第一話 隠世で頑張ると決めた日



 私の名前はあおい

 これは、女郎蜘蛛のすずらんさんをうつしへ送り届けた後、おおだん様と一緒にかくりへと戻ってきた直後のお話だ。

 カレーの食材が入ったスーパーのビニール袋を持ったまま、私たちはてんじんへとつながるり橋の前で立ち止まっていた。

「ここどこでしゅか〜?」

 私の肩には、現世から連れて帰ったまり河童かっぱのチビが乗っかっている。

 隠世という世界を知らないチビは、つぶらなひとみをキョロキョロとさせていた。

「さっきから思っていたんだけど、そいつは何だい、葵」

 大旦那様もチビの存在に気が付いて、まじまじと見ている。

 小さすぎる河童かっぱが珍しいのだろうか。

「これ、現世の河原でけしていた手鞠河童のチビよ。おなかかして泣いていたから、もう連れてきちゃった」

「ほお……」

 大旦那様は私の肩に乗るチビのほっぺたをプニプニとつついていた。

 チビもまたされるがまま。

 鬼の大旦那様を、そのつぶらな瞳でじーっと見つめ、くちばしを半開きにしている。

「葵しゃん〜、こいつ誰でしゅ〜?」

 何も知らない罪なチビは、大旦那様をこいつ呼ばわり。

「ち、ちょっとチビ。流石さすがにこいつ呼ばわりは無いでしょ!」

「あー?」

 私は慌てていたが、能天気なチビはこの状況が分かっていない。

 私は長めのため息をついた後、大旦那様についてチビに説明してあげた。

「このひとは、隠世の天神屋っていうお宿の大旦那様よ。要するにとても偉いようかいなの。あんたなんか生きたままじょうに付けられて、つるんと躍り食いされたって文句の言えない強いあやかしなのよ。だって鬼だもの」

…………鬼しゃん」

 チビは肩に乗ったまま、一瞬ぶるっと震えた。

 鬼というものが何なのかは、こんなに小さな河童でも分かっているらしい。

 しかし何を思ったのか……

 チビはぴょんと飛んで私から離れ、大旦那様の胸の内にダイブしてみせた。

 そして大旦那様の羽織にしがみ付いて「えっほ。えっほ」と体をよじ登り始めたのだった。

「ちょ、ちょっとあんた何やってるの!?

「お。なんだ? この僕をクライミングするとは。あははははは」

 大旦那様は自分の胸をよじ上ってくる手のひらサイズの手鞠河童を見下ろし、笑っていたけれど、私はすっかり青ざめて、大慌て。

「お、おお、大旦那様の胸に飛び込むなんて! 底なしの渓谷に、パラシュート無しでダイブするくらい命知らずな事よ! 本当に躍り食いされちゃうわ!!

「葵、お前は僕を何だと思っているんだい? 河童の躍り食いなんて趣味じゃないし、僕はそこまで飢えていない。そもそも僕としては、嫁である葵にこそ、この胸に飛び込んできて欲しいものだが。ふ〜」

「……そのやれやれみたいな顔、やめてちょうだい大旦那様」

 まあ、様子を見るにチビのような低級あやかしにくっ付かれても、大旦那様はさほど気にならない様だ。

 むしろさっきから、自分の体をよじ登るチビの必死さを見守り「ほらあと少しだぞ」と声をかけている。

「えいしょ。えいしょ。……ふう。僕はやったでしゅ。鬼クライミングの完遂でしゅ」

 チビは大旦那様の肩に登って、えへんと偉そうにのけぞり、満足げな態度だ。

 まるで、鬼を登った河童など、この世に自分しか存在しないかのように。(いや実際にそうなのかもしれない……)

「何がしたかったのよ、あんた」

「より偉いものに乗り換えたのでしゅ。強き者、そして権力にへつらう、それがかっぱの生き様でしゅ。葵しゃんはもう用無しなのでしゅ〜」

「あ、あんた……」

 つぶらな瞳で〝生き様〟を語るチビにまいがしたが、大旦那様はというとツボにはまったように爆笑していた。

「あっははははははははっ」

「笑いすぎよ大旦那様……」

「いや、なかなか面白い河童をつれて帰ったな、葵。笑いすぎて腹が痛い」

「そいつは見た目のわいらしさを武器に、私に餌を要求してきたあざとい手鞠河童だもの。厳しい現世を生きてきたから、世渡り上手というか、媚び上手というか、すっかりひねくれちゃってるんだわ」

「あっはははははははは」

 大旦那様は、相変わらず大ウケ。

 彼の襟元にすりすりして、圧倒的なこびりょくを見せつけているチビ。

 そんなチビを私はむんずとつかんで、ゴムボールでもむようににぎにぎする。

「あっ、葵しゃん、にぎにぎはやめるでしゅ〜」

「うるさいわね。あんた、大旦那様に乗り換えるってんなら、もうカレーを食べさせてあげないわよ。きゅうりもお預けですからね」

「あー……」

 チビはまた、くちばしを半開きにして黙っていた。

 しばらく小さな頭で何か考えた後、大旦那様の肩から私の肩にぴょんと飛び乗り、「やっぱり葵しゃんが一番なのでしゅ〜」とか言って、あざとく擦り寄るのだった。

「でももう限界なのでしゅ。葵しゃんのカレーを待っている余裕は、ここ数日絶食のかっぱには無いのでしゅ」

「その割には、勢いよく私と大旦那様の間を飛んだり跳ねたりしてるけど?」

「これは最後の力を振り絞っているのでしゅ〜」

「あっはははは。火事場の馬鹿力というやつかい?」

 と、相変わらずツボにハマった大旦那様。

「そうでしゅそうでしゅ」

「いや違うと思うけど……」

 そうは言いつつも、チビがお腹を空かせているというのは本当だろうし、私は「カレーの前に何か食べる?」と聞いてしまう。

 つくづく私は、このチビに甘い。

 乗り換えられそうになったのにね。

「ああ。そう言う事なら僕がいものを持っているよ」

 大旦那様は買い物袋を腕に掛け、そでの中をごそごそとあさって、丸みのある小瓶を取り出した。小瓶の中には、色とりどりの小粒の何かがきらめく。

「大旦那様、それは何?」

「金平糖だよ」

 大旦那様は瓶の中から金平糖を数粒取り出し、そのうちの一粒をチビのくちばしに持っていった。

 チビはそれに気がつくと、ガッと金平糖をくわえて、両手で持ち支え、もう夢中になってカリカリとかじる。

「……大旦那様って、鬼のくせに金平糖を持ち歩いているの? 何だか似合わないわね」

「まあそう言うな。金平糖は鬼門の地にある〝ぎんてんがい〟の象徴のようなお菓子で、僕は道を歩いているだけで、よくもらうのだ」

「銀天街?」

 大旦那様は目の前の天神屋に背を向け、ある場所を見ていた。

 私は大旦那様の視線を追い、門前町のごとにぎわう、その商店街を見下ろした。

 そこは、多くのあやかしが賑わいを見せる、天神屋を中心とした商店街。

 色とりどりの鬼火を抱いた提灯ちょうちんが、それぞれの店の入り口にぶら下がり、金平糖のような多彩なあかりで大通りを照らしていた。

 そこは満天の星空のようだ。

「天神屋へと続くこの大通りの商店街を〝銀天街〟と言うんだ。ここ鬼門の地の土産物や、名菓などを売っている。食事どころも多い。葵はまだ銀天街を巡った事は無いだろうから、今度僕が連れていってあげよう。とり天が名物なんだよ」

…………

 私はというと、美しい銀天街を前に夢見心地のまま、ぼけっとしていた。

 きっとチビのように口が半開きだったのだろう。大旦那様によって、小さな金平糖を一粒口に押し込まれ、びっくりする。

 あ、でも甘くて美味おいしい。

 口の中でほろっと砕ける、優しい甘さだわ。

「さあ帰ろう。僕は空腹だが、葵のカレーを待つ事にするからね」

 大旦那様は、私の持っていた買い物袋も持ってくれた。

 そして私たちはもう一度、巨大な天神屋の御殿の方を向いて、渓谷にかかる大吊り橋を渡り始めたのだった。


 いまや懐かしい、隠世で借金を返しながら生きていくと決めたあの日の、裏話。