお涼はずっと霊力オーバーなんじゃないかって」
「ああ、なるほど」
「その場合は、食事管理と運動だけじゃなくて、古い霊力を放出するといいらしいの。そして空っぽになったら食事で新しい霊力を適度に補充する。まあ要するに、霊力の新陳代謝ね」
山頂のひらけた場所に着いた後、どかっと重い荷物を地面におく。
お涼は気持ちの
「それで、私は何をしたらいいわけ? 霊力オーバーとか言われても、よくわからないわよ」
「ここで存分に、雪を降らすか氷を作るかして、霊力を放出してみて。お涼って雪女なのに、そういう能力を使うことって日常じゃあんまり無いじゃない?」
「あ。確かに……」
というわけで、お涼には山頂でひたすら氷の柱を作ってもらうことにした。
雪だと天候変わっちゃって、天神屋や鬼門の地のあやかしたちに迷惑をかけるかもしれないからね。
「葵ちゃーん、あたし飽きたよ〜お
お涼が氷の柱をひたすら作る様子を眺めるのに飽きた春日。
ちょうどお昼ご飯時でもあり、お腹が空いたようだった。
しかしお涼の霊力が尽きる様子はなく、まだまだ氷の柱を作れそうだった。
「大丈夫。食材もちゃんと持ってきたわ」
私は持ってきた荷物を探り、あらゆる道具を取り出す。
「
「キャンプか〜」
キャンプ、というのは春日にも通じる。
「大旦那様、天神屋でもキャンプできるようにするのかな?」
「さあ。自分がやりたかっただけじゃない?」
キャンプ用の折りたたみテーブルや折りたたみ椅子を出し、火を起こし、私たちは昼食の準備を始める。野菜を切って、まずは簡単な野菜スープを作る。
お涼はというと、こちらの作業を気にかける様子もなく、一心不乱に氷の柱を作っているのだった。
「あ、葵、氷の柱を百本作ったわよ」
お涼が、ゼエゼエと息を荒らげて戻ってきた。
なんだか空気がひんやりしていると思ったら、向こうの広場に氷の柱が百体出来上がっている。まだ少し暑い残暑なのでちょうど良い。
「
「当たり前でしょ! でももう空っけつよ! このままじゃ死んじゃう! 葵、ご飯!」
「わかってるわ。ちょっと待ってて。食材の準備はできてるから」
霊力枯渇はあやかしにとって
大旦那様が買ってきたキャンプ用品の中に、スキレットとホットサンドメーカーがあった。これを使って、私は早速調理を始めたのだった。
まず一品目は、
秋鮭の切り身を持ってきたので、これをしめじやえのき、
二品目は、具入りの焼きおにぎり(チーズたらこ)だ。
ホットサンドメーカーで作れるのは、何もホットサンドだけではない。
温めたホットサンドメーカーにご飯を満遍なくのせて、たらこ丸ごと一本とチーズをのせて、さらにご飯をのせる。ホットサンドメーカーを閉じて両面を軽く焼く。これが
表面に醬油を塗り、また少し焼く。
これでホットサンドメーカーの焼きおにぎりは出来上がり。
お皿にポンとのせ、お好みで四角く平たい焼きおにぎりに
焼きたらことチーズが食欲をそそる一品だ。
「ホイル焼きもそろそろできたかな」
「うわあああ……いい匂い」
スキレットで焼いていた鮭とキノコとレモンのホイル焼き。
閉じていたアルミホイルを開くと、たまらない秋鮭の匂いがふわっと漂う。そして食欲をそそるレモンの香りも……
レモンを後から絞ってかけるのもいいけれど、レモンの輪切りを入れてホイル焼きすると、一層しっかりとレモン果汁が
「ねえ葵、私、食べていいの? これ食べていいの?」
「ええ、もちろん。お涼、頑張ったからね。あ、でもちゃんと野菜スープも飲むのよ!」
なんだかんだと私も甘い。
お腹を空かせている人を見ると、すぐに食べさせてあげたくなっちゃうもの。
この霊力大放出が
もともとスレンダーな美女であったが、私が彼女に出会った頃の姿を完全に取り戻し、さらには健康的な体作りに成功したのである。
「見なさい、暁! 私のこの姿を!」
いざ、ダイエットの原因となった暁に対し、お涼は自分の
夕がおのカウンターに座る暁はキョトンとしていた。
「あんたの一言が無ければ私は死に物狂いでダイエットしようとは思わなかったわ。丼ものを食べられない地獄の日々を、あんたにも思い知らせてやりたい!」
「…………」
暁はまだキョトンとしている。
そして、
「俺、何か言ったか?」
「…………」
ズズズ、と
無言、そして真顔になるお涼。
なんと当の暁は、自分の一言がお涼にダイエットを決意させたことなどすっかり忘れているのだった。
お涼がダイエットに成功した姿を見ても、何の反応も示さない。
「……っ、これだから男は……」
お涼、鈍感力の高い暁を前にヘナヘナと体の力が抜けていく。
そして、何とか自力でカウンターに座る。
「だ、大丈夫? お涼」
「はっ。何も問題ないわ……」
私は心配していたが、お涼はというと乾いた笑みを浮かべて、カウンターの内側にいる私に向かって堂々と注文したのだった。
「葵、もういいでしょ。天丼大盛りでお願い!」