プロローグ



 すずらんさんへ


 お久しぶりです。お元気でしょうか。

 うつしは今、とても暑いらしいですね。

 最近きゅうしゅうに台風が上陸したと聞きましたが、そちらは大丈夫ですか?

 おじいちゃんのおうちはとても古いので、少し心配です。みんなが無事でいて、楽しく暮らしているといいのだけれど。

 鈴蘭さんがあのお家の管理人になってくれて本当に助かっています。

 以前は一年ぶりに帰ると、庭の草はぼうぼう、の巣はかかり放題で、お化け屋敷のようになっていたもの。

 あ、蜘蛛の巣は今もかかり放題かもしれないけど……

 そういえば、現世へ留学中のあやかしたちが、私とてんじんのみんなの〝交流の日々〟を知りたがっていると、おおだん様から聞きました。

 大事件じゃなくて、何気ない日々の話を。

 色々と思い出しながら、文章にしてまとめてみたので、よかったら現世の人間と関わる上で、参考にしてみてください。

 日持ちするお菓子も一緒に送ります。

 ゆうがおプロデュースの天神屋の新しいお土産で、なかの内側にキャラメルナッツをのせて焼いたお菓子です。「てんじんなかフロランタン」と名付けました。

 下宿のあやかしたちと一緒に食べてね。



「……ふう。お手紙を書くのって集中力がいるから、すぐ一休みしたくなるわ」

 そうして私、あおいは、ぬるくなったお茶をすすった。

 ここは、あやかしたちが住まう世界〝かくり〟。

 私は現世生まれの生粋の人間でありながら、隠世の鬼門の地にある〝天神屋〟というお宿のおお女将おかみ見習いをしている。

 なぜ私が天神屋で働いているかというと、このお宿で一番偉い大旦那様という鬼神によってさらわれ、その大旦那様の花嫁にされそうになったからだ。

 原因は、私を育ててくれた祖父・津場木ろうが、生前この鬼の大旦那様に作った借金にある。

 祖父は現世と隠世を行き来していたたぐまれな人間で、ここ天神屋にもよく出入りしていたと言う。ある日、豪遊した挙句高価なつぼを割り、その借金のカタとして孫娘を大旦那様の嫁に差し出す、などというとんでもない約束を交わしたのだった。

 私は何も知らされずにいたけれど、祖父の死後、大学二年生になったばかりの春に、大旦那様に攫われて、あやかしだらけの隠世にやってきた。

 最初は鬼の花嫁になるのが嫌で、借金を自分で働いて返すと宣言した。

 宣言したのはいいものの、周囲はあやかしだらけ、敵だらけ。

 そんな中、唯一味方になってくれた若旦那のぎんさんの助言によって、天神屋の中庭にあるかやき屋根のお家で小料理屋〝夕がお〟を開き、私は自分の手料理をあやかしたちに振る舞うことで、ここに居場所を作ったのだった。

 これはもう、何年も前のお話。

 すでに借金の件は解決しているし、色々な出来事を乗り越えて、私は大旦那様と夫婦になることを誓い、天神屋というあやかしお宿に嫁入りした。とはいえ、まだ入籍もしていなければ、式も挙げていない。

 現在私は、夕がおで手料理を振る舞うだけではなく、隠世の各地で商品を開発、企画したりと幅広く商売をしていて、日々忙しく働いている。

 私がやりたいことを全力でやりきるまで、大旦那様は待ってくれるつもりのようだ。



 そんなこんなで、私は人間でありながら、現世ではなく隠世で生きている。

 現世には数年、大学に通い直すために戻っていたこともあったけれど、今は完全に隠世の住人だ。

 しかし隠世だけではなく、現世の人間社会の中にもあやかしたちは潜んでいて、さらには隠世と現世の行き来が緩和されたことにより、現世留学を希望する隠世のあやかしたちも現れた。

 私が以前、祖父と一緒に暮らしていた現世のお家がきたきゅうしゅうにある。

 古いお家だけど、今はそこを、隠世から現世に行って色んなことを学びたいあやかしたちの下宿にしているのだ。ここ天神屋が手配し、現世に送り届けた後も、居場所を作って面倒を見ていると言う訳だ。

 その下宿は今〝鈴蘭さん〟が管理人をしてくれている。

 鈴蘭さんは人間ではなくじょろうのあやかしで、天神屋の現在の若旦那であるあかつきの妹だ。

 彼女は私の祖父のことが大好きだったので、祖父のお墓の近くでずっと暮らしていたのだけれど、今は祖父のお家を守る役目を請け負ってくれている。

 そんな鈴蘭さんに、私は今お手紙を書いているという訳だ。

 現世留学に行っているあやかしたちの中には、人間社会のルールや、人間との関わり方に悩む者も多いという。

 隠世という、完全なあやかし社会で育った者たちばかりなので、当然といえば当然だ。

 そんな、あやかしの留学生たちに対し、私は時々、人とあやかしの価値観の違いや、触れ合い方、人とあやかしであっても変わらないことなど、体験談を交えつつお話することがある。

 今回は、私がここ隠世にやってきてから今までに起こった、天神屋の日常のエピソードを思い出しつつ、手紙にしたためているのだった。

 そして私もまた、人とあやかしの交流についてを、じっくりと考え直している。

 初めて天神屋にやってきてから、今日この日まで、目まぐるしくも新鮮で刺激的で、何よりにぎやかな素晴らしい日々だった。

 それは今も現在進行形ではあるけれど。

 しかし、あやかしたちと上手うまく交流ができなかったら、隠世で過ごす毎日を素晴らしい日々だなんて思えることは無かっただろう。

 私はただただ、あやかしたちに食われやしないかとおびえていたのではないだろうか。

 私の場合、あやかしたちと対等に渡り合い、対話し、その心に寄り添う手段は〝料理〟だった。

 美味おいしいものは、人々とあやかしの日々を豊かにする。

 人とあやかしは、美味しいものを食べたら幸せな気分になる。

 そこに好みの差はあれど、人にもあやかしにも違いなどない。

 要するに「美味しい」というのは分かり合える感情なのだ。

 だから私は、ここ隠世で、多くのあやかしたちの日々を素晴らしいものにできるような料理を思案し、作り続けてきた。

 今までいったい、どれほど多くの料理を、隠世に住まうあやかしたちに振る舞ったことだろう。

 記憶を辿たどれば辿るほど、多くのエピソードが、様々なお料理とともに色鮮やかに思い出されるのである。


「何をしているんだい、葵。真剣な顔をして」


 声がして、振り返る。

 そこには仕事をひと段落させた、鬼の大旦那様がいた。

 私が真剣な顔をして机についているので、それが気になって後ろからのぞき込んでいる。

「ほお。手紙を書いているのかい?」

「ええ、鈴蘭さんに」

「ああなるほど。しかしすごい枚数だね。そんなに報告するようなことがあるのかい?」

 大旦那様がくすくす笑っている。

 自分の目の前にある手紙の山を見て、私もまた苦笑い。確かに凄い枚数だ。

「ほら、北九州にあるおじいちゃんの家を、今はあやかしたちのシェアハウスにしてるでしょ? でも隠世から留学したあやかしは、人間との付き合い方がわからない子もいるんですって。現世出身のあやかしと、隠世出身のあやかしでは、価値観も違うとかで」

「ああ、確かに。時々トラブルの報告を聞くな」

「だから私、何かアドバイスできないかなって。隠世で……天神屋のあやかしたちとどんな風に過ごしたかを思い出しているの」

 大旦那様が横でしゃがみ、私の書いた手紙を軽く読み始める。

 私はそんな大旦那様を横目に見ていた。

 このひとは、出会った頃から一つも変わらない。

 黒髪で、整った顔をしているけれど、額には鬼の角が生えている。

 それが私の、旦那様だ。

「そういえば大旦那様も現世によく行くじゃない? 現世のあやかしとか、人間とかと交流するんでしょ? 何か面白いエピソードがあるなら、教えてよ」

「ん? 僕のエピソードかい? もちろんいいとも。確かに僕は現世によく行って、色んなあやかしや人間と交流するからね」

 そうして私は、大旦那様と一緒に思い出話に興じる。

 ああいうことがあったね、こういうことがあったね。

 へえ、そんなことがあったんだ。そんな人たちがいるのね……

 なんて、こんな夜中から語り明かす。


 あやかしお宿の回顧録。

 はじまり、はじまり。