番外編 なんて俺好みの格好いい女性なんだ
「私、貴方とどこかで会ったことがある?」
馬上で振り返り、問いかけてくるアルダンテに、フレンは少し間を置いてから答えた。
「……ないけど、どうして?」
「初めて会った時から、私のことをよく知っていたみたいだったから」
不思議がるアルダンテに、フレンはヘラッと笑いながら口を開く。
「君の名前は社交界じゃ有名だったからね。王宮暮らしの俺の耳にもよく噂が流れてきていたんだ」
「ろくな噂じゃなかったでしょうに。それでよく私に声を掛けようと思ったわね」
「逆だよ。むしろ興味が湧いた。噂の悪女がどんな女性なのかってね」
「そう。で? 実際に私を見た感想はどうだったのかしら?」
「もう最高。噂に違わぬ最高の悪女だったよ」
親指を立てるフレンにアルダンテが眉をひそめて鼻白んだ。
「……変わってるわね、貴方」
それきり、興味をなくしたようにアルダンテは前を向く。
そんな素っ気ない素振りでさえ、今のフレンにとっては愛おしかった。
(初めて君と言葉を交わした時、俺がどんなに胸を高鳴らせていたか。君は知る由もないだろうね)
後ろからそっと赤紫色の髪を撫でながら、フレンは初めてアルダンテと出会った日のことを思い出す。
それはまだ、アルダンテが社交界を追放される三年前のことだった。
------
恋人にするならとびきりの悪女がいい。
誰にも媚びず、取り繕わず。
何者にも屈さず、誰もが恐れるような。
そんなキツイ性格の悪女と付き合いたい。
ずっと婚約者を作らない理由を周囲に聞かれた時、フレン・カーディスはそう言っては「まあそんな人見たことないけどね」と。
軽薄な笑みを浮かべていた。
「――最低ですね。あに様」
王宮で開かれたとある日の夜会での出来事。
広間の片隅で、貴族の令嬢達に囲まれてヘラヘラしていたフレンに、王族が纏う礼服を着た小柄な金髪の少年――第三王子セラン・カーディスが冷たい声でそう言った。
それに対してフレンは、バツが悪そうに苦笑しながら口を開く。
「待ってくれセラン。これは不可抗力だ。俺はただ、彼女達が友達になりたいって言うから――」
「言い訳無用です。ご令嬢の皆さんも、その方に言い寄っても時間の無駄ですよ。婚約者を作る気はないって公言していますから」
セランの言葉を聞いた令嬢達が顔を見合わせた。
第二王子であるフレンに婚約者がいないことを知っていて、玉の
「酷いなあ。せっかく仲良くなれそうだったのに」
「酷いのはあに様の方ですよ。頼まれたら断れない性格なのは知っていますけど、彼女達は本気で婚約者を探しているのですから、その気がないのに仲良くしようとしてはいけません」
「おいおい弟よ。その言い草だとまるで俺が本気で婚約者を探していないみたいじゃないか」
「そうですか? とびきりの悪女がいいだなんて適当なことを吹聴して、婚約の話を全部断っている人が真面目にお相手を探しているとは到底思えませんけど」
痛いところを突かれて「うっ」とうめくフレンにセランはため息をついた。
「あに様ももう十七歳になったのですから、そろそろ王族らしい立ち振る舞いをされてはいかがですか。社交界の一部でも噂になっていますよ。酒と女遊びにしか興味がないちゃらんぽらんな放蕩王子だって」
「参ったな。ほぼ正解だ」
「もうっ。昔はあんなに優秀だったのに、どうしてこうなってしまったんですかね、まったく」
頬を膨らませて不機嫌になるセランの頭を撫でながら、フレンは自分の行動が思い通りの噂を招いていることに安堵しつつも、複雑な気持ちになった。
(自分から仕向けたこととはいえ、悪い評判が広まるっていうのは嫌なものだね)
幼い頃からなんでも人並み以上にこなせて人望もあったフレンは、逆になにをやらせても出来が悪かった第一王子クザンから目の敵にされていた。
そんなクザンに王位を脅かす敵ではないということを示すためにどうしたらいいかと考えた末。
フレンが思いついて取った手段が、だらしない遊び人だと思わせて周囲を失望させるという方法だった。
結果は大成功。今のクザンはフレンのことをただの愚かな弟だと思っていることだろう。
(以前は顔を合わせる度に殺意むき出しの顔で睨まれたけど、今だったらたとえ兄上が王になったとしても、すぐに命を狙われることはないだろう。たぶん)
うんうんとひとり頷いているフレンを見て、セランは呆れた顔のまま言った。
「それにしても悪女がいいだなんて。断るにしても、もう少しマシな言い訳はなかったんですか? 断られた女性が可哀想です」
「それに関してはあながち嘘ってわけでもないんだけどなあ」
婚約者がいないフレンの周りには、いつも数多くの令嬢達が集まってくる。
第二王子という血筋もさることながら、見目麗しく紳士的で女性の扱いにも慣れたフレンは、彼女達にとって最高の婚約者候補だったからだ。
しかし当のフレンは、婚約者はおろか恋人を作ったことすら一度もない。
(貴族社会についてはよく分かっているつもりだ。家のために玉の輿を狙って俺に近づこうとしてくるのも理解はできる。でも――)
幼い頃から異性の打算的な媚びた視線ばかりを浴びせられてきたフレンは、そういった手合いの女性には飽き飽きしていて、最早心が動かなくなっていた。
(でも、もし今までに俺の周りにはいなかった彼女達とは真逆の女性――たとえば俺が思い描く悪女のような、誰にも媚びず、周囲に恐れられても我が道を行くような、そんな格好いい女性が目の前に現れたなら)
「……きっと、とても心惹かれるだろうな。叶わぬ恋になるだろうけどね」
政略結婚が常である貴族達に、愛する相手と結ばれることなど無きに等しい。
さらに王族ともなれば、婚約ひとつで国の将来を揺り動かす結果にすら繋がる。
それが分かっているが故に、悪女を恋人にしたい等とフレンが言っているのは、半ば冗談交じりの言葉だと思われていた。
「本気だったんですかそれ。でも僕が思うに、社交のために夜会に来ているご令嬢の中に、わざわざ悪女なんてレッテルを貼られるような馬鹿げた振る舞いをする人なんて、そうそういないんじゃ――」
「――きゃあ!?」
その時、広間のどこかから突然女の悲鳴が響いてくる。
フレンはセランと顔を見合わせて言った。
「行くぞセラン。女性の悲鳴だ」
「女性が関わらなくても、それぐらい普段からやる気を出してくれればいいんですけど」
ざわめく貴族達の集まりを避けながら、ふたりは悲鳴がした方向に近づいていく。
そこには床に座り込んでいるひとりの令嬢と――
「あら、ごめんあそばせ」
その令嬢の頭に瓶を逆さに向けて、ワインを浴びせている赤紫髪の令嬢の姿があった。
(ご令嬢同士の喧嘩か? いや、そんなことよりも彼女は――)
整った小さな顔に、吊り上がった目。
瞳は爛と輝き、スラッと伸びた背筋と自信に満ち溢れたたたずまい。
なによりも、口端を吊り上げたあまりにも悪女めいたその笑みに。
フレンは一瞬で目を奪われた。
「あに様。念願の悪女がいましたよ」
「……ああ。あれは紛うことなき悪女だ」
しばらく言い合いを続けた後、赤紫髪の令嬢はその場に背を向けて広間の出口に歩いて行った。
ワインを掛けられた令嬢が泣きじゃくる中、周囲の貴族達はそれを好奇の目で見るだけでなにもしようとしない。
(赤紫髪の彼女は気になるが、泣いている女性を放っておくわけにはいかないな)
見るに見かねたフレンは令嬢に声をかけようと近づこうとした。
しかしセランに服の袖を引かれて、引き止められる。
「あに様は先程の悪女を追いかけてください」
「いや、幼いお前ひとりに泣いている女性を任せるわけには――」
「なにを今更僕に気を使ってるんですか。あの人が気になるんでしょう?」
気にならないといえば嘘になる。
側から見ればいかにもな悪女が、ひとりの令嬢を虐げているように見えた。
もしそれがただの悪意によるものならば、この国の貴族を束ねる王族の一員として、彼女の悪行を正さなければいけない。
だが紳士淑女の集まりである夜会において、他人の頭にワインをかけるなど、いくらなにか揉めた末のことであったとしても尋常なことではなかった。
(赤紫髪の彼女のドレスにもワインが掛けられた跡があった。なにか訳ありだったのかもしれないな)
半ばそうであってほしいという願望を抱きつつ、フレンはセランに申し訳なさそうに謝意を込めて手を立てる。
「すまない。ここは任せた」
「任されました。あに様よりうまくやってみせますから、ご心配なく」
セランにその場を任せたフレンは、足早に赤紫髪の令嬢の後を追いかけた。
令嬢達の騒ぎなどまるでなかったかのように、再び談笑を始めている貴族達の間をすり抜けて、広間の出口にあたるドアを開ける。
人通りのまばらな王宮の広い廊下に出たフレンは、令嬢が立ち去ったであろう前方を見渡した。
(君のその髪、目立つからとても助かるよ)
すると十メートルほど先に、件の令嬢の姿を発見する。
呼び止めようとしてフレンが口を開いた。しかし――。
(おっと、先客か)
よくよく見てみると赤紫髪の令嬢は、地味なドレスを着た別の令嬢に話しかけられていたので、フレンは邪魔をしては悪いと思い口を閉ざす。
笑顔で何度も頭を下げている令嬢に対して、赤紫髪の彼女は素っ気ない態度で会釈だけを返すと、そのまま廊下の先へと歩いて行った。
(あの笑顔……悪女のはずの彼女に感謝していたように見えたな)
疑問に思ったフレンは、赤紫髪の彼女の後ろ姿をじっと見送っている令嬢に声をかけることにする。
「ちょっといいかな」
「あ、はい……えっ、フレン様!?」
令嬢は話しかけてきたのが第二王子のフレンだということに気がつき、大きな声をあげた。
「しーっ」
フレンが人さし指を立てて静かにするようにウインクする。
それを見て令嬢はコクコクと首を縦に振って静かになった。
「今さっき、赤紫髪のご令嬢と話していたようだけど、彼女となにかあったのかい?」
「赤紫髪の……アルダンテ様のことでしょうか」
(あのご令嬢、アルダンテというのか)
フレンが頷くと、令嬢は周囲に目配りをしてから他の者に聞かれないように小声で話を始める。
「……私は子爵家の娘なのですが、元は成り上がりの商家の出なので、爵位の高いお嬢様方からよく思われておりませんでした。それ故に理不尽な扱いをされることが多く、先ほども広間でとある侯爵家のお嬢様に、突然因縁を付けられて突き飛ばされまして」
(可哀想に。身分差を理由にした暴力とはまた、古典的な嫌がらせをするものだ)
フレンの同情的な視線に気づいた彼女は、自分は大丈夫だと示すようにフルフルと首を横に振った。
「その直後、偶然通りかかったアルダンテ様がその場を見てこう言ったのです。私の視界の中で下らないことをするのは止めてくれる? 邪魔だし不愉快なの、と」
「――――は」
あまりに格好がいい、まるで舞台役者のようなアルダンテの登場に、思わず笑いがこみ上げたフレンは口元を押さえる。
首を傾げる目の前の令嬢にフレンは、コホンと咳払いをした。
「大丈夫、続けてくれ」
「は、はい」
フレンの様子に首を傾げながらも、令嬢はさらに話を続ける。
「窘められた侯爵家の方は……文句を言われたことが余程腹に据えかねたのでしょう。そのままその場を去ろうとするアルダンテ様のドレスに、突然ワインを掛けたのです。その後は――」
そこまで聞いたフレンは、令嬢が話しているのが先程自分とセランの目の前で繰り広げられていた広間での一幕だったということに気がついた。
「大丈夫、その後は俺も見ていたから。ありがとう、あれにはそういう事情があったんだね」
先に手を出したのは相手の令嬢だったことを聞いて、フレンは赤紫髪の令嬢がただ悪意にまみれた悪女ではなかったことを知る。
その結果、余計に彼女のことを知りたい気持ちが大きくなっていった。
(ただの悪意からくる行動ではなく、先にやられたからやり返しただけだったんだね。それも徹底的に容赦ない実力行使を持って、か)
「――なんて俺好みの格好いい女性なんだ」
「はい?」
「いや、なんでもないよ。それよりも彼女――アルダンテはいつもあんな風に誰かを叩き潰して……じゃなかった。助けているのかい?」
「いつもかは分かりませんが、少なくとも爵位の低い私のような者にとってアルダンテ様は憧れのお方です。立ち振る舞いから誤解されやすい方ですが、爵位の高い傲慢な方々に虐げられている人を助けられたというお噂は、よく耳にしますから」
ご本人は助けたつもりなどないと否定されるでしょうけど、と付け加えた後。
令嬢は会釈をしてその場を去って行った。
その場に残されたフレンは、アルダンテのことを想像して目を閉じる。
(もし今のご令嬢の話がすべて本当のことなら――)
「ついに俺は、運命の人に出会ってしまったかもしれない」
誰にも媚びず、取り繕わず。
何者にも屈さず、誰もが恐れるような。
そんなキツイ性格の悪女。
アルダンテは正に、フレンにとって自分の理想を体現したかのような女性だった。
(しかも彼女の行動は本人の意図しないところで、救いを求めている立場の弱い人達を助けているときた)
あまりにも出来すぎている。それではまるで物語の主人公だ。
そんな人間が、本当にこの世に存在するのか?
気持ちが
「……アルダンテか」
目を開いたフレンは、アルダンテが去っていった廊下の先を見つめながらつぶやく。
「君が本当に俺が思い描く運命の人なのかどうか、これから見定めさせてもらうとしよう。願わくば――」
(そうであってくれることを祈るよ)
こうしてフレンは、その後アルダンテの姿を夜会で見る度、視界の端で追い続けた。
アルダンテが本当に自分が理想とする悪女なのかを確かめるために。
そして彼女はフレンの期待通り、周囲の貴族の子女達を容赦なく叩き潰すことで自分が悪女だということを証明した。
その結果、ついにアルダンテは王宮から社交界の出入り禁止命令を下されたのである。
それから三年間。
フレンはずっと、たとえ夜会で姿を見ることができなくなっても、アルダンテのことを思い続けた。
いつか再びその姿を見た時には、思い人である彼女に、絶対に自分の想いを伝えようと決意しながら。
------
馬にまたがって緩やかに身体を揺らすアルダンテを後ろから抱きしめながら、フレンは言った。
「俺はさ、アルダンテのことが好きだよ」
不意に囁かれたアルダンテが、ビクッと小さく身体を震わせる。
彼女は怪訝な表情で振り返って、眉をひそめながら言った。
「……いきなりなに?」
「初めて会った時、一目惚れをしたとは言ったけど、ちゃんと告白はしなかっただろう? だから忘れない内に今言っておこうと思ってさ」
ヘラッと笑いながら言うフレンに、アルダンテは「はいはい」と投げやりに答える。
「それまで一度も話したことがなかった私に、突然愛の告白をしようとしていたのね。王子様は軟派でいらっしゃること」
「そう。だからその時には我慢したんだよ。言っても嫌われなくなるまで待とうと思ってさ」
(三年間も待ったんだ。いつか渡そうと思って、わざわざ君の指に合う指輪まで用意してね。今更少しくらい我慢するなんてわけがないことさ)
心の中でそう思いながらも、自分がそこまで執着していたことをアルダンテに知られれば引かれるかもと思い、フレンは口をつぐんだ。
誰にどう思われようがまるで気にしなかった自分が、アルダンテの一挙一動が気になって仕方がない。
誰かを愛するということが、こんなにもくすぐったくて気恥ずかしいものだったなんて知らなかった。
(国で一番モテる王子様の俺をそんな気持ちにさせてしまうなんて、やっぱり君は悪い人だね)
そんなフレンの内心を知らないアルダンテは、相も変わらずの素っ気ない表情で口を開く。
「へえ。まるで今なら嫌われないとでも言いたそうな口ぶりね」
「うぬぼれかもしれないけど、正直今なら言っても大丈夫かなって思ってるよ。だって、さっき突然キスをしても君は許してくれただろう――っと」
馬を止めたアルダンテが、じっと上目使いでフレンの顔を見る。
フレンが見つめ返すと、アルダンテは目を細めて口を開いた。
「悪女が好きって言うけど、じゃあ悪女だったら私じゃなくてもよかったの?」
少し思案した後、フレンは首を横に振る。
「……いいや。確かに最初は今まで自分の周りにいなかった悪女らしい君の部分に惹かれていたのは事実だけど、一緒にいる内にその考えは変わったよ」
そしてフレンはいつもの軽薄な笑みではなく。
愛おしい人へ向ける穏やかな笑みを浮かべて言った。
「今では君のすべてが愛おしい。悪女らしいところも、それ以外の――そう、たとえば」
フレンが自分の手元に視線を落とすと、いつの間にかアルダンテの指が自分の指に絡んでいる。
その指は決してフレンを逃がさないようにと、ぎゅっと強く握られていた。
「言葉では決して好きって言わない、照れ屋さんなところとかね。可愛すぎるよ、君」
そっぽを向くアルダンテの頬はわずかに赤く染まっている。
夕日のせいだと言い張るアルダンテに、フレンは「可愛いね」と告げて、また彼女を怒らせるのだった。